25-5 コンビニはその日から休業しました
赤い光線を発するバーコードリーダーを用いて、主様は山積みの商品を次々とレジ打ちしていく。
外見だけなら、どこにでもいるアルバイト店員だ。危険性の欠片も感じられないのに、今はそれが人間を欺くための擬態だったと良く分かる。
邪悪な気という、目では見えない悪寒がアルバイト店員から漂っていた。
「お前が主様で、間違いないな?」
「配下や下僕からはそう呼ばれているが、敵がそう呼ぶのは相応しくはない。我の敵からは討伐不能王と敬愛されている」
「俺の敵である事で間違いはなさそうだ」
主様の外見は、三十歳前後の男性だ。顔は彫りの深い造形をしている。研修中の名札が付いていなければ店長と誤認していた事だろう。
大量の商品に動じず、なかなかの速度でレジ打ちを続ける主様の働く姿は堂に入っており、研修中とは思えない。
「魔王が、どうしてアルバイト、を??」
「アルバイトが目的ではない。御影なるアサシンが我の配下を相手に立ち回っていると聞いて、興味が沸いた。何でも、マスクで顔を隠しているらしくてな。アサシンの素顔を見ようと、穴倉から出てきても仕方がなかろう」
ラスボスは大人しく最終ダンジョンの最奥で待っていて欲しい。
「調査を行わず、勝負に出たオーリンは順当に敗れてしまった。強敵に実力のみで挑む生き方、羨ましく思うが、討伐不能の名に恥じぬ行動を取らねばならない。天命を待つ前に人事を尽くせとは、言ったものだ」
レジ打ちが続いている限り、主様が化けの皮を脱いで襲い掛かってくる事はないと信じたい。
だが、いくら商品が多くてもいつかは終わりがくる。残りカゴ一つで襲ってくる。
どうして、こんな危機に陥っているのか不思議だ。まさか深夜にコンビニに出掛けて魔王とエンカウントするなど想像できるはずが――。
「――俺にとってコンビニは鬼門だった。そんな大事な事を忘れていたなんて、情けない」
御影の始まりは、コンビニ帰りから始まっている。
あの夜、俺は紅い袴の魔法少女と出遭っていなければ、御影が生まれる事はなかっただろう。
皐月さえいなければ、皐月さえ正しく行動していれば、御影が生まれる事はなかったのだろうに。
「さて、ここで出遭ったのも何かの縁だ。職務中であるが、味見ぐらいは許されると我は思う。どうだろう?」
ついに、主様が最後の商品を手に取った。
縦縞のバーコードにリーダーを当て、読み取り終えた瞬間だった。継ぎ目のない白い床から、槍のように長い何かが突き上がってくる。
まるでトラップハウスに仕掛けれた罠のようであるが、俺は先程からレジカウンターから動いていない。スイッチを踏んでいないのに、槍に襲われなければならないのは理不尽だ。
ただ、不平不満を訴えている暇はない。このまま硬直していると体を串刺しにされてしまうので、バックステップで槍の進行方向から退避する。
ダメージはまったく期待できないが、退避と同時に、近場にあったおでん製造機を『暗器』で隠した後、即座に解放して主様に投げ付けておいた。
「反応は悪くない」
主様は俺の評価を語りつつ、慌てずに一歩横に移動しておでん製造機を避けてしまう。熱々のおでん汁を頭から被ったところで、火傷をしてくれるような生易しい相手ではない。が、それでも避けられると少し悔しい。
「まだ、会計が済んでいないのに、アルバイトが槍で客を攻撃してくるな!」
「槍ではない。植物の根である」
焦げ茶色の槍の形は、まっすぐというにはやや歪だ。
何に似ているかと言われればゴボウしかない。主様が明かした通り、槍の正体は植物の根っこで間違いないだろう。床から出てきたのが納得だ。
リリームが使っていた植物魔法に似ているが、主様は呪文を詠唱していなかった。魔族としての固有能力と推察される。
「次はどうか」
背後にある、ペットボトルが満載の冷蔵庫。その直前の床から土煙が上がる。
出現したのは大人の腕程に太い根が三本で、螺旋を描きながら俺へとせまっていた。器用過ぎる動き方をしているので、根というよりは触手に近いのかもしれない。
ゴボウに殺されるのはありえない。
ギリギリまで引き付けてから、カップ麺が陳列されている棚の後ろに身を隠す。迎撃可能な武器を持ち合わせていないため、避ける以外の方法が取れない。
「それでは避け方が甘い。甘いから、蜜に誘われるように根が伸びる」
避けたはずの根の一本が棚を避けて弧を描き、隠れた俺を強襲した。
根の先は尖っている。コンクリートの床を突き破って屋内に伸びてきたのだ、人間の肉体ぐらい貫通できないはずがない。
目前にあった菓子の棚に突っ込んで直撃を避けたが、完全ではなかった。肩の肉を一センチほど抉られてしまう。
血が吹き出る激痛を、アドレナリンを頼りに耐える。
戦意はまだ失われていないが、痩せ我慢しても次の攻撃避けられるかは微妙だ。
そもそも、主様に本気を出されたら対抗できるはずがない。地下から伸びてくる攻撃をそう何度も察知できないし、コンビニの床を剣山にされるだけで俺は穴だらけになる。
「……血の味は普通だ。神秘性の欠片もない」
俺の血が滴っていた根の先端が急激に乾いていく。水分を吸い取るのが根の本来の機能であるが、血も水分という事だろう。主様の反応を見る限り、根は主様の一部であり消化器官の役割を持っている。
「味見は終ったが、どうにも味気ない。これでは中途半端に食欲が促進されるだけで、まったく満足できない。どうしてくれようか。……どうしてくれようか?」
止まらない主様は、バーコードリーダーを静かにレジの上に置く。
どこからやってくるか分からない次の攻撃に備えて、負傷した肩を抑えながら立ち上がった。
主様が獲物である俺を目の焦点で捉え、次の攻撃が放たれる。
……寸前、コンビニ特有の、客の来店を伝えるリズムが店内に響く。
「――発火、発射」
魔王がアルバイトしているコンビニを訪れる間の悪い客。
客である少女は、自動ドアがスライドして視界が開けると、火の玉をレジに向かって発射した。
「火炎撃ッ! 燃え尽きろ、元凶ッ!」
不意討ちにしては堂々とした来店に、主様は反応を遅らせた。火球を頭部に受けて壁に向かって倒れていく。
火属性の少女など、世の中にそう多くない。来客は俺の魔法少女、皐月その人だ。
「皐月もコンビニに用事があったのか。夜食は太るぞ」
「失礼なっ、御影を助けにきたに決まっているでしょうに!」
本性を現した主様の『魔』を感知し、真っ先に駆けつけてくれたのは皐月だった。
意外と言えば意外だが、順当と言えば順当である。兄思いが過剰な氷の魔法少女と天竜川最速の雷の魔法少女を差し置いて、俺と一番早く出遭ったのが、炎の魔法少女である皐月なのだ。
皐月の魔法で一時的に命を救われたが、まだ危機を脱していない。
魔法一つで主様が倒れるとは思えない。皐月もレジの向こう側に倒れているアルバイト店員を睨んでいた。
「赤い贄か。一人現れたとなれば、続々とやってくるであろうが――」
主様は、まったく火傷を負っていない顔付きを見せ、目付きを鋭くする。
「――人間の『魔』ではないな。悪竜か」
主様が警戒する者がいるとすれば、俺達の中の最大戦力、天竜しかいないだろう。
コンビニの駐車場を横切り、矢の如く突き進む少女が一人いる。流星の尾のように、オレンジ色のマフラーをはためかせている。
天竜は少女の顔を保っていたが、一方で口から獰猛な牙を生やし、鉤爪と化した両手を広げていた。
皐月が開いた自動ドアを越えた辺りで床を踏み込み、天竜は跳躍する。勢いをそのままにレジを跳び越えて、主様に肉迫した。
「我が知らぬ新参の魔王がっ! 旦那様をいたぶってくれたようだな!」
「我は悪竜の噂を聞いておる。魔王となるべきだった一匹のドラゴン族が、禁忌の地に踏み入ったがために腑抜けたとな!」
天竜は遠慮なく、主様の腹に爪を突き入れ中身を抉り出した。
スプラッタなシーンになるかと思われたが、主様の腹からは引き裂かれた木屑が出てきただけだった。中身も年輪が見えるだけだ。
「木人族か。ハッ、魔界のレベルも落ちたものだ。長生きだけが取り柄の植物ごときが魔王を名乗る時代か!」
「脳に筋肉が詰まっているドラゴン族は食い飽きているのだがな。我を侮るのはこれを解いてからにしてもらおうか、悪竜!」
腹に大穴が開いているが、主様に苦しげな表情はない。
人間に擬態させた体がダメージを負ったところで問題はないのだろう。人間としては十分に重症なのにまだまだ余裕があるらしく、天竜に対して力比べを挑もうと床から根を数本生やす。
天竜は腕に絡み付いてきた一本の根を苦もなく引き千切り、反対の腕に巻き付いた一本も切り裂いた。
「大口を叩いておいて、こんなものか? 非力が過ぎるではないか!」
新たに出現する根を噛み千切った後、天竜は主様に対して、それしかできないのか、と不満を口にした。
主様は焦った顔を見せていない。黙々と根を生やしているだけだ。
天竜がワンパターンな攻撃を不審に思った時だった。剛力で千切り捨ててあった根が独りでに動作して、天竜の細い足に巻き付いたのだ。根の表面から細いひげ状の根を生やし、網の目を作りながら拘束力を強めていく。
うっとうしそうに根を刈り取る天竜だったが、今度は、根が切り裂いた瞬間から再生する様子を目撃してしまう。
根は時間が巻き戻るかのように、綺麗に再生している訳ではない。傷口が他の根と癒着をしているだけだ。細胞構造の単純な植物は接ぎ木が可能ではあるが、だからといって、この再生速度は見過ごせない。
天竜が不注意に放置していた根の量は、少女の体をしている天竜を覆い尽くすのに足りていた。
抵抗むなしく、頭から足先までびっしりと根に巻かれてしまった天竜。こうなってはもう、自立している鳥の巣と見分けが付かなくない。
「毎回ドラゴン族はこれで片付いてしまうから、ツマらんのだ」
「ええぃっ! この! 面倒な!」
鳥の巣の中で天竜が暴れている気配はするが、外にその必死さは伝わってこない。
仕方がないので皐月に魔法支援を頼んでみる。
「皐月、天竜を助けてやってくれ」
「ちょっと焦げるけど、我慢してよ。――炎上、炭化、火炎撃」
鳥の巣を中心に燃え上がったキャンプファイヤーから、マフラーの端を焦がした天竜が跳びだしてきた。案外簡単に根を排除できたが、皐月の炎は主様の弱点属性か。
脱出してきた天竜の傍に行き、外傷の有無を確認する。問題はなさそうだ。
不覚を取った天竜は、怒気を強めて牙を長く伸ばしていたが。
「人間の擬態を解けば、一人で脱出できたのだぞ。旦那様が近くにいるから遠慮したのだ!」
「それは分かっている。それよりも、一当てしてみて主様の実力は分かったか?」
「パラメーターは大した事はなかろう。……が、回復力だけは評価してやらんでもない」
怒れるドラゴンが冷静に再度突撃を踏み止まるぐらいには、主様は異常なのだろう。天竜はまだ全力を出していないが、それは主様も同じなのでまだ優劣は競えない。
「兄さんッ!」
天竜が遊ばれている内に、浅子がコンビニに到着した。続いて来夏と秋もきてしまったので、俺達の主戦力が集中してしまった事になる。
対策をまったく考えていないのに、ボス戦が開始されようとしている。このままなし崩し的に決戦を開始してしまうのは不本意だ。何より、場所がコンビニなのが最悪だ。
「討伐不能王とは呼ばず、あえて主様と呼ばせてもらう。主様、一旦退かないか?」
「美味そうな食事が目前に並んでいるのだ。出直す必要があると思うか」
確かに、主様が退く理由はないように思われる。説得は難しいか。
「――お遊びが過ぎますわ、主様。御影様へのご挨拶は済んだのではありませんか?」
だが、コンビニの駐車場から投げ掛けれた女の声に、主様は耳を傾ける。
魔法少女達を挟んで主様と会話する女性は、桂だった。桂も主様を感知してやってきたのだろう。まだ熱は完全に下がっていないため、少し頬が赤い。
「ゲッケイか。そういえば、お前には確認を取っておかねばならなかったか。――もう、良いのか?」
「はい、わたくしには御影様がいます。主様ではこの世界を滅ぼせませんわ」
長く主従関係を続けていた桂と主様の間には、培われた何かががあるのだろう。決して良好ではなかったはずなのに、短いやり取りだけで必要な情報を共有し終える。
「分かった。では、魔王らしくこの世界を滅ぼそう。後悔のないようにな、ゲッケイ」
「主様こそ、ただの戯れでディナーを台無しにされぬよう謹んでくださいませ。まだ、主様の前には皿しか置かれていないのですから」
桂は主様と話をしながらも、俺を見て微笑む。俺の願い通り、この場を収めてくれるようだ。
「オーリン様がいなくなって、羽目を外し過ぎているのではないですか」
「手厳しいな。確かに、こうして一人で自由に振舞うのは久しぶりであった。加減を忘れていたのかもしれぬ」
「オーリン様は、事を荒げずに宣戦布告を行いました」
「あやつを一々言葉にするな。我からしても、あやつは特別であったのだ。……良かろう、討伐不能王に勝負を挑む者への手向けである。決戦の日取りは御影なるアサシンに委ねよう」
主様は冷静になるために頭を振ってから、俺のマスクに視線を合わせる。
宣言通り、今夜はこれで終りにして、改めて行うボス戦の日を俺に決めさせてくれるつもりなのだろう。
少しだけ間を置き、俺は最も最適な日を提示した。
「……卒業式当日。いつも通り、深夜零時だ」
卒業式の朝に主様を討伐する。それで、魔法少女達は気兼ねなく卒業できる。卒業式の日以上に最適な日はないだろう。
「日は良いが、時間は日の出の一時間前であるべきだ。その方が、面倒がなくて良い」
三月の日の出は午前六時ぐらいだったか。その一時間前となると午前五時。人目は少ないだろうが、新聞配達員はもう働き始めている。
「人目を気にする必要はないだろう。我が勝利すれば、その日から人類は滅亡へと推移するのだからな。日の出までに我を倒せれば良いのだから、そちらも異存はないだろう?」
日の出をタイムリミットにする理由が、主様にはあるのだろうか。
桂を見てみると、何やら心痛な顔をしている。ただ、主様からこれ以上の譲歩を引き出せないと判断したのか、何も言わなかった。
「決まりだ。卒業式当日の早朝五時。場所は、ここから見える天竜川の傍が良い」
卒業式までまだ一週間以上ある。これまでで一番余裕を持って戦いに望める。
場所も主様と最初にエンカウントした橋が架かっている天竜川中流。因縁ある場所ですべてを終らせるのは悪くない。
これで決める事はすべて決め終えた。
主様はもう俺達に用事はないと思われるが、まだ帰ってくれない。
「……ふむ、最後にやっておこう。この世界にきてから一度やってみたかったのでな」
主様はゆっくりと根を俺へと伸ばしていく。
魔法少女達が警戒する中、根から茎が急成長し、大きな葉を付けた。
「御影なるアサシン。さあ! 回復してやろう!」
……アリガトウゴザイマス。
『奇跡の葉』と思われる大きな葉をむしり取り、肩の傷口に当てる。効果は直ぐに発揮されて、痛みが消えていく。
「これで全力でかかってこれるだろう。討伐不能王が倒される日がくるのを、我も楽しみにしておこう! ふ、ハハっ!」
主様は、己の言葉で愉快に笑い出し、そのままコンビニの奥へと消えていった。裏口から出て行くつもりなら、鉢合せして気まずくならないように俺達は入口から出て行こう。
思いもしなかった場所での最終ボスとの遭遇戦は、こうして幕を閉じる。
めくれ上がった床と、散乱する商品の数々。特別被害の大きい、レジ周辺は復旧が大変だろう。
「……このコンビニ、しばらく通えないな」