女性のナルシズムが男性を殺す
フローレンス・ナインチゲールは女性の共感を指してこう言った。「女性が切望するのは愛することではなく、愛されることなのです。1日中同情を求めて叫びますが、それに対して何も返すことが出来ません。女性には同情心も共感力もありません。何故なら常に自分の自我に関係する社会的価値基準ですべての人や物事を判断しているからです」…恐ろしいミソジニーに聞こえただろうか?だが女性の共感能力や同情心については統計や研究を貼るまでもなく、彼女の言葉を支持する証拠は枚挙に暇がない。
例えば男性が自殺すれば「男性は甘やかされてるから自殺する」というポストに万イイネつけ、うつ病になれば「甘えるな!」というポストに万イイネつけ、性被害に遭えば「妄想乙w」というポストに万イイネつける。男性の中にも同じ様な事を言う人間はいないでもないが、それでもSNSで毎回毎回万イイネされるなんて事は起こり得ない。
ハッキリ言えば女性達は弱っている男性に対しては無共感や無理解通り越して殴りつけて楽しんでいるとすら解釈出来てしまうだろう。むしろそう解釈しないのが無理あるレベルで、ある種の女性の男性に対する加害欲は凄まじい。
『男はなぜ孤独死するのか』読了。男性が対人関係において甘やかされた結果、自ら対人関係を築いたり維持したりする努力ができず、結果、孤独から自殺に繋がるという分析に対する処方箋が、人と繋がる、健全な生活、行動活性化、感情の解放、自然と親しむ、というごく地味なものであるのが実によい。 pic.twitter.com/Roexr21Qhg
— 伊藤絵美 (@emiemi14) August 4, 2024
同性の痴漢に寛容なのってどう考えても女だし、この画像の男性みたいな男性被害者を無視し「痴漢する側の性別とされる側の性別」とか言い出すのがまず二次加害だろ
— 巧克力 (@Dangan_kakko) August 7, 2024
もしかして痴漢するの方の性別って女のこと? https://t.co/Q6JrhEQCNd pic.twitter.com/1LtrkfNPvV
父親の産後うつって言葉もひどいし
— ham (@0941_ham) March 16, 2025
「妻が子供にかかりきりで自分との時間がない」
「性生活をどのように再開していいか分からない」
馬鹿じゃねえのマジで https://t.co/G2Gt0YmKd6 pic.twitter.com/rzqVfdz4g0
(女性の共感に対するマクロのデータや脳機能の性差的な面については以下のnote参照)
そしてこの現象の最大の性差は、こうした事実がありながら女性は総じて自分のことを「共感力に優れた優しい人間」と認知してる点だ。男性にも(女性ほど数が少ないが)冷酷な人間はいるし、弱い者イジメ大好きな人間もいるのだが、そうした男性でも自分を「共感力がある優しい人間」と認知する例は殆どない。実際に客観的研究でも、こうしたある種のナルシズムには性差があることが確認されている。
例えば1983年のメタ分析では共感を自己報告尺度で測定…要は「共感力がありますか?」と質問…した場合、女性に有利な性差が1貫して報告されることが確認されている。しかしながら生理学的または目立たない観察などのより客観的な方法を使用して共感能力を評価すると性差が無くなることも確認された。雑に言えば、女性は男性より「自分は共感能力がある」と自惚れやすい。
https://psycnet.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2F0033-2909.94.1.100
また最近では科学の発展により、それを脳の反応として確かめられるようにもなっている。例えば対人反応性指標…例によって自己申告式の調査…を用いた研究では全ての研究において女性の方が高いスコアを示すことが1貫して報告されている 。しかし2022年に他者の苦痛な表情に対する脳波(EEG)測定による共感の評価では有意な性差は見られなかった。(このように脳の活性総体自体は性差ないものの、社会的共感において顕著な性差が出る理由は前述のnote「女性と男性が絶対に分かり合えない理由」参照)
そしてこのナルシズム或いは自己認知能力の大小・有無こそ今日における男女間の共感格差の根源である。何故なら社会心理学において集団内偏愛を起こさない唯1の属性が男性だからだ。男性は良い悪いは別に自身の属性に対して自惚れを抱きにくい。
直接的な研究として内集団バイアス、アイデンティティ、自尊心の間の認知的バランスを測るべく参加者にImplicit Association Testsを受けさせたら、女性は女性は内集団バイアス、アイデンティティ、自尊心の間に認知的バランスを示したが男性はそうでない事が判明した。雑に噛み砕いて言えば、女性は自分の性別を好むし自尊心にするしアイデンティティを持ち、この3つが相互にそれぞれを強化し合うが、男性には同様のメカニズムがないということだ。これは男性の方が自身の性をフラットに見てるとも、誇りを抱きにくいとも表現出来る。
特筆すべきは研究で女性も男性も女性を好意的に見てるものの、女性の女性に対する偏愛は男性の男性に対するソレの4.5倍程度強いことが確認されたことだ。もう1度言うが4.5倍である。1般男性の4.5倍、女性を好意的に見る男性がいるとすれば、最早それは騎士というレベルを遥かに超えているだろう。客観的な正否は別にして、そこまで認知が離れてると1般男性は最早そのような男性と男女について語ることすら難しい。良い悪いは別にコレは女性が男性からナニを指摘されても「要するに私が欲しくて手に入らないから妬んでる」と解釈したり、ご高齢の方が婚活で苦労しても「私に釣り合う男性がいない」と解釈して共感()し合う理由を完璧に説明出来るだろう。
https://psycnet.apa.org/record/2004-19340-007
女性は自身の性別に自惚れ同性を精子に脳を支配された騎士以上に好意的に見るし、男性も主に性欲や社会規範から女性を肯定的に見る。1方で女性は男性を自身の性に対する自惚れと反比例する形で男性を否定的に見るし、男性は自惚れず男性属性をフラットに見る(から女性に認知が引き摺られる)…という形で共感格差が誕生する。それを視覚的に表したのがこのビデオだ。
これは男性DV支援団体「ManKind Initiative」が3台の隠しカメラを設置し、男女の役者に「喧嘩するカップル」を演じさせた社会実験だ。公園で喧嘩をしているカップルがいるが、そのうち片方が段々ヒートアップし、パートナーに暴力を振るう気配を見せ始めた。この時、周りにいる人間(彼等はガチの1般通行人でヤラセを知らない)はどう反応するだろうか?
被害者が女性だった場合、当然事態はシリアスに受け取られる。周囲の人間はざわつき、何とかしなければならないと2人の間に割って入る人間が出てくる。人間の良心や社会道徳を感じられる反応だ。しかし被害者が男性だった場合は様相が1気に変わってくる。周囲の人間達はニヤニヤと遠巻きに笑い、誰も事態をシリアスには受け止めない。どうも人間達の目には男性が被害者となる場合は滑稽に映るらしく、助けられるどころか笑われてしまっている。
また直接的に男性の騎士化現象(Chivalry)を調べた「騎士化:性別と危害に対する感受性と利他主義(Moral Chivalry: Gender and Harm Sensitivity Predict Costly Altruism)」という研究では衝撃的な結果が出た。所謂トロッコ問題…5人の人間がいる線路の上をトロッコが走っていて、このままだと5人は轢かれて死んでしまう。貴方が歩道橋から1人を突き落とせばトロッコは止まる。この時、貴方はどうするか?…と呼ばれる思考実験があるが、研究者はこれに「突き落とせる人間は男性か女性かを選べる」という条件を追加した。すると研究参加者の88%が「男性を落とす」と回答したのだ。そして案の定、女性の方が男性を突き落としやすい。
https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/1948550616647448
こうした我々にあるバイアスは学術的には「ガンマバイアス」として研究されている。ガンマバイアスについて雑に言えば、ジェンダーの違いが女性に有利な場合にはそれを拡大するアルファバイアスと、女性に不利な場合にはそれを最小化するベータバイアスを組み合わせたバイアスだ。実際我々の社会において男性の有害な面は誇張される1方、女性の有害な面は軽視されるし、男性の被害は軽視される1方、女性の被害は誇張される事例は枚挙に暇がない。先ほどの公園でのカップルの喧嘩など、その典型例だ。
何故こうした現象が起きるか?について、こう思ってる方は多いのではないだろうか?曰く、このギャップは生物学的ルーツや進化的ルーツがあり、それは女性が生殖の制限要因である結果として生じ進化した本能である。つまり女性は物理的に産める子孫の数の上限が男性に比して遥かに低く、群れの中では男性より母体として数を要求された。極端な話、子孫を10人残すなら男性は1人でいいが女性は各人が2人産むと考えたら5人いる。1方で男性が5人に増えても子供を産めないので子孫の数は増えない。それ故に人間は女性を男性より優先し保護するようになったのだ…と。勿論コレは大嘘だ。結論から言えば、我々にはそんな本能も歴史もない。
このような誤った信念は「群選択説」として義務教育で学ぶ知識レベルで間違っている事は以前記事にしたので、簡単にポイントだけを説明する。
1.個体は種の為に行動する…という群選択説は今では否定される
2.人類史的に間引きは常に女性が対象だった…というか今でも間引き対象は女性であり、現代先進国のみが特異的例外
3.そもそも男性1人に女性複数だと近親婚まっしぐらだし、女性+子供を養うだけのリソース確保も難しい
そしてそもそもこの理論は致命的な矛盾を抱えている。というのも先進国に住む人間達は「女性を大事にするのが種にとって合理的だから」という信条と「女性は社会の為にずっと抑圧されてきた」という信条を同時に持ってるケースが決して珍しくないからだ。これは本来両立不可能な信条であり、論理的には「女性を大事にするのは種にとって合理的だから女性はずっと優遇されてきた」か「女性を大事にすると社会に悪影響を及ぼすから女性はずっと抑圧されてきた」の2択しかない。この2つを強引に両立させるとすれば「男性は社会に悪影響を与えるべく女性をずっと抑圧してきた」という極め不自然な理論になってしまう。しかしながら、この論理は現在「家父長制」という言葉で先進国の中では常識とされている。
Q.自殺や労災死する男性が女性より多いのは何故ですか?
A.それは女性優遇ではなく家父長制のせいです。
Q.家父長制とは何ですか?
A.女性を抑圧し男性に特権を与える社会のことです。
Q.男性の為の社会で何故男性の犠牲者が多くなるのですか?
A.家父長制が男性を傷つけるからです。
Q.家父長制とは何ですか?
A.女性を抑圧し男性に特権を与える社会のことです。
Q.男性の為の社会で何故男性の犠牲者が多くなるのですか?
A.家父長制が男性を傷つけるからです。
また女性は「ある種の男性が淘汰されるのは仕方ない。自然の原理」としつつ同時に「私達を優遇すれば社会は良くなる!」と主張しがちだ。しかしコレもまた論理的には両立不可能な信念である。何故なら「ある種の男性が淘汰されるのは自然の原理」ならば同様に「ある種の女性が淘汰されるのも自然の原理」に他ならないからだ。また「女性を優遇すれば社会は良くなる」に関しても、見殺しにされる或いは扱いに差を設けられる男性にとっては、その他の人間が如何に社会を評価しようと「悪い社会」に他ならない。
こう説明すれば分かる通り、女性のナルシズムの究極は「世界と自我の境界線がない」ことだ。ナイチンゲールの言葉を再掲しよう。「女性が切望するのは愛することではなく、愛されることなのです。1日中同情を求めて叫びますが、それに対して何も返すことが出来ません。女性には同情心も共感力もありません。何故なら常に自分の自我に関係する社会的価値基準ですべての人や物事を判断しているからです」
そして客観的事実として女性の高等教育と少子化の関係はほぼ間違いないとされている。例えばワシントン大学の研究グループは195ヵ国の50歳時点での完了コホート(50歳までに何人子供を産んだか?)を調べた研究では、避妊具のアクセス低下(手に入りやすさ)と女性の高等教育で出生率低下と人口減少を説明出来ることを発見した。よって人間が本当の種の繁栄を最優先させるなら「避妊具や女子教育を規制しよう!」となるはずであるが、現実は真逆なのは言うまでない。雑に言えば我々は「女性を大事にすることは種の為に当然!」と叫びながら、種にとってマイナス行動をしてる分裂状態にあるのだ。
https://www.thelancet.com/article/S0140-6736(20)30677-2/fulltext
何よりこうした話をすると「じゃあ女性を抑圧するべきだっていうの!?」とストローマン&自然主義の誤謬をぶつけてくるのも、彼女達の彼我境界線がない証である。「自分」と「感情」と「社会」と「他者」の境界線がないが故に「貴方がどのように考えようと感じようと関係なく、このような事実がある」という話を理解出来ないのだ。例えば武井壮さんの侮辱事例とか分かりやすいだろう。武井壮さんの「貴方が私について何を思うと自由だけど、それを表に出すのは加害ですよ」という話に対して「でもでもだって本当なんだもん!」と返し、それらを万バズさせるのが良い悪いは別に女性である。世界と自我が1体化してるナルシズムのあまり「悪口を言うのはよくない」という話が、事実や自分の感情そのものの否定のように思えてしまうのだ。
本当に自分の加害性に無自覚だよな pic.twitter.com/gdYNnqdP1Y
— 暇な駅弁院生 (@bored_allpass) March 22, 2025
1方で男性も「社会を良くするぞ!社会の為に女性を抑圧するのはやめるぞ!」と不自然極まりない認知、行動をしてるという事は、つまり我々の騎士精神は人工的なもの…後天的な社会構築物である証であり、それを示唆する研究も多数ある。例えば5歳から成人までの暗黙及び明示的なジェンダーバイアスの発達過程を調査した研究では、男女共にジェンダーバイアス(女性を好意的に見て男性を否定的に見る)自体は早期に現れるが男子よりも女子の方が強いことが判明した。更に女性参加者の態度は発達を通じて安定してるのに対し、男性参加者のジェンダーバイアスは年齢と共に上昇した(女性に好意的になった)。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/desc.12321
8~15歳の青少年を対象とした横断的研究で全年齢において、男子は数学でも言語でも暗黙の性別による偏見を示さなかったが、女子は暗黙のうちに両分野で女子を好んだ。これは俗に言われる「女性は数学が苦手だという偏見に苦しんでるんだ!」を否定するものであるが、興味深い事に明示的な尺度では男子と女子の両者とも数学と言語能力で女子を優遇する傾向が見られたものの、唯1の例外が小学生男子であり、そのグループだけ真の意味で男女平等に性別を評価した。
ケント大学の児童と学校のジェンダーバイアス研究で、4歳から10歳までの238人の生徒に「この子は本当に賢い」「この子はいつも仕事を終える」等の発言を提示し、その言葉を男の子や女の子の写真と関連付けるように依頼した。すると女子は全ての年齢でポジティブな言葉と女子を結び付けた…平たく言えば女子は女子の方が男子より賢くお利口だと認知している事が示唆された。1方男子は4歳から7歳までは均等に男女にポジティブな言葉を結び付けていたが、7歳か8歳になる頃には女子と同様にポジティブな言葉を女子に結び付けるようになっていた。
この研究で重要な点は、子供達は大人も自分と同じ意見を持っていると信じていたことだ。つまり女子はともかく男子は元々ジェンダーバイアスを有してないが、社会ないし大人が有するそれを察して学習し騎士化するということだ。
また後天的社会構築物が我々に「本能では?」と誤認させるほど、強い影響を及ぼす事の分かりやすい例が「巨乳」だ。
今日の先進国社会において巨乳が女性のセクシーの象徴であり、男性が本能的に求めるモノである事に異議を挟む方は少ないだろう。だがここで江戸時代のポルノ表現である春画を見て頂きたい。春画は性器は克明に描かれているものの、女性の乳房はおざなり…というか着衣で大きいのか小さいのかすら分からない…である。そもそも江戸時代において銭湯は混浴が基本であったので女性の裸=エロという概念自体が薄かったのだ。
巨乳=セクシー文化は欧米から来たと言われているが、実は欧米でも1950年代まで巨乳はそこまでセクシーとは見られていなかった。というのも映画界におけるマリリン・モンロー以前のセックスシンボルは総じて巨乳ではなかったからだ(というかセックスシンボルはそもそも男優を指す言葉だったが、言及するとキリがないので置いておく)。例えば元祖セックスシンボルのテダ・バラはこんな感じだ。彼女はクレオパトラを演じて男性及び女性をそのセクシーさで虜にしたが、胸に関してご覧の有様だ。
そして1927年の映画「イット」でセクシーを振りまき「イット・ガール」として世界中を熱狂させ、ベテイ・ブープの元ネタにもなったクララ・ボウはこんな感じだ。(因みにベティ・ブープは初期は巨乳ではない)
年数を進めてマリリン・モンロー銀幕デビュー直前の1940年代まで行っても、当時の著名なセックシシンボルであるリタ・ヘイワースはこんな感じだ。
このように「男性=巨乳好き=本能」という自明的感覚、強い性衝動、性的志向、DLsiteの人気ジャンルすら実は後天的文化構築物なのである。我々の性欲は実際のところ、そこまで先天的な要素だけで構築されてるわけではないのだ。同様に先進国男性が女性をチヤホヤし、尚且つソレが社会の発展に寄与するみたいに考えるのは、結局のところ先進国社会が24時間365日そのようなプロパガンダを垂れ流し続けてるからに過ぎない。実際人類史においては「女性を大事にすると社会に悪影響が出る」という考えが主流だった。正否に関して1旦留保して、ここで言いたいのは「人類は社会の為に女性を大事にする」的な感覚は決して普遍的なものではないということだ。
例えば中国には「雌鶏歌えば国滅ぶ…女性が男性よりも前に出て権力を握ると崩壊する」「牝鶏晨すべからず…雌鶏が朝を告げてはならないという意味で女性が政治に関わることを戒める言葉」「牝鶏牡となる…雌鶏が雄鶏の役割を果たすという意味で女性が男性の領域を侵すことを戒める言葉」等の言葉があり、古代ローマのリウィウスは「女性に発言権を与えると秩序が乱れる」と述べ、同じく古代ローマのタキトゥスは「女性は公平性を理解しないので権力握ると碌な事にならない」と述べ、聖書では神はアダムに「貴方が妻の言葉を聞いたので地は呪われる」と説教し、ギリシャ神話ではパンドラの箱というまんまな神話があり、イギリスには女性に発言権を与えるなという意味で「女性と胡桃は叩くべき」という諺があり…と枚挙に暇がない。
繰り返すが正否に関しては留保する。ここで言いたいのは「今日の先進国社会に見られる女性=善=チヤホヤすれば社会は良くなる=本能に組み込まれた習性という価値観は決して普遍的ではない」という事実である。
とここまで読んで、こう思った方も多いだろう。「女性が客観的事実以上に自分の能力(共感等)を評価したり、男性より自分の性別に誇りを持ち自惚れやすいことは分かった。そして男性は逆の傾向なのも分かった。そこはエビデンスが確立してる。しかし女性のナルシズムについては間接的証拠があるだけで、それが社会全体にインパクトを与えてるとする根拠は乏しくないか?女性=善が後天的文化構築物であるとして、それは女性のナルシズムだけに還元出来るものなのか?女性がナルシストだとして男性のようにイキるタイプが少なくないか?タイトルの"女性のナルシズムが男性を死に追いやる"というのは言い過ぎでは?」と。全くの正論である。また心理学や精神医学に詳しい方なら「そもそもナルシストは男性の方が多いのでは?」と思うはずだ。だが、それらについてまんまな研究が既にあるのだ。
キャンセルカルチャーの勢いがおさまってきた2023年、遂に研究者は誰もが知ってるが誰も言えない分野の研究に着手する事にした。即ち「性犯罪や性暴力反対運動やってる人間って明らかにヤバイ奴が多くね?というか左翼やフェミニストって基本ヤバくね?彼女達の行動原理は道徳心よりも加害欲や名誉欲、そしてナルシズムにあるのではないか?」と。そして…
精神病質表現としてのフェミニズム
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購入者のコメント
5フランスの女優だったかが
「女に生まれてよかった。なぜなら女なんかと結婚しなくて済むから」
と言ってたそうですが、ここら辺が女の良心(に見えるもの)の上限なのかなと思います。
これからの時代、マジモンの男女平等パンチが吹き荒れる、本物の家父長制、本物の男尊女卑社会となり、女どもを弁えさせる必要がありますね。
女は朝鮮人と同じで、暴力によって制圧、虐待しなければロクでもないことしかしない人種ですので。
①誇大妄想性の高い病的ナルシズムがフェミニズムへの傾倒を産んで、『気狂い女性フェミニスト』を誕生させる
②脆弱性の高い病的フェミニズムは女性にありがちな付和雷同行動を産んで、他責で他者依存の『他者依存女性フェミニズム信者』を生む
①の女性フェミニスト(本質のこと社会的肩書きは必要ない)が過激な言動をすると、②の女性フェミニズム信者がそれに付和雷同してレミングス…ダチョウの群れ行動を起こし、SNSは炎上してオープンレターでキャンセルカルチャーが発動して大学教授の首は飛び、冤罪で医師や町長は長期裁判で無罪判決が出るまで苦しむ
…みたいな機序が起こるわけか
考えられる解決方法は、禅や哲学や宗教などの、自己実存やら自己の本質を内省的に洞察していく作業や学問体系なんだが女性には本質的にそれが無理…と
そうすると、残りの手段はエッセイ漫画家やギャグ漫画や小説家のように自分を客観視して第三者に向けて創作する作業くらいしか救いがないんだな…コレ
そういう観点から考えると女性漫画家と小説家は人格的にも優れた人が多い気がする。女性のフェミニズムに付ける薬としての創作活動…はアリかも知れぬ
冒頭にあるナイチンゲールの謂の原典を読んでみたいです。
どんな書籍で読めるでしょうか?
以前、自己愛に関する書籍を検索したとき1950年代に関連書籍が多く発行されている印象を持った覚えがあります。成人した戦後世代を戦前世代が見たときに自己愛的な形質を強く認めたことが背景にあるのではないかなんて思いました。
そうであれば経済的な環境が自己愛を強める要因になっているのかもしれません。戦後世代と言えば専業主婦の増えた世代でもあります。お人形のようにかわいがられた子世代がナルシズムマシマシで現代に災禍をもたらしているのではないか。
生得的な特性と結果に関連はあるでしょうが欲求がそのまま行動結果につながるかは発育の過程で抑制の訓練を受けたかどうかも関わってくるように思います。最近は叱られる機会もすっかりなくなってしまい、生まれたままの特性で勝負しないといけないのは文化的には退化だと感じます。