23-3 悪夢からの目覚め。しかし、現実は夢で語れないほどに悪夢だ
「――目覚めるとは思っていませんでした。ですが、特別、悪夢に悪辣な罠を仕掛けていた訳でもなし、そんな必要もなし。ただ、衰弱死すれば良かったのに」
深海から浮かび上がるかのように、深く仄暗い場所から目覚める皐月、浅子、来夏の三人の魔法使い達。あまりにも強く夢と繋がっていたため、目覚めた後も、己が月桂花と名乗っていた少女のような自覚が残存している。
それでも夢は、夢でしかない。
どんなに深くキャラクターを演じていたからといって、本物と同化してしまう事はない。
現に、悪夢で月桂花だった少女は、肉体的には成長し、しかし一定以上に老化する事なく、下弦の月を背景に三人を見下ろしている。楠桂とも名乗るこの女こそが、真の月桂花である。
「……アンタ、あれからずっと魔法使いを生贄にし続けている訳?」
「世界が存続しているのですもの。わたくし以外に、誰が好き好んで報酬も名誉もない、恨み辛みの偶像を担うと?」
皐月の問い掛け内容に新鮮味がなかったためだろう。桂の口はツマらなそうな動きしか見せない。
「姉さんが死んだ理由が、アレ?」
「別に、貴女だけが悲劇的だった訳ではありませんわ。けれども、世界規模で数億の悲劇が生じるよりはよほどマシだと。それに、わたくしは平気で人を洗脳しますけど、魔法使いとなるまでは手を出していませんわ。現代的に言えば、自己責任、というものでは?」
浅子は短髪を針のように立てて月桂花を威嚇する。月桂花はワザと遺族の反感を買うように言葉を選んでいた。
「どんな理由があっても、許される事ではない、です!」
「当然の事を高らかに叫んだところで、現実は変わってくれるかしら。最良は悪意を滅ぼして皆が幸せになる事。次点が、少しの犠牲で大多数が幸せになる事。次点の最良は、その犠牲が殺されて当然の、憎悪されるべき存在である事、ですわよね?」
来夏は月桂花から優しく諭されてしまった。まるで考えの足りない幼子に語りかえるような態度で、学園を卒業する寸前の少女に対するものではない。
地面を少しだけ強く踏み込んで、桂は手の届かない、高い上空へと浮かんでいく。三人が夢から覚めたのであれば、約束通りオーガの群から守り続ける必要はなくなったからだ。
桂は、浅子が眠る前に交わした約束を守っていた。
周囲には、桂の魔法に惑わされたオーガが数々の同士討ちを行っている。本物の少女達の姿を隠匿し、隣の同族を人間族の魔法使いと誤認させられたためだろう。全方角で乱戦が行われていた。
桂が上空に浮かんだのは、幻惑の切れたオーガの攻撃に巻き込まれないためである。
オーガ部隊は半壊していたが、残り半数は瞳の焦点を、眠っていた三人に合わせていく。
「浅子、来夏。全力であの女、月桂花を倒すわよ。余力を残そうと思わないで。ここでもう……月桂花を止めてあげたい」
敵陣の総兵力は、オーガ三百体と、S級魔法使いが一人。
「止める? 何故? 世界を守り続けているわたくしを??」
感情の色を失った目をしていながら、桂は眼下の少女達を睨んでしまった。
眼下の少女達と同じ境遇だった二人に託されたから、人から恨まれるだけの役割をまっとうしている。だというのに、少し気に入らないからといって止められるのは甚だしく遺憾なのだろう。
ならば、最初から月桂花のような女に世界を託さずに、百年も前に人類は滅亡しておくべきだったのだ。そうすれば、現地球の総人口と比較すれば、少ない人類の犠牲で済んでいたというのに。
「結局、悪夢を悪夢で終らせた貴女方が? どの口で?? わたくしに馬鹿にしている?? ふ、くく。冗談にしては笑えない」
月桂花は己を象徴する月を背に、考え足らずな後輩共を嘲笑した。
喜び以外の感情であっても、例えば怒りの沸点が超えてしまっても、人は笑えるものだと桂は実感した。
戦端を開いたのは、幻惑のステータス異常から回復したオーガ共だ。本当の敵である魔法使い三名を発見して、牙を向き出しにして突撃してくる。
恐ろしげな異形集団だが、より注視するべきは上空の桂の方だろう。
「月桂花ッ! 私達は、アンタの取った方法を否定する! 他に取るべきだった方法を提示できない私達の幼稚さは認めるしかないけど、だからと言って、月桂花の行動は正当化されない!」
「だから、だからっ……だからッ、当然の事を何度も何度も、何度も何度も何度も、何度もッ! 何年も何人も誰もがどいつもッ! 幾人もいくつも数種も数重に! 叫ぶばかりでッ。どうしてわたくしに代わって誰も世界を救おうとしてくれないのですのッ!」
残念ながら、桂の幻惑魔法に対抗できる程の魔法を三人は習得していない。
レベルも実力も上回っている魔法使いに勝てるとすれば、浅子の『耐幻術』スキルに頼る他ないだろう。が、スキルに頼っただけの戦い方で勝てるような甘い敵ではない。百年の呪いに耐えて世界を誤った方法で守り続ける桂は、強大だ。
「わたくしがいつッ、どこでッ、わたくしが正しいと訴えましたかッ!? そんなわたくしに正しさを説くばかりで! 愚図未満ばかりですのッ! この街の女子供はッ!」
しかし、スキルを当てにする方法そのものは間違っていない。
皐月達は長い悪夢の中で、桂のスキルを一つ認識している。死にたくなる程に嫌な夢だったが、それでも得る物はあったという事なのだろうか。
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“『死者の手の乗る天秤(強制)』、大切な何かを一方的に託されてしまったスキル。
物事の基準判断が汚染される。死者が願った通りに世界が救われるまで、冷酷な判断を阻害する感情という無駄な要素を削られてしまう。また、世界を救うためであれば小さな犠牲は苦にならなくなる。
ただし例外として、このようなスキルを取得する原因となった少女達に対する、愛憎は致命的なレベルで深刻化する。
強制スキルであるため、解除不能”
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感情がないため、メカニカルに判断を下せる桂は恐ろしい敵である。が、魔法使いが相手の場合はまったく話が異なる。
桂の中では、両手を握りながら死んだ二人の少女も、眼下にいる魔法少女も同格の存在としてカテゴライズされてしまっているらしい。その証拠に、怒号を上空で振りまいている。
「たった一人だけ、わたくしの理想通りの良い人が差し伸べた手だって握れなかったのに……わたくしが憎くて殺したいだけならッ! 叫ぶ暇さえ惜しんで殺しにきなさい! それでやっと、世界はわたくし以外の誰かの所為で滅びますわ!」
「――たく、さっきから叫んでいるのはアンタの方じゃない。浅子、周囲に氷を張ってオーガを食い止めて」
「――隆起、製造、氷工房。建てた。この次はどうする?」
「上で叫んでる月桂花の望みを叶えてあげるだけよ。幻術に対抗するために、私達は三位一体の合体技でいくから」
冷静な桂なら勝機はなかった。が、正気を失っている桂なら、少し煽ってやるだけで存分に燃え上がってくれる。
桂に致命傷を負わせるため、皐月は上空に向かって大声を吐いた。
「桂ッ! 私は御影と同衾したッ!!」
炎属性の皐月が場をツンドラ顔負けに凍えさせるとは、敵どころか味方も思っていなかった。ビシリ、と氷結した湖面が割れる音が魔法使いの間で響き渡る。
「? 私も寝てるけど?」
浅子は元々の属性的に、澄ました顔をしているが。
「そ、それが今関係あると……恨め――いいえ、今は世界を救う話をしているのに、下品ですわッ!」
「え、てっきり、御影を取られた八つ当たりであんな夢を見させたと思っていたのだけど? まさか違ったの? 本気で世界がどうとか、下らない事で、嘘でしょう?」
「…………フザけるだけでなく、これまでの犠牲を、何だと思ってッ。天竜川の魔法使いはッ! 全員死んでしまえェェッ!!」
ただし、皐月はどう転んでも炎属性だ。策を捻ったとしても最終的には炎上が待っている。
レベルが上昇しても、桂は直接的な攻撃能力を開眼できなかったのだろう。激昂しているのに、直接皐月を殺せない。
「――狂乱、感染、暴走、妖月、紅く輝く月に精神は蝕まれて怪物と化すだろうッ!」
その代わりに、周辺に存在するオーガに対して肉体のリミッターを解除する魔法を掛けていく。筋肉が限界を超えて酷使されてしまい、魔法効果が切れた後はゴムが切れた玩具のように動けなくなってしまうが、桂はモンスターに配慮などしない。
「チャンス。魔法詠唱中は次の魔法はない。浅子、大体の位置で良いから月桂花の浮かんでいる場所を教えて」
幻術の所為で己の目は信じられない。皐月は瞼を閉じて、役立たない視覚を見限る。
「上角六十度、もう少し上。横に一歩補正……そこ」
「まずは逃げ道をなくす。――全焼、業火、疾走、火炎竜巻ッ!」
空に浮かぶ桂を囲むように、炎の竜巻は斜めに発生する。触れただけで指先が消し炭と化す業熱の壁が、内部に桂を釘付けにする。
「浅子はでっかい大砲生成。トドメに来夏は――」
「――砲塔、製造、氷工房。作った」
「私はどうするのです、皐月?」
皐月の指示で浅子が作り上げたのは、現代風の大砲ではなく、古風な丸ぼったい輪郭を持った臼砲だった。
砲身は短めだが、中に人が余裕で入れる巨大さだ。角度調節も問題なく行える優れものである。材料はすべて氷なので耐久性はあまりないが。
「――来夏は、弾。大砲に入って、人間爆弾となって空に発射されなさい」
あんまりな役割分担に来夏は不満げだが、反論している間に桂が反撃に出てしまうだろう。
苦渋に満ちた顔をした弾がサイドアップを揺らす。臼砲の中に自主装填された後、帯電していった。
「覚えておくです、皐月ッ! ――爆裂、稲妻、足蹴、直撃雷火ッ!!」
眩く発光する弾の撃ち上げは浅子の手で行われた。臼砲で炎の渦に捕らわれている桂を射抜くため、角度を調整する。
「来夏、発射」
合体技、というにはあまりにも粗暴な組み上げられ方をした三人の砲撃が、桂を襲う。
五節の魔法は強力だが、詠唱に時間が掛かるのが難点である。高速弾頭と化して夜空に発射された来夏を止められるかどうかは、賭けとなる。
「――偽造、誘導、霧散、朧月夜、夢虫の夢は妨げないだろう。この程度では、世界を救う事も滅ぼす事もできないッ!」
しかし、桂の詠唱は間に合った。急造品の合体技は最速で撃ち出された訳ではなかったからか。もう少しで届いたはずの弾から、雷の魔法は消え去っていき、電圧はゼロとなる。
たった少しだけ、間に合わなかった。
……来夏の四節格闘魔法を強制終了させるのが一秒だけ早かったなら、来夏の脚は高度不足となり、桂の腹部に突き刺さる事はなかっただろう。
「なッ、かァガッ!」
「皐月に判断を狂わされ過ぎたです。私よりも、炎をどうにかして逃げるべきでした」
海老のように体を折り曲げて、桂は胃酸を吐き出す。
何の魔法効果もない足蹴で敗北してなるものか。こう詠唱しようと唇を動かすが、腹部を打撃された直後に、正常な呼吸ができるはずがない。
桂は、来夏の第二攻撃を意地で避ける。が、その代わり、四肢を始点に発生する氷の魔法を避け損なった。増加した重量を浮力で補えなくなって、地面に落下していく。
「これが、わたくしの終わり――」
様々な少女を死に追いやった己はどんな殺され方をするのだろう、と桂は毎夜、月を見上げながら想像していた。落下死のような簡単な終り方はありえないと思っていたのに、現実は非情だ。
せめて、運悪く生き残ってしまわないよう、確実に頭蓋が割れるように上半身を下にして目を瞑った。
「――直撃、爆風、風柱撃ッ! 夢でアンタの親友が使っていた魔法の物真似よ」
地面にぶつかる寸前だった桂の体は、皐月の手元に凝縮されていた爆風の柱に跳ね飛ばされる。
優しくとは決して表現できない、地面に頬を擦り付けながらのハードランディングとなってしまったが、高高度からの位置エネルギーは相殺されていた。
桂は、本人の意思に反して、軽症で地面に戻ってきてしまったのだ。
川岸を飛び抜けてコンクリート製の壁に後頭部をぶつけた桂は、己の生存を理解する暇なく意識を失った。
オーガ部隊の最後の一匹を始末した時点で、皐月達の『魔』はすべて消費された。十分もすれば少しは自然回復するだろうが、その間は魔法を使えない。
悪夢を見ている間、桂の魔法でオーガを同士討ちさせていなければ、もっと数が多く、万全の状態のオーガ数百体と戦う破目になっていた。そこに関しては、桂に感謝しておくべきなのだろう。
「点呼ぉー、皐月一番、皆生きてるぅー?」
「浅子二番。当然無事」
「三番……来夏、です。たぶん、元気です。うげぇ」
どろどろに溶け出しそうなぐらいにぐったりしているが、三人共生還している。
所々、地形が変貌してしまっている。それでも、人的被害がないのであれば些細な被害と言えるだろう。
「まったく、御影は何をしているのやら。全部やっつけてしまったわよ」
不満げな顔を浮かべながら、皐月は上流へと視線を移す。
川底は泥や石が見えているが、モンスターの屍骸は一つも残っていない。モンスターは死亡すると、この世から消えてしまうのだから当然だ。
しかし、ふと、皐月は違和感を覚えてしまった。
「……ねえ、何か、おかしくない?」
「何がですか。主語を付け加えるです、皐月」
「川底なんだけど、どうしてまだ見えているのかな、って」
「ジライムが全部吸い取ったからです。そんなに、おかしくないです」
干上がった天竜川上流。不定形の巨大スライム、ジライムが体積を膨張させるために水をスポンジのように吸収してしまい、オーガ部隊と戦う前に流水は消滅していた。
ここまでなら、特別おかしなところはない。
「……浅子。今何時?」
「午前一時十分。戦闘開始して、一時間と十分」
「ちなみに、ジライムを倒したのは?」
「零時三十分より前」
ジライムを撃破して四十分は経過している。それなのに、川底はまだ見えたままになっている。皐月の違和感の正体はこれだった。
違和感に気付かなければよかったのかもしれない。悪い予感は、悪い現実を呼び寄せる。魔法使いなんて職業に就いているのなら、小さな事柄にも注意するべきだったのだ。
皐月は上流からゆっくりと進行してくる『魔』の気配を察知する。
しかもその『魔』の巨大さと形質は、ジライムのものと瓜二つだ。
「――やめてよね、冗談はさ」
ジライムが量産されていなければ、討伐したはずのジライムの『魔』を再度感知するはずがない。皐月は。こうも悪い予感を抱いてしまう。
感知範囲内に、追加で同じ規模の『魔』が四つ追加される。合計で五つ。
ボス級モンスターの大量発注に、『ファイターズ・ハイ』スキル持ちの皐月でさえ腰を抜かして、動けなくなってしまった。