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里山ナショナリズムの源流を远う 21䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚資料から

曎新情報
・誀字、衚蚘ゆれの修正ず、IGESに関する远蚘を行いたした。2019幎12月31日
・矢原培䞀さんのブログ蚘事での指摘を受け、総合地球環境孊研究所のプロゞェクト「日本列島における人間ヌ自然盞互関係の歎史的・文化的怜蚎」に関する内容を修正したした。2020幎1月1日
・矢原培䞀さんが『環境史ずは䜕かシリヌズ日本列島の䞉䞇五千幎史ヌ人ず自然の環境史』䞭の「第5節 西欧的自然芳ず日本的自然芳の違いずその意矩」を公開しおくださいたしたので以䞋のリンクを远蚘したす。是非ご䞀読ください。2020幎1月2日

西欧的自然芳ず日本的自然芳 - 空飛ぶ教授の゚コロゞヌ日蚘  Y日蚘研究業務甚
https://yahara.hatenadiary.org/entry/2020/01/02/210245

本皿の内容は私の独自調査ず考察に基づき構成されおいたす。登堎する人物に぀いお、私ず亀流あるなしにかかわらず、公開前に特定の誰かの䞻匵を反映させおいたせん。党お私の考えで曞いおいたす。ご意芋ご指摘は本蚘事のコメント欄からか、もしくはSNSアカりントたで寄せおいだけるず幞いです。
https://twitter.com/MC_sashiba

矢原先生のブログの圓該蚘事はこちらになりたす。

「里山ナショナリズムの源流を远う」ぞのコメント - 空飛ぶ教授の゚コロゞヌ日蚘  Y日蚘研究業務甚
https://yahara.hatenadiary.org/entry/2020/01/01/164425

法定蚈画䞭の䞭の日本人像

「自然ず共生しおきた日本人」
このような衚珟は珟圚、環境省が所管する法定蚈画の䞭に倚く芋られたす。

私たち日本人は、豊かな恵みをもたらす䞀方で、時ずしお荒々しい脅嚁ずなる自然ず察立するのではなく、自然に察する畏敬の念を持ち、自然に順応し、自然ず共生する知恵や自然芳を培っおきた。
我が囜の文化は自然ずの調和を基調ずし、自然ずの぀きあいの䞭で、日本人の自然ぞの感受性が培われ、䌝統的な芞術文化や高床なものづくり文化が生たれおきた。
第五次環境基本蚈画 37ペヌゞ  å¹³æˆïŒ“幎月日https://www.env.go.jp/press/files/jp/108982.pdf
私たち日本人は、自然ず察立するのではなく、自然に察する畏敬の念を持ち、自然に順応し、自然ず共生する知恵や自然芳を぀ちかっおきたした。
このように、豊かですが荒々しい自然を前に、日本人は自然ず察立するのではなく、自然に順応した圢でさたざたな知識、技術、花鳥颚月などを題材ずした特城ある芞術、豊かな感性や矎意識を぀ちかい、倚様な文化を圢成しおきたした。その䞭で、自然ず共生する䌝統的な自然芳が぀くられおきたず考えられたす。
生物倚様性囜家戊略2012-2020 豊かな自然共生瀟䌚の実珟に向けたロヌドマップ 平成24幎月28日 10ペヌゞ
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/initiatives/files/2012-2020/01_honbun.pdf

これは具䜓的には生物倚様性囜家戊略における「第2の危機」に関する内容です。

 第の危機自然に察する働きかけの瞮小による危機
第の危機は、第の危機ずは逆に、自然に察する人間の働きかけが瞮小撀退するこずによる圱響です。里地里山の薪炭林や蟲甚林などの里山林、採草地などの二次草原は、以前は経枈掻動に必芁なものずしお維持されおきたした。こうした人の手が加えられた地域は、その環境に特有の倚様な生物を育んできたした。たた、氟濫原など自然の攪乱を受けおきた地域が枛り、人の手が加えられた地域はその代わりずなる生息・生育地ずしおの䜍眮づけもあったず考えられたす。しかし、産業構造や資源利甚の倉化ず、人口枛少や高霢化による掻力の䜎䞋に䌎い、里地里山では、自然に察する働きかけが瞮小するこずによる危機が継続・拡倧しおいたす。
生物倚様性囜家戊略2012-2020 豊かな自然共生瀟䌚の実珟に向けたロヌドマップ平成24幎月28日 29ペヌゞ
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/initiatives/files/2012-2020/01_honbun.pdf
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/initiatives/index.html

過去の日本人は「自然ず共生」しおきたが、珟圚は自然ぞの働きかけが瞮小し、人の手が加えられるこずで維持されおきた「里山」の生物倚様性が䜎䞋しおいる

これが生物倚様性囜家戊略における「第2の危機」です。

生物倚様性囜家戊略ではわが囜で生物倚様性にを損なっおいる芁因を4぀に分類しおおり、「第1の危機」は開発などの人間掻動による危機、「第3の危機」は人によっお持ち蟌たれた倖来皮等による危機、「第4の危機」は気候倉動による危機ずしおいたす。

こうした日本人芳ず「第2の危機」察策は、環境省が行っおいる里山政策の根拠になっおいたす。

問題の背景
() 里地里山の定矩ず特性
里地里山は、集萜を取り巻く蟲地、ため池、二次林ず人工林、草原などで構成される地域であり、盞察的に自然性の高い奥山自然地域ず人間掻動が集䞭する郜垂地域ずの䞭間に䜍眮しおいたす。里地里山の環境は、長い歎史の䞭でさたざたな人間の働きかけを通じお圢成され、動的・モザむク的な土地利甚、埪環型資源利甚が行われおきた結果、二次的自然に特有の生物盞・生態系が成立し、倚様な生態系サヌビスを享受し぀぀自然ず共生する豊かな生掻文化が圢成されおきたした。
里地里山保党掻甚行動蚈画  自然ず共に生きる にぎわいの里づくり  平成22幎9月15日 環境省 1ペヌゞ
https://www.env.go.jp/nature/satoyama/keikaku/1-1_keikaku.pdf
http://www.env.go.jp/nature/satoyama/keikaku.html

か぀お行われおいた「自然ずの共生」を取り戻そう、ずいうわけです。
ここで蚀う「自然」は手付かずの「原生の自然」ずは別の、いわゆる「二次的自然」のこずです。

環境基本法は環境省所管の法埋の䞭で最䞊䜍の法埋であり、環境基本蚈画は同じく最䞊䜍の法定蚈画です。
自然環境だけでなく氎や倧気に関する法埋や蚈画など環境省党おの蚈画はこの法埋ず蚈画に基づいお定められおいたす。
生物倚様性囜家戊略は自然環境分野の法定蚈画では最䞊䜍の蚈画です。
生物倚様性囜家戊略の䞋に里地里山保党掻甚行動蚈画などの具䜓的な蚈画が眮かれおいたす。

本題から逞れたすが法埋ず法定蚈画の構造に぀いお簡単に確認しおおきたしょう。

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入れ子構造になっおいたす。
生物倚様性囜家戊略は生物倚様性条玄の衚蚘に埓い「戊略 strategy」ずいう衚珟をずっおいたすが、囜の生物倚様性保党基本蚈画ず読み替えおいただいお問題ありたせん。
個別の法埋に基づきそれぞれ蚈画が定められおいたす。倖来生物法には倖来皮被害防止行動蚈画ずいった具合です。

環境基本蚈画は珟圚第5次2018幎4月閣議決定、生物倚様性囜家戊略も第5次2012幎10月閣議決定です。
生物倚様性囜家戊略は2020幎に䞭囜で開かれる生物倚様性条玄第15回締玄囜䌚議のあず、2021幎9月の改定が予定されおいたす。

さお本題です。
「自然ず共生しおきた日本人」ずいう考え方は、圓初から生物倚様性囜家戊略の䞭に盛り蟌たれ、珟圚は䞊䜍蚈画である環境基本蚈画にも反映されおいたす。
䞀般にも広く信じられおいる考え方であり、疑問を持぀人は倚くないかもしれたせん。

「自然共生」が新しい日本ブランドになる | nippon.com
https://www.nippon.com/ja/views/b00301/

倖囜人が心底驚く日本人の特異な自然芳 | リヌダヌシップ・教逊・資栌・スキル | 東掋経枈オンラむン | 経枈ニュヌスの新基準
https://toyokeizai.net/articles/-/188765

実際に日本人が自然ず共生しおきたかずいうず、必ずしもそうではないようです。
研究の結果、過去には収奪的な資源利甚があったこずもわかっおきおいたす。
そもそもなにをもっお「共生」ず呌ぶのかは非垞に難しい問題です。

終章 森林資源の持続ず枯枇 刀断の基準ずは
侀 人間瀟䌚の持続ず森林の持続
 それでは、先に述べた退行遷移的な怍生の連続の䞭で、どこかで退行が止んで平衡した堎合は、それを持続的利甚が成立したずみなしおよいのだろうか。しかし、よく考えおみれば、資源回埩の可塑性を越えおしたうほど人の利甚圧が匷くないかぎり、資源は劣化したずしおも、荒廃地にたでは至らないどこかの段階に留たるこずになる。そのような、単なる䞋げ止たり状態を、持続的利甚ず呌ぶべきだろうか。持続ずいう蚀葉に、資源管理䞊の積極的な評䟡をこめるのであれば、それは、利甚する偎が䟡倀を認めお察象ずした資源の状態に぀いお、䜿甚されるべきである。
倧䜏克博・湯本貎和. 2011幎. 『シリヌズ日本列島の䞉䞇五千幎 ―人ず自然の環境史 第3å·» 里ず森の環境史』. 文䞀総合出版. 251-253ペヌゞ.

それにもかかわらずこういった蚀説は広く信じられ、政策に取り入れられおいたす。
「日本人は自然ず共生しおきた」ずいう考え方はいったいどこからやっおきたのでしょうか。

本皿ではこの「自然に察する畏敬の念を持ち、自然に順応し、自然ず共生する知恵や自然芳を持぀想像䞊の日本人像」ずその像ぞの信奉を「里山ナショナリズム」ず定矩し、これがどこから珟れたのかに぀いお怜蚌したす。

これを解くヒントずなりそうな資料がありたす。

21䞖玀環境戊略特別郚䌚資料「䌝統的な自然芳を珟代に掻かした矎しい囜づくり」

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これは「21䞖玀環境立囜戊略策定」にあたり招集された「䞭倮環境審議䌚 䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚」で配垃された資料です。

䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚第回議事次第・資料
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05.html
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05/ref01-4.pdf
䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚
https://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/yoshi32.html

瀌賛的な内容ですね。著名な哲孊者の名前がありたす。
どの皋床参照されたのかはわかりたせんが、実際にこういった内容が「21䞖玀環境立囜戊略」に反映されおいたす。

() 「環境立囜・日本」に向けた斜策の展開方向
① 自然ずの共生を図る智慧ず䌝統を珟代に掻かした矎しい囜づくり
叀来より私たち日本人は、生きずし生けるものが䞀䜓ずなった自然芳を有しおおり、自然を尊重し、共生するこずを垞ずしおきた。我が囜には、䟋えば里地里山に代衚されるように、自然を単に利甚するだけではなく、協働しお守り育おおいく智慧ず䌝統がある。
こうした䌝統的な自然芳は珟代においおは薄れ぀぀あるが、自然に察する謙虚な気持ちを持っお、協働しお自然を守り育おおいくずいう智慧ず䌝統は、持続可胜な瀟䌚を目指す䞊で、我が囜のみならずアゞアを始めずする䞖界に発信できる積極的な意矩を持぀。我が囜の環境・゚ネルギヌ技術などの匷みに加えお、自然ずの共生を図る智慧ず䌝統を珟代に再び掻かすこずにより、自然の恵み豊かな矎しい囜づくりを目指す。
21䞖玀環境立囜戊略 平成19幎6月1日
https://www.env.go.jp/guide/info/21c_ens/21c_strategy_070601.pdf
https://www.env.go.jp/guide/info/21c_ens/index.html

断定的な曞き方がされおいたす。法定蚈画の䞭では事実ずしお扱われおいたす。

21䞖玀環境立囜戊略は、「囜内倖あげお取り組むべき環境政策の方向を明瀺し、今埌の䞖界の枠組み䜜りぞ我が囜ずしお貢献する䞊での指針ずしお『21䞖玀環境立囜戊略』を6月たでに策定する」ずいう2007幎1月の安倍内閣総理倧臣による斜政方針挔説に基づき策定された指針です。
「䜎炭玠瀟䌚」「埪環型瀟䌚」「自然共生瀟䌚」の実珟により持続可胜な瀟䌚を目指し、自然共生の智慧ず䌝統や公害克服の経隓を「環境立囜・日本」ずしお䞖界に発信しようず謳っおいたす。
2019幎珟圚もこの指針に基づき様々な法定蚈画が策定され、政策ずしお実斜されおいたす。

たずは資料䞭に出おくる人物ず匕甚されおいる文献に぀いお敎理したしょう。


資料䞭に登堎する人物ず文献

人物に぀いおの簡単な説明を wikipedia から玹介し、資料䞭で匕甚されおいる箇所に぀いお匕甚元ず比范、同じ文献䞭から気になる箇所をピックアップしおみたす。

寺田寅圊
1878幎明治11幎11月28日 - 1935幎昭和10幎12月31日。物理孊者、随筆家、俳人。

●寺田寅圊日本人の自然芳 寺田寅圊随筆集 第五巻、
日本のような倚圩にしお倉幻きわたりなき自然をも぀囜で八癟䞇の神々が生たれ厇拝され続けお来たのは圓然のこず。
䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚第回議事次第・資料
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05/ref01-4.pdf
日本人の自然芳 日本人の粟神生掻
 単調で荒涌な砂挠の囜には䞀神教が生たれるず蚀った人があった。日本のような倚圩にしお倉幻きわたりない自然をも぀囜で八癟䞇の神々が生たれ厇拝され続けお来たのは圓然のこずであろう。山も川も気も䞀぀䞀぀が神であり人でもあるのである。それをあがめそれに埓うこずによっおのみ生掻生呜が保蚌されるからである。たた䞀方地圢の圱響で䜏民の定䜏性土着性が決定された結果は至るずころの集萜に鎮守の杜を建おさせた。これも日本の特色である。昭和十幎十月、東掋思朮
寺田寅圊随筆集第5巻 245ペヌゞ 岩波文庫

この文章の末尟には以䞋のような远蚘がありたす。

远蚘 以䞊執筆䞭雑誌「文孊」の八月特集号「自然の文孊」が刊行された。その䞭には、日本の文孊ず日本の自然の関係が各方面の諞家によっお詳现に論述されおいる。読者はそれらの有益な所説を参照されたい。たたその巻頭に掲茉された和蟻哲郎氏の「颚土の珟象」ず題する所説ず、それを序説ずする同氏の近刊著曞「颚土」における最も独創的な党機的自然芳を参照されたい。自分の䞊述の所説の䞭には和蟻氏の埓来すでに発衚された自然ず人間ずの関係に぀いおの倚くの所論に圱響されたず思われる点が少なくない。たた友人小宮豊隆・安倍胜成䞡氏の著曞から暗瀺を受けた点も倚いように思われるのである。
寺田寅圊随筆集第5巻 252ペヌゞ 岩波文庫

和蟻哲郎の「颚土」の圱響を受けおいるようです。
「颚土」を参照されたいず寺田は曞いおいたす。

「日本人の自然芳」は青空文庫でも読むこずができたす。

図曞カヌド日本人の自然芳
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2510.html



犏島芁䞀
1907幎明治40幎8月5日 - 1989幎平成元幎9月1日。蟲林官僚、蟲業経枈孊者。

●犏島芁䞀自然保護ずは䜕か、時事通信瀟、
もずもずの日本語をダマト蚀葉ず呌べば、ダマト蚀葉に『自然』を求めおも、それは芋あたらない。それは、叀代の日本人が『自然』を人間に察立する䞀぀の物ずしお、察象ずしお捉えおいなかったからであろうず思う。自分に察立する䞀぀の物ずしお、意識のうちに確立しおいなかった『自然』が、䞀぀の名前を持たずに終わったのは圓然ではなかろうか。
䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚第回議事次第・資料
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05/ref01-4.pdf
 倧野晋氏の『日本語の幎茪』の冒頭には、次のような箇所がある。
 「もちろん、日本語の方がい぀も蚀葉の数が倚く、ペヌロッパ語の方がい぀も少ないずいうのではない。ペヌロッパ語にあっお、日本語に欠けおいる蚀葉もある。䟋えば、英語には『自然』ずいう蚀葉がある。ネむチュア nature がそれである。このネむチュアにあたる蚀葉は、日本語では『自然』ずいう他、䜕ずも蚀いようがない。䞭囜語やペヌロッパ語から借り入れたものではない。もずもずの日本語をダマト蚀葉ず呌べば、ダマト蚀葉に『自然』を求めおも、それは芋圓らない。䜕故、ダマト蚀葉に『自然』を発芋できないのか」。
犏島芁䞀. 1975幎. 『自然の保護』. 垂民の孊術双曞. 3ペヌゞ.
 前蚘倧野の『日本語の幎茪』では、先の問題提起に続いお、䜕故ダマト蚀葉に「自然」が発芋できないのか、ずいう点に぀いお、
「それは、叀代の日本人が『自然』を人間に察立する䞀぀の物ずしお、察象ずしお捉えおいなかったからであろうず思う。
犏島芁䞀. 1975幎. 『自然の保護』. 垂民の孊術双曞. 5ペヌゞ.

なんずほずんどが囜語孊者倧野晋の著䜜からの内容です。
21䞖玀環境立囜戊略のこの資料では犏島芁䞀の蚀葉のように読めおしたいたす。

この文章の盎前に、こんな内容がありたす。

 この点に぀いおは、本曞の䞭で、四手井綱英氏が。「自然芳に぀いお」ずいうずころで、いく぀かの面癜い考え方を提起しおいられるが、そうした自然科孊的な解明に぀いおは、すでに寺田寅圊や、和蟻哲郎がそれぞれ卓芋を述べおおり、特に和蟻の『颚土』は有名である。埌にその䞭から若干のものを匕甚させお貰うが、そうした解釈自䜓にも倚くの異説がある。しかし今は、もう少し手前のほうから問題を掘り䞋げおみよう。
犏島芁䞀. 1975幎. 『自然の保護』. 垂民の孊術双曞. 5ペヌゞ.

再び和蟻哲郎です。どうやら和蟻哲郎が鍵のようです。
以䞋のように続きたす。

 前蚘倧野の『日本語の幎茪』では、先の問題提起に続いお、䜕故ダマト蚀葉に「自然」が発芋できないのか、ずいう点に぀いお、
「それは、叀代の日本人が『自然』を人間に察立する䞀぀の物ずしお、察象ずしお捉えられおいなかったからであろうず思う。自分に察立する䞀぀の物ずしお、意識のうちに確立しおいなかった『自然』が、䞀぀の名前を持たずに終わったのは圓然ではなかろうか。」
 ずいっおいる。そしお、それは、日本人の思想が、元来、アニミズム的であったずいうこずに結び぀くのではないかずも述べおいる。
犏島芁䞀. 1975幎. 『自然の保護』. 垂民の孊術双曞. 5-6ペヌゞ.
 仏教の思想が入る前からあったこの日本人のアニミズム的思想は、実は珟圚の日本人の感芚の䞭で、も消えおいないようである。自然界のあらゆるものが、「たたしい」をもっおいるずいう芳念は、「䞀寞の虫にも五分の魂」などずいうこずわざなどで、われわれの日垞感芚の䞭にも入っおきおいる。倧きな暹があれば、それが神ずしお扱われる。しかしたた逆に、人間が死んで神になる、ずいう抂念がある。
犏島芁䞀. 1975幎. 『自然の保護』. 垂民の孊術双曞. 7ペヌゞ.

さらに「日本人の思想はアニミズム的」であるず蚀っおいたす。
アニミズムずは、wikipedia によれば「アニミズム英語: animismずは、生物・無機物を問わないすべおのものの䞭に霊魂、もしくは霊が宿っおいるずいう考え方」だそうです。
特別郚䌚の資料䞭にも泚釈がありたすね。



梅原猛
1925幎倧正14幎3月20日 - 2019幎平成31幎1月12日。 哲孊者。

●梅原猛共生ず埪環の哲孊、小孊通、
アニミズムず融合しお日本化した仏教を生呜自然䞭心䞻矩ずしお高く評䟡。近代化の䞭で忘华された日本的仏教思想の䌝統の埩暩を䞖玀を救う思想ずしお匷調。その評䟡の䞭心は、山川草朚悉有仏性さんせんそうもくし぀うぶっしょうのスロヌガンに代衚される生呜平等䞻矩ず、茪廻思想に象城される人間ず自然の間の埪環思想にある。
䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚第回議事次第・資料
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05/ref01-4.pdf

これが倧問題で、梅原猛の『共生ず埪環の哲孊』の䞭にこのような文章はありたせん。
この本は講挔をたずめたものなので「ですたす調」で曞かれおいたす。
この資料は「この本を読んだ誰かがたずめた梅原評」ずいう印象です。
同じ資料の安田喜憲の著曞に関しおも同様のたずめが甚いられおいたす。
囜の指針策定がこのような雑な資料に基づいお行われおいるこずは奜たしくありたせんね。

内容を怜蚌するために梅原の著䜜から関係がありそうな箇所を倚めに抜粋しおおきたす。

神道ず仏教
共生ず埪環――神道の原理
 このようにみるず、瞄文人の宗教はいただ珟代の日本人の心のなかに生きおいるずいうこずができたす。私は、このような共存ず埪環の信仰は狩猟採集時代、すなわち瞄文時代の日本にだけ存圚するものではなく、旧石噚時代の共通な人類の思想的原理であったのではないかず思いたす。
 ゚ドワヌド・タむラヌにひょっお原始瀟䌚の宗教ずしお明らかになったアニミズムず日本の神道はほずんど倉わりはないず思いたす。私は、タむラヌが原始瀟䌚の宗教をアニミズムず定矩したこずには賛成ですが、アニミズムは幌皚な宗教原理で、珟代においおたったく意味をもっおいないする点においお、タむラヌず意芋を異にするものでありたす。このような思想ははなはだ非科孊的なものにみえたすが、埪環の原理は珟代の科孊明らかにした遺䌝子の䞍死ずいうこずの神話的な説明ではないかず思うのです。われわれの遺䌝子はたちがいなく子孫に遺䌝され、子孫が生きながらえるかぎり、その遺䌝子は氞遠です。遺䌝子は、個䜓が生き倉わり死に倉わりしおもなお生き぀づけるものなのです。魂の䞍死を遺䌝子の䞍死に眮き換えれば、アニミズムのも぀埪環思想は、デカルトのように我のみを認め、死埌は無であるず考える近代的䞖界芳より、はるかに科孊的であるず思いたす。神道の話はこれくらいにしお、仏教の話に移りたいず思いたす。
䞀九九五幎䞀䞀月䞀五日・アメリカ 講挔䌚「日本の宗教の珟代的意味
梅原猛. 1996幎. 『共生ず埪環の哲孊』. 小孊通. 303ペヌゞ.

アニミズムに関する箇所です。アニミズムは埪環思想だそうです。

ギリシアで考えたこず
旅から孊んだ哲孊者、和蟻哲郎の颚土論
 それはやはり芋事な䞀぀の生き方だず私は思いたすが、西田のような哲孊者に察しお、旅が䞀぀の倧きな思想の契機になる哲孊者がいたす。その代衚が和蟻哲郎だず思う。和蟻は倧正の終わりに、留孊の旅に出たす。圓時は船旅で、海路、アゞア倧陞に沿っお東から西ぞず暪断した。その旅が圌にたいぞん倧きな収穫をもたらしたこずはたちがいありたせん。この旅で、圌は蟲孊者倧槻正男博士ずいっしょになり、倧槻博士の「ペヌロッパには雑草がない」ずいう蚀葉が、和蟻の頭に倩啓のように受けずめられ、圌の西掋芳が倉わった。そしお、あの有名な『颚土』ずいう本が曞かれたのです。ご存じのように、和蟻はこのなかで颚土を䞉぀の類型――東アゞアのモンスヌン域、アラビア、アフリカ、蒙叀などの砂挠域、それからペヌロッパの牧堎ずいうように分けた。そしおモンスヌン、砂挠、牧堎の䞉぀の颚土的特性をあげ、それぞれが人間にどのような圱響をおよがすかずいうひじょうに新しい䞀぀の哲孊を、圌は提唱した。その意味でも珟代なお生きる思想家ずしお、西田ず和蟻が挙げられるのではないかず思いたすが、圌らの哲孊は、それぞれたったくちがった方法によっお぀くられおいる。
 和蟻はやはり他者ずの察話を通じお、たずえば自然科孊者ずの察話を通じお、圌のなかにひらめいた新しい盎芳をもずに読曞をし、思匁しお、䞀぀の哲孊䜓系を構築しおいった。それが『颚土』ですが、圓時『颚土』はたしかにひじょうに斬新な芖野を拓きたした。それは、ヘヌゲル流あるいはマルクス流の䞀元史芳に察しお、颚土によっお歎史は䞀様に発展しないんだずいう、䞀぀の倚元史芳を唱えたからです。これは埌に梅棹忠倫さんたちの生態史芳にもたいぞん倧きな圱響を䞎えたず思いたすし、いろんな孊問分野ぞ圱響を䞎えた画期的な䞖界芳だったず思いたす。しかし、これも珟圚からみればひじょうに問題が倚い。元来、哲孊者ずいうものは完璧な思想䜓系を提唱するようなこずはしなくおもいいのではないか、新しい芖野を拓き、その埌に぀づく人たちが議論を積み重ねおゆく、そこに新しい孊問が生たれる、そういうこずでいいのではないかず思いたす。そういう意味で、『颚土』はやはりたいぞんな名著であるず思うのです。
 この和蟻の颚土論に䜕が欠けおいるのか。動物生態孊者の河合雅雄さんによるず、和蟻の考え方には森ずいう抂念が萜ちおいるずいう。この指摘は和蟻批刀ずしおひじょうに正しいず思いたす。和蟻はモンスヌン地垯ず砂挠ず牧堎ずいう䞉぀の類型をあげたけれど、むしろ森ず砂挠ず牧堎しなければおかしい、モンスヌンずいうのは気候であっお、砂挠や牧堎ずいった颚土ず察応する抂念ずしおあげるこずは根本的に䞍正確ではないか、ずいうわけです。モンスヌンに換えお森ずいう抂念を圓おはめるず、森から皲䜜蟲業ぞ、そしおたた砂挠や牧堎から小麊蟲業ぞずいうように、生産の問題ずも結び぀いおくる、そういう新しい颚土論が可胜ではないかず思いたす。最近、久しぶりに『颚土』を読んで、私は和蟻のいろいろな芋解に、あらためお考えさせられるこずが倚かった。
䞀九九二幎五月二四日・山圢県鶎岡垂 囜際日本文化研究センタヌ䞻催「文明ず環境」公開シンポゞりム
梅原猛. 1996幎. 『共生ず埪環の哲孊』. 小孊通. 93ペヌゞ.

和蟻哲郎の『颚土』に぀いお説明しおいたす。

やはり「アニミズム」ず「颚土」です。そしお和蟻の『颚土』は「梅棹忠倫さんたちの文明史芳」に圱響を䞎えたそうです。
西田幟倚郎や和蟻哲郎などの京郜孊掟に察し、梅原や梅棹らを新京郜孊掟ず呌ぶこずがありたす。

第四章 〝森の思想〟が人類を救う
草朚囜土悉皆成仏の心理 ― 環境砎壊にたいしお
 この極限においお、華厳仏教でいう昆慮遮那や、密教でいう摩蚶昆慮遮那、倧日劂来が出珟したわけです。もはやここでは仏はたんなる人間ではなく、倪陜に象城される宇宙の䞭心にあっお、䞇物をそれによっお生ぜしめるものになるわけです。日本の仏教の合蚀葉になった「草朚囜土悉皆成仏」ずいうこずが、たさにこの自然䞭心の宗教ずなった仏教のあり方を瀺しおいるのです。人間だけが仏になるのではありたせん。生きずし生けるもの、動物も怍物もあらゆるものが仏になれるのです。
 珟代においお真に泚目すべき自然科孊の発芋は䞉぀あるずいいたす。䞀぀は盞察性理論、䞀぀は量子力孊、もう䞀぀が遺䌝子の発芋です。この遺䌝子はDNAずいう圢で存圚し、このDNAは人間だけにあるものではなく、あらゆる動物、怍物に存圚するのです。
 あるキリスト教の科孊者は、人間は神によっお他の動物ずは別なものずしお぀くられおいる、ず聖曞に曞いおあるので、人間にはDNAではなく別の遺䌝子があるのではないかず䞀所懞呜それを探したが、そんなものはなかったずいう、笑うに笑えぬ話がありたすが、たさにこのDNAの発芋こそ、私は「草朚囜土悉皆成仏」ずいう倧乗仏教の心理の正しさを蚌明したものではないかず思いたす
 根底にこのような宇宙芳を含んでいる仏教はさらに発展しお、そこから二十䞀䞖玀以埌の䞖界の人類の芏範になるような宇宙芳を構成するこずができたす。そしお仏教埒は、今日、この自然砎壊の文明にたいしお匷い怒りをもち、環境保護運動の先頭に立たねばならないのではないかず私には思われるのです。
梅原猛. 1995幎. 『森の思想が人類を救う』. 小孊通. 161-163ペヌゞ.

なにやら壮倧な話ですが、芁玄するず日本の仏教が持぀「草朚囜土悉皆成仏」ずいう自然䞭心の思想を甚いお環境問題に取り組め、ずいうこずでしょう。
『森の思想が人類を救う』第4章「〝森の思想〟が人類を救う」の小題は「哲孊者の任務」「䞖界に誇るべき日本の森林」「森の文明の考え方」「日本の瀟䌚を貫く平等ず和の原理」「二十䞀䞖玀に必芁な矅挢の和」「日本の芞術にあらわれた自然芳」「宗教にあらわれた森の思想」「二十䞀䞖玀最倧の危機-環境砎壊」ずなっおいたす。

和蟻哲郎の「颚土」、「アニミズム」、梅棹忠倫の「文明の生態史芳」、「草朚囜土悉皆成仏」、「森」がキヌワヌドのようです。


安田喜憲
1946幎昭和21幎11月24日 - 。 地理孊者、環境考叀孊者。

●安田喜憲倧地母神の時代、ペヌロッパからの発想、
日本には叀来より山や川あるいは動怍物にいたるたで神の存圚を予感し、生呜あるもの生きずし生けるものが䞀䜓ずなった䞖界芳をもっおいた。ペヌロッパの人々が䞻に人間だけが持぀芳念あるいは粟神を䞭心にしお、䞀切の存圚を芋おいたのずはたったくこずなった䞖界であった。
䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚第回議事次第・資料
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05/ref01-4.pdf

前埌はこうなっおいたす。

Ⅰ日本ずペヌロッパ ― 䞉぀の時代
3 異質性認識の時代
自然生呜的存圚論の発芋
 梅原氏の代衚䜜ずいうべき『矎ず宗教の発芋』のなかで、梅原氏は「自然生呜的存圚論」の重芁性を指摘する。それは奇しくも和蟻哲郎批刀ずいう圢で述べられおいる。
 日本には叀来より山や川あるいは動怍物にいたるたで神の存圚を予感し、生呜あるもの生きずし生けるものが䞀䜓ずなった䞖界芳をもっおいた。それはペヌロッパの人々が䞻ずしお人間だけがも぀芳念あるいは粟神を䞭心にしお、䞀切の存圚を芋おいたのずはたったくこずなった䞖界であった。梅原氏は、この日本人が叀来よりもっおいた䌝統を「自然生呜的存圚論」ず名づけたのである。
 ずころが和蟻は、この叀代の日本人が持っおいた生きずし生けるものを䞭心ずしお、あらゆる存圚を考えようずする「自然生呜的存圚論」の存圚にほずんど気づいおいない。こう梅原氏は指摘したのである。
安田喜憲. 1991幎.『倧地母神の時代』. 角川曞店. 31ペヌゞ.

䞀転しお和蟻哲郎が批刀されおいたす。
安田は和蟻を批刀し぀぀梅原を評䟡しおいるようです。
本曞ではこのほかに以䞋のような蚘述も芋られたす。

Ⅰ日本ずペヌロッパ ― 䞉぀の時代
3 異質性認識の時代
異質性認識の時代の到来
 これたでペヌロッパず日本が盞違しおいるこずを指摘する比范文明論は数限りなくあった。しかし、それらの倚くはいずれもペヌロッパ文明の優越ず日本文明の劣等感に根ざしおいたように思う。ペヌロッパ文明ずの異質性の認識は、日本文明の劣等性の認識ず裏腹の関係にあった。
 そうした䞭で、日本人が叀来より䌝統的に持っおいた自然芳や䞖界芳の䞭に、人類の未来を救枈しうる積極的な䟡倀を認めた梅原氏の日本文化論の意味は倧きいず思う。ペヌロッパ文明ずの異質性の認識が、近代ペヌロッパ文明にかわる新しい文明の朮流の創造ずいう積極的な意味を持っお登堎したのである。東掋の「慈悲の文明」「安らぎの文明」が人類の未来を救枈しうる可胜性をひめお登堎したのである。
安田喜憲. 1991幎. 『倧地母神の時代』. 角川曞店. 35ペヌゞ.

やはり梅原を高く評䟡しおいたす。
同時にペヌロッパの文明ずの比范から日本文化を再評䟡しおいるようです。

●安田喜憲日本文化の颚土、朝倉曞店、1992
日本人の自然芳の特色は、円環的・埪環的。限られた資源を有効に利甚し、自然を砎壊し尜くさない、自然人間の埪環系に立脚した文明を継承・発展。察しお、西欧は、自然人間搟取系であり、自然の偎から芋れば、䞀方的に搟取されるずいった自然搟取型の文明の性栌を持぀。
䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚第回議事次第・資料
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05/ref01-4.pdf

これも誰かがたずめた芁玄です。
同曞から関係しおいる郚分を抜粋したす。

Ⅳ. 生態史的日本論
3. 自然人間埪環系の文明
家畜ず文明
 日本人の自然芳の特色は、䞀口でいば、円環的・埪環的である。こうした日本人固有の自然芳は、すでに瞄文時代にその萌芜が芋られる、䞀九䞃五幎以来、筆者は犏井県䞉方町の鳥浜貝塚遺跡の調査に埓事しおきた。遺跡から出土する瞄文人の食料残枣を分析した西田正芏は、むノシシやシカの骚に幌獣が少なく、か぀倧半が晩秋から冬にかけお捕獲されおいるこずを明らかにした。瞄文人達は狩猟の季節を限定し、季節のリズムを栞ずした埪環系の生掻様匏を、すでに六〇〇〇幎前に確立しおいた。そこには限られた資源を有効に利甚し、自然の生態系を熟知し、自然を砎壊し぀くさない、自然人間の埪環系に立脚した文明の胎動がみられる。
 こうした、自然を砎壊し぀くさない文明の性栌は、これに続く匥生時代の蟲耕瀟䌚に入っおも受け぀がれおいる。それは里山ずのかかわりに明瀺されおいる。匥生時代に日本列島ぞ䌝播した蟲耕は、むネずそれに付随するりリなどの栜培䜜物や、オナモミなどの雑草を䌎っおはいたが、食肉甚家畜を欠劂しおいた。近幎、吉野ヶ里遺跡などでブタの骚が芋぀かっおいるが、食肉甚の家畜を飌うこずは、なぜか日本の皲䜜蟲耕瀟䌚では広く行われなかった。この点が、瞄文時代以来の自然人間埪環系の文明を継承・発展させるのに幞いした。西欧ず日本の蟲耕瀟䌚が、自然ずのかかわりにおいお際立った盞違をみせるのは、この家畜の地域瀟䌚における䜍眮づけにおいおである。
䞭略
 こうしお、すでに述べたようにむギリスでは、䞀八䞖玀の段階に囜土の九〇近い森林が消滅し、おいたのである。こうしたペヌロッパの蟲耕瀟䌚は、森自然の偎からみれば、䞀方的に搟取される瀟䌚であり、自然搟取型の文明の性栌を持぀。その搟取型の地域システムの栞ずなっおいるのが、家畜である。
安田喜憲. 1992幎. 『日本文化の颚土』. 朝倉曞店. 152-153ペヌゞ.

この2ペヌゞを芁玄しお資料を䜜成したようです。
西掋の文明を搟取的、日本の文明を埪環的だず評しおいたす。

梅原ず安田はずもに1987幎に梅原らによっお蚭立された囜際日本文化研究センタヌの教授ずいう共通点がありたす。
1991幎には「地球環境の倉動ず文明の盛衰ヌ新たな文明のパラダむムを求めおヌ」略称「文明ず環境」ずいうプロゞェクトを䞡者が所属する囜際日本文化研究センタヌで行っおいたす。
梅原の『共生ず埪環の哲孊』や安田の『倧地母神の時代』や『日本文化の颚土』にはこのプロゞェクトを螏たえおの内容が倚く曞かれおいたす。

結論から蚀うず、このような梅原・安田の思想は「森の思想」ず呌ばれおいたす。
梅原は1987幎の囜際日本文化研究センタヌ蚭立、1991幎からの䞊蚘のプロゞェクトを経お、日文研の所長を退官する1995幎あたりたでに、このような考え方をたずめたようです。
このプロゞェクトの成果は、党15巻の『講座 文明ず環境』シリヌズずしお朝倉曞店から出版され、参加者それぞれも単行本を発行しおいたす。
「森の思想」やプロゞェクトの内容に぀いおは埌段で取り䞊げたす。


䞭西進
1929幎昭和4幎8月21日 - 。 文孊者、教育者。

●䞭西進囜家を築いたしなやかな日本知、
日本人は深く自然を愛し、呜ずの盞通を感じおは四季の移ろいを楜しむ。むかしから日本人は自然を尊重し、砎壊するよりも共生するこずを垞ずしおきた。西欧で自然が人間に埁服されるべきものず思われおいるのずは正反察である。
䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚第回議事次第・資料
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05/ref01-4.pdf
䞃 草も朚も仏になる 日本固有の自然芳が生んだ、山川草朚の成仏。そのこずで成熟しおいった自然芳
自然芳の根幹を蚗した幻の『䞭陰経』
 日本人は深く自然を愛し、呜ずの盞通を感じおは四季の移ろいを楜しむ。―こう蚀われお異論を唱える人はそう倚くないだろう。むかしから日本人は自然を尊重し、砎壊するこずよりは共生するこずを垞ずしおきた。西欧で自然が人間に埁服されるべきものず思われおいるのずは正反察である。―これも倧賛成の声が倧きいだろう。そのずおりだ。日本人は朚々に粟霊が宿るず、むかしから思っおきたのだから、ず。
 しかし以䞊のような日本仏教における山川草朚の成仏論を合わせ考えるず、これは単玔なアニミズムずは異質だず、いうべきだろう。もっず、十分に意識化され、哲孊的に吟味された自然の芋方である。仏教が草朚成仏を唱えるのは、日本人の良質な自然芳の、きわめおすぐれた吟味だったず思う。四季の倉化を本芚し、秩序ある宇宙ぞの回垰を「成仏」ずいう快楜においお芋たのだから。
䞭西進. 2006幎. 『囜家を築いたしなやかな日本知 Japan Wisdom』. りェッゞ. 68ペヌゞ.

非垞に瀌賛的です。
ここでもアニミズム、草朚囜土悉皆成仏が出おきたす。
䞭西は梅原、安田らず同じく囜際日本文化研究センタヌの教授で、90幎代に同じ「文明ず環境」プロゞェクトに参加しおいたす。


ここたでの流れをたずめたす。

和蟻哲郎「颚土論」 → 寺田寅圊 → 犏島芁䞀
↓
梅棹忠倫「文明の生態史芳」
↓
梅原猛・安田喜憲「森の思想」 = 囜際日本文化研究センタヌ → 䞭西進
↓
21䞖玀環境立囜戊略 

倧たかな流れが芋えおきたした。


次は、資料䞭には出おこなかった和蟻哲郎ず「颚土論」、梅棹忠倫ず「文明の生態史芳」に぀いお怜蚎し、梅原・安田が「森の思想」に至った経緯に぀いお芋おいきたす。
いずれも倚倧な業瞟を残した思想家たちであり、この堎で党像に迫るのは䞍可胜です。
今回はごく簡単に、日本人芳に関する内容に絞っおたずめたす。


和蟻哲郎「颚土」、梅棹忠倫「文明の生態史芳」、梅原猛・安田嘉憲「森の思想」

4名の3぀の説に぀いお簡単にたずめたす。

和蟻哲郎の「颚土」ず脱「颚土」
和蟻 哲郎1889幎3月1日 - 1960幎12月26日。日本の哲孊者、倫理孊者、文化史家、日本思想史家。

和蟻は1927幎から28幎にかけおの船旅によるドむツぞの留孊ず、ハむデカヌの哲孊ぞの考察をもずに、1931幎に『颚土 人間孊的考察』を発衚したす。

『颚土 人間孊的考察』
「颚土」では䞖界を3぀に分類しおいたす。
東アゞアや東南アゞアは暑熱や湿最が特城の「モンスヌン地垯」です。
自然の猛嚁に晒されるかわりに自然の恵みも倚く、「受容的・忍受的」な人間が圢成されるずしおいたす。
アラビアやアフリカは也燥が特城の「砂挠地垯」です。
匷い結束の集団を圢成し、少ない資源を奪い合うため、人間は「戊闘的・服埓的」にあり方になるずしおいたす。
ペヌロッパは也季ず雚季のある䞭間的な「牧堎地垯」です。
自然は人間に埓順であり管理しやすいため自然科孊が発達し、人間は「合理䞻矩的」なものになるずしおいたす。

この本は人間の類型化、分類を目的ずしおいたせん。ハむデカヌの『存圚ず時間』に察し「空間  颚土」の芖点から人間を考察しようずいう詊みです。
特別郚䌚の資料で和蟻ではなく寺田寅圊を匕甚しおいたのは、寺田の文章が「和蟻の颚土を読んで寺田が考えた『日本人の自然芳』」だからでしょう。匕甚するならこちらのほうが扱いやすいですよね。

和蟻に興味のある方は原本や以䞋の解説サむトをご芧ください。

和蟻哲郎の『颚土』を簡単にたずめおみる。具䜓䟋で分かりやすく解説、芁玄する哲孊入門。
https://kotento.com/2019/05/18/post-3051/

和蟻哲郎 - 法人 囜際留孊生協䌚向孊新聞
http://www.ifsa.jp/index.php?kiji-sekai-watuji.htm

和蟻哲郎の颚土論
https://philosophy.hix05.com/Japanese/watsuji/watsuji03.huudo.html

和蟻哲郎『颚土』1929
https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/150202watzujiTetz.html

その和蟻ですが、敗戊の経隓ずブラヌシュの『人文地理孊原理』ずの出䌚いから自身の『颚土』に察しお吊定的な芋解に転じたようです。このこずはあたり語られたせん。

ブラヌシュの『人文地理孊原理』での考え方は環境可胜論ず蚀われおいたす。ラッツェルに代衚される環境決定論に察する反論ずしお、人間は環境によっお法則的に決定されるわけではなく、胜動的に掻動するこずができる、ずいうもので、登堎以降地理孊の䞻流的な考え方になっおいたす。

環境決定論は䟵略を正圓化し垝囜䞻矩を招いたずいう批刀もあり、珟圚は吊定的に扱われおいたす。
䞀方で環境可胜論も、自然に察する支配や砎壊を肯定するものだずいう批刀がされおいたす。
この議論は珟圚でも行われおいたす。あずで登堎するダむアモンドの『銃・病原菌・鉄』は環境決定論的であるず地理孊の分野から批刀を受けおいたす。
環境決定論、環境可胜論に぀いおの議論は本題ず倖れるためここたでずしたす。

話を戻したす。
環境決定論的な『颚土』の考え方から脱し、環境可胜論的なブラヌシュの『人文地理孊原理』に傟いた和蟻を、安田喜憲は痛烈に批刀したす。それが前述の『倧地母神の時代』です。

 これはどうしたこずだろう。䞀九二䞃幎に枡欧した和蟻は、西掋の理性ず東掋の感性が盞補うこずによっお「颚土的限定」を超えるこずができるず蚘しおいた。でもいたはすっかり理性のずりこになっおしたっおいる。
安田喜憲.1991幎. 『倧地母神の時代』. 角川曞店. 24ペヌゞ

安田はブラヌシュのような環境可胜論を「人間の傲慢ず自然砎壊を加速床的に進行させる危険をはらんでいた」ず考えおいるためです安田 1991, 25。

そしお、和蟻が考えを倉える前の「颚土」を高く評䟡し、それを新たに発展させたものずしお梅棹忠倫の「文明の生態史芳」を䜍眮づけおいたす。

和蟻はナヌラシア倧陞の東のモンスヌンアゞアに感性を、西のペヌロッパに理性の光をみずめた。これに察し梅棹氏は東端の日本ず西端の西ペヌロッパに歎史的な盞䌌性、平行進化をみずめた。和蟻はペヌロッパに理性ぞのあこがれを、梅棹氏は歎史の盞䌌性をみずめたず蚀える。和蟻によっお先鞭が぀けられたナヌラシア倧陞の颚土孊は、梅棹氏によっお生態史芳ずいう名のもずに、新たな展開ぞず導かれたのである。
安田喜憲.1991幎. 『倧地母神の時代』. 角川曞店. 25ペヌゞ

次は梅棹忠倫の「文明の生態史芳」に぀いお芋おみたしょう。


梅棹忠倫ず「文明の生態史芳」
梅棹忠倫1920幎6月13日 - 2010幎7月3日、日本の生態孊者、民族孊者、情報孊者、未来孊者。
生態孊者、文化人類孊者今西錊叞の門匟のひずりです。
1974幎から玄20幎間にわたり囜立民族孊博物通の初代通長を務めたした。
囜立民族孊博物通は珟圚、囜際日本文化研究センタヌ、囜立歎史民俗博物通、囜文孊研究資料通、囜立囜語研究所、総合地球環境孊研究所ずずもに倧孊共同利甚機関法人人間文化研究機構を構成しおいたす。

倧孊ずしおは䞻ずしお動物生態孊を専攻されたが、1944〜1945幎の内蒙叀の孊術調査、及び1955幎のカラコルム・ヒンズヌクシ孊術探怜を通じお民族孊、比范文明孊に転じられた。1957幎に発衚された論文「文明の生態史芳」では、サクセッション遷移ずいう生態孊の抂念を甚いお人類文明史を説明され、西欧文明ず日本文明がほが同じあゆみで進化したずいう「平行進化説」をうちだしお新しい䞖界史モデルを瀺された。
C&C賞 | 公益財団法人 NEC C&C財団
http://www.candc.or.jp/kensyo/recipient_cc.html
http://www.candc.or.jp/kensyo/pdf/2002_candc.pdf

和蟻ず同じように海倖での芋聞をもずに自説を展開したした。
「文明の生態史芳」では、ナヌラシア倧陞の東端の日本ず、西端の西ペヌロッパを「第䞀地域」ずし、この地域では歎史の展開遷移が順序よく進行平行進化したずしおいたす。
ナヌラシア倧陞の日本ず西ペヌロッパの間の地域を䞭囜、むンド、ロシア、地䞭海、むスラムからなる四倧ブロックずし、ここではそれが行われなかったずしおいたす。

圓時論壇で圱響力を持っおいた唯物史芳マルクス䞻矩に察抗するものずしお論争ずなりたす。䞀郚からは「日本䞻矩」的だず批刀されたす。
「文明の生態史芳」は生態孊的な芳点から䞖界史を考察しようずいう詊みであり、圓初梅棹は「日本論」を展開する぀もりはなかったようですが、その埌の『日本探怜』シリヌズなどで日本文明の比范文化論研究を行うようになりたす。

その埌、この「生態史芳」を応甚した考え方が倚数出珟したす。
䞭倮公論瀟で1990幎代以降、川勝平倪『文明の海掋史芳』、安田喜憲『文明の環境史芳』、村䞊泰亮『文明の倚系史芳』、森谷正芏『文明の技術史芳』、 吉野敏行「文明の代謝史芳」など、梅棹の「文明の生態史芳」の圱響を受けた内容の曞籍が倚く出版されおいたす。
前者3名は囜際日本文化研究センタヌの教授職を務めたした。
前述の『共生ず埪環の哲孊』の䞭で梅原が「梅棹忠倫さんたちの生態史芳」ず蚀っおいたのはこういうこずです。

梅棹忠倫の文明の生態史芳に぀いおは以䞋の論文や蚘事が参考になるかもしれたせん。

「文明」ず「文化」の倉容 䜐藀掋子 早皲田倧孊リポゞトリ
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=25942&item_no=1&page_id=13&block_id=21

廣束枉の歎史芳 : 梅棹生態史芳ずの比范から 枡蟺恭圊  同志瀟倧孊孊術リポゞトリ
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/22966/?lang=0

「文明の生態史芳」ず東アゞア共同䜓日本総研
https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=4767

アゞアを忘れた䞞山、戊争を忘れた梅棹【シリヌズ歎史孊の名著を読むその】梅棹忠倫『文明の生態史芳』 - researchmap
https://researchmap.jp/joe6kypmo-2237052/

月日 - 内田暹の研究宀
http://blog.tatsuru.com/2000/11/15_0000.html

安田も前述の梅原ず同様に『颚土』ず梅棹の『文明の生態史芳』の関連性を指摘し、颚土孊から生態史芳ぞず発展したず蚀っおいたす。

次はその梅原ず安田がどんな説を展開したのかに぀いお芋おみたしょう。


梅原猛・安田喜憲「森の思想」

「森の思想」に぀いおは若林明圊の以䞋の説明が参考になりたす。
『森の文明・埪環の思想』や『共生ず埪環の思想』の内容が䞁寧にたずめられおいたす。
少し長いですがそのたた匕甚させおいただきたす。

䞉 日本の環境思想゚トスからのアプロヌチ
 次に、こうした欧米の環境思想の倫理孊的アプロヌチに察しお、 より根本的な解決のためには自然ず共生する心的傟向を回埩するこず、いわば゚トスからのアプロヌチが必芁だず説き、西掋文明に察する日本・東掋の文明を再評䟡し、その思想を珟代に生かそうずする詊みがなされおいる。その代衚的なものが、和蟻哲郎の「颚土論」や梅棹忠倫の「文明の生態史芳」に基づいた梅原猛や安田善憲の「森の思想」や岩田慶治の「ネオ・アニミズム」論である
1 文明論的批刀
 梅原は、環境砎壊の問題は文明そのものの成立ず深く関係しおおり、文明の盛衰ずいう芖点から解明しないず根本的な解決には繋がらないずし、次のように論じる。
 たず、珟代の環境砎壊の盎接的な原因は近代科孊技術文明であり、それを正圓化する理論が、人間ず自然を峻別し、自然を客芳的に捉える自然科孊の知識によっお自然を埁服しようずするデカルトやべヌコンの思想であったこずは蚀うたでもない。しかし、それは第二次環境砎壊ず蚀うべきもので、砎壊の原点、第䞀次環境砎壊は、蟲耕牧畜小麊蟲業ず牧畜によっお築かれた四倧文明にあった。ずいうのも、蟲耕牧畜文明は、森を食い぀ぶしお限りなく耕地・牧草地を拡倧するこずによっお成り立぀ものだからだ。そしおそれを合理化する思想が、ナダダヌキリスト教の人間䞭心䞻矩的思想、人間が自然を支配する思想であった。぀たり、西掋文明の蟲耕牧畜型瀟䌚は森を砎壊するこずによっお発展しおきたこずこそが環境砎壊の根源なのである。
 それに察しおアゞアの皲䜜蟲業の文明は、それもたた耕䜜地を䜜るこずにおいお自然砎壊的芁玠をもっおいるには違いないが、蟲耕牧畜文明よりは砎壊の床合いが少ない。なぜなら、皲䜜蟲業においおは耕地面積がごく限られおおり、平地で氎の匕けるずころでしか耕䜜は可胜ではないし、その䞊、皲䜜蟲業が倚量の氎を必芁ずするこずから氎の貯蔵庫である森の砎壊はきわめお限定されざるをえないからである。 そしおそれを支える思想が人間ず他の生物の共生ずいう思想ず「すべおの生き物は倪陜のように絶えず生ず死の埪環を続ける」ずいう埪環の思想である。 すなわち、それが「森の思想」である。 それは、 本来蟲耕や牧畜の文明が発生する以前の人類共通の狩猟採集時代の䞖界芳であったが、 皲䜜蟲耕文明においおはそれを倚分に受け継いでいる点で、 環境保護の芖点からは優れた文明である。
 このように論じた䞊で、 梅原は西掋文明ず東掋文明を「超越神・唯䞀神教」察「アニミズム・倚神教」 、「小麊の文明」察「米の文明」ずいうように察峙させお、 前者の人間ず自然の二元論思想および自然支配の思想いわば「砂挠の思想」を培底的に批刀し、 埌者の人間非䞭心䞻矩的な自然共生的「森の思想」を再生するこずが環境問題の解決には䞍可欠であるず䞻匵する。 圌にずっお欧米の倫理孊的アプロヌチは、 文明論を欠いおいる点で根本的な解決にはならないずいう。
 ずころで、日本は豊かな森林に恵たれた囜であり、 「森の思想」の䌝統を残しおいる。 実際、日本文化の基局ずされる瞄文文化は、 人間、 動物、怍物すべおがこの䞖ずあの䞖の絶えざる埪環運動のなかにあるずいう共生ず埪環の原理をもち、皲䜜蟲耕文化に移行した埌もそのアニミズム的自然芳は神道に受け継がれ、さらに、 仏教䌝来以降も倩台本芚思想の「山川草朚悉有仏性」に衚れるようにきわめおアニミズム色の匷い日本仏教を生み出した。 梅原は、 この点で日本は環境問題においおリヌダヌシップをずるこずができるず䞻匵する。
 同様に安田喜憲もたた、 圌の提唱する「環境考叀孊」文明や歎史の倉動をその舞台ずなる自然環境の倉化ず結び぀けお解明するの芳点から䞀神教を「森を支配する文明」 、倚神教やアニミズムを「森を守る文明」ず芏定し、ずくに埌者の原点ずしお、 森の神々に畏敬の念をも぀こずによっお自然ず共生し぀぀も高床な文化を築いおいた日本の瞄文文化を高く評䟡する。 そしお、 瞄文文化時代の日本のような「森の環境囜家」を建蚭するこずが環境問題の解決の鍵ずなるず考える。
 しかし、 果たしお梅原らが蚀うように日本の文化は䞀貫しお自然共生型の文化であったず蚀えるかどうか、 そしお自然共生の思想を日本人が明確に持ち合わせおいたかどうか、 たずそこから怜蚎する必芁がある。
J-STAGE Articles - 環境思想における倫理孊的アプロヌチず゚トスからのアプロヌチ 若林明圊
https://doi.org/10.20716/rsjars.77.3_703

「日本の文化は䞀貫しお自然共生型の文化であったず蚀えるか」ずいう若林の指摘はずおも重芁です。
この点は埌ほど怜蚎したす。

西掋ず日本の自然芳を察峙させるこのような梅原・安田の「森の思想」は、先に登堎した犏島芁䞀ずスチュアヌト・ピッケンの共著『環境ず思想 その歎史ず珟圚』の䞭で語られる日本人の自然芳、西掋の自然芳ずもおおよそ笊号しおいたす。


以䞋、梅原、安田の著䜜からピックアップした「日本的なもの」ず「西掋的なもの」を䞊べおみたす。

日本的                                西掋的
瞄文          匥生
狩猟採集        蟲耕牧畜
東掋          西掋
米           小麊
倚神教         䞀神教  ナダダ教・キリスト教
アニミズム       
神道          
日本仏教        
            ベヌコン・デカルト・マルクス  
            唯物論
モンスヌン・森林     牧堎・草原
森を守る文明       森を砎壊する文明
アむヌ・沖瞄
山地型・瞄文型      平地型・匥生型


このように察比させ、日本の特殊性や優䜍性を䞻匵しおいたす。

瞄文ず原生林を称える「森の思想」ですが、二次的自然「里山」に぀いおはどう考えおいたのでしょう。
安田は1996幎の『森のこころず文明』での䞭でこう述べおいたす。

第9ç«  動物裁刀ず魔女裁刀
動物の擬人化
 日本人はこうした原生林を砎壊したあずに成立しおきた二次林の資源に匷く䟝存した蟲耕瀟䌚を぀くり䞊げた。アカマツや雑朚林の二次林が生育する山を里山ずいう。里山の萜葉は氎田の肥料ずしおなくおはならないものであったし、日々の薪や蟲耕具を぀くる朚材もすべお里山で埗るこずができた。里山でずれるキノコや山菜も倧切な食料源だった。里山は氎源涵逊林の圹割も果たした。そしお、䜕よりもこの里山は、狐や狞の野生動物の生息地ずなったのである。
安田喜憲. 1996幎. 『森のこころず文明』. 日本攟送出版協䌚. 188-189ペヌゞ.
里山ず日本人の動物芳
 ペヌロッパではこうした里山に盞圓する郚分は牧草地に倉えられおしたい、牛や矊などの家畜は生育できたが、野生動物のすみかは倱われおしたったのである。ずころが日本では、この里山のおかげで、人間のすみかにきわめお接近した所に野生動物のすみかが長い間維持されおきた。さらに殺生を嫌う仏教の圱響もあっお、里山を栞ずする日本の蟲耕瀟䌚は、動物ずの共存の䞖界を実珟したのである。
安田喜憲. 1996幎. 『森のこころず文明』. 日本攟送出版協䌚. 190ペヌゞ.

砎壊ずいう点では西掋の蟲耕牧畜ず同様のように思われたすが、原生林の砎壊ののちに誕生した二次的自然「里山」は、資源の䟛絊源であり、動物ずの共存の䞖界であるず肯定的に評䟡しおいたす。匥生時代は蟲耕文明ではあるものの西掋の蟲耕牧畜ずはこの点で異なり調和的であるずいうわけです。

第11章 近代化ず森林砎壊
「掛䞭掛倖図」が語る京郜
 しかし、小怋玔䞀氏は、珟圚では森に芆われお遠方から芋るこずのできない枅滝川䞊流の倩狗岩や倧原の金毘矅山の岩山たで描かれおいるこずから、珟圚よりはるかに森の少ない颚景であったこずを指摘しおいる。だが、圓時のむギリスず比范した時、どこたでも牧草地の続く颚景に比べお、はるかに森の倚い颚景であったこずは䞀目瞭然ずしおいる。「掛䞭掛倖図」の䞭には、京郜近郊の山ぞ行楜に出かけた人々が、アカマツ林の䞭を楜しそうに歩いおいる様が描かれおいる。
安田喜憲. 1996幎. 『森のこころず文明』. 日本攟送出版協䌚. 220-222ペヌゞ.

原生林の砎壊は認め぀぀、むギリスずの比范からアカマツ林を「森」ずしお評䟡しおいたす。
しかし、倧原の金毘矅山の岩山たで芋える犿げ山は、「森」ず呌べるのでしょうか。
こうした犿げ山を「自然ずの共生」ず呌べるのでしょうか。
そもそも梅原や安田らはどうしおこのような説に至ったのでしょうか。

次は梅原や安田が参加した囜際日本文化研究センタヌず同センタヌによるプロゞェクトに぀いおです。


囜際日本文化研究センタヌずプロゞェクト「文明ず環境」

囜際日本文化研究センタヌ日文研日本文化に関する囜際的・孊際的な総合研究所
http://www.nichibun.ac.jp/pc1/ja/

囜際日本文化研究センタヌに぀いおホヌムペヌゞではこのように説明しおいたす。

囜際日本文化研究センタヌ(日文研)は、日本の文化・歎史を囜際的な連携・協力の䞋で研究するずずもに、䞖界の日本研究者を支揎するずいう倧切な䜿呜をもった、囜の亀付金によっお運営されおいる倧孊共同利甚機関です。
日文研ずは囜際日本文化研究センタヌ日文研
http://www.nichibun.ac.jp/pc1/ja/about/

蚭立の背景にはもう少し耇雑な事情があるようです。

 ずころが、物事には衚があれば裏がある。経枈が良くなったらなったで、日本異質論ずいう名のネガティブな反日囜際論調が欧米知識人の間で高たり、「金の匂いはするが顔の芋えない日本人」「欧米ずは異なるルヌルで金儲けしたむンチキな日本」ずいう日本人ずしおはいいがかりのような批刀が、䞀方で巻き起こり぀぀あった時代でもあった。
 そんな時、珟代の日本文化を囜際的に研究し、「日本ずは䜕か」を倚面的に発信する新たな研究機関が囜ずしおも必芁になっおいた。
柎山哲也. 2014幎. 『新京郜孊掟 知のフロンティアに挑んだ孊者たち』. 平凡瀟. 12-13ペヌゞ.
 䞀九八四幎十月二十四日、䞭曜根康匘銖盞が京郜を蚪れたずき、桑原をはじめ新京郜孊掟の五人の孊者たちずの懇談䌚があった。堎所は東山の南犅寺に近い颚光明媚な野村別邞。出垭者は桑原歊倫、今西錊叞、䞊山春平、梅棹忠倫、梅原猛の五氏だった。日文研創立に関しお文郚省などず衚で亀枉するのは瞄文文化論を掲げお聖埳倪子や柿本人麻呂の新解釈でゞャヌナリズムでも掻躍しおいた梅原だった。梅原はに近い創立ずずもに初代所長に就任したが、日文研に賭けた情熱には激しいものがあった。
柎山哲也. 2014幎. 『新京郜孊掟 知のフロンティアに挑んだ孊者たち』. 平凡瀟. 17ペヌゞ.
それにしおもなぜ䞭曜根銖盞が京郜に日文研を䜜るこずに積極的だったかずいうず、囜際掟の䞭曜根ずしおは、サミット等で倖囜のトップず亀流する際、どの囜の元銖も自囜の文化を持ち出しいわばお囜自慢の䌚話をするこずをよく知っおいた。サミットの堎は囜のトップが自囜の教逊や知性を競い合う堎でもあり、経枈力や倖亀術だけで乗り切れるわけではない。自囜の文化にどれくらい造詣が深いか、盞手の政治家ずしおの知性ず文化的力量、圱響力をはかろうずする。欧米の真䌌ばかりしお自分の囜の文化やアむデンティティを曖昧にしおいる政治家は尊敬されない。そこで新しい日本文化研究を志向する京郜の日文研創立に関しお、䞭曜根の偎にも掚進したい内発的な動機があった。
柎山哲也. 2014幎. 『新京郜孊掟 知のフロンティアに挑んだ孊者たち』. 平凡瀟. 18ペヌゞ.

朝日新聞の元蚘者で珟圚メディア孊者ずしお掻動しおいる柎山哲也はこう説明しおいたす。
日文研構想は「日本」を研究し発信したい孊者グルヌプ偎にも、教逊ずしお倖亀に掻甚したい政治家偎にもメリットがあるプロゞェクトでした。
こうしお1987幎に囜際日本文化研究センタヌが京郜垂西京区に蚭立されたす。

日文研に぀いおはこちらの蚘事も参考になりたす。

日本研究の総本山・囜際日本文化研究センタヌ30幎の軌跡 | nippon.com
https://www.nippon.com/ja/column/g00513/

そしお1991幎に、䌊東俊倪郎をプロゞェクトリヌダヌずするプロゞェクト「地球環境の倉動ず文明の盛衰文明ず環境」が始たりたす。
研究分担者には安田喜憲、小泉栌、速氎融、城原和郎、梅原猛の名前があり、小泉以倖の所属は囜際日本文化研究センタヌです。

KAKEN — 研究課題をさがす | 地球環境の倉動ず文明の盛衰ヌ新たな文明のパラダむムを求めおヌ (KAKENHI-PROJECT-02351014)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-02351014/
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-04212114/

このプロゞェクトの成果は15巻からなるシリヌズ『講座 文明ず環境』ずしお朝倉曞店から出版されおいるほか、参加者がそれぞれ倚くの曞籍を出版しおいたす。

朝倉曞店怜玢結果[講座 文明ず環境]
『講座 文明ず環境 1 地球ず文明の呚期』
『講座 文明ず環境 2 地球ず文明の画期』
『講座 文明ず環境 3 蟲耕ず文明』
『講座 文明ず環境 4 郜垂ず文明』
『講座 文明ず環境 5 文明の危機』
『講座 文明ず環境 6 歎史ず気候』
『講座 文明ず環境 7 人口・疫病・灜害』
『講座 文明ず環境 8 動物ず文明』
『講座 文明ず環境 9 森ず文明』
『講座 文明ず環境 10 海ず文明』
『講座 文明ず環境 11 環境危機ず珟代文明』
『講座 文明ず環境 12 文化遺産の保存ず環境』
『講座 文明ず環境 13 宗教ず文明』
『講座 文明ず環境 14 環境倫理ず環境教育』
『講座 文明ず環境 15 新たな文明の創造』
http://www.asakura.co.jp/G_11.php?sreiesname=13

地球環境の倉動ず文明の盛衰-新たな文明のパラダむムを求めお 研究成果科孊研究費助成事業デヌタベヌスから
[文献曞誌] 䞭西 進: "謎の王囜・勃海" 角川曞店, 286 (1992)
[文献曞誌] 城原和郎: "朝倉曞店" 日本人ず日本文化の圢成, 444 (1993)
[文献曞誌] 䌊東 俊倪郎: "草原の思想・森の哲孊" 講談瀟, 253 (1993)
[文献曞誌] 䌊東 俊倪郎: "十二䞖玀ルネサンス" 岩波曞店, 276 (1993)
[文献曞誌] 小泉 æ Œ: "海・期・日本人" 講談瀟, 302 (1993)
[文献曞誌] 安田喜憲: "気候が文明を倉える" 岩波曞店, 116 (1993)
[文献曞誌] 梅原猛: "森の文明・埪環の思想" 講談瀟, 244 (1993)
[文献曞誌] 梅原猛: "講談瀟" 森の文明・埪環の思想, 248 (1994)
[文献曞誌] 安田喜憲: "蛇ず十字架" 人文曞院, 237 (1994)
[文献曞誌] 安田喜憲: "森ず文明" 日本攟送出版協䌚, 164 (1994)
[文献曞誌] 安田喜憲: "叀代文明ず環境" 思文閣出版, 255 (1994)
[文献曞誌] 安田喜憲: "日本文化ず民族移動" 思文閣出版, 229 (1994)

自然科孊の面からの環境史の研究だけでなく、その背景にある哲孊や思想、歎史などの人文孊的怜蚎も行ったのがこのプロゞェクトの特城です。

『講座 文明ず環境 第11å·» 環境危機ず珟代文明』の䞭で梅原はこう蚀っおいたす。

11. 砎壊はいかにしお起こり、今䜕をなすべきか 梅原猛
第二次環境砎壊
 このような環境砎壊の珟状に぀いお、倚くの自然科孊者たちが各々専門の領域においお正確なデヌタに基づいお譊告しおいるこずであるので、ここで哲孊者の私が改めお語る必芁はあるたい。
䞭略
 日本の囜土の67にはただ森が残されおいる。しかもその森のうちの40は倩然林であるずいわれる。囜土の3分の2が森であり、しかも倩然林が囜土の3割を占めるずいうような先進囜は他に存圚しない。このこずを日本人はもっずも誇りにすべきであるず思うものであるが、なぜこのように倧量の森が残されおいるであろうか。
䞭略
森の残存ずずもに、日本文化には人間ず他の生物を本来同じものず考え、人間ず他の生物の共生を図ろうずいう思想がその文化の根源に存圚しおいる。
 共生ず䞊んで狩猟採集文化に匷く内圚し、皲䜜蟲業文化においお倚分に残存しおいる原理が埪環の原理である。それは、日や月をはじめ、䞀切の生きずし生けるものは氞遠の埪環を続けるずいう思想である。
梅原猛・䌊東俊倪郎・安田喜憲. 1996幎. 『講座文明ず環境 第11å·» 環境危機ず珟代文明』. 朝倉曞店. 167-179ペヌゞ

圓時の科孊的な知芋を基に「森の思想」を展開しおいたす。
梅原や安田の「森の思想」はこのプロゞェクト「文明ず環境」に裏打ちされたものだったわけです。

1980幎代以降、里山ず呌ばれるような二次的な自然環境に関する研究 = 人ず自然の関わりの歎史 = 環境史の研究が進展したした。
1990幎代のこのプロゞェクトもそのひず぀ず蚀えたす。
珟圚、研究はさらに進展し、過去の日本人ず自然環境の関係すなわち日本の環境史がより高い粟床で明らかになっおきおいたす。
若林が指摘する「日本の文化は䞀貫しお自然共生型の文化であったず蚀えるか」ずいう疑問に察する答えが様々な分野から瀺されおいたす。

次は珟圚の環境史研究に぀いおです。

環境史研究の珟圚

梅原や安田らによる1991幎のプロゞェクト「地球環境の倉動ず文明の盛衰ヌ新たな文明のパラダむムを求めおヌ」も環境史研究のひず぀です。

党般に圓時の科孊的知芋に基づく堅実な内容であり、日本人ず自然環境の関係を解き明かそう点ではその埌の研究ず同じ路線の研究です。
二次的自然「里山」に関するものも含たれおおり、やや叀い内容ですがおすすめできるものも倚いです。
しかし、この䞭で語られる文明論や思想論には科孊的ずは蚀い難い内容のものもありたす。

このような文明論に察し、「賢明な利甚」が本圓に行われおきたのか、すなわち「日本人は自然ず共生しおきた」かに぀いお、批刀的に怜蚌したプロゞェクトがありたす。
2005幎から2011幎にかけお行われた総合地球環境孊研究所のプロゞェクト「日本列島における人間  自然盞互関係の歎史的・文化的怜蚎」です。

総合地球環境孊研究所 研究プロゞェクト日本列島における人間自然盞互関係の歎史的・文化的怜蚎
http://www.chikyu.ac.jp/rihn_13/rihn/project/D-02.html
シリヌズ日本列島の䞉䞇五千幎―人ず自然の環境史

1991幎のプロゞェクトず同様に、地球研のこのプロゞェクトも成果がシリヌズずしお曞籍化されおいたす。

第1å·» 環境史ずは䜕か: 文䞀総合出版の曞籍案内
https://bun-ichi.seesaa.net/article/182437069.html
第2å·» 野ず原の環境史: 文䞀総合出版の曞籍案内
https://bun-ichi.seesaa.net/article/200200659.html
第3å·» 里ず林の環境史: 文䞀総合出版の曞籍案内
https://bun-ichi.seesaa.net/article/200203109.html
第4å·» 島ず海ず森の環境史: 文䞀総合出版の曞籍案内
https://bun-ichi.seesaa.net/article/200204988.html
第5å·» 山ず森の環境史: 文䞀総合出版の曞籍案内
https://bun-ichi.seesaa.net/article/200208473.html
第6å·» 環境史をずらえる技法: 文䞀総合出版の曞籍案内
https://bun-ichi.seesaa.net/article/200211621.html

序章 日本列島おける「賢明な利甚」ず重局するガバナンス 湯本貎和
䞀 支え合う生物倚様性ず文化
 本シリヌズでは日本列島をおもな察象ずしおいるが、その根本にあるのは䞖界のどこにでも共通する問題意識であり、その䞭で日本列島の䜍眮づけを明瀺するこずで、そこから抜出した原理の普遍性ず特殊性を考えたいずいう狙いが、この第1郚には蟌められおいる。その結果、日本列島の恵たれた自然環境ずいう偎面が匷調され、これたで日本独自であるず䞻匵されるこずの倚かった「自然ず共生する思想」に぀いおは、自然の恩恵を受けお持続しおきた瀟䌚ではむしろ圓たり前ではなかったかずいうたずめになっおいる。このこずは埌述するように、生物倚様性締玄囜䌚議で提案された「囜際里山むニシアティブ」で、圓初は日本の里山に兞型的に芋られるずした「自然ずの共生」や「生物資源の利甚ず保党の䞡立」が、結局は䞖界各地に類䌌のモデルがあるこずがわかったこずず軌を䞀にしおいる。
湯本貎和・束田裕之・矢原培䞀. 2011幎. 『シリヌズ 日本列島の䞉䞇五千幎── ず自然の環境史 第1å·» 環境史ずは䜕か』. 文䞀総合出版. 12ペヌゞ.
五 日本列島で「賢明な利甚」は行われおきたか
 䞀方で、䞀九䞖玀のゲルマン䞖界のロマン䞻矩にみられるように、西掋の足蚱にも近代䞻矩ぞの反動ずしおの自然回垰があった。西掋の優䜍を誇瀺するオリ゚ンタリズムの裏返しずしお、近代西掋文明が自然を埁服し、支配しおきたこずに察しお批刀的な欧米人が、アメリカ先䜏民や東掋、特に日本に、自らの内郚ずしおもたなかった「自然ず『共生』する」理想像を投圱し、䞀郚の日本の知識人がその投圱に自己同䞀化を図ったず芋るこずはできないだろうか。そしお、日本の䞭でも、「自然ず『共生』する」姿を、北海道の先䜏民であるアむヌ民族に投圱するこずが行われおきたのではないか。
 そのオリ゚ンタリズムのひず぀の珟れが、里山問題であったのかもしれない。第䞉巻で述べられるように、日本の里山はさたざたな生態系サヌビスを限定぀きではあるが持続的に匕き出しおきた。しかし、過去には過床な利甚によっお犿げ山が広がり、治山治氎を含めた生態系サヌビスが䜎䞋したこずも刀明しおいる。長い歎史の䞭では、決しお「里山」ずひずくくりに描写できるような、同じような生態系サヌビスの利甚ず景芳が続いおきたわけではない。
2011幎. 『シリヌズ 日本列島の䞉䞇五千幎──人ず自然の環境史 第1å·» 環境史ずは䜕か』. 文䞀総合出版. 17-18ペヌゞ.

プロゞェクトリヌダヌの湯本貎和は、里山のような圢態は日本に限ったものではなく䞖界に類䌌のものがあるこず、必ずしも里山の資源が持続的に利甚されおいたわけではないこず、そしお「共生」が理想像の投圱であるこずを指摘しおいたす。
「䞀郚の日本の知識人」が誰を差しおいるのかは想像に難くないですね。

同曞「第4ç«  人類五䞇幎の環境利甚史ず自然共生瀟䌚ぞの教蚓」の䞭で矢原培䞀も、梅原や安田の説に぀いお「ひず぀の䞻匵であっお、日本人の自然芳を必ずしも客芳的に衚珟しおいない」ず指摘しおいたす。

このほかの個別の事䟋に぀いおは是非このシリヌズをお読みください。非垞に興味深い内容です。
以䞋の曞評、玹介も参考になりたす。

環境史ずは䜕か - researchmap
https://researchmap.jp/joohfs0cm-46767/

環境史ずは䜕か - 空飛ぶ教授の゚コロゞヌ日蚘  Y日蚘研究業務甚
https://yahara.hatenadiary.org/entry/20110128/1296223433


このように、「人ず自然のかかわり」に関する研究は日々進展しおいたす。
珟圚も新しい成果が䞖に出されおいたす。

朝倉曞店人ず生態系のダむナミクス 1 蟲地・草地の歎史ず未来
http://www.asakura.co.jp/G_12.php?isbn=ISBN978-4-254-18541-6
朝倉曞店人ず生態系のダむナミクス 2 森林の歎史ず未来
http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-18542-3/
珟圚刊行䞭


安田らが行った花粉や幎瞞の分析による「過去の埩元」は、珟圚も行われおいる手法であり、これに぀いおは䞀定の成果があったず蚀えるでしょう。
しかし、そこから発展したこれらの「過去の『思想』の埩元」や文明論は科孊的ずは蚀えず、政策立案のための資料ずしお甚いるに適しおいるずは蚀えたせん。

総合地球環境孊研究所は、梅原が所長を務めた囜際日本文化研究センタヌや梅棹が所長を務めた囜立民族孊博物通ず同じく、倧孊共同利甚機関法人人間文化研究機構の構成機関です。
※地球研によるこの研究は同じ機構の過去の研究に察する反論ず芋るこずもできそうです。

【2020幎1月1日远蚘】
䞊蚘のように曞きたしたが、実際にはプロゞェクトずしお「文明ず環境」ないしは梅原・安田の「森の思想」を怜蚎の察象ずした事実ないそうです。
蚂正しおお詫びしたす。

TOP | 倧孊共同利甚機関法人 人間文化研究機構
http://www.nihu.jp/ja


さお、それでは安田は珟圚どのように考えおいるのでしょうか。


安田の誀り、安田の䞍遇

安田は珟圚、里山に぀いお以䞋のように䞻匵しおいたす。

第四章 里山の比范文明論
なぜ日本人は里山を぀くりだせたのか
 日本人は䞖界にさきがけお森の蟲業を確立した。里山の資源を利甚する氎田皲䜜蟲業がそれである。なぜ日本人は䞖界の䞭でも埗意な里山の資源を利甚する氎田皲䜜蟲業を誕生させたのであろうか。
安田喜憲. 2018幎. 『文明の粟神 「森の民」ず「家畜の民」』 叀今曞院. 124ペヌゞ.
日本が䞖界に誇るべき里山
 日本が䞖界に誇るべき皲䜜持撈瀟䌚における䌝統のひず぀に里山がある。この森の生態系を栞にした地域システムを確立した日本人の知恵を、未来瀟䌚の構築にも生かし、再生力ある自然人間埪環型の文明安田䞀九八五を創造しなければならない。
 日本のの颚土に適した自然人間埪環型瀟䌚を構築するヒントが、里山の利甚の䞭にあるのではないか。
 そのためにはたず過去における里山ず日本人の関わりを珟代正しく䜍眮づけ、未来の自然人間埪環型瀟䌚の構築のために、圹立おる必芁がある。過去においお日本人は、岡山県安田、䞀九八五や濃尟平野速氎、䞀九九二で家畜の頭数を枛らすこずに成功した。私安田、二〇〇九は、ひょっずしたら日本人なら里山を栞にした地域システムの再構築ができるかもしれないずいう、淡い期埅をよせいおいる。
安田喜憲. 2018幎. 『文明の粟神 「森の民」ず「家畜の民」』 叀今曞院. 137ペヌゞ.

里山のような圢態は日本に限ったものではないこず、持続的な利甚ばかりではなかったこずは、先の通りです。

森の蟲耕瀟䌚の誕生
 家畜を欠劂し、里山の資源を利甚しおきた日本の森の文化のすばらしさを私は䞀九八〇昭和五五幎に初めお指摘し、「里山の文化」ず蚀う甚語も初めおそのずき仕様した安田、䞀九八○。独立の章をたおお里山に觊れおいるにもかかわらず、䞀般の人々にはその里山の重芁性を指摘する私の説は、たったく共鳎しなかったようだ。それから四〇幎近くがたっお、やっず倚くの人々が里山の重芁性に泚目するようになった。その背景には、藻谷浩介氏藻谷、二〇䞀䞉のような里山資本䞻矩の重芁性に぀いお觊れる説などが倧きく圱響しおいるのであろう。
安田喜憲. 2018幎. 『文明の粟神 「森の民」ず「家畜の民」』 叀今曞院. 166ペヌゞ.

文明の粟神 - 叀今曞院 Since1922 地理孊ずずもに歩む
http://www.kokon.co.jp/book/b373331.html


里山が認知されおるようになった経緯は諞説ありたすが、1980幎代埌半から90幎代にかけおの『ずなりのトトロ』や今森光圊䜜品のブヌム、里山保党掻動の普及、同じく80幎代埌半から珟圚に至るたでの里山研究の成果ずその政策化などがあるず思われたす。

自囜開催の生物倚様性条玄第10回締玄囜䌚議2010幎では日本発の䌝統的生物倚様性保党手法ずしお「SATOYAMAむニシアティブ」が提唱されたした。

藻谷の『里山資本䞻矩』角川曞店、2013幎はベストセラヌになりたしたが、これは䞊蚘のような「里山ブヌム」を受けお曞かれたものです。
「里山」ずいう単語が認知されおいるこずが前提の新語「里山資本䞻矩」です。


先芋の明のない地方のリヌダヌは未来を封殺する
 このこずを私は四○幎以䞊蚀い続けおきたが安田、二〇〇九、いただに広く理解されないのは誠に残念である。しかし、共同研究者の経枈産業省岞本吉生氏・環境省䞭井埳倪郎氏や、NPO堎所文化フォヌラムの吉柀保幞氏吉柀、二〇䞀二、地球村研究宀の石田秀茝氏石田、二〇〇九等の努力によっお、里山を守り、森里海の生呜の氎の埪環系を守るこずの倧切さが、しだいにわかりはじめおきた。
安田喜憲. 2018幎. 『文明の粟神 「森の民」ず「家畜の民」』 叀今曞院. 171ペヌゞ.

これも䞍正確です。
環境省から䞀名挙げるずするれば、䞭倮環境審議䌚䌚長歊内和圊らず共に里山政策を掚進し、2010幎の生物倚様性条玄第10回締玄囜䌚議COP10を成功に導いた枡蟺綱男元自然環境局局長でしょう。
21䞖玀環境立囜戊略以降の政策に぀いお歊内ず枡蟺はこのような本を出しおいたす。

日本の自然環境政策 - 東京倧孊出版䌚
http://www.utp.or.jp/book/b306632.html


しかし、気になる箇所もありたす。
安田は1980幎には「里山」に぀いお蚀及しおいた、重芁性を指摘しおいたず蚀っおたす。
これはどういうこずでしょう。

少し遡っお「里山」ずいう語に぀いお敎理したす。

䞀般に「里山」ずいう蚀葉は本頁でも登堎した怍物孊者四手井綱英が1960〜70幎代に甚いだしたずされおいたす。
実際はそれ以前から様々な堎所で䜿甚されおいた単語ですが、四手井が甚いたこずで認知されたず蚀われおいたす。

1980幎代になるず二次的自然の䟡倀が認識され始めたす。
倧阪自然環境保党協䌚の里山䞀斉調査が1983幎から始たりたす。
二次的自然の䟡倀に぀いお蚀及した画期的な名著、守山匘の『自然を守るずはどういうこずか』が出版されたのは1988幎です。
この幎は宮厎駿監督䜜品『ずなりのトトロ』の公開幎でもありたす。䜜䞭に里山ずいう蚀葉は登堎したせんが、1993幎の石井実『里山の自然を守る』では「トトロに代衚される里山の自然」ずいう衚珟が芋られたす。
1995幎には今森光圊の連茉が写真集『里山物語』ずしお出版されたす。今森の棚田の写真は倚くの人を魅了したした。
「里山」ずいう単語を垂民暩を埗だしたのはこの頃でしょうか。
垂民による里山保党掻動が掻発になり、2002幎の自然再生掚進法制定に぀ながりたす。

1995幎に生物倚様性条玄に基づくわが囜初の生物倚様性囜家戊略が策定され、「里山等の二次林」「里山の二次的自然環境」ずいう衚珟が盛り蟌たれたす。
2001幎、歊内和圊をはじめずする東京倧孊チヌムは『里山の環境孊』を刊行し、䞀連の二次的自然、蟲業景芳を「里地里山」ず定矩付けしたす。
これが2002幎の「新・生物倚様性囜家戊略第二次」に「里地里山」ずしお取り蟌たれたす。
その埌、2007幎の「21䞖玀環境立囜戊略」ず「第䞉次生物倚様性囜家戊略」を経お、里山は日本が䞖界に誇る「SATOYAMAむニシアティブ」ずしお環境省自然環境局の看板事業になりたす。

ざっくりずですが、これが䞀般的に説明される「里山」の歎史です。
これらの内容に぀いおは次の蚘事で詳现に扱いたす。

安田は1980幎には「里山」を取り䞊げいおいたず䞻匵しおいたす。
1980幎の安田の著䜜を芋おみたしょう。

â…€ 森林砎壊期の文化 ― 叀墳時代・歎史時代 ―
二 里山の文化
里山の颚景
 氎田皲䜜蟲業の導入以降、沖積平野呚蟺の平地林は砎壊され぀くした。しかし、森林の再生を䞍可胜にする家畜を欠き、気候が枩暖・湿最な日本では、蟲耕地ずならなかった䞘陵や山地に、再び森が回埩しおきた。ペヌロッパや䞭囜では、蟲耕の開始は䞀方的な森林の消滅を意味したのず倧きな盞違であった。ただ回埩した森の颚景は、以前ずは倧きく異なっおいた。森林が砎壊された埌には、アカマツ・スギなどの針葉暹林ず、コナラ・クヌギ・クリなどの雑朚林が成立した。特にアカマツは、こうした二次林を代衚するものである。
䞭略
 人里呚蟺の山林は、人々の生掻になくおはならないものであり、たえず人間の手が加えられおいた。こうした蟲耕䌝播以降、日本人の生掻ず密接なかかわりをもっおいた山を里山ず呌がう。里山は、日本の颚景を代衚するものであるずいっおよい。
安田喜憲. 1980幎. 『環境考叀孊事始』. 日本攟送出版協䌚. 242-243ペヌゞ.

アカマツが二次林を代衚するかはさおおき、二次的自然の䟡倀に぀いお認知し「里山」を提唱しおいたす。
四手井が甚いおいたずはいえ、ただ「里山」が䞀般的な甚語ずしおは定着しおいなかったずされる時期です。

里山文化の厩壊
 しかし、第二次倧戊埌、塩田が茞入塩ず化孊補塩にずっおかわられ、化孊肥料が普及し、石油ずガスの䜿甚が䞀般化するにずもなっお、里山の集玄的利甚はしだいに少なくなっおいった。瀬戞内沿岞のアカマツ林の林床には、ヒサカキ・むヌツゲ・コシダ・ススキなどの䜎朚や草本が繁茂しはじめた。たた䞭囜山地では、鉄鉱石の茞入にずもなっお砂鉄生産の廃止、耕転機などの普及にずもなう圹牛ずしおの牛の需芁の枛少などによっお、里山の利甚床は䜎䞋した。それは瀬戞内沿岞のハゲ山化の進行ずは異なった、別の意味での里山の荒廃であった。こうした里山の利甚床の䜎䞋ず林地の回埩にずもなっお、むノシシなどの動物が生息地を拡倧しおきた。
安田喜憲. 1980幎. 『環境考叀孊事始』. 日本攟送出版協䌚. 253-254ペヌゞ.

これは生物倚様性囜家戊略が蚀う「第2の危機」です。
むノシシの生息範囲の拡倧は珟圚倧きな問題になっおいたす。先日も「アヌバンむノシシ」が話題になりたした。
生物倚様性に迫る3぀の危機を定矩した1995幎の第䞀次生物倚様性囜家戊略から遡るこず15幎、1980幎の著䜜䞭にこのような衚珟が芋られたす。これは驚きです。

里山の文化は、自然ず人間が比范的調和的な関係の䞭においお維持するこずができた日本独自の生掻の知恵であった・そしお、豊かな地方文化を維持し発展させたのも、この里山であった。石油ショック以降、われわれは、再びこの里山の重芁性に気づき始めた。皲䜜䌝播以降、玄二〇〇〇幎にわたっお日本人の生掻ず密接なかかわりをもったこの里山の重芁性を芋盎す時に至っおいる。そしお、もう䞀床、人々の心の䞭に里山の颚景を蘇らせなければならない。
安田喜憲. 1980幎. 『環境考叀孊事始』. 日本攟送出版協䌚. 254ペヌゞ.

安田のこの䞻匵は珟圚の「SATOYAMAむニシアティブ」そのものです。
SATOYAMAむニシアティブは、21䞖玀環境立囜戊略の䞭で提唱され、第䞉次生物倚様性囜家戊略に萜ずし蟌たれるず、2010幎の名叀屋垂で開催された生物倚様性条玄第10回締玄囜で䞖界に発信されたした。
そうです、先の資料が甚いられ策定された「21䞖玀環境立囜戊略」です。

䞀般に、「里山」の文脈で安田が語られるこずはほずんどありたせん。
登堎するのは四手井や守山、政策化を担った東京倧孊チヌムの歊内和圊や鷲谷いづみなどです。

安田が提唱しおいた「日本独自の智慧『里山』の埩興」は、安田の文章を参考文献に政策化され、䞖界に発信されおいおたす。
2018幎の安田の著䜜を読む限り、安田はそのこずに気づいおいないようです。
安田の䞻匵は、圓人の知らないずころで、圓人の蚀葉を借りお、すでに政策ずしお実珟しおいたす。

安田の䞻匵党䜓を芋るず珟圚の知芋ずそぐわないものもあり、たた、珟圚の里山政策そのものにも問題がありたす。
しかし、この点では䞍遇ず蚀わざるを埗たせん。
安田は1980幎には二次的自然「里山」の䟡倀や、それを維持しおきた営みに泚目しおいたした。
この先芋性は里山研究ず政策化の歎史に蚘されお然るべきです。


梅原が蚀いたかったこず

梅原に぀いおも誀解がないように説明しおおきたいこずがありたす。

梅原は䞭曜根康匘元銖盞ずの関係が知られたす。囜際日本文化研究センタヌは䞭曜根の力添えがあっお蚭立されたした。
これに぀いおは「囜家䞻矩的」ずの批刀もありたす。
しかし、決しお暩力者におもねっおいたわけではありたせん。

 日本文化ぞの探求を深め、広げおいった。「今たでの日本研究は総合的な芖野が欠けおいた。『日本のこずなんかやるのは反動だ』ず巊寄りの批刀があった」。孊生運動が盛り䞊がった時代の䞖盞には距離を眮き぀぀、暩力者に察する舌鋒ぜっぜうは鋭かった。囜際日本文化研究センタヌ京郜垂西京区創蚭にあたり、䞭曜根康匘銖盞圓時に恩矩を感じながらも「私ず䞭曜根さんずは政治的信条を異にしおいる。憲法改正に私は反察。この日文研では政治が文化に奉仕しおいる」ず誇った。「矎しい囜」を掲げた安倍晋䞉銖盞に察しおは「確かに日本は矎しい。しかし矎しい日本人ずは 東条英機ですか 小泉玔䞀郎 そうではない。菅原道真であり、䞖阿匥であり、千利䌑だ。圌らはみな暩力に抹殺された」。2004幎には「九条の䌚」蚭立呌びかけ人の䞀人にも名を連ねた。
梅原猛さん死去 むデオロギヌを嫌い、孊問を愛した人生 - 毎日新聞 2019幎1月14日 07時14分(最終曎新 1月14日 14時23分)
https://mainichi.jp/articles/20190114/k00/00m/040/029000c
 東日本倧震灜発生埌は、政府の埩興構想䌚議の特別顧問に就任。「私は仙台垂の生たれで持民の血を匕いおいる。この老骚の呜を囜にささげる」。幎月の初䌚合で、東北埩興ぞの決意を瀺しおいた。
 東京電力犏島第原発事故を議題から倖す方針を瀺した政府説明に、机を拳でたたいお抗議。「原発を議論しない䌚議は意味がない」ず声を荒らげた。
 脱原発瀟䌚の実珟を䞻匵し、「技術が進歩すれば自然は奎隷のごずく利甚できるずいう近代哲孊が問われおいる」「和の文明、利他の文明に倉わらなければならない」ず蚎えた。
梅原猛さん死去「震灜は文明灜」持論 東北ぞの思い深く | 河北新報オンラむンニュヌス 2019幎01月15日火曜日 https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201901/20190115_13052.html

東日本倧震灜埩興構想䌚議の議事録に぀いおはあえお匕甚したせん。
リンクを蚘茉したすので各人で確認しおいただけたらず思いたす。

東日本倧震灜埩興構想䌚議 内閣官房
https://www.cas.go.jp/jp/fukkou/
東日本倧震灜埩興構想䌚議第1回議事録
https://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/gijiroku/kousou01.pdf


暩力ず察峙しながらも察話は怠らず、この囜のあり方を考え続けおいた梅原の姿勢が芋お取れたす。

梅原猛の『共生ず埪環の哲孊』にこんな䞀節がありたす。

愚人の知恵に孊べ 地球環境保党ず日本の圹割
自然を父ずしお母ずしお
 もずもず日本の神道は自然厇拝の宗教でした。おそらくアゞアやペヌロッパの旧石噚時代の宗教ず同じように、自然を厇拝し粟霊を厇拝する宗教だったのです。それは自然珟象の厇拝であったり、朚の厇拝であったり、あるいは動物の厇拝でした。このような自然厇拝の神道を、明治以埌、囜家の神道に倉えおしたったために、神道の内容がすっかり倉わっおしたったこずにわれわれはあたり気づいおはいたせん。本来、神道はけっしお排倖的な超囜家䞻矩の宗教ではなく、たた日本独特の宗教でもないず思いたす。蟲業や牧畜を発明する以前の人類が、ながい間信仰しおきた自然厇拝の䞀圢態にすぎないず思うのです。
 そしお仏教は、六䞖玀の半ばごろに日本に䌝わっおきお、聖埳倪子や行基ずいう高僧によっお日本に定着したした。日本仏教は「山川草朚悉皆成仏」ずいう原理をもっおいたす。この原理は、釈迊の仏教からみれば、いささか逞脱した考え方です。釈迊仏教は人間の救枈を䞭心にした宗教ですが、日本の仏教は人間ず自然を䞀䜓ずし、人間ばかりか、自然の救枈をも説く宗教です。日本の仏教には、さきほど述べた共生ず埪環の原理が色濃く働いおいるのです。日本の芞術にも、このような共生ず埪環の原理が働いおいたす。たずえば俳句、胜、䜜庭ずいった芞術には、共生ず埪環の原理が芋事に衚珟されおいたす。
 ですから日本は、自己の文化ず䌝統のなかに、地球環境保党ずいう珟圚および将来の人類のもっずも緊急な課題に察しお貢献できる原理をもっおいるのではないかず思われたす。しかも日本は、高床経枈成長時代の結果起こった環境砎壊に察しお、かなり有効な手を打ち、しかもそれによっお生産性を䜎䞋させない技術を開発しおいるのです。
 このような䌝統ず実瞟を考えるずき、どうしお日本は地球環境保党運動の先頭に立たないのか、経枈的䟡倀以倖のものは远求しない囜だずいう䞖界の悪評を䞀掃しようずしないのか、䞍思議に思えるのです。たた、人類がおかれおいるもっずも困難な問題に察する解決の原理を、日本は自己の文明のなかにもっおいるにもかかわらず、その問題解決のためになぜ経枈力を有効に掻甚しないのか、私のような愚人には理解しかねるのです。
愚人の悲芳か賢人の楜芳か
 この䌚議が、人類文明再生のための第䞀歩になるこずを心から願うずずもに、日本が、自己のも぀文明の䌝統的原理を働かせ、地球環境保党ずいう課題に説教的な貢献をするこずを匷く垌望したす。
䞀九九二幎四月䞀六日・東京 地球環境資金賢人䌚議
梅原猛. 1996幎. 『共生ず埪環の哲孊』. 小孊通. 62ペヌゞ.

前半は梅原日本孊ず「森の思想」です。必ずしも劥圓な内容ではないかもしれたせん。
ですが埌半は考えさせられる内容です。

経枈力ず䌝統を人類が抱える問題の解決のために掻かせ

これは安田が1980幎の著䜜䞭で蚀っおいたこずでもありたす。
梅原日本孊ず「森の思想」は単なる瀌賛ではなく、日本ずいう囜のあり方を批刀的に問う思想でもあったのです。

先に玹介した『講座文明ず環境 第11å·» 環境危機ず珟代文明』の䞭でも同様のこずを蚀っおいたす。
先皋は省略した前埌の文を芋おみたしょう。

11. 砎壊はいかにしお起こり、今䜕をなすべきか 梅原猛
第二次環境砎壊
 このような環境砎壊の珟状に぀いお、倚くの自然科孊者たちが各々専門の領域においお正確なデヌタに基づいお譊告しおいるこずであるので、ここで哲孊者の私が改めお語る必芁はあるたい。
いかにしお環境砎壊をくいずめるこずができるか
 この問題の解決のためには、哲孊ず科孊の総合、少なくずも哲孊ず自然科孊者の緊密な協力が必芁である。
環境砎壊の問題に぀いおの日本の貢献
 日本の囜土の67にはただ森が残されおいる。しかもその森のうちの40は倩然林であるずいわれる。囜土の3分の2が森であり、しかも倩然林が囜土の3割を占めるずいうような先進囜は他に存圚しない。このこずを日本人はもっずも誇りにすべきであるず思うものであるが、なぜこのように倧量の森が残されおいるであろうか。
䞭略
森の残存ずずもに、日本文化には人間ず他の生物を本来同じものず考え、人間ず他の生物の共生を図ろうずいう思想がその文化の根源に存圚しおいる。
 共生ず䞊んで狩猟採集文化に匷く内圚し、皲䜜蟲業文化においお倚分に残存しおいる原理が埪環の原理である。それは、日や月をはじめ、䞀切の生きずし生けるものは氞遠の埪環を続けるずいう思想である。
䞭略
 しかしながら日本は明治以来、西掋から科孊技術文明をずり入れ、それによっお囜を富たせ、囜を匷くするこずを囜家の至䞊の課題ずしお発展しおきた。それは芋事に成功し、に保安は今珟圚芋る劂き、科孊技術文明の栄える豊かな囜になった。それはもちろん祝犏スべきこずであるが、今やこの科孊技術文明そのものが倧きなゞレンマに盎面しおいるのである。そしおそのゞレンマを解決すべき原理ずしお、皲䜜蟲業文化、あるいはさらにもっずも初源的な人類の文化である狩猟採集文化に内圚しおいる共生ず埪環の原理が有効であるずすれば、その䌝統文化の原理にもずづいお新しい文明を築く可胜性が日本に残されおいないであろうか。
 環境問題においお、日本はただ西欧の囜に立ち埌れおいる。それは自囜の文化の䌝統に照らしおも恥ずべきこずである。急いでこの問題に正面から立ち向かう組織を創造し、この問題においお日本はリヌダヌシップをずるべきであるず思う。
梅原猛・䌊東俊倪郎・安田喜憲. 1996幎. 『講座文明ず環境 第11å·» 環境危機ず珟代文明』. 朝倉曞店. 167-179ペヌゞ

環境問題においお、日本はただ西欧の囜に立ち埌れおいる。それは自囜の文化の䌝統に照らしおも恥ずべきこずである。急いでこの問題に正面から立ち向かう組織を創造し、この問題においお日本はリヌダヌシップをずるべきであるず思う。

こう述べおいたす。
そしお実際にこの組織は実珟したした。
その組織は日本文化研究における日文研のような立堎で日本の環境政策研究を行っおおり、蚭立には梅原や安田が関わっおいたす。
次はその組織に぀いお芋おいきたす。


地球環境戊略研究機関IGESずSATOYAMAむニシアティブ

1992幎の環境ず開発に関する囜際連合䌚議地球サミットず生物倚様性条玄、気候倉動枠組条玄は、折からの環境問題ぞの意識の高たりもあり、日本にも倧きな圱響を䞎えたす。
日本は1993幎に䞡条玄に批准し、同幎11月には環境基本法が成立したす。
1994幎には環境基本法に基づく第䞀次の環境基本蚈画が、1995幎には第䞀次の生物倚様性囜家戊略が策定されたす。

おそらくこの時点でプロゞェクト「文明ず環境」の圱響を環境基本蚈画ず生物倚様性囜家戊略は受けおいたす。もっず蚀うずこういった䞻匵の萌芜は自然環境保党法に基づき1973幎に策定された自然環境保党基本方針にも芋られたす。さらなる怜蚌が必芁です。

これず前埌しお、地球環境問題に察し戊略的に研究する日本独自の機関の蚭立が蚈画されたす。
1992幎に「地球環境賢人䌚議」が倚くの指導者や梅原ら孊者の参加のもずで開催され、1994幎の 「地球環境東京䌚議」では「東京宣蚀1994」が採択され、持続可胜な開発を目指すための囜際的孊術研究、教育、蚓緎を実斜する機関を日本に蚭眮するこずが提蚀されたす。
これを受けお総理倧臣の諮問機関ずしお「21䞖玀地球環境懇話䌚」蚭眮され、機関の蚭眮が具䜓的に怜蚎されたす。
環境庁は「総合的な環境研究・教育の掚進䜓制に関する懇談䌚」を蚭眮しさらに具䜓的な方針を定めたす。
21䞖玀懇ず䜓制懇、その埌の蚭眮堎所遞定委員䌚ず蚭立準備機構の䞻芁なメンバヌは重耇しおいたす。

21䞖玀懇梅原猛、近藀次郎環境庁䞭倮環境審議䌚䌚長
䜓制懇梅原猛・近藀次郎・森嶌昭倫のちの䞭環審䌚長・鈎朚基之のちの䞭環審䌚長・安田喜憲

そしお1998幎に「地球環境戊略研究機関IGES」が蚭立されたす。
初代の理事長は公害問題に粟通する環境法孊者森嶌昭倫が務めたした。これは梅原の掚薊によるものです。

IGESアむゞェスの蚭立憲章を芋おみたしょう。

地球環境戊略研究機関蚭立憲章 1997幎12月7日
 日本の京郜垂で開催された地球環境戊略研究機関蚭立䌚議ぞの各機関からの参加者は、地球環境の恵みによっお支えられおいる人類瀟䌚の根源的な課題は、地球環境の危機をもたらしおいる珟圚の物質文明の䟡倀芳や䟡倀䜓系を根本的に問い盎し、新たな人類の営みのあり方や新たな文明のパラダむムを創造し、これに即しお経枈瀟䌚の仕組みを再構築し、地球環境時代を切り拓くこずであるこずを匷く認識し、
䞭略
 地球環境戊略研究の囜際的なネットワヌクの構築が新たな囜際的な政策圢成に䞍可欠であるこずに鑑み、地球環境戊略研究機関の蚭立に関する日本の提案ず、蚭立準備に぀いおの日本のむニシャティブを歓迎し、
 次の芏定に埓っお運営される地球環境戊略研究機関が、日本の民法に基づき、神奈川県湘南囜際村に蚭眮されるこずに合意し、その運営にできる限り協力しおいくこずで意芋の䞀臎を芋た。
目的
第 4 条 本機関は、新たな地球文明のパラダむムの構築を目指しお、持続可胜な開発のための革新的な政策手法の開発及び環境察策の戊略づくりのための政策的・実践的研究以䞋、「戊略研究」ずいう。を行い、その成果を様々な䞻䜓の政策決定に具珟化し、地球芏暡、特にアゞア・倪平掋地域の持続可胜な開発の実珟を図るこずを目的ずする。
IGES20呚幎蚘念「IGES20幎の歩み」 | IGES
https://iges.or.jp/en/pub/iges-20th-anniversary-j/ja
https://iges.or.jp/jp/publication_documents/pub/books/jp/6531/20th+anniversary.pdf

芋おの通り、日文研のプロゞェクト「地球環境の倉動ず文明の盛衰ヌ新たな文明のパラダむムを求めおヌ」の圱響を非垞に匷く受けおいたす。
地球環境戊略研究機関IGESはいわば、理系版の囜際日本文化研究センタヌであり、䞡者を梅原猛が繋いでいたわけです。

歎代のIGES理事長は環境省環境庁の䞭倮環境審議䌚䌚長や、東京倧孊サスティナビリティ孊連携研究機構IR3S、囜連倧孊副孊長ポストを兌ねおいるこずが倚く、それぞれの組織は盞互に連携しながら環境政策を立案、実行しおいたす。

特に珟圚の䞭倮環境審議䌚䌚長歊内和圊は、この4぀のポストを党おに就いおいたす。
歊内はランドスケヌプ・゚コロゞヌやサスティナビリティ孊を専門ずする環境孊者で、前述の『日本の環境政策』の著者です。
1990幎代の埌半から環境庁や建蚭省囜土亀通省の委員を務め、21䞖玀環境立囜戊略の策定や生物倚様性基本法の制定、生物倚様性条玄第10回締玄囜䌚議などで保党生態孊者鷲谷いづみらずずもに䞭心的な圹割を果たしおきたした。
2001幎の鷲谷や恒川節史ずの共著『里山の環境孊』東京倧孊出版䌚は珟圚の里地里山政策のベヌスになっおいたす。

図和蟻哲郎「颚土」、梅棹忠倫「文明の生態史芳」、梅原猛・安田嘉憲「森の思想」が里山政策に反映されるたで

梅原が蚎えた日本の䌝統的自然芳「森の思想」に基づく囜際貢献は、囜際日本文化研究センタヌの圱響を匷く受けた地球環境戊略研究機関ず環境省䞭倮環境審議䌚により「SATOYAMAむニシアティブ」ずいう圢ずしお結実したず蚀えたす。
しかし、それは珟圚皮肉にも、梅原が批刀した「矎しい囜」のための政策「䌝統的な自然芳を珟代に掻かした矎しい囜づくり」ずしお実行されおいたす。

はじめに
 日本は、蟲業倧囜ではありたせんが、蟲業文化囜です。工業先進囜でありながら、各地に「里地里山」ずいう䌝統的な蟲業のシステムが倚く残されおいたす。それは、誇るべき蟲文化ずいっおもよいでしょう。いたある日本人の人生芳や文化の䞀郚は、このような蟲業を぀うじお、先人たちが぀くり出しおきたものでもあるのです。蟲業は、ただ食料を生産するだけの行為ではありたせん。
歊内和圊. 2013幎. 『䞖界蟲業遺産 ― 泚目される日本の里地里山』. 祥䌝瀟新曞. 3ペヌゞ.
はじめに
 この耇合生態系を、この本では平仮名の「さずやた」であらわしたす。さずやたのシステムは、人々の䌝統的な土地利甚によっお぀くられおいたす。この堎合の土地利甚、あるいっは人間の掻動ずいうのは、怍物を栜培したり家畜を飌ったりずいう営み、いわゆる「蟲業」だけではなく、野生の怍物や動物を採集・狩猟するような行為たで広く含むのが特城です。そうした営みは、自然を根こそぎ砎壊するこずなく、末氞くその恵みを受けられるような工倫ず節床をもっおおこなわれおきたした。
鷲谷いづみ. 2011幎. 『さずやた』. 岩波ゞュニア芪曞. ivペヌゞ.

本文䞭では慎重な衚珟を甚いおいたすが、里山政策に深く関わる科孊者である歊内や鷲谷は自著の序文でこのように語っおいたす。

歊内は䞭倮環境審議䌚の珟圚の䌚長であり、21䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚の委員でした。
鷲谷は21䞖玀環境立囜戊略の前の諮問䌚議、21䞖玀「環」の囜づくり䌚議の委員で、そのずきの議事録䞭には「山川草朚悉皆成仏」の語が芋られたす。森嶌も同䌚議の委員でした。
「䞖玀プログラム J04生物倚様性・生態系再生研究拠点東京倧孊」に鷲谷は拠点リヌダヌずしお、歊内はグルヌプリヌダヌずしお参加し、その成果は『里山の環境孊』2001幎、東京倧孊出版䌚ずしお出版されおいたす。
たた、安田ず鷲谷は犏井里海里山研究所進士五十八所長でずもに研究アドバむザヌを務めおおり、安田の責任線集『生物倚様性の日本 : 森林環境 2009』に鷲谷が参加しおいたす。

第回 21䞖玀『環の囜』づくり䌚議 議事芁旚
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/wanokuni/dai2/2gijiyousi.html

東京倧孊[21侖简COE]生物倚様性・生態系再生研究拠点
https://www.u-tokyo.ac.jp/coe/21coe/list12_j.html


「SATOYAMAむニシアティブ」の内容ず功眪に぀いおはあずに続く蚘事で扱いたす。今回は環境省による説明を匕甚するにずどめおおきたす。
これは21䞖玀環境立囜戊略䞭の「① 自然ずの共生を図る智慧ず䌝統を珟代に掻かした矎しい囜づくり」に察応した政策です。

() 「環境立囜・日本」に向けた斜策の展開方向
① 自然ずの共生を図る智慧ず䌝統を珟代に掻かした矎しい囜づくり
叀来より私たち日本人は、生きずし生けるものが䞀䜓ずなった自然芳を有しおおり、自然を尊重し、共生するこずを垞ずしおきた。我が囜には、䟋えば里地里山に代衚されるように、自然を単に利甚するだけではなく、協働しお守り育おおいく智慧ず䌝統がある。
こうした䌝統的な自然芳は珟代においおは薄れ぀぀あるが、自然に察する謙虚な気持ちを持っお、協働しお自然を守り育おおいくずいう智慧ず䌝統は、持続可胜な瀟䌚を目指す䞊で、我が囜のみならずアゞアを始めずする䞖界に発信できる積極的な意矩を持぀。我が囜の環境・゚ネルギヌ技術などの匷みに加えお、自然ずの共生を図る智慧ず䌝統を珟代に再び掻かすこずにより、自然の恵み豊かな矎しい囜づくりを目指す。
21䞖玀環境立囜戊略 平成19幎6月1日
https://www.env.go.jp/guide/info/21c_ens/21c_strategy_070601.pdf
https://www.env.go.jp/guide/info/21c_ens/index.html


SATOYAMAむニシアティブずは
 わが囜の里地里山のように蟲林氎産業などの人間の営みにより長い幎月にわたっお維持されおきた二次的自然地域は䞖界䞭に芋られたすが、珟圚はその倚くの地域で持続可胜な利甚圢態が倱われ、地域の生物倚様性に悪圱響が生じおいたす。䞖界で急速に進む生物倚様性の損倱を止めるためには、保護地域などによっお原生的な自然を保護するだけでなく、このような䞖界各地の二次的自然地域においお、自然資源の持続可胜な利甚を実珟するこずが必芁です。
 わが囜で確立した手法に加えお、䞖界各地に存圚する持続可胜な自然資源の利甚圢態や瀟䌚システムを収集・分析し、地域の環境が持぀ポテンシャルに応じた自然資源の持続可胜な管理・利甚のための共通理念を構築し、䞖界各地の自然共生瀟䌚の実珟に掻かしおいく取組を「SATOYAMAむニシアティブ」ずしお、さたざたな囜際的な堎においお掚進しおいきたす。
 囜際機関や各囜ずも連携しながら、COP10生物倚様性条玄第10回締玄囜䌚議を契機ずしお「SATOYAMAむニシアティブ」を効果的に掚進するための囜際的な枠組みを蚭立し、その枠組みぞの参加を広く呌びかけおいきたす。
環境省 自然環境局 里地里山の保党・掻甚
http://www.env.go.jp/nature/satoyama/initiative.html

International Partnership for the Satoyama Initiative
https://satoyama-initiative.org/

SATOYAMAむニシアティブ掚進ネットワヌク
http://www.pref.ishikawa.jp/satoyama/j-net/index.html

コンテンツ - MISIA × 生物倚様性 -
http://satoyamabasket.net/contents/cmenu-04.html

SATOYAMAむニシアティブを通じた持続可胜な地域づくり 歊内和圊
公益財団法人 地球環境戊略研究機関IGES理事長
東京倧孊サステむナビリティ孊連携研究機構IR3S)機構長・特任教授
囜連倧孊サステむナビリティ高等研究所(UNU-IAS)䞊玚客員教授
https://isap.iges.or.jp/2018/pdf/tt9/TT-9_1_Takeuchi.pdf

2019幎12月31日远蚘IGESは地球サミット以降の地球環境問題に察応するために蚭立された研究機関です。圓初は䞻に気候倉動に぀いおの研究が行われおいたした。のちに里山に関する政策研究を行うようになり、その䞭心人物が環境省䞭環境審議䌚䌚長、IGES理事長、東京倧孊旧IR3S、囜連倧孊副孊長等々を務めた歊内和圊氏です。


環境基本蚈画ず生物倚様性囜家戊略の蚘述は芋盎しが必芁

「SATOYAMAむニシアティブ」は21䞖玀環境立囜戊略を介しお政策化された梅原猛ず安田喜憲の「森の思想」ず蚀うこずができたす。
しかし、その「森の思想」の前提である「日本人の自然共生的な資源利甚」は近幎の里山研究によっお吊定されおいたす。
里山研究に吊定された説が、里山政策の根拠になっおいたす。
そしお、この日本人芳は珟圚も広く信じられ、ノスタルゞヌの域を超えナショナリズムず呌ぶべき領域に達しおいたす。さらに、この梅原日本孊ず「森の思想」の圱響を受けた里山政策は、梅原が批刀した「矎しい囜」実珟のための政策の䞀翌ずしお実行されおいたす。

この自然芳ずそれに基づく政策は䜕重にもねじれおいたす。

環境基本蚈画ず生物倚様性囜家戊略における日本人の自然芳に関する珟圚の蚘述は修正が必芁だず考えおいたす。
過剰に瀌賛すべきではありたせん。たた必定以䞊に貶める必芁もありたせん。
実像を正芖し、珟圚の知芋に沿った劥圓なものにするだけでよいのです。

環境省は、2021幎の9月の次期生物倚様性囜家戊略が閣議決定を予定しおいたす。
2020幎に北京で開かれる生物倚様性条玄第15回締玄囜䌚議COP15で、愛知目暙の最終評䟡ず、向こう10幎の新たな囜際目暙が瀺されたす。これに基づいお囜家戊略の改蚂が行われたす。

生物倚様性囜家戊略は䞭倮環境審議䌚の郚䌚で諮られ、自然保護団䜓や経枈界の意芋も取り入れながら決定されたす。
その過皋にはパブリックコメントもあり、䞀垂民にも意芋衚明の機䌚が䞎えられおいたす。
この機䌚を掻かさない手はありたせん。本皿の内容以倖でももちろんかたいたせん。
ぜひ参加したしょう。


たずめず課題

今回は、21䞖玀環境立囜戊略策定の時の資料から「自然ず共生しおきた日本人」ずいう考え方「里山ナショナリズム」がどこから珟れたのかに぀いお怜蚌したした。
この資料に匕甚された面々の倚くは囜際日本文化研究センタヌの同䞀のプロゞェクトに参加しおおり、そこでの研究成果を基に梅原猛や安田喜憲は「森の思想」を展開したした。その背景には和蟻哲郎の「颚土論」、梅棹忠倫の「文明の生態史芳」がありたした。
これが、䞖間䞀般には里山ブヌムに乗る圢で浞透し、梅原ず芪亀のあった政治家や、梅原が蚭立に関わった研究機関「地球環境戊略研究機関IGES」や䞭倮環境審議䌚䌚長経隓者の倚くはIGES関係者を通じお環境省の法定蚈画に取り入れられたのではないかず考察したした。
図瀺するず以䞋のようになりたす。

和蟻哲郎「颚土論」 → 寺田寅圊 → 犏島芁䞀
↓
梅棹忠倫「文明の生態史芳」
↓
梅原猛・安田喜憲「森の思想」 = 囜際日本文化研究センタヌ → 䞭西進
↓
地球環境戊略研究機関IGES  環境省+䞭倮環境審議䌚
↓
21䞖玀環境立囜戊略
  自然ずの共生を図る智慧ず䌝統を珟代に掻かした矎しい囜づくり
↓
生物倚様性囜家戊略 ・ SATOYAMAむニシアティブ

梅原や安田らの説には個人の思想・哲孊の範囲を出ない根拠の薄いものもありたす。
最近の研究では必ずしも「日本人は自然ず共生しおきた」ずは蚀い難いこずもわかっおきおいたす。
梅原や安田らの説を螏襲した環境基本蚈画や生物倚様性囜家戊略等の法定蚈画内の瀌賛的な蚘述は実態に基づいた適切な内容ぞ修正する必芁がありたす。

梅原は晩幎に「人類哲孊」を提唱しおいたす。
西掋の近代合理䞻矩批刀から瞄文文化ぞの考察、「草朚囜土悉皆成仏」、「森の思想」を経お至った「日本文化の䞭に存圚する人類文化を持続的に発展せしめる原理」に぀いおの哲孊です。
続線が曞かれるこずはありたせんでしたが、これはいわば、東日本倧震灜を「文明灜」ず断じた梅原による日本文明ぞの「遺蚀」です。
「環境政策で日本がリヌダヌシップをずるべき」ずいう䞻匵は謹聎に倀したす。

過去の日本人の環境利甚の歎史や珟圚の決しお望たしくない囜内の状況を盎芖し、囜内の環境政策を充実させ、囜際貢献をはかるこず。これを目指すべきでしょう。

季刊「郜垂化」2019 vol.1 「梅原猛の人類哲孊」 公益財団法人 郜垂化研究公宀理事長 光倚長枩 2019 幎 4 月 公益財団法人 郜垂化研究公宀
http://www.riu.or.jp/
http://www.riu.or.jp/document/toshika201901.pdf

「森の思想」に圱響を䞎えた可胜性がある人物、新京郜孊掟ず呌ばれる桑原歊倫、貝塚茂暹、今西錊叞、䞊山春平、城原和郎、鶎芋俊茔などや、その呚蟺で研究を行っおいた䞭尟䜐助、四手井綱英、河合雅雄などの圱響に぀いおは怜蚎が䞍足しおいたす。
造園孊系の識者、癜幡掋䞉郎日文研や進士五十八、涌井史郎雅之も「森の思想」ず芪和性の高い䞻匵を展開し、䞭倮環境審議䌚等の委員ずしお政策に関わっおおり怜蚌の必芁がありたす。
21䞖玀環境立囜戊略以前の環境基本蚈画や生物倚様性囜家戊略、さらに以前の自然環境保党基本方針などに぀いおは資料が少なく、このような思想がい぀から囜の法定蚈画に圱響を䞎えるようになったのかに぀いおは未解明です。
これらは今埌の課題ずしたす。

ここたで読んでくださりありがずうございたした。


幎衚

1931幎 和蟻哲郎 『颚土』
1935幎 寺田寅圊 『日本人の自然芳』
1967幎 梅棹忠倫 「文明の生態史芳」 公害察策基本法
1971幎 環境庁蚭眮
1972幎 囜際連合人間環境䌚議ストックホルム
1975幎 犏島芁䞀 『自然の保護』
1980幎 安田喜憲 『環境考叀孊事始』
1987幎 囜際日本文化研究センタヌ蚭立
1988幎 守山匘 『自然を守るずいうこずはどういうこずか』
               å®®åŽŽé§¿ 『ずなりのトトロ』
1990幎 日文研「地球環境の倉動ず文明の盛衰ヌ新たな文明のパラダむムを
                求めおヌ」〜1994幎
1991幎 安田喜憲 『倧地母神の時代』
               æ¢…原猛 『「森の思想」が人類を救う 二十䞀䞖玀における日本文明の
                圹割』
1992幎 第回囜䌚 倖亀・総合安党保障に関する調査䌚 第号梅原
               åœ°çƒç’°å¢ƒè³¢äººäŒšè­° 「東京宣蚀」 梅原
               å®‰ç”°å–œæ†² 『日本文化の颚土』
               ç’°å¢ƒãšé–‹ç™ºã«é–¢ã™ã‚‹å›œéš›é€£åˆäŒšè­°ïŒˆåœ°çƒã‚µãƒŸãƒƒãƒˆã€ãƒªã‚ªãƒ‡ã‚žãƒ£ãƒã‚€ãƒ­ïŒ‰
1993幎 環境基本法 䞭倮環境審議䌚䌚長に近藀次郎
                梅原猛・䌊東俊倪郎・安田喜憲他 『森の文明・埪環の思想 人類を救う
                道を探る』
1994幎 地球環境東京䌚議 「東京宣蚀1994」
                環境基本蚈画第䞀次
1995幎 21䞖玀地球環境懇話䌚提蚀 「新しい文明の創造に向けお」 梅原
               ãƒ»è¿‘藀
               æ¢…原猛 『森の思想が人類を救う』
               ç”Ÿç‰©å€šæ§˜æ€§å›œå®¶æˆŠç•¥ïŒˆç¬¬äž€æ¬¡ïŒ‰
1996幎 総合的な環境研究・教育の掚進䜓制に関する懇談䌚梅原・近藀・
                森嶌・ éˆŽæœšãƒ»å®‰ç”°ïŒ‰
               åœ°çƒç’°å¢ƒæˆŠç•¥ç ”ç©¶ 東京囜際ワヌクショップ
               æ¢…原猛 『共生ず埪環の哲孊』
               å®‰ç”°å–œæ†² 『森のこころず文明』
               åœ°çƒç’°å¢ƒæˆŠç•¥ç ”究機関蚭眮堎所遞定委員䌚 近藀・梅原・森嶌
1997幎 地球環境戊略研究機関蚭立準備機構蚭立 森嶌・梅原・近藀・安田
                アゞア・倪平掋地域における平和ず共生特別䌚議報告
                気候倉動枠組条玄第3回締玄囜䌚議COP3 「京郜議定曞」
1998幎 地球環境戊略研究機関IGES蚭立
2001幎 環境省蚭眮 䞭倮環境審議䌚䌚長に森嶌昭倫
2002幎 21䞖玀「環」の囜づくり䌚議森嶌・鷲谷
               æ–°ãƒ»ç”Ÿç‰©å€šæ§˜æ€§å›œå®¶æˆŠç•¥
2005幎 䞭倮環境審議䌚䌚長に鈎朚基之
               åœ°çƒç ”「日本列島における人間自然盞互関係の歎史的・文化的怜蚎」                 ïŒˆã€œ2011幎
2006幎 䞭西進 『囜家を築いたしなやかな日本知 Japan Wisdom』
2007幎 䞭倮環境審議䌚21䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚森嶌・鷲谷
                21䞖玀環境立囜戊略SATOYAMAむニシアティブ
                第䞉次生物倚様性囜家戊略
2008幎 生物倚様性基本法
2010幎 生物倚様性囜家戊略2010
                生物倚様性条玄第10回締玄囜䌚議COP10、名叀屋垂 「愛知目暙」
                「SATOYAMAむニシアティブ」
2012幎 生物倚様性囜家戊略2012-2020
2013幎 䞭倮環境審議䌚䌚長に歊内和圊
2015幎 䞭倮環境審議䌚䌚長に浅野盎人
2017幎 䞭倮環境審議䌚䌚長に歊内和圊再任
2018幎 安田喜憲 『文明の粟神 「森の民」ず「家畜の民」』
2020幎 生物倚様性条玄第15回締玄囜䌚議COP15、䞭囜予定
2021幎 生物倚様性囜家戊略第6次予定

䞭倮環境審議䌚䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/yoshi32.html

䞭倮環境審議䌚 䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚 委員名簿
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/meibo32.html
郚䌚長  鈎朚基之  囜際連合倧孊特別孊術顧問䞭倮環境審議䌚䌚長
委員   歊内和圊  東京倧孊倧孊院蟲孊生呜科孊研究科教授
     田䞭 勝  岡山倧孊倧孊院環境孊研究科教授
     花井圭子  日本劎働組合総連合䌚瀟䌚政策局長
臚時委員 石井䞀倫  読売新聞論説委員
     䞊路雅子  独立行政法人蟲業環境技術研究所理事
     怍田和匘  京郜倧孊倧孊院経枈孊研究科教授
     枝廣淳子  有限䌚瀟むヌズ代衚取締圹
     倧久保芏子 倧阪倧孊倧孊院法孊研究科教授
     倪田猛圊  東京蟲業倧孊地域環境科孊郚教授
     嘉田由玀子 滋賀県知事
     茅 陜䞀  財団法人地球環境産業技術研究機構副理事長・研究所長
     小池勲倫  東京倧孊海掋研究所教授
     小柀玀矎子 東京孊芞倧孊教育孊郚教授
     小宮山 宏 東京倧孊総長
     杉山雅掋  早皲田倧孊商孊孊術院教授
     須藀隆䞀  東北工業倧孊環境情報工孊科客員教授
     関柀秀哲  新日本補鐵株副瀟長瀟日本鉄鋌連盟環境・゚ネルギヌ政策委員長
     䞭村 勉  建築家もの぀くり倧孊教授
     萩原な぀子 立教倧孊瀟䌚孊郚瀟䌚孊科助教授
     平野信行  䞉菱東京UFJ銀行垞務取締圹
     廣野良吉  成蹊倧孊名誉教授
     村䞊千里  「持続可胜な開発のための教育の10幎」掚進䌚議事務局長
     森地 茂  政策研究倧孊院倧孊教授/財運茞政策研究機構 運茞政策研究所所長
     森本幞裕  京郜倧孊倧孊院地球環境孊堂教授
     逊老孟叞  東京倧孊名誉教授


䜙録

本文䞭に入れなかったもので気になる点をたずめおおきたす。
考察が䞍十分なものが倚いですが䞀応眮いおおきたす。

類䌌の資料ず懇談䌚
COP10ず東日本倧震灜のあず、生物倚様性囜家戊略の改定のための懇談䌚が蚭けられ、そこで配垃された資料も21䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚の資料ずよく䌌おいる。

資料3-3 日本人の自然芳
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/kyosei/23-1/files/3-3.pdf
人ず自然ずの共生懇談䌚 | 生物倚様性 -Biodiversity-
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/kyosei/index.html

第1回の発蚀抂芁には「西掋的自然芳を吊定するこずで、東掋的自然芳の優䜍性を瀺すのではなく、近代文明ぞの反省ずいう芖点に立った、䞖界共通の課題ずしお自然芳の議論をすべき。」「珟圚の私たちは自然ず共生しおいるのではなく、䞍自然な状態ず共生しおいる。最初から日本人の自然芳が圹に立぀ずいう前提に立っお物事を考えるのではなく、安易な考えを疑っおかかるこずが重芁。」ずいう慎重な意芋も芋られた。
問題意識を持っおいる委員もいたず芋られる。
里山のあり方やSATOYAMAむニシアティブに぀いおも慎重な意芋ず積極的な意芋の䞡論が芋られ、「里山」のような資源利甚の圢態が日本に固有のものではないこずを指摘する意芋もあった。

人ず自然ずの共生懇談䌚 第回議事抂芁暫定版
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/kyosei/23-1/files/abstract-110711.pdf

懇談䌚の委員は以䞋の通り。

岩槻邊男  兵庫県立人ず自然の博物通通長怍物生態孊
倧久保尚歊 経団連自然保護協議䌚䌚長経枈
小野寺浩  鹿児島倧孊孊長補䜐環境行政ず地域政策
栢原英郎  日本枯湟協䌚名誉䌚長土朚工孊
桑子敏雄   東京工業倧孊倧孊院瀟䌚理工孊研究科教授哲孊
小長谷有玀  囜立民族孊博物通民族瀟䌚研究郚教授文化人類孊
歊内和圊   東京倧孊倧孊院蟲孊生呜科孊研究科教授 䞭倮環境審議䌚 自然環境・野生生物合同郚䌚長
山極壜䞀 京郜倧孊倧孊院理孊研究科教授動物生態孊
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/kyosei/23-1/files/0-3list.pdf


「共生」ずいう語

アゞア・倪平掋地域における平和ず共生特別委員䌚
21䞖玀環境立囜戊略䞭の資料に匕甚されおいるが、本文䞭では扱わなかった。
「共生」ブヌムを総括したものだず思われるが、経緯や内容に぀いお䞍明な点が倚く今回は割愛した。

2 「共生」ずは䜕か
 「共生」ずいう蚀葉は、80幎代に入っおからわが囜で倧流行を芋るにいたっお蚀葉の䞀぀である。1997幎1月珟圚で囜䌚図曞通が所蔵する単行本の䞭で、タむトルに「共生」の語を含むものは、130冊を越えおいる。資料2参照もちろん同じような意味を持った蚀葉は、今日わが囜にずどたらずさたざたな囜々に登堎しおいるが、わが囜ほどさたざたな領域で甚いられ、広範に流垃しおいる囜はない。ただ、わが囜の堎合には、広範に䜿甚されおいるにしおはその意味が自芚的に怜蚎されおいるずは蚀い難い。そこで、この蚀葉の意味を、わが囜での䜿甚䟋に照らしお慎重に吟味した䞊で、この蚀葉が珟圚の䞖界史的転換期の状況の䞭でどのような積極的意矩を有しおいるかを怜蚎するこずが必芁である。431ペヌゞ
3 地球時代の䟡倀芳ず教育課題 ― 平和・人暩・共生の文化を
2地球教育グロヌバル・゚デュケヌションずそのコア
④共生の思想を深めよう
 a地球時代ず「共生」の思想
 地球時代は、「䞇物の共生」、「䞇人の共生」を求める時代でもある。
 このタヌムは、はじめは、生物孊のタヌムずしお䜿われ、人間発達論のなかでは、母子の有機的「共生」から心理的「共生」ぞの筋道ずしお語られH・ワロン、やがお環境問題が鋭く自芚されるなかで、゚コロゞストによっお奜んで甚いられたずいう経緯がある。他方で、米゜察立のなかで平和的共存が説かれ、「南北の共生」が説かれるずいった情況がある。「男女の共生」がいわれるずき、それが男女平等の䞻匵に氎を差す機胜を果たす堎合もある。叀い共同䜓論ず結び぀いた「共生」論は、個人の尊厳や個性の尊重ず察立する堎合もある。
 それだけに、私たちが、いた「共生」にこだわるのはなぜか、その思想内容を教育ず人間の思想の䞭心ずなるものずするためには、䜕が必芁なのか考える必芁がある。
 それでは「共生」ずは䜕か、われわれは、このこずばがもっずも平明に意味するものずしお、それは「ずもに生きる」こずだ、英語ではいえばたず live together あるいは colivingずしお衚珟されるものだず考えたい。埓っおたた、その含意は、第䞀に「䞇物の共生であり、゚コロゞカルな芖点を含んでの「自然ずの共生」ここには人間も自然の䞀぀ずしお含たれるである。ここではアニミズム的発想や仏教的思想も、その積極的な意味がずらえ盎されよう。自然に察立する人間䞭心䞻矩ではなく、自然䞻矩人間䞻矩マルクスこそが求められねばならない。437ペヌゞ
アゞア・倪平掋地域における平和ず共生
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/16youshi/16_69h.html
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/16pdf/1669.pdf

「埪環型・䜎炭玠・自然共生瀟䌚」「地域埪環共生圏」など珟圚環境省の政策名ずなっおいる「埪環」「共生」ずいう語も梅原が端緒ずなっおいる可胜性があるが怜蚎䞍足のため割愛。


成功䜓隓

しかも日本は、高床経枈成長時代の結果起こった環境砎壊に察しお、かなり有効な手を打ち、しかもそれによっお生産性を䜎䞋させない技術を開発しおいるのです。
䞀九九二幎四月䞀六日・東京 地球環境資金賢人䌚議
梅原猛. 1996幎. 『共生ず埪環の哲孊』. 小孊通. 62ペヌゞ.
橋本行政改革担圓兌沖瞄及び北方察策担圓倧臣
 環境庁が生たれお20幎経った時点で、過去の公害は䜕だったのか、生産に結び぀かない資金を公害察策に投入したがそれは有効だったのか、圓時の環境庁の諞君が分析した成果が、䜏民サむドの批刀を含めお䞀冊の本にたずめられおいる。これを、この䌚の参考資料ずしお提出しおほしい。生産性に結び付かない投資であったはずなのに、それは経枈発展のマむナスにならず、新たな技術を生み出す土壌になったずいう結論がでおいる。翌幎の「環境癜曞」では、今日埡出垭いただいおいる䌁業の方にもデヌタをご提䟛いただき、䌁業はどういう姿勢で問題に取り組んだか、実隓宀段階で成功したものを垂堎に提䟛する商品に倉えおいくのにどういうむンセンティブが働いたのか、等がたずめられ、非垞に面癜い䞭身ずなっおいる。
 しかし、そのような成功䟋ばかりでなく、䟋えばある垂においお地域瀟䌚で埪環型瀟䌚を圢成しようずしお倱敗した蚘録、あるいは䞭氎道を぀くろうずしお倱敗をした蚘録、など、我々は随分たくさんの倱敗を重ねおいる。杉花粉の問題や氎道の老朜管から膚倧な量の氎が挏れおいるこずも、その䟋かもしれない。こうした倱敗のデヌタをできるだけ集めお提䟛するこずはできないのか。そうしたものがあるず、非垞に地に付いた議論がしやすくなるず思う。
第回 21䞖玀『環の囜』づくり䌚議 議事芁旚
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/wanokuni/dai1/1gijiyousi.html

過去の公害察策を成功䜓隓ずしお捉えおいる。
グレタ・トゥヌンベリの蚎えに察し、環境問題に察する過去の斜策の成功䟋を持ち出し、「きっずうたくやっおいるはず。過去もそうだった。」ず蚀うものがいる。
実際は生物倚様性条玄に基づく目暙も気候倉動枠組条玄に基づく目暙も進捗は芳しくない。
この成功䜓隓が「自然ず共生しおきた日本人像」ず結び付き、こうした根拠のない蚀説を招く䞀因になっおいるのではないか。
21䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚資料にも「深刻な公害克服の経隓ずノりハり」ずいう項目がある。
http://www.env.go.jp/council/32tokubetsu21c/y320-05/ref01-4.pdf


21䞖玀「環」の囜づくり䌚議ず鷲谷いづみ

鷲谷委員
 「金の卵を産む鶏【健党な生態系】を蘇らせるために」ず題したが、金の卵ずは生態系が生み出す「自然の恵み」である。さたざたな財ずかサヌビスを生態系が生み出すこずによっお、私たちの生掻や生産が成り立っおいる。
 自然の恵みの持続性を維持するこずは難しいこずで、倱敗䟋が叀代文明以来たくさんある。持続可胜性をいかにしお確保するか、いろいろな暡玢が今始たっおいる。生態系の健党性のバロメヌタヌあるいは自然の恵みの源である「生物倚様性」ずか、長期的な持続性を芖野に入れた管理の圚り方である「生態系管理」などが、新しいキヌワヌドである。
 生態系は非垞に耇雑で䞍確実性が倧きいため、䞍確実性を前提ずした瀟䌚的なシステム管理の手法である「順応的管理」が提案されおいる。北アメリカでは、こういう考え方に基づく生態系の管理や埩元のプロゞェクトが始たっおいる。生態系が健党性を取り戻すこずによっお倧きな経枈的なメリットが埗られるずいう議論もある。
 日本では、か぀お暡範的な生態系管理が行われおいた。「奥山」「里山・里」「町」の営みが区別されおいお、特に「里山・里」では、資源を持続的に利甚しながらも生物倚様性の高い空間が維持されおいた。たた、ものを぀くるずきに怍物資源を掻甚しおおり、再生が可胜で、土に返すこずもできた。怍物資源の持続性を確保するため、いろいろな地域でその堎所に合った「入䌚の掟」が存圚しおいた。東北地方には「草朚䟛逊塔」がたくさんあるが、これは草や朚の恵みに察する感謝の心である。
 山川草朚悉皆成仏ずいう蚀葉は、アゞア的な䌝統で仏教ず関わりがあるず思うが、自然ずか生き物はずもに生きるものずいう考え方であっお、その利甚もそういう心を持っお行われおいた。西欧では、自然ずは「第䞀創造物」の人が利甚するために神様がお぀くりになったもの、自然は利甚するものずいう感芚である。西欧の科孊技術は、自然を埁服の察象ずしお芋、非埪環型な技術を぀くり出しおしたった。日本も西欧の科孊技術に頌ったため、人ず自然ずの関係性が倧きく損われおしたった。
 生物を利甚の察象する芋方が匕き起こしたもう䞀぀の環境問題ずしお、倖来生物が日本列島党䜓にはびこっおいる。か぀おは普通に芋られた動怍物が絶滅危惧皮になっお、䞖界䞭のどこに行っおも芋られるような生物に眮き換わっおいる。自然ず人ずの関係が皀薄になり、若者は生き物ず蚀っおもペットず園芞怍物しか思い浮ばないずいう、憂うべき状況になっおいる。
 そこで提案だが、人ず自然の関係を修埩できる「自然再生型公共事業」が必芁である。具䜓的には、生物倚様性ず健党な生態系を取り戻すための事業、持続可胜な瀟䌚を念頭に眮いた事業、倱いかけおいる颚土ず文化を取り戻すための事業が必芁である。埪環ずいう芳点では、材料を流域内から調達するずか、再生可胜な材料をたくさん利甚するこずも必芁である。実斜にあたっおは環境省がむニチアティブを取り、リヌダヌシップを発揮するこずが倧切である。
 そのような事業ずしお、囜土亀通省の河川局が最近始めた霞ケ浊の自然湖岞を埩元する事業がある。霞ヶ浊はコンクリヌトの盎立護岞で100 囲たれおしたったが、自然の湖岞を取り戻すための詊みが始たった。この事業を支えおいるのが、垂民がリヌダヌシップを取り、行政・䌁業・孊校も加わっおいる「霞ケ浊のアサザプロゞェクト」である。この事業は、環境教育ずしおも機胜するよう考慮されおいる。
 「【環の囜】自然再生事業」ず蚀うべき事業が必芁ず思う。生態系は官庁が匕いた線の䞭に収たるものではないため、流域や生態系ずいった単䜍で行われる総合的な自然再生公共事業であるべきである。倚様な䞻䜓が参加できるこず、䌝統的な技ず知恵をよみがえらせる「颚土の科孊」ず「生態系の科孊」を重芖するこず、順応的な管理手法を取り入れるこずを提案したい。
第回 21䞖玀『環の囜』づくり䌚議 議事芁旚
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/wanokuni/dai2/2gijiyousi.html

21䞖玀「環」の囜づくり䌚議は、森銖盞途䞭から小泉銖盞の諮問による蚭眮された環境政策の方針を定めるための䌚議。
自然環境政策ずしおは、二次的自然を保党するための政策ずしお官民協働型の自然再生事業が提唱され、自然再生掚進法の成立に぀ながった。
このずき委員ずしお招かれいた生態孊者鷲谷いづみの発蚀は興味深い。
「山川草朚悉皆成仏」など梅原日本孊、「森の思想」の圱響が芋お取れる。
委員には圓時の䞭倮環境審議䌚䌚長森嶌昭倫も。


『環境史ずは䜕か』に぀いお
『シリヌズ 日本列島の䞉䞇五千幎』は、梅原猛や安田喜憲らの日本人芳に察し批刀的な怜蚌を行っおいる。
『第1å·» 環境史ずはなにか』「第4ç«  人類五䞇幎の環境利甚史ず自然共生瀟䌚ぞの教蚓」の冒頭で矢原培䞀は、「21䞖玀環境立囜戊略」に぀いお「持続可胜な瀟䌚に向けおの私たちの課題をわかりやすく敎理しおいる」ず評しおいる。
そこからゞャレド・ダむアモンドの『銃・病原菌・培』ず『文明厩壊』の考え方を甚いお進化生物孊的芳点からヒトの移動や資源利甚などの環境史に぀いお論じ、西欧的自然芳ず日本的自然芳の問題を怜蚎しおいる。
その過皋で「日本的自然芳は環境砎壊を防ぐうえで無力だったず蚀っおよい」ず断じ、梅原猛や安田喜憲の䞻匵を「ひず぀の䞻匵であっお、日本人の自然芳を必ずしも客芳的に衚珟しおいない」ず評しおいる。
しかし、その「21䞖玀環境立囜戊略」が、梅原や安田らの説の圱響を受けおいる。

※プロゞェクトリヌダヌの湯本貎和も明蚀はしおいないものの、『環境史ずはなにか』の䞭でこういった思想に察しお批刀的な姿勢を瀺しおおり、プロゞェクト党䜓ずしお梅原・安田らの「森の思想」の打砎をひず぀の目的にしおいたこずが䌺える。

【2020幎1月1日远蚘】
12月30日の公開時点で䞊蚘のように曞いおいたしたが、総合地球環境孊研究所のプロゞェクト「日本列島における人間ヌ自然盞互関係の歎史的・文化的怜蚎」2005~2011幎に぀いおこのような意図はなかったず矢原培䞀さんはおっしゃっおいたす。たた以䞋のように「打砎」のような発想が持぀危うさに぀いお述べおおられたす。是非ご䞀読ください。
認識を改めるずずもにこのような内容はなかったこずを蚂正し、お詫びいたしたす。

 思想は䟡倀的呜題であり、思想の違いは「打砎する」こずでは解決できず、合意圢成あるいは劥協による解決しかない、ずいうのが3人の共通認識だったず思いたす。これは、安田講堂事件や浅間山荘事件などを䞭孊・高校時代にテレビで芋お育ち、玛争埌の倧孊に進孊した私たちの䞖代に共有された、思想的察立回避のための教蚓です。湯本プロゞェクトの狙いは、過去の日本における自然利甚には成功䟋も倱敗䟋もあるこずを事実ずしお瀺し、どのようなずきに成功し、どのようなずきに倱敗したかを比范し、「合意圢成に資する客芳的な情報提䟛」を行うこずにありたした。
「里山ナショナリズムの源流を远う」ぞのコメント - 空飛ぶ教授の゚コロゞヌ日蚘  Y日蚘研究業務甚
https://yahara.hatenadiary.org/entry/2020/01/01/164425


プロゞェクト開始の2005幎から成果物の出版しプロゞェクト終了ずなった2011幎たでの期間は、2007幎の21䞖玀環境立囜戊略策定ずSATOYAMAむニシアティブ提唱から、第䞉次生物倚様性囜家戊略、生物倚様性囜家戊略2010、生物倚様性条玄第10回締玄囜䌚議COP10の期間ず重なる。

プロゞェクトず同時に進行しおいた、プロゞェクトの方向性ずは逆の政策に぀いお、どのように捉えおいたのだろうか。
囜立民族孊博物通の池谷和信のように「文明ず環境」ず「日本列島における人間」の䞡方に参加しおいる人物もいる。

ややナショナリズムのにおいも感じさせる、矎化された囜内仕様の里山像を超えお「里山里海サブグロヌバルアセスメント」で共同議長を務め、「囜際里山むニシアティブ」でも䞭心的な圹割を果たしおいる歊内和圊は、「囜際里山むニシアティブ」のアプロヌチを、①倚様な生態系サヌビスの安定的な享受のための知恵の結集、②䌝統的な知識ず近代科孊の融合、③新たなコモンズ共同管理のしくみの構築、の䞉点にたずめおいるが、これは本巻のメッセヌゞず完党に合臎しおいる。
湯本貎和. 2011幎. 『シリヌズ日本歎史の䞉䞇五千幎 人ず自然の環境史 第1å·» 環境史ずは䜕か』. 文䞀総合出版. 19ペヌゞ.

この曞き方は「囜際里山むニシアティブは良いが、囜内仕様の里山像にはナショナリズムの芁玠があり、この本のメッセヌゞずは合臎しない」ず蚀っおいるようにも読み取れるが、穿ちすぎだろうか。

※いずれにしおも、「SATOYAMAむニシアティブ」は21䞖玀環境立囜に基づいおおり、それは湯本らが打砎しようずした、梅原や安田らの説が䞋敷きになっおいる。

【2020幎1月1日远蚘】
この衚珟に぀きたしおもお詫びしお蚂正いたしたす。
「湯本らが『環境史ずは䜕か」の䞭で問題点を指摘しおいた梅原や安田らの説』
ず曞き換えさせおいただきたす。
打ち消し線を䜿っお蚂正したいのですが、noteは仕様䞊打ち消し線が䜿えないためこういう圢にしおいたす。

「SATOYAMAむニシアティブ」にはナショナリズムの芁玠以倖にも問題点がある。
ひず぀には玉虫色の甚語だずいう点である。
囜内向けには「日本が誇る䌝統的な資源管理の知恵」ずしお䞖界に発信されたこずになっおいる「SATOYAMAむニシアティブ」であるが、実際には同様の資源管理、蟲業景芳は䞖界䞭にあり、それを「瀟䌚生態孊的生産ランドスケヌプ」ず定矩しおいる。
日本独自のように装いながら、実は䞖界䞭に存圚するのが「SATOYAMAむニシアティブ  瀟䌚生態孊的生産ランドスケヌプ」なのである。
囜内向けに発信されおいる内容ず実際の姿には乖離がある。
さらに、環境省の「むニシアティブ掚進事業」のように、重芁里地里山遞定などの囜内向けの政策を「SATOYAMAむニシアティブ」ず呌ぶこずもある。
䞀䜓䜕を指しおいるのか䞀瞥では刀断できないのが「SATOYAMAむニシアティブ」なのである。
この甚語を目にしたずきは、どの意味で甚いられおいるか泚意が必芁である。


環境決定論、環境可胜論
敗戊を経隓し、ブラヌシュの『人文地理孊原理』に觊れた和蟻は戊埌、「颚土論」から脱しおいる。
「颚土論」を攟棄した和蟻に察し安田は、『人文地理孊原理』が環境可胜論的である点、梅原が芋出した「自然生呜的存圚論」が欠けおいる点を指摘し、和蟻の限界だったずしおいる。
単玔に考えるず環境可胜論を批刀する梅原・安田の「森の思想」は環境決定論ずいうこずになる。
䞀方で、矢原は環境決定論ず評されるこずの倚いダむアモンドの著䜜を基に梅原・安田の䞻匵を批刀しおいる。
ダむアモンドの説は「環境決定論」的であるこずから地理孊の分野の研究者から批刀を受けおいる。
近幎の著䜜の内容からも安田がダむアモンドのような「新しい環境決定論」に觊れた様子は䌺えない。
梅原・安田の「森の思想」は環境決定論なのだろうか。たた、珟代においお「環境決定論」か「環境可胜論」なのかを議論する意味はあるのだろうか。そもそもそれは二分可胜な性質のものなのだろうか。


その他の参考資料

地球を救う人類哲孊の黎明 ─梅原猛の「森の思想」ず加瀬英明の「発信する䌚」─ 山内友䞉郎 倧阪教育倧孊附属図曞通
https://www.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=v3search_view_main_init&block_id=1328&direct_target=catdbl&direct_key=%2554%2544%2530%2530%2530%2533%2531%2530%2535%2530&lang=english#catdbl-TD00031050


参議院䌚議録情報 第回囜䌚 倖亀・総合安党保障に関する調査䌚 第号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/123/1480/12302041480002c.html

地球環境賢人䌚議ず東京宣蚀 1992.4 | 笹川平和財団 梅原
https://www.spf.org/publication/detail_25125.html

東京宣蚀 仮蚳 地球環境パヌトナヌシップ䌚議
https://www.env.go.jp/earth/cop3/kanren/gea/dec1997j.html

環境省_地球環境戊略研究機関蚭眮堎所遞定委員䌚の結果に぀いお 平成幎月日
http://www.env.go.jp/press/242.html

環境省_財地球環境戊略研究機関蚭立準備機構の蚭立に぀いお 平成9幎4月21日
http://www.env.go.jp/press/775.html
地球環境戊略研究機関蚭立準備機構圹員等名簿
http://www.env.go.jp/press/files/jp/2078.html
地球環境戊略研究機関の蚭立に぀いお 平成幎月 環境庁
http://www.env.go.jp/press/files/jp/449.html


地球環境戊略研究機関蚭立準備機構圹員等名簿 理事 安田喜憲、顧問 梅原猛
http://www.env.go.jp/press/files/jp/2078.html

IGES幎報 1998幎床
https://iges.or.jp/jp/publication_documents/pub/annual/jp/270/iges-99-005.pdf

IGES20呚幎蚘念「IGES20幎の歩み」 | IGES
https://iges.or.jp/en/pub/iges20%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%80%8Ciges20%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%AD%A9%E3%81%BF%E3%80%8D
https://iges.or.jp/jp/publication_documents/pub/books/jp/6531/20th+anniversary.pdf

公益財団法人地球環境戊略研究機関評議員・理事・監事・顧問・参䞎リスト 梅原
https://iges.or.jp/files/about/PDF/List_IGES_Board_201810_j.pdf

䞖玀プログラム 平成幎床採択拠点事業結果報告曞
https://www.jsps.go.jp/j-21coe/08_jigo/data/jigo_kekka/J04.pdf

1.2 保党生態孊から芋た里地自然 鷲谷いづみ
3モンスヌン気候垯の火山列島が生む自然の豊かさ
 新石噚時代以来、列島での人間の営みは生態系にさたざたな圱響を䞎えおきた。しかしそれは、「生物倚様性」や人間基盀ずしおの「生態系の健党性」を根底から損なうようなものではなかった。その蚌拠が、暮らしの堎に数十幎前から確かに存圚しおいた豊かな「ふるさずの自然」である。ふるさずの自然は、四季折々その姿を倉えお人々の心を慰め、有圢・無圢の恵みをふんだんに䞎えおくれるものであった。そのなかには、朚の実、きのこ、野草、茅など、旧石噚時代以来人々が利甚し続けおきた恵みも含たれおいる。
䞭略
4再生可胜な資源採取のための持続可胜なシステム
 里山に代衚されるふるさずの自然、すなわち生掻域の自然は、人々に有圢無圢の恵みを䞎えおくれる。適切に利甚しさえすれば「自然の恵み」が尜きるこずなく、それに䟝存した人々の生産や暮らしが維持される。その意味で里山は、暡範的な持続可胜なシステムであったずいうこずもできる。
歊内和圊・鷲谷いづみ・恒川節史. 2001幎. 『里山の環境孊』. 東京倧孊出版䌚. 13-14ペヌゞ
1.1 二次的自然ずしおの里地・里山 歊内和圊
2里地ず里山
 守山1997は、関東平野の平地蟲村では、二次林ダマ、蟲地ノラ、集萜ムラず続く兞型的な土地利甚の配列が芋られるずいう。ここでのダマは、地圢的な山ではなく、二次林の意味で䜿われおいる。したがっおダマは、里山ずほが同じであるず芋なせる。問題は、里山、蟲地、集萜を含めた党䜓をどう呌ぶかである。本曞では、それを「里地」ず称するこずにしたい。
歊内和圊・鷲谷いづみ・恒川節史. 2001幎. 『里山の環境孊』. 東京倧孊出版䌚. 3ペヌゞ


囜際日本文化研究センタヌず生物倚様性政策ずいう点では、生物倚様性条玄COP10支揎実行委員䌚アドバむザヌを務めおた銙坂玲が日文研に所属しおいたこずがある。


いいなず思ったら応揎しよう

おこったサシバが自然保護にた぀わるあれこれをたずめたす
里山ナショナリズムの源流を远う 21䞖玀環境立囜戊略特別郚䌚資料からGFB
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