24-2 ラベンダーは二度咲く
「……あの御影モドキは誰よ」
「あ、飛んだです」
絶対絶命の少女達を救うため、高圧送電線から一人のマスクが飛び降りる。
その光景を助けられる側である少女達が指さしながら、鳥か、飛行機か、いや、変人だと正体を論議していた。
「――創造、構築、要塞土精ッ!」
空の高みから飛び降りるマスク女は呪文を詠唱する。落下地点の地面が隆起していき、地殻を材料に石垣を備えた要塞が組み上げられていく。全長三十メートルの、圧倒的な巨体が大地に直立する。
城壁を持つゴーレム、要塞土精が完成した。
マスク女は要塞土精の頂上付近の指令所に着地し、無事なマスクを皆に見せる。
「ッ! そ、その土属性の魔法は、ラベンダーの、まさかッ?! でも、死んだはず、です??」
「フォート・ゴーレムッ! 巨大スライムをどかせろ!」
“WAOoooooooooo――ッ!!”
マスク女の命令に従って要塞土精は機動し、少女達を包囲していたジライムの一匹を殴りつけた。飛び散る酸性のゲルを岩石の体で受け止めて、毒性のある蒸気を上げる。
マスク女は要塞土精の足元にいる少女達に向けて、ゴーレムに乗り込むように告げる。
「さあ、早く登って!」
「ちょっと、どうして秋が生きているんですッ」
「浅子、秋って季節の秋かな? マスク付けるような変人な女、私の記憶にないし」
「たぶん、ラベンダー」
浅子はマスク女の芸術的なスタイルを根拠に、マスクの中身を八割程度の自信で言い当てる。
浅子とラベンダーの付き合いは短い。が、浅子も女であるからして、己よりも恵まれた体形はしっかりと記憶に残してある。
紫のタイトドレスには、体の線がしっかりと浮き出ている。胸部とか、臀部とかが代表か。
「いや、ラベンダーっぽいけどさ。でも、同年代とは思えないぐらいに達観していたあの子が、恥ずかしげもなく、太ももむき出しで……」
「最低でもDはある。くびれも標準装備。あんなモデル体形で魔法が使える女は、ラベンダーしか知らない」
「秋ッ、ねぇ、秋ッ! 何で生きているのです!」
皐月はまだ気持ち半分しかマスク女の正体を確信を持っていないが、親友の来夏は完全に断定が済んでいるのだろう。要塞土精の頭部にある指令所まで来夏は駆け上がり、マスク女の肩を激しく揺らしている。
「来夏は生きていて欲しくなかったのか?」
「とんでもないですっ! 嬉しくないはずがないです!」
「なら、ただいまだな、来夏」
マスク女は野暮ったいマスクを自ら脱ぎ、来夏に中性的で美麗な顔を見せる。
来夏は親友の頬に手を添えて、両目を赤く腫らした。
「本物の秋、上杉秋なのですか?」
「――色々あったし、来夏を庇った記憶も確かにある。だけど、私は生身の私さ」
「もう死んでいるって、庇われた時に言っていたです。体は大丈夫なんです」
「数時間前までは昏睡していたけどね。この通り、無事でね」
土の魔法使い、ラベンダーこと秋は、外したマスクを愛おしそうに指で撫でる。
「マスクをつけた変な男に助けられたんだ――」
橋の上まで逃げた秋は、勇者レオナルドに背中を斬り付けられて天竜川に転落した。
冷たい水が急速に体力を奪い、筋肉を収縮させてしまう。そうでなくても背骨が切断される程の裂傷が決定的で、秋は大量に水を飲んで溺れてしまった。
そこから、秋の記憶は断片的なものとなる。
後から聞かされた情報と照らし合わせて整理してみたところ、まず、溺れる秋を天竜川から引き揚げて助けたのは、街の巡回をしていたマスクの男だ。
「――くそ、何で人が流れてくる。呼吸も心臓も止まっている。まったく、『救命救急』スキルでいけるか?」
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“『救命救急』、冥府に沈む者を現世に呼び止めるスキル。
適切な処置によって、心肺停止者の蘇生確率が増加する。また、蘇生後の後遺症を軽減、リハビリ期間の削減等の後々の社会復帰に対しても影響する。
蘇生確率の上昇値はスキル所持者と蘇生対象の生物の平均値が目安”
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そのマスク男は、暗躍するモンスターの動向を探るため、普段は赴かない天竜川の上流付近にまでやってきたらしい。モンスターは川からスポーンする事が多く、川の流れに注目しながら巡回を行っていた。
しかし、マスク男はモンスターを発見できず、その代わりと言っては難だが、溺れた少女の姿を発見した。
「――九十九、百。人工呼吸を――一、二。自発呼吸は……確認。やった、生き返ってくれた。本当に良かった――」
身元を証明する物を所持していなかった秋の医療費を負担していたのも、マスク男である。
「――このまま植物状態が続く可能性もある、と。……構いません。治療費はすべて自分が支払います」
マスク男は忙殺される日々の合間に、見舞いにきていた。
この時点では、マスク男は秋が天竜川の魔法使いであると気付いていない。つまり、マスク男は完全な善意で見ず知らずの秋を助けていた事になる。
奇特というには度が過ぎているが、秋の生存はマスク男の奇特があって成り立つ。
命が助かったとは言え、長く心肺停止状態になっていた秋は脳にダメージを負っていた。生きているのが不思議なぐらいに背中が傷付いていたのだから、目を覚ませなくなっても不思議ではない。
脳波を観測した結果では、夢さえ見ていない状態だ。
しかし、この頃の秋は、酷く現実的な夢を見ていた。まるで、実家に置いてあった土人形に魂だけが憑依して、本物の体のように操作していたような。そんな夢だ。
その夢の中でも最後に死んでしまうのだが、背中を斬られて唐突に死ぬよりはずっとマシな、親友を救えた最後だったと秋は思っている。
ただし、魂はこの時点で死を受け入れてしまったのだろう。
以後、秋は暗い海の中を漂うだけのツマらない夢を見続ける。
秋が漂っていたのは、水平線の先までずっと静かな海が続く、気味の悪い海であった。海面の上は見通しが悪い。対して、海底は吸い込まれてしまいそうな程に真っ黒だ。
本当ならもう海底に沈んでいかなければならない、と本能的に察していた。しかし、秋の肉体の生命維持が続いているからか、中途半端な深度でプカプカと漂い続けていなければならない。
そんな微妙な位置にいた秋を、男の声が呼ぶ。
「――世間って狭いよな。無関係に人を救ったはずなのに、結局、魔法少女だったなんて」
「えッ、全身タイツのお化け!?」
「命の恩人に対して失礼な。上へ引き揚げてやらないぞ」
真っ黒な海底と同じ色の人の形をしたモノが、海中に上半身を浸して手を伸ばしていた。秋はこんな怪しい恩人に覚えはないので、伸ばされた手を払ってしまう。
「来夏みたいな真似は止めてくれ。女に手を伸ばして掴んで貰えないのは、精神的にキツいんだぞっ!」
「……え? 来夏を知っているのか!」
「来夏だけでなく、魔法少女とは親しい付き合いをしている」
秋にとって、来夏は気の置けない友人である。一人で放置していると勝手に自爆してしまいそうな爆弾娘を現世に残し、一人で海底に沈んでいくのは本意ではない。
「魔法少女に危険が訪れる。俺も全力を尽くすが、それだけでは足りない。君も力を貸してくれないか」
「……私は天竜川最弱の魔法使いだ。非力なんだ」
「オプション装備も付けるから安心してくれ」
「……レベルもたった42しかないし」
「レベルが低いから、は理由にならない。俺もたったのレベル22でそこそこ戦えている」
「私と貴方は違うから――」
本当は漆黒の手を取ってしまいたくて仕方がない。が、土人形の夢の時のように盾となって死ぬぐらしか、秋にできる事はないだろう。
そうしてまた死んでしまい。また親友を泣かせてしまうのは酷く申し訳がない。
「ラベンダーッ! 俺はお前を誰とも見比べていないのに、お前は他人と自分を見比べるのか」
煮え切らない秋に苛立ったのか、黒い腕が秋に伸びてくる。
ただし、黒い腕が到達したのは秋の顎だ。顎を引き上げて、ウジウジと下を向いていた顔を、くいっと上向きに変えてしまう。
「ラベンダー、お前が欲しいんだ」
その瞬間、秋の魂は沸騰した。
秋の死人のように青かった肌が、顔から足先へとピンクに着色されていく。熱い物が冷たい物よりも上へと浮かんでいく物理法則があるが、秋もその法則に従って海面へと上昇していく。
「えっ、まだ手を持ち上げてな――」
「生きる理由ができた。さあ、行こう!」
秋は頼られる事に慣れていても、求められる事には疎かった。
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“ステータスが更新されました(非表示)
スキル更新詳細
●実績達成ボーナススキル『不運なる宿命』(非表示)(無効化)”
“実績達成ボーナススキル『不運なる宿命』、最終的な悲劇の約束。
実績というよりも呪いに近い。運が悪くなる事はないが、レベルアップによる運上昇が見込めなくなる”
“非表示化されているので『個人ステータス表示』では確認できない”
“一時的に中断していたが、ある人物に顎を持ち上げられた実績により、完全に無効化されている”
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「――ちょっと、秋ッ! 呆けてないでゴーレムに指示して。押されているです」
秋が脳内で回想している間に、要塞土精の体は半分、ジライムに覆われていた。
レベル42の秋が生成した要塞土精が消滅しない事から、ジライムは耐魔アイテムを装備していないと分かる。ただし、酸性のスライム体液に触れ続けている要塞土精の体は分解が進んでいる。これ以上はもう持たない。
回想の中で懸念していた通り、秋は非力だ。ボス級モンスター五体を相手取るのは無理があったのだ。
……秋単独であれば、このまま溶けてなくなり、今度こそ完璧に死んでいただろう。
だから秋は、要塞土精に向かって叫ぶ。
「お願いします。マフラーさん!」
「旦那様でもないのに、見た通りのあだ名で呼ぶでないわッ」
要塞土精の返事にしては可愛らしい、若い娘の声で返事があった。