23-2(?) 悪夢の7日目
―― 七日目 ――
「起きろ、ゲッケイカ」
「どうしました、桔梗さん」
「ここから逃げ出すぞ。やっと、牢屋の鍵の複製に成功した」
誰も時計を所持していないため、今が朝なのか夜なのか釈然としない。そんな寝ぼけた表情をしているから、月桂花は桔梗の言葉を理解していない。
「私の異能属性は、鉄だ。牢屋の鍵だって製作できる」
桔梗は小声で月桂花に語り掛けていた。
地下牢には見張りはいないので、誰かを気にして声を潜める必要はないのに、桔梗の声は小さい。
「では、桜さんも一緒に」
「……あいつは駄目だ。お前を妖怪の一味だと疑っている。連れて行けない」
月桂花に暴力を振るう少女はもう生存していない。七日目の生存者は、桔梗、桜、月桂花の三名だけである。
一番一緒に異能生活を過ごした三人が揃っているのに。こう、立ち上がろうとしない月桂花の手を無理やり引っ張って、桔梗は地下牢の鉄扉へと向かっていく。
「――複製、製造、鉄機工」
水銀のような色合いの枝が、桔梗の手元から成長していく。鉄格子の間から外に伸び、鉄扉の表側に向かって節を作る。
手元に集中していた桔梗が、地下牢の扉を開錠するのに有した時間は一分程度だ。
カチリと少しだけ音が響いたが、地下牢の中央で眠っている桜が起きた様子はない。
異能で吹き飛ばされた記憶は新しいが、桜の交友関係は長い。桜を置き去りにする事に抵抗のある月桂花は、扉が開いても外に出ようとはしなかった。
「これまで、ずっと三人一緒でしたのに」
「言うなッ。それとも、ここで無意味に死にたいのか?」
桔梗は生来の鋭い瞳を更に鋭く研ぎ澄まして、月桂花に選択を迫った。
「わたくしは――」
地下牢の外も、松明で照らされているだけの暗い空間が続いている。
土の肌がむき出しで、地下にあるのに補強しているようには見えない。何故崩落しないかのかは、定かではない。
月桂花と桔梗は、たった二人で、ここ六日間歩んでいた玉座とは正反対の方向に続いている道を進む。
桜は、二人に続いていない。
「どうなさいますの、桔梗さん」
「出口がどこにあるのか分からないが、当てずっぽうでも地上を目指すしかないだろう」
「他に連れて行かれた方々は?」
「初日のと、二日目の奴等か。何を今更、生きているとは思えないがな。……ゲッケイカ、その他人を気遣っているの体を他人に見せるな。不快なだけだ」
桔梗は握力を強めて、月桂花の手を引いて走った。他人に言われるがまま、桜を置き去りにしてしまった月桂花は連れられるだけの荷物だ。
自主性のない月桂花。生存し続けている事にさえ、本人の意思は介在していない。
怠惰が罪ならば、月桂花は罰せられて当然の女だ。
「捕まってからもゲッケイカはずっとそうだったが、どうして他人を気にする」
「普通はそういうものではありませんか」
「そもそも、お前の場合は他人に依存したいだけだろ。そんな生き方はもう続けられないぞ、止めてしまえ」
暗い通路の折れ曲がった先で、光が漏れていた。
ただし、視覚による光の認識よりも、嗅覚による異臭の察知の方が早かったかもしれない。牛舎のような臭いも強いが、嗅いだ事のない生臭さが大半だ。
まだ乙女の少女等は知りようがないが、どこか、栗の花の臭いに似ている。
「――あっちは出口じゃない。違う道に行こう」
桔梗の判断は早かったが、その前に気が付いてしまった。
折れ曲がり角の向こう側から裸体の人間がヨロヨロと姿を現した事。
その人間が二日目に、月桂花の代わりに連れて行かれた級友だった事。
級友は生臭い所から逃げ出したのに、奥からやってきた豚面の妖怪に脚部を掴まれて、引きずり戻されてしまった事。
「お前が安心して依存できる人間なんて、もう残っていないって分かっただろ」
二人は一度見捨てた人物を助けようとはしない。
月桂花と桔梗は地上を目指して彷徨っていたはずなのに、どんどんと袋小路へと入り込んでいってしまっている。
まるで、地下道そのものが巨大生物の食道かで、時間経過と共に道が変化してしまっているような。本当はただ迷っているだけで、地下牢にさえ帰れなくなっているだけなのだろうが。まさか、意図的に迷っているはずはない。
そして、何度目かの行き止まりに到達した時、桔梗は深い溜息をついた。
「ゲッケイカ、すまない。また壁だ」
「桔梗さんの謝る事ではないですわ」
桔梗はこれまで握り続けていた月桂花の腕から手を離して、まったく、と呟く。どうしようもならない現実を振るい落とそうと、頭を振った。
「そう言ってくれる、助かる」
道を引き返すために、月桂花は反転する。
この時、地下牢を出て初めて二人の位置関係は逆転した。月桂花が前で、桔梗が後ろだ。
「――でも、許して欲しいとは言わない」
月桂花は桔梗が何を言っているのか分からず、振り返ろうとした。
……できなかった。居合い斬りを受けた背中は深く傷付いてしまい、振り返る余裕なんてなかったからだ。
「――斬刀、鉄製、居合い。誰にも言っていなかったが、教室で最後まで生きていた私は聞かされていた。私だけが、聞かされていた」
月桂花は痛みからではなく、桔梗の行動そのものに混乱してしまう。
頼っていた存在に裏切られる。月桂花の記憶のどこを掘り返しても、そんな経験は埋まっていない。どう対処すれば良いのかなんて、分かるはずがない。
「私達の中で、生き残るのはたった一人だけだ。あの男がそう言っていた。だからゲッケイカには死んで欲しい」
月桂花はもう何も聞こえない。
心臓の鼓動は弱くなっていき、特別な奇跡なんてこの世にはないから、そのまま停止してしまう。
「――後ろの正面、だあれ?」