2.
空気はいつしか静けさの中に捻れてゆくように。
甘い香りはその奥に饐えた棘を顰めて、俺を絡めとろうとする。
薄く阿片の匂いが入り混じる。
ここは上海、異邦人を喰い尽くす。
つまみに目も向けず、グラスを傾ける無粋な異邦人。
時に身を任せる様な怠惰を纏いながら、
只、今だけの流れに身を委ねるような不思議な青年。
「言葉、喋れるか?」
「あ・・少し・・・・・英語、と日本語 も。」
「ふん。」
娼婦はいつも従順の媚びの中に、あからさまな軽蔑を匂わせる。
どんな値の張る女でも、隠せない匂いを。
自らの寂しさを映し出されたように、怯える男は目を逸らしたくて、
余計に溺れこむ。
ふと逸らした目に、部屋の隅の蓄音機が入る。
およそ娼館には似つかわしくないのが、興味を引いた。
「男二人で、酒が辛気臭え。
なんか、かけてみろ。」
指差して、身振りで青年に示す。
「どんなの・・・が・・、す、き ?」
「この国のは聞き飽きた。」
「え・・と。」
「お前がいつも聞いてるやつでいい。」
埃を引っ掻くような、ざらざらした空気がバンドネオンの音色を紡ぎはじめる。
ここの空気がそうさせるのか、国のダンスホールのそれとはまるで異なった、
猥雑な寂しさを垂れ流す。
バンドネオンは回り続ける。
背凭れにひっくり返るように沈みこみ、品定めするように見つめられて、
青年は所在無げに上着を脱ぎ始める。
「おい、暑いのか?」
「いいえ、あの・・・・・・あちら に。」
分厚いベルベットの翳の閨房の扉を、ちらりと目で示す。
「わたしの・・仕事。」
「ああ、いい、いい。」
不思議そうな口が、無防備に薄く開く。
その無防備の隙間から覗く色香は、傾城の美女でも敵うまい。
俺は自分の無粋極まりなさを半分呪いながら、それでもそんな気になれない。
こいつの醸し出す色香の底に、不思議な脆さが見え隠れする。
なにかに怯えるような、なにかを諦めたような。
そしてなにかを求めるような。
人身御供の街は、こんな顔をしているのかもしれない。
「お前、好きなのか?」
「・・え。」
「タンゴ。」
薄い唇をはにかむ様に薄くして、小首を傾げるように頷いた。
「踊れるのか?」
細く長い首が揺れるのは、否定のつもりなのだろう。
「よし、教えてやる。」
とことん酔ってるらしい。
何を言ってるんだ、俺は。
恐らくはこうやって顔をつき合わせている、決まり悪さの所為に違いない。
「ほら、立て。」
困ったように、それでも少し嬉しそうに、
こいつは俺に引っ張られ立ち上がる。
爪を磨き上げた華奢な指は、女たちの垂涎の的のような形なのだろう。
似合わないことこの上ない無骨な俺の掌に、そっと委ねられる。
「俺の通りに動いてみろ。」
細い腰を引き寄せて、絡めるように流れるように脚を運ぶ。
おずおずと沿う脚は、やがて滑らかに、
反り返る背から、艶やかな熱気がほとばしる。
それでいて、この瞳に宿る侘しさはどうだ。
俺は、奴の瞳の中、
タンゴに緩やかに喰われはじめる。
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