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        【第十場】










森は幾重にも、闇を閉ざす。





その一隅に、光は落ちる。







夜に慣れた目に、火の粉が染みる。
焚火の傍ら、毛皮に包まる。
雪は収まり、明日にはベロゴールスクに着く。
毛皮が二つ、朱に染まる。
静謐な闇は、虚空の果てに俺達を誘いこむ。
薪のはぜる音が、虚実の狭間に俺達をいざなう。


「僕は、君が、気に入っているのかもしれない。」
炎に操られるように、お前の口が開く。
「安心しろ、許婚とは、必ず結婚させてやる。」
欠伸を噛み潰すように、おれは答える。
瞼が緩やかに重い。




こんな安らかな夜はもう来ない。



揺れる炎に、昨日は燃える。
乱れる炎が、明日を燃やす。
上がる炎に、夜だけが、二人の間に息を潜める。




黒い瞳に、火が移る。
瞳と身体が、朱に染まる。


火の粉に滲む瞳の向う、みずかの顔が揺れて、消えた。


業火に巻かれる、男が見える。
ひた走る橇は、蒼い臨界に向い。
昨日と共に、自分は弔われる。
あの夜の慟哭が、胸を抉り出す。
あの夜の祈りが、思いを引き摺り出す。
無窮の闇は、心の奥底を照らす。


炎に包まれたタニの翳は、気づかぬうちに、起き上がる。
炎を映すりかの瞳に、自らの影が揺れて、浮き上がる。
息をするのも忘れてしまった。
時は炎に溶けてゆく。
包む毛皮は、剥がれるように滑り落ちる。
煉獄の炎に魅入られた、天使の指が黒い髪に伸びる。




「無残に果てる、それもありか。」




りかの口の端が、酔うように上がる。
惑う天使の指は、盲いた者のように男の顔を這う。
薄く艶めく唇を、渇えた口の端に寄せる。
燃えるように舌が、溶ける。
深く密やかに熱情が、目を覚ます。
首筋を、肩を、背を、そして全てを確かめたくて掌をまわす。


指が、髪が、もどかしげに絡みあう。


強張る眉間を見つめながら、天使の皮を殺いでゆく。
抉るような舌を味わいながら、天使の羽を毟りとる。
熱い吐息に酔わされながら、俺の虚飾が砕かれる。
縺れる髪に嬲られながら、俺の虚勢が剥がされる。





閉ざされた闇の奥深く、蠢くように俺達は迷い込む。





囚われ人のように、俺はお前に組み敷かれる。
瞳に繋がれた俺達は、緩やかに溶けてゆく。
唇が流れあい、熱く身体を焼いてゆく。
目が眩むほど、祝福に晒され。
喉が詰まるほど、虚無に溺れる。
剥き出された心の求めるまま、お前を固く抱き締める。
遥かな空に飛び立つように、天使の口は緩やかに開く。
ひたすらに追い縋り、お前を強く引き寄せる。
俺を覆う身体が、波を打ち大きく仰け反る。


淡く微笑むように、赤く唇が動く。


零れ落ちる息の下、俺達の名が混ざりあう。
崩れ落ちる夜の下、俺達の身体が混ざりあう。
そして言葉は、滅び去り。
相容れない俺達は、溶けあい一つの流れとなる。












俺達の祈りは、天に届く筈も無く。


永劫と思える程の、刹那の闇に陥ちてゆく。










贖いを乞う様に、俺はお前を抑えこむ。
闇よりもなお深い瞳に、薄く涙が伝う。
掬い取る俺の舌は、顎を伝い、
喘ぐ喉を、震える胸を、何もかもを貪るように滑る。
運命を紡ぐ白い指が、微かに求めるよう動く。
絡め取る俺の指は、身体を探り、
爪を立て、掻き毟り、狂ったようにお前を求める。


敷く毛皮が、頬を擦る。
大地と炎が、匂い立つ。
彼の吐息が、身体中をかき回す。
絞るように、声が洩れる。


それは彼と同じ、祈りなのかもしれない。








りかが天を覆い尽くす。


俺の下でお前が喘ぐ。
覗く舌が、細く糸を引く。
たまらずに俺は喰らいつく。


幻惑の炎の中、俺達は貪りあう。


吸い付くような肌が、胸を弄る。
波打つ翼が、身体を包みこむ。
組み敷く背に滲む汗が、馥郁と匂い立つ。
滑らかな光沢の中、肩甲骨が浮かび上がる。
散る羽根は火の粉となり、天に舞い上がる。
羽ばたくように反り返る背の、弾力が心地よい。
溶けあう汗が、涙が、朱を受けて金に煌く。



仰ぎ見るりかの彼方、高い峰が朧げに浮かぶ。







なお高く、天は聳え。




闇の尽きる遥か、大鴉が鳴いた。














       








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