22-6 相対する者達
眼下を、泥を弾きながらオーガ群が行軍している。見逃すしかないのが口惜しい。
木の幹に隠れながら、俺は山の斜面を歩いていた。オーリンを探して彷徨っているのだが、やはり魔法少女達の戦況も気になってしまうものだ。
モンスターの姿は川の方だけでなく、山の中でも見受けられる。立哨と思しきモンスターの影がちらほらと現れるが、今のところ気付かれた様子はない。『暗躍』スキルは何気に使える。
オーリンが潜伏していると思われる地点は、おそらく戦闘を開始した地点から見えた山の山頂付近だろう。オーガもそこから大量にスポーンしているようで、山肌を次々と異形が下っていた。
敵本陣が近づくにつれ、警戒が強まっている。オーリン自身は大した強さではないため、闇討ちを恐れるのは当然だろう。
まだバレていないが限界は来る。ある程度の距離まで近づければ、後はスピード勝負で倒すしかないか。
巡廻に現れたオーガ二体をやり過ごし、努めて冷静に登山をこなす。
魔法少女達がいつまで敵を抑えきれるかは分からない。
急く気持ちを制御しながら、慎重に山頂を目指し――。
「――見見見、見ツ、けけけケケたゾ。マママスく野郎」
もう次の巡廻が現れたかの心の中で舌打ちを行って、木の後ろに隠れた時だった。
発音と口調が狂った声が投げ掛けられたと思ったら、何かが斜めに一閃されて、木がズレ落ちていく。
居場所がバレてしまったと、後転して即時移動を開始する。地面の腐葉土に硬い物体が刺さる音がしたので、隠れていた場所に武器が投擲されたのだろう。
一瞬の判断が問われる相手に発見されてしまった。
マスクの裏側で奥歯を噛み締めながら、敵の姿を確認する。
「オ前前前前、セセセせ所為で、オオオオお俺、オオオ俺」
「ッ! こんな時に、よりにもよって」
見た事のある顔だった。もう見ないで済むはずの顔でもあった。
敵は、赤毛の男、勇者レオナルドだ。
木を両断した大剣を肩に担ぎ直しながら、レオナルドは血走った目で斜面の下にいる俺を凝視している。様子がおかしい、では済まされない。
顔色は紫に変色して血管が浮き出てしまっているのも特徴的だが、瞳孔が開きっぱなしの両目は、まったく瞬きを行っていない。
額に見える妙な刻印も気になる。
「殺殺ススススッ、グヘヘヘヘヘ」
まともに会話できそうにない事からも、レオナルドが正気を失っているのは確かだろう。
敵に捕らわれた人間が洗脳されてから再登場する。よくあるパターンであるが、オーリンはレオナルドを使役するためにさらっていったのか。憐れな奴であるが、同情はしてやらない。
「シシシシ、死ね」
「黙れ、再生怪人ッ」
正気を失っていようといまいと、レオナルドが面倒な敵である事に違いなかった。
大剣が脳天目掛けて振り下ろされて、俺は肩に担いでいたアサルトライフルでレオナルドを銃撃する。
倒しても倒しても減らないオーガの大群。
いい加減、嫌気が差した皐月が他二人に提案する。
「こうなったら、一回だけ四節使うわよ」
「火属性は短気だから駄目」
「そうです。この火属性っ!」
即座に却下されてしまったため皐月はややめげてしまうが、主張は撤回しない。
「『魔』の残量ばかり気にしているけど、その前に体力がなくなりそうで辛いのよ。一度目に見える範囲の敵を一掃してから、小休止しましょう。その方が派手だから、敵の目を私達に向けられる」
敵に注目される分だけ、御影の安全性が高められる。
こう皐月は主張を補強して浅子と来夏の反論を封じた。少しズルい気がしながらも、ぜーぜーと荒く息を吐く。戦闘が開始されて既に一時間近く経過している。レベルアップによって常人よりも体力強化されている魔法使いであっても、そろそろ限界が近い。
「皐月の『魔』に余裕はあるのです?」
「ないけど、もう武器もないし、ヤケよ!」
御影が置いていった重機関銃は弾切れでもう使えない。
皐月が気に入っていた無反動砲は既に全弾撃ちつくしてしまった。
身軽になった事を素直に喜べないまま、皐月は大魔法の呪文詠唱に入る。
「――全焼、業火、疾走、火炎竜巻ッ! 目に見えるすべてを焼き尽くせぇえッ!!」
見上げても頭頂部が見えない、巨大な火炎旋風が発生する。
大気を吸引するついで、近場のオーガも炎の渦に取り込んで灰にしているだけではない。自発的に蛇行して、次々と新たな化物を葬っていく。
この火炎旋風は、皐月が覚えている魔法の中では持続時間が長く、広範囲に被害をもたらす事ができる。実際、平地を埋め尽くしていたオーガが一匹残らず火葬されてしまっており、モンスターの鳴き声でやかましかった戦場は静けさを取り戻していた。
発生源に向けて進んでいた炎の竜巻は、時間と共にしぼんでいき、最低限の役目を終えて消失する。
皐月は長い溜息を付いた後、腰を下ろす。仮初であるが敵の進攻が止んで安堵したのだ。
「またレベルが上がった。これでもうレベル72……」
欲しい時には得られなかった経験値が、特別求めていない時には大量に手に入る。皐月は笑いたくても疲れていて笑えない。
「浅子。九秒チャージしておきなさい」
「ブルーカウ持っているからいらない」
周辺に敵性の『魔』がいない事を確かめた後、三人は夜食を開始する。
皐月は愛用の巾着袋から市販品のゼリー食品を取り出した。他二人も戦闘で失われたスタミナを回復するために食べ物を口にする。
「……それで来夏。さっきのは何?」
「何の話です? この一本満腹って美味しいのですか、食べた事ないのですが」
「兄さんとキスした件について。普通にカロリーメイツを選べばよかったのに」
「キスぐらい、学園生なら半分以上経験済みです。カロリーメイツは御影がコンビニで適当に買ってきた中になかったです」
遠くにはまだまだ『魔』の大群が確認できている。休憩時間は長くても十分ぐらいだろう。
「さっきのが初めてだった癖に。どうして来夏まで御影をっ! まさか……私に対抗してじゃないわよね。後、戦闘中に固形物だと胃が辛くない?」
「皐月とは関係なく、純粋に恋しているです。なんだかんだと御影には助けられているですから。それと、皐月のゼリーは腹持ち最悪です」
「兄さんは渡さないから。……花を摘んでくる」
戦闘の合間に追及するべき事案ではないと思いつつも、皐月は来夏との距離をつめていく。己以外に御影を愛する人物は、正直なところ不要である。
「いつの間にか、なんだか好きになっていたです。それで良いじゃないですか!」
「浅子といい、来夏といい。どうしてあんな正体不明のマスクを好きになるのよ。馬鹿じゃない」
「初源の馬鹿に言われたくはないですっ!」
浅子が戻ってくるまでの間、皐月と来夏は黙ってにらみ合っていた。元々、天竜川で一番の魔法使いを競い合っていたライバル同士。相性が良いとは言えない。
それでも男を争って掴み合いの喧嘩にならない程度には、信頼関係は築けている。彼女達は戦友なのだ。
「……御影、浮気もする奴だから。最悪にも、桂とかいう敵の女が相手だし」
「知っているから問題ないです。私は皐月と違って、男を放し飼いにするような隙は作らないです。別に女がいたとしても、体を使ってでも――」
「…………まあ、浅子にはかろうじて勝利しているか」
「……ごめんです。誇張です。自信ないです」
浅子は後ろでただいま、と言っているが二人は気に止めていない。
「でも、桂程度に負けるつもりはないです。スキュラが言っていたですが、あの女、見かけ以上に歳を取っているですから」
「あの女、いつから敵に寝返っているのよ……」
「そもそも敵の女なら、心置きなく葬ってやれば良い訳ですから――」
「――わたくしを敵として認識していただけて嬉しいですわ。わたくしも、魔法使いという存在に憎悪しておりますから」
下弦の月を背景に、長身の女が夜空に浮かんでいた。
思わぬ方向から投下された女の言葉に、魔法使い三人組は腰を上げる。特別、反応の早かった浅子は既に魔法を放っている。
「――串刺、速射、氷柱群ッ」
「――偽造、誘導、朧月。天竜川の魔法使いは救済されるべき存在ですわ。悪意によって生み出された存在は、善意によって救われて初めて補填が効く」
浅子が放った数十本のツララは、女の足元で突如消滅してしまう。魔法をこうも静かに消し去る魔法を、三人は知らない。
「けれどもそれは夢の夢。この世で善意が成立した例はありませんわ。少なくとも、天竜川では前代未聞。このわたくし自ら、許した覚えがありませんもの」
皐月達は浮かんでいる女の正体を知っている。
桂という名前の、主様に仕えている人類を裏切った魔法使いだ。
「わたくしは魔法使いを許さない。それは貴女方の所為ではありませんが……正直に言ってどうでも良い。消えてもらいますわ」
桂が着ているドレスの裾では、散った数種の花弁が揺れていた。