marsytのブログ

死ぬ前に終わらせたいです

株式会社日立産業制御ソリューションズに関わるブログ投稿に関する件

ブログについての補足:

労災申請とその後の対応に関して、自身の経験をもとに広く問題提起を行うことでした。

私の主張や表現に対し、ご不快に感じられた方がいらっしゃいましたら、その点についてはお詫びいたします。
ただし、以下に記す内容は、すべて私が直接体験した出来事と、労災手続きに関する公式文書(例:労災保険事件 平成30年労第438号)に基づいて記したものであり、社会的な関心事として取り上げる意義があると考えております。


【投稿内容(抜粋・一部補足)】

株式会社日立産業制御ソリューションズ(以下、日立ICS)および親会社である株式会社日立製作所に対し、労災案件に関する再検証と誠実な対応を求めます。

私は同社在籍中、精神的な不調をきたし治療を受けていましたが、通院中であることを会社に伝えていたにも関わらず、業務配慮がなされず、深夜残業・休日出勤を含む勤務を継続させられた結果、病状が悪化し、休職に至りました。

労災申請にあたっては、労働基準監督署(以下、労基署)による関係者聴取が実施されましたが、その中には「メンタルの人」「メンタルで休んでいた時期があった」といった、私の名誉を傷つける表現が記録されており、しかもそれらの内容には事実に基づく証拠が確認されていません。

また、複数の関係者による証言が不自然に一致していた点について、労基署が十分な裏付け調査を行っていなかった疑いがあり、そのまま「業務起因性なし」と結論付けられたことは重大です。

さらに、再審査や裁判においても、弁護側による証拠提出の不備があり、私が提供した資料(1000ページ超)を提出せずに終結する事態となりました。

こうした一連の経緯に対して、関係各所が真摯に向き合い、必要な再調査・再検証が行われることを切に望みます。


私はこの件を、企業・行政・法曹の連携による「構造的な不適切対応」として捉えており、再発防止の観点からも、こうした声を公にすることが公益に資すると判断しています。
繰り返しになりますが、特定の個人や企業を中傷する意図はなく、問題の本質に社会として向き合うべきという立場から発信しています。
何かご指摘等がある場合は、具体的な証拠とともにお知らせいただければ、私としても誠意をもって対応いたします。

幼稚園に乗り合いバスで通っていた日々(2)~「幼稚園児、任務失敗につき猛反省」

幼稚園の話の続き

ところで、わりとませてたのかなあ。女の子のことをいつも意識してました。記憶にあるのは、髪の毛が茶髪というよりも赤毛の子がいてその子のことがすごく気になってました。幼稚園のなにかの集会で体育館みたいなところにみんなが集まった時に、列の後ろの方でその子と話して?(会話になっていたかは謎)たりしてた記憶がある。あとは、何となく仲良くなったりする子が何人かいました。

そんなふうだったけど、どこかに優しい気持ちはあったのかも知れない。いや、どちらかといえば下心があったような気がする。だって、子供のころから少しえっちなところがあって、女の子には関心があったもん。

そんな風だから女の子が関われば、断ればいいものを断れず、悲劇を生むことになるのです。

ある日、幼稚園の帰りに先生からバスターミナルで年少の女の子をちゃんと目的のバス停で降りるまで、面倒を見てほしいと頼まれたことがありました。僕と同じ方面のバスに乗って帰るから、下りるバス停を間違えないようにみてあげてねとのことです。

ところが、僕はその子と一緒に急行バスに乗せられてしまったのです。彼女が降りるバス停は急行は止まるけど、僕の降りなきゃならないバス停は普通バスしか止まらない。そんな事情を先生が知ることもなく。僕が「急行はダメ!」っていう間もなく、バスは出発してしまいました。

乗ったらもう、運命の歯車はもう止まらない。

僕には、その子をちゃんと決められたバス停で降りるまで見届けなければならない。だから、バスが走っている最中はその子の傍でずっと見守ってました。その子のことを小さくてかわいいなあなんて思いながらも、何もしゃべらずにいました。やがて、目的のバス停に着いてその子をちゃんと見送りました。

それからが大変。バスはどんどん僕が降りるべきバス停に近づいていくけど、どうしたらいいのか考えが浮かばない。僕はおバカちゃんだから、どうすればいい?なんて全く思いつきません。

とうとう、自分が降りなくちゃならないバス停を通り過ぎてしまいました。

ここは、もう小さい子供がとれる最後の手段、バス停で降りられなかったことを理由に大泣きし始めました。そうしたら、しめたもの、車掌さん(この時代ではまだワンマンカ―なんてなかった)が僕の定期を見くれて、降りられなかったことに気づいてくれて通り過ぎた次のバス停で止まってくれました。

それで、車掌さんは僕が無事帰れるように、反対方向へ行く道路の反対のバス停で、一緒に次のバスを待ってくれたのです。ようやく、バスが来ました。その車掌さんが、ちょうど来たバスの車掌さんに説明してくれて、僕が降りるべきバス停で降ろしてもらえることになりました。

良かった。

でも、その間それまで乗っていたバスをどれくらい止めてしまったのか、さっぱりわかりません。間違いなく、他のお客さんにはいい迷惑だったと思う。ごめんなさい。

世の中はまだ寛容性があったのだと思います。

 

幼稚園に乗り合いバスで通っていた日々(1)

幼稚園は小学校入学の2年前からちゃんと通ってました。

今では、ほぼいないと思うけど、乗り合いバスで自分の定期を持って一人で通ってました。同じ地域から別のバス停から乗ってくる子は3人くらいはいました。僕がバスに乗る停留所からは僕ひとりだけでした。

今は幼稚園の送迎バスが当たり前だけど、当時は乗り合いバスで幼稚園に通う子供はそれなりにいました。

バスでは8km離れた市の中心街、駅近くのバスターミナルまで。20分くらいだった?

僕が乗っていたバス会社の路線は、バス停すべて止まる普通バス、それと、いくつかのバス停を通過する急行、特急なんてのがあって、僕が乗るバス停は普通バスしか止まりませんでした。だから、いつも普通バスにしか乗りませんでした。でもそのことで、あとでちょっとした事件が起こりました。

バスターミナルでバスを下りたら線路沿いを歩いて、線路のアンダーパスを通り抜けた先に幼稚園はありました。今は、駅は高架になっているから幼稚園までは割と近くに感じると思う。

カトリック系の幼稚園で、当時の先生はみんな修道服でした。

毎日、どんなふうに過ごしていたかなんて覚えてないけど、弁当をもって行ってました。

あとは、運動会やクリスマス会があったと思います。たまに、教会みたいなところでお祈りの時間がありました。

教会は暗くて寒かった。だいたい、前を見ると、正面になんか十字の棒に張り付けられたほぼ全裸の人が磔られていました。そんなの見せられてお祈りをしていました。

僕は他の子供達と比べて、性格や行動面はかなり違っていたから先生方は手を焼いていいたと思います。

学校も含めて幼稚園のような集団生活するような場所には向いてなかったと思います。とにかく、わがままでじっとすることができない、落ち着きのない子供でした。

それに僕は、当時吃音があってちゃんと喋れないもんだから周りの子たちから「ぎーぎー」って呼ばれてからかわれてました。

幼稚園では、気に入らないことがあるとかんしゃくを起こして、おもちゃを窓の外へ放り投げたりすることもありました。そんな時は、先生から思いっきり怒鳴りつけられて「なんてことするの!」と外に拾いに行かされました。

まあ、まともな子供じゃなかったのは確かだと思う。

それとあんまり楽しかった思い出も記憶にありません。

今、思えば、よくもまあ、2年間も幼稚園にバスに乗って通っていられたのか不思議でなりません。

でも、ある日一緒の地域に住むだいたい僕の次のバス停から乗る子らと示し合わせて、「明日、遠足があるということにして、おやつを持って、行きのバスの中で一緒に食べよう。」なんて話になりました。

次の日の朝、突然、朝になって母に「遠足があるから、おやつを持っていくんだ。」なんて話をしたら、大変。急いで、バスの時間の前にお菓子を買いに行って、しっかりおやつを手にしてバスに乗っていきました。

行きのバスの中で、友達と一緒におやつを食べて幼稚園に行きました。心苦しいけど、ちょっと楽しかった。

ごめんなさい。お母さん。

(続く)

最近の出来事から思うこと:組織の論理と正義の行方 —— 私が見つめた現代の構造

ある極限の想像をしてみた。仮に、死刑囚が男女合わせて1万人存在し、近く死刑が執行されることが決まっていたとする。だが突然の出来事により、地球上に善良な市民がたった一人しかいなくなった状態となってしまったとしたら――この状況では、たとえ死刑囚であっても死刑の執行はできなくなる。

なぜなら、仮に死刑を実行してしまえば人類は滅亡してしまうからだ。ここに、私は“組織の論理”というものの原型を見る。

個人が多少犠牲になっても、それによって「組織が守られる」「全体が維持される」のであれば、それが正しいとされる――今の社会には、そんな前提が静かに、しかし深く根付いているように思う。

組織を守るという論理。それは、時に「真実」や「正義」よりも優先される。ひとたび組織のイメージや信頼が損なわれれば、内部に属する多数の人々の生活や地位、関係企業や社会全体に波及する恐れがある。そのため、組織防衛は最優先事項となり、逆に言えば、個人の苦しみや訴えは“些細なこと”として扱われてしまう。

しかし、果たしてそれでよいのだろうか?

個人の痛みを無視して成り立つ組織は、果たして健全なのだろうか?

私は、正義とは単に「大多数にとっての利益」ではなく、「少数であっても真実を尊重すること」だと思う。けれど今の社会では、組織と個人を天秤にかけ、組織のほうが重ければそれが正義であるかのような錯覚が常識化してしまっている。

それは静かな暴力であり、倫理の摩耗だ。

声を上げた者が排除され、沈黙する者が守られる構造が温存される限り、私たちは“正義”の顔をした組織の中で、自らの感覚を麻痺させながら生きることになる。

私は、そうはなりたくない。

だから、私はこの文章をここに記す。たとえそれが誰かに届かなくても、今この時代に、個人が正義を問い続けていたという記録が残れば、それでいいと思っている。

最近のメディアを賑わせている事件とは、そういうことなのだとおもう。