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4.

















黴臭い控え室。




侯爵様は肘掛に凭れ、俺を眺める。
その指先までもが、貴族らしい風情を醸し。
積み重ねられた品格が、ゆったりと凭れる肘一つにすらに滲んでる。
柔らかく指を組んで、口の端に笑みすら浮かべ俺を眺めてる。
その眼差しは、俺の奥まで見透かすようで。
なにか心の奥まで届くような。
ほっとしたのも束の間、俺は息が詰まりだす。
そして、閉塞した心が又うめきだす。
大きな溜息と共に、言葉が洩れる。


「一体、いつまで続くのかな?
 この状態。」
「当分は収まらないだろう。」
そして、ゆっくりと目を瞑る。
まるで何かを回想するかのように。
「だから我慢するんだ。」


「我慢・・・・してるよ。」
何故か反抗的になる、俺の口調。
「歴史の歯車は、人間の思惑通りに流れていくとは限らない。」
まだ瞳は閉じたままだ。
俺は無性に苛つきだす。
「でも、こんな事を続けてどうなるっていうんだ。
 そりゃ、俺は難しい事はわかりゃあしないけど。」
「じゃあ、何ならばわかるんだ?」


「なんか違う、ってのくらいは分かる。」




真摯な青年の瞳。
真っ直ぐに受けるのを、畏れているのか、俺は。
ゆるりと瞼をひらき、正対する。
「ああ、そうだな。」
「じゃあ、どうして。」
「歴史は時折、とんでもない歪みを起こすもんなんだ。」
「神様の悪戯ってやつ?」
「神様ってのが、いるんならな。」
会話の流れの皮肉さに、俺は苦笑するしかない。
縋るもののある人間は、
たとえそれが見たことも無い神であろうと、それだけで生きてゆける。


そして生きることと、生にたゆたうことの間には、
計り知れない闇が横たわる。









「侯爵様。」
いきなり呼びかけられ、俺は想いから目覚める。
「あのさ、タンゴ・・・教えてよ。」
上目で縋るような顔。
「俺にか。」
「だってさ、そのうち俺も兄貴みたいにフロア出なきゃいけないだろ。」
口を尖らせて、精一杯の虚勢を張って。
「じゃあ、ユウヒに習えばいい。」
「習ってるけど・・・」
言葉が途切れる。
「けど・・なんだ?」
「侯爵様が、一番だって聞いたから。」
こちらを向く瞳に宿る光。
胸を締め付けるような切なさは、この時代の呼んだものなのか。
光と翳りが交錯して、唇が躊躇する。
「・・・・無理かな?やっぱ。」
人間に関わること、それはとても魅惑的で絶望的な。
お前は知る由も無いだろう。
なのに、俺の口が動く。
「店が・・・ひけた少しの間くらいなら。」



はにかむように、タニは笑った。

それは、ふわりと闇をヴェールで散らすような。
 

















「おい!タニ。
 少しは反省してるんだろうな。」
狭い二人部屋。
下のベッドから兄貴の声がする。
「え?」
「だから、今日の事。」
俺はなんとなく枕なんか抱えて、うとうとなってる。
「わかってるよ。」
「ポーランドではユダヤ人はゲットーに入れられ、
 ・・・・・・そして再移住させられてる。
 名目ではな。」
「うん。」
「ベルリンでも日に日にユダヤへの監視が厳しくなってきてるんだ。」
「わかった、わかったよ。」
俺は枕を抱え、壁に寝返りを打つ。


もう百万回も考えたこと。
俺たちはどうなるのか。
この歴史の蟻地獄に、足を取られ引きずりこまれるしかないのか。
考えたくない、布団を頭から被る。
本当は怖い、怖くてたまらない。
闇を手探りで進むような、この世界。





蟻地獄のように戦争に突き進む帝国にあって、
あの露西亜の亡命貴族は、何故か超然としたまま。
あの瞳は何を見透かしているのか。



それは俺には、決して見えない景色なのだろうか。
だから、俺はあんな事を頼んだりしたのかな。




少しでも、彼の景色を垣間見たくて。


















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