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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

大型免許教習車両

2025年06月22日 | open



二輪免許取得の教習所では
馬力37PSの745cc
に乗らせ
て大型免許が取得で
きる。
そのスペックの二輪で取っ
た免許で排気量無制限の二
輪に
乗れる。188PSの隼も
200PS
のR1も。
37馬力のナナハン二輪車と
うのは一体何なのか。
「円周率3でいいよ」以上
「1、2、沢山でいいよ」
とい
うのが数学の問題みた
いな感
じだ。
かつての2スト250クラスの
249ccでさえ45PSだ。カプラ
外せば60PSになるという車。

そういうのをごくフツーに
の時代の人たちは乗りこ
なし
ていた。自動二輪中型
限定免許で。

今、大型二輪では37PSの車
排気量無制限免許を取ら
せる。

そして、公道に出て、ビッ
バイクに載って、おぼつ
かな
い運転で、二輪を制御
できず
に事故を多発させて
いる。

立ちごけ、握りごけ、踏み
け、路外進行の脱輪で側
壁やガード
レールに激突・・・。
現行の大型免許なるものが、
実は二輪運転の実力とは一
関係がない事を如実に物
語っ
ている。

根本的に、最初の段階から
かが根底からバッコシと
間違っているように思える。

そりゃ、世の中下手だらけ
なるでしょうよ。いわゆ
る本
来の大型車ではない車
で免許
を簡単に取得させて
るのだか
ら。
新原付の49ccクラスの出力
モデルの排気量だけ125の
二輪で教習させて小型二輪
免許をあ
げるようなもんだ。
「排気量は125だから」
か言って。


バイクの根本からして、37

馬力という250クラス以下
出力に落としたナナハン
大型二輪免許を取得させ
というのは、完全に無理
ある。無理ありありで、
「無理やり取らせる」
とい
うのが見え見えだ。

1995年の米国の政治圧力が
如何に日本の支配層に打撃
で、内実としてそれにひれ
伏したのかが
よく解る。

それにしてもホンダの技術

力も凄い。排気量が745cc
もあってたった37馬力とい
う低出力の車をよく作れた
ものだ。想像を絶する低馬
力。なんせ排気量1/3の車
両よりも少ない出力のエン
ジンに仕上げているのだか
ら。
だが、エンジンの開発方向、
コンセプトからしたら大幅
に技術の使い方の正道を逸
脱している。根底から間違
いだ。
例えるならば、ブレーキを
できるだけ利かないような
ブレーキを開発するような
もの。技術力の駆使の方向
が根本から間違っている。

いっそ、大型免許区分など
無くしてしまえばよいでは
ないか。
1975年10月以前のように。
ただの「自動二輪」でよい
ではないか。
現行制度は根本からおかし
いザル制度なのだから。
教習や卒検に使っている車

両からして、あり得ない変
ちくりんな車両を使ってい
る。

私は大型二輪免許保持者だ
が、そういう中身無しの区
分はやめにして、ただの自
動二輪という免許枠でいい
のではと思う。
もう少し免許取得をかつて
の1970年代のように中味を
厳しく
して。
円周率3以下の「1、2、沢
山」というような大甘ぬる
ぬるの最低な試験はやめに
して。

1980年代のある時期の限定
解除試験車。CB750FOUR-Ⅱ/
735cc/65PS。1977年式。


65馬力は当時のフルスペック
だった。
この不人気車種がかなりの期
間試験車に使われたが、次機
種はCB750Fだった。70PS。
いわゆるグンちゃんバイク。


つまり、かつての限定解除制
度時代には、その時点での最
大出力の車で試験を実行して
いた。
現行の現代高性能車両に乗れ
る免許ならば、むしろ試験は
昔より難しくなっていないと
整合性が無い。しかも、最低
でも150PS位の車両を使って
の教習と試験が実施されてい
ないと実用性がゼロだ。
だが、現実は真逆だ。
根本からおかしいのだ。今の
免許制度と教習のやり方が。
今の250cc以下と同様の超低
馬力車両を使い、かつ昔の中
型二輪免許よりも簡単な現行
の大型二輪免許取得形態は、
交通安全の実現の現実的見地
からすると全く意味が無い。
意味が無いどころか弊害。

普通二輪、大型二輪枠を無く
して1975年以前の制度に戻し
て、二輪免許は単なる「自動
二輪」として免許制度を一本
化すべきだろう。実施してい
る教習卒検の内実の矛盾から
すると。
もしくは、大型二輪とするな
らば、現行車両と同程度の車
両を以て教習と卒検をやるべ
きだ。さらに教習課程は昔の
ように厳しくして。車両引き
起こしも燃料フルと同じ状態
を再現するためにタンクに砂
満載の車両、しかもサイドガ
ード無装着の車両で引き起こ
しをさせて。それができない
と受講さえさせない、という
形にきちんと正しく戻して。
たぶん、女性はほぼ全員が不
合格になるだろうし、男も受
験資格さえ得られない者が続
出だろう。

だが、それが正しい。
実際に公道に出て、自分が乗
るバイクが倒れて、自分一人
で起こせないとどうなります?
誰も来ない山の中で一人で。
合格偏差値を35に下げて合格
させる「難関大学」てのは無
いし、あったらいけないんだ
よね。日本の最高学府の在り
方としては。東大京大早慶を
偏差値35のBFで誰でも合格で
きる難易度にしたら、日本の
学術機関の学力どうなると思
います?最新医療や宇宙開発
や先端技術を駆使する産業の
発展など実現できると思いま
す?
だが、そのあってはいけない
事を日本の二輪免許制度では
やっている。お国と関係者た
ちが。アメリカの圧力によっ
て国家資格の在り方を変質さ
せて。
そして、未熟な技量のまま大
型二輪免許を取得した国民が
教習所とはまるで違う高性能
高出力二輪に乗って、扱い切
れずに公道でどんどん事故を
起こしている。
亡国の国政とはこれではない
のか。

  
 

 

 
 


 

 
 

 


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