【第八場】
オレンブルグは撃って出ない。
帝政ロシアの足元が揺らぐ。
蜥蜴の尾のようにベロゴールスクは見捨てられた。
みずかは裏切り者の司令官きりやの元だという。
若者を待つ娘。
あてど無く、鞍が揺れる。
空の遠く、風が過ぎてゆく。
渡る風に、雪の匂いが混ざる。
そして、ぎこちなく天を仰ぐ。
押し込めた痛みが、背を伝う。
そして、男を思い出す。
歪めた口の端が、嘲笑だったなら。
細まる瞳が、軽蔑だったなら。
吐息は、慟哭だった。
口付けは、祈りだった。
男は、跪いていた。
手綱を大きく引き上げる。
世界がぐるりと旋回する。
幾つ砦を陥としたのか、
もう数えることは、忘れてしまった。
モスクワに近づくにつれ、戦いは激しさを極めた。
女帝エカテリーナの重い腰が上がる。
皇帝の末裔の疲れも極限に来る。
今宵も本陣で宴会が開かれる。
士気を高めるためだ、それも仕方ない。
女達がしなだれかかる。
男達が酒を飲む。
嬌声が渦を巻く。
踊りが輪を作る。
女達が匂う。
今夜はやけに、鼻につく。
踊りの輪に入る。
踊り子の黒い瞳。
若者が、よぎる。
杯を飲み干す。
こんな夜は酔えない。
絶え間無く酒が注がれる。
今夜の酒は、苦い。
千切れた毛皮の名残が、どうしても捨てられない。
馬鹿馬鹿しいと思いながら、護符にする。
首から下げたそれが、熱を持つ。
黒い瞳の女を選ぶ。
「申し上げます。」
ゆうひが広間を切ってくる。
「敵の将校を捕まえました。」
揺れる人波が遠くなる。
「孤児を助けにベロゴールスクへ行く途中で、捕まった。」
「どういう事だ。」
「司令官に囚われているらしい。」
若者の瞳が泳ぐ。
「僕の、許婚だ。」
搾り出すように言葉を吐いた。
砦にいた頃から目をつけていたのだろう。
役人上がりが、やりそうなことだ。
恋人を思い、頭を下げに来たか。
苦い酒を飲み干す。
「直ぐに立つ、誰か橇の支度だ。」
人波が割れる。
「この男の処分は後で考える。」
ゆうひが駆け寄る。
止める声に貸す耳は無い。
人波が、大きく割れた。
天使は俺を、何処に牽いてゆく。
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