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スダチの不登校ビジネスに反論します

個人的な体感だけど、少し落ち着いてきたのであの話をしようと思う。

あの話とはスダチのこと。

不登校界隈を震撼させた、3週間で再登校できるをキャッチコピーに掲げる不登校支援のあの会社。その再来とあって、SNSでは批判を集めた。スダチは行政と連携して学校の場で試行を始めたと発表したけれど、その後板橋区が「連携の意識がなく」と撤回したことで収束したとか、しないとか。

あれはスダチが前身の逸高等学院だった時。不登校は親の責任だと言い放って、反論する人達を相手に罵倒していた。不登校は親次第というスダチメソッドとやらが主軸にあったようだけど、それは今も健在の様子。学校に行けなくなった子供からテレビやスマホやPCなど娯楽一切を取り上げて、自立を阻む甘えには手を貸さないという手法を伝授するのだとか。

心理士に頼りながら歩んできたわたしには、1ミリも共感できなかった。子供本人には全く会わずその背景すら知ろうとせず、親をコントロールして再登校児童数を獲得しようとするそのやり方。「不登校の9割は親が解決できる」そんな呪いをかけられた親は、再登校を果たせなかった場合でも自分を責めることになる。おまけに再登校できれば会社の実績。商売上手だ。

『親が変われば子も変わる』

この文言を、「親が毅然として振る舞えば子供は学校へ行けるようになる」そういう意味で使っているようだけど、わたしが教えられてきたこれまでを辿れば「不登校を許さない親の考えを改めることで、子供は安心できる居場所を確保でき、心の安定を図れる」と解釈する。

心身共に充分な休養ができた時、自分のことを考える一歩を踏み出せる。そうなっていくことを子供の変化、子を支える親の変化と呼ぶのだと思う。親への申し訳無さも、親を困らせているという罪悪感も、学校に行かなければいけないという焦りも、例え親が何も言わなかったとしても、子供は親から感じ取る。そして自分を責めている。どんな時でも子供の味方であれと言われてきたけれど、親が自分に肯定的で自分を受け止めてくれるという確信がなければ、子供は心を開かない。親が学校に行くよう仕向ければ子供はそれを察するもので、親の顔色を伺いながら再登校するかもしれない。それは表面上では解決したように見えても、理解されない心の傷は生涯持ち続けることになったりもする。親に理解されずに辛かったとネットで吐露する人を見かけるたびに、胸につかえた切なさは、大人になってもその人を苦しませることに気づく。

社会はそんなに甘くないのだと、学校へ行くよう叱咤激励をしてくる人がいる。このくらいでへこたれてどうすると、息子も不安を煽られた口だ。本当に余計なことをしてくれる。わたしの息子にも完全不登校の時期があったが、その期間毎日のように悩んでいたのが先生から言われた未来を閉ざす言葉だった。

そうじゃない、分かってない。行きたくない原因は必ずあって、ハッキリしている場合もあるし複数が重なり合っていることもある。不登校といっても人それぞれで、その期間もその経過もみんな違う。子供の上辺しか見ていない人に、子供の将来を壊すようなことを自分の正義を盾に咎めることは、何があってもして欲しくない。

不登校中の、終わりの見えない閉塞感に親は感情が削ぎ落とされていく。誰からも知られないようにして、こっそり泣くことだってある。もういいんじゃないかと声をかけるまでには、学校はそんなに暗い顔をして行くところなのかと随分悩んだ。息子の場合はその原因も明瞭だったし、学校側が責任を放棄したことで諦めがついた。登校に終止符を打ったのはわたしだ。これ以上の登校は危険と判断したからだった。

行かなくていいと言ったときの息子の顔は、今も脳裏に焼きついている。目に涙を滲ませて、何かを考えるようにして俯いていた。不登校になったのは、それから。

子供が不登校になって感じたこと、それは世間から孤立する感覚を味わうんだなということ。子供自身もやるせなさや悔しさを感じていて、溜息混じりにポツポツと漏らす姿は生気のない抜け殻のようだった。それを見ているのは辛い。五月雨登校でもいい、学校に行って欲しいという気持ちはわたしも持っていた。不登校支援にすがる思いは理解できなくはない。親の苦しさだけじゃなく、子供の為にと思うところだってあると思う。

けれど、子供が学校に行けなくなる原因にはそれぞれの背景がある。一つのやり方で網羅出来ると思うのは危うい。子供が学校を休みたいと訴えてきたら、それは既に頑張ってきて限界を迎えている時。休ませるしかない。子供の様子を見ていれば分かる。それ以外の選択肢など、ないんだっていうことを。


学校に通わなくても未来はなくならないし、取り返しのつかないことにもならない。集団の場から去ったとしても、人間性が育たなくなるわけじゃない。学校を卒業してからの人生の方がずっと長い。右へ倣えの学校よりも、選択できる生き方の幅は広がっている。


子育ては親の考えを子供に教えることが大半で、それは礼儀だったり躾だったりもする。どこの家庭にもある姿だし、決められたルールを伝えるのは親の役目だとも思う。けれども子供が不登校になった時、親の役目の延長線上に「不登校は解決するもの、親が変われば子供も変わる、子供が変われば学校へ行く」そんな風潮になってはいけないし、そうなっていくことがとても怖い。子供の心はロボットじゃない。親や周りの大人が望むようにはならない。子供の心はとても脆い、そしてとても潰れやすい。それを守れるのはやっぱり大人なのだと思う。

スダチの効果とは何なのか。
登校すれば成果なのか。
 
登校できなくなった子供は皆、心も身体も疲れ切ってボロボロで動けなくなっている。親が我が子を守るべき一大事のときに、耳を傾けず、休ませず、娯楽を取り上げ手を貸さず、再登校を促したとしたら子供の目にはどう映るだろう。再登校を成果と呼ぶのは大人だ。あのとき本当はこうしてあげたら良かったと、親が泣いて悔やんでも遅い。親子の絆が壊れるほどの致命傷を負った子供の心は、親元にはもう戻らないかもしれない。

夏休みが明ける。
この時期は自殺が増える。
子供の心を置き去りにする不登校支援など、決してあってはならない。



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