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影は光と結び、
緩やかに形をとりはじめる。
薬のせいかもしれない。
水底から見上げているかのように、
俺はぼんやりと見つめ続けた。
頭が覚醒した時には、
捕らえられたように瞳が逸らせなくなっていた。
額をひんやりと掌が覆う。
それはこの上もなく甘やかな香りを纏い、、
遠く帰るべきなにかを思い出させる。
そんな思いに囚われた自分に、思わず顔を背けた。
「薬。飲むか」
いつもより潤んだ瞳、赤味を帯びた唇、
思わず尋ねた。
昨日、ゆうひに言われた台詞だ。
途端に、口元が強張り顔が背けられる。
「平気。」
そう言いながら、頭まで潜りこむ。
俺から全てを隠すように。
「寝てりゃあ、治る。」
放っておけ、好きにさせろ、
心と裏腹につい言ってしまう。
「馬鹿野郎、野良犬じゃあるまいし。」
蹲った背中が、びくりと震えた。
くぐもった声が漏れる。
「・・・・ 似たような、もんだよ。」
言葉に詰まる俺を睨みつけるように、半身が起き上がる。
闇の中、冬の星を宿したように瞳が煌く。
艶やかに赤い唇が言葉を捜すように、開く。
「犬と、変わんないよ。」
「なんだと。」
吸寄せられるように、俺は半身を起こす。
部屋が妙に暑い。
耳の奥の不協和音は、たまらなく神経をかき回す。
逃れようと伸ばした手から、奴が擦り抜ける。
伸ばされる腕、圧倒的な力。
逃れる場所など何処にもありはしない。
ベッドの隅であいつと睨み合う。
結末は分かっている、いつもの綱渡り。
空気の温度すら下げるような沈黙に、
息遣いだけが交錯する。
それは共鳴しあうように、強引に押し入ってくる。
潰されそうな圧迫感から逃げるように、
熱でふやけた舌が動く。
「這いつくばって、舌出して、餌もらって。」
影になった表情はわからない。
微動だにしないあの眼差しを、想像などしたくない。
「涎垂らして、尻尾振って。
なんにも、変わんないよ。」
物凄い力で肩を掴まれて、
綱から引き摺り落とされた。
ベッドに沈むほどのしかかられる。
くらくら回る頭は、心を剥き出しにしてしまう。
咽喉に、乾いたような感触が広がる。
首筋をさっきの掌が掴む。
「ふざけるな。」
指に力が込められる。
「犬はな、弁えてるんだよ。」
どんなに抗ってみたところで、そして又、
俺は、こいつの下で這いつくばっている。
耳元を嘲るような声が舐める。
「自分が犬だって、ことをな。」
膝で下肢が割られる。
身体中の感覚が痛みに収束する中で、
声だけがはっきりと木霊する。
悔しさと惨めさで、言葉の意味すら掴めなくなってゆく。
本能で逃れようと動く度に、苦痛は一層激しさを増して。
俺達はもがくように、溺れるように。
二人底無しの淵に沈んでいくように。
「お前は、犬以下だ。」
熱で焼ききれてしまう刹那、
水底の呟き。
それは、叫びにも似て。
「振るもんがねえんなら、
上がるしかないだろうが。」
汗にまみれて、薄く上下する胸に顔を押し当てて、
濁流の中、縋るものはそれしかないように。
瞳を閉ざし、ゆるやかな巻毛がこびりつく小さな顔。
潮が引くように甦る静寂。
寄せてかえすものは、
まだ、形をとりはしない。
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