▶ 塩谷直義の映画『 PSYCHO - PASS PROVIDENCE ( 2023 ) 』について哲学的に考える

 

 

 

CH. 1 ジェネラルという紛争・暴動測定システム


1.  人間の精神状態を測定する日本の社会管理ネットワーク、シビュラシステムは、犯罪を未然に防ぐ目的で個々人の犯罪係数を数値化表出する。それによって犯罪を犯していなくとも潜在犯として裁く事が可能になる世界が舞台となる。これが管理社会と人間存在の齟齬を描くアニメ PSYCHO-PASSの基本的世界観だが、シリーズ10周年の集大成的映画「 PSYCHO-PASS  PROVIDENNCE ( 2023 ) 」は、このシュビラシステムを補完するジェネラルというシステムを出現させる事で物語にさらなる深みを与える。

  シュビラシステムが個々の人間精神を測定数値化するシステムであるのなら、ジェネラル世界規模の国家間・民族間の紛争・戦争等の暴力度を測定数値化するシステムだという ( 2~4 図 )。元外務省海外工作部隊の武装組織ピースブレイカーの首謀者、砺波告善 ( となみ つぐまさ ) が語るには、ジェネラルとは、元はサイコハザード対策の医療用AIとして開発されたシビュラの補助システムとされる。それを仕様変更してジェネラルは作られた ( 1 図 )。

「 文書と呼ばれているが実際はシュミレーター理論だ。民族対立や大衆の暴走を予測し、数値化した紛争係数を測定する 」by 甲斐・ミハイロフ

「 これを使えば紛争を事前に防ぐ事も拡大させる事も可能だ 」by 甲斐・ミハイロフ

 

2.  興味深いのは、そのジェネラル開発過程において、ピースブレイカーの兵士がテロリスト、つまり犯罪者でありながらもシビュラシステムの犯罪数値計測の対象外となるよう特殊設定されているという事。なので公安局の刑事らは所持する対犯罪者特殊拳銃、ドミネーターが使用解除されずテロリストらに苦戦する。その特殊設定が個々の兵士の脳に埋め込まれているディバイダーとなる ( 5~8 図 )。

 

「 ディバイダーとは? 」by 狡噛慎也

「 精神を分割する装置だ。自分を別の人間のように認識し、罪悪感を別の人間に委ねる事が出来る 」by 甲斐・ミハイロフ

 

図 6 「 砺波告善、あなたを逮捕します 」by 常守 朱 ( つねもり あかね )

図 7 「 犯罪係数48。執行対象ではありません 」by シビュラシステム

図 8 「 残念。お前たちの神は俺を認めている 」 by 砺波告善

 

3.  ただし、ジェネラルは、兵士をその肉体が損傷しても構わず戦わせようとするディバイダー回路の構築には成功してはいるものの、紛争係数を計測数値化する権力構成システムとしては未だ未完成のまま。その部分を完成させる為に砺波告善は、ストロンスカヤ博士の研究成果 ( 通称ストロンスカヤ文書 ) を奪おうとする所からこの物語は始まる。ピースブレイカーに潜入していた外務省の秘密捜査官、甲斐・ミハイロフは砺波の手に渡さないようする為に博士のデータを自分の脳内チップにインストールする ( 図 2~5 )。これを巡って熾烈な戦いが繰り広げられる。

 

 

4.  では、ジェネラルの完成に固執する砺波はたんなる人々を支配しようとする権力欲からそうしているのか?  いや、そうではない。彼は言う「 人が人を支配するのはそこに貧富の格差、不平等があるからだ。それは絶対的な力でしか是正出来ない 」と。そこには彼なりの歪んだ正義感がある。

  おそらく、それは彼が海外で紛争地帯で活動する中で直面した苛酷な現実がそうさせたのかもしれない。この辺りは、劇場版三部作『 PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System 』の三作目に当たる「 Case.3 恩讐の彼方に __ 」( 2019 ) においてアジアの紛争地帯での戦いに否応なく巻き込まれていった狡噛慎也 ( こうがみしんや ) にも共通する所ではあるともいえる。  

 

5.  さらに砺波は言う「 人を支配するのは全てを平等に裁定出来るAIでなければならない 」と。 ここには彼の人間の権力欲へのどうしようもない絶望感が現れている。人間が人間を支配してはならない、という理想ではあるが不可能な真理に彼は辿り着いている。そこでは AI が社会管理システムとなるのだから人間の権力欲は解消されて神への感謝となり、神の元で生きる事を人間は意識すべきだという宗教的世界観を砺波は主張する。確かに、明らかな事に砺波は登場シーンから疑似宗教指導者として描かれている。

 

「 人は神の名にのみ従い、生きるのだ 」by 砺波告善

 

 

CH. 2  AI と法


1.  AI の全能性を信じる砺波に常守朱は反対する。AI は全能ではない、間違う可能性もある、と。常守は公衆の面前で公安局長の禾生壌宗を射殺してしまう事で、シビュラシステムの機能不全を自ら証明してしまう。シビュラシステムも犯罪係数を計測出来ない事があるのだ、と世間に知らしめることで "法" の必要性・重要性をその行動で以ってし示した。AI のみで犯罪を防止する事は出来ないし、予測に反して起きてしまった犯罪、AI により冤罪判定される可能性、等の諸々の事態にはやはり法で対応しなければならない状況は多々起こりうるという警鐘です。

  

2.  システムが例外なき一般性、つまりジェネラル ( general ) に基づく権力統治を可能にするとしても、現実にはシステムが計測出来ない例外が多数起こりうるし、逆に言うと、そのような例外が無ければ一般性も成立しない。例外があるからこそ一般性という概念も成立する。全てが一般的であるのなら、一般性はそのような状態の中に溶け込んでしまい、もはや一般性という視点を可能にする場もなくなる。それはある意味で "無" だとすらいえる ( 政治的には究極の全体主義になる )。なので法の裁きとは AI のような超越的一般性に基づいた政治的なものではなく、ケースバイケースの局所性・例外性を可能な限り尊重するものであるべきかもしれない。そうでなければ平等性は権力によって幾らでも改竄されうる分配物でしかなくなってしまう。『 PSYCHO-PASS 』シリーズ全体がシビュラシステムという全体性的統治権力に対する暗黙の抵抗 ( 様々な立場における ) を描いているのは明らかなので、間違った見方ではないでしょう。

 

3.  最後に考えてみたいのは、常守朱が如何なる意味で、シビュラシステムの執行対象外であるという例外たりえたのか、という事です。よく言われるのが彼女は免罪体質なのではないかという考え方です。確かにそうかもしれない。しかし、それは限りなく犯罪者的資質を抱え込む者に対して適用される設定概念であり、彼女がそういう人間かといわれると微妙な所ではある。

  ここで最も刺激的な考えは、常守朱も射殺された禾生壌宗と同様、ある種の義体、システムによる脳化処理を施された義体ではあるが極めて人間に近い存在、人間に戻ろうとしている存在、なのではないかという事です。

  リドリー・スコットの映画『 ブレードランナー 』におけるデッカードのように。彼は自分がレプリカント ( アンドロイド ) である事を忘却して人間だと思いこんでいるのです。限りなく人間に近いから、これまでも犯罪係数が全く検出されないという訳ではなかったのですが、今回のように明らかに禾生壌宗に対する殺意を持っていたにも関わらず対象外だという事態が起こると、そうのようにも考えてみたくもなる。

 

 

 

                〈 END 〉

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