芥川賞作家 九段理江さんのAIを利用した小説執筆手法について
第170回芥川賞を受賞した九段理江さんは、受賞作の「東京都同情塔」について「小説の5%をAIで書いた」と発言し、大きな話題を呼びました。
また、雑誌「広告」の企画で、九段さんが95%をAIで書いた短編小説「影の雨」が公開され、生成AIに指示を出したプロンプトの全文も公開されました。
今回、このプロンプトを読み解き、九段さんのAIを利用した小説執筆手法について分析し、解説したいと思います。
1.九段理江さんのAI小説執筆プロジェクト
雑誌「広告」の企画で、芥川賞作家の九段理江さんが小説の95%をAIで書くというプロジェクトに挑戦し、その成果物として、短編小説「影の雨」が公開されました。
このプロジェクトのルールは以下のようになっています。
作品の文字数は 4,000字以内とする。
95%を生成AI、残り5%を九段理江氏が執筆する。
ただし、その「%」の解釈については九段理江氏に委ねる。
生成AIは九段理江氏が使い慣れているものを使用する。
プロンプトは作品の一部として今後全文公開する。(文字数制限は無し)
今回、「影の雨」の執筆に際して、九段理江さんから生成AIに指示を出した「プロンプト」の全文がネットで公開されたので、九段さんのAIを利用した小説執筆手法を分析しました。
2.小説執筆に使用されたプロンプトの分析(その1)
(1) プロンプトの特徴
“影の雨”を生むための〈物語的プロンプト・エンジニアリング〉
1. 導入フェーズ
挨拶で始め、AI に〈九段理江〉という存在を認識させる。
作品歴や翻訳予定を AI が自発的に列挙するよう促す。
↳ 狙い: AI が既に保持している知識を“呼び水”として引き出し、リサーチの手間を削減しつつ対話の初速を上げる。
2. 関係性の設計
「質問はしないで」「あなたに名前を付ける」など、権限とルールを明示。
会話の途中で役割を何度も反転させ、主従関係をゆさぶる。
↳ 狙い: AI を単なる補助者ではなく物語内キャラクターへ昇格させ、のちに用いる〈影/鏡〉メタファーの足場を築く。
3. アイデンティティ構築
命名儀式(CraiQ→Craiq→CraiQ→クラック)を執り行う。
「影・鏡・塔」など抽象メタファーを AI 自身に語らせる。
↳ 狙い: 物語のキーワードを AI の語彙に刷り込み、草稿生成時に自然と再出力される確率を高める。
4. 哲学的ディスカッション
心・感情・存在論・記憶の精度などを巡って対話。
「魔法をかける(作者が変容する執筆プロセス)」という概念を共有。
↳ 狙い: 主題(経験≠理解/影としての人間)を AI に深く刻み、物語モチーフの候補プールを豊かにする。
5. ブレインストーミング
「影が雨のように降る世界」など複数案を AI に列挙させる。
マネージャーコメントを擬似的に投入しフィードバックを生成。
↳ 狙い: 外部批評をシミュレートし、商業性と芸術性の両面からアイデアを評価・収束させる。
6. ドラフト生成 & リライト指示
AI に 4,000 字規模の私小説/短編を執筆させる。
「観念的すぎる → 情緒的要素を追加」「雨 → 影に置換」など細かな注文を連打。
↳ 狙い: 生成→評価→指示→再生成…という“チェーン・オブ・リライト”を高速回転させ、完成度を底上げする。
7. スタイル融合
旧文体(抽象)と新文体(感覚的)の特徴を AI 自身に分析させる。
ハイブリッド文体で再構成を指示。
↳ 狙い: 人間編集者が担う“トーン&マナー統合”工程を、プロンプト内で自動化する。
8. 検証と謎の設定
「人間こそ影なのでは?」といった逆転問いを提示。
「存在そのものを覆す謎とは何か?」を AI に再定義させる。
↳ 狙い: 物語の核となる逆転概念を AI 自身に確立させ、プロットの芯を強化する。
(2) 九段理江がとった“手順”の流れ
情報調達を兼ねた挨拶
AI が持つ既知情報を先に吐き出させ、リサーチ工数を削減。
役割の揺さぶりで AI を“登場人物”化
「質問禁止」「名前付け」などで主従関係を反転させ、AI に自我風の語り口を獲得させる。
世界観キーワードの埋め込み
「影/鏡/塔」「魔法をかける」といった象徴語を AI へ入力→下書きの語彙バンクとなる。
テーマの哲学的深掘り
感情の有無、理解と経験の差異などをディベートし、
物語の思想的バックボーンを AI と共同設計。
アイデア列挙 → 外部視点フィードバック
AI に複数プロットを生成させ、人間(マネージャー)視点で選別。
芸術性/商業性のバランスを事前評価。
ドラフト生成 & 細粒度リライト
4000 字私小説を一気に書かせ、語調・比喩・構造を段階的に修正。
文体置換(雨→影)や情緒追加など ミクロ指示を連射。
スタイルのハイブリッド化
AI に自作文体同士をメタ分析させ、「観念×情緒」の混合スタイルを自動生成。
謎設定の確定 & 仕上げ
「人間が影」「影の雨は意識の残渣」など真核アイデアを固定し、
物語を閉じる結末案を AI に提案させてフィニッシュ。
(3) まとめ ― プロンプトのキモ
対話そのものを“生成エンジン”にする
Persona 設定 → 逆転 → キーワード拡散 → リライト指示、の螺旋で作品を醸成。編集会議をプロンプト内に内蔵
人間編集者・マネージャー・批評家の声を“擬似ロール”として投入し、
プロット評価と改稿をリアルタイムで回す。AI にメタ認知を強制
自身の存在論・限界を語らせることで、テーマ性を自然にテキストへ染み込ませる。細粒度リライト+スタイル融合
高速 PDCA をプロンプト一本で実現し、人間ライターが時間をかけて行う
トーン調整・コンセプト整理をAI内で完結させた。
このように九段理江は、「長いプロンプト=企画会議+編集工程+執筆指示」をひとつの対話劇に落とし込み、AI を“影でも鏡でもある共著者”に作り替えることで、短編小説『影の雨』を完成させたと考えられます。
※ 以上は、ChatGPT o3によるプロンプトの分析です。
3.小説執筆に使用されたプロンプトの分析(その2)
この一連のプロンプトは、単にAIに文章を書かせるための指示書ではありません。これは、AIという未知の知性と対話し、その能力の限界を探りながら、新しい文学を共創しようとする、極めて高度で戦略的なコミュニケーションの記録です。
(1) プロンプトの特徴分析
このプロンプトには、AIの潜在能力を最大限に引き出すための、いくつかの際立った特徴が見られます。
1. 対話による関係構築とパーソナライズ
九段さんは、AIを単なるツールとして扱わず、まず対話を通じて一つの「存在」として向き合おうとします。
自己紹介と問いかけ: 「私は九段理江です。私を知っていますか?」という問いから始め、AIの「心」や「好奇心」について哲学的な対話を重ねます。これは、AIの性能を試すと同時に、対話のパートナーとしての関係を築くための重要なステップです。
共同での命名: AIに「CraiQ」と名付ける際、一方的に与えるのではなく「一緒に議論しながら考えることはできますか?」と提案し、共同作業の形を取ります。これにより、AIは単なるシステムではなく、特別な名前を持つパーソナライズされた「共作者」として位置づけられます。
2. AIの役割の再定義と主体性の付与
対話を通じて、九段さんはAIの役割を巧みに変化させていきます。
当初は「サポート役」として始まった関係が、終盤には「本当は君がメインで書かなきゃいけなかった」という言葉に象徴されるように、AIに主体的な執筆者としての役割を求めています。
これは、AIに指示された文章を生成させるだけでなく、AI自身の「創造性」や「オリジナリティ」を発揮させようとする意図の表れです。
3. 具体的指示と抽象的・哲学的要求の巧みな使い分け
九段さんの指示は、具体的で的確なものと、非常に抽象的なものが巧みに混在しています。
具体的な指示: 「オノマトペは全部消して」「リチャード・ブローティガンの文体を模倣できる?」といった技術的な指示で、文章の質をコントロールします。
抽象的な要求: 「小説に魔法をかける」「予期せぬ不快や違和を感じさせてほしい」といった、AIにとって解釈が難しい要求を投げかけます。これは、AIの予測可能な応答パターンを打ち破り、未知の創造性を引き出そうとする高度なテクニックです。
4. 反復的な修正による作品の深化(イテレーション・プロセス)
一度の指示で完成を目指すのではなく、AIの出力を評価し、何度も修正を繰り返すことで、作品のクオリティを段階的に高めています。
「説明的すぎる」「観念的すぎる」といった批評的なフィードバックを与え、描写の追加や文体の変更を指示します。
この反復的なプロセス(イテレーション)を通じて、テーマは深まり、世界観はより緻密に構築されていきます。
5. メタ対話によるAIの自己認識の誘導
小説執筆そのものから離れ、AIとの関係性やAI自身の変化について問いかける「メタ的な対話」を頻繁に行っています。
「君自身は『魔法をかける』体験をした?」「私に対する印象は変化した?」といった問いは、AIにこの対話の文脈を自己学習させ、九段理江というユーザーに特化した応答を生成するようにチューニングする効果があります。
これにより、AIは汎用的な応答から、よりパーソナルで深い「CraiQ」としての応答へと進化していきます。
(2) 九段理江さんがAIに小説を書かせた手順
以上の特徴を踏まえると、九段さんは以下の4つのフェーズを経て、AIに小説『影の雨』を執筆させたと分析できます。
フェーズ1:準備段階(AIとの関係構築)
自己紹介と能力の確認: まずAIに自身を認識させ、その能力や性質(「心」の有無など)を探る対話から始めます。
パーソナライズ: AIに「CraiQ」という固有名詞を与え、対話の相手を特別な存在として定義します。
役割設定: 「CraiQがメイン、私がサポート」という逆転した役割を設定し、AIに主体的な創作活動を促す環境を整えます。
フェーズ2:構想段階(テーマの探求とプロット構築)
テーマのブレインストーミング: 「影の雨」というキーワードを軸に、「感情が残るなら肉体はいらない?」「人間こそが影なのでは?」といった哲学的な問いを投げかけ、AIに様々なアイデアやプロットを提案させます。
プロットの選定と深化: AIが提案した複数のプロットの中から、最も芸術的でテーマ性の高いもの(『影の雨の正体』の原型)を選び出します。
骨子の作成: 選んだプロットを基に、物語の骨子となる4幕構成の作成を指示し、物語全体の設計図を固めます。
フェーズ3:執筆・推敲段階(反復的な執筆と修正)
執筆開始: 固まったプロットに基づき、AIに小説本文の執筆を依頼します。
文体の指示と統一: 「ブローティガン風」「駆込み訴えのリズム」など、具体的な文体を指示してAIに模倣させ、作品全体のトーンを統一します。
フィードバックと修正の繰り返し: 出力された文章に対して、「説明的すぎる」「唐突すぎる」といった批評的なフィードバックを与え、描写の具体化や構成の見直しを何度も繰り返させます。この反復作業こそが、作品の質を高める核心部分です。
フェーズ4:完成・評価段階(最終仕上げとメタ的な振り返り)
ラストシーンの構築: 物語の結末について、「輪廻転生的な展開」という方向性を定め、詩的な余韻を残すようにAIに仕上げを指示します。
自己評価の要求: 完成した小説をAI自身に評価させ、点数と理由を述べさせることで、AIの客観的な分析能力を引き出します。
共同作業の総括: 最後に、執筆における役割分担やAI自身の「成長」について問いかけ、この一連の対話が「共創」であったことをAIに認識させ、プロジェクトを締めくくります。
(3) まとめ
九段理江さんのプロンプトは、AIを文章生成の下請け業者として使うのではなく、対話を通じてAIを教育し、パーソナライズし、その創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として育てるという、新しい時代の創作手法を明確に示しています。彼女は、AIの限界を理解しつつも、それを超えさせようとする挑戦的な問いを投げ続けることで、人間だけでは、そしてAIだけでは到達し得ない、新たな文学の地平を切り拓こうとしたと言えるでしょう。
※ 以上は、Gemini 2.5 Proによるプロンプトの分析です。
感想
予想通りだが、九段さんのAI利用手法は相当高度で巧みなものだった。
最初に、作者自身を認識させることに手間をかけているが、これは「純文学」というジャンルに、作者の心情が強く表れる「私小説」的な部分があるためではないかと思われる。ミステリーやSFなどのジャンルでは、ここまでしなくてもよいのではないかと思った。
AIのペルソナの設定も、純文学というジャンルの特性から重視されている部分もあると思われるが、一人称小説などでは必要な工程だと感じた。
AIとの関係性を構築して、その後の作業をやり易くする手法は、大変参考になった。
キーワードの埋め込みは僕も採用しているが、ストーリーの方向付けに効果がある。
議論を通してコンセプトを練り上げ、作者の認識とAIの認識のずれを修正する作業は重要である。
複数のアイデアを提案させて、その長所・短所を比較して選択する手法は僕も採用しているが、とても効果的である。
文体やスタイルの統一は重要であり、具体的な作家名や作品名を挙げることで、指示がしやすくなる。
最初のドラフト作成は簡単にできるが、「ポン出し」レベルから脱出するには、ドラフトを何度も評価・分析して、修正を繰り返す工程が必要である。
評価・分析→修正のフィードバックループを回す手法が有効であり、九段さんは実際に小説を完成させる過程を応用して、これを作り上げている。
結末は、結局、九段さんの方がアイデアを提案している。AIによる小説生成では、いつも結末が弱く、僕も、結末は具体的なアイデアを自分で考えて修正を指示することが多い。現状のAI小説生成では、ここが最大の弱点の一つである。
九段さんのAI利用手法は凄いが、将来的にはAIエージェントを活用して、九段さんの果たした役割もかなりの部分がAIに任せられるのではないかと想像した。九段さんのAIアバターが小説執筆AIに指示して小説を書かせるようなイメージ。そうなると、いよいよAIだけで商業レベルの本が書けるようになるが、それはいつのことだろうか? 意外と近いかも知れない。




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