35.
あれからあいつは、又部屋に帰ってくる。
そして俺は彼を迎え。
黙々とメシを食い、風呂に入る。
夢は見ない。
所謂平穏な毎日。
それなりに仕事をこなし、それなりに話し、
それなりにふざけてみる。
だけど何かが欠けていることを、背中の後ろにいつも感じる。
一度空になってしまったことを、痛いほど感じてる。
俺は俺の欠片を、少しずつ埋めなくちゃいけないんだ。
それはなんなのか、どうすれば埋まるのか、
見当もつかないまま理不尽な焦燥感に苛まれる。
いつもと同じ朝のゴミ出し。
木立を透かして、抜けるような冬晴れが広がる。
この閉塞を突き抜けるような輝きが、目を刺した。
ポケットにしわくちゃの千円札が少し入ってたのを思い出す。
考える前に厨房に顔を突っ込む。
「すみません、ちょっと今日出かけてきたいんですけど。」
返事も聞かないまま、早足で門を抜けた。
いいのかな、とか、大丈夫かな、とか考える余裕さえなかった。
「ちょっと、りか、いいか?」
仕事もやっとめどがつき、日も傾こうと言う頃に御大からお呼びがかかる。
「なんすか、もう上がるとこですけど。」
「いや・・・たになんだが。」
「なにか?」
「まだ、帰らないらしいんだ。」
「え?」
「朝、突然出かけるって言ったきりでな。」
苦笑いともなんともつかない表情に、顔が歪む。
「まあ、あいつは自分の立場わかってると思うから、滅多なことはしないと思うんだがな。」
「でしょうね。」
「一応、表沙汰になる前に、お前に言うべきかと思ってな。」
俺は一つ溜息をつく。
それが安堵なのか苛つきなのか、自分でもわからぬままに。
「なんとかします、それまではとりあえず表沙汰にはしないで頂ければ。」
「ああ、わかってる。」
部屋に戻りコートを引っ掛ける。
轟さんがああ言ってくれているとはいえ、下手をしたら大事になる。
この馬鹿が、とは何故か思わない。
もどかしくキーを取り、車に向かう。
エンジンをかけながら、頭を整理する。
あいつの行きそうな処。
大和の家に行くほど分別がないとは思えない。
それならばとっくに連絡が入っているはずだ。
土地勘のあるところで、行きそうな場所を考える。
俺としたことが。
今まで気づかなかった自分に腹が立つ。
あいつの焦燥に。
そして俺の焦燥に。
臨界点はもう近いのだろうか。
その時あいつはどうなるのか。
そして、俺は。
夜の高速を飛ばす。
あの道を辿りながら、いてくれと祈る自分に気がつく。
窓を流れてゆく景色。
あいつの回りの景色は、きっともっと速く流れていたに違いない。
きりもまれそうな姿に、自らの心の揺らぎが共鳴し、重なり合い。
そして無理やりに手を取ろうとした。
お互いに手を差し伸べあえたならば、などとは思わない。
俺にはああするしかなかったのだから。
そして、あいつも。
高速を降りる。
寂れた山道、ギアをローにして無理やりアクセルを踏む。
金網で囲っただけの駐車場が見えてくる。
仕切りの枠からはみ出させたまま、急停車させる。
投げ込んだコートとマフラーを抱えて、外にでる。
延々と続く石の墓標を早足で抜けて行く。
一番奥の見晴らしのいい場所に、その墓はあったはず。
蹲るような黒い影が、見える。
我知らず、足が速まる。
影は固まったように動かない。
「おい。」
「あ・・・」
ゆるりと影が動く。
「そろそろ帰った方が、いいんじゃねえか?」
ゆっくりと、不思議そうに顔がこちらを仰ぐ。
「え・・・
もう、暗いんだ。」
コートとマフラーを投げる。
「それに、寒いしな。」
「こんな時間になっちゃったんだね。」
「みたいだな。」
「俺・・・・・気づかなかった。」
「行くぞ。」
コートにマフラーをつけたこいつは、驚くほど幼く見えて。
いつもどこかに漂わせていた緊張感が、抜け落ちたようだった。
俺の踏みしめる砂利を見つめながら、一歩一歩後をついてくる。
俺は遠い星を見ながら、歩き。
奴は俺の足跡を見て、歩く。
そして満天の星は、遥か遠く。
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