ウィキペディアより引用

 

भ्रूं 

一字金輪仏頂 (いちじきんりんぶっちょう)、梵名エーカークシャローシュニーシャチャクラ (एकाक्षरोष्णीषचक्र [ekākṣaroṣṇīṣacakra )は仏頂尊の一尊。深い瞑想の境地に至った如来が説いた一字の真言ボロン(भ्रूं [bhrūṃ])を神格化したものである。

一字とは梵字一文字で表せるボロンを真言とすることに由来する。金輪とは転輪聖王のうち最も優れた金輪王を意味し、仏頂尊の霊験が極めて優れたことを譬えたもの。そのため一字金輪曼荼羅では、転輪聖王が従えるという七つの宝(金輪、如意宝珠、女宝、馬宝、象宝、主蔵宝、主兵神宝)が、一字金輪仏頂と共に描かれる。

所依の経典により、如来形の釈迦金輪(しゃかきんりん)と大日金輪(だいにちきんりん)の二つの姿が説かれる。

 

釈迦金輪は、釈迦如来所変の仏頂尊とされる。 三昧耶形は八輻輪(8本のスポークのある輪宝)。種子はボロン(bhrūṃ)。

その姿は、実際の造形例では螺髪の通常の如来形で赤い衣服を纏う。印相は定印にしてその両手の上に輪宝を乗せ、須弥山の上の月輪(全身を取り囲む白い光背)または日輪(赤い月輪)の中に座しているものが多い。また、光背の周縁に輪宝を巡らせてある場合もある。

一方『陀羅尼集経第一』(大正新脩大蔵経No.901)には「体色は金色で七宝冠を戴き全身から光を放つ。印を結んで七宝で飾られた蓮の花の上に結跏趺坐する。座っている蓮華の下に輪宝、さらにその下に宝池がある」と記されている。

釈迦金輪はその輪宝で九曜等の天体神を折伏するとされ、宿曜道では凶星のもたらす災いを避ける修法の本尊として重視される。

 

大日金輪

大日金輪は、大日如来所変の仏頂尊とされ、金剛界大日如来が胎蔵界日輪三昧という瞑想の境地に入って唱えた「ボロン」の神格化とされる。

三昧耶形は十二輻輪。種子は釈迦金輪と同じくボロン(bhrūṃ)。

その姿は、全身を五智宝冠等の装身具で飾り、印相は智拳印。七匹の獅子の支える白蓮華の上に座す。その姿は金剛界大日如来に酷似するが、大日如来が月輪の中に座すのに対し、大日金輪は日輪(赤い月輪)の中に座すのが特徴である。また、日輪の周縁に輪宝が配される場合もある。

大日金輪は、天台宗では蘇悉地法の本尊として金剛界・胎蔵界大日如来に並ぶ尊格とする。

また仏眼仏母と表裏一体の存在とも考えられ、金剛界大日如来が胎蔵界日輪三昧の境地にある姿が大日金輪、胎蔵界大日如来が金剛界月輪三昧にある姿が仏眼仏母であるとする。

また、一字金輪仏頂が折伏、仏眼仏母が摂受によって衆生を教化するという意味でも表裏一体である。 一字金輪仏頂の曼荼羅に仏眼仏母、仏眼仏母の曼荼羅に一字金輪仏頂を配して修法を行うのも、両者の補完関係を期待してのものである。つまり、一字金輪仏頂の霊験の輪宝によって倒された悪神は、真実の眼を開く仏眼仏母によって善神として蘇るのだという。

なお、一字金輪仏頂を本尊とする修法はあまりに強力であり、その壇から五百由旬四方の場所で行われている他の修法は全て無効化されてしまうとされた。そのため、真言宗では東寺の長者のみが修することを許されていたという。

 

一字金輪仏頂尊は、仏画に表されることが多いが、仏像に現されるのは稀である。一例は中尊寺の安置されている一字金輪仏頂尊像(木造一字金輪坐像・重要文化財・秘仏)であり、奥州藤原氏三代秀衡の念持仏と伝えられている。

 

 

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  • ”भ्रूंボロン~その②”

    一字金輪仏頂とは深い瞑想の境地に至った如来が説いた一字の真言ボロン(भ्रूं [bhrūṃ])を神格化したものである。①如来形の釈迦金輪(しゃかきんりん)②大日金輪(だいにちきんりん)の二つの姿が説かれる。※私はつまり釈迦もこのレベルまで到達したという意味だろうと思います。つまり同格と考えれば分かるかなと。専門用とかの言い方が有るのかもしれませんが一般人には読んでて辛くなるので私流に解説していきます。【ここで思い出して欲しい事が有ります】釈迦金輪はその輪宝で九曜等の天体神を折伏するとされ、宿曜道では凶星のもたらす災いを避ける修法の本尊として重視される。↑つまり同じく悟った大日金輪にも同じ役割を果たしているのだろうとこれを読むと分かります。宿曜道って誰が隠したんだっけ?ってもう一度思い出しながら・・・・・・・では・・・・この大金輪の修方を学ぶ事が出来るのはどこだったでしょうか?【東寺です】東寺はどんな寺ですか?ウィキより東寺は、平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。明治維新まで、東寺の長官である4人の東寺長者は真言宗の最高位であり、中でも長者の筆頭である東寺一長者は律令制における仏教界の首座である法務も兼任する慣例だった。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。1934年(昭和9年)に国の史跡に指定、1994年(平成6年)12月には「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産に登録された。~以上~天皇家と空海の関係。そして世界遺産て?そう私が指摘しているグループ体系の繋がりそのものですよね?天皇家って神道ですよね?じゃあどちらを尊重しているか分かりますか?私がニチユ同祖論がまやかしだと気がついたのはとあるものを実際に目撃したからでした。しかしその極意を知るととある真実に繋がってくるのです。まず東寺って位だから、西寺ってのが有るんじゃないかと私は閃きましたが、やっぱりあります。8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であった。南北朝時代に成立した、東寺の記録書『東宝記』によれば、東寺は平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、藤原伊勢人が造寺長官(建設工事責任者)となって建立したという。藤原伊勢人については、公式の史書や系譜にはその名が見えないことから、実在を疑問視する向きもあるが、東寺では古くからこの796年を創建の年としている。それから二十数年後の弘仁14年(823年)、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)は、嵯峨天皇から東寺を給預され、真言密教の根本道場としたと弘法大師二十五箇条遺告(御遺告)に記されている。この時から東寺は国家鎮護の官寺であるととも真言密教の根本道場となった。東寺は平安後期には一時期衰退するが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになる。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院であった~以上~ この東と西という考え方。この感覚を持つだけであらゆる事が見え出してきました。そう・・・・・両界曼荼羅ってそもそも、東と西で向かい合わせに置くものですよね?そして、これは私だけが扱える情報なので有料にさせて頂きましたが、これを見ると分かります。購入して頂いた方はこの神棚の梵字をご覧下さいませ。すると・・・・この場所は秘密ですが、皇居はここから見て東の方に有るんです。つまり東向きにすると皇居って何を信奉していますか?そう天照=大日如来とも言われていますよね。全部読んだ人はこの事実に「あっ\(◎o◎)/!」なりませんか?そうです。彼らは日本全土に渡り結界?マンダラを配置したような感じでしょうか・・・・・・大日金輪の教えは皇室は自分たちのものだけにしているという情報を僧侶の方から頂きましたが、以上の事実をもってもその情報が正しいのだと私も思います。そして・・・・当然ですが、私の情報はこれだけに終わりません。そもそも空海が何を言わんとしていたのか?私には分かったので書いていきたいと思います。お坊さんでも分からんのにアンタが分かるのかい?と思った人も多いかと思いますが、専門性を持ちすぎりとその部分に深くなりそこしか見なくなる・・・・・彼らの仕掛けている秘密護持って実はそこに有るんです。現に大日金輪修法修める事が出来た方って何人いますか?という話なんです。そしてそれを教えないのは何故か分かる方がいますか?という風に質問されれば分かると思います。実は「鼻っから教える気などないんですよ」大日金輪の仏像は存在はしますが秘仏扱いだし(笑)そして、舎利逗子に実は描いてあったりする物が存在しますが宮内庁御用達ですからね。そりゃあ一般人も僧侶さえも見られないんだから知りませんよね(笑)

    たかちほ

    2021-03-15 22:57:33

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