車窓から眺める空が高い。
穏やかで緩やかな日常に、思いもかけないほど安らいでいる自分に驚く。
当たり前でないはずのタニとの日々が、当たり前のように積み重なってゆく。
そんな日々が重なって、いつか当たり前になってしまうのだろうか。
それも悪くない。
カーステレオの低い音楽に身を委ねながら、とりとめもなく思う。


「着きました。」

ゆうひがドアを開ける。
瞳は伏せられたまま、心を覗かせない。
俺もこんな瞳をしているのだろうか。
ふと考えて、苦笑する。
「なにか?」
「いや。」
それだけ言い、片手を挙げ降りる。
会釈してゆうひは又運転席に戻り、車庫へと向かう。
エンジン音が離れていくのを背で聞きながら、俺は行くともなく庭へ回る。




日が地平へと傾いている。
葉の落ち始めた木々の間を縫って、まばらな翳を踏んで歩く。
冷たい気配を含み始めた空気が、胸に心地よい。
いつになく穏やかな心地のまま、歩を進めた。


庭の外れが、厨房の裏側に面している。
弱い日差しにそこだけ縁取られたようにたにがいるのが目に入る。
階段に腰をかけ、一心不乱に目を凝らし、唇を引き締めて。
夢中になる時の癖なのか、左の眉が上がっている。



「おう。」
今まで気がつかなかったらしく、驚いたように顔を上げる。
「あ、おかえり、りかさん。」
「何してんだ、お前。」
「あ、じゃがいもの皮むき。
 俺、料理とかはできないから、こんくらい、ね。」
そういって、ペティナイフを持ち直す。
不器用な手つきで、ごつごつした塊を一つ一つ丁寧に剥いてゆく。
「ふうん。」
夢中の顔をもう少し見ていたい気になって、横に腰を下ろす。
「あ、汚れるよ。」
「かまわねぇよ。」
俺が座ると、いきなり緊張したらしいのが分かる。
ナイフの運びが変に力んでやがる。
「おい、もう少しのんびりやれよ。」
「でも、この位のことさっさと出来なくちゃ。」
唇を尖らせて、ナイフを引く。
「・・・・っつ・・!」
「ほら見ろ、ばか。」
人差し指をひっかけたらしく、血がもりあがる。
思わず手をひったくり、口に含む。

「だ、だいじょぶっ!」
含まれた口から、手を焦って引き抜かれる。
「大したこと・・・ないし。」
そう言うと、手を握り締めて下を向く。
「だめだろうが、焦って刃物ふりまわしちゃあ。」
軽口を叩く俺に、睨むように目をあげる。
何かいいたそうな顔をして、何もいわずに又口元を引き締める。
まだ日の温もりを含んだ風に髪が乱れる。


「なんか、怒ってんのか、お前?」
驚いたような顔になる。
「別に、そんなことないけど・・・・何で?」
「別に、そんな顔してただけだ。」
小さな唇から溜息が洩れる。
「ああっ、だめだなあ、俺。」
その顔が余り悔しそうで、つい俺はタニの肩を抱く。
唇を軽く寄せる。
「だめだよ、りかさん。仕事中。」
たにが俺の腕を戸惑うように払う。
「そんな邪魔になるかよ。」
「でも。」
「俺がいいって言ってんだから、いいんだ。」
理屈にもならないことを返す。
困ったような瞳がこちらに向く。
小さな鼻の下の唇が、まだ不満そうに曲がっている。
「だって、まだ剥かなきゃ。」
足元に積んだじゃがいもの山を顎で指す・
「じゃあ、剥けばいいだろ。」
「このままで?」
戸惑った顔がなんとなくいとおしくて、額を寄せる。
額を合わせると、たには大きく溜息をついた。
「どうした?」




いきなり現れたりかさんに、こんな事いうつもりじゃなかった。
台所の下働きも碌に出来なくて、いくらやっても終わらなくて、そんな気分の時だった。
含まれた指に伝う舌が、思いもかけず熱くて、ぼうっとしてしまいそうだった。
だからつい、言葉にしてしまった。
「だって、だめじゃん、俺。」
りかさんの眉が上がる。
「なにが?」
「このままじゃ。」
なんだか苦しくなって、額を離す。
多分伝わってない、りかさんは口の端を上げながら気にしないふうに呟く。
「芋剥くのがか?」
低くて深い声。
そんな声で囁かれるだけで、胸が掴み上げられたような気分になる。
「いや・・・それだけじゃなくて・・・・なんつうか・・」
言葉を口の中で探してみる。
もごもごしている俺を、りかさんはただ眺めている。
肘を膝について、柔らかな髪が風にわずかに乱れている。
もごもご考えながらも、そんなことすら気がつくほどにりかさんを見つめてしまう。
「甘やかされてるみたいで。」
俺の髪にりかさんが指を絡める。
細くて、白くて長い指。
この指で触れられることは、慣れているはずなのに。
それなのに、まだ頬に血が上る。
「別に、甘やかしてねぇよ。」
口調は変わらない。
自分のもどかしさが、たまらなくなる。
誰のせいでもない、自分のせいだというのは痛いほど分かっているのに。
「・・・・俺、全然成長できないで。」
頭を振って、指を引き離す。
まるで八つ当たりだ。






たにの口調が妙にきつい。
いや、こいつは元からそうだったような気がする。
一見すれば穏やかで明るくて、そんなふうに見られる事に慣れているようにすら見えて。
けれどもその実、自分の事については驚くほどに頑なになる。
「そうなのか?」
瞳を覗き込む。
秋の日を受けたそれは、迷いながらも真っ直ぐな光を湛え。
こちらの視線に負けまいとするかのような強さすら含んでいる。
「そんな・・・気がする・・・」
「馬鹿、考えすぎだ。」
そんな風に自分を追い詰める必要はないだろう、まだ。
なぜか上手く言葉にできない。
こいつは自分を追い詰めていることを、俺に気が付かれることは望んでいない。
なぜかそんな気がした。
「そうなのかな。」
胸が小さく上下して、息が洩れる。
どこかで、自分でも気がつかないうちに気を張っているのであろうことが伝わってくる。
そして、それをどうにもできない俺はこいつの肩を引き寄せることしかできない。
「しばらく、こうしてろ。」
小さな頭が、素直に肩に乗る。
「・・・ん。」
掠れるような息と共に、答えを吐き出した。






日差しは暮れる間際にきらめきを増す。
まぶしいような光の塵が、落ち葉に紛れ路に散ってゆく。
この僅かな一時の中に、切り取られたように寄り添って。
無防備に委ねられた、この温かさ。
柄にも無い、胸が締め付けられるなどと思いたくも無い。
いつまでも続くことと、信じることさえ出来はしない。


なのに、この温かさを今だけは信じていたい自分がいる。
それならそれで構わないじゃないか。
たにの肩を引き寄せる。
しなやかな身体が、驚くほど素直に寄せられる。
シャツの布地を通して、もう慣れたはずの体温が伝わってくる。




言葉は途切れてしまった。
けれどもう少しだけ、この温もりに遊んでいよう。
















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