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 1.










人力は煉瓦に軋むような響きを刻み、南京路を曲がった。
重苦しい花崗岩の建物が連なる合間に、罅割れた様な路地が口を開ける。
路地の奥深く里弄と呼ばれる住宅が、お互いを食い潰すように重なり合う。
租界は異邦人に、着飾った外面だけをけばけばしく晒し出す。



霧はいつしか重苦しい雨となり、歪んだ街を舐めてゆく。
思いのほか商談は上手く進み、いつもより酔いがまわった所為かもしれない。
明日には日本への船が出る。
車夫に渡した紙切れは、あの大人とやらが無理やり手にねじ込みやがった。
「最高の歓楽を」と書かれたそれは外面に過ぎないこと、
この街に脚を運んだものならば、すぐに分かること。
そしてこうして向かった俺は、この街の猥雑に酔い潰されていたのかもしれない。









見上げるようなゴシックの建築の下、ゆっくりと回転扉がまわる。
霞むほどに光量を落としたシャンデリアが、ぼんやりと浮かび上がる。
街を包む雨よりもなお重く、沈んだような広間に迷い込んだ錯覚を覚える。
支配人らしき風体の男が慇懃にこちらにやって来た。


「ご紹介ですか?」
貰った名刺を渡し、外套と帽子を預ける。



「香寿先生、こちらへ。」


導かれるまま吸い込まれるように、幾つものカーテンを潜り抜ける。
迷路のように入り組んだ廊下は人の気配を吸い込んで、その息付きだけあとに残す。
館の奥深くひっそりと隠しこまれたような部屋は、意識の陥穽を思わせた。





薄暗い部屋にようやく目が慣れて、アール・デコに東洋趣味をあしらった室内が輪郭をとりはじめる。
趣味が良いのか悪いのかすら、俺にはよくわからない。
およそこの部屋にはそぐわない闖入者の気配に、
マホガニーの壁がランタンの灯で揺れる。
ランタンの灯よりも、なお紅いベルベットの天幕の下からゆらりと青年が立ち上がる。


なにを勘違いしやがったのか、男相手に最高の快楽もないもんだ。
よほど女遊びを遣り尽くしたとでも思われたのか、勘弁してくれよ。
俺は国では堅物で通っているんだが。
呆れて立ち尽くす俺を、そいつは戸惑っているとでも思ったらしい。


「こ・・・っち」
天幕の下、使いでのありそうな馬鹿でかい長椅子を指でさす。
「ああ、わかった、わかった。」
差し伸べようとする手を払い、俺は椅子にどっかりと腰をおろす。
宙に浮いた手をおずおずと引っ込めて、奴は斜向かいに席をとる。



「・・・・な・・・にか・・・飲む ?」



憮然とした俺の態度に、たどたどしく言葉を発し俺の目を覗き込む。
「ええと・・・チェンジ・・・・できる。」
そう言って細い指で自分をさす。
いや、気に入らないとかそういう問題じゃないんだよ。
最高級って言われても、男だろおまえ。
いっそ蹴って出てやろうかとも思ったが、これからどこか探すのも面倒だ。
「ああ、チェンジは、いい。」





この魔都を発つ祝杯をあげるのに、相応しいといえばいえないこともない。


「とりあえず、何か飲みたい。」







適当に持ってこさせた老酒は、この街では目の玉が飛び出るようなものなのだろう。
列国が大挙して蹂躙した、眠れる獅子の人身御供の街。
東洋の畸形とされたことで、皮肉なことにその美しさは艶めきを帯び、
異国の者たちが灯りに群がる蟲のように、集まり貪り尽くす。
喰い荒らされた傷跡さえも、人々を誘い込む。


青年の酌を手で制し、手酌で飲みだす俺はかなりこの店では珍しいのかもしれない。
驚いたように見開いた瞳が、不安げに俺を眺める。


煙ったような酒の香りを味わいながら、しみじみと青年を眺めてみる。
仕着せとは思えない黒い燕尾に包まれた肢体は、
いかにも上海人らしくしなやかに伸びる。
艶やかに固められた黒髪が一房、額に翳を落とし、
清朝の皇帝の膝の上が似合いそうな、猫の瞳。
白磁のように滑らかな肌に、紅を差したかのような口唇の曲線は、
誘うように薄く開かれたまま。


これほどの上玉は、女でもそうはいまい。


恐らくは混血、それもこの街に相応しいじゃないか。
娼館では決して出さない問いが、思わず口をつく。


「お前、名前は?」


「・・・彩輝 。」







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