28-1 御影の影として働いた男の談
朝を迎えた地方都市では、誰もが混乱し困惑していた。
特に動揺していたのは三年生を代表とする卒業生だろう。
多くの学生が学び舎から去る大事な日になるはずだったのに、卒業式を行うはずの体育館は災害避難場所として活用されてしまっている。避難してきた天竜川付近の住民で満員となっており、木床はブルーシートで青々している。卒業生が割り込む隙間はない。
『――地方都市の怪奇を生中継にてお送りいたします――』
「学生食堂も混んでいるかと思ったが、皆は外に夢中で、席は空いているな」
「説明してくれるなら、セーフハウスで良かったのに」
「あそこは俺の知らない場所だ。それに、ここなら朝食を食べながら和やかにネタバレできるだろうさ」
ただし、卒業日として最低であると嘆くには、上空千メートル付近で咲き乱れる桃色の花が鮮やか過ぎた。
地方都市の大部分の日照権を奪う程に巨大で、満開で、不思議な大樹。
風に揺れてひらひらと落ちていく、桃色の花びら。
こんな巨大な桜もどきの木の下で卒業できる学園生は、今後の生活がどんなに不安でも幸せだ。無垢でポジティブに思っていないと、これからの人生やっていられない。
『――そうです。CGではありません。この桜の木に良く似た巨大な木は現実のものです――』
「皐月もコーヒーを飲むのか」
「……御影なら、知っているはずなんだけど」
「ミルクと砂糖を入れる人間か」
「……御影なら、熟知しているはずなんだけど」
地方都市の真ん中に一夜で生えた大樹は、地球上のどの動植物よりも巨大だった。全長千メートルは計測しなくてもギネス級である。
大樹出現の怪奇はローカルニュースとして報道されるだけに止まらない。日本中で、世界中のニュース番組で報じられていた。
学生食堂のテレビでもレポーターと学者が交互に現れては、大樹の正体について憶測を垂れ流している。
『――信じられませんね。悪戯で植えられる大きさではありませんし、そもそも地球上に存在しない大きさの木ですから。……ええ、その通り、これだけの木が一夜で生えるのが可能だとしても、地中の養分が足りませんね』
「皆集まったか。初めて……かは分からないが、自己紹介をしておこう。俺はアイツの親友だったここの大学生、紙屋優太郎だ」
唐突に現れた大樹が原因で、卒業式は軒並み延期されていた。
だからという訳ではないが、卒業生である魔法使いの四人は大学の学生食堂の一角に集まっている。入学先である大学に、一ヶ月早く出向いた訳ではない。
紙屋優太郎はコーヒーを片手に、壁際の席を選び座っていた。
公共の場なので当然だが、顔に黒いマスクを装着してはいない。一般的な大学生の男の顔が見えている。
「紙屋優太郎。一度だけ聞いた事のある名前だけど……」
決戦の大詰めに、黒いバイクで現れた御影らしき男の正体は、この紙屋優太郎だった。
これまで頑なにマスクで顔を隠していたはずの男が、簡単にマスクを脱いでしまった事に少女達は驚いた。
しかし、少女達を一番驚かせたのは、マスクを脱いだ男が己は御影ではないと言い切った事である。
「君は炎の魔法少女だったか。実は、君と氷の魔法少女とは初めましてではない。雷の魔法少女も、顔を見た覚えはあるな」
『――いえ、桜ではないと私は思いますよ。花びらの形は似ているようですが、まったくの別種である可能性が高いです。ええ、すべてはDNA鑑定待ちですが――』
美空皐月は、優太郎なる大学生を憮然とした表情で観察し続けている。優太郎が、御影である可能性を疑い続けているからだ。
真実を見極めるため、皐月は優太郎の正面席を選んで着席していた。
「他人行儀は止めてくれる、御影?」
「俺は優太郎だと自己紹介したはずだが、炎の魔法少女」
「今朝、戦場に黒いバイクで現れた時、アナタは御影そっくりな格好をしていた。あれがただのコスプレだったはずがない」
「アイツと俺は、大学の講義で代弁が可能なぐらいに似ているからな。マスクで顔を隠せば、たとえ恋人であっても気付けなくて仕方がない」
他人を貫く優太郎に、皐月は若干以上に苛立つ。行儀悪く、コーヒーカップを机に叩き置いてしまった程に心が炎上する。
「アナタが御影でしょうッ。そうじゃないと……私が知っている御影は、帰ってきていない事になるじゃない!」
学生食堂の一角にいるのは、優太郎と四人の少女だけだった。
怒りの矛先を向けられた優太郎であるが、彼はまったく動じていない。
皐月が恋人を失ったのなら、優太郎も親友を失った事になる。優太郎の方が少し大人なので感情任せに言葉を荒らげないが、内心で、非情な現実を受け入れたくない気持ちは共感できていた。
「そうだ、アイツは死んでいる。だが、そんなに悲しむ必要はないさ。本当なら一月に成仏していなければならない奴だ。死を悲しむのは今更だ」
「そんなオカルト話で誤魔化さないでッ。私は、アナタが御影だって分かっているのだから!」
皐月は証拠を示すために、席を立ち上がり、優太郎へと手を伸ばす。優太郎の首元を確認しようと、ストライプ柄の黒いシャツの襟を引っ張った。
「この並んだホクロが、アナタが御影である証拠よ!」
御影と初めて会った時――ネット越しで直接対面してはいなかったが――皐月は御影を見分ける身体的特徴を把握していた。
御影の首元には、大小二つのホクロが並んでいる。
そして、優太郎にも同じ特徴が存在した。マスクという共通項目で結ばれた男に、ホクロが二つ。偶然の一致などと見逃せはしない。
「……この書きホクロがどうしたって?」
「ッ! そ、そんなっ!?」
しかし、ホクロが偽物であるのなら話は別だ。ペンで書かれただけのホクロに、証拠能力などありはしない。
「親友に化けるなら、徹底するさ」
襟から手を放して、皐月は己の席へと戻っていった。肩はぴくぴく震えていたが、決定打を失った少女にできる事は何も残っていない。
代わりに口を開いたのは、上杉秋である。
「アナタの正体は一まず置いておきたい。私達の知っている御影の正体を教えて欲しい」
「君だけは顔を知らないな。消去法で土の魔法少女か。俺にはアイツの正体を教える義務があるだろうな。そのために集まった訳だが……、これから話す事はかなり荒唐無稽だぞ」
優太郎は一口だけブラックコーヒーを含む。
「別に悪意がある訳ではないから、そのつもりでいてくれ。俺は特別、恨んではいない」
『――俗に、桜の大樹と呼ばれる木にばかり注目されていますが、根元にある巨大重機の存在も謎を呼んでいます――』
優太郎の話を要約すれば、御影の正体は亡霊だ。
本当は死んでいなければならない大学生の魂が、恨みという霊的思考を酷く個人的に解釈した結果、恨みの対象である少女を救ってしまった。
天竜川に百年分の恨みが堆積していたので、大学生の死で限界を向かえ、祟りという現象が大学生の体を借りただけなのかもしれないが。
「――私が、御影を、殺し――」
御影の死因は溺死。炎の魔法使いがサイクロプスから救い損ね、天竜川に落ちたのが原因だ。
皐月は、以前に勘違いであったと安心していたはずの己の罪を再認して、頭を抱え込んでしまう。
「それは違う。君がアイツを助けなかった所為で、アイツは天竜川で溺死した。……これは酷い責任転嫁だ。こんな逆恨みが成立するのであれば、世の中の救助活動という善行がすべて悪に転じてしまう」
魔王を呪い殺せる程の悪霊と化していた溺死体だ。本当に皐月を呪いたかったのであれば、今頃、皐月は真っ黒い海の底に沈んでいる。
優太郎は親友の言葉を代弁してからコーヒーカップに口を付け、空である事に気付いて苦く顔を歪めた。
「信じ難い話ですね」
「土の魔法少女。信じられないのは当然だが、大学生が魔王を討伐する程に不思議な話ではないと思うぞ」
優太郎に反論したくても、秋は御影亡霊説を否定できる証拠を持ち合わせていない。
仮に御影亡霊説を崩せる証拠を提示できたとしても、では、結局御影は何者だったのかという謎は残ってしまう。四人の少女達と向き合う優太郎なる男が最有力ではあったが、少女達に対してどこか素っ気ない態度の優太郎が御影であるとは思えない。少なくとも、秋は認めたくなかった。
「御影が幽霊でも、私は別に良いです。ただ、御影がどうなったのか……知らないですか?」
鈴山来夏は、拳を作る手を膝の上に置いたまま、優太郎に御影の安否を尋ねる。
「魔王を倒して成仏したのか、共倒れになったのかは分からないな。俺に言えるのは、アイツが帰ってこないのはこの世から消えたからだ、という事だけだ」
握り締めた来夏の手に、涙の雫が落ちていった。
親友が伝えるべきだった真実を優太郎が代弁したのは、義理以外の何物でもない。これ以上親友の女と語り合っても。ボタンを掛け違えているような違和感と、他人と会話している気恥ずかしさしか生み出さないだろう。
まず、優太郎が席を立ち、少女四人も彼に続いて学生食堂から出て行く。
結局、御影の正体も行方もはっきりしないまま優太郎の話は終った。
……気掛かりは、氷の魔法使い、伊藤浅子が一言も喋らなかった事だ。