何故女性は論理を理解出来ないのか?
男性は論理的で女性は感情的…は通説としてよく語られる事ではあるが、実際には「女性は感情的だ非論理的だ云々以前に論理を憎んでいる」という方が正確である。これに関してネットでは「女性は感情的、男性は論理的と言うが、こんなに感情剥き出しにしてる男性がいる。だから男性が論理的というのは誤りだ」というナトッピッキング…集団の中の極端な人物の言動を例に出して集団全体を攻撃する早まった1般化の1種…が行われがちであるし、実際ミクロの事例に焦点をあてれば肯定する証拠も否定する証拠も無限に見つかる事だろう。
だがマクロで見た場合、全体の傾向として「女性は感情的で男性は論理的」なのは確認されてる以前に、女性自身が反論理なのを表明している。例えば米国政府から助成金を割り当てられ活動しているMen Stopping Violenceは男性向けDVチェックリストにこのような項目を入れている。
Claiming “the truth,” being the authority, defining her behavior, using “logic.”
日本語訳すれば「真実を主張して、権威を持ち、論理を使って自分の行動を説明する」といったところだろう。そしてこれは女性にとっては耐え難い暴力や虐待である事を多くの自称被害者女性が証言してる。またこれはある1部の団体が変な主張をしている…という話でもない。このリストは最後を見れば分かるように、幾つかの団体とアダプトして作ったものだからだ。
実際論理それ自体がミソジニーだと見做す女性や団体も決して少なくはない。というより「論理や事実はミソジニー」はフェミニズムの主要ドクマの1つだ。
例えばフェミニズムの大家キャサリン・マッキノンは弁護士でもあるが、彼女は「裁判はミソジニー」と断言している。彼女は弁護士として女性を救う為に活動した結果、証拠や整合性や真実性を重視する裁判は男性社会的であり、女性の感情や境遇に寄り添ってない事を痛感した。というより必死に訴え何かを主張してる女性に、その気持ちを無視して根拠等を求めること自体が性暴力だ。その為、彼女は「裁判はミソジニー!裁判は証拠や整合性を重視する男性優位的なやり方を改め、もっと女性の気持ちや感覚が優先されるようにしなければならない!」と訴え世界中から賞賛された。ただ日本では、その主張を記した「女の生、男の法」は2025年2月現在Amazonではレビュー1件の星3…あまり評価はされなかったようである。
こうした態度は裁判だけでなく科学にも向けられる。というよりフェミニズムは少なくとも40年間に渡って科学的態度…客観性や根拠や再現性を重視するソレを「合理的思考は家父長制の抑圧の1部である」と攻撃してきた。こうした攻撃に対し2017年に科学者達はワシントンDCにおいて「科学の為の行進」というデモ活動をし、「ファクトはミソジニーではない」「科学は党派性ではない」等のプラカードを掲げて行進した。それに対するフェミニスト側の応答がコレだ。
科学の重要性は認めるが、私はフェミニストとして事実やアイデアの「客観性」を主張しようとすると不安になる。1970~1980年代におけるフェミニストのスローガンは「客観性は男性の主観性である」だった。
(I always get nervous when we try to assert the “objectivity” of any facts or ideas. A feminist slogan in the 1970s and 1980s (perhaps some NOW members remember) read “Objectivity is Male Subjectivity.”)
(中略)
客観的な事実は存在するかもしれないが、それは常に生来の偏見と社会階層の内面化された構築を抱える個人によって探求され解釈される。
(while objective facts might exist, they are always sought out by and interpreted by individuals harboring inherent prejudices and internalized constructions of social hierarchy)
(中略)
よりフェミニストな科学者を育てるには、どんな科学が生み出され、誰がその恩恵を受けるのかを私たち全員が指導する必要がある。
(Creating a more feminist scientist will take all of us to instruct what science gets created and who gets to access its benefits.)
噛み砕いて言うと、科学が自然の客観化であるが客観性は男性の主観性であり、従って物理法則や現象等が科学で説明されるとするながら、それは男性的思考の投影に過ぎず科学=ミソジニーであり、それを脱する為には科学者を思想教育する必要があるということだ。実際彼女達は科学者を「男性障害」と呼び精神疾患の1種であると論じたりもした。
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/026327648200100217?journalCode=tcsa
女性は感情的か論理的か?云々以前に、そもそも論理を拒否し憎悪していることは間違いない。何故女性はこれほどまでに客観性なるものを憎むか?を説明する前に、少しだけ「女性は男性に比して感情的である」を確認していくとしよう。
例えば女性がミソジニーと主張する科学的研究の「成人の泣き行動」に関する20件のレビュー調査では、その全てにおいて女性の方が男性より泣く事が多いことが確認された。
これについて「女性がよく泣く…というか感情を露わにするのは、そうする事が許されてたり、やったら騎士達の庇護が得られる等のインセンティブがあるからでは?」と疑問に思う方もいるだろう。また騎士の中には「結局は男性も感情を出して許される環境になれば感情的になるのだ」と程度差や傾向を無視したナットピッキングする方もいるかもしれない。勿論そういった後天性の文化的側面の影響もなくはない。実際上記の研究でも女性の泣く頻度はジェンダーエンパワメントとの相関…要するに男女平等()な国ほど女性は泣くようになる傾向が確認されている。
しかしながら、それを加味しても性差というものは存在する。例えば1981年と1996年と15年間隔で行われた性別と泣き声の関係の調査においても成人の泣き声の性差は持続してる事が判明した。尚1991年はアニタ・ヒル事件によりう第3波フェミニズムが勃発し、男女平等がそれ以降と以前で大きく変化した時代である。そのような年代を経ても研究では「民族性も社会経済的地位も性別の役割変更も泣き声の性差にあまり影響してない」という結果が出た。
また「女性が感情的になるのは感情的に振る舞うのが合理的だからだ」という側面はあるにせよ、それだけでは説明出来ない現象として「女性は自らが不利益になる環境ですら感情を抑えて論理的に振る舞ったりはしない」ことが確認されている。例えば女性と男性に同性のルームメイトが違反行為をした場合、それに対する怒りの強さを報告するように依頼したところ、全体的に女性は違反に対して男性よりも強い怒りを報告した。また続けてロールプレイングシナリオを使用して、対立に対する主観的および生理学的反応の性差を調査したところ、女性は男性と比較して怒りがすぐに解消されず和解に時間がかかると報告された。
更に女性参加者に現金と交換できる経済ゲームをやらせた研究がある。このゲームは相手からポイントを「盗む」選択肢があるが、この選択は参加者のポイントにならず盗むというより減らすといった方が正確であり、経済的インセンティブがないどころか自分のポイントを守ったり増やしたりも出来なくなる為、負のインセンティブもあるものだったが、それでも女性は性的な格好した女性には「盗む」コマンドを多く実行する傾向が確認された。要するに女性は自分が損するにも関わらず、ある種の気に入らない女性には感情的に攻撃を加えるということだ。このミクロ事例はX上でも頻繁に観測出来るだろう。
https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/0956797619836106
そしてこうした振舞いは脳機能の面からも確認されている。fNIRSハイパースキャンで脳をモニタリングしながら男性同士、男女混合、女性同士の協力タスクを行わせて「組み合わせによって差が出るか?その差が出るとすれば脳のどの分野の影響か?」調べた研究では言う間でもなく、まず協力タスクの成績自体は他2つのグループに比して女性同士のグループは際立って悪いという結果が出た。また男性同士の協力タスクでは右側下前頭葉皮質…注意、抑制、社会的認知の活性化が見られた1方、女性同士の協力タスクでは右側頭葉皮質…記憶、感情、言語理解の活性化が見られた。
また更に直接的な研究として協力行動の性差を調べるべく、論文を「男性同士の共著」「男性と女性の共著」「女性同士の共著」に分けて比較した場合、研究成果やクオリティにはどのような差がでるか?を被引用数(論文が他研究者の参考にされた数)で調査したものがある。すると女性同士の共著になると被引用数がガク落ちすることが明らかになった。これは女性同士が如何に研究の質や成果が悪くなるというペナルティがあれど協力しないか?或いは協調性がないか?を示唆しているが、「科学はミソジニー!女性同士の共著論文の非引用数が少ないのは科学界がミソジニーだったり女性を軽く見たりして、敢えてソレを引用しないからだ!」ということでキャンセルされた。論文著書の無念は「Simply being uncomfortable with the conclusions of a published paper, would and should not lead to retraction on this basis alone.」という1節が象徴してる。
(尚この論文の筆頭著者は女性であり、この騒動は皮肉にも論文の「女性は女性と協力しない」を実証したことになる)
こうした男女の違いの最たるものが「嘘やルールに対する態度」だ。前にも書いたが女性の4割は男性を虚偽告発する準備がある。
冤罪である証拠がないことは冤罪ではない証拠ではない…この問題に研究者は1般集団からランダムに選んだ女性自身へ虚偽告発について質問する事で対処しようとしたのだ。研究では255人の女性を対象とした調査が実施され、そのうちの18人が公式の捜査官や友人や家族に暴行されたと虚偽告発した事があると答えた。女性の7%は男性に対する虚偽告発経験者ということである。
(中略)
なんだ7%か…とホッとしてはいけない。研究者は参加者に将来虚偽の主張をする状況を想像できる程度についても評価させた。すると101人…40%が、程度の差はあれど虚偽告発の項目を肯定的に評価することが確認された。換言すれば女性の4割は「何か理由があるなら男性から暴行されたと嘘をついても許される」と思っているということだ。
これに対して「嘘つきは男性にもいるやん!バレないなら男性もやるやん!」とナットピッキングする方もいるだろうが、残念ながらマクロにおける傾向としての性差がある事は示唆されている。
性格の性差を調べるべく、米国の10261人のサイプルサイズを使用した研究において女性は男性に比して利己的であり、またルールに対する意識が低いことが確認された。また性格の全体的な効果サイズはD=2.71ありで、男性と女性の分布の重複はわずか10%だった。最大の単変量効果値を示す要因を除外しても、全体的な効果サイズ D=1.71 (重複24%) であり、心理学基準では滅茶苦茶大きな差である。なにしろdは2つの群の平均値の差を標準偏差で割ったもので、群間差の大きさを表すものであるがdの心理学における解釈基準は以下の通りとされてるからだ。
フロイトは過去こうした女性の性質についてこう述べた。「女性の超自我…良心や規範や理性…は男性に対して我々が要求するほど、決して容赦ないわけでも非人間的なわけでもなく、感情的な起源から独立しているわけでもない。彼女達はしばしば愛情や敵意の感情によって判断が左右されることが多い」。超自我が弱いということは彼の理論では利己的なイド…身体的な欲求や願望、感情的な衝動や欲望、特に攻撃性や性的衝動…に支配されている事を意味する。
こうしたフロイトの説は当時のフェミニスト達によって攻撃された結果、彼は「大多数の男性も男性的な理想からは程遠い存在であり、人間としてのアイデンティティを持つ人間個人は人間的特性として知られる男性的および女性的特性を兼ね備えている」…要は性差より個人差とトーンダウンしたが、彼の言説はマクロの傾向としては当たっていたのだ。
女性は感情的に振る舞っても許される環境にいる…という男女の非対称性を考慮しても感情的であり、また感情的に振る舞うのが非合理的である場合でもそれをやめられない。また論理的でない以前に、客観性や事実を基に論ずること自体を憎み明確な拒絶の姿勢をとる。こうした事実は何を意味するか?に対する答えの1つが「女性の精神的成熟は男性より早く進み止まってしまう」現象だ。
というより精神に限らず女性は男性と比して早く成熟する。例えば第2次性徴期に伴い男女は身長が大きく伸びるが、女児は平均11歳で始まるのに対し男児は13歳から始まる。
また前述の泣き行動に性差が開き始めるのも11~13歳ぐらいであり、それ以前の性差は僅かである。グラフを見れば分かる通り、男女ともに成長に従い泣き行動は減少するが男性は加齢と共にずっと0近くまで下がり続ける1方、女性は13歳ぐらいで下げ止まる。まとめれば精神的にも身体的にも性差が出るのは第2次性徴期前後だが、それまでは女性の方が早く成熟するということだ。
https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/0002716283470001019
これがIQにおいても当てはまる事は以前書いた。
始まりはColom & Lynn (2004) が行ったIQの性差に関する40のデータセット調査である。そこで研究者は女性の平均IQは男性よりも約4ポイント低く、この差は実際に男女間の知能の実際の違いに関連している可能性が高いことを発見した。
(中略)
その研究を踏まえnyborgはIQテストにおいて2つの欺瞞があることを発見した。1つは「女性は男性に比してある時期までは発達が早い」事と、「主に少年/男性が1般的に優れている認知能力の領域にあまり焦点を当てないことにより性差を曖昧にするように修正されている」ことである。
この事実は私が紹介してから段々広まりつつあるが、実はこの研究には続きがある。またここまで読んでこう思った皆様も多いのではないだろうか?「もしかして女性に論理の話をするのは大人が小さな子供に対して説教するようなモノではないか?」と。その答えは実はnyborgの研究の追試という形で出ていたのだ。ここから先は非常にセンシティブな話になるので、匿名アカウント以外でこの話をするのはオススメ出来ない。また私は記事の感想は基本RPするようにしているが、今回に限り実名垢はしない。
誰もが知ってるが誰も言えない現代社会最大のタブー
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購入者のコメント
12いつもハイレベルかつエビデンスに基づく内容に頭が下がる思いですが、慣用句の漢数字にアラビア数字を使うのは読みやすさという点でもよろしくないので、見直されてはいかがかと…
内容が党派的なので敵(女性?)にツッコミどころを与えないという理由でも有用かと思います。
1種、1部あたりはまだしも、精1杯、統1あたりは違和感がすごいです
そもそも、なんでこんな変換になるのだろう?
「馬の耳に念仏」のように「女性に論理を説く」のは意味がない行為
そんな馬か鹿かわからないような生き物にフルスペックの人権を認めている現代社会のリソース徒費ぶりには趣深さを感じるばかりです
記事を読むことで、あらためて馬と人間が競っても意味がないように男女対立にも意味がないことがよくわかりました
snsで半ばネタ的に扱われてた「事実陳列罪」をマジで主張してる奴がいたという驚き
つまるところ、「女性は終生未成年として扱う」ことが女性本人にとっても幸福であるということなんだな