28.
こいつと乗るのは、初めてだ。
閉ざされた空間、エンジンが震える。
低く響くクラシック。
なんて曲かなんてわかんないけど、
らしいかなって思わせる。
沈黙に潰された、叫びが哀切に響く。
包まれる音の中、外界が二重写しになったように瞬いて。
びゅんびゅん走り去る景色、
滑らかに風の流れがみえるよう。
晴れた空の下、世界ってこんなに鮮やかだったっけ。
助手席の彼を、サングラスの陰で見る。
緊張しているらしい身体とは裏腹に、
流れる陽射しの中、表情に生気が蘇る。
ありふれたこんな景色だというのに、
食い入るように見つめる眼差し。
日の落ちたあの部屋と、
どこが違うと言うわけでは無いのだけれど。
茜色のあの夜から、こいつの道は大きく弧を描き。
それは何処へ、行き着くのだろう。
無邪気な程の瞳が、真っ直ぐに前を見据えている。
なにもかもが恵まれているべき範疇で、
生きていたはずの。
それはずっと変わらず続くはずだった。
その底に微かな翳りが宿るはずなどなかった。
袋小路に迷い込む前に、俺は眼を戻す。
「着いたぞ。」
遠くに霞む煌きが見える。
それは水平線を弾き、冬の空に溶けてゆき。
海風が辛うじて届くくらいの、小高い墓地。
入り口に車を止めたまま、彼は眼で俺を促す。
「行って来い。」
「え・・。」
「どこに逃げるってもんでも、ないだろう。」
握った拳を口元に持っていき、親指で唇を弾く。
少し神経質そうに、だけど何でもないふうに。
俺は焦ってシートベルトを外す。
「あ・・・と。
すぐ戻るから。」
倒したシートに深く凭れながら、形のいい指が振られる。
「気がすむまで、いればいい。」
俺はなんとなく申し訳なくなって、唇を引き結ぶ。
「ん・・・・。ごめん。
出来るだけ早く、帰る。」
「いい、っつってんだろうが。」
運転席で、もう瞼は閉じられて。
俺は車を後にした。
きんとした冬晴れ、平日の真昼間なんて誰もいやしない。
だだっぴろい墓の群れを俺は早足で抜けてゆく。
心尽くしで供えられた花が目に入る。
花のひとつも持ってくるもんだったのかな。
だけど、なんとなく、なんとなくだけど何も持ってきたくなかった。
あの日から、俺は何処かへ迷い込んでしまったようで。
日々の記憶は、波打つようにうすぼんやりと。
混ざりあって溶けあって、かたちにならぬまま澱むばかり。
まだ、きちんととらえられない。
脚を巻き込もうとする波に、任せてしまいたくなりそうで。
心臓を突き破ってしまいそうな、この重さに耐えられなくなりそうで。
全てから逃げ出してしまえたらと、意識を解き放ちたくなりそうで。
ねばりつくような闇を覗き込み、吸い込まれそうな魂。
だけど、あいつがいる。
纏わりつくような強い眼差しが、俺を引き戻す。
夜の闇の底で、もっと暗い闇から俺を引き揚げる。
震えるこの非現実のような普遍の中で、唯一揺らがない。
碁盤の目のような路を進む。
頬にあたる風はひやりと、想いから俺は目が覚める。
墓って、思ったより大きいんだな。
ぼんやりと俺は立っている。
なにかこみ上げるものとか、あるのかと思っていた。
もしかしたら悔しさとか悲しさとか、そんなものが押し寄せてくるのかと。
なんとなく、ポケットに手を突っ込んで。
斜にしみじみと、その石塊を眺める。
切り取られた写真でも見ているような気分。
浮き彫られている文字は、意味をなさず。
この冷たく立派なものは、まだ父とは繋がらない。
足元を眺めて、自分の影を見る。
このずっと下に眠るものの意味は、まだ俺にはわからない。
わからないなりに目を凝らして。
なにかが流れ込んでくるのかもしれないとでも、思ったのだろうか。
ただ、そこにいることだけ。
俺は未だ、どうにもならないままだ。
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