「つかさの冬」第2部 7.冬の終わり
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最終回
ホテルを出たとき,空には目も覚めるような青空が広がっていた。
気持ちよさげな鳥の声。
朝独特の,清涼な空気の匂い。
行き交う人々。
ようやく起き出した,華やかな商店街の様子。
「朝だぁ……って感じだね」
小さく呟いて,向こうの何かをじっと見つめるつかさの目が,どことなく慈しむような,優しい
色を浮かべているのを真中は見た。
「どうしたの」
「ふふふっ……何でもない。淳平くんの……光のおかげなんだなあ。うふふっ」
「ん?」
「行こ? 淳平くん」
微笑を浮かべ,つかさは跳ねるように歩き出す。
つかさの言葉の意味するところは分からないが,その幸せそうな様子に笑みが零れた。
真中は歩きかけ……ふと,視線を横に滑らせる。
まだ,人も車もまばらな道路。
静かなその道路の両脇には,冬芽をびっしりと枝々に身につけた街路樹が見える。
先日までは,白い雪が降り積もって,その姿を人目から隠すようにしていた木の幹と枝だった。
それがいつの間にか,白い雪をまだ残しながらも,これからの暖かな季節を待ち望むかのように,
たくさんの冬芽を大きく膨らませている。
静かなのに,何だか躍動感を感じる。
凍てつく冬に,じっと耐え続けた生命力だ。
その佇まいが,綺麗だな…と思う。
「ああ,もう春なんだな」
少しずつ,季節は動いていく。
あの街路樹は,何かを待っている間,そのことを知っていたのだろうか。
それとも,知らないまま耐え続けてきたのだろうか。
真中は,ゆっくりと視線を戻し,つかさの後を追った。
いつか…誰も気付かない,ああいうひたむきな強さ,美しさを映像にしたいと思いながら。
2人には,やりたいことがたくさんあった。
誰とでもなく,2人だからこそ意味のあること。
2人だからこそ喜びを感じること。
街を気の向くままに歩き,行き着いた映画館で何を観ようかと相談し…
上映が終わった後は,近くの店でお茶とケーキで,感想を話し…
賑やかな動物園を,手をつないで巡り…
街を大きく見渡せる展望台で,はしゃいで記念写真を撮り…
失われ,空白だった部分に何かを埋めようとする行為は,傍目から見れば初々しいカップルのもの
と何の変わりもない。
そして今…
まだまだ明るい日の中,2人は公園のベンチで,互いの体温を感じるかのようにただ黙って寄り添う。
何も話をしない,静寂な空間。
2人には,最高に幸せな時間だった。
「淳平くん……話があるんだ……」
唐突ながらも,自然に出てきたつかさの声。
それが何を意味するのか,真中には予感があった。
「……うん」
だから,真中は相づちを打って優しく頷く。
待っていた。
つかさが,その言葉を口にすることができるのなら,自分は全てを投げ打ってもいい。
それだけの価値がある言葉。
「淳平くんに救ってもらって……こんなこと言うの…多分……凄く我が侭なことなんだけど……」
つかさは言いさし,真中の柔らかな瞳に迷い,躊躇して言葉を切る。
ここまで言っても,やはりどうしようかと迷っているのだろうか。
しかし……それでも,止めることなどできるはずもない。
……大丈夫だ……西野……君の心は進み始めている……生きたいと願っているんだ……
真中は,じっと待つ。
やがて…
意を決したように……つかさが,もう一度顔を上げた。
凜とした瞳で。
「あたし……フランスに行くよ」
「ケーキって,不思議だよね。昨日も…今日もね,淳平くんと一緒にケーキを食べたとき,あたし,
本当に普通の女の子に戻ったような気持ちになったの。見ているときから華やかで『うわぁ,綺麗』
って楽しくて……食べてみると,甘くて幸せな気持ちになって……ああ,やっぱりいいなと思ったの。
あたし……今まで思っていた以上に,パティシエになりたい。そして……どんな人の心も甘くして
上げられるような……そんなケーキを作りたい」
そう話をするつかさの顔は,揺らぐまいとする決意と,大きな不安に必死に耐えているかのよう
に見える。
「本当は,淳平くんの側にいたいけど……夢を掴むために,あたし頑張りたいの」
つかさの言葉の一つ一つを,真中は噛み締めるように聞いた。
「西野……」
真中の胸に,愛しさがこみ上げる。
つかさの言葉は,前向きな言葉というだけでは,到底はかれないほどの重みがある。
『本当に普通の女の子に戻ったような気持ち』とは,いったいどれほどの悲しみを背負った女のコ
のものなのか。
そして,『甘くて幸せな気持ちになった』とは……
つかさは,乗り越えようとしている……そのことがよく伝わってくる。
……本当に凄いよ…西野……俺は,君を誇りに思う……
喉に熱いモノが溢れる。
熱い感情が,押し寄せてくる。
「よかった……」
真中の口から,言葉が零れた。
「淳平くん……本当に賛成してくれる? 嫌だったら言って?」
心配そうなつかさの声に,真中ははっと顔を上げた。
大げさなほど,明るく笑って見せる。
「当たり前じゃないか! 西野がそう言ってくるのを,本当はずっと知ってたんだぜ? ふふふっ,
凄いだろ!」
込み上げる寂しさを悟られないように,口元をほころばせる真中に,つかさはあくまで真剣な顔
だった。
「本当に……いいの? 嫌じゃない?」
虚飾を許さない,正面から見つめてくる目。
真中がよく知る,つかさの目だった。
「ああ……西野の夢は,俺の夢だよ。本当だ。ずっと,そう言ってくれるのを願っていた」
「西野なら………きっとできるよ」
肌寒さが,胸の中に入り込んできたような気がする。
しかし,それ以上の歓喜が身を包むのを真中は感じていた。
つかさが大きく目を見開いて,ぱあぁっと表情を明るくさせた。
それを見る真中の胸にも,喜びが広がる。
つかさは,もともとこういう女のコだった。
「ありがとう! 淳平くん! あたし,頑張るよ! 淳平くんに負けないように一生懸命頑張って,
あたし,絶対なってみせるよ!」
抱きついてくるつかさの顔は,溢れんばかりの清々しい輝きに満ちていた。
「大丈夫さ! 絶対,西野はできる! 世界のつかさになって帰ってくるのを,俺,ずっと待って
るから!」
「本当!? ずっと,待っていてくれる!?」
「もちろんさ! でも,俺だって世界の真中と呼ばれるような映画監督になって,あちこち飛び回っ
ているかもしれないぜ!」
「そしたら,パリでデートだね!!」
「いや! パリで映画撮影だ! 『つかさの』……」
少し考えあぐねる真中に,間髪入れずにつかさが続けた。
「『つかさの春』……なんて,どう?」
言いさす意味に,軽い緊張と驚きを感じ,真中はつかさを見上げる。
しかし,つかさの頬に,張り詰めたものはなかった。
ただ,柔らかな微笑みと,温かな眼差し。
「一人の女の子は,いろんな試練を乗り越え……成長し……10年越しの恋を成就させました……」
真中は驚いた。
つかさの,生きようと願う生命力の素晴らしさに…
口元を緩め,感嘆する。
「つかさ………素敵だよ……つかさ……それは…最高に素敵な映画だ」
目の奥に,熱いものが広がってくる。
しかし,それを拭おうとは思わなかった。
これは,間違いなく,今,最高の幸せの印……
真中は,この瞬間を胸に刻もうと,つかさの顔を見つめた。
「淳平くん……ようやく…つかさ……って呼んでくれたね…」
「ふふふふっ…」
体中に満ちた喜びに,じっとしていられなくなったように,つかさは公園に向かって駆けだした。
まだ残る雪で化粧された公園を,つかさが踊る。
軽いステップを踏み,にこやかな笑顔で。
「あたし,フランスに行っても今日のこと,絶対に忘れないよ。淳平くん,本当にありがとう」
幸せな表情に,白い雪の色が映える。
「ふふふっ,どう? このパーカー,とっても気に入っちゃった。大事にするよ,淳平くん」
クルクルと回る度,白いパーカーがふわっと舞う。
その度,背の鮮やかな水色のラインが,つかさの笑顔を彩った。
一陣の風。
吹きすさんだ風の冷たさに,一瞬顔を覆った真中は,再び現れたつかさの姿に息を呑んだ。
数秒にも満たない映像…
真中は,そのときのことを,その後数十年に渡ってスローモーションのように記憶する。
「つかさ…」
そこにいたのは,雪の妖精だった。
つかさを取り囲むように,舞い踊る粉雪,つむじ風。
周囲の木の枝々に降り積もっていた雪が,一斉に粉雪となって白い帯のように舞い,つかさの踊り
に華を添えていた。
日の光に反射して……きらきら,きらきらと。
小さな輝きは,つかさの周囲をいっぱいに舞い続け,ともに喜びを表す。
まるで,公園向こうの街路樹までが,つかさを祝福しているかのように真中には見える。
天に向かってしなやかな腕が伸びる。
光に指先が届き,大きな弧を描く腕とともに,縦横無尽に全身が勢いよく跳ね動く。
乱れぬステップ,白く熱い息が躍動感に満ちていた。
「淳平くんっ……あたしね………あたしねっ……今……胸の中が,いっぱいでっ」
「とっても幸せなのっ!」
つかさの踊りは,いつまでも続く。
まるで,今までのことを…
今日のことを,刻み込むように…
「綺麗だ………つかさ………とても……とても綺麗だよ……」
真中の胸に,熱いものが込み上げていた。
冬来たりなば,春遠からじ
厳しく凍てつく風も,永遠にはなく
つかさの冬は,今,終わりを告げた。
終わり
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