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 7.











二日酔いでふらつく頭を抱え、午後の浜へ足を向ける。



大気は水銀のように濁りぎらつき。
青味がかった海が、光を映し捻り煌いて。
遠くで遊ぶ子供の声が、波のざわめきに溶けて耳に届く。
柔らかな色のパラソルの陰で、デッキチェアに身を横たえる。



なんとはなしに持ってきた本を膝に開く。
魔の山、焦点の合わない頭で読むもんじゃないが。
アッシェンバッハを気取り、帽子を引き降ろし目を瞑る。
ざわめきは遠く霞み、真昼の幻惑に落ちてゆく。












父は完璧な貴族だった。
神聖なまでに昂然と、倫理と高邁な自制心で作られたような。
ただ一度、それが破られたのは舞台に立つ母を見たときだという。
情緒が芸術の域までに高められた踊り子ふぜいと、
灼熱の恋に落ちたからなのか、
渇望する芸術の高みを見つけたからなのか、
もう知る由もない。


そして俺が生まれた。







父は不能だった。













記憶の中にある彼は、常に誇り高く徳深く。
人々の敬虔な賞賛を浴びる貴族であり。
それが彼の倫理によるものなのか、規律によるものなのか。
今となってはどうでもいい。
ただ、常に放埓な妻を愛するようにありつづけた。
そして、妻に瓜二つのその息子を。
あるべき姿のまま生涯を閉じ、
そして俺は、冷たい真実を胸に擁き続ける。










遠く笑い声が木霊する。
眩暈のように半睡の世界が、回り霞む。










「あっ・・・」


いきなり重みを覚え、目を開く。
目の前にあの青年の、ばつの悪そうな顔が大写しになる。


「いってえ。」


「ごめんなさい。」
ビーチボールを抱えた子供達が、口々に周りに寄ってくる。
「気つけろよ、ほら。」
青年は特大のビーチボールを投げ返し、俺の膝から慌てて立ち上がる。






普段着らしい柔らかな生成りのシャツをはたく。
たわいない仕草が、生来の伸びやかさを際立たせる。
軽やかに膝の砂を払い、目を上げて又伏せる。




「俺のせいじゃ、ないからね。
 あいつらがぶつかってきたんだ。」


昨日の今日だ、眉が強張っているのは仕方ないか。
立ち去ろうとする彼に声をかける。
「今日は、休みか。」
警戒するような目で、こくりと頷く。
「悪かった。」
二重の瞳が陽射しを散らせながら、ゆっくりと上がる。
「なにが?」
「ちょっと、酔ってたんだろう。」
海はいつしか凪ぎ、中空から傾く陽光だけが静かに彼に注がれる。
「酒の匂いは・・・・しなかったけど。」
「いつも酔ってるようなもんだからな、俺は。
 ともかくも、悪かった。」
「まあ、いいよ。
 たいしたことじゃ、無いよ、別に。」



怒るだけならば、さっさと立ち去りそうなものなのに。
すこし眠ったせいか、ぼやけた頭がだんだんと焦点を結びだす。




「仕事だから、ちゃんとやるよ。」
そう言ってきびすを返しかける彼を、止めるつもりだったのだろうか。
立ち上がり、本が滑り落ちる。






擦り切れた写真が、記憶の隙間から零れ落ちる。












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