12
引きずり込まれた底無しの闇は、
夢を見ることすら許してはくれない。
頬をくすぐる陽射しで目が覚めた。
広過ぎるベッド、あいつの気配は既に無く。
ぼんやりとした頭でぐるりと部屋を見渡して。
ベッドサイドに置かれている、これが俺の服らしい。
のろのろと起き上がる。
ふらつきながら窓辺に行って、
顔を押し付けるように、ガラス越しに外を見る。
きんとした冬空に、木立が突き刺さるように伸びている。
下の方では、微かなざわめき。
いつもと変わらず世界は回る。
だけど、空気が違う。
不意に記憶が甦る。
胃の底が冷えてくる、脚が竦む。
身体を引き摺るようにして、バスルームに転がり込む。
内臓からこみ上げる嫌悪感。
俺はひたすらに吐きつづける。
黄色い胃液は細く渦を捲き、
捻れるように吸いこまれる。
包帯が替えられていたことに、
その時初めて気が付いた。
「昨日は、悪かったな。」
車に乗り込むなり、ワタルが口を開く。
「お前に始末つけさせちまったんだって。」
悪びれもせず言い放つ様子に、俺も頷くしかないだろう。
「別に、大した事じゃねえ。」
それだけで、話は終わる。
話すほどの事じゃ、ない。
「じゃあ、出しますよ。」
運転席でゆうひが言う。
音も無く滑り出す皮張りのシートに沈み込んで、
今日最初の煙草に、火をつける。
低く旋律が、流れ出す。
凍てつく北の大地。
畳みかけるフレーズ、迫り来る軍靴の響き。
破裂しそうなレニングラード。
瞳を閉じて、身を浸す。
「なんて、曲。」
たいして興味もなさそうに、ワタルが音に割って入る。
「ショスタコーヴィッチ、七番。」
どうでも良さそうに俺は答える。
曲は第二楽章へ。
渦巻くような旋律が、頭のどこかを刺激する。
「もっと、景気のいいの無いのかよ。」
ゆうひが困ったように目を上げる。
「るせえな、厭なら寝てろ。」
「ったく、いつ乗っても辛気臭せえな、この車。」
遠くから重なるこの響きは、なんだ。
「で、結局、お前が引き受けたんだって。」
お前、少しは落ち着いていられないのか。
仕方ない、目を開く。
「ああ。」
ライターを弄びながら、ワタルは言葉を選ぼうとする。
「あいつ、全然普通なんだろ。」
「だろうな。」
「後継ぎとか、そういう育ち方してきたわけじゃあ、ねえんだろ。」
重なる旋律が、ぼやけたように輪郭をとる。
「だから ?」
「親父さん、一人息子なのにな。」
フィルム越しに、外を眺める。
こいつにとっては気詰まりな沈黙が支配する。
「だからよ、あんま、酷えことは、な。」
煙草をもみ消し、俺はやつに向き直る。
「なんだ。」
「いや、聞えちまったから。」
言いにくそうに、それでも続ける。
「あいつの、声。」
こいつですら怖気を震う声だったってわけか。
旋律の奥で、耳を塞ぐ。
「お前が気にすることじゃ、ない。」
燃え上がる、レニングラード。
こびりつく、叫び。
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