4.
カジノのざわめきを、俺達はゆるりと漂う。
「パトリシアは?」
「どっかでスッってるだろ。」
暇を持て余した客達は、札びらを切ってスリルを買いに来る。
そんなテーブルを冷やかしながら回っていく。
「やらないのか?」
「どちらにしても、こちらの懐に入ってくる金だ、つまらない。」
「それも、そうだ。」
ルーレットが止まり、ざわめきが上がる。
「景気良く負けてる客がいる。」
テーブルの真中で、気位の高そうな女が顎を上げている。
目の前のチップが一かきで消えてゆく。
小さく溜め息をついて、こちらに気がついたように。
マスカラで膨れ上がった睫が見開かれる。
化粧は厚いが、まだそんな年でもないだろう。
金持ちの旦那に置いてきぼりを食らった、若い後妻ってとこか。
とろりとしたような目をこちらに流す。
まあ、いい、丁度息が詰まりかけていた処だ。
「ちょっと、失礼。」
ユウヒが呆れたような顔をする。
「パトリシアはどうする。」
「上手く相手しといてくれ。」
アバンチュールの種を撒いて、人気の無くなったフロントを抜ける。
カウンターの隅のシルエットに不意に気が付いた。
コレクションモデル並の伸びやかな肢体が、制服でより際立つ。
入り口に顔を向けていても、こちらに気付いているに違いない。
そっと伏せた睫の下で、瞳がこちらを盗み見る。
そして俺達の瞳がぶつかる。
悪びれる風も無く見つめる顔は、客に対するものじゃない。
「おやすみなさいませ。」
突き刺すような瞳で、弧を描く唇が呟いた。
鏡の前でタイを毟り取る。
「パトリシアは?」
「さんざスッて、寝ちまった。」
「お相手、ご苦労さん。」
「そっちは?」
「例によって。」
「恋に落ちたか。」
「多分な。」
タキシードを放り投げる。
やれやれという顔で、ユウヒがクロゼットに掛けにゆく。
「でも、あの女、ヤバそうなのがついてたぜ。」
「ボディーガードだろ?」
「気付いてたのか。」
「そりゃな。」
「スキャンダルはもみ消すっていうタイプもいるからな。」
「恋で消されるならば、まさにドンファン。」
ターンして、腕を開く。
「望む処だ。」
そして恭しく一礼。
俺一人消えようが、世界は変わらずに回り続ける。
ドンファンブランドは新作を出し続け。
女たちは誰かを見つけ続け。
ヴィスコンティ家は脈々と存続し続ける。
なにもかもが何処かに移ろうように、この世は上手く出来ている。
なのに俺には、深く根をおろしたままの夢がへばりついたまま。
天蓋に背を向けて、枕に顔を埋める。
重なり捻込まれる脈動に、それでも意識は残る。
背中を身体が擦る度に、呻き声を上げながら、
頭の芯に、ぼやけた顔がそれでも浮かぶ。
「気が、乗らないか。」
耳元を、薄い唇が舐める。
そして、突き上げられる。
ぼやけた顔が、散る。
薄く浮いた汗が冷える頃に、やっと薬が効いてくる。
「そういえば、お前、覚えてるか?」
「何を。」
口の中だけで、答える。
「大昔のインタビュー記事。
栗色の髪。琥珀色の瞳。」
「さあ。」
「運命の相手だとか、言ってたな。」
「なんだ・・いきなり。」
呂律が回らなくなりながら、俺は眠りに沈み込む。
「いや・・・なんとなく。」
ユウヒの声は木霊して、消えた。
眠りの淵に過る、遠い日の。
栗色の髪。琥珀の瞳。
ベルギー訛りのフランス語を話す、ソルボンヌの留学生。
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