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  10













薬の匂いに、意識が動き出す。




頭の芯は、ぼやけたままで。
痣の浮いた手が、痛む。
節々が、軋む。


「やっと、起きたね。」
どうやら、医者のようだ。
「かなり疲れてたからね。」
手際良く身体を調べられる。
「ま、あの人を殴ったんだから。」
一人で笑う。
笑い事じゃない。




慌しい足音が飛び込む。


「ぶんさん、何か。」
上がる息を押さえ、レダが言う。
「ちょっと大変でさ、坊や。」
昨日のように、柔らかく笑う。
ひらひらと指を振り、赤い唇が開く。
「下、来られる?」















粗方の整理はついた、と思う。
轟組系大和組に生まれ変わる。
文箱を閉じて汐風は息をついた。


事を荒立てず済んだのは、不幸中の幸いだった。
密葬にすら来られない息子に、轟組の威光は響き渡る。
自分の代で潰す位ならと、あの人が泣いた。
全てが肩に圧し掛かるのを、承知で引き受けた。
力と面目の狭間で、首の皮一枚繋がった。
苦い思いで、肩を揉む


「幸さん。」
障子の陰から、喜月が声をかける。
嫌な予感がした。
「どうした。」
「奥の間の、長船が。」


あの阿呆、何てことしやがる。



「車だ、轟組まで。」










まるで、狂犬だ。
白刃が、陽を受ける。
一体どこから引っ張り出してきやがった。
年代物の抜き身が、霧矢の手で翻る。


ワタルに会ったのがそもそもの間違いだ。
八双の刃が、返る。
こんな顔で来る奴にあの調子で相手するか。
刀が正眼に、上がる。
三下相手と舐めやがって。
切っ先が、浮く。
叩き起こされた俺の身にもなってくれ。
渾身の突きが、伸びる。
二日酔いの目に日差しが痛い。
間一髪、刀を見切る。
銃取ってくるのに、何処まで行ってやがる。


「あいつを、出せ。」
取り直した刀を、上段に構える。
「連れて帰るんや。」
荒い息に、肩が上下する。
そんなに息を乱すから刃筋がすぐ分かるんだ。
袈裟に下りる刃に、僅かに仰け反る。



「 霧矢っ。 」



階段の上から声がする。
ったく、ぶんが余計な真似を。
これ以上、刺激するな。
転がるように、あいつは駆け下りた。
馬鹿野郎、事を面倒にしやがって。


「たに、帰るで。」
刀を構えたまま、霧矢が吠える。
ガウンの裾を乱しながら、戸惑うように立ち尽くす。
「これ以上、無理するな。」
思わず足を踏み出した
「じゃかぁしいわ。」
逆袈裟に刃が上がる。
瞬間、白い影が飛び出した。


腹を押さえて蹲る、青年。
白いガウンに、朱い染みが広がる。
霧矢が呆然と刀を落す。


「この・・・、馬鹿が。」
狂犬の襟元を掴み上げる。



玄関が慌しく開く。
汐風が若い者を連れなだれ込む。
「こいつぁ。」


もぎ取る様に霧矢を掴む。
「いいかげん、目ぇ覚ませ。」
呆けたように、汐風を見る。
土間に平手が響き渡る。


「お、やじの刀、だから。」
切れ切れに、あいつが言う。
霧矢にゆっくり顔を上げる。
「きりやん、が、持ってて。」
そして、ゆっくりと倒れ込む。
透けるような白い肌に、浮かぶのは微笑みか。


惜別と諦めと、その向うに嘲りが透けてみえるような、
およそこいつには似つかわしくない意味しか持たない、笑み


そんなものを、俺は見たくはなかった。



霧矢は呻き、崩れ落ちた。



「二度とこのような真似は。」
霧矢を押し込めるようにして、車は去っていた。














診療所に、足を向けた。
入り口で、ドクターが轟と話し込む。
「縫うほどじゃあ、ありません、大した傷じゃあない。」
彫刻のような其の顔の、頬にテープが新しい。
ドクターは部屋に戻る。


「厄介かけたな。」
肩に手を掛けられる。
「いえ、乗りかかった船ですから。」
珍しく、低く笑う。
「しかし、あいつは厄介だ。」
あんた、何が言いたい。
「背負ってるものが、多すぎる。」
そんなこと分かってる。
いつ潰れても、不思議じゃない。
俺の足元、蹲る白い陰が浮かんだ。


あんたの言いたいことは、端から分かってる。
俺は、乗ってやる。






「俺が、預かります。」










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