26-2 討伐不能王は倒せない
「主様は『奇跡の力』によって擬似的な不死を実現していますわ。特に主様の場合は元が樹木ですから、動物にある心臓や脳といった重要器官がありません」
「回復される前に即死させる事も難しい、と」
桂に確認しながら、心の内ではもっと最悪の事態を想定している。
「あくまで擬似的な不死ですから、即死させる事は可能ですわ。ただし、主様は根一本残っているだけでも復活してしまいますが」
主様はネギか何かか。根っこだけ残しておけば、また生えてくる主婦の知恵みたいな。
「どんな力も使えば消費される。復活しなくなるまで殺し続ければ良かろう」
「その通りですが、樹齢三千年の内に溜め込んだ回復力が尽きるには、やはり三千年の時が必要かと思われます」
天竜の指摘は正しかったが、流石に三千年も戦ってはいられない。
圧倒的な回復力を持っている敵と正面からやり合おうとは思わない。何らかの弱点を突くのがスマートな方法だろう。
桂に都合の良い弱点がないか聞いてみる。
「主様と戦うのであれば夜間しかありません。主様が最も力を発揮できるのは日中ですから。陽光を葉で受け止め、光合成を開始した主様は無限に増殖を開始します。その増殖力は主様本人ですら押し止めきれないため、普段は地下に止まっています」
「……だから、日の出の一時間前を指定してきたのか」
「御影様を倒した後、主様はそのまま増殖しながら世界を埋め尽くすつもりなのでしょう。指数関数に従って体積を増やしていきます。地球全土が主様で埋め尽くされるまでそう時間はかからないかと」
こうなると、深夜のコンビニでエンカウントしてしまったのも必然のような気がしてしまう。日の当たらない夜間に可能なアルバイトと言えば、深夜営業している飲食店かコンビニぐらいだ。
「仮の話になりますが、核攻撃で主様を駆逐できると思われます?」
「……核攻撃は地下シェルター内に退避していれば防げますわ。地下の奥深くに張り巡らせた根を駆除できないでしょう。地表にある草木は抹消できるでしょうが、一時的なものです」
爆発は基本的に、壁がない方向に広がっていく。地面の底まで熱は伝わらない。
「むしろ、大気中に巻き上がった塵に主様の断片が紛れ、世界中に広がってしまうと思われますわ。そうなれば世界中で主様が発芽して、二次被害が開始されます」
人類の終わりが始まる。
最初の一撃で核による飽和攻撃を続けられる決断力が人類にあるとは思えない。そもそも、核で汚染される土地に住んでいる人々にとってはあまりに悲惨な解決法だ。決して受け入れられない。
そして、恐らく一年以内にそんな地方民の悲痛さえも主様に飲み込まれてしまうのだろう。
「主様にとって、俺達の決戦は人類滅亡前の前座でしかないのか」
主様が提示した日の出前は、主様の慢心だった。最初から全力を出さない条件で俺達と決戦を行うつもりだったのだ。
敵の手加減に対して難癖付けるつもりはない。認め合ったライバルとの待ちに待った競い合いではないのだ。歓迎さえできる。
……だが、俺の心は少しだけ苛立ってしまった。
一度頭を整理するために、皆に温かいコーヒーを配った。時刻は丑三つ時を過ぎた辺りで、一息つく必要があるように思えたからだ。
ただ、皆の顔色を見る限り、誰も眠気を感じている余裕はないようだ。直面している危機が具体性を持った事で、その具体性があまりにも高く強固な壁だった事で、誰もが固い表情を浮かべている。
インスタントコーヒーマシンと化して、コーヒーを量産している俺にしても、飲み込む唾が苦くて他人を勇気付けている余裕はない。
主様はこれまでが比較にならない程の難敵だと理解していたが、本当に世界を滅ぼせるレベルの化物だとは信じていなかった。
絶対に倒さなければならない敵であるのは、分かり切っているのに妙案が浮かばない。
天竜という切り札があるのだから、多少強いボスでもどうにかなると楽観していたのに、その最強戦力たる天竜さえも両腕を組んだまま悔しげな顔を続けている。
酷い誤算だ。
どうして地方都市での出来事が世界規模にまで広がってしまったのか、まったく理解が及ばない。
「……皐月、コーヒーにミルクはいるか?」
「今はそんな気分になれない。ブラックにして」
こんなに難度が高い復讐劇になるなんて、本当に大き過ぎる誤算だった。
マスクの裏側に表情を隠したまま、皐月の手元にコーヒーを配膳した。いつもならミルクを足してからチョビチョビと飲むはずなのに、苦味を感じないのか小さな口をカップに付けたまま継続して飲んでいく。
「どうしたの、私の顔を見たまま立ち止まって」
「……皐月、ベランダに出ないか?」
俺は皐月と二人っきりになるため、まだ暗くて寒いベランダへと皐月を誘った。
「改まって、どうしたのよ」
「ブレイクタイムだからさ。まったく関係ない話をして頭を休めておきたかったから、皐月を誘った」
皐月は室内着の上から赤いコートを羽織っていた。それでも寒そうだが、炎属性な少女にそんな心配は無用だろう。
セーフハウスのベランダからも、天竜川の土手が見えている。流石に川そのものは見えていなかったが。
「皐月は、俺と最初に出遭った夜の事を覚えているか?」
「最後が印象的だったから覚えている。サイクロプスから大学生らしき年上を助けてあげたのに、いつの間にか消えていて驚いたから」
一月の夜はもっと寒かった気がするが、二月末の今夜の方が寒く感じる。
隣には最愛の魔法少女がいるというのに、とても不思議だ。
「そういえば、あの時にマスクをしていない御影の顔を見ていたはずなのに、記憶にないわね」
「どこにでもいる大学生の顔なんて、忘れてしまって当然さ」
「そうだけどさ。恋人としてはどうなの?」
「仕方がないと思っているさ。皐月は何も悪くない」
「……あれ、私って助けた後、御影がどこに消えたのか聞いてない」
「――天竜川の中に隠れていた。戦闘の邪魔になったら嫌だから、遠慮していた」
冬の川は酷く冷たく、簡単に体温を奪ってしまう。
そして何より暗い。夜間の水中はどちらが空で、どちらが水底なのか判断できなくなってしまう程に真っ黒だ。水面の上だと思って顔を上げたはずなのに、実は水底で、冷たい水をたらふく飲み込んでしまう程である。
そうして暴れている内に、体温低下で両腕が動かなくなる。最後には溺れてしまう。それでようやく、真っ黒く、希望なんて転がっていない川の底を知覚できるのだ。
こういう理由で、冬の川に落ちた人間は大抵助からない。
よく、秋は助かったものである。
秋は本当に幸運な事例だ。
「遠慮って、圧勝だったでしょうに」
「そんな事、レベル0の大学生に分かるものか。あの時の俺に言ってくれ」
ふと、気になってしまったので、もう一人の体験者に連絡を取っておく。携帯電話を取り出して、電話帳から“紙屋優太郎”の文字を探し当てる。
「人を連れ出しておいて、電話って。そもそもこんな時間に誰に?」
「親友に、さ」
不満げに頬を膨れさせた皐月を手で制して、俺は着信ボタンを押す。
『――お前、久しぶりの連絡がこの時間って、馬鹿か』
呼び出し音は僅かに一回だけ。紙屋優太郎はワンコールで電話に出た。
「そう言うなって」
「ねえ、親友って男よね、ねえ!」
『深夜に、女の声が聞こえる。死ね!』
「皐月さ。聞いた事のある声だろ?」
「え? 私が知っている相手?」
『それで進捗を聞いておこうか。そろそろ、終りそうなのか?』
「もう直ぐ終わりだ。優太郎も帰ってきて良いぞ」
「優太郎……心配させないでよ。男じゃない」
『もう少し優しく接してやればどうだ。俺だったらそうしている』
「俺が優太郎であるならな。確率は二つに一つ」
「んん??」
『――この俺が紙屋優太郎であるのなら、あの日に溺れた誰かが“御影”というマスクを被ってこの世で復讐を続けている事になる。とはいえ、復讐の理由は幽霊らしくまったくの逆恨みで、親友としては小言を言いたくなってしまう』
「――この俺が紙屋優太郎であるのなら、あの日に溺れた誰かのために“御影”というマスクを被って復讐を続けている事になる。とはいえ、復讐の理由はまったくの見当違いで、親友としては小言を言いたくなってしまう」
『“御影”というキャラクターには、二人分の人間の運命が重なってしまっている』
「だからこそ、生きているのに死んでいる。死んでいるのに生きている」
『死んでいるのに生きているから、顔の真ん中に三途の川へと通じる直通路なんてものが開いてしまっている』
「魔法が実在するのだから、そんな不可思議な穴が開いたところで何ら不思議ではない」
「ちょっと、御影! 何だかおかしいわよ!」
通話中の俺の肩を、皐月は大きく揺さぶった。もう少しで終るから待っていて欲しい。
『だが、こんな誤魔化しは永遠には続かないからな。終わりが近いのなら丁度良い、俺達ももう終わりにしよう』
「良いのか? 大学食堂で一人寂しく飯を食うのは辛いぞ?」
『―人二役の自演を続ける寂しい男よりはマシだ。……どちらが残っても恨みはなし』
「了解だが、もう一回ぐらいは駄弁っておきたかったな」
『魔法少女に真実を伝える役目だけは、押し付けてくれるなよ。面倒臭いから』
「俺が残ったらそうする。じゃあな、優太郎」
『ああ、さようなら。親友』
携帯から耳を離して二つ折りにする。スマートフォンではこうはいかない。
決心を固めた俺は、最終確認のために皐月と向き合った。皐月の記憶だけが、俺を一人に決定付けてしまうからだ。
「皐月、本当にマスクを被っていない俺の顔を覚えていないのか?」
「そうだけど……」
皐月は奇妙な言動を取っている俺に困惑してしまっている。
「通話相手の優太郎って誰? 魔法とか言っていたけど、第三者に教えてしまうなんて!」
「今まで伝えていなかったが、俺には紙屋優太郎という親友がいた。裏方として苦労してもらっていたから、卒業式の後にでもお礼を言ってやって欲しい」
ますます困惑してしまった皐月の手を引いて、俺はもう用事のなくなったベランダから室内へと戻っていく。
恋人に対してまったく誠意がないものの、俺は皐月に復讐を続けているのだから、これぐらい粗雑に扱う方が正しい。
復讐の手段が、魔法少女を助けたい、というのが最初から間違っている。もう直すに直せないが。
「……御影。携帯を貸しなさい。恋人として一度チェックしておきたいから」
「実家は電話帳に登録するまでもないし、学園時代の友人は未登録。優太郎もさっき教えた。皐月の知っている人物以外に載ってはいないぞ?」
「口で言うより、確かな証拠!」
隠す程の物ではないので、皐月に渡す。もう二度と優太郎とは繋がらないし。
『――この電話番号は現在使用されておりません』
皐月は旧型の携帯電話に耳を当てて、無感情な合成音声を聞いていた。
リダイアルボタンを押して通話を試みているのだが、その結果が合成音声である。
『――この電話番号は現在使用されておりません』
「まさか……ッ」
皐月は一つの予測を立てる。それしか結論はない。
「こんな時間に、携帯を解約、した?」