年金不安の正体 (ちくま新書)
日本の年金制度が危機的状態にあるというのは常識だが、本書はその常識に挑戦し、年金危機は「日本人の心の中にある」幻想だという。

これは一見、驚くべきことを言っているようだが、実はそれほど意外な話ではない。厚労省の年金マンガと同じロジックである。終章に出てくる権丈善一氏の話がそれを要約しているので、基礎知識のある人は終章だけ読めばいい。

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経済学者の批判は「超高齢化すると賦課方式の年金では将来世代の負担が重くなる」ということに尽きる。本書もこの事実は認めるが、それは賦課方式では必然的に起こるのでしょうがないという。積立方式のほうが将来世代の負担が少ないことも認めるが、積立方式に移行するのは巨額の二重の負担が発生するので不可能だから、賦課方式で問題はないという。

これは論点のすり替えである。厚生年金は1942年に積立方式で始まったが、田中角栄が1970年代にバラマキ福祉を拡大して賦課方式を導入した。これは「老後の積立を公的に代行する」という考え方から「老後の生活を同世代の負担で支える」という考え方への大転換である。

世代会計でみると、今のゼロ歳児の生涯所得(受益-負担)が今の60代より約1億円少なくなることは算術的に明らかで、厚労省も否定できないが、それは「不公平ではない」という。これは価値観の問題であり、国民が選挙で決めるべきことだが、賦課方式に転換したとき、その当事者である今の現役世代は同意していない(まだ生まれてもいなかった)。

積立方式に近づけることはできる

ベーシック・インカムについても、本書は否定的だ。確かに原田泰氏のいうような一人月額7万円程度では、今の社会保障サービスを完全に代替できない。生活保護の標準的な支給額である13万円を全国民に配ることにすると、所得税率は80%にもなってしまう。

ただこれは負の所得税(給付つき税額控除)のように、部分的に現在の社会保障を置き換える方法もある。最低保障年金などの折衷的な方法もある。

大事なことは、負の所得税のような年齢に依存しない所得再分配がもっとも歪みが少ないということだ。積立方式の年金も政治的には不可能だが、世代による不公平をなくすことができる。それを基準にすると、現在の賦課方式の年金の歪みの大きさがわかる。

現実には賦課方式をやめることはできないので、積立方式に近い公平な負担を実現する必要がある。本書もいうようにマクロ経済スライドのような仕組みをフルに活用して、将来世代の負担を少なくする必要がある。そのベンチマークとして積立方式は有用なのである。