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  21

















石畳を渡る風は、音を増す。
二つの肩を、並べて歩く。


触れそうで触れない、コートの裾のはためく音に、
石畳を刻む足音が絡む。











「ここだよ。」
ぶっきらぼうにタニの指差したそれは、
アパルトマンというにはいかにも小さく。
両側のビルに窮屈そうに挟まれる。
薄暗い階段を彼の後に続き登る。

「エレベーター位、無いのかよ。」
「貧乏な留学生なんだぜ、俺。」
唇を尖らせながら、鍵を差し込む。
「この辺じゃ、ここが精一杯。」



軋みそうなドアを開ける。
ステュディオと呼んだ方がいいような屋根裏部屋。
最小限の家具と本棚と、小さなキッチン。
俺はその辺のスツールに腰をかけ、抱えてきたワインの袋を置く。
「ワイングラスは?」
「その辺、適当に探していいよ。」


「はい、店の残りもんだけど。」
小皿にパテとオリーブをのせて、タニは床にぺたりと座る。
「どうも・・・具合悪いな。」
「じゃ、あんたも座ればいい。
 どうせ椅子はそれしかないし。」
面白そうにタニが言う。
「それもそうだ。」
皿とワインを持って俺も床に座る。



「乾杯。」
「何に。」
「さあな。」
俺たちは共犯者のように、目配せして乾杯する。
お互いの脳裏に浮かぶものはお互いにわからぬままに。








時が緩やかに流れ出す頃、
言葉がぽつりぽつりと流れ出す。
「ホテルは辞めたんだってな。」
「あ・・・うん。」
戯れのように、会話する。
「兄貴の知り合いってだけで、
 セルジオさんにこれ以上、迷惑かかってもいけないし。」
グラスを抱え揺らしながら、その水面を眺め答える。
「よく見つけられたね。」
「うちの情報網も、馬鹿にしたもんじゃないからな。」
そう言って軽く笑ってみせる。
「なんで、会いになんか来たわけ?」
さりげなさそうにタニが顔を上げる。
「あ・・・にきの事、話したかったとか?」
琥珀の目が僅かに曇る。
「そういうわけじゃ、ない。」
俺はグラスに口をつける。


「ふうん。」








街のざわめき、アパルトマンの生活の音。
時折混ざるクラクション。
切り離されたような、屋根裏の部屋。
靄の向こうの景色を、手探りで探ろうとするようなぎこちない会話。
胸の奥に、漣が立つ。







「じゃあ、・・・ユウヒさんの事?」
「いや、それも違うな。」
残った酒を、一息であおる。

「全部あんたの中では、片がついちゃったってわけ?」
こちらを真っ直ぐに見つめる。
なにかを決めようとするかのように、唇が引き締められる。
「そう、思うか?」
俺も真っ直ぐに見つめ返す。
しばし、瞳が交錯する。
「ううん、多分違うね。」
そう言って、グラスを額に当てる。
形の良い唇が、小さく緩む。
「ああ、そうだな。
 多分。」








俺たちは多分、同じ白い傷痕を残しながら、
それでも生きることを選んだ。
俺は斜を、彼は前を向いて。
互いの胸にある、答など出るはずのない問いかけ。
全てを抱え生きることを選んだ。








「じゃあ、どうして・・・・」
言葉の終わる前に、俺は彼のグラスを掴む。
そのほっそりとした指に指を絡めながら。
見開かれた瞳は、それでも逸らすことなく俺を見つめ返す。
静かにグラスは床に置かれ、
吸い寄せられるように俺は顔を近づける。
彼は動かない。
ただ薄く開いた唇が、息を止めたように。






静かに柔らかく、唇が触れる。
ざわめきも車の音も、何もかもが消えてゆく。






そして、もう一度俺は唇を合わせる。
不思議なほどに緊張しながら、それでいて穏やかに。
緩やかに絡まる舌、熱い息が伝わってくる。

いつしか手を固く絡めあって。
お互いの肩に顔を乗せ、
お互いの魂に、まるで祈るように。






「俺が、好きか・・・」
「多分。」





柔らかくうねる栗色の髪に、鼻を埋める。
タニは強張ったように動かない。
琥珀の睫に唇を寄せる。
頬を唇が滑る。
魂のどこかに同じ疵を持つ。
俺たちの波長は同調する。

静かに涙が頬を伝う。
それは待ち侘びていた誰かに、やっと出会えたような。
しなやかな身体を抱きすくめ、
確かに返される抱擁に俺は癒される。
止まらない涙。
今はもう、お互いに。
過去が、現在が、
堰を切ったように流れ出す。






唇と唇を繋げたまま、彼の纏うものを剥いでゆく。
柔らかく、いとおしく、言葉はなく。
ただ、見つめる琥珀の瞳を感じながら。


重ねあうのは、胸の鼓動。
伝わるのは、静かな想い。
その存在を、確かめるかのように唇を滑らせる。
緩く開く唇、蠕動する睫。
これほどまでに愛しいものであったこと。


薄く光る身体を抱き
導かれるように、俺たちは重なりあい、
繋がりあう。
それは身体だけではなく、魂も。




「う・・・んめいの、相手・・」



ぽつりとタニが呟いた。
天窓から零れ落ちる、月の翳。


「ああ・・・多分な。」



腕を回しあって、
眩暈するような幸福感に包まれて、
俺たちは眠りに落ちる。














振り返れば、たゆたう幻。
色を移す街は、甘やかに。
紺碧の地中海は、鮮やかに。
降りしきる雨音に、乱舞する幻。



行き交う人々は、
其々に疵を抱え、
傷つけ、癒し、
出会い、別れる。



それは夢となり、幾層もの澱となり。
脚をとられ、沈みかける。
溺れながら、もがきながら、
ただ一つの手を求め続け。







そして夢の果て、
俺たちは運命に出会った。








   










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