24-5 老いたゴブリンに負けはない
勝敗は既に決した。御影達の勝ちである。
オーリンの王手が早過ぎたのだ。まだ詰み切れていない段階から、敵をゆっくりと追い込み過ぎた。そのため、魔法使いの少女達はオーリンの予測を超えはしなかったが、予測と同等の踏ん張りを見せてしまったのである。
思い通りに物事が推移した事自体が、オーリンの思考に隙を作り上げる要因となった。
「……それもこれも、御影殿がどこぞでドラゴン族を使役していたのがあってこそじゃ。意表を突く、にしてはちと手厳しいのう」
嘆きにしてはオーリンの声は弾んでいる。
天竜の参戦など、未来予知可能なスキルでも所持していなければ考慮できるはずがない。
異世界にはドラゴンの逸話はあれど、大概、逸話の中で討伐されていまっている。天竜とてその例外ではない。
例え、天竜がどこかで生き長らえられていたとして、人間族の味方をするとは魔族であるオーリンには信じられなかっただろう。
「言い訳じゃな。ドラゴン族が出たところで、この老体の指示が完璧であったなら撃退できたはずじゃ。親衛隊で包囲殲滅できぬ相手ではなかった」
オーリンが天竜の参戦に気付き、対応策を練り上げるよりも自軍の瓦解の方が早かった。
オーリンが負けたのは、その一点に尽きる。
「いやいや、ここは素直に負けを認めようではないか。見事じゃ。見事、御影殿はこの勇者たる老体を上回ってみせた」
胡坐を組んでいる足を一本ずつ、苦労しながら解いていく。痺れたのだろう。オーリンは骨のような腕で何度かさする。
「そうであろう。ゲッケイ」
「――はい、御影様はわたくしの望み通りの方ですわ」
オーリンの背後には、至極当然といった顔で桂が控えていた。
「長くお前さんを見ておるが、そんな顔もするのじゃな。……二つも世界を見ておるのに、まだまだ知らぬ事が多い」
桂は御影の勝利を理由なく信じていたし、桂は人類の敵だからオーリンの腹心として傍で仕えている。
頬に擦り傷はあるものの、桂はまだ戦闘可能に見えた。
「これからどうされるおつもりですか、オーリン様」
「勝者に対しては、最後に挨拶をしておかんとな。この老体に最後まで付き合う必要はないと思うんじゃが、ゲッケイはどうするのじゃ?」
「……わたくしも確かめたい事があります。最後までお付き合い致します」
「よかろう。付いて参れ」
老いたゴブリン、勇敢なる者の職を持つオーリンは、桂を率いて下山を開始する。
リリームを追って山を下りていたので、気付けばオーリンと最初に対峙した川辺へと戻ってきていた。
山の向こう側に太陽が昇るような時刻ではないが、時間はかなり浪費してしまった。オーリンの首を取ってくると豪語しておいて、何たる体たらく。キスして送り出してくれた魔法少女達に顔向けできない。
マスクを抱えてどうしたものか悩む。
ふと、嵐のような大気の乱れを感じて空を見上げると、怪獣としか思えない巨体が着地体勢に入っている。重量物質が十メートルの近場に着地してきた所為で、直下地震のような揺れが足元を襲う。
立っていられなくなって片足を地面に付き、邪魔な物体に脚を取られてしまって尻も地面に密接させた。
「旦那様ではないか。一仕事終えた従僕を、労ってはどうだ!」
寸胴で首長の癖に、可愛らしい女の声で巨体は俺に甘えてくる。翼の先でゲシゲシと頭を突き刺してくるのを甘えると表現できるのであればだが。
「マフラー女……もとい、天竜か! 自慢していただけあって、でかいな!」
「もちろん――はうッ! こりゃ、ノミ虫のごとく体を下りていくでないっ! 小娘共!」
クレーンのような天竜の首を伝って、愛すべき少女達が下りてくる。
紅い袴の皐月は長髪をなびかせて。
青い着物の浅子は小さな体で元気良く。
黄色い矢絣模様を振りながら。
紫のタイトなラベンダーはゆっくりと。ラベンダーはつい数時間前で昏睡していたというのに、いきなりの戦闘でも無傷でいてくれた。
「御影ぇえええ!」
「おーい、みんなー!」
生死を彷徨うような戦闘が続いた後の再会だ。少女達も、愛する俺の無事を喜んで涙を浮かべた表情で――。
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“『一発逆転』、どん底状態からでも、『運』さえ正常機能すれば立ち直れるスキル。
極限状態になればなるほど『運』が倍化していく”
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“『ハーレむ』、野望(色)を達成した者を称えるスキル。
相思相愛の関係にいる者が視認可能範囲にいる場合、一時的に「対象の人数 × 10」分レベルが上乗せ補正される”
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“●レベル:26 + 20”
“ステータス詳細
●力:38 守:13 速:60
●魔:0/0
●運:11 + 200”
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ふむ。少女達が到着する前に、網膜上に浮かぶ事案を解釈する必要ができてしまった。
なるほど。『運』が上昇しているのはきっと生命の危機を察知した『一発逆転』スキルが発動したからだろう。プラス200とは、なかなかの危険度だ。
何が危険なのかは傍に置いておこう。どうせ直ぐに分かる。
レベルがプラス20の理由とは何だろうか。浅子は鉄板――胸ではない――なので10上がっている理由は分かっている。となれば、残りは皐月か来夏のどちらかとなる。
ラベンダーの可能性は多分ないはずだ。魔法少女なので俺の守備範囲ではあるのだが、ラベンダーは俺を知らない。恋愛感情なんて望めまい。
つまり、俺の死因は火事か落雷のどちらかか。
だが、何が動機だ?
「御影ェェぇッ! そこの抱きつかれている女は何者だァッ!!」
皐月は犯行動機を高らかに宣言する。
「誤解だ! これは人間に見えるが実は違う。ロバから進化した名残が見えるだろ!」
「私の知らないペットを、何匹も拾うなァっ!」
地上に飛び降りてきた皐月は、俺の下半身に顔を埋めているロバ耳を指さした。
ロバ耳、リリームは乙女にとっても男子にとっても少し恥ずかしい部位に顔を貼り付けまま離れようとしない。恐らく、天竜が着陸した衝撃で倒れる際、近場にいた俺を木か何かと間違えてしがみついたのだろう。
「――御免なさい。御免なさい。御免なさい。もうしません。もうしません。もうしません。見捨てないで。見捨てないで。見捨てないで。殺さないで。殺さないで。殺さないで。御免なさい――」
何か呟き続けているが、きっと戯言だろう。
皐月はロバ耳……は流石に引っ張らず、リリームの肩を掴んで引っ張ろうとして、何この肌質、と驚いていた。
「御影ッ! 人の親友を勝手に恋する乙女にしないでですっ!」
続いて下り立った来夏が、あまり俺と関係なさそうな事で俺を非難した。
「ラベンダーがどうした?」
「親友を助けてくれたのは有難いです! でも、秋があんな露出狂になっちゃったです! 何しやがりましたッ」
「来夏。ちょっと、止めてくれないか。そんな私は……ま、マスクの人をなんて――ぽ」
「秋、しっかりするですッ。今なら引き返せるですから!」
来夏にとっては深刻な事態が起きているようだ。下りてきたラベンダーを拘束すると、遠くに離れていった。
まったく。まだ戦闘が終わったから訳ではないのに、皆、気を抜き過ぎている。
「勝利者の余裕じゃな。御影殿」
丁度、俺が思った時だった。山の中からゆっくりと川辺へと、小さい老人と背の高い女性が現れる。
敵軍の総大将、オーリン。それと月の魔法使い、楠桂だ。
弛緩していた空気が、一気に殺気立つ。
俺達と異なり、オーリン本人はのほほんとした口調で語っていたが。
「おめでとう、じゃ。御影殿は主様へと至る最終試練を見事乗り切った。心より祝福する」
「オーリン……。それを言うためだけに、わざわざ現れたのか?」
「そうじゃ。祝辞は大切であろう」
老いたゴブリンの思考はいまいち理解し辛い。己の主の天敵となりえる俺を、どうして祝福できるのか。
「それが、主様にとっての暇潰しだからじゃ。まだ若い御影殿では分かるまい」
「主様は、必ず倒すぞ」
「それで良い。…………この老体からの言葉は、これで何もかも終わりじゃ。ゲッケイ、後は好きにせ、い」
オーリンは杖を両手で握り込むと、会話の占有権を背後の桂に譲った。
「御影様。わたくしも最後に一つだけ確かめたい事がありますわ。ぜひ、お付き合いをお願い致します」
「桂さん……」
桂はオーリンの前に進み出て、一度微笑んでから詠唱のための精神統一に入った。月の魔法使いは、まだ敵対を続けるつもりなのだ。
「兄さん、私の方が相性が良い」
「いや、俺にやらせてくれ。敵を始末するのはアサシンの仕事だ」
浅子を手で制しつつ、俺は桂との決着のために前に進み出た。
武器はたった一つだけだ。エルフナイフはどこかに投擲してしまって失くしてしまったが、レオナルドが持っていた投げナイフを一本取ってある。
桂の魔法は人の精神に働きかける。派手さはないが、下手な攻撃魔法よりも凶悪だ。
アサシン職である俺にはそもそも魔法抵抗なんて上等なものはない。勝機があるとすれば、それは、桂が魔法を発動するよりも早く、心臓にナイフを突き入れる事のみ。
桂とのデスマッチの開始は、水位の戻った天竜川で魚が跳ねた音だった。
「――偽造――」
桂が呪文の一節目を終えた時、俺は走り始めていた。
「――拡散――」
桂が呪文の二節目を終えた時、俺と桂の距離は半分になっていた。
魔法はきっと三節で終わる。俺ごとに四節以上は必要ない。精神を支配した後、ナイフで自害を命じれば良い。
「――朧つ――」
桂が呪文の三節目を発音し終える。この時、俺の腕はまだ桂に届いていなかった。
だが、俺が持っていたのは、投げナイフだ。名前通り、助走の力も刃先に乗せて桂の体の中心に向かって投げ込んでいる。
ナイフは真っ直ぐに進んで、狙い通り背の高い彼女の胸を無慈悲に貫く。
「――やっぱり、御影様はわたくしの希望。いえ、世界をお救いになられるお方です、わ」
速度勝負のデスマッチは迅速に決着がつく。
だから桂は脚から力を抜いてしまい、倒れていくだけだ。
桂はナイフが心の臓を穿つ瞬間に、己が確かめたかった事をすべて確認し終えた。だから桂の最後は実に安らかだ。
ちなみに、桂の確認事項とは、御影に対する恋心である。
桂は不思議だったのだ。『死者の手の乗る天秤』スキル持ちの己は感情を持たない。それなのに、どうして御影を好きになれたのか。
予測は存在した。桂が唯一感情的になれるのは、天竜川の魔法使いに対してのみである。だからきっと、魔法使いを救う男の事を好きになれたのだ。
魔法使いは救われるべき存在である。親友の最後は報われなかった。己も報われていない。救われるべきだと信じて当然だ。
魔法使いは憎まれ続けるべき存在である。世界を救うための生贄となるべき人間は、きっと、親友に死神のような役目を擦り付けた魔法使いのような存在だ。だから、魔法使いを憎悪し続ける。
桂の心は、二律背反する感情に支配されていた。
そんな桂が好きになれる男の条件とは、ルックスではない。持ち資金であるはずがない。精神構造だ。桂の好みの男性は、己と同じように魔法使いを愛していながら、憎んでいる必要がある。
御影はまさに条件通りの男だ。表面上は魔法使いを愛してる。本心でも愛しているかもしれない。
ただし、御影の始まりは魔法使いに対する憎悪だ。桂にはそういう直観がある。
だから御影は、桂の理想の男性だったのだ。
……しかし、御影はそれだけではなった。
もしかすると、これまでの桂の思考はすべて誤りであった可能性すらある。
桂は御影と対峙した時だけ『死者の手の乗る天秤』スキルを発動できずいたのだ。強制スキルに関わらず、スキルは機能停止してしまっていたのだ。
どうしてそんな現象が起きているのか、死の寸前になって桂はようやく気付いた。
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“『死者の手の乗る天秤(強制)』、大切な何かを一方的に託されてしまったスキル。
物事の基準判断が汚染される。死者が願った通りに世界が救われるまで、冷酷な判断を阻害する感情という無駄な要素を削けずられてしまう。また、世界を救うためであれば小さな犠牲は苦にならなくなる。
ただし例外として、このようなスキルを取得する原因となった少女達に対する、愛憎は致命的なレベルで深刻化する。
強制スキルであるため、解除不能”
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スキルは“死者が願った通りに世界が救われるまで”桂の感情を奪い続けるのだ。
だから、御影が主様を倒して世界を救ってくれる存在であるのなら、スキルが発動しなくても当然だ。少しフライング気味な気もするが、桂には二人の親友、桔梗と桜の本当の願いなんて分からない。
桂はこれで、心底安心して心臓を停止できる。
世界を救ってくれる人が最愛の人であったのは、桂の人生で最良の出来事であった。
「――背中の二人、もう、桂さんから手を放せ。俺がいるから安心して消えていけ」
倒れる桂を、抱きしめていた。呪文詠唱の完了には間に合わなかったが、桂が倒れる瞬間には間に合ったからである。
俺よりも少しだけ広い背中に対して、俺は成仏を促す。
この瞬間、桂からは一つのスキルが消え去ったはずだ。もう、桂の背中には誰も手を置いていない。
「……どうして、わたくしは生きてい、て?」
「死なないように手加減したからです。桂さん」
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“『非殺傷攻撃』、致命傷にできる攻撃を任意で加減可能”
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「桂さん……。いいや、桂。まだ死ぬな。お前は貴重な人材だ。主様を倒すのに使ってやる」
俺はマスクを少しだけ上げて、中身を伺わせてやる。
「――ッ。はい、御影様。このわたくしを存分に使い潰しください」
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“ステータスが更新されました(非表示)
スキル更新詳細
●実績達成ボーナススキル『不運なる宿命』(非表示)(無効化)”
“実績達成ボーナススキル『不運なる宿命』、最終的な悲劇の約束。
実績というよりも呪いに近い。運が悪くなる事はないが、レベルアップによる運上昇が見込めなくなる”
“非表示化されているので『個人ステータス表示』では確認できない”
“ある人物に殺される程の恋をした事により、完全に無効化されている”
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桂との決着もつつがなく完了した。
最後に残ったのは、オーリンだけだ。
ただし、俺達は最後までオーリンに勝つ事はできなかった。そう俺は思う。
「――オーリン、お前……」
オーリンは、杖を握ったままの恰好で事切れていた。老いたゴブリンは、寿命をまっとうしたのだ。
「お前は難敵だった。二度と戦わずに済んで、心底安心する」
やや急ぎ足になりましたが、今年中にオーリンを倒せました。
よいお年を!
来年もよろしくお願い致します。