24-1 希望は君と共にある
胡坐をかいた老モンスター、オーリンは足元に広げれた俯瞰図を見下ろしている。
確かな手ごたえを感じたのだろう。うむ、とオーリンは軽く頷いた。
「王手、であろうな。予想外の事態は起こらんかったのう」
天竜川上流に待機させていた赤い駒を五つ動かして、下流にある青い駒を襲わせる。青い駒は連戦による疲労困憊で、赤い駒一つにさえ破れてしまうだろう。
「贄等ではこの戦況はもう覆せぬ」
御影率いる魔法使いのパーティーを倒すためにオーリンが採用した作戦は、戦力の逐次投入である。被害が大きくなるため、逐次投入は無暗に嫌われるきらいがある。が、御影の力量を調査しないまま全戦力を投入した場合、一度に味方戦力を削られてしまう可能性があった。
思慮深さだけが武器のオーリンは、そのような危険を冒しはしない。
局地戦での敗戦が、戦場全体に伝播するようではおちおち負けていられない。軍師としてのオーリンの趣向とは、決戦を避けて、戦いを負けても良いものに置換させていくものであった。
俯瞰図にまだ配置していない、複数の赤い駒をいじるオーリンのつぶやきは続く。
「最初のジライムが倒される事も、ゲッケイが倒される事も、オーガがすべて駆逐される事も想定内であった」
御影達が魔法使いの『魔』の消費を抑えた戦い方をしている事は気付いていた。消耗戦を仕掛けて、確実な勝利を狙うのは理に適っていたと言える。
実のところ、オーリンはまだ予備兵力を残してある。異世界にはオーリンが組織した親衛部隊が、これまで投入した戦力よりも多く存在する。
仮に追加投入したジライム五匹が敗れたとしても、オーリンは喜びはすれど、驚きはしないだろう。
「御影殿本人も既に排除済み。楽しみだった夜が、終わってしまうのう」
俯瞰図にある山頂付近にある本陣の近場では、青い駒の上に緑の駒が乗せられている。青い駒が御影で、緑の駒はリリームを表している。
御影に対してオーリンは、使役したレオナルドを割り当てていた。しかし、きっと、レオナルド単独では御影を処理するのは難しかっただろう。万全の状態で御影に敗れたような男を、オーリンは最初から当てにしていない。
御影は倒すのなら、御影が想定していない人物をぶつけるのが正しい。
自前の戦力を割かずに済むという一石二鳥もあって、オーリンはエルフ族の精霊戦士、リリームの潜伏を見て見ぬふりをしていた。月桂花にリリームを見逃させたのも、この目論見があったからである。
どうリリームが動いてくれるかオーリンは楽しみだった。思いに反して敵対される危険も存在したが、結局、リリームはオーリンの手の平の上で踊り続けた。
「御影殿は敵を作り過ぎたな。エルフをあそこまで狂わせる技術は、少し興味があったがのう。じゃが……もう、終わりかのう」
黄金のような時間だった、とまでは言えない。
そこそこ楽しめた今夜を、オーリンは乾いた喉で反芻する。
「――残念じゃ。もっと苦戦するものと期待しておったし、そう信じておったのにのう」
オーリンのほとんど開いていない瞼の内側は、クリスマスにプレゼントが貰えなかった童子のように落胆していた。
「……なんじゃ?」
オーリンの肩に、一匹のコウモリが舞い降りてくる。オーリンが使役している偵察用の小型モンスターである。
「ッ? おお、誠か?」
オーリンの声質は若干の変化が見られた。
詳細な報告をオーリンは促し、コウモリは肯定を意味するように高域の声で鳴く。
「ほほう。吉報じゃな」
戦う手段を失った皐月達は、川沿いから遠ざかっている。川を伝って進行するジライムから逃れるため、山へと入っていったのだ。
一見、正しく思われたこの判断は、実は間違っていた。
五匹のジライムが皐月達を放置し、どんどん川を下っていく。その光景を目撃して、来夏は敵の行動目的に気付いてしまう。瞬間、川の方角へと逆走を開始した。
「しまったですッ! ジライムは街を襲うつもりですッ!」
一番『速』の高い来夏が先行する。来夏の叫びで、他二人も山中に逃げ込むのを諦めた。
来夏は川に沿っている道路を跳び越えて、川岸に着地する。
三節魔法一発分の『魔』しか自然回復していなかったが、先頭を行くジライムに注目されるだけなら不足はない。
「――稲妻、炭化、電圧撃! こっちです。スライムの化物!」
電撃魔法はジライムの一部を化学的に分解したが、反撃でジライムの体が細く伸び上がって、来夏に逆襲を仕掛ける。
ジライムから飛び出た透明な触手を避けながら、来夏は挑発を続ける。知能のないジライムを詰る意味はなさそうだが、声に反応したジライム数体が、追加で三十本近い触手を伸ばしてくる。
射程外に逃げたくて仕方がない顔の来夏だったが、逃げ出した途端に街へと移動を開始するだろう。撤退は許されない。
降り注ぐ触手の大多数を避けきったが、空中を跳ぶ来夏をまだ複数の触手が照準していた。
「ああ、もうっ、です。せったくキスしたばかりなのに。生き残るのは難しいかもです」
「来夏はテンプレートな死亡フラグを立てたから仕方がない。私が兄さんを支えるから安心して成仏して」
来夏の次に到着した浅子が、氷の盾で来夏を直撃するはずだった触手を防いだ。盾に弾かれた触手は背後にある木にぶつかって、幹を溶かして大穴を開けてしまう。
酸性で、粘性もあるジライムの体は一度でも触れれば、人間が助かる見込みはない。
「ハァ、ハァ、二人共なんでそんなに早いの、ハァ」
最後に到着した皐月は息を切らしていて、さっそく足手まといとなっている。
「囮は私一人で十分です。浅子も皐月も逃げてください」
「無理。序列三位が序列二位に命令できない」
「誰が三位ですか!」
「ハァ、ハァ」
こうして――何の策もなくジライムの群れに跳び込んでしまった三人は、四方をジライムに囲まれた。
完全に逃げ場を失った。三角形になるように背中を合わせて、三人は最後の瞬間を迎える。
『魔』の残量はゼロ。抵抗する体力ももう残っていない。
各人は心の中にいる想い人の名前を言葉にするぐらいしか、できる事を残されていない。
「御影……」
皐月は男の偽名を言う。
「兄さん……姉さん……」
浅子は義理の兄と真の姉を声にする。
最後に来夏は――。
「……秋」
――既に亡くなっている、親友の名前を呼んだ。
「――諦めるなッ、来夏! 希望は君と共にあるッ!」
来夏が秋と言葉を紡いだ時だった。大声が戦場に降り注ぐ。
声の発生源は山よりも高い位置に建てられた、高圧送電線の鉄橋付近である。
激励された来夏だけでなく、皐月と浅子、ジライムですら空の高みに注目してしまう。
「ッ! 御影ですか!?」
視力を高めて見上げた先にいた参戦者は、顔にベネチアンマスクを装着していた。
天竜川において、マスクを標準装備している人間は一人しかいない。だから、来夏はその者を御影と誤認する。
……しかし、その者のマスクは黒一色ではなく、パープルだ。
また、その者の服装は黒色のアサシンスタイルではない。紫を基調としたタイトなドレスだ。出るところが出ているので、ドレスの中身は女性で間違いないだろう。
「……誰ですッ! そこの新たなる変人はッ!?」
バレバレですが、彼女です。