23-2(真) 悪夢の7日目
―― 七日目 ――
今日で悪夢を終らせる。いい加減付き合っていられない。
そんな思いを眼球に込めてばっちりと目を開くと、月桂花はむくりを上半身を起した。
丁度、肩を叩いて起そうとしていた桔梗は、心筋を痛めてしまったかのような、そんな驚いた表情で硬直している。
「お、起きたのか? ゲッケイカ」
「ええ、悪夢だったので、寝付きが悪くて」
「そうか。それはもっと早く起してやるべきだった……な」
出鼻を挫かれてしまった桔梗は、本題があるはずなのになかなか言い出す機会を見出せずにいる。
「……あ、そのな……あのな」
散々、悪夢の中で斬り裂かれていた月桂花としては意地悪を続けていたいが、時間切れでまた七日目をリスタートするつもりはない。
「それで、どうかしましたか、桔梗さん?」
「ここから逃げ出すぞ。やっと、牢屋の鍵の複製に成功した」
「……それって、本当に今日成功したのですの。本当はもっと早くに複製方法を編み出していたのに、人数が減るまで隠していたとか」
「ッ、そんなはず、ある訳ないだろ! 人聞きの悪い」
冷静沈着な女とばかり思っていたが、案外、鎌かけに弱い。やや広めのデコに玉状の汗が浮かぶ。
月桂花は思考した。七日目のキーパーソンが桔梗である事には間違いない。
桔梗は今日を生き延びられる人間が一人だけだと知っている。だから、生存確率を上げるために月桂花を殺そうとしているだ。それなりの友人関係を築けていたというのに、何も言わずに月桂花に殺意を抱いているとは見下げた女である。
三日目の事だ。豚面妖怪の貢物となる人間を人選する際に桔梗が月桂花を庇ったのも、後々、殺し易い人間を残しておく意図があったのだろう。
となれば、鍵の複製についても、都合良く七日目で目処が立ったと考えるよりは、もっと早くにできたのに隠し続けていた。こういった推理が働いてしまう。
「では、桜さんを起して一緒にいきましょう」
「……あいつは駄目だ。お前を妖怪の一味だと疑っている。連れて行けない」
何度も聞いている台詞に、月桂花は思案顔を深める。
桔梗の殺害動機が、唯一生き残る一人になりたいからだと仮定した場合、桔梗は今、解せない行動を取っている。
月桂花を殺害するだけなら、別に地下牢から移動する必要性はまったくない。寝込みを襲うだけで事は済んでしまう。
桜という実力者が同じ地下牢内にいるから、反撃を恐れている。この反論もありえない。まず最初に桜から殺害して、次に攻撃的な異能を持たない月桂花を始末する。こう順番を入れ替えるだけで解決してしまうからだ。
つまり、桔梗は本人が助かりたいから月桂花を殺そうとしている訳ではない。
「……桜さんはそんな人ではありませんわ。言葉遣いや態度、行動が間違っている事はありますが、本性は正義感で満ちた人です。こんな簡単な事、桔梗さんが気付いていないなんて、おかしいですわ」
七日目のキーパーソンの二人目は、桜である。
他人を助けようとして常に返り討ちにあっている、実力が伴わない厄介な女であるが、人間としては生存者三名の中では一番正しい。
桔梗が誰を最後に残すために、月桂花を殺害しているのか。桔梗本人の線が消えたのなら、もう答えは明白だろう。
桔梗は最後に桜を残すために、手を血で染めようとしているのだ。
「……馬鹿を言うな。ゲッケイカは異能で攻撃されただろうが」
「そのお陰で、わたくしへの暴力は止まりました。先程言った通り、態度や行動に間違いがあるのが桜さんです」
「他人に依存するだけのお前がッ、桜を知った気で語るか!」
声を低く荒げる桔梗こそが決定的な証拠だった。背中を斬り付ける時ですら冷めていた女が、他人事で感情をあらわにしている。
桔梗にとって桜がどれ程大事な人間であるかは不明だが、そこは重要ではない。
「そうですわね。たった一人だけが生き残るのなら、他人依存の出来そこないよりも、本性だけは正しい女であるべきですわ」
「お前ッ、生き残るのが一人だけだと、どこでッ!」
「桔梗さんは、桜さんを最後の一人にしようとしていたのですね。地下牢からわたくしを連れ出して殺害した後は、自害でもなさるおつもり?」
「……気色悪い程に、明察だな」
「他人に依存する者の処世術ですわ。容易く斬り捨てられないように、他人の心を読まないと」
「寄生虫め!」
友人の顔を捨てた桔梗が、バックステップで距離を取る。
月桂花は無闇に桔梗を追い込み過ぎた。隠していた心の内側を勝手に暴露され、桔梗はもう後が無い。
地下牢で無理心中を図るため、桔梗の生来の鋭い目付きが、刺突武器と見間違える程に鋭角を極める。
「ゲッケイカ! お前の言う通りだよ。生き残る人数に限りがあるのなら、よりマシな人間が選ばれるべき。この中での一番は桜だと、ゲッケイカだって思うだろう!」
「桔梗さんは自分の価値を低く見積もり過ぎていますわ」
「友人や級友を比較して、これまで目を掛けていた友人を斬るような輩が、価値ある人間な訳がない!」
桔梗の的確な言い分に反論できずに黙り込んでしまう時点で、月桂花は桔梗の言うところの生き残る価値のない人間の要件を満たしていた。
鉛色の物体が、桔梗の手中から伸びていく。鉄の刃を精製する異能を、桔梗は発動させた。
「――斬刀、鉄製、居合い! お前を殺して、私も死ぬッ」
パクパクと口を開こうと月桂花は努力するが、妙案はない。
だから、もう桔梗を止められる人物は――。
「――桔梗、ゲッケイカを殺したら、私は自殺する」
――ヒートアップする桔梗の暑苦しさに目を覚ました、桜しかいない。
「物騒な異能を消しなさい、桔梗。ゲッケイカは私の大事なお友達よ」
いつの間にか目を覚ましていた桜は、己の首筋に人差し指を添えていた。指先に少し『魔』を込めるだけで、桜の白い首と頚動脈は簡単に切断されてしまう。
「桜、いつから聞いて――」
「桔梗の気持ちが嬉しくない訳ではないの。だから、はっきり言ってあげるけど、酷く迷惑。何かを犠牲にして生き残るってのは趣味に反している」
桜は本気だった。浮き出る血管に爪を押し付け、異能の有無に関わらず自殺してみせると言いたげな表情を見せつけている。実際、表皮はもう切れてしまっており、血が滲んでいた。
「三十人も見捨てられたのは、桜のためだったのだぞ!」
「そう、既に趣味に反してしまっているから自殺に躊躇いはない。あの妖怪の親玉らしき男に殺されるよりは苦しくないでしょうし」
月桂花は桔梗に異能製の剣を向けられ、桜は己に異能を向けている。このままでは桔梗が生き残る算段が高い。三竦みの構図になっていないのに、全員動けなくなってしまっている。
「それでも死にたくはないだろ! 桜だけは、生き残れるようにってッ、私はッ!」
「桔梗! 一人を生き残らせるためにその他全員を犠牲にするのは間違っているわ。三人の人間から一人をと考えるから駄目なのよ。そんな考えでは、最後は己の身を切り売りして、結局何も残らない」
ただし、こんな偏った構図はそう長くは続かない。
「ッ! だって、でも……あ、ぁ」
桔梗が異能を止めて、泣き崩れるだけで地下牢の硬直は解かれてしまったからである。桔梗の弱点は桜であり、桜の言葉は拒絶できるものではない。
「ゲッケイカが愚図なら、桔梗は馬鹿ね。古びた道場を成金の貿易商が助けたからって、道場の娘が成金の娘に尽くす必要はないのに」
「だって、でもっ」
「高飛車な成金の娘には、丁度良いお友達よ」
泣いている桔梗も、デコを密着させながら桔梗を介抱している桜も、二人の関係性を知らない月桂花にとっては違和感が強い。
「三人で、生き残りましょう」
忘れられて、仲間外れにされていない事は嬉しかったが、月桂花は二人と抱き合ったりはしなかった。
……まだ地下牢から抜け出してもいない。
三人で地下牢を出てから、太陽のある地上を目指す少女達だったが、出口はなかなか発見できずにいる。
どうやって地下を掘削したのかは分からないが、図面を書いてからの工事ではないのは確かだろう。通路は見て分かる程に弧を描いており、無意味な十字路と何度も出くわす。
この広い地下空間は、いわゆる、ダンジョンと呼ばれる侵入者を惑わす事が主目的の建築物だ。天竜川という決まった狩場でのみ妖怪と戦っていた異能少女達に攻略できるはずがない。
出口から遠ざかっているかもしれない。そんな悪い予感を忘れようと、月桂花は口を開く。
「……あの男、わたくし達から一人だけ残して、何をさせようとしていたのでしょうか?」
「そこまでは聞いていない」
桔梗は素っ気ない返事しかしないため、重い雰囲気が立ち込めてしまう。
月桂花を殺そうとしたため――桜よりも、優先順位の劣る友人と言ったも同然なため――か、普段よりも口調が冷たい。そう、月桂花が考えているだけかもしれないが。
「……最初に連れて行かれた、異能を使えない子達はどうなったのでしょうか?」
「助けられるなら、助けたいけど……」
桜はあまり希望の感じられない口調で返事を行う。
下手に行方不明になっている者達を発見してしまうと、また桜が考えなしに救助に向かってしまう可能性がある。人間としては正しいが、間違っているとも言える桜の突撃を阻止するため、豚面妖怪の部屋を避けて地下道を進んでいた。
しばらく無言が続く。
松明がほとんど置かれていない長い通路を抜けて、見えてきたのは赤い両開きの扉だ。怪しい雰囲気は漂っているが、地上に通じているようには見えない。
「どうします?」
「開けずに、違う道を探そう」
月桂花の問いかけに対して、桔梗の回答は妥当だった。三人で生き残ると決めたからには、避けられる危険は回避するべきだ。
「……先程のゲッケイカの質問ですが、私はあの男の目的を調査をするべきだと思う」
「桜、何を言っている?」
「このまま逃げるだけで事態が収まれば良いけれど、妖怪共の動きが組織的なのが気になっていたのよ。どうして、異能使いは誘拐されてしまったのか。そもそも、妖怪はどこから現れるのか。ここが妖怪の本拠地なら、答えがあるかもしれない」
桜は一人先行して、赤い扉の前に行ってしまった。残り二人も少し慌てて桜の傍に向かう。
「私達だけで無茶だ。外に出た後、警察にでも陸軍にでも教えてやれば良い」
「張本人である私達には知っておかないと。殺された子達が、殺されなければならなかった理由ぐらい」
「共感はできるが、今日を生き残る事に集中するべきだ」
「私は今日に復讐したい」
桔梗の説得は失敗する。力関係的に、桔梗では桜を言い包めるのは不可能であった。基本的に、人の後ろを付いていくしか能のない月桂花は言うまでもない。
それでも扉を開く事に難色を示す友人二人に対して、桜は対価を提示した。
「そんなに心配なら……桔梗、手を出しなさい。ほら、ゲッケイカも」
三人は手を握り合う事で一つとなる。そのための儀式なのだからと、桔梗とゲッケイカの間でも手を握り合うよう桜は強制した。
「私達三人はこれからはずっと真の友人、親友。良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が三人を分けたとしても、ずっと親友として寄り添い続ける事を誓います」
亜米利加式よ、と桜は頬をピンク色に染めながら宣誓した。
桜のお陰で、ぎこちなかった桔梗と月桂花の間でも微笑みが生じる。桜の言葉に異能の力は皆無だったが、何一つ力がない訳はなかったという事だろう。
「大丈夫、本当に危険そうだったら直ぐ閉めるから」
桜は赤い扉に手の平をあて、ゆっくりと力を込めていく。
「あっ」
月桂花は遅まきながら気付いた。
扉の赤は褐色寄りで、人間の静脈から噴出した血とそっくりだった。
扉の先も暗かった。地下にあるのだから暗くて何も問題はなかったが、そのお陰で内部に保存されている数々の犠牲者を直視せずに済んだ。
扉近くの壁際に縦積みされているのは、溶液で満たされた水槽だ。まるで理科室にある解剖された実験動物を保存しているガラス管のようであるが、役割的には理科室のそれをまったく変わらない。
水槽の中ほどに浮かんでいるのは、きっと人間だろう。原型を止めている個体は少ないので判断に困るが、総合的に見れば、きっと人間だろう。
上半分と下半分に分割されて沈んでいる女性。これは分かり易い。
左半分と右半分に分かれている、おそらく、男性。これも難度的には低い。
四分割されたモノ。斬る角度が異なるモノ。スライスされているモノ。どんどん正視困難な犠牲者が増えていく。
不要な皮と脂肪と筋肉をはがされて、臓器と骨だけになっているモノ。
脳と背骨と心臓だけのモノ。
脳と心臓だけのモノ。
どんどん、どんどん、余分な部位がなくなっていき洗練されていくが、人間を使った実験を行っていたマッドサイエンティストはここで飽きたのだろう。水槽の展示はこれで終る。
実験室の奥に見えるものは、趣向が少し変わっている。こちらはまともな形状をしている少女達だ。
少女達は木の根の巨大な集合体に両手、両脚を埋め込まれた格好で展示されていた。更に補足すれば、全員、口に植物性の管を押し込まれてビクビクと振動している。
一定間隔ごとに首に巻かれた蔦が絞まって白い泡を口元から吹き、白い瞳になって死んでしまっているが、誰も悲鳴一つ上げようとしない。
死んだ直後に口に挿入されている管から、奇跡的な効果を持つ植物の絞り汁を飲まされて、また首の蔦が絞まって死ぬ。こんな拷問を七日間も連続で続けられているのだから仕方がない。
精神的な苦痛を忘れるために精神を投げ捨てるぐらい、訳がない。
工場での流れ作業のように少女達は死んで、蘇って、死んでいく。
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“●人間族を一体討伐しました。経験値を一入手しました”
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――これが、少女達が誘拐されてしまった理由である。
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“●人間族を一体討伐しました。経験値を一入手しました”
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少女達の死と生の流れ作業には、経験値一に相応する。スズメの涙程度には意味があるのだ。
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“●人間族を一体討伐しました。経験値を一入手しました”
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内部を盗み見ていた三人は、扉を閉める、叫び上げる、叫び上げるのを制止する、そのどれ一つ達成できずに地面へと吸い込まれていった。
三人が立っていた地面の直下には、木の根が張り巡らされていたのだ。いや、このダンジョン全体が根で構成されているのだから、どこに立っていたかは関係しない。
根は、主たる男の体の一部である。肌の上を歩く蟻を痒いと感じるように、三人の居場所は最初から感知されていた。
全身を蠢く根に包まれて、酸欠で月桂花は意識を失う。
「――見事、我の目論見にたどり着いた贄等よ。実を言えば、今期の贄等は経験値としては期待されていなかった。質が悪いからというよりも、実利的な問題だ」
月桂花、桔梗、桜の三人が意識を取り戻したのは、見覚えのある場所だ。
高さ五メートル、面積テニスコート十枚分のホール。
玉座に座る男に、何度も殺された場所である。気付かないはずがない。
「我は飽きる事を知らぬ魔王であるが、効率を考えない訳ではない。人間族のレベリングには適切な強さのモンスターを厳選し、忙殺されぬよう期間を置く必要がある。手間とコストに見合った経験値は手に入るが、手間とコスト以上の経験値は手に入らない。まだまだ改善の余地はあるがな」
三人は無傷だ。玉座への移送中、窒息死していた可能性はあるが、少なくとも今はまだ生きている。
「以前、どうにか経験値を増産できないかと、贄の体を二つに裂いてみたりと工夫はしたがね。……見ただろう、水槽の者を。ああ見えても『奇跡の樹液』に漬けているから、肉体的には死んでいないはずなのだが、経験値はもう手に入らない」
男が何を明かしているか、三人は誰一人理解できていない。
「実験は一つも成功しなかった。心臓が一つしかないのだから、分かり切っていた事ではあったが」
しかし、赤い扉の内側の凶行を知った三人は、これまで以上に敵を熟知していた。
「今行っている実験は、畜産ではなく、天然のレベル0の人間族を効率的に殺した場合の総経験値の算出だ。想像していたよりは多いようだが『奇跡の葉』の大量消費には見合っていない」
ここ数日、三人は既に何度も殺されており、男の脅威の程は地球上の誰よりも分かっている。それでも、男をこの場で倒さなければならないと本能的に行動を開始した。
「だが、天然物に価値がない訳ではない。この世界には人間族が潤沢だ。一人あたりたったの一の経験値であっても、百人殺せば百となる。この国だけでも一千万以上とは、数日仕事になるであろうな」
生物として、種として、三人は絶望的な戦闘を開始した。
三人は戦い続けた。戦死しても律儀に男が蘇らせる。そんな迂闊な敵なら、いつかは倒せるかもしれない。そんな儚い妄想にすがって、戦い続けた。
しかし、異能少女達の命運は尽きるのは確実だった。
まず、最も前線で一番死んでいた桔梗が、立てなくなってしまう。傷は完治しているはずなのに、脚の感覚を失ってしまっている。
「――レベルに似合わぬ働き、実に良い暇潰しとなった。が、そこの贄は経験値がそろそろ枯渇するのであろう。我も経験値の正体は把握しておらぬが、経験というからには記憶が関連しているのではないかと考えておる」
「このッ! 動け、私の脚! まだ動け!」
「その贄は、自分が何者かまだ覚えているか?」
反論しようとして男を睨むが、桔梗は己の本当の名前を発音できずに顔色を青く染めていった。
「その子は桔梗で、私は桜! 今はそれで十分なのよ!」
立てない桔梗に代わって桜が男に突撃するが、一度に一つの異能しか発揮できない桜と、壁や床から無数の根を生やせる男とでは手数が違う。
意地になった桜は、風の刃で男の片腕を斬り飛ばす。が、その直後に根の集団に全身を突かれて空中に持ち上げられて死亡した。
落ちた片腕を造作もなく繋ぎ合わせて、男は桜を復活させる。
「こちらの贄も限界か。よくぞ働いた」
ゴミのように放り捨てられた桜を、月桂花は全身で受け止める。
二人重なった瞬間、効率的だと槍の如き根が強襲し、心臓を突かれて二人とも死亡した。
月桂花が蘇った時、傍には両腕で這いよっていた桔梗がいたが、彼女も迅速に殺される。
針のむしろという言葉が存在するが、三人は休まる暇を与えられずに、剣山のような根によって殺害を繰り返された。
桔梗の顔からは苦痛を含めた表情が失われていく。
桜からも、性格を司る何かが失われていき、言葉使いが不安定になっていく。
月桂花にしても、蘇るたびに思い出せる過去の記憶が少なくなっているような気がする。
「完全に駄目になる前に、聞いておこう。先の通り、我は地上の人間族の乱獲を考えているが……魔界の王と言えど我は王である。義務を果たしている民の言葉には、耳を傾ける」
「桔梗さん、桜さん……まだ、戦えますか?」
「桔梗? 私は桔梗??」
「さくらは赤い、血の色で、まっかっかぁ」
「さて、何を言い残す?」
桔梗と桜の意識は混濁していた。月桂花だけはぎりぎり戦えるが、彼女の異能には攻撃性能が存在しない。三人の無謀は、男に経験値を譲渡する以上の意味を持たなかったのである。
人に依存する生き方しかしてこなかった月桂花は、一人ぼっちを恐れて、二人の手を握って必死に呼びかけてしまう。
これが……月桂花最大の後悔となる。
二人の意識を繋ぎとめていなければ、月桂花は嫌な役目を負う破目にはならなかった。
「――最後の最後になって、お前に、酷い事ばかりしようとしているが、それでも、ゲッケイカ、頼みたい」
能面のような顔をしていた桔梗の目が、少しだけ涙を浮かべた。二番目に大切な親友に贖罪できない己を、恥じた涙だ。
「――私もおかしくなっちゃってさ。もう、ゲッケイカにしか、頼めないわぁ」
言葉のイントネーションは狂っているが、桜は己が何を親友に託そうとしているのか理解していた。
「でも、ゲッケイカが適任よねぇ。人に依存して生きる、愚図だから。どんなに嫌な役目だってぇ。きっと投げ出さずに、永遠にぃ。続けられるわぁ」
握っていた左右の手の感触が強くなる。手を伝って、月桂花の中に温かい何かが流れ込んできている気配がする。が、温かいものが総じて有益とは限らない。
月桂花の腕は、伝ってくる何かに怯えて、酷い寒気に粟立っていた。
「頼む。もう顔も名前も覚えていないけど、家族を救って欲しい」
「私達の犠牲を無駄にぃ。しないでぇ。世界を、救い続けて」
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“ステータスが更新されました
ステータス更新詳細
●実績達成ボーナススキル『死者の手の乗る天秤(強制)』を取得しました”
“大切な何かを一方的に託されてしまったスキル。
物事の基準判断が汚染される。死者が願った通りに世界が救われるまで、冷酷な判断を阻害する感情という無駄な要素を削られてしまう。また、世界を救うためであれば小さな犠牲は苦にならなくなる。
ただし例外として、このようなスキルを取得する原因となった少女達に対する、愛憎は致命的なレベルで深刻化する。
強制スキルであるため、解除不能”
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“●レベル:19”
“ステータス詳細
●力:4 守:9 速:8
●魔:60/60
●運:1”
“スキル詳細
●レベル1スキル『個人ステータス表示』
●魔法使い固有スキル『魔・良成長』
●魔法使い固有スキル『三節呪文』
●実績達成ボーナススキル『死者の手の乗る天秤(強制)』
●実績達成ボーナススキル『不運なる宿命』(非表示)”
“職業詳細
●魔法使い(Cランク)”
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蝋燭の灯火が最後に燃え上がるかのようであった。
月桂花が気付いた時、もう二人の親友は呼吸を止めていた。月桂花を一人ぼっちにして、勝手に安らいでいる。
……そんな少女の顔が憎くて憎くて、仕方がない。
だから、月桂花は特別な苦悩を感じる事なく、そもそも感情が消えてしまったかのような無色の瞳で、男に対して叫んだ。
「わたくしは、具申致します! わたくし達のような少女は! 畜生と同じように扱われて、殺され続けるべきですわ!」
月桂花は背後に二人分の霊的な気配を感じた。が、大役を押し付けた二人に対して、憎しみ以外の感情を持てるはずがない。
「――後ろの正面には、いつも憎むべき二人がいる」
過去編(?)みたいな章もこれで終わりです。
やっと、反撃に移れます。