TOP  








  34.

   








ぎしりとベッドが音を立てる。
あいつの気配が伝わってくる。
空気に微かにワインの香りが捩れる。



俺はまだ顔を向けない。
この白い月の翳に、縛り付けられたように。
ただ、仰ぎ見る。
ふと、気がつく
頭の中にあった混沌が、静かに積もってゆく。
塵のように舞っていたそれが。
浴びる月の翳の下で、ざわめきを押し隠したような、
静けさに包まれる。




「まだ、寝てなかったのか?」
こちらに顔も向けずに言う。
「帰ってきたんだ。」
会話にならない会話、それはいつものこと。
「俺の部屋、だからな。」



なぜこんな言葉にひっかかったのだろう。
月からゆっくりと身を剥がすように、
りかに向き直る。





月を全身に纏っていた。
それはとても、清浄で、鋭利な煌き。
気圧されるように、俺は座っていた。
いきなり、そしてゆっくりとこいつがこちらを向く。
遠慮の無い瞳が、突き刺さるように俺を見る。
吸い込まれそうな虹彩、その下にあるものを読み取ることができたなら、
俺はもしかしたら救われるのかもしれない。
救われないのかもしれない。


この揺らぎは、酒のせいか。


静かにたにの口が開いた。



「あんたの、部屋。」



頭の中の、一番静かなところから言葉が零れた。
「じゃあ、俺は・・・・」
そこで思考は途切れる。
何を言おうとしたんだろう。
暗闇でりかが訝しげに眉を顰めるのを感じた。



血が上る。
頭の澱が一斉にざわつき出す。
引き千切るように、カーテンを掴む。
背に月の翳を受け、それは刺すように俺を蝕む。
たには何も言わず、ただその瞳で俺を見上げる。
光を映す瞳、闇など吸い込んでしまうような。
ざわつきが形になる前に、俺はカーテンを引く。
閉ざされた部屋には、凍りついたような闇が落ちる。







「もう、ねなきゃ。」
俺はブランケットをひっかぶる。
頭が痛くなるくらい、必死で目を瞑る。
何を言おうとしていたのかなどと考えるなど、思いもよらぬままに。











 じゃあ、俺は・・・・・



突然発せられた、問い。
柄にも無く言葉に詰まってしまった。
頭からブランケットを被って丸くなった身体が、背を向ける。
まるで、何かからその身を守るかとするように。
いや、心を守るかとするように。



そして俺は、奴に触れることすらできず、
振り切られる問いならば、振り切りたいのだろうか。
何かから守りたいのは、この俺なのか。
全てを俺の為に設えた。
つまらないこだわりやいらつきを決して持ちこまない空気。
俺が俺で在る為の。


なのにこいつは、いとも簡単にその空気に溶け込んで。
あんな瞳のままで、それでもこの部屋に戻ってくる。
それは、諦めているからだ。
それは、どこかを見ているからだ。
それは、何かを置き忘れてきたからだ。

苦く口の端をあげ、ブランケットに入る。
浅い眠りの中、問いは渦巻き続ける。
答えなど、探そうとも思わない。


















窓を通して、響いてくるのは風の音。
樹々の凍りついてゆく音。
ざわめきよりも、それはもっと悲痛なかそけさを帯びて。
身体を突き抜けるような、冷たさを纏って。
胸の奥が穿かれるように、抜け落ちる。
穿かれた穴に感情が音を立てて流れ込むような、
それは逆毛立つような、おぞましい感覚。






微かな寝息が、空気を揺らす。
傍らに顔を向ける。
もう、見慣れたはずの顔。
額にかかる髪。
閉ざされた双眸。
口元だけが、小さく動く。
それは静かに、穏やかに。
ざわめきが徐々に緩やかに、そして消えて行く。
胸の奥を満たすような、そんな柔らかさに包まれる。



身体を起こす。
手を伸ばす。
冬の夜、凍えた子供が火を求めるように。
ただ、その柔らかさを求めるように。
そして、不意に我に返る。
伸ばした手は、空で凍りつく。
振り切るように握り締める。











いつのまにか浮かべた、口の端だけの笑い。
俺は俺の夜に、沈んでゆく。















← Back   Next →













SEO