2013年
 12月31日  
   今日の冒頭、さて、みんなが信じ切っていることがウソだったら、世の中ではいったい何が起こっていると考えればいい?と言って紹介した記事は次です 「これ、新年会の翌日の授業とかにどうかなぁ」と言って、塾高の先生にDVDをあげてきました。。。
(ちなみに、今日の日吉での1年生向けの講義には、塾高の学生も、社会科の先生と一緒に出席)
 12月27日  ほぅ 昨日の講義のスライド
今日も昼から日吉で年に一度の講義(日産経だ)。あり得ん。。。
 12月26日  
 12月25日   年金数理人会での講演録のチェックは、しばしお待ちを<(_ _)>ペコッ。。。ご参考までに
> できれば、1月10日までにご確認いただけると助かります。
なんとか。。。
 12月21日  
   君がwhat's newで話した本の書評は次。 中谷巌さんとは、次で一緒でした。 ここで大島先生とも会うことになる。
大島先生については、次を是非とも。 次もしっかりと読み直しておきな。
   紙面記事のPDFをリンク
 12月19日  昨晩の厄払いの会での話題
 12月18日   数年前の文章
 12月17日  19日の年金レポートの前に、次も読んでおいてくれ。
  • 「(人生の贈りもの)高畑勲①~⑤」『朝日新聞』12月9日~13日
記者の仕事を時系列でみるのも勉強になるものです。
たとえば、今日の日経の次の記事は、最後の一段落がなければ、けっこう良いんだけどねぇ。
  • 「政敵を尊重できない政党と官僚の事なかれ主義」『日経新聞』
まぁ、彼は、元厚労大臣批判の記事は、昔から良いのを書くわけでな。たとえば
ところで、先週は中野区医師会で話をし、先々週末は四日市で講演。う~ん。。。
次は、両地での配布資料のひとつ。 たしか、次も紹介したな。
 12月16日  19日までに次も読んでおくように。もう、だいたい分かるようになったと思うよ。 参考までに 次のあたりもよく理解しておいてくれ 次は、授業で話していることそのままだから、もう分かると思う
 12月14日  どうも。まだ、一度も会ったことのない人から
  •  ところで、面白い記事を発見しましたので、既にご存じかもしれませんが、ご紹介します。
    http://www.huffingtonpost.jp/2013/11/24/american-health-care-terrible_n_4334810.html

    資本市場の権化みたいなブルームバーグがこういうランキングを発表しているというのが良いですね。
    我が国の一部(多数?)経済学者やエコノミスト、○○総研とかいう人たちより、
    よほど知的に誠実というか、まあ、数字の扱いが冷徹なのでしょうね。
12月13日   そう、その通り。
僕は、かつて一度も、組合健保を否定する話をしたことも、書いたこともない。
むしろ、財政調整を高齢者医療に限らず全年齢で行うリスク構造調整派や、組合健保を協会けんぽに統合する方向での被用者保険一元化派とは、距離を置いていた。
しかしながら、国民会議の最中からの健保連の政治活動をみていて、次第に考え方が変わってきているということだな。

参考までに 院生の頃の健保連通いの話は、次の講演の冒頭にあるな。
 12月12日  ご参考までに。5年前に書いているけど、ここに引用している文章は、前世紀に書いているな。 ところで、先日話したように、労働問題は労使で話し合うのが基本。労働者も使用者も本質的な存在だから。
しかし、医療問題は、支払側の健保連と診療側の医療界で話し合うのが基本なのかは疑問。
支払側の代表のつもりでいる健保連って、制度的存在であって、被用者保険を一元化したり、組合健保を協会けんぽに統合してしまえば、消える存在だからね。昔からそういう議論はある。
組合健保の存在意義は何なのか?保険者機能なのか?
・・・慶應健保で最も長い期間理事を務めて健保組合の運営に長く係わってきた僕が、いつか話をする日がくるかもな、などと、国民会議の頃から今までの健保連の政治活動をみていると思うよ。
 12月10日   教育ついで、昨日の文科省の無邪気さついでに・・・。
先週の講義で話をしたように、文科省は「分野別の教育課程編成上の参照基準の審議」を、日本学術会議に依頼したようで、経済学分野も、ある方向性でまとめることになったらしい。
そして、日本学術会議は、先週、シンポジウムをひらいて、参照基準のお墨付きを得ようとしたらしい。 この動きに対して、歴史等を重視するグループが反発しており、先週のシンポジウムも、壇上と会場との間でなかなかおもしろい展開をみせたらしい。

ちなみに、先週の講義で雑談した、リーマンショック以降、イギリスで経済学を学ぶ学生も教える教師も、それまでの経済学に不信感を抱いているという記事は、次。
  • "Post-crisis economics Keynes's new heirs,"The Economist Novenber 23rd-29th(pp.58-59)。
文科省は、無邪気というかお茶目というか。
次なんかは、10年近く前に書いているな。
 12月8日  10月の講義で本邦初公開したDVDのジャケットができたらしい よく分からないが、こういうことらしい。
  • 社会保障教育のDVD教材について、文科省教育映像審査の結果
    ・中学生向き(※)、高校生向き ⇒ 文部科学省特別選定
    ・青年向き、成人向き        ⇒ 文部科学省選定

    「特別選定」は、「選定」の上位レベルの認定であり、今年度は10月までで85作品中9作品(学校教育用DVDでは4作品、内社会科系は無し)。なお、「選定」は47作品。
    ※「中学生向き」は当方からは申請していなかったのですが、中学生向きにも適していると審査員が判断し入選になったとのこと。今後は、文部科学省の専用HPに掲載されるとともに、DVDのパッケージにその旨の表示をすることができます。
うんまぁ、これはこれとして・・・文科省は、去年書いたように無邪気なところもあってね。
   30代で書いている文章。 いまも何も変わらないんだろうな。
   年金のレポートを書く上での参考資料に関する参考資料・・・? 彼らが、年金まわりに集まってきて書いた文章が、次の権丈提出資料の中にいくつもある。 先日、上の記事を書いた記者の1人が、我々は第1世代という表現を使っていたけど、なるほどね。
第1世代は、政治や学者に翻弄されながら、なかなか大変だっただろうな。
次、参考までに。
 12月6日   自分でいろいろと資料を作ってみることだ。
   どうぞ。
 12月2日  その通り。下記の発言は、遠藤先生が報告をした文書を作成した先を相手に、会議の流をこういうふうにし向けた君らにだけは言われたくないと発言をしている箇所です。
   ここだな
  •  第14回社会保障制度改革国民会議議事録
    私は医療改革について議論している国民会議で、大島先生とか永
    井先生がずっと沈黙されて参加されないというのは非常に残念でなりません。
    やはり医療提供体制の改革、医療改革というのは医療関係者である大島先生
    とか永井先生に参加していただいて初めて意味のある会議だと思いますし、
    今の遠藤先生が御報告された文書の中に、「国民健康保険の都道府県単位化
    や後期高齢者医療制度の負担面での全面総報酬割の導入という局所的な議論
    のまま、医療、介護に関する議論が一巡したと整理されたことについては極
    めて残念」と書かれていますが、私も極めて残念です。もしかすると2巡目
    もこれで終わるのではないかというような気がするのですけれども、ちょっ
    と角度の違う話をさせていただこうかと思います。 
     ・・・
     今日は事務局のみなさんは資料をつくるのに非常に苦労されたと思います。
    こういう状況の中でメリット・デメリットを色々と比較していくというのは、
    次元が一つに並ぶのならばウエートをつけて加重平均すれば答えが出てくる
    のですけれども、こういう次元が全然違うものというのは優先順位をつけて
    辞書的に順番通りに解決していくしかないのかなというのがあります。
 11月28日  ほい ペリカンイン?
   来年のさわやかカレンダーも、さわやかで、いいですねぇ、はい。
 11月27日  ほほぅ おっと、議事録がでてますね。 その職業が、一番、政策論議の歴史、政策論議の継続性をおさえているのかもしれないですね。
今の人はみんな、2008年の「社会保障審議会年金部会における議論の中間的な整理」なんか、知らないだろう。
   3年ぶりに読み返してみたけど、4年も5年も前から言っていることが変わらないな。。。 3年目も継続をっという話があったけど、もう良いだろうっと2年で終了。
基本、まじめに働くのは体質に合わないみたいなので。
  次の上の方にリンク
 11月25日  おもしろいところでデビューしたな(笑)。 次もどうかな。
 11月22日  まぁ、普通に考えれば、彼には、大島先生が求める「官僚が政治家や医師会と調整して作った」証拠を公に示すか、それができなければ、その発言を公に撤回するかの二つに一つしかない。もっとも、世の中はあまいから、ほとぼりがさめるのを待つという、君たちにが絶対に真似てはならない道もあることになる。
  • 大島伸一先生「報告書否定 証拠を示せ」『中日新聞』2013年10月29日朝刊
  •  衆・厚労委自民党船橋利実議員参考人質疑の模様
    (平成25年11月12日(火)10時30分~10時45分 院内第16委員室)
    船橋委員(自)
    まず、遠藤参考人に伺います。遠藤参考人は社会保障・税一体改革のうち、社会保障制度改革の具体的内容を議論されてきた社会保障制度改革国民会議で会長代理を勤められており、報告書をとりまとめになられたお立場でもあり、そのご尽力に深く敬意を表する次第であります。先ほどは報告書の概要をお話し頂いたわけでございますけれども、国民会議の中でされた様々な議論は、私は国民の期待に応える内容であったと認識しております。そこで伺いますけれども、報告書のとりまとめをされる上で、どのような点に視点を置かれ、配慮をし、結論を導き出されたのか。経過と結果について見解をお聞かせください。

    遠藤参考人
    ありがとうございます。遠藤でございます。ご質問の内容の一つは、議論の報告書をまとめるプロセスについて、それから、その中で何に注目したかということだったと思います。
    これは、先程来プロセスにつきましては、まず、これは白紙委任されていた内容を議論していたわけではないということでありまして、これは改革推進法の中で決められている内容について我々は議論をするということでありました。そしてできるだけ広い視野で、それぞれの御立場を持った専門家が集積したわけでございますので、できるだけ皆さんの議論を行いながらですね、そして、皆さんの考え方違うところもありますが合意ができるように、それを平場で行ってきたということでございます。そこでそれぞれの委員はですね、色々と御立場、専門が違っておりますので、それぞれのテーマについてはですね、それぞれの御専門の方の発言が多くなりましたけれども、専門外の委員の方々も拝聴しながらですね、適切な方向を定めるということに終始したわけでございます。プロセスにつきましては、各分野を一通り行いまして、ある程度議論がまとまった段階で、起草委員というのを任命されまして、その起草委員はその分野について知見がある方が担当されたわけでございますけれども、その方が起草案を作成致します。で、起草委員会、これは仮称でございますけれども、で委員の間で議論を行いまして、そこで侃々諤々の議論を行います。そしてその段階で各委員に案を提示するという形でとりまとめたわけでございます。これはひとえに清家会長のご尽力によるものであります。まあ、プロセスはそういうことでございます。
    次に、我々が、最終的な結論の基本方針になりましたのが、この世界に冠たる社会保障制度を、今後維持させていくために我々の世代は何をするべきかという視点は全ての委員に共有されていたのだろうと思うわけであります。お答えになっているか分かりませんけれども、そのようなプロセスでとりまとめを行ったということであります。ありがとうございました。

    船橋委員(自)
    ありがとうございました。今ほど経過等についてお伺い致しましたけれども、再度遠藤参考人にお聞かせ願いたいなと思いますが、先日行われました衆議院・厚生労働委員会での質疑におきまして、ある新聞記事に社会保障制度改革国民会議委員として参加された方の発言が載っておりました。その中で報告書は官僚主導で作られたという指摘がございますけれども、国民会議会長でもあり、起草委員でもあった遠藤参考人の御認識をお聞かせください。

    遠藤参考人
    お答え致します。その記事私も拝見させて頂きました。その委員の方の仰られたかったことがどういうことか、お会いしていないので分かりませんけれども、まあ、新聞記事だけから見ますとですね、大変残念なご発言だと思います。結論から申し上げますと、そこでは官僚が政治家と関係団体と調整を取りながら、官僚リードで進めたものがこの報告書であるというような内容であったと記憶しておりますけれども、現実はそのようなことは全くございません。で、何故かと申しますと、基本的にはオープンな場でずっと議論はされてきておりました。インターネットでライブで公表されてきたということでございまして、そこでの議論はいくらでもできたわけでございます。もちろん、その官僚主導という意味合いがよく分かりませんけれども、報告書を作成していく過程においては、官僚の、事務局のサポートを必要な場合には得るということは行われましたけれども、最終的な判断は各委員が行ったということでございます。
    で、関係団体との調整ということでございますけれども、これはもちろん、実務者協議等々との関係もありますので、どういうことが実務者協議で話されているかということを公開の場で公表されておりますし、あるいは、国民会議の議論がまた関係の先生方報告をされるということがあったとは思いますけれども、そういうようなものはありましたけれども、どこからか圧力があったかですね、調整するということもなかった。それから関係団体との関係から申し上げるならば、当初、関係団体からヒアリングをしておりまして、その考え方に則って発言をされるということは当然有り得べしだとは思いますけれども、どこか関係団体と官僚が調整しながらやったということは私は全く承知していないということでありますので、事実ではないと理解しております。以上でございます。
次もどうかな。大島先生からはひろく読んでもらえればというお話し以前からがありまして・・・
 11月20日  
 11月17日  先日、社会的アンバランス関連で話したこと。 次は、ガルブレイスによる「社会的アンバランス」の説明
  •  勿凝学問170 情報と世論と民主主義の脆弱性――公と私の社会的アンバランス考より
    依存効果(dependence effect)がある以上――消費欲望を満足させる過程自体によって消費欲望がつくり出される以上――、消費者は自律的な選択を行うのではない。消費者は広告と見栄の力によって影響されている。それらによって生産はそれ自身の需要をつくり出しているのだ。広告はもっぱら、見栄は主として、私的に生産される財貨とサービスに対して有利に作用する。需要管理と見栄の効果とが私的生産にとって有利なはたらきをするので、公共的サービスは本質的におくれをとる傾向がある。自動車に対する需要は高い費用をかけて合成されるので、そうした影響力の及ばない公園、公衆衛生、さらには道路でさえも、自動車ほどには所得を巻き上げる力がないのは当然である。今や最高の発展段階に達したマスコミの力は、社会の耳目をより多くのビールに向けるけれども、より多くの学校には向けない。これでは両者の選択が平等であり得ないことは、通念でさえも争う余地がないであろう。
次も、参照あれ。 僕は昔から、ガルブレイスの言う「ゆたかな社会」では、公共は打って出るべしと思っている。
「ゆたかな社会」の性質に「資本主義的民主主義」の性質が加味される社会では、一層、その必要性は高まる。
ただし、公共といえども、経済を冠する省が行うキャンペーンは別。次でもどうぞ。
 11月15日  なんだい、まだ一回目しか議事録はでてないじゃないかぃ。 今度、傍聴にいこうかね。
   右側の経済、左側の経済学の前提の置き方を意識しながら、もう一回、次を読んでおくように。 次の「成長戦略と戦略的貿易論」を読んでおくように。 上の文章は、次の文章の拡張版。 年金も医療も、そして経済政策も基礎となる経済学というか、思考の基礎となる大前提は同じもの。

それと、「有限均衡方式下における人口変動バッファーとしての積立金」の役割を説明するために、今日、使ったのは4頁の図。
   
 11月14日  どうぞ。
  > 勿凝学問の要は支出で計測するか給付で計測するかの回にも繋がりますね。
なるほどっ。 仰る通り。
日曜日の、福祉関係者を対象とした講演で話したように、軽減税率の導入というのは、みなさんの、特に世の中の高所得者の食料品負担を減らして、医療介護の給付や、生活保護を縮小するような話。もし、食料品への軽減税率を導入した後も社会保障の給付を守るというのであれば、将来必要とされる消費税率は1.2倍超となる。。。PBをとって発散を防ぐ程度だけで30%を超えたりして。
 11月12日  
 11月11日  7年前の文章 ここに出てくるフェルドシュタインは、映画「インサイドジョブ」に出てくるフェルドシュタイン。
 11月10日 いま、留学生が、彼の国の社会保障、特に年金をみているのですが、卒論作成に苦しむ彼をみていると、ついつい、「世代間格差でも計算して、論文を書いてみるか?」と指導する誘惑に駆られるときがあります。。。ああいう計算をしてもらい、この計算には意味があるんだと言い張ってもらえば、 とりあえず、卒論や修論を書かせることはできるんですよね。
上記エッセイと関連する記事は、次です。 ちなみに、次は、第13回社会保障制度改革国民会議(6月8日)の際の、ああいう計算をすることに意味があると言いいたいらしい論者の意見。まぁ、「計算するのが大変だ」というのは?だな。大学3、4年なら簡単にできるもんだ。
  •  世代間格差、権丈委員がおっしゃったのは、私も10年前にやりま
    したけれども、分母に生涯払った保険料をとり、分子に年金受給額をとると
    しますと、確かにこれからの年金を考えると、はっきり言うと、数字を見る
    と払う気が失せるのです。私自身は最近それはやっていません、計算してい
    ません。それは計算するのが大変だというのもありますけれども、前回も申
    し上げたかもしれませんが、割引率のとり方、あるいは分母に事業主負担を
    入れるかどうかといったことは非常に諸説ありますし、分子にモデル年金を
    とってきている、あれもミスリードだと思いますけれども、そういったこと
    を結果だけ見た一般の人がすぐに理解できないと思うのです。結果しか受け
    とめることができない。
    ですので、全ての国民が研究者レベルでそれを理解できていればいいと思
    うのですけれども、そうした状況にない成熟していない状況の中であの数字
    はショッキングだと思います。ショッキングという言葉を前回も使ったと思
    うのです。それは恐らく実際現場の立場に立ってみても、保険料を徴収する
    方々にとっては非常にきついと思うのです。
    年金制度にとってみても、全員がその真意を理解できない状況のもとにお
    いて色々数字を出すのは好ましくないと私は思っています。ただ、それ以外
    の研究者の方はどう判断されているかは分かりませんが、計算自体はおかし
    くないと思っていますが、国民の成熟度も考えた受けとめ方といった意味で
    は出し方は工夫が必要なのかなと思っているので、前回のプレゼン資料の中
    では2.3倍というのはミスリードであるということだけ申し上げて、だからこ
    うせよというのは申し上げていないのです。
年金に関心のある人は、この日の議事録と、その前回の第12回会議の議事録を読んだり、動画をみることだな。
6月8日の会議の時に、国民会議に僕が提出した下記の資料にある、「スタート地点で間違えてバッドスタートを切った年金研究者というのはなかなかつらいものがあるのですけれども、間違えたときには間違えましたと言って頂かないと本当に後々尾を引いていきますので、色々と御協力頂ければと思います」と言っているわけだ。
 11月8日  いやいや、ご隠居仕事だよ。セレモニーの際のお坊さんの役割。
 11月7日  パート労働の厚年適用問題は次 余力あるものは、映画もみておくように。
それと、次を、「パート」で検索すれば、結構出てくる。
   これは、効果覿面だな。
ポスター案に、写真が載っていたので
  • > 写真はなしでいきましょう。
    > ご参考までに
    > 社中交歓「風呂部と銭湯権」『三田評論』2013年10月号
すると、
  • > 社中交歓、拝読いたしました。
    > 私も社中の一人として、先生の「銭湯権」を御守りしたく存じます。
    > 写真なし・経歴シンプルバージョンをお送りいたします。
ご協力、どうも(笑)。
 11月5日   上を読み、かつ、次を訳してくるのが、今週の講義までの課題。 また、先日話した、Ⅱ巻第1章年金理論編「生産物の視点からみた世代間の再分配方法」(22-24頁)を、旧図書館においているリザーブブックで見直す。
このくらい準備すれば、次の意味が分かるはず。 また、上の「経済を見る眼」のはじめの2段落を書いた際には、Ⅲ巻第1章「医療経済学の潮流」にある「混合経済の基本的機能」(26-30頁)あたりも意識しているので、参考のこと。
春の講義では、現在と未来の購買力の分配という視点から、短期保険(短期分配問題)たる医療保険等と長期保険(長期分配問題)たる年金を論じたことを思い出してくれ。

先日も話したように、「経済を見る眼」は、サラリーマンが、一杯飲んで帰りの電車の中で読んで理解できるような話にまとめた方がいいということは分かっているんだが、今回は仕方がなかった。かつて間違えたことのある論者たちが、相も変わらず、そろって間違えた論を拡散していたからな。彼らは間違えた過去の経験から学ぶことは一切なく、債務超過に陥った金融機関のように、一発逆転をねらって、なお一層の間違いをおかしていく性質をもっているようでね。君たちは、年金部会での議論、発言もチェックのこと。とにかく責任ある立場にある者たちは、考え抜いて制度を作ることだよな。
 11月1日  今日の産経論で、DVD「社会保障ってなに?――身近な人から学ぶ健康保険と年金の話」をみた後に話をした記事は、次。
   
 10月30日   参考までに
 10月29日  
 10月28日  一週間経ったので この問題のおもしろさは、過去に間違えた経験を持つ人たちが、今再び、揃って間違えていること。
なぜなのか? 
考えるに値する問いだと思います。
 10月26日  先日の話題、ネーミングの重要性について書いているのは、2006年4月の次ですね。 この文章は、Ⅲ巻に入っていますので、その部分を紹介すれば
  •  『医療年金問題の考え方――再分配政策の政治経済学Ⅲ』570-571頁

   次だな。
 10月25日  次の導入に、産経論の話があります。 僕の授業に出るよりも、エスキモーに氷を売ることができるほどのマーケティング・スキルを磨いた方が、公共政策と大きく係わりうるという、この国の立派さの話は、次あたり。
 10月24日  合理的無知や民主主義関連
   更新
   昨晩の話題
 10月23日  
  • 「歴史的経緯を知ろう――年金改革2段階アプローチ」『毎日新聞』本日朝刊
「私の社会保障論」という4週間隔の連載らしいです。。。
   本日はお疲れ様でした。 右側の経済学、左側の経済学を、社会保障の一分野、年金に適用した話は次 次が、日医にはじめて原稿を頼まれて、2007年末に書いた文章。当時の日医に対する宣戦布告のような内容ですかね・・・
 10月21日  
  • 経済を見る眼「支給開始年齢まわりの年金考」『週刊東洋経済』本日発売
     すなわち、今の年金制度の下での66歳、67歳への支給開始年齢引上げは、年金財政に中立であり、将来の保険料抑制にはつながらないのである。この意味で、保険料が固定された年金の支給開始年齢の引上げは、現行の「繰下げ受給」という、自発的に受給を遅らせて毎年高めの年金を選択する制度を、ある世代以降全員に強制的に適用することと、財政上は同じになる。
 10月18日  昨日、ノーベル経済学賞の雑談から、右側の経済学、左側の経済学の話を少ししたけど、ああいう考え方が年金論とどのような繋ながりをもつのかについては、次を参照 僕の話や、僕が君らに課す課題は、いったいこれが社会保障となんの関係があるんだっ?と思うことがあるだろうけど・・・まぁ、それは諦めてもらうしかない(笑)。次の文章なんか、まだ30代に書いているな。 それと、昨日話した、Stiglerの規制緩和の経済学については、次の文章がある。
 10月17日  そうかぃ。
  • また、私自身もノーベル(記念スウェーデン中央銀行)経済学賞について、先生に
    よって本質を理解するように導いていただいたことは、大変感謝しています(^^
    今年の経済学賞も、思いっきり醒めた目で眺めていました。
では
 10月14日   参考までに
   神戸まできて初めて知った、明日は、2時間で2人だけという話
――昨日の保団連研究集会は1時間半で5人。ああいう感じかと思っていたんだが、討論も明日は2人でやるらしい。。。
  • 日本臨床内科医学会
     シンポジウム4

    「あって良いのか、医療の切り捨て-国民皆保険制度の存続を脅かすもの-」
    会場:第2会場(国際会議室)
    時間:9:00~11:00
    座長:村岡 章弘(神戸市医師会)
        松井 誠一郎(神戸市医師会 理事)
    基調講演:
        権丈 善一(慶應義塾大学商学部 教授)
        「国民皆保険制度を守るための医療保険制度」(仮題)
        中川 俊男(公益社団法人日本医師会 副会長)
        「わが国の公的医療保険制度のゆくえ―国民に包容力のあるやさしい医療を―」
    討論:「今後の日本の医療の進む道」(仮題)
   そうそう、前回の講義で紹介したのはここ。 卒業旅行の目的地の一つに是非とも。まぁ、次とも、さほど遠くはない。。。 ちなみに、スコットランドの歴史で講演を2回したことがある。ナイチンゲールでは3回あるな。
ただ、ナイチンゲールの話をするのは辛いものがある。普通の人が描くイメージとはぜんぜん違う話にならざるを得ないゆえ。
(Ⅰ巻に収めている「看護婦不足」の研究をしていた90年代はじめに、『看護覚書』をはじめ、いろいろと彼女の伝記などを読んでは暇つぶししていた頃に仕入れていた話です)
 10月13日  10月11日の中日新聞の記事に関する質問は、二木先生からではないですよ(笑)。
二木先生は、政策論の世界の論があの程度のものであることを十二分に理解されていますから。

それと昨日の帰りの電車の中で話したことは、次にあります。 付録――昨日の保団連研究集会での配付資料
 10月12日  どうぞ。
   かなり前に、専門家教育について、こういう文章を書いているね。
  •  勿凝学問25 混合診療論議を題材とした政治経済学っぽい遊び PartⅡ
      研究者を育てる大学院のような専門家教育というのは、業績を上げなければならないという世俗的義務・世俗的欲求の中にあっても、データ改竄の欲求に生涯負けてはならないという最も初歩的なことをはじめ、人のアイデアはちゃんと出典を明示せよとか、分析の解釈は禁欲的であるべきことを忘れるなとか、自分がやってきたことに意味がないことが分かったら意味ありげに発表しない、間違えであったことが分かったら潔く認めることのできる胆力を鍛えると同時に、ひとつふたつテーマがつぶれても笑っていられる余裕をもつようになどなど、教育の半分はお作法という名の職業倫理を教えているようなもの。

     専門家というのは、定義上その専門性ゆえに、端から見て何をやっているのかよくわからない。もし、専門家に職業倫理がなければ、専門家は、簡単に世俗的欲求に走ることができる位置にいるわけだから、それを阻止するために、専門家教育には、世俗的欲求と職業倫理の葛藤において、後者を遵守する方を潔しとする感性を身につけさせることが、重要な意味をもっていたりもする。

     そして専門家が生産者として素人の消費者に対峙するパーソナル・サービスの場合は、生産者は消費者に対して、情報面での優位性を主な理由として、決定的にバーゲニング・ポジション(交渉上の地歩)が高く、強い市場支配力をもつことになる。この専門家の市場支配力を牽制できるのは同等の情報をもつ専門家しかいないわけだから、専門家のマネジメントにはピア・レビュー(peer-review)という同僚審査が最も効く。しかし、ピア・レビューがないところでは、専門家は、消費者に対して圧倒的な市場支配力を乱用して、実のところ、やろうと思えばなんだってできる。だから、専門家には、強い倫理規制が要求されているのだし、その職業倫理が、教育システムのなかで伝承されていくということが、ある程度社会的に期待されている訳だ。
こういう世界に、メディアへの露出が査定でプラスに評価される人たちが参入してきたりすると、そりゃぁ、世の論がおかしくなるだろうな。
   昨日話した、連帯基金構想 こういことを思いつかせたのは、慶應健保の理事会、組合会に長年参加してきた経験というのは、昨日話した通りです。
 10月11日  昨日、ゼミで、これは彼らの問題ではなく、教育の問題だと説明したことです。
ちゃんとした教育を受けていれば、下記のような、自然科学の教育を受けた人に奇異に映る論を展開することはできなくなるはずです。
  • Sent: Monday, October 07, 2013 3:51 PM
    To: kenjoh@fbc.keio.ac.jp
    Subject: 中日新聞の対談記事

    慶應義塾大学商学部
    権丈善一 先生

    ・・・

    10月1日の中日新聞の記事を添付いたします。
    西沢さんも、鈴木さんも何か変なことを言っているように思います。
    こんな事実(傍線)があるのでしょうか。
    憶測で言っているのだとすれば、問題は大きいと思います。
当方からの返事
  •  > こんな事実(傍線)があるのでしょうか。
    > 憶測で言っているのだとすれば、問題は大きいと思います。

    私の知っている限り、そういう事実はありません。
    医学、自然科学の世界からご覧になれば奇異に映るかもしれませんが、政策論の世界とはこういうものです。
    問題は大きいのですが、証拠もない憶測の陰謀論が繰り返し論じられます。
    政策論の世界では、嘘も百回繰り返される中で、それが真実として大衆に信じられて、おおきな世論のうねりとなります。
    企業相手の憶測でしたら、企業は訴訟に訴えますけど、
    官僚相手ですと論者には何のリスクもありませんので、この手の論は絶えることがありません。
    そして、常に一定のニーズもありますし。
 10月10日  今日も順調にランダムに話題が飛んでいったわけで
 10月9日  ふむっ、この記事をみて、マーシャルプランを思い出したぞ。。。 マーシャルプラン
  •  1947年6月5日、ハーヴァード大学の学位授与式に臨席したマーシャルは記念講演の中で、米国が欧州に対して大規模な復興援助を供与する用意がある旨を表明した。
健マネのシンポジウムで頼まれるままに大学で話をしただけなのに、記事になるとは(T_T)トホホッ
まぁ、僕が何をいっても何も変わらないので、ご安心あれ。
 10月8日  
  • > 某編集委員が日経新聞電子版に記事を書き始めました。。。
    > 国民会議批判のようです。。。
この前は国会における官僚の暗躍の話を書いていたけど、今回は、国民会議ときたかい(笑)。
最近は、制度の話はしないで、陰謀話に徹しているみたいですね。賢い選択だと思います。
政治部チックな記事は誰にでも書けるけど、生活部、社会保障部あたりの記事は勉強しないと書けないですから。
彼が制度・政策論を苦手とすることは、2008年あたりの彼の間違いを批判している記事がいくつも入っている次などを、みんなみることだね。
日経も立派で、あれだけ日経の信用を落とした編集委員をずっと変えないでいるというのはたいしたもんです。
細野真宏さんのベストセラー『未納で年金が破綻するって誰が言った?』は、答えは彼。
まぁ、僕は随分と前から、医療福祉関係をはじめとした社会保障関係者は、
日経の彼の記事、社説は読む必要はまったくないと言っています。
それを聞く人たちと、以前は、その話題で盛り上がったのですが、
今は、あまりにもひどいからあの新聞を読んでいないという人もいけっこういて、以前のようには盛り上がらない。

そう言えば、最近も、支給開始年齢のことでまた妙なことを書いていましたね。
とにかく、彼は考えようとしない、学ぼうとせず、
そのあたりの年金論者同様、過去の間違いを反省することもなく、理解できないことは陰謀論で片付けようとするのだからどうしようもない。

次もどうかな。もう、一ヶ月以上経つからいいだろう。 次も、もういいだろう。 このインタビューは、次を書いた後に引き受けた仕事です。 次もどうかな。ちょうど昨日、送ったメール。
  •  特に年金について言えば、年金論がある程度鎮まったのは、記者たちが、学者、研究者というのはその程度のものなのか!?という域に達し、
    彼らの言うことを鵜呑みにしなくなったからです。
    僕は、今を生きている世代は、過去の学者が築いてきた信頼という資産を食いつぶしている世代だと言っています。
    世間は学者だからといって信用して、ある程度の社会的地位を与えてきたが、中身はトンデモ論。
    まじめにものを考えてきたメディア人の方がはるかに理論的にも人としても優秀。次に書いている通りです。
    ・「大切なことは考え抜いた制度を作ること」『年金時代』2012年1月号(No.604号)
 10月7日  そうでした。
昨日の昼休みにご挨拶頂いた皆さま、当方、パソコンに向かいっぱなしで申し訳なかったです。
昼休みの打合せの中で、私も原局長に続いて報告すると言われまして、あわててスライドを作っておりました。
昼休みに弁当を食べながら、「僕は、座っておけばいいんだよね」とのんびりと構えていたら、どうも違いました。
 10月5日  桑ちゃん、紹介しておきます。「美しい死」の出所は、森亘先生『医とまごころの道標 2枚目のスライドは、2005年に健マネがはじまった時のガイダンス講義「健康スポーツマネジメント概論」の講義で使ったものです。
オムニバス形式の講義の第1回目が私の担当だったようですから、今思えば、健マネの第1回目講義は、私がやっているということかと思います。
その講義のテーマが、「すぐには役に立たない(かもしれない)学問のすすめ」ということですね。

今日少し話した、保団連主催のシンポジウム 明日はこれです。
   下記、風呂の文章に出てくる政治家は、3年後に次のように陳謝している。 とにかく、今の韓国もそうかもしれんが、日本はこの10年、年金をめぐって実にバカバカしいことが起こりすぎていた。次も見ておきな。 ついでに言えば、8月2日にアップされている年金報告書第1校にあった、次の文章は
  •  今後の社会経済情勢の変化に対応して適時適切な改革を行っていくことは必要であるものの、基本的に制度の長期的な持続可能性は確保されている。この認識は、一体改革関連法案の審議の過程で、当時の総理大臣をはじめ関係閣僚が答弁で明らかにしている。
民主党というか、岡田氏推薦の委員の修正要求に基づいて、8月5日には次のように変えられ、「関係閣僚」の言葉が消されることになる。
  •  改善すべき課題は残されているが、現行の制度が破綻していないという認識を、一体改革関連法案の審議の過程で、当時の総理大臣も答弁している。
バカバカしいが、まっ、世の中、そんなもんだ。
   江戸の敵のはなし それと、次
 10月3日  今日、飛びに飛んで行き着いた話題が次。ご参照あれ。 このフィージビリティ・テストとは、次のシミュレーション 7月、報告書をまとめていた頃に出したメール
  •  年金にセイフティネットを使うと、事前なのか事後なのか、防貧なのか救貧なのか、不明確になります。
    ある時期から、年金にセイフティネットを使い始める人が参入してきたために、年金論がおかしくなったということもできると思います。

    なお、2008年国民会議は、報告書では試算結果そのものが大切。
    その試算結果を見た人たちに、自分でフィージビリティの判断をゆだねる。
    フィージビリティがあるとかないとかの判断は、いっさい押しつけていない。
    しかしあの結果を読んだ世間の人たちが、自然に、租税方式を語らなくなった。この現状こそが、ファクト。

    政策のフィージビリティなんてのは事前に実験できないんだから、「私はできると思う」と言い続けられれば、第三者は、絶対に否定できない論理構造をもっています。
    あの国民会議のやり方は、試算結果だけを示し、あとは読む人たちの感覚に任せて押しつけなかったというところに特徴があります。
   んっ、この挿絵、なかなか。
 10月2日  
 9月28日  
  • > 挑戦するのは我々が頑張りますので、権丈先生にはいつもどおり・・・
ホッ。
生まれてこのかた、挑戦なんかしたことないからねぇ( ̄。 ̄ )ボソ...
   んっ? 講演は僕1人かぃ(笑) わっ、わるいが、挑戦なんてのが一番似合わない奴だぞ、脱力系のおれは。。。まぁ、挑戦するのは僕じゃないから、まっ、いいか(笑)。
 9月26日  今日、次の話をしていたら、なぜだか、写真を作った?龍平が、卒業しているのに授業に出席してたわけだ・・・後ろの方に座っていて15キロ減ったらしいから、わからんかったよ。 でだ。今日話したように、次の依頼を受けた文章が、10月号に出ます。
  •  商学部 権丈善一先生

    初めてご連絡差し上げます。慶應義塾機関誌「三田評論」編集部の奥田と申します。
    このたびは不躾ながら、先生に本誌2013年10月号のコーナー「社中交歓」へのご執筆をお願いしたく、メールを差し上げました。

    このコーナーは、毎月一つのキーワードについて、視点・立場を変えて4名の方(慶應義塾大学卒業生・教職員)にご執筆いただくものです。
    10月は「銭湯」をキーワードとさせていただいております。(10月10日が「銭湯の日」であることから)
だっ、誰が、推薦したんだ。。。アホッ
 9月25日 ここにありますので、どうぞ。
  • 第20回社会保障制度改革国民会議 配布資料 
    3月の末に、新田先生、宮武先生と飲んでいるときに、「権丈さん、10月6日、空いてる?」と言われて、「ああ、暇にしてますよ」と軽く答えた話。
随分と大がかりな話であることを、ようやく知りました。。。
   17日に中野サンプラザで話をした、池澤先生が随分と前に書いてくださった書評というのは次です。 上記文章を今読み返すと、当時から考えていたことが、今回の報告書に現れていますね。
  •  社会保障制度改革国民会議報告書 ~確かな社会保障を将来世代に伝えるための道筋~  23頁
     データの可視化を通じた客観的データに基づく政策医療消費の格差を招来する市場の力でもなく、提供体制側の創意工夫を阻害するおそれがある政府の力でもないものとして、データによる制御機構をもって医療ニーズと提供体制のマッチングを図るシステムの確立を要請する声が上がっていることにも留意せねばならない。そして、そうしたシステムの下では、医療専門職集団の自己規律も、社会から一層強く求められることは言うまでもない。
ちなみに、報告書の中では、「可視化」という、昔からある普通の日本語を使ってるのであしからず。
 9月21日  一昨日、はじめに紹介した文章は、次です。〔Ⅰ巻143-144頁〕。
  •  
ということで、人の問いの立て方に影響を与えるデータの作り方から話をはじめたわけです。

配付資料は次
 9月12日  
  • ところで権丈先生、私の参加できそうなシンポジウムなどのご予定はありませんか?
こんくらいかね。
   どもな
  • > 追伸:先生のHPの最新の日付が8月になっていますよ。
   ここですね。
 9月5日  はいはい
   う~ん、これもだな。
   明日の配付資料は、次あたりを思案中
   次にアップされています。 最近、「道義が分かる剣闘士の場合と犬の場合では、対応は違う」という会話が、説明なしで通じるようになって、とても便利です。
   以前紹介した、政策形成過程を学ぶ教材、健保連の政治行動を、もう一度ご確認ください。
 9月3日  そうでした。昨日大学に行ったら、メールボックスがいっぱいになっていて、他に、入らなくなった郵便物を入れる箱も準備されていました。
貴重な改革案、陳情書、嘆願書をはじめ、報告書が出た後の批判等、いろいろとありがとうございました。
でも、ぜんぶ、間に合いませんでした、はい。いつから大学に行ってなかったかは、秘密です。

一番おもしろかったのは、京都府保険医協会の談話かな。
他にも、いくつかの〇〇総研から医療・介護の抜本改革案も送られてきてましたね。医療保険はミニマムに抑えて、混合診療を解禁しろ!とか。
これらを読みながら考えていたことは、こういうシンクタンクは総額どれくらいのGDPを生んでいるのかを学生に計算させて、GDPの意味を考える教材に使おうかなということでしょうか。
日本とかいう名をつけたシンクタンクもあるけど、彼らの論を聞けば分かるように、なにも、日本のことを考えているわけじゃないからな。
まぁ、前身はさくらとかだったりして、ネーミング、マーケティングの勝利という類の話だ。

そう言えば、アメリカのシンクタンクについて書いた文章があったな。
 9月2日  今日、久しぶりに大学に出かけたら、届いていたよ。。。国民会議の辞令
うん、まぁ、たしかに、あの名前の任命権者の辞令は、ぜんぶ終わってから送るのが無難と判断されたのは、正解!
昨年11月29日からの保管、どうもありがとう(笑)。

でっ、今日、何のために研究室に行ったのかというと、次のインタビューのため。 引き受けることができてよかったです。
   すべての議事録が出そろったようですね。 9月1日から、新体制でいくのかな、
  • このたび、小職は9月1日付けで異動することとなりました。
    ・・・
    引き続き、社会保障改革担当室を何卒よろしくお願いいたします。
やだよ(笑)。
いろいろとお疲れ様でした・・・と言いますか、お騒がせしましたっかな、事務局の皆さん。

でっ、だ。
教育検討会は、密かにやってるんだって。
教育検討会の本体は4月25日に終わってますけど、その後、教材作成PTを7回もやっていて、僕は高校の先生達と一緒に教材について打合せをしていたわけだ。 8月1日夜の、国民会議報告書の事前記者レクの際、後方に座って聞いていたのも、直前の6時まで教材検討PT.をやっていたからです。
ついつい、冷やかしに行きたくなってですね。
ゼミの学生の眼からみれば、朝の5時半に合宿所を出て行った日の夕方のこと。あの日は11時から講演があったんだよな。無事終了でした。
 8月30日   はいはい。
 8月28日 今日話した、魯迅の「水に落ちた犬を打て」。次の説明が分かりやすいでしょうね。 話は変わりますが、年金で、向こうの世界にいる人たちは、不思議と、細野真宏さんの言う次の特徴を持つ人が多いそうです。
  • 権丈委員追加提出資料中の細野さんの話
    破綻論者のもう一つの特徴として、「御用学者」や「官僚に取り込まれた」という表現を多用することが挙げられます。
    これは、人を思考停止に陥れる「魔法の言葉」ですが、実は単なる「レッテル張り」で、論理からは懸け離れています。
    安易な「レッテル張り」で他者の信用を落とし、自説を信用させるのは、チープな霊能者が行う典型的な手法です。
    もし論理がしっかりしていれば、こんな無意味な表現を使う必要はないはず。つまり表現から、その発言者のレベ
    ルも分かります。年金など社会保障の分野は引っかけ問題が多い分、冷静に情報を見極めるのが重要になるのです
そう言えば、以前、次のような仮説を立てたことがありましたね。
  • 大切なことは考え抜いた制度を作ること」『年金時代』2012年1月号(No.604号)
     おそらく、出たがり屋という要因とトンデモ論を言える才能、それと僕が学生に小さなウソの陰謀論と話している、何でも厚労省のせいにする厚労省陰謀論を信じる資質は密接な関係があるのではないかという仮説を立てているのですけど、どう思いますか?
 8月27日  ニュースもない季節だから、いいんじゃないかな、なんだか盛り上がっていて。
手帳をみると、去年の総裁選が9月26日、その2日後に、いずれこの国で起こるであろうことを見通しながら書き上げた原稿は次だね。 ちなみに、「関連法案が成立した後、近いうちに国民の信を問う」との合意が、三党の党首の間でなされたのは、8月8日。

少し違う話だけど、最近僕らの間で話題になっていた、まともな野党、バカな野党の話は次。 一体改革をめぐる一連の動きの最大の功労者は、まともな野党の党首だろうな。
前総理は、その最大の功労者、最大の協力者、いわば恩人を「近いうちに」という言葉で騙し見捨てた・・・僕にはそう見えるわけだ。
彼らが出席する昨年11月30日の第1回社会保障制度改革国民会議に、僕が顔を出すはずがない。

なお、党首討論で、当時の総理が「16日に解散をします。やりましょう」と発言したのは、11月14日水曜日。
翌週の11月19日月曜日には国民会議の委員が確定し、各委員への打診が始まる。火曜日の夜までに返事をしていなかったのは、僕だけだった模様。
翌21日水曜日に、教育検討会があったので、その前に霞ヶ関で人に会い、次の2点を伝える。
 ・年金ならば、この件は断る。
 ・11月30日は、ゼミの説明会で日吉に行くことになっているので、第1回目は欠席する。
 8月26日  次は年金の話ですが、医療、介護、福祉関係者および財政に関心のある人は是非とも読み通しておいてください。
ここ10年ほど、みなさんが抱える深刻かつ重要な問題が、いかにくだらない話のために議論をする時間と政治空間から閉め出されていたのかが分かると思います。 次の場所にあります。 この資料には、4つのバージョンがあり、第1バージョンは次の6月3日版。
この6月3日版は、7月の某所での記者勉強会で使った資料であり、もうひとつ、5月17日に年金局が配布した次の資料も使用。
6月3日版に随分と引用している「年金実務2000号記念座談会」について、先日、知人からおもしろいブログがあるとのメールが・・・
  • アクチュアリーの練習帳
     権丈先生というのは知る人ぞ知る慶應大学の商学部の先生で、年金や医療などに関して何かあるとすぐに方々からお呼びがかかって辛口の正論を誰に向かってもぶつける、学者にしておくのは勿体無いくらいの本物の学者です。
    ???
うん、まぁ、知る人ぞ知るくらいの知られ方で生きていきたいとは思っています。
先日も、講演会のポスターを作るために写真をとの連絡が来たので・・・
  • 写真は、有名人だったらあったほうがいいだろうけど、顔は知られていないから、写真があっても、出席者はひとりも増えないぞ。
    ということで、写真はなしでいこう。写真付きポスターなんて、考えただけでも、耐えられん。
 8月19日
 2週合併号から2週間経ったので ちなみに、作用・反作用の話は次にありますね。
 8月12日  そうかい
  •  Sent: Monday, August 12, 2013 6:28 PM
    Subject: [社会保障大学院 00361] Re: 10日のビアガーデンは難しそうです。

    そういえば、10日の時に言おうと思っていて忘れてしまったのですが、
    あの彦根東高校が甲子園に初出場のようですね!

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130812-00000017-ykf-spo
参考までに この「第3回社会保障の教育推進に関する検討会」(2012年2月22日)では、配付資料としてリンクはしていないけど、委員をはじめ傍聴席の人たち全員に次も配っている。
 8月5日  本日発売
  • 経済を見る眼「医療・介護の一体改革」『週刊東洋経済』2013年8月10-17日号
    ・・・
     同じ費用をかけて、より質が高く、ゆえに満足度の高いサービスを提供できる効率化策があるのならば、躊躇なく推し進めればよい。
    そうした考えの下に、今般の国民会議は、迎えるべく超高齢社会に向けて、医療・介護の一体改革を目指そうではないか、と呼びかけている。
国民会議、本日終了。
そして、民主党、三党協議から離脱表明 会議終了後の会話。
 「まぁ、昨年の会議開始の時から言っていたけど、僕としては、彼らがいた方がやりやすかった。
 僕は作用・反作用の反作用の人間。彼らが何かを言うから、それを受けて発言してきたようなもんだ」

議事録をみれば、少子化の時以外は例外なく、彼らの発言があった後に、僕はそれを受けた形で話をしているはずだ。
次の「タケコプター」の文章もどうかな。彼らがいなかったら、タケコプターの話など話題にさえならなかっただろう。 「新年金制度」もしっかりとフィージビリティに及ぶまで議論ができて、報告書の中で「2段階方式」という永遠の夢物語の話に祭り上げることができたのは、民主党が推薦して委員となった、彼らのおかげだよ。感謝せねばな。

どこぞの政党も、本当に再起をはかりたいのならば、政治パフォーマンスばかりに夢中になる前に、研究者のレベルを見極める能力を少しは身につけることだな。
売り込みどうりに受け入れてきた結果が、今の状況だろう。彼らには、年金で政権交代が起こり、この国を大混乱に陥らした自覚がどれほどあることか。
   
  • 「ご当地医療、あれは、やっぱり、ご当地アイドルからのパクリですか?」
あほっ
   
 8月3日   次もどうぞ。 ご参考までに
  • 医療年金問題の考え方――再分配政策の政治経済学』(2006年)131頁
     公的年金の負担給付比率や内部収益率の世代間格差を問題視する人たちも、おそらく高齢高所得者の生活水準と現役世代の生活水準の間のアンバランスをどうにかしたいと考えているのだと思う。負担給付比率の大きな格差そのものを問題だと考えているのではないであろう。たとえば、いくら彼らでも、障害年金の負担給付比率や内部収益率が、障害年金を受給していない人たちの年金よりも大きいからといって、その格差を世代間格差と同じように大きく問題視するとは思えない。年金にまつわる問題の根は、高齢高所得者の生活水準と現役世代の生活水準の間のアンバランスにあるはずである。
    さて、そういうことであれば、彼らの言動は、わたくしにはきわめて浅はかなものと映るのであるのである。わたくしは、年金受給者や第1次ベビー・ブーマーを、高所得者層と中所得者層以下に分割することにより、中所得者層以下をわれわれ勤労世代の味方になってもらい、高齢高所得層への課税強化、クロー・バック制の導入、そして年金目的相続税の創設を実現させる方法を手探りしている段階にある。ここに世代間格差論者たちが、高齢者をひとくくりにして高齢者対勤労世代の対立を煽るとなると、高齢者が一枚岩になってしまうおそれが出てくる。高齢者が一枚岩となられると、いろいろな改革が難しくなる。彼らを分割し、高齢中・低所得層の支持を得てこそ、われわれ勤労世代が望む政策が実行力を伴うことになるのである。そうであるのに、世代間格差論者たちは、こうしたわたくしの展望の足を引っ張ってばかりいるように思える。
上の文章は、次の15頁にもある。
 7月31日  
  • さきほど、いわゆる「縛り」が成立しまして、8/2夕までは・・・。
まぁ、その世界も、競争よりも協調の方が良い仕事できるんじゃないかぃ。
  納付率のところは、71ページのシミュレーション報告書の中のたった1ページだぞ。バカバカしい。
   まぁ、おもしろいと言っちゃぁなんだけど――デビュー当時の1980年代は、積立方式論者だったことを知ると、もっとおもしろくなるかな。 ご参考までに
   昨日話した国民負担率、税収、社会保険料収入の推移は、次の私の講演録図表6、図表7にあります。
 7月30日  次は、昨日の会議中に届いたメール
  •  Sent: Monday, July 29, 2013 2:40 PM
    Subject: 国民年金法の解説

    権丈善一さま

    いつもお世話になっております。

     国民会議お疲れさまです。
     小山進次郎元年金局長の「国民年金法の解説」(昭和34年)のお話をされましたね。
     「国民年金制度が現在生成発展の途上にあることを考え、どの点が問題であり、かつ、どういう方向に解決さるべきか、を許される限り明らかにするに努めた」ご著書で、年金の勉強を始めたときに、教科書として読み込んだことを思い出して、非常に懐かしく思いました。いや、懐かしがってはだめですね。いまでも、頭においておかなければならないと、改めて実感しました。
     先生があげられたお言葉も含めて、次のような部分が印象に残っています。

    「国民年金制度は国民の強い要望が政治の断固たる決断を促し、われわれ行政官のこざかしい思慮や分別を乗り越えて生まれ出た制度である。」
    「国民皆保険のいまだ完成を見ぬうちにこの制度の実施に踏み切ったことから生ずる若干の無理が、この制度の内容にある程度の物足りなさを残していることは否定できない」。
    「いかにすれば、国民の要望と政治家の決断がぴったりと合い、かつ、私たち社会保障行政に従事している者も方向としてはかねてから念願していた国民年金制度実現の可能性に、具体的な形を与えることができるか」

     読売の猪熊さんも「一緒に学ぼう 社会保障のABC」で、この辺については詳しく触れられていますね。
     「国民年金法の解説」については、少なくとも年金について記事を書く記者は目を通しておくべきだと思いますが、なかなか、そうでもないですね。というか、年金について語る経済学者が読むべきといった方が良いのでしょうね。どうせ読まないでしょうが(笑)

     ちなみに、先生が少し前に紹介されていた経済同友会の意見書は、「超党派の国会議員」を中心に「利害を超えたメンバー」でポスト国民会議を設置せよ、といいながらも、「ポスト「国民会議」には以下の点について結論を求める」として4点上げており、なんのために会議を設置するのかがよくわからない感じになっています(笑)
 
  • > 国民会議終結を機に久々に弊社のインタビューに御登場いただけないでしょうか。
う~ん
   前期高齢者の費用負担方法は、かつての老健と同じ。
今の保険局はそれを不公平と考え、僕はかなり公平に設計されたものと評価する。
下記、2002年頃に百科事典『エンカルタ』に書いた、老人保健制度の費用負担に関する説明。 なお、こうした費用負担方法への彼らの現在の評価は、先日も直接話したように、彼らの組織の中では、歴史的には異形。
彼らの先輩たちは、彼らと異なり、僕と同じような評価をしていたはず。
当方の目下の関心は、一体彼らに何が起こったのか、だな。 もご参照あれ。次もだな。
   
 7月28日  昨日の日病で話した、みなさん必見の動画というのは下記。 そして、上記の会議に出席した経済同友会は、ポスト社会保障国民会議を提案することになります。
 7月27日
  • 「どこから物がながれているかは、だいたい分かりますけどね」
    「まぁ、小学生の時に、僕の家に卓球台があるから遊びに来てよぉというのがいたけど、あれと一緒だろうな(笑)」 
以前、こういう連絡が来てたよ
  • ・・・
    私も特ダネ取りをしていた時代があります。でも、特ダネって、所詮、だれかがくれる物だし、「ありがとうございます」と、貰う物なんですよね。
    そのころ、ネタ元から「いずれ出る話は、1週間早く新聞に出たって、別にさして困らないんだよ。情報には、世の中に永遠に出せないものがあって、そういうものは出せないんだけど」って言われたことがありました。醒めた1つのきっかけでしたね。
    ・・・
こういうのも届いていたな
  •  諦めているとか野心がなくなるとかじゃなくて、先生の本を読み、話を伺い、少し理解できるようになると、日々の紙面のことが浅薄に思えるんですよねー。
    で、これは仕方ないことなんですが、権丈理論を、例えば12字詰めで100行の原稿に反映させるのは、たいていの記者(私も含めて)難しすぎる。先生の考えと、会社から求められているものとの乖離が大きいっていうか。。。
    そして、興味を持つようになると、どんどん知人度が上がっていくんですが、それを記事に反映するのは困難すぎて、記者としてはスタックしてしまうんですね。私もそれで苦しんだ時期があります。

    知人度が上がったなりに、記者としての野心はありますよ。
    正しいことをいかに正しく書き、権丈先生やプロをうならせるか、っていう野心ね。
    知人度が高い記者は、ほかに先駆けて一面記事にすることもさることながら、その記事に「うならせる」解説原稿をつけられるか、で勝負したいんじゃないかなー。
 7月24日
  •  Subject: 驚きました

    権丈先生

    朝から失礼します。

    国民会議第4回の動画を見ました。・・・動画はあんまり見ないのですが、一気に見てしまいました。

    経済諸団体も連合も、驚くほど視野が狭く、しかもこういう場に出てくる人でさえ細部や現場レベルでの問題を知らないまま意見を言うことに驚きました。
    先生が手を差し伸べた部分がありましたが、恐らく理解されていないのではと。
 2月19日の会議動画がアップされたころ、次のような連絡も来ていました。
  •  さて、第4回、国民会議、面白すぎます。
    映像は、いいですね。全てを語ってくれます。

    経済界の代表も、「考えたことがない」「アイディアがない」とあまりに、率直です(笑)。

    委員のみなさんは、ジャイアンを優しく諭す、仏陀のようです。
    先生も非常に抑制的で。

    早速、周囲に「必見」と案内しております。

    大島先生が経団連の医療観がないことを白日に晒し、権丈先生が事実で経団連の主張の矛盾を突いた構図が絶妙だと感じた次第です。
 7月19日  これは動画がいいだろうな。委員のみんなも、ある意味、驚いた日です。どういう意味で驚いたのかは、動画をみて考えてください。 政策形成過程、政治過程の話をしたのは次。
 7月16日  次も年金ですね。
 7月15日   次の2回の議事録を 次もご参照あれ もうひとつ、同じ6月17日

先日12日、国会議事堂前駅を降りたら山崎先生とばったり。官邸までの道で、「権丈さんは、なんで二段階方式ならいいと言ってあげたの?」。
「えっ、まぁ、藤澤先生が、本当のバカにはバカと言ってはいかんぞっと言われてましたし。。。」。
山崎先生は、藤澤先生をよくご存知で、山崎先生の先生の小山路男先生は藤澤先生と一緒に本を書いたりされていた方。
山崎先生と僕の考え方は、次でもご参照あれ。 ちなみに、社会保障改革に関する有識者検討会 構成員
 7月14日  一週間以上経ったし、先日の国民会議の時に神野先生にも許可をもらったから、いいかな。
 7月13日  「年金制度だけですべてを解決しようとすることにも無理があるのではないか」
たしかにその通り。 年金にはできることとできないことがある。
僕は、防貧機能に特化した制度として運営されてきた年金に救貧機能を加えると、許しがたいおかしなことが頻出すると考えている。
たとえば、一次分配の有様が壊れてきたら年金は機能しなくなる。しかしだからといって、年金に一次分配の不備を補整する機能全般を担わせることには無理がある。

先日の年綜研の時にも話したように、ひょっとするとそうした考え方は古いのかもしれない。
しかし僕は考え方を変えないから、古いと思うのならば、みんなが、僕を公の仕事に呼ばなければすむだけの話。

ところで先日も話したように、今のゼミは15期。毎年10人から15人が卒論を書いてきたわけど、いまだ一人も年金で卒論を書いたものはいない。
理由は簡単。僕が、卒論で年金をやるのはやめとけっと指導してきたから。
僕の仕事は、彼ら学生を賢くすること。どう考えても、そこらの年金経済学者のマネをしても、学生は少しも賢くなりはしないわけでね。
ただし、賢くなった卒業生が、年金にかかわることは否定はしていないのであしからず。

昨日、国民会議委員の年金の著作を再読していて、次のような文章が書かれているのをみて再び頭が痛くなったよ。
「例えて言えば、不倫をしても隠し通すことが家族を守る事だと信ずる夫と同じだ」。この「夫」というのは厚労省のことらしい。
どうも彼は、基礎年金はフィクションであるということを言うために、こういう例えを出したようだが、実は彼が基礎年金はフィクションだという論の方が、怪しい。
その論のおかしさは、以前、年金部会で、僕が彼の本を抱えて行って、「ここ、間違えているぞ」と指摘したこともあるけど、いまだに分かっていないんだろう。

そして、昨日、面白いことが。
僕が人を知っている度合い、すなわち知人度が0~1の間で分布しているものとする。
昨日の国民会議の後、知人度0~0.5くらいの記者何人かと一緒にいたら、彼らは、医療介護の報告書がどうなるのかについて必死に聞き出そうとする。
「先生の頭の中に入りたい」とか「今はみんなが先生の一挙手一投足に注目しています」とか云々。
僕は相変わらず、「いつ頃までに起草文は書き上げるように言われてますか」と質問されても、「アホ、教えてあげないよっ」と答えるだけ。
ある記者さんが言うには、ここは普通は思わせぶりな返事をするところらしいが、僕はまったく違うらしく、「そう答えられたら、すがすがしいです(笑)」と。

でっだ。
17日の夜、年綜研で、10数人の記者に年金の話をして、そのまま2次会に流れて、12時くらいまで飲んでいたんだけど、
その間、国民会議の起草文の話なんかは、みんななんの関心もなさそうな感じで、僕は調子よく年金の話ばかりをしていた・・・他にバカ話も。
要するに、そこで飲んでいた記者達は、知人度が1に近いメンバーばかり。
まぁ、みんな、長いつきあいの中で、僕に何かを聞いてもどうしようもないと諦めているのか、それとも、記者としての野心が少なくなるにつれて、僕との知人度1に近づいていくのか。
ひょっとすると後者なのかもしれないと、思案中( ̄。 ̄ )ボソ...

昨日も、知人度0.5くらいの記者に、「どうせ一ヶ月後には分かる話を、少し早めに分かったからって、なんの意味もないぞ。昔から言っているけど、だいたい、明日には分かることを今日知ったからって、何の意味があるんだ。今朝の記者は、あれで、君たちの中での評価は高まったのか? あんな内容の記事が一面の価値があるか?バカバカしい」。すると、「いや、記者としての高い評価を得ようと思って書いたみたんでしょうけど、あの記事は、転けてましたね」っと。付け加えて、「ただ、あの記事は、少なくとも10人くらいの他紙の記者を、朝から慌ただしく走らせたことだけは事実です。ただ、それだけでしょうかね」。
ところで、昨日の産経新聞。昨日配布された資料3を、一日早く、誰かから入手したというだけのことだろうな。
 7月12日  一昨日の続き
年金政策形成における政治主導とアクチュアリーの関係は、次をご参照あれ。 では、年金にかかわる社会科学者の役割は?
大切なことは経済の歴史、市場の働きの歴史、市場周りで起こってきた政治経済学的歴史をしっかりとおさえること。その上で、年金とかかわること。
そして、そうした歴史センスは、そこらの年金経済学者がやってきた年金の勉強方法では身につかないもの。
次をご参照あれ。 次もどうかな。
   次もご参照あれ
 7月11日  昨日の皆さん、次、どうかな。 3月30日に紹介した文章だから、もういいだろうかね。 学生くん達には、おもしろさが分からないだろうけど、次をみてごらん。 それと、昨日話したのは次です。
  • 「書評 小泉信三(1966)『福沢諭吉』」『三田評論』20065月号

    「求めて当たり障りの強いことを言い、いわば曲がった弓を矯めるため常にこれを反対の方向に曲げることを厭わぬ」性質

 7月7日  議事録が6月13日第16回までアップされていますね。
 7月5日  昨日話したのは、次。
  • 神野直彦先生「社会保障は家族関係の社会化」『週刊東洋経済』2013.7.6
いつも言っているように、家族単体でのリスクプーリング機能が産業化の過程で様々な理由ゆえに弱体化していく中で、社会保障は生まれ育ってきた。
要は、保険技術と再分配という手段を用いて、それまでの家族規模を徐々に拡大してリスクプーリング機能を強化していったようなもの。
年金も同じ。だから僕は、年金は世代と世代の助け合いという言葉を、実は、一度も使ったことがないんだよな――どうもぴんとこない。年金は、世代と世代の間だけで機能しているわけではないんだし。
 7月3日  
  • マイナンバーでも税格差-正確な所得把握 難しく」『日経新聞』
      国民一人ひとりに番号を振り、税の徴収や社会保障給付に役立てようという共通番号(マイナンバー)法が国会で成立した。
    これで個人のおカネ回りが透明になり、公平な税負担や給付が実現すると思いきや、実はそう簡単ではなさそうだ。
    ・・・
     宮島洋・東大名誉教授は「社会保障制度側でも、給与や年金だけで判断していた給付基準を改めて検討し直すべきではないか」と指摘する。
   次は、2005年10月、郵政民営化選挙のすぐ後、ケンブリッジにいるときに書いてますね。 新聞を手に入れたセインズベリーはシドニー・ストリートのセインズベリーで、手に入れた新聞は日経新聞。
11頁に書いている、次の文章――イギリスから日本の記者に送ったメールの文面――が、後、2008年に、社会保障国民会議で年金試算を要求する発想の源だろうね。
  •  先日も書きましたように、わたくしが今、年金に対して最も大切と考えていることは、次の選挙で、年金を政争の具とした政党が得票率を落とす政治環境をつくることです。
    そのために、各省庁のマンパワーをフル活用して、各政党がマニフェストに描いた年金案に肉付けしてあげ、具体的年金案を作りあげる。次に、両院合同会議でそれら年金案の技術的・政治的実行可能性を、公開のもとで広く議論し、どの政党が、毛針で無知な有権者を釣るに似た卑怯な選挙戦略、すなわち実現可能性のない年金案で有権者を騙そうとしたのかを明らかにする。そこで明らかにされた情報を、ひろく有権者に届くように限りなく努め、これからもこの一連の作業を繰り返し行うという姿勢を、野党に知らしめる。
    ・・・
    面倒ですが、これは民主主義を運営するためのコストです。このコストを負担しておかないと、次の総選挙で、野党が、また同じように年金で仕掛けてくる可能性はゼロでなく、そこでなされる不毛な政争のなかで、年金への誤解や過剰な不信感が国民に植え付けられることのほうが、はるかに大きなコストを求めることになると思えます。年金が政争の具とされると、災難なのは国民。このことは分かっておいてください。
先月の年綜研の2次会?で話したように、このメールは、N新聞の記者さんに送ったものです。
19頁以降のメールは、A新聞の記者さんに送ったものですね。
 7月1日   この件に関しては、先週、次の連絡が届いていましたね。
  • Sent: Monday, June 24, 2013 1:20 PM
    Subject: 日経新聞

    国民年金の納付率が公表され、各紙が記事にしています。
    日経新聞は…

    「国民年金納付率、12年度は59% 4年連続目標割れ」
    http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC24005_U3A620C1MM0000/

    他媒体の多くが7年ぶりに増加したことを見出しにしているのに対し、4年連続
    目標割れを見出しにするところが、日経らしいですね。

    本文を見ると
    「未納した分は年金の受給額に反映されないため年金財政への影響は限られるが、…」

    さすがに学習しているようです(笑)
   今日の二木先生のニューズレターに次の文章があったので
  •  以上を踏まえると、今年に入っても「日本経済新聞」が混合診療解禁論を繰り返したり(4月8日朝刊「混合診療こじれて10年」)、「読売新聞」が「医療改革提言」(5月8日朝刊)で「混合診療の拡大で新技術を促進」しようと主張しているのは、医療政策(の流れ)についてのセンスに欠けると言わざるを得ません。しかも、両紙が現行の保険外併用療養費制度についてほとんど触れず、混合診療が全面禁止されているとの誤った印象を読者に与えるのは、不誠実です。なお、「日本経済新聞」の上記記事については、早川幸子氏と宮武剛氏が適切な批判をされています(3,4)。
まず、日経の記事 早川幸子さんの文章は 宮武先生の文章は、僕も近々、ここで紹介しようと思って、大学から持ち帰っていたところ――僕は慶應健保の理事として、健保連発行の『健康保険』が毎月メールボックスに入れられているので、健保連がどのような政治活動をしているのかに妙に詳しかったりもします。 ところで、これは、去年だな、次のような連絡が来てる
  •  ちなみに、宮武先生が、なぜ、あそこまで年金に対する感性が高いのかも私の研究テーマです(笑)
まったくもって、その通りでね(笑)。僕がはじめて国民会議に出席した昨年12月7日の、宮武先生の次の発言などまさにおみごと。
  •  ○宮武委員 様々な意見のある中でおまとめになった御苦労は重々わかります
    けれども、どうにも理解できない点が2つ法律としてございまして、まず、
    受給資格期間の短縮なのですが、日本の受給資格期間は、納付期間と免除期
    間を入れて25 年で長いとおっしゃって、例えばアメリカは10 年だ、ドイツ
    は5年だ、フランス、イギリスは特に受給期間はないとおっしゃるわけです
    が、それらの国々は皆保険体制の国ではないわけでありまして、失業してあ
    るいは倒産をして所得がなくなったり乏しくなったりすれば、制度から脱退
    ができるわけです。仕事に復帰できて所得が戻ればまた入るという形の出入
    りが可能な制度です。日本の場合は皆年金制度でございますので、失業しよ
    うが倒産しようが強制加入で入っていなければいけない。ですから、そのた
    めに免除制度が設けてあって、全額から4分の3免除まで4段階の免除制度
    がある。それを活用すれば、25 年という免除期間を含む通算であれば、そん
    なに難しい障壁ではないわけです。それを無視されて、あるいは軽視されて
    いるのではないか。10 年になさるということは、確かに無年金者は減るけれ
    ども、低年金者は、大げさに言えば大量発生するかもわかりません。今まで
    25 年が1つの目途であった。今、10 年でいいということになれば、保険料を
    徴収する現場も大変困ると思います。しかももっと悪知恵を働かせれば、60
    歳までずっと払っていなくて、60 歳の時点で任意加入をして10 年加入できま
    すので、後出しじゃんけんのような形で加入し、年金権を得ることができる。
    しかもさらに理解できないのは、そういう低年金者を大量発生させるような
    法律をつくって、福祉的な措置として障害者は別ですが、低所得者と言われ
    る人たちに対して、いわば福祉的な給付を行われる。これは政策矛盾ではな
    いかと思うのです。
    下世話な言葉で言うと、マッチポンプみたいなものです。低年金者をつく
    っておいて、そこのところに手当をしていく。ここがどうにも理解できない
    ので、神野委員にお聞きしたいのは、どういう経緯であったのか、年金部会
    をなぜこういうのが通ったのか教えていただけますか。

    ○神野委員 御意見頂戴いたしました。年金部会の中でも、10 年に短くしてし
    まうということが、いわばインセンティブを阻害して、つまり、悪い方向に
    動いてしまうのではないかという意見も出されましたので、私どもの意見で
    は、そういうことがないように周知徹底をさせていくことをつけ加えて、論
    点整理の中に書いてございます。
    一方で、福祉給付のお話だったと思いますが、3党合意は年金部会の方で
    やったわけではないのですが、これについてもその御心配があったので、保
    険料納付意欲を損なわないという観点から、保険料納付期間に応じた給付と
    して保険料納付要件に配慮したと理解しております。

    ○清家会長 宮武委員、どうぞ。

    ○宮武委員 いろいろ言いたいことがありますけれども、通算で25 年加入とい
    うことさえ長い間PR してもなかなか周知徹底せずに、むしろ滞納している人
    ほど、この25 年というルールを知らなかったり、もっとひどいのは免除制度
    があることを知らない人が半数近くいるとか、そういう問題がずっとあった
    わけで、通算10 年で良いと言えば、低年金者が増えて、事態はもっと悪化し
    ていくだろうと思います。
    そして、保険の納付期間に応じて福祉的な給付をなさったのは、辛うじて
    そこで社会保険に対する一定の歯止めをかけられたのでしょうけれども、基
    本的なところで間違っているのは、年金というのは防貧制度であるのに、救
    貧制度的な性格のものを入れようとされた。そこが私どもが理解し難い2つ
    の法律になった原因ではないかなと考えております。
 6月30日  最近紹介している「社会保障審議会年金部会における議論の中間的な整理」の検討項目の中に、「基礎年金の受給資格期間(25年)について」があるので、そのあたりに関する資料を紹介しておきます。
  • 年金加入期間25年を短くすると、未納者は減り低年金者は減少するのだろうか?」『JJK』2008 Summer No.105
  •  2008619 第9回社会保障審議会年金部会議事録
    ○権丈委員 25年の受給資格要件が短くなって、10年後ぐらいに納付率がどんと下がったときには、権丈は何も言わなかったと言われるのは困りますので言っておきます。読売が10年間で最低保障年金を給付すると提案したときに、「読売ウィークリー」に評価を書いたわけなんですが、これはやはり職権適用とリンクして考えた方がいいだろうと。低所得者に対して職権適用をする、そういう状況の下で10年しか納付していない人がいた。低所得者は職権適用されているわけですから、彼らは低所得者ではないはずです。では、10年しか払っていないのは誰なんだというと、ただの不届き者ではないかと思うんです。その不届き者のために、こういう制度をつくっていって、どうするんだというのがある。
     ただ、25年払わなかったら、もらうことができないということを知らなかった人が24年払ってもらえなかったというのは、私はかわいそうだと思う。やはりこれは年金教育あるいはそういう制度周知のための広報活動をしっかりとやっていなかったという制度運営側の責任、国民側の責任ではなく、当局側の責任だということがあるのならば、一旦、受給資格要件を下げてもいい、一旦下げるけれども、金輪際こうした特例は実施しないといって、私は毎年1年ずつ上げていくぐらいのことをしても良いと思う。つまり、次のステップではやはり、岡本委員とか山崎委員がおっしゃるような形で、意味のある給付水準を目指した方がいいと思う。受給資格要件があることが周知徹底されていなかったことを、一回は社会的責任として受け止めるが、今後は個人の自己責任として、金輪際、そういうことはしませんよという形で、次は意味ある給付水準を求めて1年ずつ上げていくというようなことで、やはり給付水準、国民皆年金の下での給付水準というものは、ある程度の水準を目指すということが同時にあっていいと思います。それが人々の情報、みんながその制度を知っているという前提の上で動くという話と同時に、後ほど出てくる職権適用、低所得者に対する免除制度の対象の人たちに対して、職権を使って適用して、免除制度の手続をしてもらうという制度とセットにして考えていかないと、ちょっとつらい問題なのかなという気がいたします。
    年金実務2000号記念座談会 年金制度の過去、現在と未来」『年金実務』第2000号(2012年7月9日号) 
     
 
 6月28日  昨日紹介した文章に韓国の医療保険の話があるので、数週間前に社会保障の教材作成PTで僕が雑談として話していた「他の国でやっているという論の危なさ」に関連する文章をアップしておきます。 医療保険の一元化を韓国でやっている、食料品の軽減税率をイギリスをはじめ多くの国でやっている・・・各国でそれらの政策がどのように評価されているのかとセットにして考えないとな。
模範なのか、反面教師なのか――やっているところが後悔していることをマネする必要はない。
ついでに、これもどうかな。
 6月27日  昨日の話の続きをしておけば、2008年11月の「年金部会における議論の中間的な整理」の中では、保険料の拠出時に保険料免除額を国庫負担する保険料軽減支援制度のことが議論された。
医療・介護保険などの単年度の短期保険と違って、年金は長期保険という視点から、この制度に留意事項を挙げたのは僕で、次は僕が言ったことだろうね。 保険料軽減支援制度の議論の中で最も強く記憶に残っているのは、宮武先生の次の言葉かね。
  •  2008年11月12日 議事録
     ○宮武委員 焦点は恐らく保険料軽減支援制度ということで、余りお触れになる方が少ないので、
    私は次回が出席できませんので、今日申し上げます。
     保険料軽減支援制度を考えるときに、参考資料の23ページで1号の被保険者の内訳が書いて
    あって、現実に何とかお払いになってはいるんですけれども、所得状況で見ればまともに保険料
    を払うべき人は2割しかいないわけです。それでも、あえて、この制度を導入して、被保険者が、
    この所得段階で支払い能力を判断されれば、全体の2割程度しか正規の保険料を払わないことに
    なる。クロヨン問題というものはやはり大変な問題で、実際に制度設計をするときには極めて難
    しい問題が出てくるだろうということが素人でもわかります。
     
要するに、所得基準で見れば、第1号被保険者の20%が「免除、猶予なし」となるのに、実際には70%の人が「免除、猶予なし」となっている。
年金は大切だから、人々は爪に火を点しながら年金の保険料を払っているのか、それとも、所得の捕捉が相当にいい加減なのか。
「保険料軽減支援制度」の話を僕が初めて聞いたのは、たしか飲み屋でのことだったと思うけど、
そのときに僕が発した第一声は、「免除対象になれる所得の人が随分と保険料を払っているけど、その人たちはどうなるんだ?」だったと思う。

このあたり、当時、ハリーポッターの話等々、いろいろな話をしていますね。
  • 2008年9月29日 議事録 
     拠出時国庫負担、低年金・低所得者に対する年金給付の見直しについてというところ
    で、給付時における対応というものと拠出時における対応というものがある。この拠出
    時国庫負担というものをどう考えていけばいいかというところで私の考えを言っておき
    ますと、現役時代の所得を基準にして、低所得であるからそれに対して国庫負担を拠出
    時に出す。そして、これを将来まで積み立てておいて給付していきますという話は、根
    源的には昨年の7月に民主党が言った現役世代の所得に基づいて所得保障額を決めます
    ということと同じような話になるんですね。彼らは600万円で年金に所得制限をかけは
    じめ、1,200万で基礎年金の給付をストップするというんですけれども、去年の7月に
    その所得は、いつ、どこの所得で決めるんだと問い詰められたとき、現役時の所得でや
    りますという話になりました。
     そうなるとどんな面白さが出てくるかというと、年金というのは長期保険なんですね。
    医療や介護のような短期保険ではない。この長期保険という側面を考えますと、将来金
    持ちになっているかもしれないんです。例えば、ハリー・ポッターを書いたローリング
    さんはこの前、イギリスの労働党に2億円寄附していましたけれども、彼女は1,100億
    円の資産を今、持っている。だけれども、彼女がハリー・ポッターを書くときには生活
    保護を受給していた。母子家庭として生活保護を受給していながらあの本を書いて、そ
    して成功して今や大金持ちになっている。だけれども、この拠出時国庫負担というもの
    を導入するとなると、そのときに彼女の貧困時に国庫負担で補助してあげることになる
    んですね。将来は大金持ちになっているけれども、国庫負担分が入った基礎年金のフル
    ペンションをもらいますというような話になるのですが、私はちょっとあり得ないよね
    というような感じがします。そしてこれまで、免除制度の説明をする際に、厚労省は、
    被保険者がいつまでも免除対象者ではないことを前提として、免除制度の意義を説明し
    ていたことも付け加えておきます。
     もう一つのところで捕捉率の問題というのもあるのですが、現在免除対象者でありな
    がら保険料を払っている人が相当数います。所得が低いというふうに認定されていなが
    ら保険料を払っているということは、それは現在消費ではなく将来消費に価値を置いて
    いる人がこんなにいますという見方もできるのですが、もう一つの側面として所得捕捉
    がそれだけいいかげんだということも言えると思うんです
    。今の免除制度というのは所
    得を過少申告したら、基礎年金額がそれに比例して減額される。だから、だれも所得捕
    捉に問題があったとしても損することもない。所得再分配が起こるわけではない。自分
    で自業自得の状況なんですけれども、所得捕捉があまりしっかりしていないところで低
    所得でありますよということをやって、そこで拠出時の国庫負担をもらうというような
    話になると、そこの部分が得をする形になっていったりするわけです。
     そういう制度改革をやったときに将来何が起こるかというと、私はいろいろと面白い
    ことが起こってくると思うので考えてみたいと思うと同時に、韓国では医療保険という
    短期保険でこういう一元化みたいなことをやっております
    。そういうところでは被保険
    者グループ、被用者グループが自営業者農業グループという所得の捕捉が低いところに
    対して所得が不当に流れているということで裁判を起こしたりしているんです。そして、
    最高裁判所などでは、これは連帯に基づく助け合いというものを超えた度を超えた再分
    配であるという答えを出したりしているわけです。
     いろいろ捕捉率に問題があるところでこの拠出時国庫負担をやったら、私は結構面白
    いといいますか、研究対象として面白いことがいろいろと起こってくるのではないかと
    思うと同時に、この拠出時国庫負担というところでの捕捉率の問題はネグリジブルだと
    いうことを前提とした議論をするとなると、これまでスタート地点で否定されてきた民
    主党案を始めとしたさまざまな議論が復活しますよというのがあって、私は民主党案は
    いろいろな面でおかしい、それと同じ理由で、この拠出時国庫負担というのもおかしい
    のではないかと見ています。
 6月26日  昨日話したこと。僕らが「低年金・低所得者に対する年金給付の見直し」を考えると・・・
この年齢になると、異動を重ねる霞ヶ関の人たちよりも、僕らの方が社会保障周りのことは継ぎ目なく知っていたりするかもな。僕らは、不本意ながら、ずっとその世界に定住しているわけだからね。
様々な人物評価も、それは、言を変えていった前後を知っていると、変化後しか知らない人たちとは、違ってくるよ。 世の中の歴史を知るものと知らない者が、今に対する評価が違うのと同じこと。
 6月25日  カバースト-リーをつける。 同じ特集「年金激震」の中にあった記事も紹介しておきます。 6月3日の国民会議で、伊藤委員と私との間で混合診療、保険外併用療養費制度の話になったので、参考までに、伊藤先生、二木先生たちの鼎談を紹介しておきます。
 6月24日  昨日触れた財政改革研究会について、次のような文章を書いていますね。
 6月23日 早いもので、右と左で同じことを言っているので全く対論になっていない次の記事から、かれこれ4年経ちます。  ところで、昨日紹介していた2007年10月の社会政策学会のことは、2009年政権交代の直前に書いた次の中で紹介していますね。 先週話したように、どこぞの政党がこうなってしまったのは、彼らが頼った研究者のレベルが低すぎたことにも原因がある。
むしろあの政党は、山師たちにダマされた投機家のような犠牲者という見方もできる。もっとも、負け太った論者達が責任をとらされることがないのは、いわゆる研究者たちの常。

そしてまた、あの政党は、次の選挙でも、年金という政争の具に頼りたいらしい。 6月16日参照のこと。
数年前に、あの政党は年金で終わるのではないかという人がいたけど、次の選挙かどうかは分からないが、そうなるのかもしれない。

付録
2007年10月14日の社会政策学会での報告の翌週、いきなり、財政改革研究会というところから、10月24日に報告に来てほしいという連絡が来る。
社会政策学会での報告を誰かが政治家に伝えた模様。
そこで、社会政策学会とまったく同じパワーポイントを抱えて財政改革研究会に出かける。
今思えば、ここから政治との繋ながりがはじまったようで、2ヶ月ほど後の2007年12月末に社会保障国民会議での委員打診の連絡があり、あれから5年以上経った今に至っているのだろうと思う。
なお、財政改革研究会に出かける2007年6月には『医療政策は選挙で変える』を出しており、この本では一ヶ月後の2007年7月の参院選では自公政権に投票するな、自公政権に拒否権を発動すべしと説いている。
 6月22日  昨日のメールへの僕からの返事でも
  •  >たしかにそうだな
    >
    >この国では、ポンチ絵を、横軸に所得をとって描くことがなかなか難しいだよなぁ。
    >いま、見直してみると、2007年に社会政策学会に呼ばれたとき、そういう話をしてきていますね。同封ファイルの20枚目のスライドご参照あれ。
     
論文になったのが次。図1に書いていますね。 以前から、こういう考えを持っている人間が、年金一元化を論じたら、当然、次のようになるわけかな。
 6月21日  かなり前に来ていたメールだけど、次はかなり言い得て妙なんだよな
  •  医療が難しいということの裏表ですが、今朝のメールを送った後に思ったのは、年金は制度が「絵」で書けてしまうのが良くないのではないかと、しみじみ思いました。
    書けてしまうから、違う絵を書いて、抜本改革をしてみたい、出来るという幻想、誘惑にかられてしまう。課題の設定と、解決方策(改革案)に、政策実験可能性を無視した激しい乖離が生じてしまうのではないかと思いました。
    形で目に見えなければ、もう少し、過去や経緯に対する畏怖や、慎重さ、見えないものを弄くることへの恐怖など、良い意味での保守的な見方をするのではないかと思いました。
 6月20日  なんでもPDF化して保存しているんだけど、次は、政策形成過程の研究資料として、君らにも公開しておこうかね。 おもしろいのは次かな。 う~ん、まぁなぁ。
たしかに、慶應健保は、本年度保険料率を0.69%ポイント引き上げて別途積立金を1.7億円繰り入れたんだけど、実際のところ、みんなで血涙を流しながら理事会を開いているような厳しい財政状況というわけではないんですよね。
話せば長くなるけど、以前、別途積立金が積み上がりすぎてしまったから、その積立金を低い保険料率で何年もかけて調整して、ようやく調整を終えたというところでしょうかね。慶應健保が「7年連続の赤字」というのはそういう意味。でもまだまだ、積立金には余裕があるし、保険料率も健保組合の平均よりもかなり低いし・・・。
でも、こういう「圧力団体による決議書」なんてものはそうした本当の財政状況とはあまり関係のないものですから、昨日も書いてますように、理事会では、求められた決議書は「出したらいいんじゃないですか」と言っております。ご期待に添えたのではないかと思っています、はい。まぁ、狐と狸のダマし合いのようなもんですから、こういうのは。
これら決議書が健保連でまとめられて国民会議に提出されたら、僕は何を言うのかね・・・?

次は、5月8日に届いたメールですね。
  •  HP拝見しました。

    「後期高齢者支援金の総報酬割では、個々にみれば、健保組合の中には負担が増
    えるところもあれば減るところもあります。」

    総報酬割というと、健保から協会へという漠然としたイメージで語られることが
    ありますが、健保のなかにも負担増、負担減があるというのは注目されるべきで
    すよね。

    実際に、総合健保の集まりである全総協(全国総合健康保険組合協議会)は、総
    報酬割導入に賛成する決議もしています。健保連本部に気を遣って、あまり大声
    では言っていませんが。

    健保組合1393組合中、単一が1133、総合が260。健保連本部は、単一
    の方だけを見ているという不満は、総合からよく聞こえてきます。

    健保連のなかでもう少し財政調整(共同事業のようなもの)をすべきだと私はか
    ねてから思っていましたが、議題には上がっても金を出すことになる単一の反対
    でぽしゃってきました。

    そうやって、自助努力を先送りしてきたから、そのツケを総報酬割導入という形
    で強制的に払うことになるんだよね、と思っています。
資本主義的民主主義という考え方は、こういう側面でも有効なのかな。協会けんぽが主体の日本商工会議所も、総報酬割反対を唱えていたから、健保組合の中の強者たちの力はたいしたものです。
次の文章の中にある、経済界、負担者側は、「社会保険料から逃れる改革を勝算は抜きにして永遠に言い続けます」。そういうものなんだよ。そしてそういう経済界・負担者側の不変不動の力のベクトルを、あるときは他の目的を持つ官僚(保険局?)が利用したり、政治家が利用したりすることもある。人生、いろいろあるはな。 先日、次のように書いたのは、力の動きだけを追う政治部チックな記事だけでは、何が正しいことなのかが分からなくなるから。
  • > いま必要なのは、提供体制の改革が、国民にとってどのように望ましいことなのかを医療や介護サービスを利用する人たちの視点からまとめてくれる記事
今は、政治部や、そして経済界の不変不動の力のベクトルに沿って記事を書くことになれている経済部が出てくる段階ではないわけだ。

ガンバレ、生活部、社会保障部!っと言いたいところだけど、いずこも、悲しいくらいに弱小なんだよねぇ(T_T)トホホッ
まぁ、このままだったら、この国民会議、提供体制の改革には何も手をつけられないか、あるいはお題目だけは揃えて実効性をわざと与えない形で終わらされるんだろうな。
僕はいいけどね。8月までの非常勤だし、基本、脱力系だし。それに、もし報告書である方向に持ち込めても、僕らが去った後、巻き返しがはかられるだろうしな。世の中、そんなもんだ。
    教育検討会の梶ヶ谷先生ご登場の記事も!
   
   昨日の、慶應健保理事会でのこと。
議案全てが終了した後に、慶應健保の理事長が、「権丈、これどうする?」(ちなみに、理事長である塾監局長は僕が学生の頃のゼミ、つまり社会保障のゼミの10歳上の先輩)
そこで、配布された資料は、健保連平井会長から、各健保理事長宛に送られてきた「要請活動に向けた決議書のとりまとめについて(依頼)」文。
  • ・・・
    現在のところ、政府の「社会保障制度改革国民会議」における議論が中心でありますが、高齢者医療制度の見直しなどの本質的な議論はなかなか進まず、同会議の期限である8月にどのような結論がでるかも不透明な状況にあります。
    ・・・
    決議書をもって、強力かつ重点的な要請行動を展開することで、健保組合の窮状と主張をより強くアピールしたく考えております。
    ・・・
僕「慶應は、総報酬割が適用拡大されたら保険料が上がるから、出しといたらいいんじゃないですか」
理事長「能力に応じて負担するってのが、社会保障だもんなぁ。まぁ、分かった、出しとくよ」
・・・

でっ、この決議書の締切が7月31日になっているけど、ちょっと遅すぎやしないかぃ―――どうなんだろ。
 6月19日 昨日の話

 > 今日の出口さんのダイヤモンドオンラインも痛快でした。
なるほどっ。 こういう文章もあるね。
  • デフレからの脱却は無理なのです
     水野:成長戦略は失敗の運命にあると言えます。菅直人・元首相については様々な評価がありますが、首相時代の発言で一番良いと思うのは「成長戦略は十数本作ったが全部失敗している」というものです。
まぁ、次のような文章を、以前、誰かも書いている。
  • 合成の誤謬考――企業の利潤極大化と社会の付加価値極大化は大いに異なる」『生産性新聞』2011年10月25日
     成長論のパイオニアであるソローは、経済成長の主因たる全要素生産性(TFP)を「無知の計量化」と呼んだ。彼は、TFPを左右する原因を論じようとすると、「素人社会学の炎上」に陥ってしまうのがオチと評しているのであるが、TFPに対する不可知論は、クルーグマンをはじめとした多くの経済学者も継承している。そして彼らは(私も含めて)、成長戦略論議はためにする議論の典型だと本当のところは思っている。
この文章の拡大版が、次の第4章の中に密かにある。 ちなみに、誰かが、入間の研修所で働き盛りの課長補佐を対象に講義をしたとき、講義まとめのレポートのひとつに、次の文章があったらしい。
  •  「成長のためにはイノベーションが必要だ」という言葉は、「成長のためには成長が必要だ」と言っているに等しい,、きわめて納得。
   つるこうから
  • > とりとめのない報告となってしまいましたが、元気にがんばっています。
    > 先生も脱力系でがんばってください!
あほっ。次なんかみたら、俺は、ぜんぜん、脱力系じゃなく、どうもまじめに働いてるみたいだぞ。。。 でも、どうみても、ここに書かれているキャラは俺じゃない(笑)。
だいいち、4月のあの頃、文中の策略の主役の政策統括官は肉離れして病院通いをしていたから、陰謀をはかっている場合じゃなかったと思うんだが( ̄。 ̄ )ボソ...この記事、おもしろすぎる。。。
いろいろと記事が飛び回っているが、登場人物になる身となると、けっこうおもしろいもんだ。
匿名記事には次のようなのもあったな。 次も匿名記事と言えばそうなるか。 でっ、いったい、真相はどうなんだ???

おまけ
  •  Subject: 解せない保険局

    ・・・
    今回の保険局の動きは、さっぱり理解不能でした。
    ウチの取材陣は、官邸、財務、総務、厚労等々の各所に根を張り、
    多方面で深く話を聞いたつもりですが、保険局だけは「???」でした。
    ・・・
    伝統的国保官僚の多くが「市町村派」なのは認識してます。
    ただ今回、保険局の主張はタメにする議論があまりに多かった。
    誰が「戦犯」なのかはよく分かりませんが、保険局内外に方針を訝る声がありました。

    「単に奴らが阿呆なだけ」というオチは抜きにして、
    すべてが片付いたら、謎解きをよろしくお願いします。
やだよ。
すべてが片付いたら、永田町霞ヶ関界隈の出来事からはきれいさっぱりおさらばする―――教育検討会というのがあったけど、良いだろ。あれははじめから政治とは関係ないから。
6月10日の国民会議で宣言しているな。
  •  私たちは8月ぐらいまでアイデアを出していくのが仕事で、それでさっぱりと終わってしまうのが私の願っていることなのですけれども・・・
   一月ほど前に届いた次のメールが、今の年金周りの状況をよく示しているかもな。
  •  「所得捕捉を徹底した上で・・・・」というのは、民主党案を推進した人たちの逃げ口上になっているようですね。今のところ黙認していますが・・・。時流に乗って器用に立ち回る人はあまり好きではありません。
残念ながら、年金を語る者は、昔から、その程度の人間が多かったわけです。
 6月17日  少し説明しておけば、5月17日の国民会議で年金が議論された時、次の発言をしている。(会議開催状況
  •  せっかくですので幾つかコメントさせていただきますと、社会保障というのは、宮島洋先生がいい表現をされておりまして、宮島先生はかつての年金部会の座長です、「社会保障の良し悪しは税制の良し悪し」だと。本当に税制がしっかりしてくれれば社会保障は物すごくきめ細やかな制度設計ができるのですけれども、社会保障は税制に依存していて、宮島先生はなかなか日本では難しいよねという話になるわけです。
    外国で色々やっているということを考えていくときに、その国が皆保険・皆年金をやっているかというところで大体やっている制度に違いが出てきて、日本だったら皆年金というところが条件として入ってくる。
    もう一つは、政府の誤謬に対して社会がどこまで許容できるのだろうかという非常に重要なところもあったりするわけで、そういうところで税制をしっかりとやっていただけないと我々の社会保障の制度はなかなか作れないのだよねというのがあります。
    駒村委員のところで6ページに重要なポイントがあると思います。これは2段階に分けて社会保険制度の統合をしていくということが書かれてあります。かつて連合も抜本改革でいつでもすぐに最終的な形にしていこうと言っておりました。けれども、この連合も2011年2月19日の集中検討会議の中で2段階の改革と表現するようになりました。それは被用者年金の一元化を図り、そして色んなことをやって、それから先、税制のところをしっかりと改革し終えて、それを見極めて、うまくいきそうだったら以前から言っていたような一元化を実現していきましょうという表現をしております。
    かつて2008年1月に日経新聞、2月に朝日新聞、4月に読売新聞が改革案を出します。そこで毎日新聞も出したいということで7月に彼らは出します。私も2回ほど毎日新聞の論説委員にコメントしたのですが、先生の言うアイデアはちっとも一面に載せることはできませんという話になって結局私の言ったことは棄却されるのですけれども、彼らは一元化をするという形でフィンランド方式ということを持っていきます。
    ところが、彼ら毎日新聞も2011年2月26日に、「我々としてよい案だと思ったが、実際問題は自営業者の所得把握や事業主の負担をどうするかなどかなり高いハードルがあった」。従って、「2段階での改革を提案した」と表現が変わって参ります。非常にいいのではないかと私は思うのですが、まずやらなければいけないことがある。そして、遠い将来にというか、税制の問題とか、日本の社会はなかなか政府の誤謬を認めてくれないのですけれども、そういうところで許容の範囲に入ってきたときに一元化に動くというような案はすばらしいというか、何の問題もないのではないかと思います。宮武委員も将来は目指していこうということをおっしゃっていて、それでよろしいのではないかと思いますので私は黙っておこうかと思ったのです。
この発言を受けて、どこぞの政党は、我々の年金一元化案を権丈が支持したと喜んで、記者をはじめとした人たちに大いに話していたらしいが、この5月17日の朝、僕は編集者に次の原稿を送っており、その原稿を午前中の公務員研修所で研修生を前に読み上げ、そして午後の官邸での国民会議に出かけ上記の発言をしているわけである。 ちなみに、毎日新聞の年金改革案とは?――次の、毎日新聞が2008年7月27日、28日に紙面を大々的に使ってやった大特集時の二日間にわたる社説を参照あれ この、毎日新聞の大改革案は、「慶応大学の駒村康平教授らの研究者グループに協力してもらいフィンランドの仕組みを日本型に設計した」ものらしい。
この毎日新聞と同じような年金改革案は、生産性本部経由で連合の年金論にも影響を与えていた。次は、2007年に書いているな。
  • 勿凝学問112 年金財政シミュレーションという研究について――朱に交わっても赤くなるなよ
     「君が論文の中であげている数多くの既存研究が2005 年に集中しているのは、2004 年に立ち上げられた研究プロジェクトのせいだと思う。君が参加している生産性本部の駒村康平編(2005)『年金改革――安心・信頼のできる年金制度改革』は、その典型だろう。その後、この<生産性本部グループ>は、ここにまとめたことを繰り返し言いつづけていく。
    ・・・
    学会終了後、報告者と、あとひとりの若い研究者とともに喫茶店に行く。
    「生きていくのにいろいろと大変だろうけど、朱に交わっても赤くなるなよ」――と、本当のコメントをして、本日の仕事を終了。
次もどうかな。 この勿凝学問62を書いたとき、たしか、文中に登場する人物に、ちゃんと読んどけよっとメールを出していた。
そうだな、君ら学生さん達は次も読んでおきな。
 6月16日  
  • 「耕論 都市で老いゆく 在宅医療の充実へ動いて 辻哲夫さん」『朝日新聞』6月14日
     高齢化は長く問題になってきましたが、地方に比べ、都市部では高齢者の絶対数が急速に増えます。例えば埼玉県では、2010年から25年にかけて、75歳以上の人口が58・9万人から117・7万人と2倍に増える見通しです。柏市も3・2万人が6・6万人です。

     それは、必要な医療や介護サービスの絶対量が急速に増えることを意味します。高齢化率という割合だけでは事態を見誤ってしまいます。

     人は75歳以上になると、病気になったり、身体が不自由になったりする傾向が統計上もはっきりしています。虚弱な集団が、これまでにないほど大きくなる。これは、世界のどこも経験したことがない事態です。

     今のまま何も手を打たなければ、病院のベッドは高齢者で埋まり、救急車で運ばれる患者さえ受け入れられず、患者はたらい回しになってしまうおそれだってある。若い人にも影響する話なのです。病院の外には、独り暮らしで通院もままならない人たちがあふれる。介護が必要な人が入る特別養護老人ホームをつくるにも、都市部は地価が高いという難しさがあります。

    都市が高齢化に対応するためには、新しいシステムが必要です。キーワードは「在宅」。いま住んでいる地域を、病気になっても、介護が必要になっても安心して住み続けられるように変えていくのです。
国民会議の大島伸一先生がいつも言われる、日本の現在の「間違えた医療」を正す。それが医療提供体制の改革。
なにもしないということは、間違えた医療を放置するというだけのこと。
13日の国民会議では、病院病床の機能分化とその受入問題について話をしたわけだけどね。 年金については、次のような報道は大いに問題ありだろうな。 先月かな、どこぞの政党が、今回の参院選でも年金頼みでいくことを決める。
そして国民会議には、その政党にあたかも頼まれたような発言をする委員がいて、そうした委員達が発言をする度に、他の委員からひとつひとつ潰され、
彼らどこぞの政党の意を受けたような発言をした者は何の反論もできずに沈黙する。
その繰り返しの年金論議が、5月17日と6月13日の2回にわたる年金の議論の中で展開されていたことが分かるような記事を書かないとな。

なお、日経の記事「国民会議の設置期限が8月21日と時間の制約もあり、事実上の棚上げを決めた」などは論外。時間の制約などまったく関係がなく、いくら時間をかけて議論をしても、結論は同じ。
 6月15日  ふ~ん 3省攻防ねぇ、まぁ、勝手にやっておくれ。
早いとこ、隠居生活に戻りたいもんだよ。

僕としては、こんな記事をみると、まぁ、少しは働いておくかねっと思うかな。
いま必要なのは、提供体制の改革が、国民にとってどのように望ましいことなのかを医療や介護サービスを利用する人たちの視点からまとめてくれる記事。
それは、日本が抱えるこの大きな問題をながらく追ってきた記者たちにしかできないだろうな。
こうした記事なんかも、実に良い意味で、国民会議にプレッシャーをかけてくれていると思う。読めば、基本、脱力系の僕でさえ、こうした問題をしっかりとやらねばならんかなっと思うもんだ。

そう言えば、次はけっこうおもしろい記事だったな。先日6月10日、国民会議の帰りがけに執筆者に教えてあげたけど、出だしの毎日新聞の記事が誤報なんだから、それから先、いくら妄想を重ねても、やっぱり結論は間違えてしまうもんだ。6月10日の国民会議の時に発言したように、政治過程、政策形成過程を知った上で立論をするってのは、論を間違えないように組み立てる際に大切なことなんだよ。 おまけ
先日、出口さんの記事を紹介したときに、
  •  出口社長は「保険業界の良心」だと思います。
    ダイヤモンドには出口社長の良質な記事はもったいないと思います。
うん、まぁ、ノーコメント。
次も来てたな
  •  日本総研の西沢さんが、ダイヤモンド・オンラインに長い寄稿をされています。(5月15日付)
    http://diamond.jp/articles/-/35908

    委員の一人なのに、外から紹介・批判しているような文章で非常に違和感がありました。
これも、ノーコメントとしておこう。
   思い出した。一週間ほど前のやりとり・・・僕が彼らに何を問うたかは想像できると思います。
  •  女性陣は、相対的に「野心」がなく、生活密着感覚が優れているからではないでしょうか。
    男よりも余程、「ならんものはならん」の精神が息づいているのでは。
    *たまに、凄い人もいますが、そういう方は、「男以上に男っぽい」というような形容詞がつきますよね。。。
     女性記者たちが、きっちり能力を発揮したら、日本の未来は大丈夫に決まってます。それを阻むダメオトコさえ排除すればいいんで(笑)
だよな。やっぱり。
まずは、メディア界の働き方を変えないと、日本のメディアの質は上がらないと思うよ。
「新聞は夜作るから、基本、男性の仕事」と言う女性記者もいたけど、根っこを変えないと、報道の中身も変わらないだろうな。
ダイヤモンドも、100周年記念で反省しましたってことでとどまるのではなく、記者達の働き方を大きく変えて、
普通の女性陣が無理なく活躍できる環境にしましたってことくらいのことをしてくれれば、記事の質は確実に変わると期待することができるんだけどね。
反省ぐらい猿でもできる・・・って、古いか、というよりはお猿さんに申し訳ないな。
 6月14日  一昨日話したのは、次。 この特集、この号の売り上げを増すのには寄与するだろうけど、この週刊ダイヤモンドや、この特集で取り扱われている日経新聞の過去の記事、
のみならず将来の記事に大いに疑問符を持たせる効果の方が大きいだろうな。
とにかく、ダイヤモンドの過去の年金特集とかは、ひどかったからな。この特集にあるような営業のノリで特集を組んでいたんだろうと想像することはできる。
その意味でも、学生くんたちにも、「経済ニュースを疑え!」――この号の熟読をすすめるよ。

先日、ある男性記者たちに送ったメール。
  •  先日は、知り合いの某テレビ局の若手の女性記者が、一体改革の特集の中で、上から年金の世代間格差をやれと言われましてと訪ねて来ました。
    指示を出す「上」あたりは、いま何歳くらいなのか。年齢が問題なのか男性であることが問題なのか。思案中です。。。
    最近、なぜ、良い記事を書くのは女性ばかりなのかと考えることがあるんだけど、
    ダイヤモンドの自虐的特集の中の「記者への圧力」(44-45頁)を読むと、男性であることが問題なのかもしれないとも思えるんだよね。
   
  • 権丈英子「65歳まで想定。新しい賃金カーブ必要『読売新聞』今朝19面
 6月13日  昨晩の報告者の話は、次の文章の流とほぼ符合します。 上記文中の次の連絡は、一連の動きを最も身近でながめていた人からのメールです。
  • >さて、 25 日付の先生のHPは、これまでの大きな流を強い思いで書か内容に感じました。
でもまぁ、今の国民会議では、上述の大きな流れとどの程度関係ある話をしているのか。次でもご参照あれ。
  • Sent: Wednesday, June 12, 2013 10:47 AM
    Subject: 被保険者規模と都市化

    死にそうな患者を前にして、その手術をしたら後遺症が残るから手術は反対だという話などで回を繰り返している国民会議委員の権丈です。。。

    昨日の読売新聞の記事で気になった点をひとつ。
    10日の国民会議のときにも誰かが触れたら言おうと思っていたんだけど、先日の配付資料の16頁「保険者規模別収納率」
    http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokuminkaigi/dai14/siryou1_2.pdf

    都市化に伴うライフスタイルの違いをコントロールしないままのこういう資料は問題があるんじゃないかな。
    素人は、規模が小さい方が収納率が高まると読むでしょうからね。

    まぁ、僕だって、収納率に関して、国保は市町村と都道府県どっちがいいですか?と問われれば、悩むだろうね。

    でも今問われていることは、提供体制の改革に実効性をもたせるためにはどうすればいいか、地域医療計画に実行性を持たせるためには、その作成者にいかなる責任と権限を担ってもらえばよいのか。最優先の目的に照らし合わせてやるべきことをやろうとしたら、後遺症や副作用がでると予測されるのならば、それを可能な限り抑えることができるように制度設計時に英知の限りを尽くす。

    十数年後には、あの時、後遺症や副作用の話で盛り上がって、手術も投薬もしないまま患者を殺してしまった国民会議という、歴史的には喜劇の主人公で終わるのかもな(笑)。
    先日は、事前レク時に、「今回は、一言も話さないという夢が叶いそうだね」と話していたのに、10日は流の中でついつい話をしてしまいました。
    議事録のチェックが来たけど、面倒だね。。。(T_T)トホホッ
   なるほど。 僕が年金を語り始めたとき、一番最初に僕に注目したのは数理人、アクチュアリーの人たち。
彼らの世界に、僕を紹介したアクチュアリーは、「数理人に分かる年金の話をする年金研究者がはじめて出てきた」というものだったらしい。。。まぁ、言いたいことは、分からないでもない(笑)、ひどかったですからねぇ。
   次の権丈先生は、僕ではないけどね。
  •  いつも大変お世話になっております。

    6月21日(金)の国際シンポジウム「少子高齢化をアドバンテージに変えるには」について、下記のとおり、当基金のホームページにアップいたしました。

    http://www.jpf.go.jp/j/intel/new/1305/05-03.html

    大変お忙しい中、恐れ入りますが、もし可能でしたら、広報のため、権丈先生のホームページにリンクを貼っていただいたり、授業やゼミ等で、学生・研究生の皆様に本イベントについてご周知いただく等、ご協力いただけますと、大変幸甚にございます。
    よろしくご検討いただければ幸いです。
はいはい、紹介させて頂きました。
でっ、韓国の話があるようだから、分隊長は出席しておくように。
 6月11日  まぁ、君ら30歳に近い院生にも、10年後にしか話せないというか、話したくもないことが多々あったわけだが、昨日の国民会議をみていたのなら、まずは、次の議事録をながめて、昨日国民会議に配布された社会保障審議会医療保険部会における主な議論の中の言葉を、誰が発言しているのかをチェックしてみることだ――下記ふたつの議事録については、5月16日から読み始めた方がいいかもな。 4月19日の第9回国民会議の直前の4月16日にかかってきた電話で、僕が彼らの要求に応じていたら開催されなかったかもしれないな、これらの医療保険部会は。それくらい、この医療保険部会の開催意義はよく分からない、保険局主導のものだった(5月28日参照)。
  •  医療保険部会 5月10日
    菅家委員 
    論点の議論に入る前に、一体我々はきょう何を議論すればいいのかということについて確認させていただきたいわけであります。
     国民会議で議論が行われているということは承知しておりますが、国民会議の中で何らかの結論めいた方向性が出されていて、それについて当医療保険部会としてどういう見解を持つのかという議論をするのでもないようでありますし・・・
     白川委員
    ・・・
    ここに書かれております、例えば総報酬割についても経済団体あるいは協会けんぽさん、我々健保組合も意見を申し上げました。それを反映するかどうかは国民会議の意思だとは思いますけれども、そういった意見を聞いて国民会議の各委員がそれぞれの見解を述べただけというペーパーでございますから、ここで議論をするならば、また我々は国民会議で発表した意見を繰り返すしかないということでございまして、
彼らが意見を繰り返せば、健保組合を顧客とする業界紙は、経済団体、健保組合に賛意を示す報道を大々的に行う。それは、自然な流れ。

昨日の発言の冒頭で、医療保険部会がまとめた議論の次を読み上げ、僕も同じく極めて残念だと言った。
  •  国民健康保険の都道府県単位化や後期高齢者医療制度の負担面での全面総報酬割の導入という局所的な議論のまま、医療、介護に関する議論が一巡したと整理されたことについては極めて残念。
ただ、因果関係は定かではないが、保険局が僕をはじめ幾つかの方面にプレゼン内容の変更を求めたことと、一巡目の国民会議の議論の局所性が、ぴたりと一致してはいる。そして、二巡目も、ほぼ。
 6月10日  次でも見ておきな。
   先週の講義で紹介したブックレビューは次
  •  『再分配政策の政治経済学Ⅱ――年金改革と積極的社会保障政策
    年金破綻論を信じ切っている人に

    いつの間にやら改訂版になっていた本書。
    日本の年金制度は2004年に大改正を行い、それを詳細に分析した当時からリーマンショック後の今に至るまでの年金論議をまとめ上げている。
    この権丈善一の本が痛快なのは、他の論者の間違いを論破するだけでなく、自分の間違いすら公に論じている点だ
    権丈自身が当初「日本の年金は将来、スウェーデン方式を導入することができる」(←これは現在、民主党が同じ間違いをしている)
    「国民年金の未納者が保険料をちゃんと納めている人たちに多大な迷惑をかける」といった勘違いをしていたと書かれてある。
    そして「間違いに気付き考えを修正していったプロセスを示している」のだ。
    ここまで正直に真摯に読者や学問と向き合っている本は極めて珍しい。学者というのは、かくあるべきではないか。

    年金破綻論者の本には参考文献に一切、権丈らの本は出てこない。だから、間違いを平然と繰り返せるのだろう(笑)(笑)
    一方で本書は破綻論者の文献も当然出てくる

    この本は宮崎哲弥絶賛、『社会保障の政策転換』は細野真宏絶賛、わたしは両方を絶賛!(笑)(笑)
    他を圧倒する論理的な年金の教科書。
30代で書いたⅠ巻の「あとがき」には、次の文章がある。
この「あとがき」を書くときにも、気分が悪くなるような見たくない文章を見るのも仕事のうちと考えていたものです。
 6月8日  うん。
  • 私の処方箋 清家篤氏×有馬稲子氏×乙武洋匡氏 『読売新聞』20・21面
考えてみると、僕がやってきたことは、根暗撲滅作戦だな。
僕がこれまで、「間違えてるよ」と言ってきた相手は、もれなく根暗だよ(笑)。
高齢者を憎め、官僚を憎め、公を憎めと、根暗くん達のベースは憎しみでね。
だから根暗くん達は、憎しみを売りにする政治家と実に親和性が高く、そうした底の浅い政治家に重用されることになる。
そして根暗くん達は憎しみが先に立つから論が歪んで、おもしろいほどによく間違える。
その上彼らは研究者としては不思議とそろって不誠実なので、間違えたことを隠し通そうとするから、嘘の上塗りを繰り返す。
実にシンプルな社会保障の話が複雑怪奇に見えるのは、彼らの間違った論と見苦しい嘘の上塗り論が幾重にも巷間に残存していることも大きな理由。
この前の国民会議の時にも話したように、バッドスタートを切った社会保障の研究者は、けっこうつらい研究者生活を送る運命を辿ることになる。のみならず、世に多大な迷惑をかけることにもなる。まぁ、有名人になる近道ではあるけどね。

それから、
次は、偶然ですね。 2日前に次のメールが届いてました。
  •  Sent: Thursday, June 06, 2013 3:46 PM
    To: Y Kenjoh
    Subject: 種まく旅人の監督

    突然、訃報が飛んできました。
    映画「種まく旅人」の監督の塩屋俊さんが昨日、亡くなったそうです。

    この記事にあるHIKOBAEは3.11で津波で流された消防団員をモデルにした舞台で、私も4月に見に行ってきたところだったんですが。。。残念でなりません。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130606-00000013-flix-movi
謹んでお悔やみ申し上げます。
 6月7日  なるほどっ。
    6月3日もご参照あれ。
 6月6日  そういえば、先日3日の国民会議で話したことは、次です。
   
 6月5日   ぐっど
 6月4日  先週の数理人講演の際の話ですね 出口さんの先日の文章もどうぞ。
  • 日本版ISA導入を契機に少子高齢化時代における資産形成を考える
     なお、蛇足ではあるが、将来への備えとして真っ先に行うべきは、国民年金保険料の完納であることを付言しておきたい。世間には、わが国の公的年金の将来を危ぶむ声がないではないが、近代国家においては、国の年金以上に安全な貯蓄手段はどこにもないことを銘記する必要がある。ごく簡単な論証は次の通りである。

    国が年金を支払えなくなる時は、国債を発行できなくなる時である。その直前に国債は暴落しているはずである。ということは、国債を大量に抱えている民間金融機関は既に破たんしているということになる。つまり、私的年金のつもりで民間金融機関に預けた市民の資産は、国が公的年金を支払えなくなる以前に、紙切れになってしまっているのである。
先日の、教材作成PT.での当方の説明、
  •  ライフネット生命社長の出口さんは、国民年金は、民間保険がまねできないくらいにお得だとおっしゃっています。それくらいお得だから、一口しか加入してはいけないことになってるんですよ。。。
 6月3日  一週間経ったので そう言えば、課税所得関係で、以前、次のメールが届いていましたね。
  • 産経の佐藤さん、何時もながら凄く良いこと書かれています。
    まだお会いしたことありませんが、私は隠れ佐藤ファンです(^^;;
そっ、そうかぃ、ライバル多いかもな(笑)。 ルールに沿って仕事をしなければらならない実務に携わる人にとって、腹立たしくつらい話だろうね。
佐藤さんの文中にある「賛同者」の一人は、国民会議に次の資料を提出していたりもします。 この問題について、先日、行政の実務に携わるある県の県庁職員さんからメールが届いていました。
  •  『東洋経済』を拝読しました。

    冒頭から「タケコプターを公約に掲げても政治的に得るものはない」という言葉で始まって、心の中で拍手を送ってしまいました。

    一元化を公約に掲げることの荒唐無稽さを理解するためには、本文で「賦課基準たる課税所得を準備しなければならない」と指摘されていることの、実務上の困難さを想像できなければならないのだろうと思います。

    実務の世界では「AだからB」と論理学的な推移律は成り立たないので、運用とか経験で制度の穴を埋めているのが実態です。それが理解できない方々は、「法律で決めて組織を作れば所得くらいすぐ把握できる」という単純な理論を展開しがちですね。

    実務(とそれに伴う調整)を生業としている役人にとって、現実ではこの理屈が通じないことは常識の範疇だと思います。
 6月2日  ふ~ん 流れていると言えば、こういう噂もあるらしい バカバカしい。あれは、2009年政権交代後の特集として組まれた「年金激震」の中のほんの一部分。
あの記事は、匿名記事などではなく、カバーストーリーの中に執筆記者たちの名前がしっかりと書いてある。
彼らは、訴えられてもしっかりと受け止める覚悟の上で書いているよ。だいたいもって、あの記事が出たとき、僕もびっくりしたもんだ。
ハンドルネームで細野さんの本にレビューで低い評価をつけて回ったり、バカバカしい噂を流したり、文章となれば陰謀論めいたことしか書けないような面々とは、彼らは人間の質も格も違う。
次でも参照あれ。授業の中では、政策形成過程の一事例としてある程度話をしている。 当時、「年金激震!」には厚労省が驚いていたけど、政権交代直後に出た「税金超入門」には財務省がびっくりしていた。
ともに、記事の正確さとその質の高さ。そしてなによりも、官僚バッシングがこの国でピークを迎えていた中での記事の登場に。 この国にも、時々、レベルの高い政治的関心層が出てくるというだけの話だ。 「税金超入門」の発売が、政権交代8月30日の翌週という点については、根性なしがぁと言いたくもなるけど。。。政権交代で日本中が歴史的盛り上がりを体験している時に出しているところは、やはり評価しなければな。
これら二冊のバックナンバーは、取り寄せて熟読しておくように。
その歴史的背景も想像しながら読むと、いつものように、おもしろさは何倍にもなる。

ところで、週刊ダイヤモンドの次の自虐的特集?は、よかったんじゃないかぃ。 年金記事の反省もしたほうがいいかもな。
 6月1日  
 5月31日  君らが昨日、雑談してたことに資するかも。 昨日、卒論の報告で、「そもそも年金で世代間の問題を言うのはおかしい」と言う学生に、「アホか、お前は」と言って示した図は次。
民主主義のだらしなさを、君たちは怒っていいと思うけどね――昨日も話したように、民主党の先祖返りとかも君らに不利。
僕が昔から言ってきたことは、保険料率固定の下では、所得代替率は世代間でゼロ・サムになる――立派な図にしてくれてありがとな。
まともな議論を行うためのキーポイントは、世代間の比較を所得代替率で行っていることだろうな。
  •  
出所 社会保障制度改革国民会議 4月17日 年金関連4法による改革の内容と残された課題

付録
   本日の関連資料です――会場に到着したら、少しは年金の話もしてくださいねと頼まれたので、ついついまじめに年金の話をしてしまいました。。。恥ずかしぃ
まず、本日のみなさんに一番のおすすめは、2月19日の国民会議の動画です。この映像を残しただけでも、今回の国民会議は良い仕事をしたとも言えます。私が医療界のみなさんに、来るべき3月、4月の国民会議での医療提供者プレゼンの反面教師として勧めていた動画です。 そして、次が今日の話の中に部分的に登場しています。 次の話も登場してましたね。

上記文中の「新聞・経済誌のメディア人は勉強する」に関連する資料
      誰が何を間違えたのか」『週刊東洋経済』20091031日号
       太田啓之氏「年金破綻論のまやかし」『AERA』201249日号(2日発売)
       太田啓之氏「年金大誤報にダマされるな」『週刊文春』2012426日号(19日発売)

今日は、「投票者の合理的無知」に触れました。アクチュアリーのみなさんの前でもう一つのキーワードである「合成の誤謬」に触れたのは、次ですね。 今日、少し話しましたが、以前、知人に送ったメールです。
  • 僕の人生、合理的無知と合成の誤謬、このふたつの言葉を流行らせることができれば、それで、満足かなっという感じなんだよな、随分と前から。
そしてもし、お手すきでしたら・・・ここも。

それと、医療に関心のある方もいらっしゃったので、お手すきの時に次でも。 次なども一緒に読むと、提案のねらいとこれまでの流れが分かるかもしれません。 追記
昨日ご出席の出口治明さんの『生命保険入門』で、私が講義で紹介している箇所の一部です。
制度破綻リスク、社会保険では「基本的になし」と生命保険会社の社長が書いているところが気に入っていて、なぜ制度破綻リスクは、私保険と違って社会保険では基本的にないのかを、学生に説明しています。
 5月29日  今日でしたね。
  •  【年金数理人会 特別講演会】

    日時:平成25年5月29日 16:00~17:30
    会場:東京商工会議所 国際会議場
でっ、一昨日。
>  僕の講演の演題ってなんでしたっけ?
>>特別講演会の演題は「社会保障制度改革の行方」ということでお願い申し上げております(具体的な中身については、特に当方からの要望事項はございません)。

とのことらしいです。
いま、次を読み直しています。 あのときの講演は2008年11月10日で、当時の国民会議が11月4日に終了して、その直後でしたから、医療がマイブームでしたので、医療から話をはじめているようです。あれから4年半、世の中、なんにも変わっていないみたいです。
 5月28日  昨日話した、おもしろい話。某雑誌の編集後記。
  •  
昨日送られてきた号には、次もありましたね。
  •  
民主主義ってのは、いろいろな意味で楽しめるものだよ。
 5月27日  本日発売の『週刊東洋経済』
  • 経済を見る眼「社会保険一元化はタケコプター」『週刊東洋経済』2013年6月1日号
   昨日の、政府に関する慈悲深き専制君主モデル、リヴァイアサンモデルについては、Ⅰ巻6章「社会保障の財政選択と政府の政治戦略――目的税・普通税の間の財政選択をめぐって」にあります。旧図書館のリザーブブックでもみておいてください。
 5月24日  昨日話をした負け太り。次の文章に出てきます。 次に出てくる人たちの中で、君たちでも知っている有名な名前があるとすれば、それは負け太りだろうな。
   次、読んでみろ。 ――いま、ゼミ中で、ゼミの学生のために上記をアップ。

今日の講義で話したように、来週の「経済を見る眼」は、タケコプターの話。
先日、「東洋経済のコラムのタイトルに、タケコプターが付くことになったよ(T_T)トホホッ」と知人に連絡したら。
> 経済誌の巻頭に「タケコプター」の文字が踊るというのは歴史的快挙ですね。
> 藤子先生もよろんでおられるのでないでしょうか(笑
という感想もあれば、次も
> しびれますね。
> 藤子不二雄先生が一緒にするなとお怒りになるかも。。。
たしかに。
ドラえもんファンにも、あんなのと一緒にするなっ!と叱られるかもしれぬ。
 5月23日  今日触れたBeckerモデル、Denzau and Mungerモデルが出てくる文章。
うん、まぁ、旧図書館のリザーブブックを読まなくてもいいわな。
 5月21日  昨日触れた年金バランスシートの話。
たとえば、こういうふうに世の中に浸透しているわけだ。 どうすればいいんだろうね。
次でもご参照あれ。
 5月20日  17日の国民会議は年金。提出した参考資料です。 もう、9年も前の話です。 2004年春に、私はⅡ巻を出します。その中に、勿凝学問というコーナーを設けました。
それから、Ⅱ巻の延長として、勿凝学問を書き続け、それは出版社のHP上で紹介されていました。
しかし、勿凝学問15を書いたら、出版社から、さすがに社のHPにリンクできません、
お願いですから、この文章は先生のHPからもリンクを外してくださいという連絡が。
あぁ、そうかい、ということで、出版社とは独立にし、
その日までアップしていた勿凝学問15を15xにバージョンアップして批判を強化するとともに、
私のHP上のみで勿凝学問を書き続けていくことになります。

ちなみに、福澤諭吉の講演「学問に凝る勿れ」の話は次に出てきます――Ⅱ巻を出す直近、つまりは勿凝学問をはじめる直近ですね。 お手すきの方には
   ファイルの整理をしていたらおもしろいのがあったので これもどうかな。
 5月19日 世の不思議・・・
先日の某国?の国家公務員新人研修でのこと。
年金に関するプレゼンを行ったのは二班。一つの班は7人構成。したがって14人が14人、信じ切っていたという話。
彼らのプレゼンで、二班ともそろって、次の図を示して、「このように、積立金が減っていって年金は破綻します」っと。
  •  
     彼らのプレゼンのレジメから
 ???
年金教育の先は果てしなくながいな。

ちなみに、先週、研修所に私が送ったメール
  •  彼らに思いっきり間違えた、いわゆる世間の常識の報告準備をしてもらって、それで、コメントで、ちょいと違う見方を話して帰るというのもありだと思っています。
世間の常識を学ぶ、良い機会になりました。
世間には、なにか、信じ切っている年金のイメージ、先入観というのがあるようで、それが一人歩き、否、歩くどころか暴れながら走っていますね。

そうそう。
他の課題に答える中で、「全国統一ミーンズテスト」を提唱する班もあり。
  •  
これで日本の税制の欠陥が解消され、みんながミーンズテストを受けるようになれば生活保護のスティグマも緩和!ということ。
「全国統一ミーンズテスト」、語呂も良くってとてもおもしろかったです。
5月17日   昨日、卒業生が聖者の行進のDVDを返しに来たけど、誰か、クンタ・キンテのRootsのDVD持っていないかねぇ。誰に貸したのか、すっかり忘れてしまってる。。。
 5月16日  今日の講義の雑談で少し話したドンキホーテの話は 明日の国民会議に参考資料として提出している次もご参照あれ。 さらなる雑談で話した、Budget Day の朝のロイド・ジョージとチャーチル
 5月15日 そう言えば、今年の入間での初任行政研修の課題は次です。
  •  
月曜日に講義をして、金曜日に課題について報告をしてもらうという仕組み。
金曜日17日は2時半まで入間、そして4時に国民会議――の予定だったのですが、研修所と研修生に協力してもらって、昼休みを10分短くしてもらい、講義を2時20分終了に変更。ゆえに、4時には間に合うと思います、はい。
   ども。
  • 先生のHP今日の混合診療の内容、懐かしく拝見いたしました。
    その2009年にこんなことを書いて遊んでいた人がいたようです。
     私は循環器内科医で、これと言った特技の持ち合わせはない。心臓血管外科があって救命救急センターを併設している病院の勤務医として恥ずかしくない程度の診療は行っていると思っている。
    で、心臓病の患者さんに是非お勧めしたい保険の効かない治療というのはどうも思いつかないのである。保険診療の枠外ではバラ色の治療が選び放題と、コンサル氏は誤解されているように思われてならない。混合診療ではなく自由診療として行われたようであるが、レーシック手術が一部で深刻な被害をもたらしたことをどう考えるのであろうか。自分だけは大丈夫と考えるのなら、いささか楽観的過ぎないか。
    ・・・
    混合診療では保険適用外の治療については“自己責任”が求められるのだろうか。混合診療解禁を望む患者の文章で、保険適用外の診療についても安全性・有効性が検証されるべきだと書かれているのを読んだことがある。混合診療の拡大で情報開示が進む可能性は高いと思うが、専門家と非専門家の“情報の非対称性”が埋められるとは思えない。そこでどんなことが起こるか、あまり言いたくないことであるが、先に述べた「銀座眼科事件」がひとつの典型だと思う。なお、私は“情報の非対称性”が強い、つまり専門性の強い分野において“自己責任”という言葉を持ち出すのは正しくないと考えている。
    ・・・
    2009年9月15日追加
     ある方からこんなお話を聞いた。“ある患者さんにご自身の今後の悪性腫瘍の治療について一通り説明した後、「このように標準的な治療を行います。」と話したところ、「特上の治療でお願いします。」と言われて困った。 そんなのないよねぇ。言いたい気持ちは分からなくもないけど「標準的治療」が一番勝ち目の高い治療なんだよね”。
あの日は他にも・・・
  •  先日は混合診療を取り上げて下さり、ありがとうございました。考え方の道筋は、何年たったから古くなる、というものではない、ということを改めて確認し、心強く思った次第です。
    そして文中で、久しぶりに「政策は、所詮、力が作るのであって正しさが作るのではない」という言葉を拝見。09年の総選挙の際、権丈先生のこの言葉をかみしめながら取材・執筆していました。再びこの言葉に奮起しなければならないと思っています。

    それにしても、先日のY紙の提言は何を意図したものだったのか、裏を知らない私には、ちんぷんかんぷんです。「国民皆保険を堅持しよう」といいつつ「混合診療の拡大」って???
まぁ、新聞社の提言って、気にしなくてもいいですよ。
先日も記者を含む何人かに話したけど、新聞者の政策提言ってのは、かわいそうな運命を辿るんですよね。
次の77頁以降のパネルディスカッションなんか、どうかな。 他にかわいそうな運命を辿ったメディアの政策提言では、日経の年金改革案、毎日新聞の年金改革案なんかがありますね。
改革案そのものが悲惨な運命を辿るわりには、後輩達は、昔先輩がまとめた社の方針なるものに縛られてしまって身動きがとれなくなるという、端から見ていてこれは喜劇か!?というような状況にも陥ります。
昔々に書いたものですけど、次でもご参照あれ。
 5月12日  先日話題になった科研費の話は次です――でっ、ご想像の通り、私のかわりに本を読んで考えてくれるロボットでもできない限り、私には要らないんですよね、研究費って(笑)。勿凝学問のあそこに書いていることを、研究費を出すから論文の形にしてくれっと頼まれたこともあるけど、嫌だよっと断ったりと、そんなのばっかりです。 上のリンク先(2012年9月3日)の翌日に紹介している次の「一万円札で一兆円の束は何メートル?」の話は、たぶん、「計数感覚のない善良な市民」という言葉と共に私が作ったんだと思います。。。(波平さんはいくつだと思う?も、国会で取り上げられたと、先日聞いたけど・・・本当だろか?)
  •  174-衆-厚生労働委員会-3号 平成22年02月19日

    ○菅原委員 この議論をやっていると、多分一時間も二時間もかかると思います。何でこんな議論をするかというと、やはり五兆五千億というのは大きいんですよ、来年本格実施した場合。
    大臣、五兆五千億を一万円札で束ねたらば、どのぐらいの高さになるか知っていますか。

    ○長妻国務大臣 わかりません。

    ○菅原委員 では、教えましょう。
    一万円札を束ねると、一メーターで大体一億だそうです。五兆五千億ということは、五万五千メーターですよ。富士山の高さが三千七百七十六メーター、その十四・五倍の高さの一万円札。これを、あなた方が今財源を示さないということであれば、赤字国債を発行してそれで賄うという論理も打ち立てられるわけですよね。つまり、借金して五兆五千億、それを子供に出す。
そう言えば、ゼミの一期の時から毎年薦めている『社会調査のウソ』の著者谷岡一郎さんが『データはウソをつく』の中で、いしいひさいちさんの次の漫画を紹介されていましたね。
  • ・・・   
似たような話は、居酒屋タクシーを例に出して次でしてますね。まだ、2009年の政権交代前で、居酒屋タクシーでメディアにもてはやされた人物がこの国の大臣になる前ですね。
  •  勿凝学問228 えにしの会での事前講演録?――小さすぎる政府の医療政策と日本の医療保険
    1は、医療関係者が良く言うヨーロッパ標準の公的医療費の規模についてです。日本の6.7%をドイツ並みの8.2%にするにはGDP比で1.5ポイント増、日本のGDP500兆円とすれば7.5兆円必要となります。フランス並み8.9%にするには11兆円必要です。ここでみなさんに伺いたい。1万円札を100万円分束にすると、大体1㎝の高さになります。では1兆円とは、どの程度の高さになるのか?
    答えは、10キロです。日本の公的医療費をドイツ並みにするためには75キロの高さの1万円が必要で、フランス並みだと110キロの高さが必要になります。
    ここで昨年話題になっていた居酒屋タクシーに例をとれば、だいたい年間に50億円が使われていたと報告されました。これは、1万円を並べて50メートルです。今から話をすることに対して、権丈は、政府のムダをどのように考えているのか?というような疑問を抱きながら聞かれる方がいらっしゃるかもしれませんけど、私が昔から言っていることは、先月出したこの本にも書いていますように「ムダとして論じられている額と必要な額とは昔から何桁も異なっているし――今言われている程度のムダを俎上に載せることにより、政府にムダがある限り負担増に反対する国民(計数感覚に欠ける善良な市民?)の支持を得ていくことは、今後も技術的には難しいことではないだろう。難しいのは、そうした自分たちの政治戦略そのものが、国民の生活に悲惨さをもたらす原因であるとわかっていながら、彼ら国民を騙し続けていく心の葛藤に打ち勝つことなのである」〔『社会保障の政策転換309頁〕ということです。まずは私がこういう認識をもつ人間であることをご理解いただきたいと思います。ただ、種々の社会保障支出を相似形的に拡大していけばいいと考えているわけではない。社会保障国民会議の医療介護費用シミュレーションのようにメリハリは必要と考えていることも付け加えておきます。
そして、上記の文章から数か月後。2009年8月30日の総選挙の夜
 5月11日  下記に出てくる勿凝学問145をアップしておきます。
 5月10日  昨日の国民会議で話した、前回の国民会議で話したこととは、こういうこと。
  •  『社会保障の政策転換』252-4頁
     
 5月9日 昨日、講義掲示板で紹介した医療経済・政策学第1巻『医療経済学の基礎理論と論点』がでる前、いまから8年以上前に次を書いているようですね。 混合診療については、2007年11月7日は、私にとっては印象深い日です。
この日の昼、自治体病院全国大会で八代先生と混合診療をめぐって議論。その様子は次。 その日の夕方、東京地裁が混合診療禁止は違法の判決。この判決に八代先生は「画期的判決」とコメント。
そのあたりは、次を。 その後の展開は、
  • 2009年9月29日  東京高裁 混合診療禁止、国の主張認める。
  • 2011年10月25日 最高裁、混合診療禁止の違法を訴える原告の上告を棄却
このあたりの詳細に関心のある人は、最近出た次などをご参照あれ。
 5月8日  後期高齢者支援金の総報酬割では、個々にみれば、健保組合の中には負担が増えるところもあれば減るところもあります。
 5月4日  高齢者医療制度の在り方、総報酬割等については、4年前の次のインタビューがありましたね。
 5月2日  なるほど。 僕は2008年の社会保障国民会議で山田知事の考えを知る。 山田知事が国保の都道府県一元化を言っていることを知っていたので、2009年3月11日の第6回「高齢者医療制度に関する検討会」で次のような発言をする。 当時は、全国知事会は、国保の都道府県単位での一元化には反対。国保の都道府県単位化を求めていた全国市長会、全国町村会と当時の全国知事会は対立していた。
時が2年ほど過ぎ、2011年4月 京都府の山田知事が、全国知事会の会長に就任。
そして、今年2月28日の第5回社会保障制度改革国民会議で、全国知事会、全国市長会、全国村長会からなる地方三団体がひとつの提出資料にまとめて報告。
  • 第5回社会保障制度改革国民会議 議事次第
この会議の場で、次のやりとりがある。
  • 増田委員「都道府県がこうした赤字の問題が解決されるのであれば国保の保険者になる覚悟があると、国民健康保険の保険者のあり方についても検討すべきというのは、そういう意味に読み取れるのですけれども、この点についてそういう理解でよろしいかどうか、これは全国知事会の福田知事にお尋ねしたいと思います」。
    福田栃木県知事「積極的に責任を担う覚悟があると、何度も知事会としては申し上げているところでございます」。
 4月30日  
  • 社説「地域医療の将来像――都道府県の責任は重大だ」『朝日新聞』 
     ・・・
    ■国は人材の支援を
     国民会議が打ち出した方向性にはむろん、懸念もある。
     改革を実現するだけの力がすべての都道府県に備わっているとは思えないからだ。
     これまではベッド数の規制が主な仕事で、県立病院はつくっても、医療の中身は、医師を派遣する地元大学の医学部にお任せするのが一般的だった。
     それが、専門性の高い医療の中身に立ち入り、企画・調整する仕事を担えるのか。
     政治力のある地元医師会と対等に渡り合えるか。医師たちの言うがままに、補助金をつけるようにならないか。
     市町村と違って住民と直接の接点が少ない都道府県が、地域の複雑な事情をふまえた調整ができるか。
     心配の種は無数にあるが、国が特に人材面で支援し、克服していくしかない。
その通り。
今は出来ない。しかし、いずれは出来るようにする。それが政策というもの――というメールを先日、知人に送る。
4月19日第9回会議での発言
  • ・・・
    どうやって改革していけばいいかと思ったときに、やはりデータの力を借りたい。そのデータの力をどう借りていけばいいのだろう、作っていけばいいだろうかというときに、高橋先生の研究を知って、これで行けるかもしれないと考えたわけです。 
    ・・・
    私が若干思っているところが、今の御時世を考えて、「地域医療・包括ケアデータ解析専門チーム」というシャビーな名前をつけてしまったのですけれども、ここにものすごく有能な人たちが来ていろんな形で分析してやってもらわなければいけないというのがあって、「国立医療・包括ケアデータ解析院」ぐらいの名前をつけたかったのですけれども、そういうことはとても今の御時世では無理と思いますけれども、私はそこに優秀な人材に参加していただいて、日本の医療・介護のシステムを根本的に、先ほどからみんなおっしゃっているように根本的に変えなければいけないところがあるのですが、根本的に変えるエンジンとして機能してもらえればと思います。
私の資料の中で最も重要なところはと問われたら、27-28頁と答えるかな。 とにかく、レベルの高い計画策定者を自治体に育てる。それがこの計画の要諦。
先日、知人に送ったメール
> 5年間で、日本中の自治体に、高橋先生、伏見先生、松田先生たち(50音順 笑)を育てるのが夢。
> 医療提供体制の改革は、ソフト、人の充実が大切。
   明日も、先週使った次をもってきてください。
    年金と医療の真の問題のサイズに近づきつつあるのでしょうかね。
次でもどうぞ。 次のタイトルをみると、「今週の眼」という言葉を意識した論題の推移――増税、年金、そして医療へのシフトを観察することができます。
 4月24日  
  •  権丈先生 皆様

    体調不良で寝込んでいたら出遅れました。

    国民会議の資料はテンションあがりますね。
    友人から「権丈先生はオフレコで何かコメントを言っていなかったか」と問い合わせを受けました。
    「10年後に教えてくれるそうです」と答えときました・・・笑

    25日の大学院の授業はどのような内容でしょうか。
    私は先生の資料についていろいろお伺いできれば十分かとも思いますが、、、。
あほっ、この前も言ったように10年後にだ。
君たちの報告の準備はさぼらぬように。暇があれば、他の委員の資料の熟読を。
ああいうのは相対的に読まないと意味がない。他にいくつテンションがあがるのがあったのかも、明日、教えてくれ。
 4月23日  昨日、国民会議終了後の医療関係の研究会中、二木先生と一緒のところに届いたメール。
> 今日も国民会議お疲れさまでした。
> 本日アップされた二木先生のインタビューがありました。
> http://adv.asahi.com/modules/leaders_as_reader/index.php/content0066.html

すぐに二木先生に伝えました。新聞では今朝でしたね。昨日の連絡のおかげで、研究会あとの懇親会で盛り上がりました。どうも。
   ちなみに、下記の「後に重要になる」の「後」は、一昨日19日のこと。3月27日、4月4日の会議の記事ですから。
そして、国民会議は、明日22日も開催――よく働かされるもんだよ。
 4月20日  次の記事、専門誌らしく、よくポイントをおさせているというか、面白いところが分かっているというか、後に重要になるところを読めていたというか。 専門誌らしく、次の編集後記もポイントをおさえていたりするのか。。。
   本日、社会保障制度改革国民会議の委員提出資料 会議は13時30分~16時30分+報道関係者と動画放送を断って16時30分~18時。合計4時間半。
 4月19日  昨日、映画「SiCKO」をみる前に使ったワークシートは、次です。 次にあります。 でだな。次のSiCKOへの感想文、君らの参考になるかも。 そして、上の文章で触れている僕が日医に依頼されて書いた有識者?からの提言は次。 これが、日医へのデビュー作であり、日医への宣戦布告?でもあったわけだな。
そして、あれから5年、いろいろありまして今に至ってというところか。
頼まれ仕事の中で宣戦布告するようなバカはそれまでいなかったようで、奇種であったことだけは確かだろうな。
 4月12日  今朝の朝日新聞の次のインタビュー、なかなか深い(笑)。 同じインタビュアーによる、ガンダムものもご参照あれ。
そして、同一人物が、人任せ教材にも数多く登場。
年金を正確に理解する能力がある人物が、たまたま芸達者だったというよりは、芸達者だったから、世の風潮に惑わされることなく、自分の目で年金を見て正確に理解することができたとみるべきだろうな。そして、年金経済学者というのは、まぁ、経済学という少し病んだ学問くらいしか知らないから、世の風潮と同じレベル、いわゆるB層レベルで、年金を正確に理解できず、自分の言っていることのおかしさに気づかないままだったということだろう。
次の48頁(PDF46頁)以降をみておきな。
 4月9日  十数年前に、次のような不思議なことを書いていますね。 こんなこと考えていたということは、よほど暇だったんだろうな。
 4月4日  次など。 とにかく、付加価値と利潤の差、付加価値生産性と物的生産性の違い等に関する正確な知識を前提にしてもらわないと、(昔から今に至るまでのように)トンデモ論が横行することになる。

昨日の話題だと、次もどうかな。
 4月3日  高齢者医療制度への総報酬制について、はるか昔にぜんぶ言っているんだよなぁ。なにを今更という気がしないでもないんだけど。。。
   この問題は、僕らからみれば驚くべきことだけど、山崎先生の予想したように、課税世帯のみを相手にして、非課税世帯は所得ゼロとみなして、みんなに最低保障年金をという方向への議論になってるみたいだな。まったくもって、バカバカしい話。 次もどうかな。
  •  
 3月31日  では、ここでも話しておこうかね。
次のふたつ、根は同じことを言っていることを確認を。 この問題については、次でもご参照あれ。
 3月30日  これまでで、一番感謝された原稿かな。
>Sent: Wednesday, December 19, 2012 11:20 AM
>To:
権丈先生
>Subject:
三田商投稿論文のお願い
> (3月の卒業式までに出さねばならない)『三田商』5号、6号の原稿が足りません。
> 何卒、よろしくお願い申しあげます(お助けを) 
まぁ、ふたつとも冬休みに入る頃から、仕方がないなぁと取りかかったんだけどな。。。
どうにか、卒業式までに発刊できてなによりです。でも2冊とも無茶苦茶薄い号だったけどね(笑)。

ところで、上と同じように(?)趣味の文章と言えば、次は必読
  • 太田啓之氏「ガンダムか司馬遼太郎か」『新潮45』2013年4月号
     私自身、かつて「龍馬がゆく」には熱中したし、日露戦争を描いた「坂の上の雲」は十代、二十代、三十代に計三回通読した。だが、その後は司馬遼太郎作品への登場人物への強い憧れはなくなった。・・・「善玉」と「悪玉」にはっきり分けられる。善玉は冷静に現実を認識し、正しい判断を下すが、悪玉は偏見と無知による誤謬を繰り返す。だが、ある程度の期間、社会人をやれば「世の中はこんなに簡単に色分けできない。どんな人も過ちを犯す」ということに嫌でも気づかされる。
     ガンダムの世界には無謬の人物は登場しない。主人公のアムロでさえ・・・
    ・・・
     ガンダムの物語に流れるのは「経済や環境という前提条件に強く規定されつつ、さまざまな人々の関わり合いの中で歴史は動いているのであり、誰かが決定的なイニシャティブを取ることはありえない」という冷徹な世界観だ。それは、私が社会保障問題の専門記者として長年、年金や医療など重要政策の決定過程を取材して実感したこととも一致する。・・・
そして、最後の最後の「危うさを感じてしまうのだ」がまた良いね。
送った感想
  • > これは、今までで一番上出来の文章じゃないかな(笑)
 3月22日  
 3月18日  一週間経ったので 参考までに 上の「2010(H22)年 の病床数」というワイングラス型の現状をみて、これを失政と思わず、現状のままで良しと言う人は、誰かいるのでしょうかね。
   そう言えば先日、「”年金研究者”と思っていた権丈先生が、なぜ医療制度改革に?」と問われて・・・僕はビックリ。
でも、そう思われる人もいるかもしれないですね 。
私が出した返事です。 次もどうかな。
 3月15日  2008年の国民会議で、医療介護費用シミュレーションを検討した翌日の、日経新聞の社説に触れた文章は、次ですね。 昨日、いくつか連絡がきましたが、たしかに、一昨日に今回の国民会議で、医療介護費用シミュレーションを議論した翌日である昨日の日経の社説も、なかなか素敵でしたね。
  • 社説「国民会議は何をしているのか」日経新聞(2013年3月14日)
昔からそうなんですけど、日経は、どうも、年金を議論してほしいらしい。
  •  たとえば年金改革は(1)自公両党の百年安心プラン(2)最低保障年金をつくる民主党案(3)維新の会が掲げる積み立て方式への移行案――の利点と足りない点を比較考量するなど、加入者と受給者の視点での改革論議がいる。首相に議事運営の立て直しを求めたい。
なるほど。
たぶん、今の国民会議は、医療介護、年金、少子化対策に対して、問題の大きさ通り、国民の幸せにつながる問題の大きさ通りに議論は進んでいるのではないでしょうかね。
一昨日の会議で配布された資料をご参照あれ。 次は、前回の国民会議の頃に書いた文章ですけど、ひょっとして、日経で社説を書いている記者は、昔も今も変わらないのですかね。 お手すきなときにでも、次もご参照あれ――次には、「メディア人は勉強をする」と話していますが、もちろん立場上?例外もいるでしょうし。
 3月14日  参考までに。昨日の国民会議で話題になっていたことです――僕は目をつぶって聞いていただけでしたが。
 3月11日  
  • 経済を見る眼「日本的医療問題の解決に道筋を」『週刊東洋経済』本日発売
 3月10日  ですか。
  • Subject: 中医協でのQALY

    権丈先生

    お忙しいところ失礼します。

    HTA、QALYに関する議論が中央社会保険医療協議会費用対効果評価専門部会で引き続き行なわれているようです。
    http://www.m3.com/iryoIshin/article/167286/
    (m3の記事はご覧になれるのだと思います)

    編集長が付けたタイトル「費用対効果、一通りの”勉強”終了」っていうのはいいですね。
    起こりそうなことがやっぱり起こっている、起こるようです。

    第8回の資料はappraisalのことをきちんと書いていてなかなかいいんじゃないかと思った次第です。
    http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002w6kq-att/2r9852000002w6on.pdf
ご参考までに
  • 権丈発言箇所「シンポジウム 医療技術評価(HTA)の政策利用」『医療と社会』Vol.22 No.3 2013
数週間前に、次のような感想を頂いてます――ありがとうございました。
  • 『医療と社会』22(3)で権丈さんの医科研シンポでの「大変分かりやすく難しいお話し」とその後のパネルディスカッションを読みました
    権丈さんの講演2「研究と政策の間にある長い距離-QALY概念の経済学説史における位置」、私には大変「分かりやす」くかつ100%納得できるものでしたが、経済学史の知識がなく、しかも抽象的思考に慣れていないHTA研究者には極めて「難しい」話だったと思います。
    そのため、パネルディスカッションの最後の方で、権丈さんが「喝」を入れるまでは、権丈さんの警告を無視したノーテンキな議論が延々と続いたのだと思います。
    ・・・
途中で、誰でしたか、名前を忘れましたけど、一人一人のプレゼンテーションとパネルディスカッションの間に遠藤先生と並んでお話をされた先生は、HTAでシンポジウムが開かれる時代が来るとは思わなかった、実に喜ばしいことで、HTA研究者を蝉に喩えて、羽化した途端に食べられて消えてしまうんじゃないかと心配している、もしそうなっても大丈夫なように、これからもHTA研究者をどんどん世に輩出していかなくてはならないと、威勢の良い応援演説をされていましたね。その講演は、『医療と社会』には載っておりませんが――あの日のシンポジウムの後の懇親会では、蝉の生態の話でもりあがったものです。
シンポジウム当日(2012年9月18日)に、柿原さんの『入門医療経済学』4章に次のような論があることは迂闊にも知りませんでした。プレゼンの時、同じような観点からHTAを評価している人もいると言っておくべきでした。
  •  (2)医療の経済学的技術評価方法
    1)費用効果分析CEA
     医療の効果とは何を意味するのかというと,通常はその医療行為により生ずる平均余命の伸びと定義する.例えば,早期胃がんが見つかったとして,内視鏡的粘膜切除術や外科手術により完全治癒した場合,その患者が発見された年齢における平均余命が得られた効果ということである.出産時に死にかけていた赤ちゃんが,救命医療により助かったとすると0歳における平均余命(平均寿命)が得られた成果ということになる.効果はわりと計算しやすいが,余命が伸びないあらゆる治療,例えばギックリ腰の治療の効果は0という問題点が生じる.測定が容易であり,生か死といった旧来的な医療の成果を測定するのには適した方法である.
     例えば30歳の人が胃がんの手術をして,余命50年の延長が得られ,入院手術費が100万円であったとすると,1年の余命延長あたり2万円であったということである.
    2)費用効用分析CUA
     効用とは,単なる平均余命の伸びではなく,質を考慮した平均余命QALYs(Quality Adjusted Life Years)の伸びを用いる.生活の質QOL(Quality Of Life)と同じ考え方であり,QALYsはどのように計算するかといえば,死亡を0,通常の健康状態を1として,その間に様々な状態を定義する.例えばある状態を0.5と定義すると,その状態で10年平均余命が伸びたとすると,QALYsとしては5年ということになる.
     もしそれに要する医療費が,500万円であったとすると,1QALY当たり100万円であったということである.余命の伸びがゼロであったとしても,QALYsが上昇した場合,効用が得られたということである.CEAにおける上記の欠点を解消した測定方法であり,医療の成果の測定としては理論的には最適である.ヨーロッパで開発された EuroQolやアメリカで開発されたSF36などの評価手技がある.
     しかし臨床医(注1)からみるとやや大雑把であり,一貫性に欠けるという欠点もある.例えば片腕を失うという事態を想定すると,失う前と,失った直後,失って10年後では,そのことに対するQOLの評価が異なるであろうことは容易に想像できる.厚生経済学では一般に「効用の序数性」と「効用の個人間比較は不可能」であるとしている(注2).ケネス・アローによって示された有名な不可能性定理「社会の選好順序を導き出すような望ましい性質をもったルールは存在しない」との整合性をどう考えるのかという課題は残されている.
 3月6日  一昨日の
> どの文章でしょうかね。
へのお返事ありがとうございました。
  • ご質問の該当箇所は、
    名刺交換時の従業員への民間医療保険の提供のお話→pp.98-104
    混合診療→p.331-347
    のあたりを読んで、先日のメールのような感想に繋がったという経緯でございます。

    いやはや恐縮しきりであります。
なるほどっ。
そう言えば、一週間ほど前、「でっ、僕が出かけて何を話せばいいのかな?」とメールを出したら、すぐに・・・
  • 医療の自治、ガバナンスの確立には、医療を支える財政基盤の構築抜きには絵に描いた餅であること。

    先進国平均なみ、仏独水準の公的医療費を求めるためには「負担増」は道理であり、それへの国民の同意・納得を得るだけの医療プラン、絵の提示が必須であること。
    そのため正確な事実認識と計数感覚、整合性をもった主張、医療の専門家として地域医療政策が提言できる力、構想力が問われている、

     -というような内容を期待いたしておりますが、いかがでしょうか。

     具体的には、
     「消費税と福祉国家」、「あるべき医療と二つの国民会議」
     「勿凝学問222 民主義における力・・ポンコツ保険」
     「勿凝学問374 政治的関心層の合理的無知・・」をコンパクトにまとめられた
     お話となるのかな、と思っております。
いやはや、そこまで分かっているのなら、自分で話せばいいのに
それにしても、みなさん、僕がすっかり忘れてしまっていることについても、大変お詳しいようで。。。
昨年末に「最低賃金撤廃、負の所得税」の話が盛り上がった時には、こういう連絡もきてましたね。
  •  お世話になっております。
    勿凝学問208,223,237、352で勉強しようと思います。
    ほかに、読んでおくべき文章があれば、ご教示ください。
しっ、しらんよ(笑)。。。多分返事を出してなかったと思う――ごめんなさいね。
   なるほど、混合診療は風物詩ですか。
  • > 風物詩の混合診療問題の復習を兼ねて『医療年金問題の考え方』を拝読しております。
    > HPの2月25日の先生による攻撃力の高い名刺交換!と同じこと書かれていますね。
    > 同じ人が書いたのだから当たり前・・・とは必ずしもいかないです。
    > こうやって、考えて考え抜いて、ず~っと同じことを言い続ける人は、世の中にはそんなにいないのですよね(笑)
どの文章でしょうかね。
本日、種々届いた連絡によると、今日の社説には、こういうのがあったみたいです。 次の図1や図2と関係のある話ということになるのでしょうかね。 20年以上前、政策形成に影響を与える力、権力とは?と疑問をもってしまい、Ⅰ巻の1章「再分配政策における利益集団と未組織有権者の役割」につながることを考えはじめていた頃が懐かしいですね。その論文の冒頭に出てくる言葉が、「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさが作るのではない」です。以前、学生が作ったゼミオリジナルTシャツに、この言葉を書き込んでいたのも懐かしいかな。他に、「百の事例よりも、一つのモデル、一本の式」というのもあったかね。他、なんだったっけ。
 3月4日   モデル授業当日は、風邪をこじらせてしまって欠席ですみませんでした。
欠席をする旨を連絡したメール
  • > まだ、回復せず、むしろ悪化・・・誰かが呪詛しているんじゃないかと疑ってる・・・身に覚えは山ほどあったりして。。。
次も、社会保障教育関連ということで 大学で社会保障が必修になると、それはそれで、また新たに大変な問題が起こるおそれがあるわけで・・・遙か昔にそういうことを書いていたので、近々アップします。まぁ、三田でも、他の学部では、年金の大抜本改革を講義しているみたいだからね。あるいは同じ学部の中でも、けっこう危なかったりもするかな。。。ということで、僕は、中高教育派。
 3月3日  そうですね、昨日アップした会議動画の雰囲気と、当日の様子を報道した日経新聞の記事を比べるのも、世の中の仕組みを知る上で勉強になるかもしれないですね。
  •  「高齢者医療費、3割自己負担に 同友会が提言」2013/02/19 20:31 日本経済新聞電子版ニュース
      社会保障の将来像を議論する政府の社会保障制度改革国民会議は19日、経済団体と労働団体から意見を聞いた。高齢者医療費の増加が保険料率の上昇につながっているとし、経済同友会は75歳以上の自己負担割合を現行の1割から3割に引き上げることを提言した。残り7割は税金で賄う。経団連は高齢者医療制度への公費投入の拡大を訴えた。

     国民会議は日本商工会議所、連合からも意見を聞いた。政府が検討している報酬の高い大企業の会社員ほど保険料負担を重くする総報酬割を拡大する案は、経団連、同友会、日本商工会議所の3団体が反対した。一方、連合は退職した高齢者を現役の会社員全体で支える保険制度の創設を提言した。70歳以上の医療費の5割を税金で賄う。

     年金制度は、労使4団体が高所得者の年金を減額することを求めた。意見聴取後、山口俊一財務副大臣は「医療、介護は給付の効率化や重点化を進めたい。公費投入拡大には慎重だ」と述べた。
川岸をこっち側の世界まで渡ってきてもらうためには、まず、民主主義がどのような仕組みの下で動いているのか、私の言う「民主主義社会における情報問題」というものがどれほど深刻な問題なのかを知ることが必要です。
私の「社会保障論」の講義では、4月、5月は、民主主義の話、投票者の合理的無知を起点として情報と権力と政策形成過程の話などをしているのは、そうした理由にもよります。まずは、プロパガンダ、ロビイングは民主主義の常態であること――私の言う資本主義的民主主義――を理解してもらわなければなりません。

なお、当日の様子を伝えた医療専門記事として次などがあります(社名五十音順)。
  • m3.com「経済団体の主張に疑問続出」
  • キャリアブレイン「社会保険料の事業主負担は限界」
  • Medifax「国民はどんな医療を受けたいのか 国民会議で問題提起」
記者受難の時代と言いますか、事件(?)が起こっている現場の動画と記事を見比べれば記者の力量が分かる時代になったということでしょうか。

翌日に知人に送ったメール。
  • 昨日は思いのほか、面白かった。
    僕一人で1時間くらいはかけて遊びたかったですね・・・ああいう機会があったら、また呼んでください(笑)。
    連合を含めて、ゼミの時間の学生の報告よりも伸びしろがある。
 3月2日  そういうものですか。
  •  さて、第4回、国民会議、面白すぎます。
    映像は、いいですね。全てを語ってくれます。

    経済界の代表も、「考えたことがない」「アイディアがない」と
    あまりに、率直です(笑)。

    委員のみなさんは、ジャイアンを優しく諭す、仏陀のようです。
    先生も非常に抑制的で。

    良識が発揮された会議です。
    早速、周囲に「必見」と案内しております。
ご参考までに
 3月1日  昨日の国民会議で、年金税制の問題に少し触れたけど、次の山崎先生のような知識、問題意識を持っているかどうかが、多方面にわたって、向こう側とこっち側の分岐点であったりするわけだ。
  •  第二回 社会保障制度改革国民会議 議事録
     ○山崎委員 いずれにしましても、一体改革では消費税の逆進性への対応ということもありまして、低所得者対策というのは1つのキーワードになるかと思うのですが、そこで言う低所得者とは一体どういうものなのか、というのが非常に大きな課題に今後なると思います。
     介護でいいますと、75 歳以上の後期高齢者が大体介護の対象になりますけれども、それに見合っているのが後期高齢者医療制度でございます。後期高齢者医療制度の統計を見ますと、実は後期高齢者のほぼ6割は所得なしでございます。つまり、我々、今の高齢者は年金という安定した収入をもとに全体としては現役世代と遜色のない所得があると言っているのでございますが、実は56%は所得なしでございます。主たる収入は年金でございますが、これは神野委員に是非御意見をいただきたいのでございますが、公的年金等控除が120 万円ありますから、120 万円の年金収入では所得がゼロでございます。
     さらに基礎控除が、住民税ですと33 万円ありますから、あわせて153 万円というのが低所得者と言われる非課税のスタートラインということになります。しかもこれは老齢給付だけでございまして、遺族年金は対象になりません。後期高齢者は非常に遺族の方が多いわけでございますが、遺族年金はごく稀かと思うのですが、実は300 万円を超える遺族年金をお受けになっておられる方もいます。老齢給付で300 万円というのは、実は事務次官をされた方がもらえるかどうか微妙な額でございます。これは課税対象になります。しかし、遺族年金は一切非課税でございます。そういう中で、今56%が所得なし、さらに非課税ということになりますと恐らく後期高齢者の7割、8割という方が非課税になりまして、結果的に補足給付に関係することでございますが、居住費については在宅とのバランスで自己負担していただくという原則を立てながら、あちこちの特養の方に聞きますと、大体8割くらいは低所得者だなということになっているわけでございまして、この辺は政策統括官室で恐らく問題意識としてお持ちなっているのだろうと思うのですが、検討されているようでございますから、いずれその辺のデータも見せていただきたい。ですから、今の状況でそのまま低所得者対策を進めることについて、しかも多額の公費をそこに投入することについて、非常に疑問を持っております。
実は昨日、一言もしゃべらずに帰ることにチャレンジしていたのだけど、後一歩のところで失敗。。。無念。
 2月25日  good question!
  •  権丈先生

     ご無沙汰しております。HP、いつもありがとうございます。引き続き勉強させていただいております。

     今日はいつも疑問に思っていることを取り上げておられたので、失礼を顧みずメールをさせていただきました。当事者でいらっしゃるわけもないのに申し訳ありません。

     国民会議でもご指摘のように、米国では6割程度の企業は私的医療費を負担しているそうで、GMのような手厚いところはもちろん、決して珍しいことではないように思います。単に保険料負担が嫌だ、という経団連が「我々は苦しい。税の割合を増やせ」というのはある意味、とても分かりやすいのですが、「社会保障と係わる経済学の系譜」でお示しになっていた右側の流れを組む人々、企業の競争力重視を口にする人々が、なぜ企業の私的医療費負担に触れずに公的保険の縮小ばかりを主張するのかがよく理解できていません。

     公的保険が縮小されれば、私的医療費を中心に医療費のさらなる膨張は避けられない、という点は誰も異論がないと思います。その分をすべて社員に負担させることを念頭においての発言なのでしょうか。米国でも社員の負担を増やす流れになっているとはいえ、日本で私的医療費が増大した場合、企業も人材確保に向けてある程度の社会的責任を果たさざるを得ないようになると考えるのが自然のように思えます。GMのような例は極端かもしれませんが、ああいう事態になるよりは、今の形の皆保険を維持した方がまだ企業負担は少なくて済む、という読みにはならないのでしょうか。。。
ご質問の文章、右側の人々を少々買いかぶった文章が含まれていますね(笑)。
彼らが、みなさんと同じ知識の下に何かを発言していると考えると、けっこう、説明できないことがでてくるはずです。
「誰も異論がない」と書かれているところも、医療を知らない経済学者に尋ねると、なんと答えるか分かりませんよ。
まぁ、詳細は、そう遠くない日になるかもしれない会合で。。。

少しばかり余談を――先週の国民会議終了後

近くにいた数人の政治家に
  「僕も人間が丸くなったでしょう」
  「ですね、たんたんとデータだけを紹介するにとどめ、それ以上はなにも言わない・・・」
経済団体の人たちと名刺交換をしながら
  「皆保険を守って、診療報酬の決定を公一本にしておいた方が、みなさんにとって得なんだから、
   皆保険の堅持を主張しておいた方が良いですよ。
   私的医療費が膨張して働く人の生活を強く圧迫し始めたら、大企業のみなさんは放っておくことはできないでしょう。
   それと、今日示された事業主負担割合が違えば結果が大きく変わるようなデータは、経済学者は批判すると思いますよ。
   いっそのこと事業主負担割合には意味がないという彼らの論にしたがって、
   スウェーデンのように事業主負担を100%にして、医療政策とかの主導権を全部握ったらどうですか。
   医療政策で労働者や国に係わらせて煩わしい思いをするよりも、そっちの方が、得だと思いますけどね」
国民会議終了後、日比谷公園の松本楼で待ち合わせた人やそこから電話をかけて来てもらった人たちに
  「公的医療の縮小が国民経済の規模に寄与するほどの私的医療費の膨張を招かなければ、それは成長戦略としては大失敗。
   もしも国民経済に寄与するほどに私的医療費の膨張を招くとなれば、企業はその際の家計負担を無視できなくなる。
   普通の企業にとっては辛いところだね。
   ただし、せっせとロビイング活動を展開している国内外の製薬産業と医療機器産業にとっては、
   公的医療の縮小は大いに望ましいことだろうな。
   とにかく、陳情が成長戦略と呼ばれるおもしろいご時世だから、もう、なんでもありだ(笑)」

先週の三田での大学院講義は、こうした出来事の後のこと。
 2月24日 >・・・
>第4回国民会議、経団連のヒアリング、m3とメディファクスの報道に、笑ってしまいました。
>・・・

なにか、ウケること言っただろか・・・記憶がない。。。
  •  m3.com「経済団体の主張に疑問続出、第4回社会保障制度改革国民会議開催
     社会保障制度改革国民会議(会長:清家篤・慶応義塾長)の第4回が2月19日、首相官邸で開かれ、日本経済団体連合会(経団連)や経済同友会の経済団体などからヒアリングを実施した。経済団体が、健康保険組合の減少や企業の負担の大きさを挙げて、後期高齢者医療制度の改革や、社会保険料の引き下げなどを主張した。経済団体は、国民皆保険の崩壊の可能性も示唆したが、委員から「(主張が)国民皆保険制度の崩壊につながるかは疑問」との声が聞かれる場面もあった。

     今回は、国民会議初のヒアリングとなり、対象は社会保障制度改革で、経団連、経済同友会のほかに、日本商工会議所、日本労働組合総連合会(連合)の4団体だった。

      経団連は副会長の斎藤勝利氏は、2011年度から2025年度にかけて、勤労者世帯の社会保険負担料が約25万円増額することや、法人課税と社会保険料負担を合わせた企業の公的負担率が、米国や韓国などの国に比べて上回っていることを強調した。斎藤氏は健保組合の数が1992年から2012年までに400近く減っていることにも言及し、医療における前期高齢者を含めた高齢者医療給付への税投入割合の拡充を求め、社会保険料を引き下げる意向を示した。

     学習院大学経済学部教授の遠藤久夫氏は、経団連の主張に対して「過去20年間で社会保険料の負担は低下傾向にある」と指摘すると、斎藤氏は「主張は主に高齢者医療を想定している。負担の減少は、ひとえに景気の長期低迷から来ている」と話した。慶應義塾大学商学部教授の権丈善一氏は、 経団連の健保組合数の減少の主張に対し、「組合数は減っているが、2011年の被保険者数は1555万人で、1992年の1541万人から微増している。組合数の減少が、国民皆保険の危機につながるのか疑問を感じる」と話した。権丈氏は、企業の公的負担が米国や韓国を上回っているとの主張についても、「米国では、企業が私的医療費を負担するケースもある」と計算方法に疑問を呈した。経団連の担当者は「計算方法が難しい」としながら、成長戦略と併せて、社会保障制度改革を考える必要性に言及した。
    ・・・
 2月21日  そう言えば、昨日アップしている平成21年度予算時、慶應健保の保険料率は4.7%で、当時1485あった組合では低い方から14番目。
本年度は6.3%で、先日の理事会で、0.6ポイント引上げたので来年度は6.9%に決定(*)。
慶應健保は、経済界、健保連、連合という鉄のトライアングル的には、保険者機能をしっかりと果たしている模範例ということになるのだと思う。

ところで。
僕は平成12年4月から慶應健保の理事をやっていて、昔から最年少で、今もそんな感じだけど、在任期間は、もう何年も前から最長。
つまり、鉄のトライアングル的には好成績をあげている組合健保を13年ほど運営しているのは僕であったりすることにもなる・・・。
ということで、鉄のトライアングルさんたちが、保険料率を低く抑えるための組合健保の運営の仕方を知りたいのでしたら、いつでも教えてあげますので、ご連絡ください。

(*)平成21年度から4年間で2.2ポイント上がったのは、保険給付費や支援金が増えたという理由以外に、平成21年の頃は、膨らんだ積立金を調整していたからという理由もある。
 2月20日  昨日の珍事。
この方面に詳しい人は誰もがはじめに思うこと、ゆえに、きっと誰かが質問するだろうとみんなが思ってしまったために、結局、誰も質問しなかったこと。
「どうして、日商が総報酬制に反対しているんですか?」

――こういう事も起こりうるわけだな。 ちなみに、高齢者医療制度検討会(2008.9-2009.3)の頃に、調べていたデータ。
  •  平成21年度予算
直近だと、次のようなデータが公開されています。 次でもご参照あれ。
 2月17日  
   次の記事は、うまくまとめられていますね。 私の発言「2次医療圏ごとにあるべき姿を描いていく」に関しては、次をご参照あれ。 そう言えば、いつだったか、連絡が来てましたね。
  • 権丈委員

    お世話になっております。
    第3回国民会議議事録等につきまして、本日、国民会議HPに掲載いたしましたので、ご連絡いたします。
    国民会議HP(議事録の掲載、動画へのリンク)
    http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokuminkaigi/kaisai.html
    よろしくお願いいたします
次もどうかな。 そう言えば、次の連絡も来てたな。お疲れ様です。
  •  「社会保障の教育推進に関する検討会」委員 各位
     (宛先をBCCにてお送りしております。)

    昨年の11月21日(水)に開催いたしました「第6回社会保障の教育推進に関する
    検討会」につきまして、本日1月22日に議事録を公開いたしました。

    (議事録は以下のアドレスになります)
    http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002syo3.html
一応、左側のコンテンツに議事録・報告書のような頁もあります。
 2月11日 「艱難辛苦を乗り越えて・・・」という言葉は、次の『年金実務』のインタビューの中にありますね。
この発言の中に、年綜研開設シンポジウムでの講演の中に出てくるキーワード、合成の誤謬、不確実性、金融市場の不安定性という言葉が、そろって出てきています。まぁ、普通は、そういう概念を視野に入れ制度設計はするもんでしょうね、年金なんだから。  
 2月8日  
  • お忙しいところ失礼します。

    日医ニュースの最新号の「プリズム」の題は「社会保障教育」ですが、本文には「ヤブ経済学者」なる言葉が。
    曰く『ヤブ医者ならぬヤブ経済学者にはさっさと退場していただきましょう.』
    http://www.med.or.jp/nichinews/n250205k.html
    「ヤブ医者」と言われて思い当たるフシのない医者はいないと思いますが、さて経済学者は一体。

    社会保障の教育推進に関する検討会の議事録をサーチすると「経済学者」なる言葉は1回しか出てきませんね、
    ええ、先生のご発言だけです。ましてや「ヤブ」なんて一度も...
ヤブ医者の語源を調べてみると。。。 > 又、タケノコ医者は、ヤブ医者にも至らない、まだその下の医者という意味だそうである。

まぁ、医者とは違い、この世界でのヤブやタケノコは、大方、フリードマンやフェルドシュタインのファンなんだよな。
同じことを言っていると主流派だから周りも一緒で安心できるし、経済界というサポーターもつく。
経済界、(ヤブ?)経済学者に日経も一緒になっての三位一体によるプロパガンダ、つまりは合成の誤謬に陥った国造りに勤しんできた。
――――ちなみに、経団連、連合、健保連は「鉄のトライアングル

次の講演録でもご参照あれ。 要は、次だね。 そう言えば、一ヶ月くらい前の次は面白かったな。
  •  (み)菅直人・元首相については様々な評価がありますが、
       首相時代の発言で一番良いと思うのは「成長戦略は十数本作ったが全部失敗している」というものです。
     水野和夫・埼玉大学大学院客員教授に聞く
十数本の成長戦略が作られた頃に書いた文章でも、どうかな。
 2月6日  
  • 権丈先生

    ・・・
    本日、秋田さきがけ新聞に添付記事掲載されました。
    共同通信の配信と思いますが。

   
 なるほど、そういうふうにつながる話だったわけですね。
 1月30日  相変わらす、「ズームアップ」と「編集周辺」のモードのコントラスト?が渋い――あの雪の日の朝のバスは恐ろしく満員で、インドのバスなんかでもああいう感じじゃないのかなっという、話もありました。
   そう言えば、先日、次の言葉で始まるレポートがあったな。
  •  思い浮かぶのは「経済学が悪いのではなく、経済学者が問題」という先生の言葉と、「世界を支配しているのは考え方以外のものではない」というケインズの言葉である
僕の言葉「経済学が悪いのではなく、経済学者に問題がある」は、次の文章にあります。リーマンショックの後に組まれた特集「資本主義の限界と経済学の限界」に書いたものです。
   でっ、なるほどね。
  • そういう意味でも自称経済学者の言っていることは根本的に正しくない可能性があるというこ
    とを経済学部の学生に常識として植え付けておくことは、メディアリテラシーならぬ経済リテ
    ラシーとしてとても重要な気がしますが、現状ではどうなんでしょうか。
昔、君が学んだ先生に聞いておくれ(笑)
  • マクロ経済学の60年
     私は、率直に言ってこうした人たちの経済学は『天動説』のようなものだと思っています。・・・この話に大まじめに取り組んでいるのは、大学にいる経済学者と言われる人たちだけです。幸いなことに、現実の経済の政策立案者や、その他政治家、財界人、あるいは新聞記者の誰も関心を持っていないので、世の中は、何とか回っているのだと思います。もし、ほんとうに政策に影響力を持つような人たちがこれらの理論を使ったらたいへん危ないことになるだろうと思います。
このwikipediaに、有名な次の言葉があるよ。
  •  「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るためではなく、そのようなものを受け売りして経済を語る者にだまされないようにするためである」
 1月25日 クイズ
消費税5%の引上げは、使途をセットにして決められたわけだけど、ここに、軽減税率が導入されたら、どうなると思う?
ちなみに、年金、子ども・子育てに関しては、使途先となる給付増のための法案は成立している。

まぁ、何かを得るということは何かを失うということだ。
ただ、この場合、本当に何かを得ることになるのか?という問題はある。
再び次でもどうぞ。 ――何かを失った上に、何かも失ったりすることもある。
ただ、そういう最悪の選択であっても、情報の流し方次第では、国民というのは支持するものだ。
   お元気そうでなによりです(笑)。 なぜ、ああいう政権が生まれたのか、なぜ、いわゆる「有識者」たちもあの政党に加担したのか、そもそも、この国で「有識者」という言葉を使い得るのか、しっかりと検証しなければ、これからも繰り返すだけでしょうね。オルテガの「現代の科学者は大衆的人間の原型」という言葉さえ連想された残念な季節でした。
話変わりますが、次でも、ご参照あれ。
 1月20日  先日話しました、行間と言いますか、文と文の間にある筆者の思いのこもった言葉が、とても興味深く、勉強になる文章です。 たとえば、「なぜという人も入っている」などなど・・・ダイバーシティの時代ゆえ?
   それと、一昨日、ある人たちに話した、次のスライドを使った講演のことは、次。 先日も言ったように、社会保障の各審議会にも、そして中医協にも、支払側代表に「国庫の負担者」はいない。
そりゃぁ、国庫負担の引上げが、どの審議会でも利害が一致する点としてまとめられることは当たり前の話。欠席裁判だからね。
しかし、先日も話したように、そうした社会保障関係者たちのクレクレタコラ体質が、これまで社会保障の十分な財源確保に失敗し,、社会保障が――ひいては国民の生活そのものが――、自分たちはたいした財源調達力も持つことができなかった大蔵省、財務省にいいように振り回されてきた原因のひとつだと思っている。
しかも、日本の財政がここまで疲弊してしまった今、そして基礎的財政収支を黒字化させる財政健全化のためには税を使わざるを得ない現実を考えれば、これからも社会保障制度の当事者たちがクレクレタコラのままでいることは、社会保障の機能強化を諦めることに等しい。できることは殿戦くらいしか残らない。
労働組合が、自分たちの生活を守るための社会保険料の引上げに反対していて、どうするんだ。
まぁ、世の中の人たちは、連合を労働組合の代表だとはまったく思っていないけどな。

ちなみに、Wikipediaによる説明では
  • クレクレタコラ
     ストーリー
    不思議な森に住む怪獣・タコラは木の家に住み、高いところにある木の枝から望遠鏡を覗いて欲しいものを見つけると、それを何とかして入手しようとする。場合によっては極めて暴力的なえげつない方法を用いる。だが、多くの場合、企みは失敗し、凄まじい報復を受けボコボコになって終わる。
でっ、クレクレタコラ――次もおもしろい。。。
 1月19日  最後の講義で話していたことは、生産性新聞にありますね。 次のような話もしていたけどな――まぁ、命令形で話したりはしないけど。 この件は、次のような話とも係わることです。
 1月18日  昨日話したのは、これだな。
昔々、どこかに、消費が不足していると書いたら、どこかに留学しながら僕のHPをみている人から、そんなことは教科書に載っていないとのメールが届いたこともある。 次の最後の方にあるな――この文章は、2009年8月30日の総選挙後、最初に書いた文章。政権交代で世の中が大いに盛り上がっていたとき、僕がなにを言わんとしていたのかは、想像に任せる。
   次の最後の方でも触れています。
 1月16日  昨日話した、日本では社会保険料の負担も少ないことを論じた文章は。 これを書いたのは2007年9月――夢うつつ系医療団体主催のシンポジウムで負担増の必要を話していたら、「お前の話はききたくない。だれがこんなのを呼んだんだ」と、フロアーのおじさんに怒りをぶつけられて5年以上経つわけだ。

それと、なんだか懐かしい話が盛り上がっているようなので。 上記の文中、2008年の社会保障国民会議の中で読売と日経の記者が、そろって消費税の軽減税率を言うのは分かる。たぶん、社是なんだろうな。だって、食料品への軽減税率をもたず一律25%の付加価値税をもつデンマークでさえ、新聞は軽減されているんだから。。。まぁ、君たち学生にとっては、世の中の仕組みを知る、好例ではある。
 1月10日  うん、まぁ、そういうことなんだろうね。
  •  一般的に言われていて教科書に載っていることが正しいとは限らないのだと改めて感じた。筆者の着眼点として、ケインズ理論のように、世間に認められるほどのものも、批判的な観点から見れるというのが面白いと思った。ケインズの需要不足の考え方から消費不足という考え方に発展させて新しい理論を構成している。
     先生が、一年の最後にこの課題図書を指定された意図をくみ取ると、先生の授業やこれまで先生が指定する本を読んできたからこそ、受け入れることができる内容だったのではないか、と考える。例えが非常に悪くて申し訳ないが、見ず知らずの占い師にあなたの人生はこれからこうなります、と言われても、バカにしてしまうというのが当たり前な話だと思う。しかし占い師は結論だけ明確に指し示してくれるが、そこの結論に至るまでに根拠があるのであれば占い師の実績や、自分とのかかわりを見ていくうちに信じられるものである。
     大変、語弊があると思うが、私が言いたいのは、自分が考える言いたいことを伝えるために、周りの人「皆」に、真摯に理解してもらうためには、とても時間がかかるな、ということなのである。先生がいつも「僕が言っていることは、何年も前からずっと変わらない。同じことを言いつづけている」とおっしゃっているとこからも同じことを感じる。この順番で本を読み、先生の講義を聴くことに意味があったのではないかと。今まで当たり前だと信じられてきた考え方を変えていくには、「皆」に理解してもらう時間と、それなりに「皆」が知識を得ないと理解されないのだと。このことを学んだので、私はこれからも知識を得ていきたいとこころから感じた。
次なんか、明るくていいな――なにごとも明るくないとな(笑)
  •  この授業で学んだのは、一口に「経済学」といってもその内容は月とすっぽんくらい違うものが混在していて、しかもそれはしばしば政治的なもの(学派とか、政権に仕えたとか)によって「力」を得ることで、その時代その時代で「主役」が変遷しているということだった。日吉で新古典派の経済学を「正しい」ものとしてしっかり勉強したあと、この1年間でそれ以外の、残念なことにあまり力を持つことができなかった経済学者たちの理論を勉強して、新古典派の経済学を相対化できたことは本当にいい勉強になった。今や左側の人間です。自分が低所得者であったとしても、それが社会保障に使われるならば消費税を増税してもいいと答えられるくらいにはなった。弱者こそ、消費税の増税を叫ぶべきだと思う。 
 1月9日  
  • 医師国保への補助金、不公平?(下)- 慶大・権丈氏の提示する未来 キャリアブレイン
    「市町村並みの保険料にしても、自家診療などを考慮すれば医師国保は赤字」とし、国庫補助の必要性を訴える京都府医師国民健康保険組合常任理事の安達秀樹氏(府医師会副会長)。これに対し、「国保組合が赤字だとしても、所得水準の高い保険者に公費を入れる正当な理由はない」と切り返すのは、慶大商学部教授の権丈善一氏だ。「医師国保が自発的に医療業種の健康保険組合(健保組合)へ移行することには、大きなメリットがある」と対案も示す。【大島迪子】
 1月7日  新春対談 江口隆裕筑波大教授・香取照幸年金局長 年金に関心のある人のみならず、医療・介護、一体改革、社会保障制度改革国民会議、社会保障教育に関心のある人はどうぞ。
特に、次など。
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次も参照あれ。 次あたりもどうかな。

   今日書いたところに「この記事が書かれたのは、2009年の政権交代直後でした」という文章があります。
このことから、ふと、次のふたつを比較したらどうなるかなっと思ったので紹介しておきます。
   民主党の年金については、次のタイトルが、やっぱり最高ですね(笑)――去年の3月の話です。 まぁ、こういうタイトルは、雑誌の編集者が考え抜いて?つけるものです。これは、なんか笑えて、いいんじゃないかぃ。
 1月6日  昨日の年金話のつづきです。次の、図解年表は、よくできていますね――ちなみに、この記事が書かれたのは、2009年の政権交代直後でした。 上の記事の中に、5年に一度の「財政検証」の話がでてきます。財政検証については、次のふたつをご参照あれ。 この座談会、次の箇所もどうかな。 12月7日に山崎先生に某会議で会ったらとても喜んでくれて、お帰りなさい、えらく派手なご隠居生活だったけどねぇ(笑)・・・とからかわれる(T_T)トホホッ。
 1月5日  英語の勉強でもしてもらいましょうかね。 12月31日の社説もどうかな。
  • 年金の周知度――利点を知らせる工夫を『朝日新聞』2012年12月31日
  • 次などは、懐かしいできごとです。
    民主党政権は、事業仕分けで年金の広報・教育の予算(09年度で約3億4千万円)を廃止した。
この一年、特に後期のマクロ社会保障論の講義に出席してきた君たちは、前政権が、年金破綻論を吹聴して将来不安を煽りに煽り、
現行の年金制度に対しては、社説「年金の周知度」にあるように、いわゆる政治主導の下に、広報活動を止めさせたりすることが、
長年にわたって、国民経済にどのような影響を与えるのかは、理解できると思います。

といっても、年金を政争の具にした主導者たちには熱烈なファンがつきます。ゆえに、彼らは12月の選挙でも勝っています。
世の中、そんなものです。
雑誌では年金の記事があれば売れ、テレビでは年金を扱えば視聴率が上がる――年金で政権交代が起こる社会が作られた。
そして、実は、年金を政争の具としてきた彼らは、国民の流動性選好も高めているはずです。彼らの功績は大したものだと思います。
それらの功績が高く評価されているのでしょう、彼らは選挙に実に強い。
次でも読んでおいてください。 次もご参照あれ。 学校がはじまるまでよほど暇な人には、これもかな。
   今朝の朝日新聞の社説にでてくる「おととしの社説」というのは次ですね。
  • おととし12月28日付の「オトナはわかってる?」という社説
  • 今朝の社説
    高校生の皆さんへ―支え合いに取り組もう『朝日新聞』1月3日 
      香川県立高松工芸高校1年生214人の皆さんへ。
     現代社会の授業で「社会保障と税の一体改革」に関する社説に感想文を書いていただき、ありがとうございました。
     おととし12月28日付の「オトナはわかってる?」という社説でした。日本の政府が大きな借金をしていることを、そのツケを回される将来世代になりかわって嘆く内容でした。
     返事を出したら、また一人ひとりが感想を書いてくれて。
     とてもうれしく思いました。この交流を通して、大きな希望を見いだせたからです。

     ・・・
 2013年1月3日  
   「昔のこと