|
2014年 |
11月23日 |
そうか、昨日のところは、立食で定員40名だったんだな。次あたりは、少し考えないといけないかもな。 |
11月22日 |
大学生である僕の講義の履修者たちには、和泉さんのエッセイがおすすめだろうかね。 |
11月21日 |
消費税「景気条項」の話は次にあります
昔から消費税増税をめぐっては二派に別れており、二派の見解は直近の景気変動などでどうなるものでもないわけでね。
ところで、小沢氏の民主党への離党届け提出は2012年7月2日、それを受けて7月9日には民主党は小沢氏等50人を除籍処分、一ヶ月後の8月10日、三党合意に基づいて消費税増税が成立。そして、自民党総裁選が9月26日――この日が今日の起源なんだろうな。僕は、当時の様子をながめながら、やれやれと思って、上記、税収の推移と見せかけの相関を執筆している模様。
僕の疑問は、小沢氏の離党の後に、なぜ、景気条項を修正しておかなかったのかというところだろうかね。よもや増税成立一ヶ月後に谷垣さんが自民党総裁選に出られなくなる(9月14日告示)とは考えられなかったということなのかね。
ちなみに、当時の総理による「関連法案が成立した後、近いうちに国民の信を問う」発言は、2012年8月8日に行われた谷垣氏(自民党)と野田氏(民主党代表)、山口氏(公明党代表)との3党党首会談において。そして実際に信を問うために解散が行われたのは、2012年11月16日。「近いうちに」が8月8日から一ヶ月以内であったならば、上述の僕の文章は生まれていなかったとは思うんだけどね。 |
|
|
11月20日 |
11月6日の発言をぜんぶアップしておきますね。あの日は、11人の専門委員の方々(ゆえに会議出席者は20人以上)の発言がすべて終えての、終了間際の発言。
-
○権丈委員 では、短くいきたいと思います。提供体制の改革というのが今回の大きな目的になります。この提供体制の改革の中で、増田委員も神野委員もおっしゃっていましたように、県の役割が非常に重要になってまいりますので、これは保険局のほうでの仕事になるのかもしれないのですが、国保の改革をしっかりと進めていただければと思います。
もう一点は、この提供体制の改革をどういう目標でどういう手段でやっていくかというときに、アメリカのような市場の力でもなく、ヨーロッパのような政府の力でもなく、データの力による、データによる制御機構をつくっていこうということで、「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」というのが、今、同時並行で動いていると思うのですが、なるべく早くこの専門調査会の議論と今日の議論がかみ合った形で、同時並行でいけるような議論にしていただければと思います。
もう一つは、皆さんもおっしゃっていた財源の話ですけれども、プライマリーバランスがとれていない段階で、プライマリーバランスをとっていくまで増税をしていくというのはつらいです。その中のほんの部分が社会保障に回ってくるという状況なので、土居委員もおっしゃっていましたけれども、2020年までの財政健全化目標というようなところがあるとすれば、プライマリーバランスがとれるまで増税していきながらやっていくというのは結構つらくて、景気に悪影響を与えるかというと、それは与えるだろうなと。与えないために社会保障にどんと使ってもいいですよというのがあるのですけれども、それもできないでしょうし、これはつらい。国民・市民感覚で多数決をとったら、きっと多数決で負けるだろうなということを、これから我々は、今回の8から10だけではなく、その先もずっとやっていかなければいけないというところにあるので、あまり民主主義的にこの問題を扱ってもらうのはつらいなというのがありますので、御理解いただければと思います。 |
昨日アップした『週刊社会保障』の中で僕が言う、「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」というのはあまり知られていないようですけど、実は、これはとても大切な会議。次でもどうぞ。
-
8月19日、日医講演録 |
また、社会保障制度改革推進本部は、「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」というのも立ち上げています(図表26・27)。この専門調査会は、松田晋哉先生、伏見清秀瀬年生が中心になっていくことになります。DPCシステムを考案・作成し、それゆえに誰よりも医療情報に詳しい松田先生、伏見先生が中心になるというのは、非常に大切なことだと思っています。 |
 |
|
|
う~ん、今週の『週刊社会保障』
昨日11月18日のふたつの出来事と関連するふたつの記事
そのひとつは――この記事はタイミング的に、一瞬、どきっとするものが
そして今ひとつは
推進会議は11月6日だったわけで、上の記事で紹介されている僕の発言に続けて、僕は次のように話している
-
もう一つは、皆さんもおっしゃっていた財源の話ですけれども、プライマリーバランスがとれていない段階で、プライマリーバランスをとっていくまで増税をしていくというのはつらいです。その中のほんの部分が社会保障に回ってくるという状況なので、土居委員もおっしゃっていましたけれども、2020年までの財政健全化目標というようなところがあるとすれば、プライマリーバランスがとれるまで増税していきながらやっていくというのは結構つらくて、景気に悪影響を与えるかというと、それは与えるだろうなと。与えないために社会保障にどんと使ってもいいですよというのがあるのですけれども、それもできないでしょうし、これはつらい。国民・市民感覚で多数決をとったら、きっと多数決で負けるだろうなということを、これから我々は、今回の8から10%だけではなく、その先もずっとやっていかなければいけないというところにあるので、あまり民主主義的にこの問題を扱ってもらうのはつらいなというのがありますので、御理解いただければと思います。 |
まぁ、あの段階で、いわゆる「民主主義的勝利」に消費税増税延期が利用されるだろうことは、おおよそ分かっていたわけでね――いやもう、解散があるだろうことはかなり前からだけど。
動画も出てます・・・分隊長、写ってるぞ。韓国のご両親に、元気にしてると連絡を(笑)
注)大学から出かけたから院生を鞄持ちとしてつれて行ったわけだけど、やはり鞄は自分で持ってしまった。。。 |
|
一昨日、君たちに話した、日曜日のやりとりというか、日曜日に僕が出した連絡
- せめて、財政再建、景気回復、社会保障機能強化の3つに、少なくともプラスの価値を置く人にインタビューしないとダメだよね。この3つのバランスをいかにとっていくかは、問われるべき問題です。
国民会議路線での社会保障機能強化を憎んでいて、社会保障の機能強化にマイナスの価値を意識している者は、最も不適格だと思うよ 笑
消費税の財源を用いた社会保障の機能強化に価値を見いだしていない者で、消費税の引上げを支持しているのがいたら教えてくださいな。消費税の引き上げ反対、延期論者には、それこそ動機がたくさん複合されていて、その結果、圧倒的多数を形成する。・・・いろんな人間模様の生き写しだろうね。そこが政治的にうまみがあるわけで、景気に対する影響で本当に判断しているのはどれくらいいるのやらっという感じかね。
・・・でっ、すでに決まっていることを対論させて何の意味があるのかな?
三田祭の来場者には、社会保障の機能強化にまったく価値を置いていない人たちや、まったく知らない人たちもいる。
なかには、社会保障の研究者でも、今の改革路線に取り残された者もいたりする。たとえば、かつての最低保障年金の論者達は、国民会議から財政検証まで続く3つのオプション試算に基づく改革を、深層心理の部分でどうしても過小評価し、自分たちの昔からの論に引き戻そうとして、論を歪める傾向がある。いや、現実にそうなっている。そうした人間模様の中で、前進していかなければならないのが、政策展開というもので、外から研究対象として見る政策形成過程のおもしろさでもある。 |
|
うん、この国際比較の図は見ておいた方がいいな
- 空前絶後の膨張となる日銀のバランスシート『週刊東洋経済』今週号55頁
3年生は、次を読んで、いま、社会保障を論じることの重要性を理解しておきな。
- 吉川先生「先送りに根拠なし」『週刊東洋経済』今週号のなかの「政府はもっと社会保障を語るべき」57頁
でだ、君が国民皆奨学金制度を言いたいのならば、君が望む積立金運用のライバル?の次の話などもしっかりと見ておかなければならないわけだ。
- 「年金積立金が起こす株式バブルの猛威」『週刊東洋経済』66-69頁
この記事は4年もみておくように。スプレッドの話について今までで最も分かりやすい説明じゃないかね。
注)今年の三田祭発表には4年もひやかしで参加。
彼らは今、過去10年くらいの年金関係の新聞記事、年金学者のインタビューを検索して、間違い探しをして遊んでるよ。
僕は、過去の日経の社説を展示するだけで来場者には十分楽しんでもらえるだろうにと言っているんだが、暇な彼らは他のもみてる。。。 |
11月18日 |
降籏さんは、次などをみてごらん
- 朝日新聞の中にある(東洋経済の眼)GPIF改革の費用対効果 株投資、恩恵小さく副作用は大 『朝日新聞』2014年09月27日
- GPIF改革の危うさ『週刊東洋経済』2014年7月5日号
昨日のサブゼミでの話は次のようなこと。
-
8月19日、日医講演録 |
そこまで保険料を上げたら企業が持たないとかいろいろなことを言われます。しかしですね、昔はこの国はとんでもなくひどい労働条件の下にあったわけですが、そういう劣悪な労働をどんどん禁止して、許された領域でやってくれる企業しかこの国では生き残ってはいけませんというようにしながら、日本で許容される労働条件を高いレベルに引き上げてきたわけです。だから日本の労働者に日本の生活水準を保障することができるだけの年金保険料、医療保険料を負担することができるような、それだけの付加価値を生むことができるような企業が日本で活動してもらわなければならないわけです。これができないのであれば、日本人の生活水準は落ちていく。
昔、といっても2007年ですが、パート労働の厚生年金適用のところで私もいろいろと事業主とやり合っていたわけです。「パート労働に厚生年金を適用すれば我々は潰れる」と企業側は言う。そこで私は「別にあなたの会社が潰れても、ほかの人がやってくれますよね。スーパーマーケットとか外食産業のニーズ、需要がなくなるわけではないのだから、あなた達とは違う新しいビジネスモデルを考えた人たちがみなさんに替わってやってくれますから大丈夫です」と言っていました。たとえばあるスーパーマーケットは、商品知識を持っている人たちに働いてもらった方がいいのだという方針で、厚生年金などを適用する正規の労働者を雇う努力をしている。そうした努力を社会全体でやっていかないと。「中国に負ける、新興国に負ける、だから安い労働力を」とこれからも続けていくと、残念ながら、最終的には日本人は中国、新興国の人と同じ生活水準に収束していくしか辿る道がないわけです。この道を絶つためには、「あなた達のような安価な労働力に依存したビジネスモデルしか考えつかないのであれば、市場から退出して下さい」と言うしかなく、そこはシビアにやっていかなければなりません。
去年の社会保障制度改革国民会議の時、終盤で、低所得者・不安定雇用の労働者の増大にも対応できるように社会保障の改革をという方向に話が進みそうだったので、私は、一次分配がしっかりしてなかったら再分配としての社会保障は機能しないというような切り返しをしています。かつて18世紀末から19世紀のはじめに、広く低所得者の賃金補助を行ったイギリスのスピーナムランド制度が経験したように、企業が賃金をいくら低くしても社会保障があるから大丈夫というような社会になると、それこそ社会の持続可能性が脅かされるわけで、労働市場がどんなに質を落としても大丈夫なように社会保障の改革をやるべきと読み取れる文言が国民会議の報告書にあっては困るんですね。そのあたりが、報告書の「まずは、非正規雇用の労働者の雇用の安定や処遇の改善を図ることが必要であり、また、非正規雇用の労働者に対して社会保障が十分機能するように、こうした労働者にも被用者保険本来の姿に戻し、制度を適用されるようにしていくこと(被用者保険の適用拡大)が重要である」に反映されているのかもしれません。 |
このような話を書いている文章はいくらでもあり
ふろく
-
7月2日、年綜研シンポジウム講演録 |
2007年のパート労働に関する厚生年金適用のワーキンググループで、こっち側に年金部会のワーキンググループのメンバーが座り、向こう側に事業主、チェーンストアとか外食産業の人がいたわけですが、私がいろんな発言をすると、午前中は「はい、はい」と聞いて、午後には政治家のところに行く。
この問題、つまり短時間労働者の厚生年金適用拡大は、2004年で敗北し、私がかかわった2007年でも敗北する。2012年のときには、例えばこの前まで被用者年金一元化のところで、原案の附則には「施行後3年までに適用範囲をさらに拡大する」という文言があったわけです。だけど、それを国会で協議していく中で、「施行後3年以内に検討を加え、その結果に基づき必要な措置を講じる」に変えられるんです。いいですか。原案の中には「適用範囲をさらに拡大する」とあったんです。それが議論していく中で「施行後3年以内に検討を加え、その結果に基づき必要な措置を講じる」に改められているんですね。拡大する議論でなくて、もう一回ゼロから検討というか議論をしなければいけない。その条件のもとに今、年金部会が置かれているわけで、どのような議論をするかというルールそのものは向こうが作ってくる。 |
|
|
参考までに(五十音順)
読売については、次もどうかな。
新聞協会会長としてではなく「読売新聞社としては・・・」と発言しているようだけど、ならば点検会合は他紙も呼ばないとバランスが悪いんじゃないかぃ――まぁ、それ以前の話だけどな。
次は、他の話だが
|
11月16日 |
水曜日のGPIFの話題の時に少し触れたことはこういう話
-
8月19日、日医講演録 |
けれども、実はすでに1,000兆円の借金を抱えています。今を生きる我々も、これまでの負担の先送りの影響を受けているわけです。
この借金は変動金利の住宅ローンを借りているようなもので、金利が高くなると借金も増えます。おもしろいのは、年金の積立金で物価連動国債を買えば積立方式の年金がインフレにも対応できると言う人も出てくるわけですが、それは国が年金積立金から変動金利のローンをするということで、インフレリスクが年金から国家財政にシフトされるだけのことですね。そしてその大元の国家財政は、1,000兆円超の借金を既に抱えてしまっています。1,000兆円というと、1%金利が上がれば、これが借り換え終える頃には10兆円の債務が新しく増えることになる。この10兆円を消費税に換算すると4~5%に相当するという、かなりきつい状況にあるわけです。
政策基準の一つに、GDPに占める公的債務の割合があります。分母であるGDPは経済成長率が動かし、分子である債務は金利が動かします。だから、成長率よりも金利の方が高いとすれば、仮に単年度の基礎的財政収支(プライマリーバランス)が取れていたとしても、GDPに占める公的債務の割合は発散していきます。ですから、借金のストックが1,000兆円ほどある状況下で、GDPの伸び率と金利の差が仮に1%程度ある場合は、GDPに占める借金の割合を安定させるためには、消費税に換算すると5%程度の余計な負担を継続していく必要が出てきます。GDPに占める公的債務の割合を減らしていくのはこの国ではよほどの幸運が重ならないと無理です。・・・
この公的債務のストックというのは実にやっかいな問題で、今展開されているいろいろな政策の中に「インフレを起こす」というのがあります。インフレと言っても、ディマンドプルなのか、コストプッシュなのかで国民経済、国民の生活に与える影響は異なってくるわけで、輸入インフレによるコストプッシュの場合は国富が海外に流出するわけでして、これはやめてもらいたいわけですが、そういうことは、まぁ抜きにしたとしても、インフレが起こると、特別なことをしなければ、名目金利というのは実質金利にインフレ率が上乗せされた形に近づいてきます。さて、その時の財政運営をどうするか。「いやいや、金利は上げないでやっていく」という話がなきにしもあらずで、国債が値崩れしないように、日銀が債券市場で既発の国債を買い続けるというのがあるわけですけど、そこから先は、僕たちは知らないよという世界になります。この国は、そうした世界に一歩踏みを出していなければいいのですが。・・・ |
|
|
- HPに関連して、経済産業省設置法をおさらい♪
――――――――――――――――――――――――
(任務)
第三条 経済産業省は、民間の経済活力の向上及び対外経済関係の円滑な発展を中心とする経済及び産業の発展並びに鉱物資源及びエネルギーの安定的かつ効率的な供給の確保を図ることを任務とする。
(所掌事務)
第四条 経済産業省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
一 経済構造改革の推進に関すること。
二 民間の経済活力の向上を図る観点から必要な経済財政諮問会議において行われる経済全般の運営の基本方針の審議に係る企画及び立案への参画に関し、所掌に係る政策の企画を行うこと。
――――――――――――――――――――――――
全部入りですね 笑
特に第4条第1項第2号は、他省庁設置法には見られない特異なものです。
たしかに、いか、タコ、豚に玉子の全部入りだな。
高橋は、ここんところを考えるように。その前に、レポートを早く出すように、ぼけ。 |
11月15日 |
だな。
- 消費税の引き上げ凍結で、医療・介護への資金投入の目途が立たなくなり、一方で先に3%分の引き上げで基礎年金の財源を確保した年金だけが勝ち組という構造になったことは、結果的に日本における「現金給付信仰・現物給付軽視」をいろんな意味で象徴しているような気がします(育児支援への資金投入が中途半端なことも加えて)。
昨日、一昨日と、今何が起こっているのかを説明する際に、最後はどうしても、「まぁ、最高権力者なわけだからね」で終わってしまうな。
この前話したように、今回消費税は運悪く順番があたって利用されたけど、別に理由は国民が歓喜してくれそうな理由なら、消費税増税延期でなくても良かったわけでね。たとえば・・・・・・
次は別件だけど、
- 折角の安定政権が、「『民主党は幼稚なポピュリズム』、増税先送った自民党は『狡猾なポピュリズム』」と言われてしまわないか心配してます。
優しいね。まぁ、民主党はとひとくくりにしていいだろうけど、自民党はと、呼んで良いのかどうかは難しいところかもしれないね。
でもまぁ、昔から言っているが、成長で財源をという上げ潮派の論は、ムダを省いて16.8兆円というのと同じレベルだぞ。全部試してみないと気がすまないというのが、民主主義と言えば、民主主義だけどな。。。 |
11月14日 |
先日の話題は、これだな。
このコーナー、僕が毎新聞日の紙面から死して後、宮武先生が引き継いでくれたわけで、余は満足です、はい。
次でもどうぞ。とにかく、民主党を心から応援していた年金論者達は、心がとっても優しくって、
防貧機能の年金に救貧機能を組み込むことを自分たちの使命と考えているわけでね。いくら言ってもきかないですよ(笑)。
-
2012年12月7日社会保障制度改革国民会議議事録 |
○宮武委員
様々な意見のある中でおまとめになった御苦労は重々わかります
けれども、どうにも理解できない点が2つ法律としてございまして、まず、
受給資格期間の短縮なのですが、日本の受給資格期間は、納付期間と免除期
間を入れて25 年で長いとおっしゃって、例えばアメリカは10 年だ、ドイツ
は5年だ、フランス、イギリスは特に受給期間はないとおっしゃるわけです
が、それらの国々は皆保険体制の国ではないわけでありまして、失業してあ
るいは倒産をして所得がなくなったり乏しくなったりすれば、制度から脱退
ができるわけです。仕事に復帰できて所得が戻ればまた入るという形の出入
りが可能な制度です。日本の場合は皆年金制度でございますので、失業しよ
うが倒産しようが強制加入で入っていなければいけない。ですから、そのた
めに免除制度が設けてあって、全額から4分の3免除まで4段階の免除制度
がある。それを活用すれば、25 年という免除期間を含む通算であれば、そん
なに難しい障壁ではないわけです。それを無視されて、あるいは軽視されて
いるのではないか。10 年になさるということは、確かに無年金者は減るけれ
ども、低年金者は、大げさに言えば大量発生するかもわかりません。今まで
25 年が1つの目途であった。今、10 年でいいということになれば、保険料を
徴収する現場も大変困ると思います。しかももっと悪知恵を働かせれば、60
歳までずっと払っていなくて、60 歳の時点で任意加入をして10 年加入できま
すので、後出しじゃんけんのような形で加入し、年金権を得ることができる。
しかもさらに理解できないのは、そういう低年金者を大量発生させるような
法律をつくって、福祉的な措置として障害者は別ですが、低所得者と言われ
る人たちに対して、いわば福祉的な給付を行われる。これは政策矛盾ではな
いかと思うのです。
下世話な言葉で言うと、マッチポンプみたいなものです。低年金者をつく
っておいて、そこのところに手当をしていく。ここがどうにも理解できない
ので、神野委員にお聞きしたいのは、どういう経緯であったのか、年金部会
をなぜこういうのが通ったのか教えていただけますか。
○神野委員
御意見頂戴いたしました。年金部会の中でも、10 年に短くしてし
まうということが、いわばインセンティブを阻害して、つまり、悪い方向に
動いてしまうのではないかという意見も出されましたので、私どもの意見で
は、そういうことがないように周知徹底をさせていくことをつけ加えて、論
点整理の中に書いてございます。
一方で、福祉給付のお話だったと思いますが、3党合意は年金部会の方で
やったわけではないのですが、これについてもその御心配があったので、保
険料納付意欲を損なわないという観点から、保険料納付期間に応じた給付と
して保険料納付要件に配慮したと理解しております。
○清家会長
宮武委員、どうぞ。
○宮武委員
いろいろ言いたいことがありますけれども、通算で25 年加入とい
うことさえ長い間PR してもなかなか周知徹底せずに、むしろ滞納している人
ほど、この25 年というルールを知らなかったり、もっとひどいのは免除制度
があることを知らない人が半数近くいるとか、そういう問題がずっとあった
わけで、通算10 年で良いと言えば、低年金者が増えて、事態はもっと悪化し
ていくだろうと思います。
そして、保険の納付期間に応じて福祉的な給付をなさったのは、辛うじて
そこで社会保険に対する一定の歯止めをかけられたのでしょうけれども、基
本的なところで間違っているのは、年金というのは防貧制度であるのに、救
貧制度的な性格のものを入れようとされた。そこが私どもが理解し難い2つ
の法律になった原因ではないかなと考えております。 |
この2012年12月7日の国民会議の後、宮武先生と飲みに行って、「よくぞ言った!えらい!!!」と大いに賞賛した次第。
(宮武先生は、民主党は何を間違ったのか、民主党が推した委員だったわけで・・・単に、長妻氏が人を正確に見ぬく眼がなかっただけなわけだが)
まぁ、あの日は、宮武先生と19時から飲みに行く約束をしていたから、18時までの国民会議に出席しただけなんだけどな。
付録でもどうぞ。
そして、僕のかわりに宮武先生にご登場を願わなければならなくなる原因となる、次もかね(笑)
そうだな、次もどうだ。
そして、この有識者検討会の座長が、国民会議の宮本委員、副座長が駒村委員。 |
|
去年の4月に考えていたこと
|
|
時間逆順
|
|
いや、だから、次はどういうふうに読むかというと、公的年金のバランスシート論を考え出すのに、9,750万円の研究費がかかったということだよ。
うんまぁ、大方は、君がレポートに書いている感じだと思う。
- 今回の様々な資料で、どのように誤解されてきたのか大方わかったが、二重の負担がなぜ債務超過に勘違いされたのかだけはさっぱり理解できなかった。
ちなみに、次の研究には1億820万円かかってるな。
- 日本における公的年金のバランスシートは2004年の年金改正によって完全に修復され健全化されたと政府は主張している。ただ、将来拠出部分のバランスシートに着目すると、年金給付は保険料拠出分の80%程度にすぎない。そのような状況下では若者は年金離れを加速させるだろう。
でも、政府は、公的年金のバランスシートは修復されたなんて言っていないと思うんだけどね。修復しようも何も、「そもそも」彼の公的年金バランスシート論っておかしいだろうという話だからな。ほかに、世代間問題の経済分析に6億5,052万、世代間問題の経済分析:さらなる深化と飛躍に3億7,687万円――まぁ、税金だろうよ。
とにかく、日本の年金問題の多くは、数人の年金論者による人災だったと思うよ。
今も一橋には、世代間問題研究機構というのがあるが、そこで働いている限り、一生、世代間問題!と言い続けなければならないんだろうな。
研究費というのは、ほんっと考えもんだ。
そしてすぐにものごとのはじまりに興味がわく僕は、昨日も言ったように、誰が彼を一橋に呼んだのかに興味があってね。人事ってのはこわいもんだよ。 |
|
どうぞ。
なぜだか、僕の授業は法学部の学生も履修できるわけで、今日、法学部の学生向けと言って話した「そもそも本来学派」のスライドは次
そもそも本来学派からみれば、下記にある、「そうした、特殊日本的財政状況の下で、税に強く依存した社会保障政策を求めるというのは、かなり無理が生まれます」という言葉そのものが許せない話になります。
まぁ、僕のゼミでは、昔から、誰かが「そもそも」とか「本来」と口にしたら、僕はいつも「さぁ、みんな耳をすませよ、いまから、ありがたぁいお話を伺うことができるぞぉ」と言ってからかっているわけでね。 |
|
次もどうだ。
-
8月19日、日医講演録 |
ちなみに、税率を上げるのではなく税収を上げることこそが大切だ、民の竈こそが大切だというのが昔からの増税からの政治家の逃げ口上となるわけですが、税収を上げるための経済規模のコントロール、つまりは成長戦略というような言葉は、まぁ、恥ずかしくって口にしない経済学者が多いということも知っておいてもらえればと思います。平成23・24年『医療政策会議報告書』には、次のように書いています。
「・・・このイノベーションは、シュンペーターが理論を動学化するために取り入れていた進化論、特に進化論の中でも1900年代初頭に出てきた「突然変異論」にも当てはまりそうな出来事として描写されており、それを起こす企業家は「ニーチェ的な英雄主義の世界」として描かれている。進化論は生物学上の事実なのであろうが、進化を人為的に操作することが難しいことと同様、シュンペーターの言うイノベーションを原因とする経済発展は、目指せば簡単に起こせるものではない。イノベーションなるキーワード付きの成長戦略を売る経営コンサルや経営学者、はたまた政治家や官庁が雨後の竹の子のように出てくるのは後世のことであり、シュンペーターは草葉の陰で失笑しているはずである。
成長論のパイオニアであるソローは、経済成長の主因たる全要素生産性(TFP)を「無知の計量化」と呼んだ。彼は、TFP を左右する原因を論じようとすると、「素人社会学の炎上」に陥ってしまうのがオチと評しているのであるが、TFP
に対する不可知論は、多くの経済学者も継承している。そして彼らは(私も含めて)、成長戦略論議は、「ためにする議論」の典型だと本当のところは思っている。」
この点、私はソローのTFPに対する不可知論、つまり全要素生産性を上げる方法はよく分からないと言った方を立派な学者だと評価しています。対して、シュンペーターは罪深い。最近は、TFP、イノベーション、それに期待というようなものを、容易にコントローラブルな変数とみなす大前提で議論が行われているように見えますけど、まぁ、そうした論のニーズが、予測に対するニーズと同様に、世の中には強く存在することは分かりますが、研究者がそうしたニーズに応えて暮らしを立てているという状況はあまり好きではありません。
ちなみに、イノベーション、成長戦略という言葉が表に出すぎている今という時代を理解する際にも、はじめに話しました国のガバナンス問題という考え方が必要かもしれません。 |
次なんかもある。この文章に基づいた発言を、先週の社会保障改革推進会議でしたわけだ。「基礎的財政収支がとれるまでの増税はとにかくきつい。多数決をしたら圧倒的に反対されるに決まっているんだから、あんまり民主主義的にやらないほうがいいだろうね」とも。
-
GDPに占める借金の割合は、他の国と比べても、このように圧倒的に大きい状況です。この国は、これまでの日本人が残してきた莫大な債務、つまりすでに大きなハンディキャップを抱えているというところから財政運営を考えなければならない状況です。基礎的財政収支がとれ、かつ金利が成長率を上回っても政府債務残高のGDPに対する比率が上昇しないようにするまでは、増税した際の税収の相当部分は財政再建に回さなければなりません。つまり、それは増税した税収の大部分――今回の一体改革では消費税増税5%のうち4%分――を財政再建に回して、社会保障をはじめとした公共支出に使うことができないということを意味します。
したがって、この国はしばらくの間、総需要を減少させる、すなわち景気にブレーキをかけるおそれのある増税を続けざるを得ません。社会保障の機能強化が必要だからと言って、増税分のすべてを社会保障に回すように求めることは遠慮せざるを得ず、増税が景気にブレーキをかけるからといって、それだけで増税を諦めるほどの余裕もないほどに、財政の持続可能性が問われている段階に入っているんです。もっとも、財政再建、社会保障の機能強化、景気対策の優先順位は、たとえばリーマンショックや東日本大震災レベルのショックに見舞われれば短期的には変わり得ますけど、長期的には財政の持続可能性を確保するための財政再建が最優先の課題と位置づけられると思いますと言いますか、そう位置づけざるをえないんです、残念ながら。財政の持続可能性がなければ元も子もなくなりますからね。そうした、特殊日本的財政状況の下で、税に強く依存した社会保障政策を求めるというのは、かなり無理が生まれます。 |
|
|
次の話だね。
-
8月19日、日医講演録 |
2012年に消費税の引き上げが国会を通って、社会保障・税一体改革に一端の区切りが付くと、永田町、霞が関で、かなりのパワーシフトが起こっているように見えます。消費税を10%まで上げていくことが決まった瞬間に、「次は俺たちの番だ」と考える人たちが、医療では混合診療、年金では積立金の民間運用、財政では法人税の減税論議等を主導していくことになります。これは理屈でどうなるというような話ではありません。
・・・
今回の、選択療養から患者申出療養あたりの動きも、これらの制度のどこが問題なのかというような理屈、正しさの世界でどうなるものではなく、これは力の問題だと思います。私が2001年に出した本の冒頭の言葉「政策は、所詮、力が作るのであって正しさが作るのではない」という世界の話です。構造的な国のガバナンス問題があることを念頭に置かないと、今何が起こっているのかを理解できず、これから何が起こるのかの予測を誤るかと思います。付け加えますと、官邸では、首相秘書官に一時期いた厚労省出身者が、今は1人もいない状況に戻っています。社会保障を取り巻く政治環境としては認識しておいてもよいことかもしれません。 |
昔から言っているように、永田町でパワーシフトが明確に起こったのは、2012年9月26日。この日以降、霞が関では、経産にパワーシフトが起こり、いわゆるアドバイザー?も一変する。
-
8月19日、日医講演録 |
2001年中央省庁再編で、通産省が新組織に移行する際の名称に「経済」という文字を勝ち取って、業務の囲いが外されました。今や国のガバナンスが構造的にそうなっているから仕方がなく、彼らは強力な圧力団体を味方につけてもいますし、経済学の中の多数派でもある新古典派経済学という学問に内在する思想そのものが潜在的に彼らを支持するバイアスも持っています。そして何よりも、実際の効果は抜きにして彼らが使う言葉は国民に聞こえが良い。国民にとっては岩盤規制らしい混合診療の禁止についても、「理論的にはとうの昔に決着がついているから、もう大丈夫」では済まされないものがあります。だから、配付資料の「不磨の大典“総定員法”の弊」に書いていますように
総定員法は不磨の大典と化しているようで、行政需要に応じた人員配置という資源など永遠にあり得ないのが、この国らしさなのであろう。
こうは書いていますが、仕事量に見合ったマンパワーを配分する行政改革を行わない限り、国のガバナンス問題は永遠にこの国が抱えていかなければなりません。 |
ちなみに、次の連絡をみて、どんなに頼まれても僕は120%出かける気が失せて、大学院の講義を優先したわけだよ。悪いな。。。
- > ・・・および有識者として経済財政諮問会議議員(伊藤委員、榊原委員、高橋委員、新浪委員)が出席し・・・
|
11月12日 |
社会保障教育検討会の次のページを読んでのレポート、ゼミの4年生にもやってもらったよ。
4年ともなると、相当のアホがでてくる(笑)
-
先生が先週の授業で紹介していた日経の11月3日付の社説「社会保障の財源確保と効率化急げ」は、去年から今年にかけてゼミや授業で聞いた内容ばかり。本当にこれが日経の社説なのかと思ってしまった。来秋に消費税を法律通りに10%まで引き上げるのかどうかの議論が本格化する中で、国家財政、医療、介護、マクロ経済スライドや厚生年金の適用拡大などを盛り込みながら、社会保障を維持するために負担にも向き合わなければいけないと結論付けている。おそらく去年までの日経では考えられないような社説ではないであろうか。
例えば去年の8月6日の社説では、社会保障制度改革国民会議の報告書についてかなり批判的な内容になっており、年金に関しては次のように批判している。「年金分野は現行制度に大きな問題がないという虚構に立つ。これからの百年間、年4・1%の「高利」で積立金運用をつづけるのを前提にした失策は、どう挽回するのか。実質の給付水準を毎年、小刻みに減らす仕組みはいつ発動するのか。答えは見あたらない。」というものである。大きな問題がなんなのか全く触れていないし、2009年の財政検証の経済前提を批判しているのであろうが太田さんの「年金破綻論のまやかし」に書いてあるように重要なのは「運用利回りと賃金上昇率の差」のはずである。
11月3日の日経には『今は昔、高負担スウェーデン―「成長あっての財政」根づく』という、欧州総局編集委員である大林尚氏の記事もある。内容はいわゆる上げ潮派の主張になっている。その中に「ただし日本は財政赤字、つまり私たちの世代が子や孫の世代に支払いを押しつけた税が断トツに多額だ。それをふくめた潜在負担率は51・9%。江戸時代、百姓が収穫の半分を年貢に召し上げられた五公五民が平成の世に現出している。」と書いてあるが、現在は国民が負担したものが給付として返ってくる。それをスウェーデン人は理解しているから高い国民負担率を受け入れているのであろう。実際にこの記事でも「ストックホルムで耳にしたのは、税は政府にとられるものではなく、投資のようなものという説明だ。」とある。日本もこのような国民的合意を得られるようにマスコミは情報を流せばと思うのであるが、この記事のように何か政府は悪いことをしているような書き方になってしまうのが日本のマスコミの性であるのかもしれない。
「誰が何を間違えたのか?」の中の基礎年金の税方式化のところで、結局は企業の負担を家計にシフトすることだというようなことを見たときに、どうしても去年の国民会議の経済界のヒアリングの動画を思い出してしまう。企業は保険料の事業主負担分をいかに減らすかしか考えていなかった。正直者が馬鹿を見ないような制度にすれば、未納期間があれば税方式にしても低年金・無年金者問題を解決することはできない。強い財源調達力を持つ社会保険を維持し、また厚生年金の適用拡大を達成するためにも私たち自身が当事者であることを理解すること、そして制度を正しく理解することが必要である。 |
この学生がどこまで分かって書いているのかを尋ねると、
- たぶんそうだろうなと思って書いてました!実際に記事を検索してみたら、去年の社説と同じような大林氏の署名記事が見つかったので確率はかなり高いなと。3日の紙面は社説と大林氏の記事と対照的で面白かったので。
次なんかもどうかね。
-
権丈先生が年金の論争に「もう決着がついている」という意味は、世に流布せし説が迷信たる所以は既に明白になったということだろう。だから大衆が今回レポートを書くために先生が指定した論考をちゃんと読めば、彼らは納得し考えを改めるにちがいないという確信に基づいている。しかし合理的無知な大衆を形成しがちな土壌を持つこの社会において、「皆に読ませる」ことは不可能に近い。社会人はみな忙しく、自分の生活を充実させることで精いっぱいで、「どれ、ひとつ社会保障の実態を勉強してみるか」と厚労省のHPをチェックするだけの余裕を持つ変わり者は、同業者を除いてまず存在しない。さらに、週刊少年ジャンプを好む読者層は、週刊東洋経済をまず読まないように、「バカの壁」や、意図的な無視など、有権者に情報を届ける上で、現実には様々な制約条件が存在する。だから現在は高校の教材や大学の講義や課題など、確実に情報を届けることができる教育現場での情報提供に重点がおかれ、同時に新聞や週刊誌への投稿などのチャンネルを通して、地道に有権者に情報を供給しようとしているのだろう。
「ひっかけ問題」を自力で解けるようになるにはどうすればいいか。というのも、今回はたまたま訂正してくれる先生という賢人がいてくれたからよかったが、次回以降はどうするのか。今回高山教授(が生み出したとされる年金債務超過論という迷信)を論破しても、また第2、第3の高山教授が、社会保障以外の世界でも現れるかもしれない。間違えない人間なんてまずいないのだから、大事なのは、間違いに気づいて訂正できる力だ。ドラえもん(賢者)がいなくても、のび太(B層)がスネ夫のウソを見破るにはどうすればいいのだろうか。
まず思うのは、不穏な言葉から醸し出される印象に感情を奪われないことだ。「破綻」、「崩壊」など負のキーワードが示されたら、その根拠、内実を知って上で判断しないといけない。権威の発言も信用してはならない。弘法にも筆の誤りという言葉があるように、エライ人もときには間違える。本質的には、学者やマスコミの説も、学生がつくるシケタイ(試験対策用のノート)と変わらない。そのレジュメの作成者すら引っ掛け問題にだまされている可能性はある。さらに、論の片手落ち加減に頭を働かせることだ。スポットライトが当たっていない暗い側、すなわちその論が言及・網羅していない面に自力で思いが及ぶようにならないといけない。「タダより高いものはない」「きれいなバラには刺がある」という諺を経験的に知る主婦が試供品配布に警戒するように、現状を改革するという案には常に用心しなければならない。今回のケースならば、年金の税方式や積立方式への移行は本当にいいとこづくめなのか、考えてみなければならない。現状を変える際になにが起こるのか、そもそも移行できるのか(実現可能か)。今回私たちは民主党の腹案戦略を学んだが、同様のケースは他にも起こるかもしれない。
世代間格差論のたぐいに対抗できるようになるためには、想像力をつけないといけないだろう。特に経験してない過去や、自分と違う世代の人生について、想像する力を育まないといけない。「お年寄り世代は年金で多めに受給できてズルイ!」と考える今の若者は、人生を取り替えて、昔(戦前・戦後の団塊の世代として)に生まれ変わったとしたらどんな人生を送ることになったのか想像してみよう。当時インフラは今ほど整備されておらず、結核で死ぬかもしれなかった。戦争に行くことになったかもしれない。インターネットはない。大学に進学できたかもわからない。老人ホームはほとんどなく、親を私的に扶養する負担があった。このように想像できれば、自覚してない現在享受している恩恵に気付けるかもしれない。「昔はよかったのに・・・」とか、「いまどきの若者はケシカラン!」という類の発言をする人はよくいる。そんなときは、「昔もよくないところはあったのでは?」とか、「今の若者にもいいとこだってある!」と想像力を働かせつつ、会話の空気を無視した指摘を大真面目にしていかないといけない。物事の片面だけを挙げて好みを表明する人は多いが、本来は両面とも知った上で同意を示すべきだ。
最後に、そしておそらく最も重要なのは、徹底的に因果関係を検証することだ。言いかえれば、結論を支える根拠・前提を疑うということだ。本当にAという命題がCを導くのか、A→Bは成り立ち、その上でB→Cなのか、細かく確かめていく必要がある。「なぜ」と一回問うだけでは不十分だ。なぜなら、
「世代間格差がある!」
「なぜ?」
「給付>保険料負担だから。」
「納得。」
「年金は破綻している」
「なぜ?」
「債務超過、世代間格差、未納増加、少子高齢化だから。」
「そうか。」
このように、どんな主張にも一応の根拠はある。そしてその根拠が示されたら、そこで思考停止してしまう人は多い。だが、その根拠を詳しく検証しなければ、裏に隠れている前提のおかしさに気づけない。例えば割引率に利回りを使うことや、100年間マイナス1.2%の経済成長という想定に。どうして未納が増えたら年金は「破たん」するのか、他の国の政策論議では年金バランスシートはどのように表わされているのか、高齢者1人を現役世代で支えるという指標は、状況を正確に表しているか?と問えなければならない。
引っかけ問題を解くには、石橋を叩いて渡るような慎重さで、緻密に考えていく必要がある。めんどうくさがっていては、細部に潜む悪魔に気付けない。 |
少なくとも言えることは、こいつら、就活でこんな作文書いたら、落ちるな。。。 |
11月10日 |
次は、10年前の話だな。
次も、8年以上前
|
11月9日 |
どもな。
支給開始年齢を言う人たちは、いま、65歳超に引き上げたと公言している国でも繰り上げ繰り下げ受給があることを知らないんだろうな、きっと。
そして、年金財政を改善する支給開始年齢引上げ――ニコラス・バーの言うat the same monthly pensionでの引上げ――に相当する政策はマクロ経済スライドであり、支給開始年齢引上げはマクロ経済スライドの部分集合としての効果しか持っていないということにも気づかない。
過去に何度も間違えてきた人たちだから、別に驚きはしないけどな。
次は、そのあたりを十分に理解しているこっち側の人からのメール。正しい意味で「受給開始年齢」という言葉が使われています。
次ご参照あれ。
-
年金綜合研究所シンポジウム(7月2日) |
ヨーロッパとかアメリカでの支給開始年齢の引上げというのは、雇用延長が全然追いついていっていないので、繰上げ受給を選択している各人は給付水準の切下げだと受けとめています。・・・日本のマクロ経済スライドという、給付を自動的に引き下げる仕組みを持っていないから、欧米では、支給開始年齢の引上げという力業を使って給付の一律カット、すなわち年齢・給付水準線の下方へのシフトを行っているわけです。
・・・
支給開始年齢の引上げを議論している限り、既裁定年金に影響を与えることはできません。ところがマクロ経済スライドは、既裁定年金にも影響を与えます。年金財政に持続可能性を持たせ、世代間の公平をはかるための政策ツールとしては、マクロ経済スライドの方が支給開始年齢引上げよりもはるかに効果的で、旧来型の支給開始年齢引上げができることはマクロ経済スライドの部分集合でしかありません。日本は、他国よりも高齢化が進むから他国もうらやむ洗練された制度を作ったわけで、うらやましがられている日本が、なぜ、他の国の粗雑な力業をまねしなければならないのでしょうかね。何よりも大切なことは、オプションⅠが示唆するマクロ経済スライドのフル適用です。持ち腐れになっている宝をどんな状況でも利用できるようにすることです。 |
第2回社会保障制度改革推進会議 (10月10日) |
この制度〔マクロ経済スライド〕を外国人などが見て、あるいは説明したりすると、そんな制度が何であるのだとものすごくうらやましがられます。だって、ほかの国は、給付の水準を引き下げるために支給開始年齢の引上げぐらいしかないのですから。
ニコラス・バーのスライドの中で支給開始年齢の引上げというのは、その横に英語で「at the same monthly pension」と書いてあります。同じ月額で支給開始年齢を引き上げるというのは、要するに、給付全体の総額を減らすということになるので、そういう制度しか持っていない国が世界中に山ほどあって、日本だけが突出して既裁定年金まで自動的に調整する制度を持っている。だから、うらやましがっているんです。
それゆえに、私がそういうときに何て答えるかといったら、だって、日本は世界で一番高齢化が進んでいる国なのだから、このぐらいの制度を持たなければいけないのだよと説明するわけです。先週の日経の高山憲之先生の記事などでも、こういうふうに「最長寿国の日本だけが受給開始年齢を65歳以上に引き上げなくても、年金財政は持続可能と10年以上にわたって言い続けているけれども、本当にそれでよいのか」というような文章が、新聞などには本当に正々堂々と出ているのですけれども、「それでよい」のです。
これはフルにマクロ経済スライドが機能するようになれば、ほかの国から見れば圧倒的にすばらしい制度で、みんな、支給開始年齢という制度とマクロ経済スライドという制度があって、それのどちらの方がいいですかといったら、それは専門家とか行政の担当者とか政治家はマクロ経済スライドと言うに決まっているんです。それをできないから支給開始年齢でそこそこに調整しているのが、ほかの先進国がいろいろちょこちょこやっているところなんです。
だから、ここはまずしっかりと御理解いただきたい。ほかの国がうらやましがる制度を持っている。それをフルに発揮するためには、オプションⅠの改革をやっていかなくてはいけない。経済というのはどう考えても不確実なので、不確実性に対して対応していくためには、フル活用ということをやっていかなければいけないというのがあります。
この点、本当に去年から、そういうことが伝わらなくて、何か陰謀論とか、いろいろな形で説明されているのですけれども、本当に分からないことは陰謀論になってしまうのですが、そこら辺のところはしっかり御理解いただきたいと思います。 |
|
11月7日 |
うん、まぁ、原稿依頼がこんな感じだったからね
- > 社会保障は、閲覧している層(F2層)が、非常に関心を持っているテーマですので、・・・
|
|
|
11月6日 |
つぎもどうかな。
さらに関心のある人は
|
|
今日話した、医療満足度の国際比較では、医療満足度と生活満足度が強い相関を持つことに注意する必要があるという話は、二木先生の次の論文にあります。
|
11月5日 |
昨日も話したように、11月3日の日経の社説「社会保障の財源確保と効率化を急げ」・・・う~ん、何回読んでも、その通りなんだよ。 |
11月4日 |
ども。
-
「小尾先生」とはどなた?と思って調べてみました。
○○さんという方のブログに面白い記事がみつかりました。
清家塾長の講演の引用ですが面白い。
清家篤さんは、ここから「実学と小尾語録」の話に移る。
「鳥に生まれ変わってしまう」
人類は実感からいえば絶対に天動説なのに、その実感とは全く反対の地動説を、
最後には科学的に理解し、受け入れた。経済学も、実感に惑わされず、人々に経
済の本当の姿を伝えることのできる科学 (サイエンス)でなければならない。
プラトンの『ティマイオス』に、直接見ただけで真実が分かると思う人間は、
おっちょこちょいだから、次の世では鳥に生まれ変わってしまうとある、と。
「経済学に客はいない」
小尾先生に「経済学者は誰にも喜ばれない職業であることを覚悟しなければなら
ない」と言われた。経済学の場合、その研究成果が社会的に有用でも、だれにも
喜ばれないことがある。小尾さんの研究業績の一つに、女性の就業についてのダ
グラス・有沢法則にもとづいて、より精緻な労働供給モデルを構築したことが
あった。 「夫の賃金が低いほど妻が働く確率が高くなる」というものだが、夫
には屈辱的だし、女性の就業拡大の意義を低めるものだといったかたちで、女性
からも反発をかうおそれがある。労働市場底抜けの危険を防ぐという社会全体の
利益のためにはかなっていても、 関係者の誰からも喜ばれる種類の分析結果と
はならないわけだ。 |
客はいない、とか、誰にも喜ばれない、とか。
『受け入れるには辛いモデル』というのは例えばそういうことなんですね。
私の業界も、皆に喜ばれるように努めているつもりで...ということもありそう
ですねえ。
ともあれ、鳥にならないように気を付けたいと思います。 |
|
11月2日 |
一週間経ったけど、読んだか。
- 小尾先生の著書、Amazonで発注しました。労働市場だけは仕事柄、興味あるので、調べてみます!
・・・
で、小尾先生をネットで調べてたら、9期の萬藤くんの卒論が出てきました笑
ハローワークの民営化を小尾先生のモデルを使って考えていたのに、マッキー@11期があったと思う。
当時流行っていたハローワークの民営化を考えていた彼に、僕は「労働力の質は一定ではなく、就職は質の良い順番に、しかもひとりで複数決まっていくのに、一方では・・・というモデルがあるから、あれをみときなっ」と話をしたら、彼は「それ、なかなか受け入れるには辛いモデルですね。それを見るのは、就職が決まってからでいいですか?」と言っていたのを覚えているよ。
この小尾先生が、よく、学問の力というものを説明するために、天動説と地動説という話をしてました。
そして後に、小尾先生の言葉を思い出しながら、僕も使うようになります。
積立方式と賦課方式はともに少子化の影響を受けるとか、公的年金のバランスシートはおかしいとか、租税方式の実行可能性には疑問符がつくとか、未納が増えても年金は破綻しないとか、一元化はタケコプターとか、今の制度の下で古典的な支給開始年齢の議論をしても意味がない等々は、素朴で原始的な素人的第一印象を抱いた後に、一歩踏みとどまってちゃんと考えないとたどり着かないもの。それぞれバブルのように素人に支えられて大ブームにはなるけど、所詮はバブル。時間がかかってもいずれは地動説に落ち着いていくわけで、やっぱ学問の力、考える力というのは大したもんなんだよ。先日のゼミで話したけど、この中には、僕が既存研究に学んだから間違えなかったのがいくつもあり、積立方式と賦課方式の話などはその一つ。そのものずばりを考えてくれていた人はもちろん、考えるヒントを残してくれていた人も含めて、先人には偉い人がいるもんだよ。
ふろく
でっ
- こんばんは。
30日の年金フォーラム、さん八師匠が落語やられるんですね。
久しぶりにさん八師匠の年金落語を聞きたくなったので申し込んでみようと思います。
貴重な情報のご紹介ありがとうございました!
あの頃は、銭湯にも君らとよく行っていて、露天風呂で、パート労働の厚生年金適用拡大がどれだけ大切な話なのかをきかされてたよな。
次なども
先週、ひらやまは、僕に会う?のは、上のテレビで見て以来、5年ぶりだと言ってたな。俺はお前の卒業以来だ。。。 |
11月1日 |
なるほどっ。
次をご参照あれ。
この文章は、Ⅳ巻に収めていて、出版されて一番に、師匠に謹呈。
お礼に頂いた師匠の名入りの手ぬぐいは、わが家の家宝。
あの頃は、師匠の名前があるときは、学生つれて新宿末廣亭に遊びに行ったりしてたもんだ。
でだっ。
今読み直してみると、あの日、厚年適用拡大WGの後に昼ご飯に出かて、お互いに自己紹介をした日からもうすぐ8年になるんだな。
ほんっと、あれからいろいろあったもんだし、もういいだろうと思う僕は疾風のように去って行きたいんだって、いつも言っているんだが。。。
あの時、年金部会を引き受けた経緯は次の脚注1にあります。いったん断っているんだよね。
ということで、僕をこうした世界に「引きずり込んだ」のは、当時の年金局長と年金課長だと、僕は思って(恨んで?笑)いるわけだ。。。 |
|
うん、このレポート、なるほど。
-
私は社会保障論の授業を受けるまで社会保障についてほとんど知らず、前期に「年金は積み立て方式と賦課方式どちらが良いか」について書いた時は「賦課方式」の意味さえよく理解していなかった。学校で社会保障制度について学ぶ機会を作った方が良いと言いたいところだが、年金に関しては資料5-4にもあった通り「いわゆる専門家と言われている人たちも含めて、みんなが間違っていたというような、常識的にはあり得ないようなことが、起こってしまっている」という現状や新聞でもこぞって制度への不安を煽るような間違った情報を伝え続けていることを考えると、学校で教育と言っても果たしてそれを正しく伝えることの出来る人が一定数いるのだろうかという疑問が出てきて簡単に実現出来るものではないようだ。・・・権丈先生の言うところの「悲観的なことを喧伝してこそ社の内外で評価されると勘違いするメディア」もいることだし、この問題は結構根深いものである。 |
課題図書は、
今回の課題図書に入っていなかったけど、次などもみてごらん。
|
10月31日 |
昨日の、医療費の将来見通しの話、少し詳しい文章として次がある。
違った角度からだと
-
2009年10月6日(火)12時30分 於 ニッショーホール |
調講演 権丈善一氏(慶應義塾大学 商学部 教授) 「医療費の将来見通し方法の進化と政策の意思」 配付した パワーポイント 配付資料 社会保障国民会議最終報告付属資料 パネルディスカッション 座 長: 宮島 洋 氏 (早稲田大学 法学学術院 教授) パネリスト:勝村 久司 氏 (厚生労働省 中医協 委員) (50音順) 権丈 善一 氏 (慶應義塾大学 商学部 教授) 橋本 英樹 氏 (東京大学大学院 医学系研究科 教授) 森 洋一 氏 (社団法人京都府医師会 会長) 山口 聡 氏 (日本経済新聞社 編集委員) |
|
|
参考までに、たかはし。
|
|
すっ、すみません、たいへんな間違いをしていまいました。。。ウソ |
10月30日31日 |
今日は次あたりかね
|
|
- 先生もおっしゃるように、社会保障は雇用と一緒に考えるべきものでもあり、・・・
8月19日の日医講演録より
-
去年の社会保障制度改革国民会議の時、終盤で、低所得者・不安定雇用の労働者の増大にも対応できるように社会保障の改革をという方向に話が進みそうだったので、私は、一次分配がしっかりしてなかったら再分配としての社会保障は機能しないというような切り返しをしています。かつて18世紀末から19世紀のはじめに、広く低所得者の賃金補助を行ったイギリスのスピーナムランド制度が経験したように、企業が賃金をいくら低くしても社会保障があるから大丈夫というような社会になると、それこそ社会の持続可能性が脅かされるわけで、労働市場がどんなに質を落としても大丈夫なように社会保障の改革をやるべきと読み取れる文言が国民会議の報告書にあっては困るんですね。そのあたりが、報告書の「まずは、非正規雇用の労働者の雇用の安定や処遇の改善を図ることが必要であり、また、非正規雇用の労働者に対して社会保障が十分機能するように、こうした労働者にも被用者保険本来の姿に戻し、制度を適用されるようにしていくこと(被用者保険の適用拡大)が重要である」に反映されているのかもしれません。 |
こうした考え方は、「1号における被用者問題」を言う際にも、そしていわゆる「基礎年金の給付水準」を考える際にも一貫していて、7月12日の次も参考あれ。
- 7月12日
昨晩話していたことは、いま、(1号における被用者問題が解決した後の)純粋一号というものを定義できるとすると、純粋一号被保険者の生活水準と年金水準の関係をみる指標として、分母を賃金とする基礎年金の所得代替率を用いる意味が、僕にはどうも釈然としないわけだ。さらに言えば、厚生年金の所得代替率を見る時に、基礎年金部分と報酬比例年金部分を分離して、基礎年金が占める割合が低下したとかどうかという巷間で盛り上がっている論にも、ついていけないところがあったりもする。 |
この書き込みをアップしたら、次の連絡が届いたけど、まったくもってその通り。
年金部会では、支給開始年齢でおかしなことを言っている委員が、この件でもおかしな話をリードしているわけだけどな。
-
基礎年金の水準ですが、私も、厚生年金受給者の年金において基礎年金の比率が下がることが、なぜ問題なのか、理解できないのです。別に、基礎年金分しか基礎的な生活費に使ってはならないわけではあるまいし。問題になるのは基礎年金だけに頼る人の場合でしょうが、厚生年金の適用拡大をすれば、そういう人はぐっと減るうえ、基礎年金の水準もちょっとばかり上がるということがオプション試算で示されたのだから、・・・心配する必要があるのは、厚生年金から閉め出された非正規の年金であって、自営できちんとやっている人は必ずしも老後を基礎年金だけに頼るわけではないですからね。 |
ひょっとすると、「基礎年金分しか基礎的な生活費に使ってはならない」と基礎年金分のお金には書いてあるのかもしれないんだけどな。
ということで、10月15日年金部会で、僕らが最も理解できる発言をされている出口さんの言う「別途の対策」として、僕らには国民会議報告書にある上述の「被用者保険本来の姿に戻す」ことが最優先されることになります。そういう意味でも、前回の推進会議でも発言したように、「第1号にいる被用者の問題にピンポイントでかかわらせていただければと思っております」ということになるわけです。これには、基礎年金の給付水準を上げる策という意味も含まれているわけでね。 |
|
- > 年金実務の数理課佐藤さんの特別解説3連発拝読しました。
> 懇切丁寧、かつ、レベルも落とさない文章で大変勉強になりました。
せめて、(3)のオプション試算の解説だけでも、人任せ教材で紹介させてもらいましょうかね。
ほんっとに、頼むから、半分かりで政策論議に参加するのはやめてもらいたいわけだ。
政策論に参加したいのならば、上述の資料を理解できるくらいの人でないと困るわけだよ。
雑誌や議事録などを読むと年金部会の中にも制度の理解を間違えているのがいるし、中には、去年と今では言葉の意味を変えながらごまかしはじめている者もいる。まぁ、過去に繰り返し見たいつもながらの処世術のひとつなんだろうけど、どうして、過去に間違えたことのある者は、繰り返し間違えるのか。
そして次は、10月10日の社会保障改革推進会議での当方の発言。
-
・・・
この(日本の)制度を外国人などが見て、あるいは説明したりすると、そんな制度が何であるのだとものすごくうらやましがられます。だって、ほかの国は、給付の水準を引き下げるために支給開始年齢の引上げぐらいしかないのですから。
ニコラス・バーのスライドの中で支給開始年齢の引上げというのは、その横に英語で「at the same monthly pension」と書いてあります。同じ月額で支給開始年齢を引き上げるというのは、要するに、給付全体の総額を減らすということになるので、そういう制度しか持っていない国が世界中に山ほどあって、日本だけが突出して既裁定年金まで自動的に調整する制度を持っている。だから、うらやましがっているんです。
それゆえに、私がそういうときに何て答えるかといったら、だって、日本は世界で一番高齢化が進んでいる国なのだから、このぐらいの制度を持たなければいけないのだよと説明するわけです。先週の日経の高山憲之先生の記事などでも、こういうふうに「最長寿国の日本だけが受給開始年齢を65歳以上に引き上げなくても、年金財政は持続可能と10年以上にわたって言い続けているけれども、本当にそれでよいのか」というような文章が、新聞などには本当に正々堂々と出ているのですけれども、「それでよい」のです。
・・・ |
来週、年金綜合研究所の7月2日のシンポジウムの講演録が出ます。その講演録が来週出るのですけれども、そこで言っておりますのは「今、給付水準が50%以上であるかどうかは65歳基準で見ることになっているのですが、この基準年齢を66歳や67歳にすることを支給開始年齢の引上げと表現する人もいるようですけれども、当人がそう思っていても、日本語としては変で、言葉と意味が乖離していると思うのですよね」とか、あと「今回の財政検証のオプション試算が示唆する、今後、やらなければいけない3つの改革をこれから進めていくために、年金は体力を温存していなければなりません。そうした年金にとって大切なときに、04年フレームの下では、既に60歳から70歳までの受給開始年齢自由選択制になっていて、そこにマクロ経済スライドという財政安定化措置が組み込まれているのに、いわゆる支給開始年齢の引上げという、みんながそろって誤解しているために、ハレーションばかりが大きくなる話で盛り上がってしまうのは非常につらいものがあります」とも言っております。 |
10月13日に書いているように、年綜研の講演録にある「子供騙しのような話ですね」とか「迷惑だ」という言葉は遠慮して発言している。 |
10月28日 |
う~ん、こういう特集って、チームを作って何週間くらいかけてやるのかねぇ。うちのゼミの学生にも見習って欲しいけど・・・ムリだな、ストックが違いすぎるか(T_T)トホホッ
ちなみに、8月19日、日医講演録より
-
・・・「公的扶助」は3%強にすぎず、そのうちの半分弱が医療扶助でして、多くの人が「生活保護」という言葉で連想する現金給付の生活扶助は社会保障給付費総額の1%強しかないんですね。要するに、社会保障というのは、まさにこの会場にいる我々みんなが負担と給付の双方に係わる、医療、介護、年金などからなる社会保険がおよそ9割を占めているわけです。
社会保障の主な役割は、中間層の保護育成にあると言っていいです。社会保障がないときよりも厚い中間層が育つことになるわけでして、この中間層が一国の購買力を支えてくれるようになります。だって、顧客がいないところで商売しろといっても無理ですよね。一国の経済政策の中では、広く厚い層をなす顧客、つまりは分厚い中間層は意図的に創出しなければならないわけで、この分厚い中間層の創出を、いわゆる「市場」は大の苦手としています。もっとも、中間層なき成長も一瞬あり得るにはあり得るわけですが、それはバブルという、金融界が無理に咲かせた徒花に頼ったものになってしまいます。だから、市場に介入しながらも中間層の保護育成を図り、顧客、需要層、有効需要を育て下支えする社会保障が、堅実な経済政策として重要になってくるんです。
私は昔から、積極的社会保障政策という経済政策を言っているわけでして、高所得者ばかり、企業サイドばかりに都合の良い社会は、需要と供給のバランスの取れた均整成長を阻害します。高所得者や企業のミクロ的視野に強く依存した経済政策を展開すると、マクロには高所得者や企業の私的利益と公共善の間に不都合が生じるという意味で、合成の誤謬が起こります。合成の誤謬を緩和するためには、市場からの政治圧力に抗って政策介入が必要になってくるんです。
・・・
(2011年2月)自民党の国家戦略本部の成長戦略分科会で一番伝えたかったことは、あの日に使った次の2枚のスライドにあるように、・・・ということでした。もし、もしですよ、成長戦略という言葉が世の中にあるというのであれば、それは経営者側と労働者側の言い分を双方バランス良く聞くことであり、それは分配面における制度的配慮として行われるべきものなんだという話をしてきたわけです。 |
|
10月26日 |
2段階方式の話題については、次があったな。
この仕事を引き受けたとき、「いいよ、社会保障教育の話でも書こうかね」と返事をしていたんだけど、
直前に、2段階方式をとりあげて国民会議の報告書を批判する記事をみて、
なるほどっ、年金についてある程度知っている人でも、そこまでしか分かっていないのかと思って、上述の連載をはじめた次第。
まぁ、途中で、デスクから掲載拒否されて終わったけどね。そのデスクはかつて民主党の担当者だったという話もある。世の中そんなもんだろな。
そうだな、お手すきの時にでも
今は、自分は民主党と距離を置いていたと言うことが、政治学者や年金学者、それにメディア人たちの立派な処世術となっている感がある。
これは確実に言えるが、そういう話を世の中ってのは素直に信じるもんだ。
昨日の話題にのぼったように、この話は、かつて、あれは盗んだのではなく預かっていただけだという弁を書に記すことによって、社会復帰が許された話と似た面もある。
おまけ
昨日話したのは、小尾先生の順位均衡モデル。就活中の学生には、受け入れるのがちょっと辛い労働市場モデルだ(笑)。
ひらやまも調べてみな。君の職業体験の実感に沿う話が書いてあると思う。人は権利としては平等なんだけどな。。。 |
10月24日 |
昨日の話の続きだが、人畜無害の2段階方式にまとまることは、去年5月17日の議論で決まっているよ。動画でもみてごらん。
このあたりの様子は、次の7頁あたりからみてごらん。
2段階方式に棚上げされたのは、昨日話した与謝野さんの時の一体改革成案。
次でも読んでごらん。
去年の国民会議が始まるにあたって、僕ははじめから、「成案」にならい2段階方式でまとめるつもりでいたわけだ。
そして、次の6月13日の展開は、必見です。
- 社会保障制度改革国民会議
○山崎委員 ・・・つまり、給与収入と経費を除いたいわゆる課税ベースで捉えた所得という違いを残したままでもって同じ基盤で年金制度を所得比例年金として構築するということは、この国では難易度の非常に高い難題だと思っております。
権丈委員が遠い将来においてはという随分マイルドな言い方をされて、今もそんなことをおっしゃっているのですが、これはあり得ないという意味でおっしゃっているのではないかと思いますが、もし私の理解が誤解であるとすると、この中で私だけが異論を唱えたということになるのかも分かりません。
○権丈委員 いや、同じ考えです。 |
この議事録。
僕は、「いや、同じ考えです(笑)」と、していたのだけど――実際笑いながら答えていたので――、事務局は前例を調べて、(笑)は前例がないということを確認し、(笑)が外されてしまったという経緯があります。
だいたいもって、僕は会議の時に、山崎先生の問いかけに、笑いながらうなずいただけだったと思うんだけど、僕の小さな声でのささやきが記録されたらしい(笑)。。。
次でもどうかな。
宮武先生は、夢ぐらい見させろよと言っていたし、実際、2段階方式と言っている限り、まったくもって人畜無害なんだからっということで、ああいう棚上げ方式で終わらせておくのは、あれはあれで良かったんだよ。 |
10月23日 |
次のレポートの提出は、10月30日から11月6日に変更しています。
今日は雑談だけで終わってしまったけど、次の話が近いだろうかね。
いまは、良い感じで、消費税がスケープゴートになってくれているね。それと天候かな。
贖罪のヤギさんがいなくなったら、困るだろうなぁ、責任者は。
信者さん達には困ったもんだと思っているかもな。
でっ、国民って、これは減税だっと思って、歓喜するんだろうね(笑)。まぁ、それが民主主義というもんだ。
動画の話をしたけど、左のコンテンツにある、次をご参照あれ。
|
10月17日 |
今日は産経論で日吉。でっ、くりちゃんよ。
先週と今日、看護医療学部の学生さんが、僕の授業に出たいといってやってきてくれていました。
少し話をしたら、このホームページをみて、合宿で、フリードマンとハイエクを読んでいるようなので、フリードマンの本を買って、がんばって読んでます!っと。
あの2冊を選んだくりちゃん、まずは君に託した。とても熱心で、良い学生さんでした。 |
|
今日使ったのは、次の13、14頁。一月ほど前に使って一時間ほど説明したのは4頁。
杉本と話していた講演録は次
|
|
なるほどぉ(笑)
-
いわゆる「ノーベル経済学賞」について、
Wikipediaの「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン
国立銀行賞」の項目の次のくだりを読んで、日本国財務省主税局も
粋なことをするなあ、と思っていたのですが…
--------
ちなみに、日本では経済学賞のみ賞金が課税対象となっている。これは、
所得税法9条13号ホに基づきノーベル基金からの賞金は非課税となるが、
経済学賞の賞金はノーベル基金ではなくスウェーデン国立銀行からのもの
であり、非課税対象から外れるためである(ただし、日本人が受賞した
ことは過去にないので、課税されたことはない)
--------
条文を確認してみると、
○所得税法<抜粋>
(非課税所得)
第九条 次に掲げる所得については、所得税を課さない。
一~十二 (略)
十三 次に掲げる年金又は金品
イ~二 (略)
ホ ノーベル基金からノーベル賞として交付される金品
ヘ 外国、国際機関、国際団体又は財務大臣の指定する外国の団体若しくは基金
から交付される金品でイからホまでに掲げる年金又は金品に類するもの(給与
その他対価の性質を有するものを除く。)のうち財務大臣の指定するもの
十四~十八 (略)
2 (略)
となっていて、確かに、経済学賞は「所得税法第9条第1項第13号ホ」に該当しないので
課税対象なのですが、実際に日本人受賞者が出たりすると、「同号ヘ」の規定に基づき
財務大臣告示で「類するもの」として指定されて、非課税になるのだろうなあと想像さ
れるところです。 |
うん、まぁ、主税局、いざとなれば根性なく、類するものを政治家に押し切られるのですかね。
僕が去年の国民会議で、財政当局を会議に呼んでもらいたいと発言したとき、主税局に来てもらいたかったんですよね。この30年間、いったいなにをやっていたんですか?と質問したかったから。
すると、財政審の委員が代わりにいらっしゃいまして・・・はい。いや、まぁ、いいんだけどね。 |
10月16日 |
今年の受賞者はひとりだったけどな
Wikipediaでのこの賞への批判が充実してきています。いや、批判でページが埋まってしまった様子。この点、ハイエクの言うとおりです。
-
アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞 |
ハイエク「ノーベル賞は個人に大きな権威を与えるが、これは経済学者には不適当だ。これが自然科学なら問題ない。何故ならその人の影響力が及ぶ範囲は同分野の専門家たちなので、もしそれが過大ならすぐ実力相応に改まるからだ。ところが、経済学者は政治家やジャーナリスト、官僚、公衆全般と言った非専門家の方に寧ろ大きな影響を及ぼす」。このため只でさえ不当に持て囃される場合があるところを、ノーベル賞という権威は徒に煽る・・・。 |
|
|
-
10/10の推進会議、ネットで(LIVEで)権丈節を楽しく拝聴しましたが、権丈先生の発言で1点理解できない点があり、メールさせて頂きました。
具体的には、「少子化は、医療・年金と異なり社会保険でないため、保険料という強力な財源調達手段がない。少子化も社会保険化できないか(保険料という財源調達策がとれないか)」という趣旨の発言です。
10日の推進会議の少子化のところで、「皆さんから財言論の発言が多かったのは、権丈先生が常に言われている財源論が、少子化でも漸く皆さんが言われるようになったのだな・・・」、そして「権丈先生も、少子化対策の財源をどこに求めるかについて、苦悩しているのだな」と聞いてました。
「少子化対策の財源が必要」と「保険料は強力な財源調達手段」は理解・納得できます。
ただ、社会保険といえども(民間保険と同様に)「保険」であり、厳格な「給付反対給付均等原則(事故発生確率に応じた保険料設定)」までは要請しないとしても、「給付期待(給付の可能性)が無い者を被保険者とする(保険料拠出を求める)」ことまではできないはずです。
介護保険でも、この理由により、「65歳以下の人に保険料拠出を求める(財源調達力を高める)ため、第2号被保険者(40~64歳)をつくり、無理やり薄い給付を設定(ちょっと乱暴ですか[笑])」と理解しています。
・・・・・・
タラタラ タラタラ |
なにを、根性なしのことをタラタラと書いてるのやら( ̄。 ̄ )ボソ...。
次の八代さんをみてごらん。
他にもいろんな考え方があるし、だいたい今の時代に、子育て支援策は自分とは無縁と言う人間がどれほどいることやらっだな。
そうだな、寺元・金子藩、昨日の続きとして、社会保障4経費の内の少子化対策に対して、社会保険を設計してみな。
名前も、国家反転攻勢保険でも、社会的再生産費補償保険、日本の未来への投資制度、国民連帯基金でもなんでもいいから、いろいろと考えながらな。
まずは、3000億円くらいの安定財源を調達する方法を考えてみることだ。
ちなみに、
-
8月19日の日医講演録より |
日医をはじめ医療界は、ずっと税に頼りましょうというのをやってきました。医療界そのものが、実は国民を敵に回すのを恐れていたのかもしれませんが、医療界は、財源としての租税を打ち出の小槌のように位置づけていました。全額税の高齢者医療制度というビジョンも、以前は掲げていましたが、全部を税に頼るような制度を作らなくて本当によかったと思います。高齢者の医療費をすべて税に頼っていたら、大変なことになってしまいますからね。 |
|
10月15日 |
こういうことだよ(笑)。
-
8月19日の日医講演録より |
医療介護の改革に関しては、去年から本格的に動き始めました。昨年の8月に社会保障制度改革国民会議の報告書がまとめられ、12月にプログラム法が成立。そして今年の6月には、「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律」、通称、総合確保推進法が成立しました。本日演題の副題The
die is castというのは「賽は投げられた」ということです。そしてit‘s your turnは「次はあなた達の番だ」。
私がこの春の平成25・26年『医療政策会議報告書』に書いているのは、次のステップは専門家集団の意思決定だということです。そういうつもりで、『医療政策会議報告書』に「医療・介護の一体改革、2025年をめざして――医療専門職集団に求められているもの」を書いていました。
そして現実の政策が、今、医療者に対してit‘s your turnになっているわけです。
・・・
社会保障制度改革国民会議以降、審議会をはじめいろいろな場でご議論いただいて、そこで報告書、意見書を出していただいて、総合確保推進法が成立しました。
ここの大きなポイントは、どの領域もそうなのですが、次に意思決定するのは医療関係者だということ、次はあなた達の番、it’s your turnだということです。そのために「協議の場」が準備されているわけです。 |
対して、7月2日の年綜研シンポジウムでは、
-
かつて2009年時の年金部会というのは、財政検証が発表されたその日に終わっていました。
しかし、今回は、ここから仕事が始まると思います。いや、プログラム法に沿った形で法案まで詰めてもらわなければなりません。医療介護では、各審議会の議論を経てこの6月に総合確保推進法の成立につながったように。 |
ゆえに、先週の社会保障改革推進会議では
-
社会保障というのは財源の裏付けがあるということは大変重要なことのようで、消費税増税による財源の受け皿となる少子化、医療介護の改善、およびその準備は急ピッチで進んでいる様子に感心しております。
対して、今の社会保障の状況では、私からみて年金の動きが遅くみえます。特に、過去、私が係わった2007年の年金部会、2008年の国民会議で残念ながら全く貢献できなかった短時間労働者の厚生年金適用拡大、私は第1号被保険者における被用者問題と呼んでいますが、この問題の解決への動きが遅すぎます。今回の推進会議では、そのあたりにピンポイントで係わらせて頂くことができればと思っております。 |
参考までに
2007年年金部会
そして2008年社会保障国民会議
さらに、今年7月2日の年綜研シンポジウム
-
ここで過去の経緯を鑑みてみますと、特に特定の団体の代表ではない公益委員の方々に頑張っていただかないと、良識のあるバランスのとれた制度というのはできません。ということで、いずれまた年金部会が始まると思うのですが、公益の代表として出席される方々に、パート労働の厚生年金適用とか、そういうことに関しては、ぜひともこれから頑張っていただきたい・・・
・・・
・・・
・・・
2007年のパート労働に関する厚生年金適用のワーキンググループで、こっち側に年金部会のワーキンググループのメンバーが座り、向こう側に事業主、チェーンストアとか外食産業の人がいたわけですが、私がいろんな発言をすると、午前中は「はい、はい」と聞いて、午後には政治家のところに行く。
この問題、つまり短時間労働者の厚生年金適用拡大は、2004年で敗北し、私がかかわった2007年でも敗北する。2012年のときには、例えばこの前まで被用者年金一元化のところで、原案の附則には「施行後3年までに適用範囲をさらに拡大する」という文言があったわけです。だけど、それを国会で協議していく中で、「施行後3年以内に検討を加え、その結果に基づき必要な措置を講じる」に変えられる。いいですか。原案の中には「適用範囲をさらに拡大する」とあったんです。それが議論していく中で「施行後3年以内に検討を加え、その結果に基づき必要な措置を講じる」に改められているんですね。拡大する議論でなくて、もう一回ゼロから検討しなければいけない。その条件のもとに今、年金部会が置かれているわけで、どのような議論をするかというルールそのものは向こうが作ってくる。
先ほども言いましたように、年金部会の中にいらっしゃいます方々が、ここのあたりは頑張っていただかなければなりません。映画「SiCKO」の中で医療保険の給付をブロックするためにヒットマンが出てくるわけですけれども、人の不幸を顧みずに自分を雇っている保険会社に保険金を払わなくていいようにする小細工をいろいろやっているヒットマンと同じような仕事をする人たちが、適用拡大に反対する企業に雇われているわけです。ここは壁がすごく高いです。だけど、これは今の年金で一番やらなければいけないことだと私は昔から言っている。局長の話にありましたように、なるべく屈折点がないような仕組みにして、そして企業が合理的利己的に考えたら、長時間働いてくれてスキルを持ってくれた人のほうを選好するというような、そういう制度に組み替えていただければと思っております。
私はよく言うのですが、この10年間の年金の抜本改革論議というバカバカしい大騒ぎの中で、一番喜んでいたのは適用拡大に反対している人たちだと。おかげで自分たちに矛先が向けられずにすんだわけですからね。年金には複数の問題があることは十分に理解しておりますが、大切なことは優先順位を決め、優先順位の高い問題の解決を求めるエネルギーを拡散させない、拡散させられないことだと思います。彼らの陽動作戦にのせられてはいけません。 |
僕が適用拡大に反対する本人だとすれば、年金破綻論者や、世代間格差、支給開始年齢だとか年金一元化、最低保障年金だとかを言う学者を持ち上げて議論を攪乱し、僕らが敵陣に到達する前に疲弊させる戦略をとるよ。
政策論の世界、所得が政治で動く再分配の世界とは、そんなもんだ。 |
10月14日 |
今日話したように、次回のレポートは次だよ。どもな。
|
10月13日 |
先日の社会保障改革推進会議の冒頭での挨拶はつぎ
-
社会保障というのは財源の裏付けがあるということは大変重要なことのようで、消費税増税による財源の受け皿となる少子化、医療介護の改善、およびその準備は急ピッチで進んでいる様子に感心しております。
対して、今の社会保障の状況では、私からみて年金の動きが遅くみえます。特に、過去、私が係わった2007年の年金部会、2008年の国民会議で残念ながら全く貢献できなかった短時間労働者の厚生年金適用拡大、私は第1号被保険者における被用者問題と呼んでいますが、この問題の解決への動きが遅すぎます。今回の推進会議では、そのあたりにピンポイントで係わらせて頂くことができればと思っております。 |
そして、最後に読み上げた、今週くらいに刊行される、年綜研シンポジウム講演録の部分は次の太字の箇所。読んでいない箇所があるように、少しは遠慮してるんだよ。
-
今は給付水準50%以上であるかどうかは65歳基準で見ることになっているのですが、この基準年齢を66歳や67歳にすることを支給開始年齢の引上げと表現する人もいるようですけど、当人がそう思っていても、日本語としては変で、言葉と意味が乖離していますし、子供騙しのような話ですね。 |
今回の財政検証のオプション試算が示唆する今後やらなければいけない3つの改革をこれから進めていくために、年金は体力を温存していなければなりません。そうした年金にとって大切なときに、04年フレームの下では既に60歳から70歳までの受給開始年齢自由選択制になっていて、そこにマクロ経済スライドという財政安定化装置が組み込まれているのに、いわゆる「支給開始年齢の引上げ」という、みんながそろって誤解しているためにハレーションばかりが大きくなる話で盛り上がってしまうのは非常に辛いものがあると言いますか、迷惑だということをご理解いただければいいと思います。 |
なお、年綜研シンポジウムの講演録には、次のような文章もある。もう、随分前から、僕の関心は年金、その中でも第1号被保険者における被用者問題にシフトしているわけだ。
-
私はよく言うのですが、この10年間の年金の抜本改革論議というバカバカしい大騒ぎの中で、一番喜んでいたのは適用拡大に反対している人たちだと。おかげで自分たちに矛先が向けられずにすんだわけですからね。年金には複数の問題があることは十分に理解しておりますが、大切なことは優先順位を決め、優先順位の高い問題の解決を求めるエネルギーを拡散させない、拡散させられないことだと思います。彼らの陽動作戦にのせられてはいけません。 |
ちなみに、8月に日医で行った講演は、「医療を取り巻く政治経済社会環境と政策の動向――The die is cast、it’s your turn」。
医療改革は、すでに賽は投げられています。次は医療者の番でね。
そうだな、推進会議で話した年金年齢のあたりは、年綜研シンポ講演録の次の箇所近辺。
-
年金財政に持続可能性を持たせ、世代間の公平をはかるための政策ツールとしては、マクロ経済スライドの方が支給開始年齢引上げよりもはるかに効果的で、旧来型の支給開始年齢引上げでできることはマクロ経済スライドの部分集合でしかありません。日本は、他国よりも高齢化が進むから他国もうらやむ洗練された制度を作ったわけで、うらやましがられている日本が、なぜ、他の国の粗雑な力業をまねしなければならないのでしょうかね。何よりも大切なことは、オプションⅠが示唆するマクロ経済スライドのフル適用です。持ち腐れになっている宝をどんな状況でも利用できるようにすることです。 |
だから、高山先生の経済教室(10月2日)の次の文章など、問題設定という出だしのところで間違えているわけだ。
-
世界の主要な先進工業国は、いずれも受給開始年齢の65歳超への引き上げ(あるいは自動調整)に動いている。
それにもかかわらず、最長寿国の日本だけが「受給開始年齢を65歳超に引き上げなくても、年金財政は持続可能」と10年以上にわたって言いつづけている。今のところ日本の政府や立法府が、その引き上げに本気で動く気配はない。それでよいのだろうか。 |
この国の年金を描写する日本語としては多々おかしいところがあり、受給と支給を正しく使い分けているのかという点もあるわけだが、最後の「それでよいのだろうか」だけに答えれば、それで良いに決まってるんだよ。そして、日本の年金論がどうしてここまでおかしくなったのか、どうしてこうも間違えた論が正々堂々と跋扈してきたのかを考えるとき、どうしても文科省に責任を問いたくなる。
|
10月12日 |
先日10日の社会保障改革推進会議で、なぜ私が、2008年11月の年金部会の「議論の中間的な整理」を引用し、同じ時期2008年11月の社会保障国民会議報告書を引用しなかったのかについて、次の文章をご参照下さい。「第1号被保険者における被用者問題」について、2008年国民会議報告書が役に立たない文章になっていった経過をまとめています。
|
10月10日 |
昨日話した、ノーベル賞のこと。ちょうど10年前の文章ですね。昨日は時間がなくて話すことができなかった平和賞のことも書いています。
|
10月9日 |
谷岡一郎さんの『データはウソをつく』にあるイシイヒサイチさんのマンガは、昨年、紹介していますね。
それと、これかな。
ちなみに、いま検索してみると、
- 平成25年04月22日 参議院 予算委員会
質問通告はしてありませんけれども、サザエさんという漫画は知っていますよね。昨日、日曜日やって、もう何十年もやっていて、私たちも小さいころからずっと見ている漫画ですが。あのサザエさんに出てくる波平さんというお父さんがいるんですね。幾つか、総理、御存じですか。 |
平成24年4月18日 参議院 国民生活・経済・社会保障に関する調査会
・・・最後に、先日、私たち民主党の中で勉強会で聞いた中で、サザエさんの話が出てまいりました。サザエさんの出てくる波平さんは何歳ですかという問合せがあって、波平は実は五十四歳だそうです。私は昭和三十一年生まれで五十五歳で、波平より年上になってしまいました。奥さんのフネは五十一歳だそうです。あの漫画ができたのは一九五六年、私が生まれた当時でございます。その当時の人口が一億人、今から四十年たつと日本の人口はその当時と同じ人口になります。しかし、人口構成が当然変わってきます。そういう中で今我々がやらなければならないこと、それは成功体験を離れて新たな社会をつくっていくということが大変重要なんじゃないかということを申し上げて、私の発言とさせていただきたいと思います。 |
|
|
次などはどうかな。
|
10月7日 |
今年もお世話になってます。
- 10日ほど前の学生への連絡
時間:2014/09/25(木)
名前: 権丈
------------------------------------------------------------
題名:第1回レポート 生活保護関係
内容:
大山典宏『保護保護VSワーキングプア』 +椋野・田中『はじめての社会保障』 の「第2章 生活保護と社会福祉制度」
提出日 10月9日13時 |
いま掲示板にアップされたレポートを読んで、今年もお礼をと思いまして。
-
課題図書を読み、自分の中の生活保護という制度の認識が誤っていたことがよくわかった。・・・水際作戦の章を読んだ際は自分がいかに何も知らず、知ろうとせずマスコミの報道を鵜呑みにしているのかを実感した。・・・3年の夏休み、私は○○県庁健康福祉部という部署でインターンをした。そこでは県の社会保障の給付や生活保護の仕事に携わる方からもお話をきくことができた。仕事上で一番大変なことは何かという質問に「自分の無力さを感じること。実際に困っている人に向かってすみません、できません。とひたすら頭を下げること」と答えていたことを、この本を読みながら思い出した。実際の現場に立ち、生活に困窮している人の支援を考えるケースワーカーの方々の苦労は計り知れない。本の中の我々は非難をあびるばかりで決して人から褒められることはないという言葉は自分のなかでとても重く印象が強い。こんな現状を知った中で、『はじめての社会保障』を読み制度自体についても理解が深まった。・・・社会保障制度についてのシステムや今後どうあるべきかは本に書かれていたが、若者の貧困層やワーキングプアについて、この2冊の課題図書をきっかけに調べて考えていきたい。 |
|
|
次もどうかな。
と言っても、実際には彼らの多くは負け太っている。年金に関しては例外がないな。
-
「焼け太り」に類する言葉として、わたくしは「負け太り」という言葉をしばしば使っている。論者が間違えたことを言っているために専門家の間での論争では簡単に勝負がつくのであるが、論点の専門性ゆえに世間はそのことがわからず、間違えた論者は注目を浴び、功成り名を遂げて、世俗的には成功者となる。自然科学の世界ではいざ知らず、社会科学の世界では、「負け太り」の例は枚挙にいとまがない。 |
権丈(2006)『医療年金問題の考え方』p.182. |
|
10月3日 |
昨日の研究会で話したように、次の図のように、保険料や税を天秤の左に描いた図を普通に使うことができるようになるまで、この国では、いろいろなことがあったわけです(出所 教育検討会「年金ワークシート」・・・僕の記憶では、四ッ谷駅の喫茶店で、シーソーではなく天秤のイメージを、おもりは分銅の形にと頼んだんだよな)。
昨日の勿凝学問15xを、まじめ言葉に置き換えた次でもどうぞ。
この文章は、昨年5月17日の国民会議の際にも配付しています。
この配付資料の中には、次も含んでいました。
そうすると
-
○神野委員 第3番目の問題が、世代間の信頼関係といいますか、世代間の連帯というようなものに亀裂が入り始めたということではないかと思っています。権丈委員の提出いただいた資料を私が読み間違えていなければという話になりますが、そもそも年金というのは家族関係を社会化したものであり、特に親子関係を社会化したものだと認識したほうがいいわけで、世代間の連帯といいますか、世代間の信頼関係ということがそもそもないと成立しない制度なのではないか。これは社会保障制度一般がそうだと言えばそうかもしれませんが、特に年金は世代間がお互いに信頼し合って、フランスで言えばソリダリティと言っているような状況が作り出せるかどうかということではないかと思いますので、私たちが年金改革をする上で、ともすると現在の年金的な年金財政の状況から世代間の戦争とか世代間の闘争とかというようなことが言われ、年金制度そのものが根底から動揺しようとしているので、こうしたときには権丈委員が御指摘になっているような、そもそも年金財政を支えているような社会的なクリマ、そうしたものが重要で、私たちが年金制度を考える上では、そういう世代間の信頼関係を取り戻すような制度を考えていく、新しく再創造していくということが重要ではないかと思います。以上ですが、発表と資料を見ながら触発された感想めいた意見を申し上げました。 |
そして、一月半後
資料は、提出するものだね(笑)、実にありがたい。神野先生には、去年国民会議で会ったときに、先生の文章を大いに紹介させてもらいます!っと許可を頂いております、はい。
ちなみに、なぜ、僕があの日に資料を提出したのか?
-
○権丈委員 私は資料を提出する予定もなかったのですけれども、年金局が作られた資料の19ページの「海外の年金議論の動向」というところで、先ほど説明はなかったのですが、「2.2 生産物が中心」とニコラス・バーのことが書かれています。年金を設計するただ2つだけの方法があるという形で生産物を蓄える、請求権を設定する。要するに、これは賦課方式であろうが積立方式であろうがそんなに変わらないのだよということを言っているのです。これは1970年代くらいからニコラス・バーとか周りの研究者たちがみんな詰めていた話であって、ようやく年金局の資料にこれが出てきて私はうれしくなって、私がそれらしきことをいっぱい書いている資料を提出させていただいたのです。だから、この年金局の資料とセットにして私の資料を読んでいただければと思います。よろしくお願いいたします。 |
昨日からの続きの話として、次もどうかな。
|
10月2日 |
今日、生命保険を設計してもらうときに使った、生命表。自分の年齢の死亡率のチェックを
ところで、今日は、講義の雑談として、価値のある時間の使い方をしたかったので宇沢先生の話――宇沢先生と右側の経済学・左側の経済学の関係の話――をし、この3日間の日経の経済教室には時間を割かなかった。今日もおかしなことが書かれていたわけだが、こればっかりはね。かつて間違えたことのある人はその後も不思議と間違いを繰り返すという、年金界の法則のようなものがあってね。とりあえず、今日は、次でも読んでおいて下さい。
今回は次もかな。
そう言えば亮太は、なんだか超有名人になってるな。
次も参照あれ
|
|
でだ、君は昔の医療法改正あたりをみながら、今とこれからを見る眼を鍛えているわけだよ。 > 吉田くん |
10月1日 |
参考までに
-
|
宇沢弘文(2000)『社会的共通資本』
権丈(2006)『医療年金問題の考え方』46頁より |
いま我々が観察しているプロセスは、社会的共通資本としての医療が管理運営される際の社会的な基準の詰め、その政治的プロセス。 |
9月29日 |
|
9月28日 |
社会的共通資本という言葉は、直近では次で使っているね。
-
 |
巻頭言「医療は”競争から協調へ”――医療施設整備が量的飽和を迎える時代の医療経営の方向性」
|
大切なことは、ここで創設される新型医療法人は、地域住民が共有する社会的共通資本であるという認識の確認である。 |
地域住民が共有する社会的共通資本としての医療が、住民第一の視点に立って安定的に「そこにある」という目的を具体化するために、・・・ |
そうした社会的共通資本という一種の「公共財」の構築には、個々の医療機関が乗り越えるべき壁を低くする意味も込めて基金で財政支援されるとともに、 |
かつては、次で、社会的共通資本としての医療について説明しています。
-
「医療経済学の潮流――新古典派医療経済学と制度派医療経済学」 |
and  |
|
9月26日 |
忘れる前に
来週は、次を印刷して来て下さい。
先日の講義では、上記資料の1頁目の右上「注1」にあるリスクと不確実性の違いについて、延々と1時間半話をしていたわけだ。
下記、前生保協会会長の言葉「データとかそういったものをそろえないと保険というのはできないわけです」も、その流れ。雑談のふりをして?話をしていたけど、講義の主目的の話でもある。 |
9月25日 |
どうぞ
余力のある人は、次の19-20頁をみときな
次にちびまる子ちゃん、前生保協会会長記者会見と、それに関する日経記事の問題点など、今日の雑談に関係することがあります。
- 14年7月19日
- ポイント 「データとかそういったものをそろえないと保険というのはできないわけです」
他の分野については言わないけど、社会保障に関しては、メディアの誤報、あるいは意図的に歪められた報道などは、過去山ほどあったわけでね。
署名記事の掲載拒否ってのも、あったような記憶がないわけではない。
それと・・・
ホームページの更新がなかったので心配されていた方もいらっしゃったようで――夏休みで学生への連絡がなかったですからねぇ。 |
|
ご参考までに
|
|
忘れてただけだよ。。。次は2008年の夏、民医連だったな。
公平に日医も、ちゃんと批判してる。
-
医療関係者に私がずっと昔から言い続けているのは、国民皆保険を守りたいのであれば、増税あるいは社会保険料の引き上げを言うポジションにいてもらわないと矛盾するということです。
私が初めて日医に登場したのが今日配付している『日医ニュース』のオピニオン「2008年は穏やかな年になるのか、それともまた事件の連続?」で、2008年の2月5日刊行です。当時の日医は、元祖埋蔵金話!という立場にありまして、増税反対の急先鋒でした。そこで私は、「僕は皆保険を守りたい、社会保障を充実させたいと思っているのに、なぜ日医と戦わなければいけないのか。参ったものだ」という日医への宣戦布告のような文章を、よりによって『日医ニュース』に書いたわけです。もっとも今の日医は違います。昨年ですから私が2008年の年始に日医に宣戦布告をして5年ほど経った昨年の夏に、消費税を上げるかどうかの意見を60人の有識者から聞くということが官邸で行われていました。その時、60人の1人として横倉会長は、「孫やひ孫の世代まで負担を残すべきではない。消費税率を引き上げて、われわれも負担をしながら、社会保障の財源として使っていくべきだ」と発言されています。月日というのは大きいです。 |
|
8月20日 |
昨日、久しぶりに三田に行ったら、新聞が届いていたよ。しかも、たっくさん(笑)
- 『神奈川県保険医新聞』(9月5日号、15日号) 昨年10月12日開催シンポジウム 医療再生へ、医療の倫理と自治
所得と関係なく医療がニーズに応じて利用できる社会、制度を作るためには税・社会保険料が必要になる。「権丈の言うあるべき医療、あるべき介護の姿は正しい」とそこまで支持し、その後の兵站の部分を支持してもらえないのでは困る。医療関係者から、権丈は負担増を口にすると言われて、ときどき後ろから銃を撃たれることがある。 |
これまで医療は国が責任をもって税でやるべき、増税には反対という論をリードしてきたひとつは医療界だが、この国はそうした有権者の願いを叶えてあげて、その結果、今我々は「莫大な借金のストック問題」を抱えてしまったのである。 |
古来、兵站を携わる者たちは戦線を預かる現場の人たちからは不人気であった。今もそうだろう。理想の高い医療を実現していきたい。しかしタダではできない。負担なくして福祉なしなのである。ぜひご協力いただきたい。 |
借金のストック問題というのは大変なものなのだ。これまで増税に反対した方々は無罪ではない。増税を先伸ばしすると、より一層苦しい状況になる。あるべき医療、あるべき福祉国家を守るのであれば、本当の闘いは増税を反対する経済界と増税を支持する医療界、労働界という構造にならなければならないのに、その構図が、この国では過去ずっとおかしかったのだとご理解いただきたい。 |
参考までに、先月、8月19日に日医の役員・理事勉強会で話したことを引用しておきます。
-
大きな政府なのか、小さな政府なのかは、貢献度に基づいて分配された所得の分配を必要度に応じて分配し直している度合いが大きいか、小さいかで決まります。そうであるのに、この国の多くの人たちは、なにか良からぬことばかりをする政府、特に官僚が肥大化することはいけないことだ、非効率なことだというキャンペーンにのせられていました。このキャンペーンは、政府の一員であるはずの政治家も利用といいますか、主導していました。そして困ったことに、こういうキャンペーンにのせられる人が、医療界に実に多かった。今でも、保団連とか保険医協会とかは、一部の地域を除いて大方そうです。そうした組織は共産党と繋ながりがあるのでしょうけど、共産党は、公共政策の支出側面についてはよく勉強していますが、財源調達側面になるといきなりお子ちゃまレベルになってしまいます。2007年にある保険医協会に呼ばれて増税の必要性を話していたら、フロアから、「降りろ、誰がこんなのを連れてきたんだ!」と怒鳴られました。彼らは、共産主義が国民負担率100%の社会であることを分かっていないわけで、保団連や保険医協会の組織母体である政治家達も、そうした事実を教えようとしない。
・・・
社会保障に価値を置く人たち、特に日本の国民皆保険を守るという人たちは「速やかに負担増をすべし」と言い続けるしかないと同時に、過去においても言い続けるしかなかったわけです。そうであったのに、医療界は、ほんっとに呆れた状況にあったわけですし、トンデモ論者をオピニオンリーダーとして重用していたりしたわけです。私の医療界でのデビューは、まずはそういう人たち潰しからはじまりました。 |
|
9月17日 |
昨日話した、ニュースでも紹介されていることと関係する話。
1997年9月11日、スコットランドへのdevolutionを問う住民投票が行われた。
その10日前の8月31日にダイアナ妃事故死。
イギリスで、スコットランドの住民投票が延期になるのではという噂があったとき、僕がまわりの英国人に言っていたことは、それはない、なぜならば9月11日は、ウィリアム・ウォレスのゲリラ軍がエドワード1世のイングランド軍を破ったスターリングブリッジの戦いの日だから。
ちなみに、devolution 権限委譲という言葉を、僕はいつかどこかで使いたいと思っていて、次の文章に書き込む。
|
|
はいはい了解。ホームページだけどね。
- 機会がございましたら、ぜひ、フェイスブックやブログで、本書をご紹介いただければと存じます。
その際は、添付「医療経営白書表紙画像」をご活用くださいませ。
リンク先といたしまして、『医療経営白書2014-2015年版』HP↓↓↓のご掲載もいただけると幸甚です。
↓↓↓
当方の執筆は、巻頭言「医療は”競争から協調へ”――医療施設整備が量的飽和を迎える時代の医療経営の方向性」
-
社会保障制度改革国民会議での発案
用語が多義的polysemyとなると、その言葉をめぐってどうしても論争的polemicとなってしまう。一つの言葉で多くの意味を持つ言葉は、それに係わるステイクホルダーや研究者、そして一部の府省が自分に好都合な解釈に引きつけてその用語を用いるため、必然、論争的となるのである。論争を落ち着かせたり、はじめから論争が起こらないようにするためには、意味をより高次で表現する言葉を示しておく必要があり、そうした意図を込めて、昨年4月19日に社会保障制度改革国民会議で医療介護を議論した際に私が提出した資料の副題に「競争よりも協調を」と記していた。すなわち「国民の医療介護ニーズに適合した提供体制改革への道筋――医療は競争よりも協調を」。
・・・ |
|
9月11日 |
|
8月20日 |
所在
|
8月15日 |
なるほどっ。
参考までに。
-
2014年6月23日 第9回社会保障の教育推進に関する検討会 議事録 |
○権丈座長
どうもありがとうございました。
今、唐澤統括官のほうから話がありましたように、前政権の2年目の平成23年10月にこの検討会はこっそりと立ち上げられました。当時はまだ抜本改革華やかりし時代でして、そうした雰囲気と対立することになる社会保障教育の正しいあり方の検討、いわば世間の誤解をいかに解き、正しい理解をいかに広めるかということを検討していることは表だって言えない環境でした。検討会で話し合っている内容といいますと、前政権に喜ばしくない彼らへの批判を結構していたのですけれども、そこからずっと続いて、我々、この検討会は生き延びて、ここまで到達することができ、報告書もまとめることができました。その間、高校の公民科の宮崎三喜男先生や家庭科の三野直子先生にもメンバーになって参加してもらった教材検討プロジェクトチームは、9回開催されました。社会保障と税の一体改革と同じように、政権をまたいで継続してきた検討会という強みをこれから先も生かしていただければと思います。
松江さんをはじめとした事務局の方々には、長い間、大変なお仕事をありがとうございました、とここで終えたいところですが、昨年の社会保障制度改革国民会議の報告書には、「政府は、社会保障の現状や動向等についての情報公開等を行うだけにとどまらず、若い時期から、教育現場等において社会保障の意義や役割を学ぶことのできる機会を設けていくことが必要である」とあります。したがって、事務局の皆様方には、ここで終えたり休むことなく、社会保障の意義や役割を教育現場で教える機会がこの国でしっかりと整備されるまで、今後とも継続してがんばって頂かなければなりません。よろしくお願いいたします。
最後に、事務局のほうからよろしくお願いいたします。
〇松江専門官
事務局から連絡させていただきます。
報告書のほうが取りまとまりましたら、厚生労働省のホームページのほうにアップをさせていただきます。
今後ですけれども、当面は、報告書の提言に基づきまして、文部科学省さんとも連携しながら、周知活動を行っていきたいと考えてございます。
今後は、こういった普及活動に重点を置きますので、当面は検討会の開催の予定はございませんけれども、また、皆様に再度お力を貸していただくような際には御連絡をさせていただきたいと思います。
以上です。
○権丈座長
どうもありがとうございました。
また再度という話もなされましたので、本日のところは、第9回の検討会を終了という形で終わらせていただきます。
本日は、貴重な御意見を本当にありがとうございました。
どうもお疲れさまでした。 |
報告書 |
次あたりもどうかな。とにかくこの検討会、社会的意義はよくわからないが、メンバーが面白かったことだけは事実だな。みんな、自由奔放?で、検討会で誤報の記事が配付されては、傍聴席にいた記者たちに、「なんで、あんなおかしな記事がでたのか? 社内で社会保障はどう取り扱われているのか?」といきなり質問が向けられたり・・・
-
2014年6月23日 第9回社会保障の教育推進に関する検討会 議事録 |
○権丈座長
次の議題に移りたいのですけれども、先ほど、私、宮台先生のところにコメントしたのですが、ちょっと補足したいことがあるので、言っておきます。宮台先生は、これから先の少子化の中で、年金は破綻するわけではないが給付水準は下がっていく、そして未納者がいても別に年金が破綻するわけではないとか、実に正しく理解されているのですね。ところが、少子化が進んでも、自分に任せれば年金の給付水準が下がらない方法があるというような者が出てくるから厄介な問題が起こるのです。
そうした実は年金以前の基礎的な話を間違えられてしまうと、共通の基盤で議論ができなくなってしまいます。そこをどこまで教科書の社会保障の項目の中に組み込めるかというようなやはり難題があります。少子化が進んでも全く大丈夫、将来の予測は厚生労働省は下手だけど、自分だったらできるというような者が絶えず出てくるわけですね。
ここのところを、何とかしていかなければいけない。そうした話を信じている高校の先生とかは、厚生労働省の言うことを聞かないぞっと構えられるわけで、以前この検討会に出席していただいた高校の先生からも、そういう発言もありました。そのあたりのところを、どこかで乗り越えながら、先ほど宮台委員が言われたような「給付が増額できないという前提で何か社会保障あるいは年金保険制度を補うような社会的な仕組みを考える」という当たり前のことを議論できるような環境をどうつくっていくかという課題もあると思います。これはちょっと教科書のところでは難しいかもしれないし、どこかから「お前がやれよ」と言われそうな話ですが、厚生労働省のみなさんにもそのあたりを少し意識していただければと思います。
・・・
○細野委員
この検討会の現時点での大きな成果は、まさにこの資料2-2ですよね。それを見ると、本当にみんなで頑張ったかいがあったというようなものができていて、要は最大の問題というのは、思考停止が起こっていることに加えて、何が正しくて、しかもそれをどう教えたらいいのかというところの問題が、社会保障においては、ずっと宙ぶらりんになっていたのですね。これまでも、きちんと仕組みとかを理解している人は、ここはこうすればいいのだと漠然とした解説はあったのですが、それらのズレがいつまでたっても埋まっていないというのが、この検討会が始まる前までの状況だったわけですね。
それで、具体的にこういうふうに教えれば誤解もなく、スムーズに教えることができるというものをしっかりつくれたと、1つの達成感はあると思うのですけれども、梶ヶ谷委員の先ほどの発言の中で、短期間で社会保障というものを学ばせるのはやはり困難ではないかという話もあるわけです。ただ、それは確かにそのとおりかもしれないのですけれども、例えば、私の「10分間講座」の話にしても、これだけで本当に世の中の情報の見え方が大きく変わり得る。だから、その意味では、比較的短期間でも、情報を正しく見るようなことというのは、実はできるのではないかなということを私は思っていて、それの1つの象徴的な具体例が、今週の週刊文春なのだと思うのです。そこでは「本誌新人記者にもわかった!人生90年時代、年金の絶対損しない貰い方」という記事があるのですけれども、この記事が物語っているものは、紹介文のリードを読みますけれども「年金なんて払い損ですよ、初めはそんなことばかり口走っていた新人記者(23歳)がみるみるうちに制度を理解。ついに1つの結論に辿り着いた」みたいな話で始まっているのです。これは、ちょっとこれまでのメディアの報道では考えられなかったことが起こっているのです。
・・・
○権丈座長
ありがとうございました。
今、細野委員からいろいろ発言がありました。文部科学省の塩見課長から見ると、一体、何を議論しているのだと思われるかもしれないですよね。この問題の、社会保障に関してなぜこんな教育検討会などが生まれているかと言いますと、間違ったことが常識のように扱われている世界が世の中にどうもあったのですね。この検討会の初期に調べて分かったことに、高校の教科書の中にも間違ったことが書かれているということがあり、そのことを議論したこともありました。
そして、この国の週刊誌で初めてと言っていいと思うのですが、『週刊文春』の記者が何か正しいことを書いているというのが今週起こったわけです。では月刊誌である『文藝春秋』はというと、相も変わらず昔ながらの間違いを続けている。つまり、会社の中で真っ向対立しているという状況が、今週起こったわけです。記者の力量によって記事の内容が変わることがありますので、今後はどうなるのかということはあるのですが、社会保障、特に年金をめぐっては本当に信じがたいようなことがずっとこれまで続いてきたわけです。先ほど政策研究所のほうから、プロの先生がという話がありましたけれども、実はこれが危ない。
社会保障に関しては素人の先生が新しくいろいろ勉強してくださるのだったらば、細野委員が先ほど言った23歳の新人記者と同じように、まっさらなというか、そこから勉強していってゆがみのない理解に行き着くことができるかもしれないけれども、これまで自分でプロだと思っている人たちが結構危ない。社会保障が抱えている問題の難しさというのは、これまで大人が信じ切っていることを、それは間違いなんだということをわかってもらうというところにあるんですね。いったん大人が深層心理の部分で信じ切っていることを変えるのは、大変な難作業なわけです。だから、子どもたちへの教育であり、学校教育こそが重要、というのもあるのですけどね。
・・・
○宮台委員
マスメディアで働いている人たちは、学校教育を受けてきて書いていらっしゃるわけだから、学校教育が不十分だと、でたらめな記事が出てくるわけですけれども、しかし、マスコミがつくり出すある種の自明性の中で学校教育が行われるので、でたらめな記事を信じる大人たちが結構いるということで、学校教育も劣化してしまうわけですよね。この循環がずっと回ってきている。最近、いい兆候が出ているということなので、期待したいのですが、今までどうして間違った情報が大々的に週刊誌や月刊誌の見出しとして、踊っているときに、それは違うというカウンター情報が出ないのだろうということですよね。予算措置とか難しいとは思いますけれども、最近、間違った認識があります、みたいな厚生労働省の全面意見広告みたいなものが出てもいいのかなという気がしますし、またカウンターな情報がないとよくないと思います。
今、インターネットの時代なので、以前よりかは随分状況がよく、恐らくこの週刊文春の記者さんとかも、そうした自分自身の関心に従って、ネットなどを調べるとおやおやとか言って、気がついていくということがあるのだと思いますが、しかし、ネットにアプローチ、アクセスしない人もとてもたくさんいるという場合に、やはり従来のマスコミに出てくる間違った情報にカウンターを当てていっていただきたいなというか、そういう人任せでもいけないのですけれども、当てられればいいなと強く思いますね。
○権丈座長
どうもありがとうございます。
一時期、社会保障、特に年金そのものがポリティカル・イシューになってしまったんですね。ポリティカル・イシュー化すると、官僚は正論といえども、なかなか発言できなくなります。その上、2009年の政権交代時には、民主党は、我々がいったんは廃止して新年金制度に作り替える現行の年金制度の広報費を予算請求するなどまかりならぬという雰囲気の中で、年金の広報費がゼロにされたりしたために、正規軍たる厚生労働省が全く動くことができない状況がありました。正規軍が動けないから、自然と在野の論者達がゲリラ戦を展開しはじめ、年金に対する正しい情報を伝えると共に、間違えた論者達の退治を行っていたわけです。ここにきて、今ようやく正規軍が動けるようになってきて、年金に対する正しい理解について広報活動も行えるようになってきているので、これから先は、宮台委員がおっしゃったような状況にはなっていくのではないかと期待しています。一時期は、社会保障、年金が政争の具とされてしまい、本当にどうしようもない状況に追い込まれていましたが、これから先は失地回復運動がそこそこ展開されていくのではないかという気がします。
ではどうぞ。
○細野委員
今の宮台委員の御指摘は、本当にもっともだと思い続けているのですけれども、とにかく私はこれは政府に対して申しわけないですが、何でこの人たちはこんなに反論しないのだろうと、怒りにも似た感情をもっていました。
5年前の財政検証のときに何が起こったのかと言ったら、世の中のニュースのほとんどがこの年金不安をあおるような形になっていたけれども、そこに対して、全く反論とかをしない政府って何なのだろうなというところはずっと思い続けていて。そして、それを同じような感じでカウンターパートになるような人もあまりいないような、宮台委員のおっしゃるような状況にあったのですよね。
だから、世の中に広がっている情報としては、とにかく理解不能なほど誤解に基づく間違った話ばかりがずっと伝えられていて、それが常識化してしまっていたのが、今までだったわけですね。ところが、今年はすごく画期的な年でしたね。この週刊文春の話もそうなのですけれども、今年は、私はいろいろな意味で「社会保障の教育元年」だと言っても全然大げさではないと思っているのですね。
財政検証の年に、年金の話がここまで負の面で話題になっていないということは、ある意味、物すごく画期的なことなのですね。
それだけやはり世の中が落ち着いてきているということも同時に言える話で、だからようやく、多くの人が聞く耳を持つような状況になってきたのが実は今なのです。そこで、今回の検討会の大きな意義として、完全に政府だけがつくっていたら、また政府の広報誌だろうくらいな形でこういったものを見られたと思うのですけれども、ただこうやって第三者が入って、きちんと検証していって、つくり上げたことで、別に政府の言い分だけ一方的にやったのではない、というところの説得力もきちんと出てくると思うのです。
・・・ |
|
8月9日 |
次の書評も参考に。
評者が著者にインタビューしに出かけて書かれた書評は、はじめてみたかな。
この書評の出来は、書評の人選をした人の功績だろうな。
最後に著者の天安門事件の時の話もあって、書評そのものが読み応えある。
ジンヨンやホウくんは、姜さんの他の本も読んでみたらどうだ。 |
8月7日 |
|
8月4日 |
先日の医療経済学者フュックスの言葉は、2002年にこのHPで紹介した次101頁にある。
-
2002年9月30日 V・R・フュックス氏による国際医療経済学会第2回世界大会(1999年6月30日於ロッテルダム)の基調講演 「医療経済学の将来」の翻訳〔『医療経済研究』(Vol. 8、2000)〕。 翻訳者は二木立先生(日本福祉大学)であり、私は翻訳にコメントをするという形で協力(訳者あとがきに、その旨記載あり)。 |
 |
そして、吉川先生の言葉は次125頁。
志村ははげみな。知って理解しておく必要がないものはない。。。 |
8月3日 |
4年生の合宿課題の書評は、各人、次くらいにきれいにして、クリちゃんに送るようにな。
去年から、新刊という条件を外し、みんなが同じ本の書評を書くという方向に変えたが、昔から何を選ぶかは君らに任せているけどな。
でだ、書式の統一は図っておいておくれ。 |
|
合宿お疲れさん。次でもみておきな。
まぁ、多くの経済学者の社会保障理解は、意識的にか無意識のうちにか、フリードマンのマネをしてるようなもの。50年前に彼が全部言ってるよ。
今日の論者は、思考回路や、官僚を批判する品のない表現までフリードマンにそっくりだったろう。
もっとも、自らの手持ちはなく、公共政策を規制と呼んで規制緩和を言う役回りの府省には彼らは好意的だけどな。したがって、そうした府省は、サポーターの数には事欠かない。
次もどうだ。
|
8月2日 |
当日の配付資料
|
7月30日 |
悪いな。毎年今頃はちょいと忙しいんだよ、次のように。
- ------------------------------------------------------------
題名:
Re:ゼミ合宿スレ
内容:
あともうひとつ!
合宿初日の夜のBBQ、飲み会は浴衣&甚平企画やりたいなあと!
もしやる!ってなったら持ってこれる人いますかー?(=゜ω゜)ノ
もちろん私も持ってゆけます!!
------------------------------------------------------------
花火は、どーんとやるところがあるから、日頃はひるむかもしれぬ少し気合いの入ったのを手に入れても大丈夫だと思う。
スイカもマスト。。。まるまんまを冷やすところはないけどな。 |
7月23日 |
昨日話したのは次
この文章、いいせんいっているんだけど、どこか政治部チックなわけだ。
主役は制度であって、「誰」と問うべき人ではない。制度がそうなっていなければ、ああいう流れにはならないわけです。
昨日も話したように、04フレームというのは関係者に思考の転換を求めるわけで、
あの時のパラダイム転換についてこれない者たちが、いまなお議論を多少混乱させているけど、これはいずれは鎮まる。
参考までに――7月2日シンポジウム関連資料
|
7月21日 |
写真を撮るのは早すぎだろ・・・まだ、細野さんや宮台さんは到着してないから写真では空席じゃないかぃ(笑)
それと、「・・・強調した」――僕には似合わない言葉だなぁ(笑)。あのあたりは、よくも前政権の下で、こんな検討会が立ち上げられたもんだというニュアンスを込めて笑いながらはなしていたところだから。。。この会議で検討していることが、社会保障を政争の具とすれば、今の日本のように誤解がはびこる残念な状況になり、したがって、せめて生徒達への教育が必要という話ばかりだったわけだから。
次もどうぞ。野原さんがまじめなことを書いていて、ちょいと笑ってしまったけど、ご紹介どうも。
ちなみに、この検討会は、民主党政権下での初代厚労大臣が、政策コンクールのようなものを企画して、そこに地方からそれらしきアイデアが出されて、それが入賞し、その話を発端として目的が大きく膨らませられて2011年10月に立ち上げられたらしい。そして、当時の政策統括官と参事官が、2011年の9月に研究室にやってきて、これは政府とはまったく関係なく、統括官がトップの私的検討会だから云々という嘘かまことかの明るい説得に、と同時に他にもいくつかのルートから心のこもった説得が・・・。たぶん、委員の誰かが、僕が座長でないと引き受けないとかおもしろいことができないとか言ったんだと、僕はみている。当時、2年以上、僕は霞が関界隈から離れていて、連絡が来ても、やだよっと返事も出さないでいたわけだから。そして、この検討会、けっこうおもしろいことをやったり、おもしろいことが起こったりしたわけでね。傍聴席にいる記者たちも、いきなり発言を求められることがあるから、居眠りもしていられなかったと思う――ただし、記者に振っていたのは僕ではないゾ。座長として?、そうした雰囲気を楽しんでいたというのはあるけどな。なお、あの自由奔放なメンバーに、「はい、話はもうおしまい」っと笑って言えるのは僕くらいしかいないわけで、会議は予定時間で全部終わっているから、ちゃんと仕事はしたことになります。 |
7月19日 |
教材作成に協力してくれた三野先生の「社会保障を取り入れた家庭科の授業実践」
- 権丈先生
異動されても、前任地での社会保障教育のことをレポートにまとめてくださるとは、ありがたいことですね。
同じく、教材作成に協力してくれた宮崎先生も登場されてますね。
彼らは、僕が授業見学に出かけて、この人には是非協力してもらいたいと思って、教材作成プロジェクトチームにスカウトした先生たち。
ところで、これらのページは、生命保険文化センターが作っているわけだね。
うん、良い仕事しているから、次も紹介しておくよ。。。
- ちびまる子ちゃんと学ぶ大切な3つのお話
PS2)権丈先生に倣い、生保業界でも「金融・保険の教育が重要」ということで、小学生向けに
ちびまる子ちゃんを使った金融保険教育の教材を作りました。
民間保険単独というのではなく、社会保険と民間保険の両方を入れたものです
(社会保険も、当然「大切なもの」で作成してます[笑])。
うん、たしかに「③まる子、まさかの時のためにの巻」でそうなってたよ(笑)。
うまいうまい。
それと生命保険文化センター・協会の名誉のために次は重要かな。
-
生保協会見(佐藤義雄生命保険協会会長)2014年6月13日午後2時~同2時30分 |
公的保険適用の部分については、既にずっと昔からわれわれは広くカバーしてきて、最近というか、もう大分になりますけれども、先進医療についても先進医療特約という形でかなり商品を開発してきておりまして、対応しているわけですけれども、今回言われているのは、いわゆる今までの公的保険ではなく、それから先進医療の枠組みでもない、患者との合意に基づくいわゆる自由診療についての公的保険併用を認めるか認めないかという議論だと思いますけれども、これはまだ議論が煮詰まっていないというふうに思います。
もしそうなったら、当然各社ともそれに対応したものを考えていくだろうと。これはちょっと今、どういうものがどういう形で入ってくるのかが分かりませんので、非常にリジッドに考える意見の方もいらっしゃいますし、原則自由でいいんじゃないかと考える方も、いろいろ幅広におられると思います。そこが今後、またいろんなところで議論がされて、枠組みができてくると思いますから、その枠組みに沿った形で考えていくということになるだろうと思います。
データとかそういったものをそろえないと保険というのはできないわけですので、どういう形にその制度が収束していくのかいうのは、よく見極めなきゃいけないというふうに思っています。ですけれども、これはおっしゃったようにわれわれの業界にとってはビジネスチャンスであろうということでウオッチをしてまいりたいと思っています。 |
ゴシックの箇所は、いつも授業で「リスク」と「不確実性」の違いとして話しているところ(上述の社会保障教育のテキストの注1も参照)
そしてこの会見が、日経の記事になると次のようになる。
-
【6月14日.日経新聞記事】
◎混合診療の拡大、ビジネス機会に 生保協会長
生命保険協会の佐藤義雄会長(住友生命保険会長)は13日の記者会見で、政府
が混合診療を拡大する方針を打ち出したことを受け、「大きなビジネスチャン
スになる」と述べた。公的保険が使える診療と保険外の診療を併用する混合診
療が広がれば、民間保険に求められる役割は大きくなる可能性が高い。 |
メディアの世界では、こういう引用の仕方が許されるのかどうか、僕には分からない。 |
|
ふ~ん。
「痛みの改革」ねぇ。
先日誰かに話したように、年金の抜本改革というようなバカバカしいおもちゃでこの国が遊んでいた間、一番いいめにあっていたのは、矛先を自分たちから逸らすことに成功していた厚年適用除外の事業者と彼らに雇われているスピナー(情報操作担当者)たち。世の中、さらに言えば民主主義とはそんなものだということをわかっていないとな。 |
7月18日 |
- どうもです。
で、霞が関の体制は、楽しく仕事ができそうですか?
明るくはなったが、明るければいいってわけではないだろうからなぁ(笑)。まぁ、気が向いたら働くよ。
話が来た5月末の時点では、「仕事は楽しくないとな。楽しく仕事ができる体制が整えられるならば引き受けるよ」という条件付き承諾だったわけでね。
昨日始まった会議
僕は用事があって欠席だったけどな。
昨日の講義で、上述のインタビューに関係する話をしているので紹介しておきます。
おまけ
最近、新手の説得方法を使う人が、打合せをしたかのようにいくつかの方面から出てきている・・・
「先生、逃げるんですか!」
これには僕は弱いことが自分でよく分かったから、もう、次からはダマされないよ。。。
この前は、「ぜぇんぜん負担はありません。飲みに行く回数よりも少ないですから」というのもあったけど、これは先方も数多く使えない奇策だろうな。 |
7月17日 |
あぁ、今は以前と違って、合宿では三田祭が主ではない。
3年生の三田祭の報告も初日にやるけど、2日目は輪読。
本の報告を行うのは3年生だけど、4年生は書評を準備してくる。
4年生が3年生の報告にコメントして、3年生の報告を評価。そして、最後は、4年生が書評を発表して、3年生が評価。。。
3年生が徹夜で三田祭のことを連日やっていた昔とは様変わりだ。
場所は、例のペンションで14年目か。3年前に、スティグリッツおじさんは亡くなられました。 |
7月16日 |
くりちゃん、ご苦労。
うん、まぁ、いんじゃないかぃ。3年生の三田祭のテーマ「2050年の社会を考える」とぜんぜん関係ないところが、おしゃれでぐっどだ。
-
題名:
Re:ゼミ合宿スレ
内容:
夏合宿の輪読書が決まりました。
三田論の労働班はフリードマン『資本主義と自由』
街づくり班はハイエク『隷従への道』となりました。
当日は「どちらの班がより説得力のある発表ができたか」という視点で勝敗も決する予定ですので是非ハイエク、
フリードマンになったつもりで発表を行ってください。
また4年生は上記の2冊を読んだ上での書評をA4一枚にまとめてくるようにお願いします! |
去年の4年生が合宿の時に書いてきていた吉川先生の『デフレーション』の書評、どこに行ったっけ。
たぶん、平野がHPにまとめてくれていたと思うんだが。。。 |
|
-
「ビッグデータ活用で医療危機を防げ」特集・医療危機『週刊東洋経済』 |
犬猿の仲である財務省と厚生労働省が、ついに医療政策で手を結ぶことになりそうだ。・・・ |
なるほど、財務と厚労の間も、競争よりも協調をということかね。
8月刊の『医療経営白書』のテーマは、競争よりも協調をらしい。
巻頭言は僕が書いている。
昨年の4月19日の国民会議の際に、「競争から協調へ」という言葉を使った本人だったわけで、やっぱり断り切れないよなぁと思ってね。
-
権丈先生に、ぜひ「巻頭言(コーナータイトル:視点)」のご執筆を
お願いできないかと思い、再度、ご連絡させていただきました。
お忙しい中、何度も申し訳なく存じますが、
今回の本書テーマを
「競争から協調へ──病医院経営の新時代到来」とするにあたり、
やはりどうしても、・・・・・・ |
参考までに
|
7月15日 |
先週の三田の講義で使った下記のスライドは、次の文章の中で触れています。
|
|
悪い悪い、木曜日の講義の後に約束していたのにおそくなりました。この前の講義は、いろんなところから寄せ集めてきた話をしていたから、これっという資料があるわけではないんだけどな。
インサイドジョブ関連として紹介した次の本は、旧図書館にリザーブブックとして配架されていますので、赤煉瓦の旧図書館でのんびりと読むことができると思います。
次にでてくる、回転ドアの話もしたような気が。
静かなる革命戦士の話は次に出てきます。
両論併記の弊害については、次。
インサイドジョブ関連では、次44頁以降の資本主義的民主主義の下での医療政策をご参照ください。
|
7月12日 |
昨晩話していたことは、いま、純粋一号というものを定義できるとすると、純粋一号被保険者の生活水準と年金水準の関係をみる指標として、分母を賃金とする基礎年金の所得代替率を用いる意味が、僕にはどうも釈然としないわけだ。さらに言えば、厚生年金の所得代替率を見る時に、基礎年金部分と報酬比例年金部分を分離して、基礎年金が占める割合が低下したとかどうかという巷間で盛り上がっている論にも、ついていけないところがあったりもする。 |
7月11日 |
まぁ、毎朝、疲れるよな、日経は。昨日も今日も、日経の論に賛意を示すコメントしているのは、連日同じなんだけどな。
-
先生、日経は「頭が悪い」です。
国民年金に免除対象者が構造的に増えている要因は企業が非正規を増やして、厚生年金からの適用を逃れているからなのに、
根本原因をみず、水から付けたマッチに油を注いで火事が起きていると騒ぐ放火魔みたいなものではないでしようか。 |
先日誰かにいったが、僕らの弱点は、バカにも限度があるって思っているところみたいなんだよな。
どうも、限度ってものはないみたいだ。今回の財政検証への数人の反応とかをみていて、しみじみとそう感じたよ。
それと、上記の記事と関連する話なんだが、基礎年金の水準が落ちる、これは、大変だ!というのが、年金部会の中でも盛り上がっていたけど、僕の思考回路は、どうもそういうふうには直線的にはいかないわけだよ。一昨日もビールを飲みながら言っていたけど、いま、一定額の財源があるとする。その財源を、基礎年金の引き上げと、地域包括ケアの中に含まれている「住まい」の確保策をはじめ、地域の買い物支援までも含めた現物給付というか街作りに使うのでは、どっちがいいと思う? この判断は、上述で対象とされた記事とも関連する非正規の厚年適用の度合いによって変わり得るだろうから、そのあり方も含めて考えてみる・・・というような考え方になる。一言で言えないから、神奈川県知事に怒られそうだが、大切なことは一言では言えないもんだよ。
先週のシンポジウムでは、事前に渡されていた質問に、今後の基礎年金の給付水準の低下をどう解決すればいいと思うか?をはじめ、それこそいくつもあったんだけど、そうしう話にはならなかったわけでね。そんなことは前回の09年財政検証で明確に示されていたことで、それに対するひとつの解答が、今回の財政検証だったということが、彼らには分からないみたいだな。
でもまぁ、こう言う話になると、そもそも基礎年金というものをどのようにお考えか?という質問に進むもんだけど、それはまたいつかな。
でっ、学生にもいつも言っていることだが、「そもそも」とか「本来」って言葉に続く話は、危ないもんだ。 |
7月10日 |
次もどうだろう。
次もどうぞ。
|
|
- 追伸 がん難民、いろいろ考えさせられました。かなり話がそれますが、河川技官のバイブルのような本(「大地の川」)の著者が、「天空の川」という本で、ちょっと怪しいがん治療を試していく姿をみてとても悲しい気持ちになったのを覚えています。
他にも、次のような感想もあります。是非、いろいろと考えて下さい。
そして、なぜ、医療の現場を長く経験してきた人の方が、下記の図を理解できるのかということも。
-
「がん難民はどうして発生するか?」の図、私は理解できる。
できるだけ命を延ばしたいという気持ちはわかるが、私は高齢者の延命治療と似ていると思う。
受け入れることが大切だと思う。
ただの長寿ではなく、健康寿命について、どう考えるかだと思う。
私は、健康で長生きすることはすばらしいと思うが、胃ろうを造設し、寝たきりで、本人の意識も低下した状態で、何を望むのか?
医療提供側は、どういう質の医療を提供するのか。家族・本人が静に受け止め判断できるように説明する必要があると思う。 |
 |
|
|
教材として紹介させてくださいませ<(_ _)>ペコッ
参考までに
次2頁でも、紹介させていただきました。
|
|
チャランケ通信より
-
基礎年金全額税方式、賦課方式から積み立て方式、世代間格差問題など、引き続き検討したい
最近また年金問題を新聞や雑誌などで取り上げられることが多くなってきた。そうした中には、すでにフィージビリティに欠けているが故に、実質的には破たんした考え方だと思われるのに基礎年金全額税方式を唱えたり、あるいは賦課方式から積立方式に切り替えようとされるなど、もはや問題点が出尽したものが再度取り上げられ始めているようだ。マスコミがこのような俗説を取り上げて、国民に誤った印象を与えていることは問題だと思われる。それゆえ、これらの問題点や年金の世代間の不公平問題など、次の号以降で検討してみたい。 |
次号、期待しております(笑)!
この10年間の年金論議の歴史を無視しないと、自分の存在意義が崩れてしまう者たちが、いま頑張っているわけだけど、彼ら、八代さん・高山さん・民主党が育てた4人ほどがどれほど目立てるかどうかというのは、新規参入の若手のメディア人がどの程度のものなのかにかかっています。年金記者第一世代の古参のメディア人は相手にしないですからね。まぁ、最近の動きは、おもしろいと言ったらおもしろい。民主主義における情報問題というものを学生に教える教材として。
先日、年金記者第一世代に送ったメールでも紹介しておきます
- > 日本総研の彼は、2008年の本から、一歩も動いていないな。
>
> 2008年5月の国民会議年金試算の直前の4月に出版された、租税方式を言った本が、八代さんの推薦を得て11月に日経賞。
> まぁ、去年の国民会議で、報告書の年金箇所の冒頭にある2008年国民会議の年金試算に触れた箇所について、
> 必要ないから削るべきと発言していたわけだから、試算があることは知っているんだろうけどな。
参考までに
|
7月9日 |
これもラインマーカーがついているのしかないけどな。
-
池上直己『医療・介護問題を読み解く』22頁 |
 |
昨日、分隊長に話したように、がん難民がなぜ生まれるのかという理解の仕方あたりは、混合診療論議をどのように評価するかというあたりと密接な関係があるわけでな。
次は、参考までに。公務員の研修で、混合診療の全面解禁を支持する班の、ふたつの前提。
論理というのはおもしろいというか、なんというか、スタート地点で、医療に関する次の仮定をおけば、結論は論理正しく一対一の関係で導かれることになる。
おもしろいところは、日本の制度のもとでは、「研究開発の促進」にまとめられている論は、製薬業界などにとってありがた迷惑の側面があるのだが、これを言わないと自らの存在意義が脅かされる者たちが日本の中枢にいるというところだろうかね。
さらに論を進めていけば、右側と左側の経済学それぞれの前提の違いにたどり着くことにもなるわけだよ。
|
|
今では、「年金の情報発信について」の研究会というところに若い人たちが集まって真剣に議論してくれていたり、「年金リテラシー研究会」というところで、プロがどのようにすれば年金の正しい情報を国民に伝えることができるかを話し合っていたりと、なんか時代は様変わりし、随分とよくなったなという感じだな。今は、かつて年金の抜本改革を唱えていた政治家たちの中にも、年金教育の重要性を言っているのがいるらしい。まぁ、変わらない者もいるが、放っておけばよし。 |
7月8日 |
先週の健マネでのがん難民の話。次のようなレポートもある。
-
がん難民と呼ぶことすら、医師のおごりではないのか。現状でも医療機関、担当医師による技術的・能力的な差が歴然としている事が、ネット社会になり、昔より多くの人々が知る事になったのではないか。ある医師に、できることは終わったと言われても、2ndオピニオン、3rdオピニオンで、医師により対応が可能であり、医師の技術能力差がある事を認識すべきではないか。 |
先週紹介した次と、読み比べて、いろいろと考えてみることだ。僕は講義のはじめに自己紹介を書いてもらっているから、なぜ、彼らの意見が分かれるのかっ?と考える材料として、彼らの職歴等々の情報を君たちよりも持っているけど、・・・君たちには、そうした情報は教えてあげない。。。
-
臨床でがん患者の看護をしていた。その時思っていたのは、ある程度(プロトコル)の治療を終えたその後は、何をしてもたいした効果はなく、お亡くなりになった人が多い。確立された治療だが、他病院で行っていることが理由での転院はありだと思うが、不確かなものを求めるようであれば、それに伴い宗教的な悪質な医師による治療へとつながるかもしれない。まだ治療ができるかもしれないという希望を抱かせるのも、あまりいいとは思えない。 |
それと、昨日の話題。辞表を受け取りましたという人事異動通知書ってのが、世の中にあるんだよ。これ、たぶん、辞令とは呼ばないんだろうし、こんなものを受け取ったことのあるのも僕しかいないだろうな。。。
とにかく、2009年のあのバカバカしい政権交代のおかげで、いろいろとおもしろい経験をさせてもらったもんだ。
それと、昨日の話題に関連するが、論の中身以前の問題として、どうした動機か知らないが、ああいう、人の上に立つ器でない者たち、後に職業的詐欺集団とも評されることになる人たちにお墨付きを与え、結果、政治力を与えた学者、研究者の面々は、それだけで大罪。ところが、学者・研究者はみんな負け太っているわけで、世の常として、だれも責任をとらされることがない。 |
7月7日 |
下記、「あとがきへの追記」を加筆
|
7月6日 |
同日の2008年国民会議議事録を用いた文章
|
|
『年金実務』だな――ラインマーカーがついているのしかないけど、紹介しておくよ。
研究者としては残念なことだが、この間、学者よりも大臣の方がずっと正しい。
-
(正確には、48%程度ではなく「47%ぐらい」と発言している)
この前にも話したように、09年財政検証の時は、国民がもう少し賢いと思っていたというか、政府はもう少し国民を信頼していたんじゃないか。
ところが、50%を切る試算4つを含む9種類の結果を出したのに、真ん中だけが取り出されて前提が甘いと盛り上がったり、運用利回りはスプレッドとしての実質価値しか意味をもたないのに、金融の研究者を含めて4.1%は高すぎるというような、民度が知れる信じ難いことがたくさん起こったわけだからな。
まだまだ大勢いる百年安心バカについては、次なんかどうだ。
昨日も書いているように、次回の財政検証では、試算結果に取扱説明書をつけて
- 平均値を出すことに意味はありません
- 試算結果の数を競うことには意味はありません
と書かないといけないことがわかったことが、今回からの学習だろう。一歩前進だよ。
まだまだ、珍説は出てくるかもしれないけど、こればかりは、僕らには予測ができないわけでね。 |
7月4日 |
なるほどっ。
一昨日のシンポジウムでの僕の最後の言葉は、「バカバカしい」だったわけでね。
なにがバカバカしいのかというと、日本の年金は賦課方式――いわゆる「年金のバランスシート」の中では、積立金から得られる財源への依存は1割未満でしかなく、保険料収入と国庫負担で9割超。そうであるのに、積立金の運用の話ばかりをしているわけで、運用利回りなどを決める専門委員会が、16回も17回も開かれている。そうした話をした最後が「バカバカしい」――(09年の経済前提専門委員会は9回)
出口さんの言うように、「政府の貴重な経営資源(優秀な官僚)」の浪費。
まさに、この10年間の年金まわりの歴史というのは、研究者が頭が悪かったがゆえに政府の貴重な経営資源が浪費させられた10年とも言えるな。今回示された3つのオプションは、もっと早く取りかかっておくべきことでね。そうしたことができなかったことが、政府の貴重な経営資源浪費の犠牲。さらに犠牲が拡大するのかどうかは、バカを見抜く眼力を、一種の拡声器の役割をはたすメディアがどれほど持っているのかということにかかっている。協力をとは言わない。邪魔をしないでくれ。
なお、専門委員会は、16回目で終わる予定でいたところを、追加でもう一回やっている。ちなみに、こういう会議はタダではできない。
今回のシンポジウムの前に、上述の議事録、年金部会の議事録を通して読んでみたわけだが、とにかく、バカには政策形成に係わらせないというのが国家運営の要諦だな。
それにしても、今日の出口さんのブログを読んで、去年の6月に届いたメールを思い出したよ
- 出口さんのブログは、ダイヤモンドの唯一の良心です。
このメールの送信者との昨晩のやりとり・・・
- > 15日のビアガーデンまでに、君主論は予習マスト。
お腹が痛くなってきました。。。(笑)
by B層
|
|
いつものことながら、 とりあげるメディアがわかっていないわけだから、仕方がないよ。
-
・・・・・・ 団塊の世代は大喜び〉であって、私はそこが非常に問題だと思うわけですが、引き上げを言う方々(世代間格差論者と重なる)は、そこんとこどう考えてるのか本当に不思議なんです。いや、別に不思議でも何でもなく、理解できていないだけだというのはわかってるんですが、そういう人が識者面してメディアでコメント述べているのは、イラッと来ますよね。 |
|
|
今日は信濃町で、「がん難民はなぜ生まれる? 次の図をどう評価する?」と聞いたわけだけど
さすが健康マネジメント研究科というレポートがあったので、紹介しておきます。
-
臨床でがん患者の看護をしていた。その時思っていたのは、ある程度(プロトコル)の治療を終えたその後は、何をしてもたいした効果はなく、お亡くなりになった人が多い。確立された治療だが、他病院で行っていることが理由での転院はありだと思うが、不確かなものを求めるようであれば、それに伴い宗教的な悪質な医師による治療へとつながるかもしれない。まだ治療ができるかもしれないという希望を抱かせるのも、あまりいいとは思えない。 |
この意見は、たぶん、ものすごく少数派だと思うけど、はたして、少数、多数という基準で、医療現場の本当の姿を捉えることができるかということかもな。
さらに言えば、医療制度というものは、どのような意見に基づいて設計するべきか――たとえば、多数意見に基づいて設計されるべきか?それはなぜ?
考えてごらん。 |
|
どもな(笑)
- > 先生、HPに日付を入れ忘れてらっしゃいますです。・・・
|
|
これもアップしておくよ
|
7月3日 |
> 先生、シンポはいかがでしたでしょうか?
ああ、昨日は、「財政検証」という言葉を一度も使わないで帰ってこようと思って出かけたわけだけどな。うまくいったよ(笑)。
配付資料にはないけど、パネルの中で昨日話したことは、(制度を理解できないままに)「支給開始年齢の引上げ」という言葉を使っている人が言っていることを翻訳すると、「ある世代以降の新規裁定年金の給付水準一律切り下げ」のことだろうな。これだけだと、既裁定年金の受給者には痛くもかゆくもない話で、もしこれをやってマクロ経済スライドの早期ストップをはかるというのならば、新規裁定年金が切り下げられる将来世代の財源が既裁定年金の給付引き下げを守ってくれるわけだから団塊の世代は大喜び。
とにかく、バカに政策形成にかかわらせないことだ。年金部会で8種類の試算結果の平均値を計算して47%と発言していた学者もいたが、次回の財政計算では、試算結果の脚注に「平均値を出すことには意味がありません」と書かないとな。昨日も話したように、濡れたネコを電子レンジでチンしてはいけませんというような注意書きなわけだが、年金部会の学者がそのレベルなんだから仕方がない。財政検証のようなものの発表の仕方は、レシーバーのレベルに依存するわけで、前回3×3=9種類の試算を発表したら真ん中だけがとりあげられた。今回は8種類と偶数にしたのはうまかったと思うよ(笑)。 |
7月2日 |
昨日、甘利さんが公表していたというのは、次だろうな。
この調査会は改革推進会議のもとに置かれ、別途作られるはずのデータ解析チーム(ワーキンググループ?)と連携するんじゃないのか。
参考までに
でっ、今日は昼から年金だな。
|
|
右腕実況さん
-
|
名前: 右腕実況
題名:Re:月末のみ
内容:
月初め飲み参加します! |
びっくりしたゾ。 |
6月30日 |
一触即発の本音トーク「専業主婦vsワーキングウーマン 覆面座談会 主婦が年金もらって何が悪いですか?」はウケた。
仮名を4人分も考えるのは大変だったろうし(笑)。
年木ナツキさんは、ケンジさん26、トモコさん23歳時の子どもねぇ。。。・・・当時はそんなもんかね。
次のマンガの父55歳にも不満なんだよね・・・マンガの父が老けすぎ。
年金の話そのものよりも、僕はマンガのキャラ設定の方にこそうるさいんだけどな。
そうそう。
- 6月発表「年金財政検証」はこう読め!(88-89頁)『週刊東洋経済』
なるほどっ、そう読むのか。。。
GPIFのところ(90頁)は文章がついつい真面目な口調になっていて、笑った(笑)
年金といえば、先週の金曜日だったか、びっくりするくらい古い内容の記事が日経に載っていたな。
ちまたでは、ああいう年金の話はオールドファッションと呼ばれているらしい。僕はフレンチクルーラー派だから、合わんはずだ。
ということで、次のシンポは明後日。
2日で定員一杯になってしまったらしい。みんな暇なんだろ。 |
|
ちょうど昨日、信濃町の健マネと三田の両方で、「成長戦略って誰が作ってると思う?」と聞いたら、両方とも「政府」「政治家」「官僚」という答えがあったので、アホかと言って、言葉の使い方(=頭の使い方?)として話したことを再掲?
僕がよく言うように、人というのは、向こう岸の世界で生きる者とこっち側で生きる者というのがある。政治家は、官僚は、メディアはというような日本語の使い方をしているようでは全然ダメでね、政治家も、官僚も、メディアも、そして学者の世界にも、こっち側の世界で生きる者と向こう岸で生きる者がいる。まずはそのあたりを見極めるために、いくつものタフな本を読んで、そして立ち止まって10円の役にも立たないことを考える訓練をすることだね。
それと、今週のレポートでは、信濃町も三田も「歴史は繰り返す」という言葉を書いていた人が多かったけど・・・
たしかに、歴史というのは繰り返しているようなもんだろうけど、いつも同じ姿で表れるわけじゃぁないわけでな。
ゼミの時間に紹介したなかなか本質を突いた言葉をここでも紹介しておきます。
次は、知人から自分の反省点として、僕のところに届いた連絡。
-
ああ、どこかで見た光景だ。。。と、すぐに思い当たりました。
先生は当時すでにこのことについて書き記していらした。
・・・
歴史は繰り返すというけれど、常に応用問題で、全く違った状況で共通点もないかのように始まるので、だから応用問題が解けない人間は、結局同じ過ちを繰り返してしまう。次に、自分の前に応用問題が提示された時、それに気づいて解くことができるのだろうか。。。と思いながら・・・。 |
|
6月27日 |
昨日配付した、吉川先生のやさしい経済学「ハイマン・ミンスキー」(日経新聞2012年2月3日~)は、各自独習しておいてください。
余力があれば次も読んでおいてください。
次は昨日配付して、講義中に読んでもらった資料。事後報告となりますが、東洋経済さん、お世話になりました。。。
参考までに
昨日、来週の講義は12時40分から開始といいましたが、間違えてました。12時35分開始です――友だちをつれてきも可。。。
予習をしたい人は次でもどうぞ。
同じファーガソン繋ながりで言えば(?)、次もおもしろいけどな。昨日、たまたま話をしたビスマルク社会保険の話なども登場します。
・・・ちなみに、上記は一応、社会保障の授業。
ゼミも社会保障のゼミで、この前までは、椋野さんたちの『はじめての社会保障』を読んでいたけど、今彼らが輪読しているのは、この本。
この本には、「混合医療、混合介護などを広範囲に認めていく方向での制度改革が必要」とかいろいろあるけど、まっ、いいだろ。金融については、君らは大いに学ぶべきものがあります。 |
|
|
6月24日 |
-
先生が2006年にお書きになられた『公的年金における世代間格差をどう考えるか―世
代間格差論議の学説史的考察』を拝読させていただきました。その中で最も印象的
だった部分は…
「こうした学説史的な概観から帰納してみると、日本の公的年金論議が他国と比べて
奇妙かつ自虐的な形になってしまったのは、日本経済新聞社、阪大財政学グループ、
一橋年金研究グループの精力的かつ秀でた活躍に原因があったのではないかという作
業仮説を立てることができそうなのである」
という箇所です。特に「自虐的」という形容詞については、今の日本社会の「自虐史
観」を彷彿とさせます。
公的年金に関する議論と歴史認識に関する議論との構造的類似性は、まさにこの「自
虐」性にあるのではないか、とさえ思います。
・・・ |
この論文が載った、LRL(Labor Research Library)も、僕が書いてすぐに廃刊。
みんな、雑誌の廃刊の前に、一度僕に書かせてみたかったようで、これまでけっこう廃刊直前の雑誌に書いています(笑)。
この「公的年金における世代間格差をどう考えるか――世代間格差論議の学説史的考察」をきっかけにして北大の倉田聡先生は僕を知ったようで、ゼミでも配られていたそうです。 LRLに感謝だな。
|
|
たしかに、これはどうみても、ドンキホーテとサンチョパンサだな。
今朝、ラジオを聞いていたら、わりとまともな年金の話をしていた人が、突然、日本の年金の積み立て不足は600兆、700兆、なかには一千兆という人もいると言っていたから、紹介しておくかね。
|
|
先週の金曜日の話題になった話は、2006年に書いていますね。
この話を数年前にソウルで開かれた研究会でしたら、日本に留学して戻ってきた人たちが韓国でも流行らせていて大変困っているという話があったな。。。 |
6月23日 |
あぁ、これが今週の『週刊文春』94頁にある、『文藝春秋』の広告。
なんで、こういうことが起こるのか?
この問の「こういうこと」の中身は各自考えてもらえば良いわけだが、6月12日に書いているように、高山さん、八代さん、民主党が育てた年金研究者のひとりでもあるわけでな。
先日雑談として話したことだが、次なんかどうだ。評価する人が間違えているから、間違えた人が高く評価されるということになっている。
民主党が持ち上げて育てたというのは次のような話だ。民主党の場合は、ひとりの年金論者にひとりの政治家がついているから分かりやすいんだけど、党としての統一がないという特徴がある。
そして、強い推薦を受け、期待された仕事をしっかりとやっているというわけだ。
ただし、昨年の6月23日にも書いていることだが、「先週話したように、どこぞの政党がこうなってしまったのは、彼らが頼った研究者のレベルが低すぎたことにも原因がある。むしろあの政党は、山師たちにダマされた投機家のような犠牲者という見方もできる。もっとも、負け太った論者達が責任をとらされることがないのは、いわゆる研究者たちの常」。 |
6月20日 |
たしかにな。時代を画する事件かもしれないな。週刊誌と月刊誌が、まったく逆の内容になっている。
-
本誌新人記者にもわかった! 年金の「絶対損しない」貰い方『週刊文春』6月26日号 |
「年金なんて払い損ですよ」。初めはそんなことばかり口走っていた新人記者(23)がみるみるうちに制度を理解。ついに一つの結論にたどり着いた。再び拡がる年金不安のなか、私たちが考えるべき”損得勘定”とは何か。年金目減り時代の”賢い貰い方”を徹底検証! |
君らと同じ世代の記者が書いた年金論、必読だ。秋学期の年金の話の頃には、教材になってるかもしれぬ。 |
6月19日 |
|
6月18日 |
|
|
右腕カップの運営、4年生、毎日お疲れさん。
参考までに、
次は7期だから第4回右腕カップのホームページだな。音がでるから気をつけろよ♪
あっ、実況中継の方も音が出るな。。。さすが、カセマリ |
6月17日 |
昨日のこと
- もうだいぶ時間がたってしまいましたが、
国立長寿の大島先生のインタビューでは、お口添えいただいたようでありがとうございました。
その大島先生は総長を退任されたようで、残念ですが・・・。
さっき、この記事を読んでいたところです。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=95529
昨年12月中旬、東京の研究会を終えて戻った自宅で、突然、倒れた。軽い脳梗塞だった。断片的な記憶が残る。最初の感情は、「総長が60歳代で死んでは、長寿医療研究センターの信頼がガタ落ちだ」。
というところが、さすが・・・と思います。
去年は、大島先生がいらっしゃったのが大きかった。
と言っても、3年生には誰のことか分からないだろうな。参考までに・・・
こういう人と、Amazonなどで憎しみを込めたブックレビューを書いていく人間を同席させるところが、政治のバカバカしさというか、失礼さでもある。
僕は、そういうものだから仕方がないと諦めてはいるが、大島先生には理解が難しいことだったのかもしれない。
僕が大島先生に、先生の会議での発言「総力戦」という言葉を 「守るべき国民医療とは何か」で引用させて頂きたいと連絡をした際の返事
- 権丈先生
・・・
これほどきちんと筋を通す人がいる一方で、
ああいう事がまかり通るとは、どういう世界なのかと思ってしまいます。
若干名のせいで、そういう世界に堕しているわけでね、社会保障の世界は。
|
6月16日 |
この問題にはいろんなアプローチがあると思うが、僕には次のような問題に見える。
先週の講義でも話したように、風物詩としての混合診療騒ぎの原因は、今や霞が関にある。
保険外併用療養費制度の意味ち意義を、保険会社や製薬会社が理解しはじめた「今や」という意味である。
混合診療の拡大に死活問題がかかっている者たちがいる限り、熟度の高い議論に発展することは無理で、なりふり構わぬ戯言が続く。
講義の中で、どこからそういう話に脱線したかというと、シュンペーターの話からだったと思うが、
先週は、三田も信濃町も、シュンペーターの感想文だったわけでね。
シュンペーターにどの程度の罪があるのかは測りがたいが、シュンペーターは彼らの偶像、隠れ蓑、利用価値のある存在。
今から7年も前の2007年に書いた次もどうかな。
ふろく
|
6月14日 |
今週も、僕の言うことを真に受けるなよっと言ったが、昔から言っていることだ。
あんまり人間を使って実験をするなよっ、人には人生は一回しかないんだからと言ったことも、昔から書いていることみたいだな。
この問題は、とにかく考えろっと言うことともつながるわけでね。
おまけ
先日飲んでいたら、「”死もまた社会奉仕”と論じた石橋湛山なんかよりも、権丈さんなんておとなしいもんですよ」と、妙なお褒めの言葉を頂いた次第。
ありがとう(笑)。
昔の人はすごい。福澤諭吉や経済学の古典なんかを読んでいると、僕の論などやわらかいもんだよ、うん。
|
6月13日 |
兵どもが夢のあと
ちなみに、2011年2月26日の一体改革集中検討会議にメディアが呼ばれる。
産経はそれに間に合うように案をまとめただけなんだろうと、僕は思っていた。昨日も言ったように、後出しじゃんけん。
各紙が自社案を競うという、なにか勘違いな時代が、この国のほんの数年前にあったわけだ(勿凝学問168)
|
|
人任せ教材から
|
|
次を人任せ教材(またの名を手抜き教材?)に編入させてもらいます、はい。
この解説について、以前知人に送った僕のコメントは・・・「55歳のおじさんがこのお爺さん顔はないだろう。55歳ってのは局長よりも若いんだぞぉ(笑)」。 |
6月12日 |
厚生年金適用拡大については――昨日、メモ帳に描いた屈折点のある図もあります。
年金は両論併記になじまないという話は
有識者は賢いと思っている、その君の思い込みが年金を見る眼を曇らせるんだよねぇという話は
いまや年金記者たちの方が、高山さん・八代さん・民主党が育てた年金研究者よりも年金をはるかに正しく理解しているよ(笑)。
年金記者という言葉は次に出てきます。
年金騒動をめぐるレコンキスタ運動については
おまけ
昨日話題になった、僕が一回だけ日経の一面に載った記事(笑)
上述の記事を書いた記者をはじめ、多くの記者とは次で初めて会うことになります。そして、昨日いらっしゃった、宮島先生や堀先生とも、次のシンポジウムではじめて会うことになります。
|
6月11日 |
たしかにな。
参考までに――下記、「詐欺師まがいの人たち」は、「詐欺師まがいの人たち」とするべきだろうな。修正しておきます。
|
|
下記、2009年12月29日 に関連して――山本孝史さんの話
そしてこの連載の顛末は
参考までに
|
|
これだ。
当時のことを少しは反省しているらしいが、反省すればすむという話ではない。
尾辻さんが言うように、要は人間の器の問題。
過去のホームページを、尾辻さんで検索していたら、次のようなのがあったよ。
|
|
- HPで以下の文章を発見しました。同感です。特にマスコミでは厳禁かと(笑)。
>・・・就活で年金の話をしてはダメ。面接官の食いつきはきわめて良いが、最後は面接官を不快にさせるだけで、良いことは絶対にない。
みんなも大変なんだろうね。 |
6月7日 |
そうかぃ、意味が分かるまでに時間がかかったか。まぁ、講義に出席した学生には分かる書き込みだったんだけどね。
当時、紹介されるままにハンドルネームをクリックし続けていったら本名が出てきてね。
5年以上前のあの頃は、多くの人が確かめて驚くというか、感動していたんじゃないかな。 |
|
ケインズに興味のある人が多いようで、なるほど、では、次を読んでごらん――パネルディスカッションも含めて全部
次もどうかな。
本日の講義で説明に使った配付資料
次。
- 「大切なことは考え抜いた制度を作ること」『年金時代』2012年1月号(No.604号)
- 社会保障国民会議の説明を真に受けた本, 2009年3月3日
著者が、社会保障国民会議に委員として参加し、そこで事務局(厚生労働省)から
受けた説明を、一般読者向けに書き直した本。厚生労働省の説明が、確かに分かりや
すく翻訳されているのであろう。しかし、厚生労働省の説明が信頼に足るか否かは全
く別問題であり、本来、著者はそれを検証しておかなければならないはずだ。
ところが、そういった検証の痕跡は皆無である。厚生労働省がこう言っている、だ
から正しい。国民会議の委員となっている権威がこういっている、だから正しい。そ
れだけだ。
例えば、著者は、鈴木亘氏の『だまされないための年金・医療・介護入門』(東洋
経済)などに目を通し、厚生労働省の説明が唯一絶対のものではないことを知るべき
であろう。
となれば、次は必読。
さすがに今日のゼミのwhat's newは、年金ばかりだったな。
でっ、4年生のアドバイスを、3年生はしっかりと記憶に留めておくように。
・・・就活で年金の話をしてはダメ。面接官の食いつきはきわめて良いが、最後は面接官を不快にさせるだけで、良いことは絶対にない。
だろうな。 |
6月5日 |
|
6月3日 |
明日出講の自治大学に連絡
明日は自治体の職員のみなさんに、医療・介護一体改革の話をするつもりだったのですが、さすがに明日はそれだけじゃダメで、年金の話もせざるを得まい。。。困ったもんだ。
次、(自分のメモとして)脚注などを加筆
付録――自治大学に以前提出した明日の教材
-
テキストは、『はじめての社会保障』でお願いします。
次は、当日の配付資料としては、分量が多すぎると思いますので、みなさんにメールで送って頂けるだけで十分かと思います。
医療介護
年金
|
|
|
|
|
下記、「分かる人には分かるはず」と書いているところ、僕がこの件でいろいろとやっていたら、以前、「先生がおっしゃっている図を、私なりに作ってみました。朝の短い時間で作ったので、まだ不出来な部分もあるかもしれません。会社に行く時間が来てしまったので、このまま送ります」との連絡が届いていたので、紹介しておきます。友だちは持つものだ、うん。
ちなみに、この図に、2004年以降は支給開始年齢というよりも受給開始年齢と呼ぶ方が妥当、というよりも、「受給開始年齢」と呼んでおかないと誤解と不安と混乱を生むという内容を組み込む方法を思案中。 |
6月2日 |
先週末の検討会で話したOECDのPensions at a Glanceの資料をアップしておきます。
ちょっと時間がないので、この資料に関する僕のメモを貼り付けておきます。
-
OECDが各年で刊行しているPensions at a Glanceでは、年金の受給開始年齢については、2005年版から繰上げ受給ができるearly
ageについては掲載されていた。どの国もはじめは、例えば60歳というように年金の支給を開始する年齢を「点」として規定したのだろうが、先進国では、高齢者を早期に労働市場から退出してもらって、若者に雇用機会を譲ってもらおうとして、日本で言う「繰上げ受給」を導入していく。その年齢が、Pensions
at a Glanceの2005年版から載っていた。そして繰上げ受給がなされていない元々の支給開始年齢――繰上げ受給導入後は年金財政試算の基準としての意味になる年齢――をnormal
age(標準年齢)として掲載していた。
給付建て(DB: Defined Benefit)の国が、at the same monthly pensionで給付する標準年齢を引き上げていけば年金財政は改善することになるのだが、拠出建て(DC:
Defined Contribution)の国が標準年齢を引き上げても年金財政とはニュートラルのままであることは、分かる人には分かるはず。したがって、給付建ての国と拠出建ての国を、注書きなしで横並びに並べることはできない。
日本では、2000年に決まり、目下進行中の厚生年金の「支給開始年齢の引き上げ」は、給付建て(DB)の下でのルール改定だったゆえに財政削減的であった。しかしその後、2004年に拠出建て(DC)に変わり、その上その時、繰上げ繰下げ受給制度が作られた。したがって、繰上げ繰下げ受給制度がある今では支給開始年齢という言葉は死語となっており、OECDが定義するようにnormal age(標準年齢)は一応あるにはあるのだけど、財政方式を拠出建て(DC)に切り替えた今では、normal ageを引き上げても財政的にはニュートラルになっている。
そしてOECDのPensions at a Glanceの話に戻れば、2009年版から2011年版の間に大幅な改善が図られ、2011年版からは繰上げ受給の割引率と繰下げ受給の割増率も記されるようになった。 |
それにしても、先週の仕事はちょいときわどかったかな。「支給開始年齢に関する検討会」とかなんとかに、アドバイザーとして呼ばれて、初日にアドバイザーとしてやった仕事は、「受給開始年齢に関する検討会」に名称を変更してもらうことだったわけだからねぇ。先週も話したように、この問題の難しさは、良い人も間違えていて向こう側にいるということにあってね。そこが、世代間格差とか租税方式とか積立方式の場合とかとは違うわけだよ。「支給開始年齢」については、2004年以前の昔は正しかったんだから、ある面仕方がない。
先週の検討会、みんな良い人ばかりで、国を真剣に憂えて「支給開始年齢の引上げ」について、年金受給年齢に達している人たちも最後のご奉公として我々がやらねばという覚悟をもって検討しようとしていたわけだから、もう、キャラクター勝負で笑いをとりながら話をするしかなかったかな(笑)。 |
|
時間もたったので?、もういいかなと思い、下記を、人任せ教材に編入させてもらいます。
ちなみに、「人任せ教材」については、僕は最近、「失地回復運動の戦士達」とも呼んでいる。その心は・・・
一ヶ月以上前、ある飲み会の翌日に、前日のメンバーに捕捉資料として送ったメール
-
次は、年金もので、昨晩話した検討会の出席者に昨日の昼に送ったメール。
検討会で、10年以上前は多くの人は社労士の年金の説明を素直に聞いてくれていたのに、それが10年くらい前から不信感が大きくなって、ある時期には最悪の事態となった。一方で、最近の中高生は、年金に対する不信感が、こっちが思っているほどはないという彼らの話を聞いていて、僕が、イスラム教の方々には大変申し訳ないけど、レコンキスタ運動に喩えた説明をして、それに関する資料を送ったわけです。(検討会の途中で、出口さんのブログの話がでていたので、それにも触れてます)。
1994年の世銀の年金報告書を機に世銀の思惑通りに制度も歴史も知らないChicago Boysまがいの経済学者の参入が起こり、2004年改革前後から、最低保障年金を含んだ年金の抜本改革を掲げる政党によって年金が政争の具とされるようになって政治が年金に強く係わるようになる。彼らが政治家として出演したメディアを通じた年金破綻を印象づける様々な発言が広められて、年金への不信感が極度に高まる中、厚労省は政治マターとなってしまった年金を正々堂々と語ることができず、ついには年金で政権交代まで起こってしまい、その直後には事業仕分けで、抜本改革をして全く新しいものにする年金の広報など許さないと、年金広報の予算も削減され・・・
年金の正しい理解を推進する動きは、失地回復運動だったという位置づけです。
――――――――――
昨日ご出席の方に次を転送しておいて下さい。
この10年間ほどのレコンキスタ運動がみえる話
「社会保障制度改革の行方」(講演 2013年5月29日)『年金数理人』2014年3月、No.34
この講演の時、一番前に座っていた出口さんが書かれたブログ
http://diamond.jp/articles/-/36867
失地回復運動の戦士達の文章(講義で、「人任せ教材」として紹介している資料)
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/hitomakase.html
上の「人任せ資料」にある次には、子供の教育には大人の教育が大切と・・・高校生が書いています。 第2回検討会 権丈配付資料(PDF:206KB)〔『朝日新聞』2001年8月16日朝刊16面〕
於 第2回社会保障教育の推進に関する検討会
そして、次は、教育検討会で作った資料 第3回検討会 社会保障の正確な理解についての1つのケーススタディ ~社会保障制度の“世代間格差”に関する論点~ (PDF:1063KB)
於 第3回社会保障の教育推進に関する検討会資料
以上 |
|
6月1日 |
昨日の次を読んだ人は、
次もみておきな。
|
|
そう言えば、入間の公務員初任行政研修と前回の三田での講義で、「混合診療をどう思いますか? 支持する?支持しない? それはなぜ?」というアンケートをとったけど、この件に関しては、次の記事をおすすめします。
- 「規制改革会議が狙う混合診療解禁の無理筋」『週刊東洋経済』2014年5月17日号
今や春の風物詩と化した混合診療論議の中でも、今年は特に笑える話が多かったので、そうしたおもしろい言葉を収集した文章でも書いた後に、上述の記事を紹介しようかと思っていたんだけど、文章になかなかとりかかれなくてね。
参考までに、以前知人に送ったメール
-
今日の講義では、混合診療を支持しますか?その理由は?という学生世論調査をしてきました。
混合診療の仕組みを軽く説明しただけのアンケートのようなものです。300人の学生で半々ですかね。
混合診療支持者のほとんどは、有効な医療を政府がブロックしているため、
不憫な患者のために混合診療を認めるべきというロジックで考えています。
先週の国家公務員は、混合診療を担当したふた班ともに、混合診療全面解禁支持。
国民の素朴な政府不信と、医師・製薬業界への素朴な信頼感、(薬事行政も含めて)他国はすばらしいというコンプレックスが背景にありますから、春の伝統行事は継承されていくかもですね。
このニッポンの伝統行事、いつか世界遺産に登録されたりして・・・ |
|
5月31日 |
これは、一昨日の研究会のメンバーに送ったメール。
-
昨日はお疲れ様でした。
昨日話した太田さんの、年金は両論併記にあわないというのは次にあります。
- 太田啓之氏「公的年金とメディア」
- ⑨ 専門家の間でさえ、意見が混乱(550兆円の年金債務、など)
記者の側に「専門家の意見の真贋を見分ける」という酷な作業が課せられた。「両論併記」による実質的な思考停止(表層的な公平感こそが重視される)
僕は、2008年には次を書いていて、あの頃、「なんで、両論併記の記事に僕がでなければならないんだ、バカバカしい」っと断って、多くの記者に迷惑をかけていました。一方、向こう側で生きる人間達は、メディアに登場すると査定で評価されるような者もいる出たがりやグループ。そりゃぁ、世論は乱れるよな。。。
|
出たがりやさんというのは、次でも使っていたはず。
そして、昨日の研究会の後に話したこと。
誰が考えても、とは言わない。しかし、誰が何を言おうとも、今の年金が抱えている最大の課題は厚生年金の適用拡大。
勿凝学問67の22頁に、「屈折点」という言葉がでてきます。
昨日はビール飲みながら、適用拡大の流れから三面等価の原則と合成の誤謬の話をしていたかね。最も簡潔な文章は次かな。
昨日の話からも分かるように、次の文章と上の厚生年金適用拡大の話は、密接な繋ながりをもっています。
そう言えば、今日は5月31日。ちょうど5年前の今朝だな。
上を読んだら、次もみておきな。
|
5月29日 |
年金には、細野真宏さんが「引っかけ問題」と呼ぶ大きな罠があり、この罠に引っかからないように成長していくためのはじめの一歩は、学者は間違えたことを言わない賢い人であるという「学者性賢説」?から脱することにあるように思えます。
次は、細野さんが、年金に関してその第一歩を踏み出した瞬間のシーンではないかな――2008年5月19日から6月4日の間の出来事。
参考までに。
学者が書いた書評にも、ひっかけ問題にひっかかったものが多々ある。まぁ、この前のは、もう笑いしかでなかったな。
あの新聞の年金に詳しい記者達の目が点 になった様子が目に浮かぶ(笑)。
それにしても、父親から未納を薦められたりしたら子どもはかわいそすぎるな。
厚生年金に加入できない非正規の人たちの方が幸せとでも言うのかね。
第3回社会保障の教育推進に関する検討会資料にある次の資料をどうぞ。
付録――上述の「両論併記」という言葉と関連して
この文章に、次の言葉を書いているけど、まったくその通りだと、今さらながら思うよ。
- 最近は、「権力」とは、情報受容者の無知につけ込んで、客観的に否定された主張
を繰り返し言い続ける厚顔な振る舞いができる力と定義したくなっているんだけど、経団
連をはじめ、みなさん立派な権力をお持ちのようで、天晴れなことです。
そして、年金経済学者ってのは、昔から権力者ばっかりだ。 |
|
昨日のディレクターの法則のスティグラーの授賞は1982年だったな。昨日話した、昨年の発表時にタイムリーにまとめられた記事。
ちなみに僕が昔々に書いた文章を2013年まで更新すれば・・・
-
2013年までの経済学賞の受賞者数74名のうち、欧米諸国の国籍を持たない受賞者は、1998年のアマルティア・セン(インド)が唯一である。そしてアメリカの国籍を持つ者は50人に上り、受賞者数2位のイギリス7名を大きく引き離している。 |
2000年以降は、もう、笑いが出るほど、アメリカ人しかいないよ(笑)。
ブキャナンとかを知りたければ、手っ取り早い本としては次なんかがある。
|
5月28日 |
昨日話した文章。去年の7月の会議で会ったときに公開許可をもらってる。。。
次もどうかな。
この鼎談の中で話している次は、昨日の院の講義とも関連するところ。
|
5月27日 |
今週木曜日29日補講日について
- 健康マネジメント研究科の講義を先日やると言いましたが、補講日というのは祭日が多い月曜日等と講義日数を調整するためにあるようなので、当方が木曜日の講義を行うとすると、講義が重複する人が出てきて、大学としてはありがた迷惑だということらしいです。
ということで、今週の健マネの講義は遠慮しておきますのでよろしく。
- 三田の社会保障論も、大学の規定にしたがって他の曜日の講義に譲りますので、教室に来ないようにしておいてくさい。
|
|
そう。
昨日の社説では、この問題をその角度から論じる際のキーワードとなる繰下げ受給、繰上げ受給、新規裁定年金、既裁定年金という言葉を、新聞という媒体のなかでは使うのが難しい――使おうとすると絶対に文字数が足りなくなる――というのは辛いところだろうな。足枷をつけられてマラソンをしているようなもの。次に書いているように、大切なことは複雑なんだよ。
次は参考までに。文字数の他に、いろいろと親しい政治家に対する記者なりの気遣いがあるようで面倒だね。
ゼミの4年生は次の中で何が起こったのかは理解できるだろうが、3年生には無理だな。まぁ、いずれは分かるさ。
ちなみに、昨日の社説の中にある「受給開始年齢を一律に送らせる」という言葉について・・・先週かな、知人に送ったメール
- そうそう、最近の新聞に書いてある「支給開始年齢の一律の引き上げ」という意味が、僕にはわからないんだよな。
絵に描けないというか、なんというか、一律に引き上げたら年齢・給付水準線は右にシフトするんだろうけど、それは下へのシフトと同じだから単なる給付水準の切り下げの話・・・既存のライン上を右上に一律にスライドするというのならば、何も変わらないし。いやいや、一律に引き上げるというのは、やはり右へのシフトなんだろうから、現在、60歳でpension
age、つまり年金年齢になることができるのに、それを61歳や62歳や63歳にするってことかぃ。。。
|
|
先日、ゼミの学生が、実家の母親に電話で「年金って、何歳からか知ってる?」って聞いたらしい。もちろん、「65歳でしょ」。
ライフプランに合わせて60歳から70歳まで選ぶことができるということが常識になり、なるべく繰下げ受給を選んで高めの年金を受給した方が安心ですよっという話が自然にできる時代を、なんとかして作らねばな。
ところで、先日の講義で話したことは、寿命と余命。
- 笠井アナと言うか、フジテレビは寿命と余命を混同した誤報を流しわけだけど、たぶん未だにそのことには気づいていないんだろうな。
そうした誤報のひとつひとつの積み重ねが、これまで、どれほど国民の年金への信頼を傷つけてきたことか。メディアの罪は大きい。
でもまぁ、本当に責められるべきは、そうしたメディアの報道をサポートするコメントをしてきた「専門家」と称する素人たちだけどな。
|
5月23日 |
今年の右腕カップ、4年生がすごいこと言ってる・・・
- > ・ペナルティについて
> 1回戦で敗れ、敗者復活戦でも敗退した3人には罰ゲームがあります。夏合宿でいくつか肉体労働をしてもらう予定です。
おりゃ、知らないよ。
まぁ、とにかく昨日も言ったように、これ、一回戦で負けると、けっこう恥ずかしい。
5期のつるこうは、「だから右腕で負けるのよ」っと、彼女に言われていたし。。。
3期の高橋が10ウン年前に書いた文章がHDの中にあったので、貼り付けておくよ。
-

右腕。それは、自分が何か事業を起こそうとする時、こいつとなら共に戦っていける、もしくは、こいつなら頼りにできる、仕事を任せられる、という者のことを言う。「研究テーマ選びのセンス、学問のやり方をみれば、そいつが仕事のできる奴かどうか分かるもんだよ」と、日頃言われる先生。その先生が今回4年生に託したミッションは、3年生のレポートを読んで、将来、ベンチャー企業を立ち上げようとする時に、その右腕として声をかけたい奴を探しな、というもの。
ここから、この闘いは「右腕カップ」と名づけられた。
トーナメント方式で行われるこの熾烈な競争は、毎日が興奮の連続となるだろう。4年生はわずか5000字に込められた3年生の可能性を探り出し、自分の右腕となるに値する人材を選び出す。3年生はその先輩の熱意に応えるべく、いや、孤高の賞杯「右腕カップ」を目指しながら、完成度の高いペーパーをただひたすら追求する。実はこの大会、確かにペーパー提出の最終期限はあるのだが、勝ち進んでいる間のペーパーの更新は何度でも可能なのである。つまり勝てば勝つほど、4年生からのコメントをいかしてペーパーの完成度を高める時間が与えられていくのだ。
このプライドをくすぐるような評価軸と、勝つ人はペーパーの出来を極限まで高められるシステム。その上に成り立つこの大会に、これからどんなドラマが待ち構えているのだろうか。もちろん、当事者でなければその感動も悔しさも味わうことはできない・・・。
ちなみに右腕、すなわち、頼りにできる奴という言葉は、英語でもRight Handという。
勝者には、Sir Best of Right
Handの称号が与えられる。初代Sir Best of Right Handは誰の手に・・・ |
うんっ?、今年は13代目か?
そうだな、次もどうだ。
あの時は、たしか、日本がトルコに負けて面白いことがなくなったから、翌日にこんなもんを発表して遊んでいただけのことだったと思う( ̄。 ̄ )ボソ...
-

・・・
・・・
・・・
わたくし達の先輩、第3期までは、 ターム・ペーパーを書く際、相当の緊張感はあったものの、それはそれで、普通の課題をこなすプロセスとさほど 大きな違いはありませんでした。ところが、第4期が3年次のターム・ペーパーを書く2002年6月は、運悪く、いやいや、幸運にも日本中を多いに沸かせた2002年FIFAワールドカップに重なってしまっていたのです。
わたくし達学生と同じように、ただ、ワールドカップを楽しんでいたはずの先生が、ある日、
3年生のターム・ペーパーを題材として「右腕カップ」を開催すると宣言されました。この宣言により、3年生の5000字ターム・ペーパーの作成に、大々的に競争原理が取り入れられることになったわけです。
それは、3年生の緊張度が極度に高まりはじめた瞬間でもありました。
「右腕カップ」という遊びによって、どれだけレポートの完成度が高まっていくようになったのか。とくとご覧いただければ幸いです。
実を言いますと、2002年FIFAワールドカップでひどい目にあったのは、 なにも権丈ゼミの3年生やフランスやアルゼンチンに限ったことではありませんでした。
わたくし達4年生にもその影響が・・・(詳細につきましては、「4年生卒論報告トーナメント」の方をご参照くださいませ)。
社会保障を専門とされる先生は、 きっと競争社会をあまり好きではないだろうと思っていたわたくし達は、
それがまことに愚かな読み違えであったことを今、 痛感しております。
しかしそのおかげで、日々私たちは遊び心をもって研究をエンジョイできるわけであります。 |
ほほぅ、渡辺もレオも、右腕だったか。
|
|
健マネ&三田
もういいかな。
|
|
ゼミの学生さんへ
三田の学生さんへ――先週の続きで、今日もシラバスからは脱線。まぁ、春のシーズンものの季節だから、旬の教材利用は仕方なし。
紹介した2冊
でっ、今日の出席レポートは
いつも話しているように、気が向いた回数だけ、講義中に出席レポートを行います――今日も話したように、これは僕が学生世論を知るための調査のようなもの。
出席レポートの中で、出席者の人数が少ない日、5日分をピックアップし、
その中の3回出席している者のみを対象としてkeio.jpにアップしてもらっている2週間間隔レポートを評価します。
ということで、出席者が多い日の出席レポートはノーカウントになる。まぁ、マークシートを利用しているから、できる方法だな。
今なお300人程度生存。4月のはじめから60人くらい脱落。ふぁいとだ。 |
|
健マネの学生さんへ
- 自治体病院全国大会2007「地域医療再生フォーラム」講演録
2007年11月7日開催
講演Ⅰ 「医療制度改革の方向」
国際基督教大学教養学部 教授 八代 尚宏 氏
講演Ⅱ 「医療崩壊をめぐる政治経済学-いま何が起こっているのか?」
慶應義塾大学商学部 教授 権丈 善一 氏
討 論
座 長: 熊坂義裕 岩手県・宮古市長
パネリスト: 八代尚宏 氏、権丈善一 氏 |
|
5月22日 |
この前の積立金運用に関する研究会でのキーワードは覚えておきましょう
- jolt: [動](他)1 〈人・物を〉(急激に)揺する, ガタガタ揺さぶる;《ボクシング》〈相手を〉強打でふらふらにするjolt a door
off its hinges|ドアを強く揺さぶって蝶番ちょうつがいから外す.2 〈人を〉驚かす, 〈人に〉 ...プログレッシブ英和中辞典(第4版)
下記で、次を書いて、ジョルトを思い出した次第。
- > 「それ」のところには、これからも、年金や医療や税制やその他諸々がはいることになるだろうね。
|
|
- 権丈先生
お疲れさまです。今週の『週刊東洋経済』の雇用の特集、
労働時間規制改革に関する経済産業省の暗躍が迫力をもって書かれています。
まさに総定員法の弊。。
読んでいて、僕には「スマートワーク」のロジックが「選択療養」のロジックと重なってみえたよ。
まぁ、この国全体が株式会社と同じ仕組みで動くようになっているわけだから、「それ(雇用)を株価浮揚のための一手段として弄ぶようなことがあれば、この国のありようそのものをゆがめることになりかねない」ってことが、起こるだろうな。「それ」のところには、これからも、年金や医療や税制やその他諸々がはいることになるだろうね。
それにしてもこの特集「雇用がゆがむ」全般、熟練工というか玄人の仕事。
学生くん達には「まさに総定員法の弊。。」という意味が分からないだろうから、次を紹介しておきます。
スマートワークで登場する経産省は、春の風物詩?混合診療を謳う会に毎年参加している風流人。
特集「雇用がゆがむ」は、労働問題になじみのない学生は一回読んだのではわからないだろうけど、3回読めばなんとかなる・・・ようにガンバレ。
ゼミでの先週のレポートの課題図書『生活保護vsワーキングプア』の続きのような話が、64-65頁にあるので、君らは必読。この記事には次の話も少し入っているかな
なお、社会保障論の秋の講義では、みんな、『生活保護vsワーキングプア』を読むことになるので、今から読んでおいても損はしない。
この特集「雇用がゆがむ」を書いた記者の「編集部から」(117頁)も読んでおいてごらん。
- 〇〇先生は、最近の金融緩和政策や法人税の引き下げ政策など、アベノミクスに対して好意的な味方をしておられました。デフレからインフレへと転換できたのかどうか、権丈先生の見方など、またお聞きしたいものです。小生は、法人税の減税など何の意味があるのか、と思っていますが、・・・
今週の『週刊東洋経済』の「攻防 法人税」は、広い視野でまとめられています。僕の今の疑問は、これ、本当に1人の記者がまとめたのかなぁと言うことですけど、そうなんでしょうね。
あっ、そうだ。
書評のところにある(112頁)チャールズ・ファーガソンが監督をした映画「インサイド・ジョブ」は、講義が順調に進めば7月3日に観る予定。その前に、『強欲の帝国』を予習しておくのもいいだろうな。講義名「社会保障論」の下に、この映画を観ることは、ちゃんとシラバスに書いてあります。ちなみに明日は、先週予告したように『ビッグ・ファーマ』の話を少々と、著者マーシャ・エンジェルのインタビューを観るつもり。
付録――僕が、なぜ、『生活保護vsワーキングプア』か『ワーキングプアvs生活保護』か、毎回分からなくなる理由が分かりました。
本を見て、一回間違えて覚えたんだろうな――左から読んで覚えてしまった模様
 |
5月21日 |
うん、人手不足の取材、民間と介護の労働市場を対比させて、なかなかいいんじゃないかぃ。
先日も、百年前に書いた文章としてアップしたように、
ただこのタイミングでは、厚生年金の適用拡大はやりやすいはず。
でも、わずか対象者25万人拡大の法律が平成28年10月から施行されて、それから3年以内の見直しということかな。
見直しのタイミングに数字が入っている規定は逆に足枷だな。 |
|
プロローグだけ紹介しておきます。これを読んだ人は、本論を必ず読んでおいて下さい。keio.jpで読むことができます。
|
5月19日 |
なるほどっ、「特落ち」って言うんだ。
去年の8月1日の社会保障国民会議報告書の記者レクは、たぶん「特落ち」をおそれた記者達から求められて開かれたものだと思う。僕は、「なんだ彼らの世界も競争よりも協調をかぃ」と言って、冷やかしに出かけた次第。
メディアの世界については、次なんかは必読じゃないかね。
昨年の6月14日のホームページ
-
一昨日話したのは、次。
この特集、この号の売り上げを増すのには寄与するだろうけど、この週刊ダイヤモンドや、この特集で取り扱われている日経新聞の過去の記事、
のみならず将来の記事に大いに疑問符を持たせる効果の方が大きいだろうな。
とにかく、ダイヤモンドの過去の年金特集とかは、ひどかったからな。この特集にあるような営業のノリで特集を組んでいたんだろうと想像することはできる。
その意味でも、学生くんたちにも、「経済ニュースを疑え!」――この号の熟読をすすめるよ。
先日、ある男性記者たちに送ったメール。
-
先日は、知り合いの某テレビ局の若手の女性記者が、一体改革の特集の中で、上から年金の世代間格差をやれと言われましてと訪ねて来ました。
指示を出す「上」あたりは、いま何歳くらいなのか。年齢が問題なのか男性であることが問題なのか。思案中です。。。
最近、なぜ、良い記事を書くのは女性ばかりなのかと考えることがあるんだけど、
ダイヤモンドの自虐的特集の中の「記者への圧力」(44-45頁)を読むと、男性であることが問題なのかもしれないとも思えるんだよね。 |
|
もう、一年経ったからいいだろうけど、ダイヤモンドの創刊100周年記念号「経済ニュースを疑え」!のおもしろいところは、企画の冒頭に載っているダイヤモンドが作った次の図の中のダイヤモンドの位置がまず疑わしいことだったりしてね。。。根拠は、下の方に書いてある「企業広報へのアンケートなどを基に本誌作成」というところにあるらしいが。
新聞という意味では次も
|
|
今日紹介したふたつの年金の本
|
5月15日 |
今日は、誠に不本意ながら年金の話の一つでもしなければならない状況になったわけだが(春のシラバスにはどこにも書いていないわけで・・・)、
講義のはじめに、何も説明せずに書いてもらった、出席代わりの小レポートの課題は次でした。
提出してもらったレポートを眺めてみると、うんうん、なかなかおもしろい(笑)
九割五分が支持しないで、五分が支持。
支持する人があげる理由は、日本の少子高齢化と財政問題を考えてくれてだな。ご苦労さん。
でっ。
10分ほど時間をかけてレポートをしっかりと書いてもらった後に説明したように、上述の課題の「問い」は、日本の制度の下では成立しません。
君たちがテレビの解説や新聞の記事、そこに登場する専門家と呼ばれる人たちのコメントの中で、「支給開始年齢」という死語が使われていたり、逆に、「繰下げ受給」や「繰上げ受給」という言葉が使われていないのをみたりすれば、アホだなっこいつらと、無視しておけばよし。講義の中でも話したように、そういうバカバカしいことは、年金の世界では頻繁に起こってきた現象です。
今日の講義でみた昨日のNHKニュースウォッチ9の年金報道では、正しく「年金受給」という言葉を使っていたし、解説も正しい理解に基づいていました。
報道はああでなくってはいけないね。
同じNHKでも、日曜日はひどかった。年金について正しい理解に基づいて話をしていたのは大臣だけだった!?という不思議な番組でした。
あの日の番組をみた友だちからは、次のような感想が・・・
> あ~あ、素人っぽくていやだなぁ。
> 天下のNHKが。。。 |
5月14日 |
次は、長いから印刷は必要ないですけど、時間があったらパソコンから覗いておいてください。
一昨日にした、昨年の研修時の年金破綻妄想事件?に関連する話は、12-17頁にあります。今年も大ウケするおもしろい報告を期待しています・・・?
ちなみに、今年の国家公務員初任行政研修の課題は次に落ち着く。
月曜日に話したように、これら3つの課題について考えたことがあれば、将来、姿形を変えて登場してくる様々な事態にも対応できると思います。
例えば先日の最後に触れたように、課題2を理解しておけば、未納が増えても年金は破綻しないことも分かるわけです(今の制度がバッファーとしての積立金を持っている賦課方式であるという要因を組み込む必要はありますが)。
既に配付している資料
|
|
下記、4頁以降に「参考までに」を加筆
|
5月13日 |
|
5月12日 |
どもな。
ほほぅ、ハジュン・チャンって、そんな顔しているのかぃ。
まぁ、上述の連絡は、ゼミの卒業生@13期が留学先から後輩に宛てたメッセージで、上に続いて
- なんでこのゼミでは歴史とか学説史とか勉強させられているのかわかるはずです。
whats newのネタにどうぞ。
と。
先日、哲学科に進学した12期のまっちょがゼミに遊びに来て、whats newで、「10円の役にも立たないことを考えろと言われていたら、10円も稼げなくなりました」と言ってたよ。。。ウケてた(笑) |
5月10日 |
|
|
昨日の講義で少しふれた2冊。興味のある人はどうぞ
来週は、『ビッグ・ファーマ』の著者マーシャ・エンジェルのインタビューを観るつもりです・・・他の雑談がのびなければ実現?
そうだな。「民主主義の情報問題」のところで話した、次もどうぞ。
なんだ、次にまとめていたな。
|
5月9日 |
そうそう。2011年の4月に、大学から「夏は電気の節約のために7月9日で終了、そのためテストはやらないように」との指示が出たとき、僕は、講義の中で、ゼミでは1期から続けていた課題を実施していくことにしたわけです。昨日とった出席では300人はまだ出席していたわけだけど、2週間に一度のレポートを、今年は何人が最後までついてこられるか・・・来週はオルテガの『大衆の叛逆』。かなり減るかな。
ところで、昨日の授業中の出席をかねたレポートの質問は「公的年金の財政方式は、積立方式と賦課方式、どっちがいいと思いますか?それはなぜ?」
ちなみに、講義の中では、まだ、年金の話はかけらもしておらず、「賦課方式の漢字もおしえないから、勝手に書いといてくれ」と言って書いてもらう。その段階での彼らのレポートを読むというのが、当方の目的であったりもするわけです。
でっ、だな。昨日の講義でも話したように、せっかく、(いつの頃からか)入学の時に『福翁自伝』が全員に配られるようになったんだから、ダマされたと思って手にしてみることだ。社会保障の講義で『福翁自伝』をレポートの課題にするのも無理が(少し)あるだろうからしないけど、何かの縁でこの講義を履修した君らには、『文明論之概略』くらいまではなんとか読んでもらいたいもの。次でもどうぞ。もう、10年前の座談会だな。
ふろく
|
|
どうぞ。
縮刷版?
|
|
うん、まぁね。下記、百年前に?書いた文章です。
|
5月8日 |
悪い悪い、昨日締切だったのに、そっちに送ってなかった・・・
- ブログ見ました! 今年度の検討課題が発表されていて、「えっ、ブログが先!?」とちょっと面白かったのですが、掲載されている課題で決定でよろしいでしょうか?
でっ、ブログじゃなく、ほーむぺーじです( ̄。 ̄ )ボソ...。
課題1の日本語が、なんか変なんですよね。違いが生まる理由を考えてもらいたい、そして最後は「どう思いますか?」でそろえたい。
この難題をクリアーできる言葉を一緒に考えてもらえれば、ありがたいんだけど。。。本当の締切は来週の月曜日の朝だと思っているけど、違うかな |
|
この前した、アメリカでの富裕層が集まって自治体を作る話だな。
|
|
えっ、そうなの!
- Subject: 生命保険入門
権丈先生
おはようございます。
出口さんの『生命保険入門』は、間もなく5年ぶりのリニューアルの版が出るようです。
|
5月7日 |
自治大学から「6月4日(水)のご出講に関して、テキスト等のご指定はありますでしょうか」との問い合わせがきたので、ただいま、次の返事を出しました、はい。
来週の入間での国家公務員初任行政研修での今年の課題は下記。
この課題は、『はじめての社会保障』の「理解を深めよう」を参考にしています。まいどお世話になっております、はい。
課題1については、出口さんの『生命保険入門』もテキストにしたいところ。出口さんの『仕事に効く教養としての世界史』も薦めたいけど、社会保障の講義でテキスト指定は難しいだろうから(T_T)トホホッ――本当は、社会保障という国家論を考える上でこういうセンスこそが重要なんだけど――、まぁ、図書室には配架しておいてもらっておくかね。
初任行政研修については、次の講演録の12頁あたりをご参照あれ。
昨年5月の研修で年金破綻妄想事件?を引き起こした「社会保険の一元化について・・・」の課題は、今年はなしにします。
去年は、当時進んでいた国民会議の関係上、その課題をまさに考えてもらわなければならなかったわけでね。去年の研修の朝、編集者に送った原稿は次。
|
5月6日 |
2年前の合宿の感想文は、次にあるな。でっ、その直前の、当時の民主党政権下で流行っていた?替え歌のところもおもしろいから、そこから貼り付けておくよ。
ラベルをつけて、そこに飛ぶように設定すればいいと思うだろうけど、なぜだか、去年くらいからそれができなくなっててね。。。 |
5月5日 |
さて、どうなんでしょうかね。
- ところで、オルテガの『大衆の叛逆』は複数の訳がありますが、先生の学生さん
のお好みはどれでしょうかね。私は最初に読んだということもありますが、神吉
訳が言葉遣いもリズム感も好きです。
うん、下記の感想を書いた君には、「文科省の無邪気さ」について書いている次なんかどうかな。
次もお手すきの時にでも
でっ、上で、下記の感想と書いたのは次。
-
Re:アダムスミス感想文投稿スレッド2
内容:
アダム・スミスが世界の歴史においていかに重要なことを成し遂げたのか、この本を読むまで「国富論」の作者であるということ位しか知らなかった。そして昨日までの私と同様に「市場システム」というものが世界を機能させる唯一の方法であると信じて疑わない者は、現代の社会に数多くいるだろう。市場という概念がなかった時代が存在していたこと、そしてそのような時代がそう遠くない時代、わずか数百年前まで続いていたという事実など考えたこともない人だってたくさんいるはずだ。そのような歴史など想像だにせず、資本主義の下、右も左も分からないまま市場に投げ込まれ一生を終えた人がそのほとんどであるに違いない。私はこの文章を読み、スミスの唱えた市場システムや初の経済学者としての意義はもとより、現代の(少なくとも日本の)教育のあり方について強い疑問を感じた。
現代の小中高教育では「思想」そのものについて学ぶ機会はなく、倫理の授業でさえ著名な思想家と大まかな流れを知り覚えることが目的と化している。確かに私たちは教科書で、例えば18世紀イギリスの産業革命や同業組合ギルドの形成について歴史的事実は学んだ。しかし思い出す限りそこに“思想”という側面はわずかにもなかったように思う。ギルドの出現は知っていても、彼らが私たちとは同じ考え方をしていない、つまり価格や賃金は競争によって均衡するという概念がそもそもなかったという事実は大変衝撃的だった。これまで私は、当時の彼らは市場のメカニズムを認識していながらも自分たちの既得権益を守るために自由な競争に反抗していたのだと誤った理解をしてきた。これは私の想像力欠如による問題として片づけられる問題だろうか。
人間の営みの足跡である歴史を学ぶ上で、当時の人々の思想を除外して考えることはできないはずだ。どのような時代でも個人の思考、さらに当時の社会の思想があり、人々の行動はその思想に基づいているからだ。しかし私たちが過去から学び、現代を客観的に分析して未来に生かすためには、経済の仕組みだけでなく彼らの思想から学ぶ必要があるのだ。人の行動の前提となるものを知らずに、現代の置かれた状況を見極めることはできない。教育の目的が、国民を資本主義社会の「良き」労働者に育てあげることではなく、物事を自分の頭で考えられる賢い市民にすることにあるならば、思想を学ぶための教育は必須なのではないか。 |
僕がこの前の講義で話をした、「人間ってのは、思考を節約するために、常識というものを普通は使う」って話と通ずる話かね。
そうだな、文科省の無邪気さという話は、他にもあったな。
文科省は、自分たちが資金援助をした研究が、世の中にどのような影響をもたらしたのか分かっているのかね。事前に予測ができそうなものを・・・無邪気と言えばそれまでだが。 |
|
まぁな、先日君らの間で話題になっていたけど、こっちの世界にわたってきたら、話の合う友だちはどんどん減っていくわけだが、まぁ、それなりに楽しいもんだよ。そして、こわいことに後戻りはできなくなるもんだ(笑)。
分隊長は、次もみておきな。いまのような感じでやっていれば、まぁ、なとかなるさ。
|
5月2日 |
昨日話題になっていた次のシンポジウム。例年は冊子にしてなかったらしいんだけど、あの時は妙に面白かったらしく、後日予算がついてシンポジウム録を作ることになったわけだ。たしかに、記録しておいてくれたから、今も君たちが読むことができるわけでね。あの頃は8期、9期の頃かね、Gパン姿のきったないかっこうしてぞろぞろとシンポジウム会場に集まってきてたよ。といっても、あの日は超満員になって、予定していた会場ではぜんぜん足らなくなり、別室にモニターを設置して、別会場を準備。ぎりぎりにきた学生たちは、そっちに回っていたようで、僕の目の前にはいなかったけどね。
- 自治体病院全国大会2007「地域医療再生フォーラム」講演録
2007年11月7日開催
講演Ⅰ 「医療制度改革の方向」
国際基督教大学教養学部 教授 八代 尚宏 氏
講演Ⅱ 「医療崩壊をめぐる政治経済学-いま何が起こっているのか?」
慶應義塾大学商学部 教授 権丈 善一 氏
討 論
座 長: 熊坂義裕 岩手県・宮古市長
パネリスト: 八代尚宏 氏、権丈善一 氏 |
そして・・・
このシンポジウムが午前中に行われた2007年11月7日の夕方に、混合診療禁止は違憲という東京地裁の判決がでたわけだ。
そして、前日は混合診療の話で会場を含めた大勢から批判をされていた八代さんが、翌日の朝刊で、東京地裁の判決を「画期的判決」とコメントする。
上の文章に加筆しているように、もちろん、その後、混合診療禁止は合憲という高裁の判決がでるんだけどな。
僕にとって2007年11月7日というのは、なかなか記憶に残るスリルとサスペンスに満ちた一日だったわけだ。
昨日話に出てきていた次は、2006年のことだな。
そして、高山先生とは、遙か昔、2004年か。
その年の7月だな、次は。
もう、僕は隠居していいだろうと思うよ( ̄。 ̄ )ボソ...
それにしても、ゼミの4年生ともなると、こういう話がみんなで共有されているってのは、なかなかおもしろいもんだな。
本の話題にしても、学生たちがオルテガの『大衆の叛逆』の話とか、ウォルターリップマンの『世論』、あれは面白いとか翻訳が読みづらいとか話しているのを聞いていると、今の時代、一種、異様な世界だとは思うけどな(笑)。 |
5月1日 |
たしかに、書いてたな。。。
- アダムスミスといえば、経済学を学ぶうえで最初に出てくる名前で、たいてい一行で「アダムスミス 神の見えざる手」というふうに書かれていました。なので、アダムスミスが市場メカニズムを編み出したことは知っていても、それ以外の詳しいことは全く知りませんでした。なんなら、アダムスミスは女性だと思っていました。
おかげで、今日のBBQでは、「マダム・スミス」の話で盛り上がったよ。
うん、まぁ、社会に出る前に、僕の講義をとって、よかったよかった。
昔、ジョーン・ロビンソンって、あのおばあさんですよねっと、同意を求めてきた学生がいたけど・・・まぁ、なぁ、若いときもあったと思うけど、いつも目にする写真はたしかにおばあさんだな(T_T)トホホッ。 |
|
なるほどっ。いま届いたメールを読んで、5年近く前に書いた次を思い出したよ。
いま、届いたメールとは
-
Sent: Wednesday, April 30, 2014 7:14 PM
Subject: 悪乗り便乗(混合診療)
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/committee2/140327/interview0327.pdf
この日の会見録、面白いんですよね。たとえばメディファクスによる次の質問。
○記者 2点ほど質問がございます。1点目ですけれども、安全性がまだ確認さ
れていませんから、当然リスクはあると思います。何かがあった場合の補償の部
分をどうするのか。自己責任なのか。これが1点目。<略>
○岡議長 <略>1点目のところは、これからもう少し議論を詰める必要がある
と思いますけれども、基本的には医者と患者が十分な情報を共有した上で合意し
てやるわけですから、そこに診療に関する一種の契約が成立するわけであります
から、何かあったときには、一義的には当事者間の問題だろうと認識しておりま
す。
「何かあっても当事者間の問題」って、勇気がありすぎて、岩盤を守らんとする
厚労官僚にはちょっと言えないですねえ。世界最大部数紙や某経済紙は勿論、こ
うした認識を共有されていることなんでしょうね。 |
かもね。
・・・「世界最大部数紙」という点については、次をご参照あれ。
|
|
> 引き続き、権丈先生のHPを拝見して、勉強しています。
そうですかぁ。じゃぁ、先日、産経が主張していたことを紹介しておきましょうかね。タイトルからすれば、ちょっと変化球気味。
次なんかおもしろいですよ。タイトルからは直球ストレートだけど、コントロール悪いのかもね。
次なんかどうかな。
混合診療に関する昔からある説明の仕方に次のような説明が加わっているのがおもしろいところ。
- 「混合診療を広く認めると、例えば、効果がない自由診療とセットで、保険が適用される入院費や薬代で医者が稼(かせ)ぐこともできてしまう。患者に不利な治療が広がる恐(おそ)れがあるというんだ。」
「有効性については、患者が自己負担でお金を払っているのだから放っておいてもいいわけですね」(規制改革会議岡議長 3月27日会議議事録)と、これって当然ですよねっと、念をおされるような発言が規制改革会議ででてくるわけだから、まぁ、「効果がない自由診療とセットで・・・」という説明を加えなければならない時代になったんだろうね。
ちなみに、昨年5月にやった国家公務員初任行政研修の課題は、次。
- ○課題1 混合診療をどう思いますか? 【1班・2班】
○課題2 同じ現金給付を行う生活保護と年金、仕組みの違いと背景にある考え方の違いについてどう思いますか?【3班・4班】
○課題3 社会保険の一元化についてどう思いますか?【5班・6班】
今年も、時節柄、風物詩ものの混合診療はやりましょうかね。
昨年の初任行政研修で起こった年金破綻妄想事件?については、次の12頁あたりをご参照あれ。
|
4月30日 |
参考までに
|
|
|
4月25日 |
昨日の講義と関連する文章は、次。
次あたりの話にも飛んでいったかな。
|
4月23日 |
なるほどっ、たしかにそうだ(笑)。
-
権丈先生
混合診療を「風物詩」と呼んだのは、
週刊社会保障より、私の方が早かったはずです。昨年、HPに載せてもらいましたので(笑) |
2013年3月4日 |
|
4月22日 |
赤旗くんも季節ものとは、粋だねぇ。
去年は、一ヶ月早い3月だったか。まぁ、春の風物詩としては定着・・・?
この件に関する去年の国民会議の様子は、二木先生の表現によれば
|
4月21日 |
ほんっと、2003年の総選挙の際、2004年年金改革を前にして堪えきれずに「100年安心」という言葉を使ってしまった公明党の罪は重いね。
次でもどうぞ。
あの言葉を聞いたとき、年金に係わっている人たちの反応は2つに分かれたわけでね――「これで、年金は不幸な運命をたどることになるなっ」と予測した派と、「しめたっ」と思った派。後者の「しめたっ」と思った派にとっては、「100年安心はウソだったのか」と言えば、誰の目にも有利に立つことができるわけでね。実際のところ、100年安心という言葉はそういう使われ方しかされてこなかった(100年安心バカ参照)。
遠い将来について、今の制度を何も変える必要がないかのような誤解を与えてしまう「100年安心」という言葉が使われたのは実に残念なことだったわけで、04年年金改革という重大な局面で公明党が敵失を与えたこの言葉の罪は実に重かった。
まぁ、公明党への批判は、僕は、2009年5月の人生一度だけ出演したことのあるテレビ番組で行ってる。
そして、僕が公明党の100年安心という言葉を批判したら、当時の自民党幹事長の細田さんが同意。そうすると当時の民主党の幹事長は大絶叫。その時の様子は次。
言うまでもなく、公明党の「100年安心」よりも民主党の年金をめぐる政治戦略の方が無限大に大罪。
ここにいう今回の試算という話は、次をご参照あれ。
山井、長妻氏たちが指示したバカバカしい年金試算と、僕のテレビ出演は関係するわけで、そのあたりは
|
4月20日 |
たしかに、年中行事の風物詩ってとこだな。
-
記者の耳『週刊社会保障』2014年4月14日号 |
 |
この前話したように、保険外併用療養費制度と2004年年金改革は似ているところがあって、制度の理解が進むまでには時間がかかってはいるんだけど、いったん理解した人たちは、立場を問わず否定することは難しくなる。特に保険外併用療養費制度については、日本の製薬業界も保険業界も、これでいいと考えるようになっていく。まだまだ、一部の経済官僚や経済学者の間で保険外併用療養費制度の理解が滲透するまでには、時間を要するというところだろうかね。
その意味で、次の社説に、既に解禁されている一種の混合診療である「保険外併用療養費制度」という言葉が入っていないのは惜しい。「テルマエ・ロマエ」という呪文のような言葉も何度も見ていれば人は見慣れるようになるみたいだから、読者の理解力と記憶力に期待をしながら、なんとか「保険外併用療養費制度」という呪文、おまじないのような言葉を潜り込ませておいてほしかったかな。。。まぁ、この制度は一言では説明できない話だから、新聞の文字数制約という厳しい条件下では難しいことは分かるけどね。
参考までに
でもまぁ、これからも風物詩ではあり続けるんだろうな。混合診療が季語になったりして。。。
次は、僕が少し真面目な文体で書いた文章・・・
政策形成空間と時間の有限性を考えれば、こんな年中行事が定着して、作用・反作用の結果プラマイゼロに落ち着くために、反作用側に立つ人たちの多くのマンパワーが投入されるのは実に惜しいことなんだけど、民主主義の運営コストとして諦めるしかないのかね。 |
|
ついつい、全部読んでしまったよ。社会保障協定の話まで入っているところなんか、渋い(笑)
|
4月19日 |
昨日の話な。保険者が参加した国民会議で、レセプトデータを用いることへの期待が最高潮に盛り上がっている雰囲気の中での遠藤先生の発言。
-
第8回 社会保障制度改革国民会議議事録 (4月4日) |
○遠藤委員 ただいまの永井委員と大島委員のおっしゃっているようなことに
ついては私も賛成でありまして、保険者機能、いろいろなことが考えられる
わけでありますけれども、広い意味での健康増進との関係あるいは医療とア
ウトカムとの関係を何らかの形で大量のデータの中から導き出していくとい
うことの一番アクセスができやすいのは保険者だと思いますので、そういう
努力をされることは非常に重要だと思っております。
しかも主病名も、いわゆる保険診断名というようなものもあり、本当のと
ころがどうなのかという、そういう限られたデータだけになりますので、そ
れはまた別のデータとの関連をするとか、まさに医療機関とか研究機関との
ジョイントというお話もありましたけれども、それをやらないと非常に不完
全なものしかできない。せいぜい急性期、入院医療のDPCですと、そのデータ
もアップコーディングが可能という説もありますけれども、ある程度信頼性
が診断名として正しいということであれば、あれを特定の疾患ごとに病院別
に分けるなどということは、やろうと思えばできないことではないと思いま
す。これは恐らく厚労省がやれると思うのですが、全部把握していると思い
ますので。そういうレベルの話ぐらいしかできないのではないかと思ったの
です。保険者の皆さん、レセプトデータを利用する場合の制約ということに
ついていかがですか。私は余り細かいことはよくわからないのですけれども、
どこまで実現可能なのかな、という印象です。 |
遠藤先生が言わなかったら僕が言っていたかも知れない内容だな。だから、明確に記憶している。
先週のフォーラムでも話したように、まわりはみんなでインセンティブ、インセンティブと言うけれど、長年健保の理事をやっている立場からすれば、手段を持っていないのにインセンティブだけ強化されても、ストレスが高まるだけになる。
そして昨日も話したように、本当に保険者機能を発揮したいというのであれば・・・そのデザインは、国民会議の報告書に書いてあるということになる。その点をみんなが理解できないのは、報告書では保険者に関する既存の制度を前提にしてはいないからだろうな。あの報告書は、保険者機能の強化をはかるアイデアのもとに書かれている。 |
|
これもな。
- 自治体病院全国大会2007「地域医療再生フォーラム」講演録
2007年11月7日開催
講演Ⅰ 「医療制度改革の方向」
国際基督教大学教養学部 教授 八代 尚宏 氏
講演Ⅱ 「医療崩壊をめぐる政治経済学-いま何が起こっているのか?」
慶應義塾大学商学部 教授 権丈 善一 氏
討 論
座 長: 熊坂義裕 岩手県・宮古市長
パネリスト: 八代尚宏 氏、権丈善一 氏 |
あの頃、ゼミの学生がシンポジウムや学会や講演会に顔を出していて、「先生、学会って、K1よりもおもしろいですね」と言っていた・・・アホか。
京都や大分や高知や長野まで、なぜだか、みんなついてきていたな。。。深夜バスで移動して、講演で野宿したりもしていたようだが。
当時、こういうのを書いているな。
|
|
次だな。
左のコンテンツにある雑誌新聞等を歯科で検索すると、いくつか出てきます。
|
4月17日 |
今日の話の参考文献
僕の本は、リザーブブックとして旧図書館に配架されているので、赤煉瓦の旧図書館で、よほど暇をもてあましたら暇つぶしにのんびりと読んでおきな。
at+の論文「政策技術学としての経済学を求めて」は、もう少し後にしよう。
次もかな。
・・・そうなんだよ。三田ITCという言葉を何十年も使っていたからか、医療情報の話をするときに、時々、ITCだったかICTだったか分からなくなるんだよな。 |
4月10日 |
アル・パチーノが若きアンディ・ガルシアに言う。
Never hate your enemies, it affects your judgement.
30代で次を書いてるね。先日も言ったように、今読み返すと、あの本は、思いっきり生意気な本だな(笑)――(第2版刊行にあたってもご参照あれ)。
昨年の講演では次の表現。
こうした姿勢を傍からながめると、次のように映るのかも知れません。
-
『再分配政策の政治経済学Ⅱ』へのブックレビュー |
・・・
年金破綻論者の本には参考文献に一切、権丈らの本は出てこない。だから、間違いを平然と繰り返せるのだろう(笑)(笑)
一方で本書は破綻論者の文献も当然出てくる。
・・・ |
まぁ、思い込みグループの特徴は、仲間内のものしか参考文献にないというところだな。
思い込みグループについては、次を。
先日送ったメール
- 堀先生は、向こう岸の人たちの論を、昔から、ほんとよく読まれてたよ。
ああいう姿勢は、偉いもんだと思うよ。読むと不愉快になるに決まっているんだからね。
|
4月9日 |
これだね。
そして、次。
|
4月5日 |
ふかいねぇ、おにぃさん。毎日、こんなこと考えてるのかな(笑)。
-
・・・
まったく関係ないですけど、今日(4日)の朝日夕刊の4コマ漫画がちょっと良かったです(天才・しりあがり寿の『地球防衛軍のヒトビト』)。
積立方式論議で指摘される「財やサービスは積み立てられない」という真理に、少しだけ似ているような。
完全なアナロジーじゃありませんけど。
ちなみに、次のような展開でした。
(1コマ目)♀「お昼ゴハン行かないの?」
(2コマ目)♂「食べない」
(3コマ目)♀「つい数日前はあんなに食べてたのに」
(4コマ目)♂「消費税が上がる前に食いだめしたんだよ」
♀「アホか…」 |
|
|
参考までに。
- Sent: Sunday, March 23, 2014 12:14 PM
Subject: RE: 財政検証と積立金運用
お疲れ様(笑)
今回の財政検証=「前回の財政検証+2008年国民会議年金シミュレーション=2013年国民会議の延長」の意味合いを持っています。
この財政検証をきっかけにやりたいことは、次に挙げるように具体的にはいくつかある。
・・・
財政検証後、速やかに法律改正につなげるために、6月の財政検証を利用する。
そのための準備は国民会議の段階から着実に進んでいる。
しかしながら、上述の真っ当なことをやるだけの体力を、今の年金が持っているのか。
心配しているところは、そこ。
被用者年金一元化という真っ当な政策さえできないくらいに、2007年当時の年金は体力が落ちていた。
財政検証後にバカバカしい盛り上がりをして体力が削がれたら、これまでのように、いま、年金がやらなければならない改革ができなくなってしまう。
ここは慎重に事を運ばなければならないところ。
ただ、前回の財政検証でもそうですが、大切なことは定量的な分析ではなく、上述の改革が示唆されるように定性的な問題を可視化すること。その意味で、今回のような目くらましのようにバラエティに富んだ前提の置き方でいくのは、ひとつの手法。十分に定性的な問題の可視化はできるから。日経的に「前提に幅を持たせると分かりにくくなる」と批判されるかも知れないけど、「将来をはっきりさせる」なんてできもしないしやってはいけないことは避け、定量的な結果は分かりにくくして、年内に着手するべき制度改正の体力を温存しておくことは大切だろうね。
次も参考までに
|
4月3日 |
まぁ、日本的と言えば日本的なんだろうな、バカバカしい日本人らしさだけどな。
|
4月2日 |
まぁ、自然の法則だろうな。僕は、「ああ言えばこう言うの法則」と呼んでいるけどね。
僕らはこれまで何人もその様子を観察してきたわけだけど、「未納が増えれば年金が破綻する!」という論の間違えを指摘された人たちは、一夜にして論点を変える。次の81頁が、そうした法則をうまく描いてくれていますね。
そんなこんなで、次のような、外堀を埋めるという話になるわけです。
後は放っておく。
次、ご参考までに。
|
4月1日 |
エイプリルフールのおもしろ企画としては、おもしろすぎるよ(笑)、朝日新聞。。。
次と読み比べてごらん。
松浦記者の記事に関しては、次を参照あれ。
なんというか、世の中には、僕が思い込みグループと呼んでいる人たちがいるわけでね。彼らは、ここ10年ほどの年金論の推移を学ぼうとはせずに、いまだに懐かしい間違いを続けている。その原因は、人間の深層心理、認知的不協和あたりにあるんだろうという話は次。
この心理作用ゆえに、どうしてもバカの壁が築かれ、その壁が正確な情報が向こう岸に届くのをブロックする。
ちなみに、思い込みグループについては
|
3月20日 |
積極的賦課方式論という言葉は、次が初出です。
と言っても、そのメリット、デメリット、特にデメリットを周知徹底させた上で、積立方式の年金である国民年金基金や企業年金を、適正に位置づけて活用していくことも、否定しているわけではないんでね。そしてそう考えている人は、かなりいると思う。
下記、2008年の夏、積立方式の国民年金基金を相対的に位置づけた資料を作ってきた年金局を、誉めた日の発言。
-
08/07/02 第10回社会保障審議会年金部会議事録 |
○権丈委員 私、この年金部会に出席し続けて、今日の無年金・低年金等に関する関連資料が今までで一番意味があるんではないかと思っているんです。非常によくまとめられていて、世の中で誤解されて いるところがこの中にあります。しばしば、国民的議論というものに何の意味があるん
だろうと思っていたんですけれども、国民的議論というのは国民に制度を勉強してもらうという意味があるんですね。そういう意味で、これは非常に価値のある資料だと思います。
例えば、初めの方で、「無年金者が低年金者に限らない」ということはやはり重要なこと でして、無年金者がそのまま生活保護の受給者になるかどうかということを考えていく上では非常に重要なところで、その辺りのところも入っております。・・・よく報告書などでは検討すべきだとか考えるべきであるという言葉が使われ るのですけど、考えればどうにかなる問題と考えてもどうにもならない問題というのが世の中にはあり、ここでの最低所得保障と就労インセンティブの問題は考えても解を見出すのは不可能に近いという意味で、私たちは難しいと言っているわけです。現在の低所得高齢者に加算を行う改革時に保険料をまじめに払ってきた人が不公平感を抱く、そ
の不公平感という表現は、実は将来的に納付インセンティブを削ぐ制度につながってい くということになるわけです。
ただ、この前の議論のところでは、無年金・低年金者がなぜ発生するのかというよう な議論が余り詰められていなかったので、いろんな意見が出てきたと思います。ですか ら、この問題に答えを出す前に、第8回年金部会で配付された説明資料の無年金・低年金の状況についての知識を国民が広く共有する必要があると思う。例えば、繰上げ受給をしているために年金額が低くなっている人を低年金者と呼んでいいのかという問題と
か、そういうものがあります。
社会保障の授業が大学にあるんですが、なぜ授業があるかというと、みんなが知らないからなんですね。私は普通の人が知らないこと、世の中の人が誤解していることを、
専門家の視点から学生に教えているんですが、今日配布された資料の中には、わたくし が教えている授業の内容と重複するものが随分入っておりますので、私は今日の報告は非常にためになるといいますか、意味があると同時に、私の授業の中身が消えていく話になっていくんですけれども、そういう内容の濃さがあると思っております。
そして、資料1の34ページに「国民年金に所得比例制を導入する場合に考えられる制 度類型と主な論点」というのがあるんですが、ここは、いろんな人たちが言っているこ とを、この案はここに当てはまります、この案はここに当てはまりますと、全部網羅し ていると思いますので、そういう形で、いずれまた御検討いただければと思います。
そして、このデメリットみたいなところを、現在の国民年金が問題を持っていますと いう形で、1個だけを、例えばだれかが口にすると、そこだけを取り上げてメディアは
発していくんです。だけれども、ある研究者のその国民年金批判の発言は、3つぐらい の選択肢の中の、この中に位置しますよというふうに相体的に見ることができれば、メ
リット、デメリットを相対的に見ることができれば、専門家でもない普通のひとでも研 究者たちの発言を比較検討することができるので、ここのページは私は非常に重要なペ
ージだと思います。 私は、この前、今までの年金に対する制度の説明の仕方が余りにも下手過ぎた、それ が今の年金の大きな混乱をもたらしているというふうな文章を書いたんですけれども、
今日の報告を見まして、年金局の説明力、プレゼンテーション能力も随分改善されてきているんではないかと思いました。どうもありがとうございました。
|
 |
|
3月27日 |
先ほど届きました。ありがとうございます。
ちょうど、去年の今日3月27日の4時からが、上述の僕の報告書でも多く紹介している、医療団体の会長たちが参加しての会議でしたね。
そして、4月19日は1時半から6時までの4時間半の会議。
今考えると、3月はじめから8月まで、あり得ない日々の連続だった。
報告書の最後の仕上げは、7月30ー8月1日というゼミの合宿先だったたわけでね。そんなこと、君たち学生は何も知るまい(笑)。
と言っても、さすがに8月1日は朝の5時半にイエスタデーを出たわけで、
あの時見送ってくれたのはいはら一人だったような記憶が。。。( ̄。 ̄ )ボソ...
その8月1日の夕方は教育検討会の教材作成PTで、その後が、報告書の記者レクだな。
らしくなく、ちょいと働いた数ヶ月だったような。 |
|
ありがとうございます。この本をテキストに指定することができるおかげで、制度の話は『はじめての社会保障』にお任せして、僕はすきなことをしゃべるという講義ができます。
たとえば、春の講義(シラバス)
11版では、国民会議の話などを書き込んでいただき、一層、僕の雑談とのつながりがましまして、感謝です。。。 |
3月26日 |
BBQって、別にお昼ご飯じゃないから12時に合わせる必要はないぞ。。。
分隊長は10時から日吉で院の入学式みたいだし、遅参の可能性のある棒持参さんもいるみたいだから、少しずらしたらどうかな。 |
|
今週のロンドンエコノミストの追悼文は、イギリスの政治家Tony Benn。
ご参考までに。
次もどうかな。
|
|
いかん。その時期こそ、どんぴしゃだな。遊び担当は早く動いた方がいいかもな――時既に・・・かもしれぬ
|
3月24日 |
今週の『週刊東洋経済』の「経済超入門」。年金は4頁も頂戴して果報者――「年金の支給開始年齢 引上げは必要なの?」
一週間経ったので
|
3月21日 |
これだ。分隊長が戻ってきてからがいいだろうな。BBQの場所は桜があるところじゃないし、寒いのは苦手だし
|
3月20日 |
だね
そのシーンを、なぜだか僕は、次の研究会の傍聴席で聞いていたよ。
年金はなぁ・・・先日のやりとり
- 本日は突然ですが、ご寄稿のお願いで書かせていただいております。
・・・
テーマとしては、例えば「年金改革に関する一試論」というように、
年金改革についてのあるべき姿などを、自由にかつ大胆に展開
していただけるとありがたいと思っております。
> メール拝受いたしました。
> 年金は、もうあんまり語ることがないから、見合わせていただきますね。
> ご連絡ありがとうございました。
やる気がなくて、申し訳ないです。
そう言えば、昨年5月の年金数理人会での講演録ができていました。
|
3月19日 |
なるほど
|
3月18日 |
今日はお疲れさん。そしてようこそ。
|
3月17日 |
- 経済を見る眼「この人民ありてこの政治あるなり」『週刊東洋経済』本日発売
1日は24時間。この制約が万人に等しく課せられている。この下で有権者は公共政策を理解するのにどれほどの時間を投じるだろうか。多くの時間を費やしても、彼が持つのはただの一票。24時間を自由に使ってよい時、投下時間に見合うリターンのある有効な使い方をしたくなるのは人情である。
普通の人は毎日が忙しい。大切なことは複雑でもあるため、政策を詳しく知ることよりも無知のままでいることを合理的に選択する傾向も出てこよう。こうした状況を政治経済学の世界では「投票者の合理的無知」と呼ぶ。・・・ |
|
|
なるほどね
- しかし、私も不明を恥じるわけですが、支給開始年齢の引き上げは給付抑制ではない、というのは、最近になって理解されるようになった話じゃないですか? 2004年改革から10年も経つのに、その間ずっと「将来世代の給付をできるだけ厚くするために、引き上げは避けて通れない」みたいなこと、私も書いていたし、ほとんどの人がそう思っていたような…。 一体改革で中長期的課題と位置づけられたときにも、そんな認識だったかと。
の後段にある、「将来世代の給付をできるだけ厚くするために、引き上げは避けて通れない」な。
僕も、次の文章あたりでは、おもいっきりそう考えていたみたいです。
この文章についての反省点はまず、繰上げ繰下げ受給制度があるのに、この段階でも「支給開始年齢」という言葉を使っていること。次に、旧来型の支給開始年齢(at
the same monthly pension)なるもの?を65歳以上に引上げ(現実には、繰上げ繰下げ受給制度があるのだから、65歳受給を選択する人にとっては単なる給付水準の引下げ)に成功しても、間に合わないんだよな。 何の目的を達成するために間に合わないのかは、各自考えてみよう。
そんなこんなで、「将来世代の給付をできるだけ厚くするために、引き上げは避けて通れない」というようなことを僕は言わなくなっていくわけです。でもまぁ、繰上げ繰下げ受給制度を廃止しないのならば、「将来世代の給付をできるだけ厚くするために、支給開始年齢の引き上げは避けて通れない」⇒「将来世代の給付をできるだけ厚くするために、給付水準の引下げは避けて通れない」ということだと思う。でも後者は、比較的すぐにできるけど、前者をやるには時間を要する。
今現在の高い給付水準を薄くして、しかも重要なことは既裁定年金にも影響を与えることができて、将来世代の給付を厚くするためには、いかなる政策を選択するべきか。そのあたりを、ダイレクトに考えた方がいいと思うけどね。僕は次のように表現しています。
- 「支給開始年齢まわりの年金考」『週刊東洋経済』2013年10月26日号
前者の政策は、現在、法定よりも高い特例水準にある年金を本来水準に戻して、後世代の給付水準を高めることで既に採用されている。また、マクロ経済スライドを早期に適用したり、効果は小さいが現在の支給開始年齢引上げペースを速めたりすることもこの政策の応用である。
昨日も喫茶店で話していたように、僕らほど、将来世代の年金給付水準を十分なものとするために何をすべきかを考え、提案し続けているのはいないんだけどね。一方で、負担給付比率なんて指標は、それを計算する研究者と同様、百害あって一利なしと言う。こうしたスタンスは、僕らの中では、まったく矛盾しないんだけど、世の中の人には分からないだろうね。 |
3月15日 |
今朝は、懐かしい話が朝日新聞にありましたね。
-
集まる保険料が減って、高齢者に払う年金の原資が足りなくなった分は、厚生年金や共済年金から穴埋めする仕組みになっている。このままでは国民年金だけでなく、厚生年金、共済年金も共倒れになりかねない。 |
それは間違いですよということを世の中に理解してもらうのに、どれほど長い道のりが必要だったことか。
まぁ、記者の一部がいまだに間違えていて、それが記者のコラムとして紙面にでてくるということは、世の愛嬌のひとつというところでしょうけど、みんなが、未納が増えると年金が破綻するという話を信じていた頃は、まぁ、大変だったもんだ。 |
|
先日は、人の報告中にパソコンを出して資料を探し始めて申し訳なかったです。すぐにみつかると思ったのですが、あの場でみつけるの無理でした。ようやく発見?しました。
-
平成20年11月12日(水)10時~12時
配付資料 参考資料の23頁 |
参考までに(議事録) ○宮武委員 焦点は恐らく保険料軽減支援制度ということで、余りお触れになる方が少ないので、
私は次回が出席できませんので、今日申し上げます。
保険料軽減支援制度を考えるときに、参考資料の23ページで1号の被保険者の内訳が書いて
あって、現実に何とかお払いになってはいるんですけれども、所得状況で見ればまともに保険料
を払うべき人は2割しかいないわけです。それでも、あえて、この制度を導入して、被保険者が、
この所得段階で支払い能力を判断されれば、全体の2割程度しか正規の保険料を払わないことに
なる。クロヨン問題というものはやはり大変な問題で、実際に制度設計をするときには極めて難
しい問題が出てくるだろうということが素人でもわかります。
|
|
3月14日 |
先日、フィージビリティを問う議論の仕方を話したけど、この問題は難しくって、相手が、「いや、できる」と言い続ければ、永遠に水掛け論のままでいるんですよね。ここが、実験ができない社会科学の世界、政策論の世界の厄介さで。大方、やらせてみて失敗が明らかになるまで決着がつかない。
そこで、2008年の国民会議の年金シミュレーションのように、試算結果を見た人たち自身に判断してもらうという手法が生まれます。あの試算の後も、年金の抜本改革ができると言ってきた人は言うことを変えませんでした。でも、試算結果を見た人たちは、さすがにこれは無理だろうと判断して、彼らに同調しなくなり、しだいにしずまっていった。外堀が埋められていったわけです。
このあたりが、国民会議報告書の年金のところにある次の文章が対応しています。
考えるための材料は提供するから、フィージビリティがあるかどうかは、みんな自分で考えてくださいという姿勢です。
むかし、僕は、政策ってのは強い権力があればなんだってできるじゃないかと思って、しばらく権力論のことばかりやってました。強い権力を持っていればフィージビリティは高まるわけですが、さすがにこの民主主義の下では、たとえば運用3号でみせた「割り切り」を、社会は彼らに許さなかったわけでね。 |
|
|
3月11日 |
僕らは、前回の財政検証から、主に次の2つの事実を読み取り、その後5年ほどかけて次なる制度改革に向けて働きかけてきたわけで、そうした働きかけの成果は、今や確実に表れてきていると思う。前回の財政検証は、想定された経済社会状況では顕在化することになる今の制度が抱える次の2つの問題を可視化したという点で、意味があったと思うけどね。
要は、君が、こっち側の岸で生きていくか、それとも対岸で生きていくか、どっちを選択するかということだな。
現世御利益を求めたいのならば、向こう岸の住民になることをおすすめする。こっち側は地味で、メディアさんたちもあんまり注目しない。
ただし、向こう側も少しは意味のある年金の話をしてくれればいいんだが、どうしてああいつも間違えが含まれた話をしているのか、不思議なところだ。その理由として僕が言っているのは、彼らは敵を憎みすぎだよということです。次の7頁あたりにそういう話があります。
参考までに
医療に関しても、現世御利益のある研究とそうでない研究という話を、10年前に書いていますね。
|
3月7日 |
まぁ、なぁ。
年金の積立金って、ないよりはあった方がいいけど、積立金の運用利回りの話ばっかりで盛り上がるってのも、エネルギーのムダ遣いだと思うし、あんまりかっこよくないな。
話をややこしくしているのが、次をみて、えっ、100年後に年金は破綻するんだぁと考える人もいることかもな。
でも、次をみれば分かるように、積立金が全然ない状況でも、年金はまったくなくなってしまうわけではない。
この国の年金は、別に積立方式じゃないし。
このあたりは、次の16頁から25頁あたりにあるからみておきな。
それに、積立金の運用利回りが、想定された値と比べて高いだの低いだのを議論したって、ほとんど意味ないぞ。それと、賃金の伸び率の高低を賃金伸び率単体で議論しても意味がない。年金財政で重要なのは、賃金上昇率と利回りの差であってね。このあたりは、積立金をちょいと抱えている賦課方式年金を理解する上でのポイントなわけで、そこのあたりを分かっていない論者がほとんど、いや、分かっているのがほんのわずか。そのあたりは、2月6日に少しふれてるけどね。
でもまぁ、多くの年金論者をはじめとして、普通の人には難しいっと言えば難しいのかもしれない。
そのことが雑誌なんかで紹介されているのは、次の中にくらいしかないんじゃないかな。
この記事は、国民会議のHPにもアップしてもらったけど、こういう解説が書かれている記事は、これしかないわけでね。
そう言えば、先日、傍聴席方面から、次の連絡が届いてました。
「100年安心バカ」という言葉――やっぱりこれをタイトルとした文章を書いておこうかね(笑)。(2月13日①・②参照)
- 今日また某新聞で100年安心バカが登場しましたね。
昨日の経済前提と運用の専門委員会は、なんというか見ていて大変イライラさせられるものでした。間違った意見が間違った意見としてきちんとつぶされるような環境が無いと、ただ声が大きい人が勝つ、生産性の極めて低い会議になってしまいます。まさに昨日はそんな会議でした。
でもまぁ、世の中ってのは、そんなもんだよ。僕は、それを民主主義の法則と呼んでます。
- 2月3日 間違えだろうが大きな声で繰り返し言いつづけた者が勝ちという民主主義の法則通りに・・・
おまけです――数日前に送ったメール
- 国民会議の時、僕の論が民主党推薦の年金論者に向けられていたときに、まわりから、「前回でもう勝負はついています。武士の情けです。我慢して下さい」と説得されていました。
その時に僕が説得を試みる彼らに、「相手が道義が分かる武士の場合とそうでない場合では、対応は違うだろうな」と言って紹介していたのは次の魯迅の言葉です。
話にきくと、勇敢な拳闘士は・・・
このあたりは、2月4日の書き込みもどうかな。
それで、次を読み返してみたんだけど、2009年当時はまだ、僕は支給開始年齢の話で間違えているね。「今予定されている支給開始年齢の引き上げスピードをはやめる」と言えば間違いではないんだけど、やっぱりあの頃、支給開始年齢の制度設計を2004年改革の前でやるか後でやるかで、意味が変わってしまうことに気づいていなかったのだと思います――大いなる反省。
まぁ、この点に関しては、みんな次のような感じだろうな
- しかし、私も不明を恥じるわけですが、支給開始年齢の引き上げは給付抑制ではない、というのは、最近になって理解されるようになった話じゃないですか? 2004年改革から10年も経つのに、その間ずっと「将来世代の給付をできるだけ厚くするために、引き上げは避けて通れない」みたいなこと、私も書いていたし、ほとんどの人がそう思っていたような…。 一体改革で中長期的課題と位置づけられたときにも、そんな認識だったかと。
そのあたりを含めた言葉が2月4日の僕の言葉
- 学者の責任は一番大きいことは確かで、学者といえども、所詮は人間。
その人間には、賦課方式と、保険料固定方式のふたつを理解するのに、相当に時間がかかったわけです。
ようやくちゃんとものを考えている者の間では、賦課方式は50年くらいかけて、保険料固定方式は10年くらいかけて、理解が落ち着いてきたわけですが、勉強しない、考えないグループは、いまだ、昔のままの議論を続けている。
自分のことを反省すれば、次の2012年7月段階の座談会では、ほぼ今の認識に至っている。「ほぼ」というのは、繰上げ・繰下げ受給制度が存在することの重要性を、今の認識ほどには組み込まれていないという意味。
しかし、次では(2011年1月)、保険料固定方式の意味の理解に曖昧さが残っているな。マクロ経済スライドの早期適用等の今の高い所得代替率の引下げ策と、ある年齢以上の支給開始年齢を強制的に一律引上げる話、しかも2004年以前に計画されたものと、それ以後に計画されるものとの違いの説明などがあまりできていない。
|
3月6日 |
先日の話題はこれですね。 |
3月4日 |
大和の話に登場させて頂いて光栄であります、はい。 |
3月2日 |
出口さんが、一番前に座られていた時の講演でした。 |
2月28日 |
ほほぅっ、去年の11月にネイビーヤードに行ったの? 楽しそうな仕事だねぇ。記事もおもしろすぎる。
おもしろすぎるという言葉は、2日前に送ったメールでも使っていたな。
-
昨日、大学のメールボックスに出口さんからの謹呈本『仕事に効く教養としての世界史』が入っていたので、今日はそれを読んでいたんだけど、これがまたおもしろすぎる。一気に読了。
http://www.amazon.co.jp/dp/4396614837
こういう知識を持っている人、こういう本を書くことができる人が、年金の話などに係わられると、すぐに理解できるわけで、出口さんには次のような文章もあります。
わずか4枚で年金問題の本質を見事喝破――ニコラス・バー教授の最強パワーポイント資料
今は、出口さんは年金部会のメンバーなわけで、これは名人事ですね。
社会保障、特に年金は、年金単体の知識よりも、雑学、人間学?全般の知識、まぁ一言で言えば教養の方がはるかに役に立つみたいなんだよな。そして、共通の見解に到達するのがマスマティシャン。興味深いところです。 |
あとがきの次もいい。
ゼミの中で長い間眠っていた養成所を、来年度は復活するかね。
参考までに――出口さんとの鼎談
この鼎談のなかの出口さん司会で、僕がちょっと驚いたのは、出口さんの次の言葉。
-
もう一つ、こういう報告書というのは、やっぱり国民の中にあるさまざまな誤解を解く、俗説ではそう言われているけど、本当はこうなんだと明らかにする役割も非常に大きい気がします。 |
僕がよく使う、「向こう岸とこっち側」の言葉を使えば、こっち側の岸で生きている人からしか出てこない言葉で、鼎談の最中に少し嬉しくなった次第。
付録――最近書いた歴史に触れた文章
|
|
いやいや、次の文章は、運用3号という話で書いている文章。
次の25-26頁でも触れてるよ。
|
2月26日 |
昨日、「学者・研究者に責任をとらせないのは、油虫扱いしてるってことだ。世の中が学者を人として一人前扱いしてないってことだ」と言ったけど、油虫って、思いっきり放言なんだな。。。福岡では、鬼ごっこで鬼にならない特別なルールが適用される子のこと――お兄ちゃんの遊びについて行った弟が、お兄ちゃん達の鬼ごっこに参加させてもらったりした際に適用されたりするルール。昨年の6月23日には、次を書いているな。
-
先週話したように、どこぞの政党がこうなってしまったのは、彼らが頼った研究者のレベルが低すぎたことにも原因がある。
むしろあの政党は、山師たちにダマされた投機家のような犠牲者という見方もできる。もっとも、負け太った論者達が責任をとらされることがないのは、いわゆる研究者たちの常 |
次参照あれ。
|
2月25日 |
そうか、君たちは知らない話だな。
大震災前夜の次の頁のまま、僕のホームページは、一ヶ月ほど更新はなし。
それをみていた人たちの間で、僕が病気だという噂が流れていたという状況だったわけだ。
|
2月24日 |
峰崎直樹元財務副大臣から毎週送られてくる「チャランケ通信」の今週52号に、「この通信は、どなたにでも転送されても歓迎しております」と書かれていたので、次の3頁に前51号の「チャランケ通信」の文章を追記。
参考までに、4年半前の対論を
ゼミでは話したことだな。
一昨年だったか、元厚労大臣から、「意見交換を」という件名のメールが届く。
交換という言葉の意味が分かっていないなと、即刻、迷惑メール行き。
君たちには、無礼なメールをだすんじゃないぞっと、話したことだな。
次も、みておきな。
次もかな。
次もどうだ。民主主義とは、そういうもんだ。
|
2月23日 |
|
2月22日 |
ネーミングについては、昨年の10月26日にありますね。そこで、2006年に書いた文章を紹介しています。
昔々、気位の高さのせいかどうかはわかりませんが、医療界は「消費」という言葉を使うことも許さなかったわけでして、そうした状況が診療報酬というネーミングと関係しているのかもしれません。当時、診療費用とネーミングしたら医師会が許さなかったのではないでしょか。
どこか、消費税の非課税の話と通じるところがある話かもしれません。 |
2月19日 |
|
2月14日 |
|
|
あぁ、なるほど。
2月4日に書いた、次が、勘違いされた方向で解釈されたわけだな、たぶん。
- 国民会議の報告書が出た昨年の8月段階での記者への説明で、意味がよく分からないと手をあげて質問をするのは理解できないわけではない。しかし、あれから半年経ってもなお、2004年改革以前には成立した支給開始年齢と同じ話を繰り返しているのは・・・
もしかして、8月1日の6時からの記者レクの後、手をあげて度山さんに質問してたっけ?
確かにあの部屋の一番後ろに僕はいたわけだけど、そういうことは僕には記憶がないわけで、僕が書いているのは、8月19日に、清家先生が記者クラブかどこかで説明・講演をした後に、日経の論説委員が手を上げて支給開始年齢の質問した話。 |
2月13日 |
イエス、百年安心バカのひとりは、知事になったりもしているよ(笑)。まぁ、世の中、そんなもんだ。
最近都知事になった人は、次の文章の中の厚労相。彼が大臣の時に、霞ヶ関はみんなで、過去の公文書や国会議事録などを調べたらしい。そうしたら、誰も使っていなかったということが分かったとのこと。
国会で、この年金は百年安心なのか?と厚労大臣は、何度も問われるシーンがあったようだが、たとえば次。
-
平成21年3月31日 於 衆議院本会議
○国務大臣(舛添要一君) 長妻議員から、まず、年金制度は百年安心なのかとお尋ねがございました。
政府といたしましては、百年安心とうたったことはありませんが、年金制度については、アメリカなどの諸外国においても七十五年等の長期にわたる財政見通しのもとに運営されており、平成十六年改正により、おおむね百年程度を見通しとして、長期的な給付と負担の均衡が維持する仕組みとするように定められたところです。 |
次のようなシーンもある。
-
平成21年4月15日 於 厚生労働委員会 ○山井委員 大臣、何のために、五年前にこの議論をしたか。五年ごとにやっていって急に保険料が上がる、支給年齢が上がる、自己負担が上がる、年金が下がるでは不安で仕方ないから、百年安心なプランをつくると言ったのはあなた方じゃないですか。それを、今になって五年ごとに考える。
では、舛添大臣、百年安心だということはもう言えないということはお認めになりますか。それとも、まだ百年安心なんですか、このプランで。
○舛添国務大臣 まず、五年ごと、五年後になったときにどういうパラメーターを使ってやるのかというのは、これはもう全部変わってきますから、今から五年先のことをどうというのは言えませんよ。だって、二年前にリーマン・ブラザーズのショックがあるなんてだれも思っていないわけですから、そういうことも含めて。・・・ |
まぁ、国会でこういうバカな質問をしている議員がいるわけだが、国会議員になれなかった方が、幸せな人生を歩めたかもしれないという話かもな。 |
|
次回の毎日新聞コラムは、「百年安心バカ」というタイトルで、「百年安心と高らかにうたわれた年金が!」という枕を置いて、自分の年金攻撃の文章をはじめるバカ達の話を書こうと思ったんだけど、少し、年金周りで他の動きがでてきたので、別物にすることにした。少し残念。
百年安心という言葉については、次のコラムで少し触れています。だいたいもって、百年安心なんて言葉は、年金は破綻している、抜本改革が必要だと言う、あっちがわの岸にいる人たちしか使っていないよ。
僕が一度だけ出たテレビでは、年金を語るのに百年安心という言葉を使って年金を守る側も、攻撃する側も、両方とも、彼らの話をまともに聞く必要はないと発言していたわけだが、前者は、だいたいもって昔からいない。選挙の際にこらえきれずに使ってしまった公明党も、すぐにしまったと思って引っ込めているわけでね。ということで、年金について、百年安心という言葉を使う者がいたら、「出たぁぁぁ、百年安心バカっ!」と思っておいてよし。
次は、テレビに出演した後に書いた文章。
|
2月12日 |
いずれ日経紙面に出てくるだろう、昨日のネット有料会員限定記事「霞ヶ関エックス線」(大林尚記者)は、次の2つのグラフとセットにして見ておいた方がいいかもな。
それにしても、ああいう大々的に紹介されるとは、前スウェーデン大使もびっくりだろうな、うん。
前スウェーデン大使が登場する文章としては、次がある。
年金局長として、次の脚注1にもご登場だね。
|
2月11日 |
これだよ。桝添さんが厚生労働大臣だった最後の日で、翌9月16日、次の厚労大臣が就任。
厚労省が、この日に間に合うようにがんばってくれたであろうことがよく分かります。どもな。
ちなみに、平成21年8月30日、総選挙
その夜
総選挙の直前8月26日に、民主党支持の県医師会、茨城で講演を行っているな。
直前には、後に「静かなる革命戦士」という言葉を使い始めるもととなる次を書いている。
総選挙の直後に、臼杵に遊びに行ってるな。そのことを、2年後の2011年10月に、臼杵で話をしている。
あの時、福岡に出向していたPも臼杵に一緒に来て、ふたりでレンタカーを借りて、山並ハイウェーを走って、福岡に帰ったわけだ。 |
|
ある人から先週
- そういえば、「前提が甘い!」と言っている人の中で、賃金と金利のスプレッド問題について書いている人は1人も見たことないですねえ。
ある人から今週
- 端的に言うと、想定どおりに賃金が上がらなければ、それは将来の年金債務も上がらなかった分だけ増えないということになるわけですから、それも含めて、・・・
このあたり、まったくといって良いほど理解されずに、僕らから見ればびっくりするほどに間違えた言説が飛び交っているわけだけど、知りたくないことには目をつぶる人たちには、何年経っても絶対に届かない話なのかもしれないですね。
いつか時間ができたら、やりましょうかね。
この前、「勿凝学問を長いこと書いていないでしょう!!!」って責められたけど、あの、なんというか、サボっているわけではないわけでして、はい。
付録です――まだ30代の時に出した本の背表紙の言葉です(背表紙そのものは、第2版を出すときにくっつけたわけですどけ)
|
|
隙を与えてはいけないという話は、次でしていますね。
-
第6回 社会保障制度改革国民会議議事録 2013年3月13日 |
資料1では2ページ、資料2では6ページに、「年金について、救貧機能を持たせるならば制度は難しくなるのではないか。」、これは私が言った言葉だと思うのですが、前から気になっているのですけれども、「なるのではないか」ではなくて、ここは修正してほしいのですが「なる。」のです。この曖昧さが政治的隙を生んで政局に利用されたりするので、ここは我々は本当に気をつけなければいけないところなのです。 |
下記を書いたあと、今週の『社会保険旬報』の記事をみて、僕が国民会議で話したことを思い出した次第。
昨年11月の医療科学研究所での研究会でも、僕は、そういう報告は業界に利用される隙を与えることになるから気をつけなければならない、製薬協冠講座の教授は特にそうだろうとコメントしている。 |
2月6日 |
ふ~ん
まぁ、いずれにしても、ここも学者の責任が一番大きいわけでね。
次は、去年の国民会議の頃に、送ったメール。
-
昨日の話の続きですが、山崎先生が、7月にN元大臣にあったとき、「他の学者はできると言った」と言い張っていたそうです。
僕は昔から、学者は、葬式の時の坊主のようなもので、お坊さんがいないと葬式ができないように、学者、専門家のお墨付きがないと政治家はなかなか動けないものと言ってまして、できると言った学者の罪は重いですよ。
山本五十六の「はじめの半年や1年の間は随分暴れてご覧にいれます」という近衛文麿への返事が、戦争起こすんですから。。。 |
|
|
- > (重要であっても)難しいことは理解しようとしない、でしょうか・・・。
僕が年金の問題を考える際に昔から人間のやっかいな性質だと考えているのは、認知的不協和という心理作用。
医療の問題などと違って、年金には、明白な間違いということが多々ありました。
しかし、人間にとって、自分が間違えていたということを認める不快感は並大抵のものではない。
特に、研究者やメディア人にとっては耐えがたい苦痛。
その不快感に耐えられない人たちは、自分の不快感を低減するために、「人間はみたいものしかみない」という世界に陥っていくし、養老さんの言葉を借りればバカの壁とも呼ばれる壁を築いてしまう。挙げ句の果てには、見なければならないものに目をつぶり、目の前で展開されていることをすべて陰謀論で説いていく者までが出てくる始末。
医療とかではそういうことはあまりないのですが、年金ではこういう事例が多すぎました。
先日、知人の記者に送ったメールです。
- 学者の責任は一番大きいことは確かで、学者といえども、所詮は人間。
その人間には、賦課方式と、保険料固定方式のふたつを理解するのに、相当に時間がかかったわけです。
ようやくちゃんとものを考えている者の間では、賦課方式は50年くらいかけて、保険料固定方式は10年くらいかけて、理解が落ち着いてきたわけですが、勉強しない、考えないグループは、いまだ、昔のままの議論を続けている。
|
2月4日 |
1月9日、成り行き上、支給開始年齢について説明しなければならなくなった際に書き留めておいたメモ
次のような、年金部会での議論は???。
彼が、年金局が提出した資料の和文「支給開始年齢の引上げ」に相当する英語には、at the same monthly pensionと書いてあることを知っていたのか、知らなかったのかは不明。もっとも、これほど重要な英文を訳していない年金局にも非はあるかもしれない。学者をはじめ、世の中の人たちはみな、年金局が作ったスライド左側の英語や、ニコラス・バーが提出したスライドの元論文を読んでくれると思ったら大間違い。(ちなみに、 「支給開始年齢まわりの年金考」『週刊東洋経済』2013年10月26日号の「ここで特記すべきは、日本では支給開始年齢の引上げは、バーが念頭に置くものとは異なっている」というのは、バーが念頭に置く「支給開始年齢の引上げ」はat
the same monthly pensionとセットになったものであるため、日本に当てはめることができないという意味を込めた文章)
-
2013年10月7日 第15回社会保障審議会年金部会議事録 |
○小塩委員 国民会議の報告書につきましてコメントと要望を幾つか申し上げたいと思います。
私は今回の国民会議の報告書で一番注目したのは、最後に先ほど御紹介されたIMFとOECDの年金改革についての議論です。これは非常に重要なことを言っておりまして、私たちが日本の年金改革を進める上でもぜひ頭に入れておかなければならないことだと思います。年金改革には、そんなに多くの選択肢はなくて、それを忠実に守っていくしかないということですね。どうも国民会議の報告書を見ますと、世代間連帯とか、積立方式はだめですよとか、そういう文脈の中でこの議論が紹介されていて、ちょっと違和感をもつのですが、このIMF、OECDの議論は、現行制度にとどまっていても頭に入れておかないといけないことだと思います。保険料を上げるか、それとも給付をカットするか、支給開始年齢を先延ばしするかというぐらいしか選択肢はないという指摘は重要です。
その観点から申し上げますと、この報告書は、現行の制度についての認識が甘いという気がしないでもないです。それが顕著にあらわれているのが、支給開始年齢を引上げてもあまり効果はないという議論です。これは、入ってくるお金は一緒だから、支給開始年齢を先延ばししても変わりませんということです。要するに65から70にしたら、70以降の人は年金をたくさんもらえるということを言っているわけです。支給開始年齢の引上げを議論するときは普通、そういうことを言っているのではなくて、お金が足りないから、お年寄りにがまんしてもらいましょうと、そういう発想で議論するわけですね。
このような支給開始年齢引き上げの効果についての議論が出てくるというのは、現行の仕組みを維持できるのかという点について、認識は甘いからではないかという気が私はいたします。もし問題がなければ、支給開始年齢引上げという議論も出てこないし、高所得者に対する年金のカットという議論も出てこないはずです。 |
上記引用の赤文字の2カ所目も、僕には意味がよく分からない。日経の論説委員をはじめ、未だに、欧米では引上げているのに日本はどうだという形で支給開始年齢の話をしている者たちは、制度が分かっていないから。国民会議の報告書が出た昨年の8月段階での記者への説明で、意味がよく分からないと手をあげて質問をするのは理解できないわけではない。しかし、あれから半年経ってもなお、2004年改革以前には成立した支給開始年齢と同じ話を繰り返しているのは、いつものように、単なる勉強不足かセンス不足。そうした者たちが政策論議に参加してくると、これまでのように、それこそいろんなバカで有害な議論が出てくるもの。議論があるというその事実が、そこに本当に解決しなければならない問題があることの証拠にはならないわけだ。かつての小塩氏が年金の民営化の議論や積立方式の議論をしていた時、本当にそうした解決をする必要が年金にあったわけではないことと同じような話。
次も、意味不明。国民会議での議論は、そんなに難しかったか。
-
2013年10月7日 第15回社会保障審議会年金部会議事録 |
○駒村委員 ・・・それから、先ほど小塩先生のお話があった支給開始年齢の話でございますけれども、これも国民会議で議論している我々としては、支給開始年齢が財政的な選択肢から消えていくという考え方は私は持っていない。議論の中ではそういう前提で話したのではなくて、ここは2012年の現行の財政検証がそのまま成立するならばということですから、今後の検証次第によっては、当然年金財政の歳入部分が怪しくなってくれば、マクロ経済スライドの長期化をするか、支給開始年齢で対応しなければいけないというのは当然選択肢として残っているものだと私は理解しております。
|
|
2月3日 |
先週は日経に、2週間ほど前には『週刊東洋経済』に年金の記事やコラムが載っていたけど、あれらは、年金局で扱うのかな。
次も、参考までに
支給開始年齢をめぐって、間違えだろうが大きな声で繰り返し言いつづけた者が勝ちという民主主義の法則通りに、、世の中の論は妙な方向に進んでいるようだから、次は印刷中だけど、許してもらおうかね。30頁で、「支給開始年齢という言葉は盲腸のようなもの」という話をしています。
ちなみに、上述の講演録の41頁あたりでは、2009年6月の八代先生の「経済の見る眼」『週刊東洋経済』の年金コラムの間違いも指摘しています。 |
2月1日 |
|
1月29日 |
|
1月27日 |
|
1月26日 |
僕が頂いた最後の連絡は次でした。
-
-----Original Message-----
Sent: Tuesday, October 15, 2013 9:57 PM
Subject: RE: クレイジー ライク アメリカ
権丈善一先生
早いですね。
>-----Original Message-----
>Sent: Tuesday, October 15, 2013 9:27 PM
>Subject: Re: クレイジー ライク アメリカ
>
>三宮から戻る車の中で予約したので、昨日届いて、もう、眺めました!
>貴重な情報、ありがとうございました
>
>iPhoneから送信
>
>2013/10/15 18:45 のメッセージ:
>
>> 権丈善一先生
>>
>> 先日、お話した勝谷誠彦氏が、尼崎市民医療フォーラムで話していた本です。
>>
>> ●クレイジー ライク アメリカ
>> http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3089 |
享年56歳と、先日、川島会長から伺いました。安らかにお眠りください。 |
1月22日 |
|
1月21日 |
他にも
-
さて土曜日にセンター試験の公民が実施されましたが、政治・経済の問題で 高齢化率と国民負担率のグラフの問題が出題されました。しかも日本、アメリカ、
スウェーデンの組合せで、
|
それと、昨日話したのは次の記事
それとあれだな、僕ほど社会保障の世代間格差論に違和感を持ち続けてきた者はおらず、僕ほど増税の必要性を遙か昔から言い続けていた者もいないはず。扶養の社会化も赤字国債も混ぜ合わせて計算して何の疑問も感じない者たちには、理解できない話だろうな。それと彼らの共通点は、人間はライフサイクル仮説に従うと考えていることかね。家族の中での世代間の扶養という概念がなく、自分の老後は自分で蓄えて備えてきたのが人類の歴史だというふうに覚えてるんだろう。それだと、家族機能が弱体化しても社会保障がなくても、貧困が発生することはないな。フェルドシュタインの言うとおりということになり、そのフェルドシュタインが指導教授だったのがコトリコフ。分かりやすすぎる世界だな。
次参照あれ。
(この文章、去年の国民会議の時に、「先生、あの文章えらいいいですよ。僕のHPで紹介させてもらいますね」っと、許可もらい済み) |
1月18日 |
そうかい(笑)
-
Title: Re:第6回レポート 医療・介護
1年間の授業を通して、私が学んだことは無関連そうに見えた年金制度、医療、ワークライフバランスといった概念が全て繋がっていることでした。また、自分が何の疑いもなく受け入れてきた知識が、深く考えてみれば真実ではないことが多いことです。私は頑張って勉強してきたつもりであったため、年金といった日本の社会的課題についてそれなりに知っていると思ってきましたが、それが真実ではないことを知り、自分は一体何を学んできたか懐疑を抱いたこともあります。とにかく、先生の授業で私は学んだことも、驚いたことも多かったのですが、最後の参考資料も感心する内容が多くありました。・・・ |
アホか、斎藤(笑)。君らが、民主主義を担っていかなければならんのだよ。。。
-
Title: Re:第6回レポート 医療・介護
医師がある病気に対して標準的な医療を施すというと、患者から「スペシャルでお願いします」と返ってくる。この時の患者の感情は容易に想像つくであろうし、仮に「standard」と「special」があったとして、「standard」がいいか「special」がいいかと言われれば、こと医療に関しては「special」がいいと思うのは当然ではないだろうか。この時の医師の言う「標準的な医療」とはその病気に対して最も効く確率の高く、最も施されているという意味での「標準的な医療」なのであって「ベストと考えられている医療」である。しかし患者の「スペシャル」と言ってもらいたい感情もわからなくもない。患者と医師の信頼の確保という点でも、またこれから慢性疾患を抱える確率や認知症を患う確率の高い後期高齢種が増えることを考えても、その人にとっての「スペシャル」を提供するために最初から医療と介護を一体的に提供することを考えている「地域包括ケアシステム」はとても重要なものだと思われる。医療だけでなく、その後の介護まで視野に入れた制度であるなら患者の納得も得やすいであろうし、患者のQOL・QODを考えれば何としてもこれから各地で導入していかなければいけないであろう。
また昨年の2月19日の国民会議の動画を見たのだが、先生のインタビュー記事でも書いてある通り経済界は企業の保険料負担をいかに低くするかということしか考えていないということが理解できた。経済界は企業の保険料の負担を低くするべきとする論を裏付けるかのように思われるデータを提出してはそのたび反駁されていた。資本主義である以上、このような無意味にも思われる議論はこれから先も続いていくのではあるが、そのたびに国民の利益を守るために「自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする」少数者が戦わなければいけないのかと思うと民主主義は何とも苦労の多い制度であるように思われる。経済界のヒアリングの動画は民主主義のコストについても考えさせられるものであった。
最後に医療改革に関して重要だと思うのは、歴史的に民間の努力で量的な拡大と日本の医療費の低さが達成されたという事実である。この視点を欠いてしまっては日本のこれからの医療の改革はより困難になってしまうであろう。民間の努力を尊重しつつその創意と工夫を阻害しないように注意しないと医療改革は進まないだろう。 |
卜部さん、うん、なるほどっ
-
・・・
今年度の講義を通し学んできた内容は一言で表すならば資料内にもあったが「競争より協調(働)」なのだろう。今回の資料で言うならば経営主体に囚われず、医療機関同士で協力することや、そもそもこれまで保険に乗り気ではなかった県が協力するなどである。またこの改革の実現へのポイントとして、国民の理解があげられるが、それは「国民が政治家、政治を理解しようとする協力」と表せるし、また「国民が理解しようとする協力をさせるための協力」が政治家、マスコミに必要とされるだろう。医療、年金を始めとした近代以降の国家を成り立たせる要素の一つになった社会保障に競争を適用させると上手く行かないことはこれまでの講義内で明らかである。また「世俗の思想家」の内容が資本主義ですべて説明がついたアダム・スミスの時代から徐々にそれだけでは説明がつかなくなっていく様は日本にも似た部分はある。協調という風潮ができた現在ならば改革が成功するだろうと感じた。 |
|
1月17日 |
昨日はお疲れ様でした。質問に答えた時に紹介したHPは、次です。メディアにも希望を持ってもらえると思います。
|
1月14日 |
一週間経ったので
|
1月10日 |
これだ
それと、昨日の日経、私の履歴書な。
もし卒業できなくても、君らには偉大な未来が待っている。。。 |
1月9日 |
|
1月8日 |
「医療サービスの経済特性と保険者機能という幻想」という文章は、2005年に書いた次の中にあります。
- 「医療保険制度の課題と展望」『再分配政治経済学Ⅲ』2006年
初出は〔社会保障読本2005年版〕『週刊社会保障』2005年8月15日号
|
1月6日
2014年 |
- 経済を見る眼「守るべき国民医療とは何か」『週刊東洋経済』本日発売
|