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どろりとした海面から、午後の照り返しが瞳に痛い。



「ユウヒ、カーテンを閉めてもらえるか?」
遠く気だるく聞こえる鴎の声すら、疎ましい。
俺はカウチで長く身体を伸ばす。


「具合でも悪いのか?」
もう一仕事終えたユウヒが、袖まくりのまま隣室から出てくる。
「いや、光が鬱陶しい。」
「贅沢なもんだ。」
笑いを含んだような声でカーテンを閉める音がする。
窓際のテーブルに放り出した紙片に目を留める。



「又か。」
「つまらない悪戯だ。」
「にしちゃ、しつこいな。」
逆光の横顔の眉間に皺が寄る。
「本気だったら、それはそれで面白い。」


復讐するまでに誰かの感情を揺さぶる。
それほどの揺らぎに巻き込まれることは、
この物憂さの底にたゆたっていることよりも遥かに魅惑的だ。
俺はもう倦み疲れているのかもしれない。
今の澱みきり贅をつくした、悪い夢の中のような日常に。
仕方なく起き上がり、ユウヒの切れ長の眼差しに晒される。

「どこにあった?」
「ドアの下に挟んで。」
「心当たりは?」
「ありすぎ・・・・・かな。」
思わず笑いが洩れる。
「つまらんアバンチュールにばかり、せいを出すからだ。」
「色恋沙汰ならば、まさにドンファンそのものじゃないか。」
色恋沙汰など、今の俺からどれほど遠くにあることか。
それを分かっている二人の間だけに、共犯者めいた皮肉な笑みが浮かぶ。


「頭を冷やしてきた方が、よさそうだな。」
眉間の皺はそのままに、ユウヒが呟く。
俺はサングラスをひっかけて、粘つくような陽射しの中海岸に向かう。












一人残された部屋で、ユウヒは又紙片に目を通す。
悪戯にしては、度が過ぎる。
色恋にしては、なにか感触が違う。
もっと根深いどこかから来ているような、
剥き出しの感情をぶつけているようで、実はそうではない。
そして、夜中にホテルの部屋に手紙を差し入れられる者は限られる。








「失礼します。」
朝食の片付けに、あのベルボーイがやってくる。
ユウヒの視線をさりげなく避けながら、てきぱきとした身のこなしで。
この青年は最初からどこか違っていた。
リカを初めて見る者たちの眼差しは、二つに分けられる。
羨望と好奇。
だが、彼の瞳はどちらも持ち合わせてはいなかった。
それは昔日のものを見つめる眼差しに近い。
冷たさと、それでも引き寄せられる眼差しだった。


だから、リカが魅かれた。



もう知る者は恐らくいないであろうあの傷跡を、
彼は浮き上がらせる。
それは、この面差し。
そして、琥珀の瞳。
あの遠い日、見守る事しか出来なかった俺は、
どれほどにそれを渇望したことだろう。
リカの才能が愛したものに対して、
混濁する嫉妬と渇望。
そのアンビバレンツな感情の発露が、
どれほどに歪んだものだったとしても。


パリの街に風化したものと思っていた。









「お前・・・タニっていったか?」
「はい」
怪訝そうに振り向く小さな顔。
「少し、時間あるか?」
「あなたは?」
「リカのビジネス・パートナーのユウヒ。」
「俺に何の・・・?」
琥珀の瞳に虚勢が揺れる。
「大したことじゃあ、ない。
 ただ・・・リカのドンファン振りが、ちょっと気になる。」
「それが、俺に・・・・何か関係あるんですか?」
「多分・・・・大いにね。」
俺は手元の紙片を振ってみせる。
彼の形の良い唇が、分からぬほどに引き結ばれる。
「お前の何が、リカを揺らがせたか。
 奴が記憶の彼方に葬ったリカを、
 お前は掘り起こしているのかもしれない。」
俺は何を言おうとしている。
これは破滅への道かもしれないと思いながら、
それでも舌は回りつづける。
「あの・・・・悪い夢から覚めることができるのかもしれない。」
これは俺自身への言葉。
リカよりもなお、どっぷりと浸っている。
この甘く悪い夢から引きずり出された時、俺はどうなるのだろうか。





「話に・・・興味が湧いたか?」
口を開くべきか否か、唇が逡巡する。
その隙を突き、俺は畳み掛ける。


「そちらに腰掛けて、少し話をしようじゃないか。
 セルジオには俺から電話をかけておく。」







リカはまだ、帰らない。











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