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2012年 |
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安らかにお眠りください。
次の連絡が届きました。みんな、同じ思いだと思います。
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権丈先生
既にご存じかも知れませんが、杉山千佳さんが、25日にお亡くなりになったそうです。まだ40台なのに、信じられない思いです。 ここ数年体調を崩されていて、入退院を繰り返されていましたのは事実です。 この半年以上ブログが更新されないので、だいぶお加減が悪いのではないかと心配していましたが、悪い予感が的中してしまいました。葬儀などはご家族でされる(された)そうです。本当にショックです。 | |
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31日までに提出したら、年内に読んで返事を出すと言っていたけど、8時過ぎになって、どんどことみんなで送ってこられても、さすがに年内に返事は出せんよ(笑)。年越すまで、まっといてくれ。。。いや、年越しても、しばしまっといてくれ(T_T)トホホッ |
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南の方に里帰りされた方のiPhoneからメールが・・・
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一人で受け止めきれず、皆さんにご報告させていただくことにしました。 |
| 僕からの返事
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うっ たしかにお一人では受け止められないような"(^_^;)"
以前は、こういうのもありましたよね。 誰かも言っていたけど(笑)、まったくもって、懲りない面々ですね。
思うんですけど、選挙期間中、未来の党の党首は、 「鉛筆持ったら未来の党♪、鉛筆持ったら未来の党♪」 と、街頭演説の車の上で歌っていて、そのシーンがテレビで何度も放送されていたんですけど、ああいう、何層というのか、鉛筆持ったら、未来の党と、ついつい書いてしまいそうな層を対象とした選挙演説ってのは、相当に深刻な民主主義問題だと思うんですが、まぁ、誰もいわないんだから、あれはあれでいいんでしょうねぇ。。。
では、来年もよろしくお願いいたします! | |
12月31日 |
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『ゼミ連絡板』に投稿がありました。 時間:2012/12/30(日)
16:22 名前: ゴリ
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この前は、卒業生のみっちょんが、インドネシアで森嶋通夫さんの『思想としての近代経済学』を読んでいたといっていたな(笑)。
権丈ゼミは意外とグローバルですよね(笑)最近思います(笑)
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『一般理論』を続けて何度も読むなんてのは、よほど暇じゃないとできん。 >
いい時間の使い方だ(笑)
ちなみにガルブレイスの『不確実性の時代』も既に4回くらい読みました(笑)ハイルブローナーと比べながら読んでいます。 | お前らは、外国にどんな本持って行ってるんだ(T_T)トホホッ。 そう言えば、先週、転石亭の店主もガルブレイスを読んでいたよ。その前は、「葉隠は良かった」とか、「福翁自伝よりも、福翁百話の方がおもしろいね」っとも言ってた。B層関係の本をいくつか読んでB層相手の商売を余儀なくされている世の中を嘆息し、「俺は、商売に向かん」とも"(・_・;)"
今年一年間で、君らに話したことで、一言をあげるとすれば、「無知な者ほどたくさんの発見をする」かね。まぁ、二木先生が津山先生から聞いた言葉らしいけど、出所を明らかにしておけばいいだろ(笑)。
先日の飲み会のこっちの方のテーブルで話題になっていたけど、記者は、「だれだれの意見」というのがほしいらしい。 でも、ちゃんと研究していたら、そんなのはあんまりないんだよ。僕が考えていること、僕の言っていることの9割、いやそれ以上かもしれないけど、それは昔の人が考えた延長線上にあるだけのことでね。たとえば、僕の年金に対する考え方は、10年前に書いたⅡ巻の1章の段階で、ほぼできあがっているんだけど、でもあの論文の理論編は、既存研究で埋め尽くされていて、出所を示す脚注や参考文献がいっぱいある。そして、たとえば、あの中でサミュエルソンの論を批判したりしているけど、批判をしているのはフランク・ナイトやケインズというわけで、決して僕ではない。12月10日の年綜研シンポジウムでは、聴衆がかなりの専門家ばかりだったから、そういう話をしたわけです。 そこに、研究者の訓練をちゃんと受けていない素人が参入してくるから、「年金経済学者のライフサイクル」という、研究者の世界としてはあるまじきことが起こるわけだ。そういう者たちの研究界への参入は、たいへんな社会的なロスをもたらすわけでね。 彼らが、既存研究が到達した話と違うことを言うためには、それまでなされた何十年にわたる、ひょっとすると百年を超える研究ストックを論破して議論しなければね。そのために何年もかかるかもしれないし、そうなると現世御利益もなければ、まして焼け太りの恩恵を受けられない人生になるかもしれないけど、研究ってのは、そういうもんだ(現世御利益という言葉については勿凝学問21でも)。そういうことが分かっていない者たちを批判した、こういうのもあったな、今年は。
- 「テオリア」『年金実務』4月9日号
社会保障がテーマであるはずの先生が、実はマスメディアへの露出がテーマであったり、審議会の委員になることがテーマであったりする。心得違いも甚だしい。・・・我が国の民主政治が衆愚政治に陥らないために、学者の質をあげなければならない。 | 特に、年金ってのは、そういう邪念に満ちた安っぽい野心家?が参入しやすいようでね。 たとえば、年金の世代間格差をバカのように言うグループの年金改革案ってのは、実は、僕が昔から言っているような、年金課税の強化、年金目的相続税の創設、クローバックの導入、デフレ下のマクロ経済スライドの実施などの話に落ち着くことになる(12月28日参照)。でも、そうした政策が、仮に実行されたとしても、彼らが世代間格差を問題視する際に使う指標って、ほとんど変化がない。これって、そもそも、そういう指標を使って議論することそのものがおかしいってことと同じ話なわけだけど、ちゃんとした訓練を受けていない者たちは、そういうことにも気づかない――まぁ、なかにはそういうことをやっても世代間格差がなくならないほど、過去にひどいことをやってきたという方向に逃げる者やもいるかもしれないけど、相手にすることはない。「積立方式は、高齢化の影響を受けない」などと言っている段階で、そういう者たちは研究者生命はおわってる話だ。メディアの中でも未だに不学無分別な一群、特にバラエティ番組と、それと経済界にもてはやされているだけだ。この10年ほどの年金政局に荷担してきた年金論者たちは、去年の春頃から、民主党の幹部たちから梯子を外されているけどな。自業自得だが、まぁ、得るものは得たみたいだから、経済学的には?彼らがやったことは彼らには得ばかりだったろう。
ということで、今年、一年間、いろいろとバカバカしい話もたくさんあったけど、そういうバカバカしい話は、ちゃんとした研究者の訓練を受けていない人たちの内輪の世界、どうもそういう癖は世襲されるようだけど、そういう世界の出来事だということが少しは人が知った年でもあったかね。君らは、たとえ研究者の世界に進むことがなくても、大学でプチ研究者の訓練を受けているかぎり、どんな世界に進んでも、有名人になる早道だと分かっていても、そういう人たちのマネをしてはいけない。いわゆる「経済学的」成功は、人としての成功では決してない。
海外に出かけている面々も、今年新年の『年金時代』のインタビューから、今年の半ばに生まれた「人任せ教材」まで入っている12月19日の書き込みでも再度眺めて、年末をゆっくりと過ごしておいておくれ。 |
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先日の、「誰の言葉でしょう?」の答えな。
パネルディスカッションの方も、是非、見ておいてくれ。 次は、この一年間講義を受けてきた君たちは、まぁ、全部は分からないだろうけど、著者がなにをいわんとしているのか、のみらず、今の世の中でどのような意味をもつ論文なのかということは十二分に分かると思う。貨幣数量説とかのキーワードについては歴史的文脈の中で話している。インドのゴリも読んどけや。
上記の著者は、講義で紹介した教科書で、次のように説明している人と同一人物です。分かっているのかねぇ(笑)。
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 ・・・
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『マクロ経済学』第3版68頁 | おまけ――さきほど掲示板に書き込みがあったインドのゴリから
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『ゼミ連絡板』に投稿がありました。 時間:2012/12/30(日)
15:58 名前:
ゴリ
ご無沙汰しております!
インドの現地の村では、現地の子供に英語を教える時間以外は暇なので、勉強して過ごしております。
ケインズの『一般理論』を持ってきて読んでいるのですが、権丈先生の講義でやっておられたことと全く同じ内容を言っていて、すんなりと頭に入ってきます。セーの法則や非自発的失業等々、また先生と同じくケインズの経済学に対する姿勢等、『一般理論』は理論書であると同時に経済学史や社会科学の在り方に対する一つの方法論としても面白いです。今3週目なのですが、あと2回くらいは読んで来年のゼミに臨みたいです。それではみなさん良いお年を。インドでも新年を祝うイベントが開かれるようで楽しみです。 | あほっ、俺がちゃんと読んで授業をしているってだけの話だ(笑)。 |
12月30日 |
いま気づいたけど、『ノーベル経済学賞の大罪』の訳者は、赤羽さんなんだ。 次なんかおもしろいぞ――古本で買うしかないけど。
昔は、官庁エコノミストに、心と頭に余裕のある、ゆえにお勉強君のそこらの学者よりも優秀な、おもしろ人がいたもんなんだけどな。 |
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今年もいろいろと勉強させていただきました。ありがとうございました。 『ノーベル経済学賞の40年』は拾い読みをしていますが、確かに面白いですね。 | 著者が、はじめからあっち側の経済学を小バカにしているところがいいでしょう(笑)――しかも、内容をよく理解した上で マクロスキーの『ノーベル経済学賞の大罪』も文庫化されたようですね。 著者の彼女(or
彼)は、性転換者で、オランダにいた妻は、著者がアムスを訪れた際には時々会っていたそうで、とてもいい人で、おしゃれな方らしいです。。。
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・・・ ところで、「勿凝学問296」の12月28日版はバージョン3ですね。 改訂版は版歴とともに保存しております。
来年もよろしくお願いいたします。 | たっ、たしかに、プロフィールⅢは、「その後――」となっていましたね。。。 ありがとうございます(笑)。 では、来年もよろしくお願いいたします! |
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- 社説:社会保障政策 医療・介護の改革を急げ『毎日jp』12月24日
一体改革では手が付けられなかったのが医療と介護だ。・・・専門ごとに細分化している医療の供給体制を抜本的に変え、介護福祉との役割分担を大胆に進めないといけない。高齢者の生活の質がおざなりになったのでは、何のための負担増かわからない。
終末期をどのように過ごすのかはとりわけ重要だ。終末期を迎える人は年々増えていく。みとりの体制を充実させるとともに、私たち自身も深く考えないといけない。国民的課題として取り組むべきである。 | |
12月29日 |
今朝の日経「私の履歴書」
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「民主党にはろくな人材がいない。みんなバカばっかりだ。このまま政権をとっても危うい。一度、大連立を経験した方がいいと思うんだ」 ・・・ 民主党政権は小沢さんの予言通り政権担当能力の無さを露呈して混迷続きだった。 | この一点だけは、彼の眼力を万人が評価しているところだろうな。 |
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おっ、新田先生と宮武先生のコラボ。
こういう問題こそが、医療問題なんだよ。 今日届いた、二木先生からの連絡で、「東京都区部では自宅死亡割合が急増していますが、それの5割は「孤独死」の増加によるものです」というのは、衝撃でした。
追記 新田先生の略歴をみてごらん。 僕が今講義をしている学生たちが、後に医者になって、何十年か先の将来は、日本の医療改革の重要な担い手にもなり得る――ということが、略歴にかいてあるよ。 |
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熊本日日新聞のみなさま、8月はお世話になりました――あれから、もう、4ヶ月!早いものです。 |
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同感(笑)。 |
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ひとつは、ここだな。今が、「今」である最大の原因は、彼にあると僕は思っている。 もうひとつの話は、ここだね。今が、「今」である、典型的な事例だろうね。
終戦前の陸軍が、一撃後講和を目論んだ結果、ソ連軍参戦で北方領土問題は招くし、原爆は落とされたしと同様に、 一番の恩人を騙し見捨て、一撃後解散を目論んだ挙げ句が「今」と、「今」に規定される「未来」を帰結したという歴史観でみることもできるわけでね。 僕が、前政権を評価することは、きっとないだろね。 それに、僕一人が、彼らがやってきたことを許さないからと言って、世の中、なんの問題もないだろうしな。
次の勿凝学問296に、大震災前日の文章を加筆して更新――いずれは、下記に、彼がやった社会保険庁職員の分限免職のことも加筆予定。
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昨晩関係の話題
僕が昔から、年金課税の強化にこだわっている理由は、次あたりにもありますね。
- 勿凝学問264 公的年金には世代間格差はあるけど、それがどうした?――「負け太り」という言葉も覚えてもらおうか
公的年金の負担給付比率や内部収益率の世代間格差を問題視する人たちも、おそらく高齢高所得者の生活水準と現役世代の生活水準の間のアンバランスをどうにかしたいと考えているのだと思う。負担給付比率の大きな格差そのものを問題だと考えているのではないであろう。たとえば、いくら彼らでも、障害年金の負担給付比率や内部収益率が、障害年金を受給していない人たちの年金よりも大きいからといって、その格差を世代間格差と同じように大きく問題視するとは思えない。年金にまつわる問題の根は、高齢高所得者の生活水準と現役世代の生活水準の間のアンバランスにあるはずである。 さて、そういうことであれば、彼らの言動は、わたくしにはきわめて浅はかなものと映るのであるのである。わたくしは、年金受給者や第1次ベビー・ブーマーを、高所得者層と中所得者層以下に分割することにより、中所得者層以下をわれわれ勤労世代の味方になってもらい、高齢高所得層への課税強化、クロー・バック制の導入、そして年金目的相続税の創設を実現させる方法を手探りしている段階にある。ここに世代間格差論者たちが、高齢者をひとくくりにして高齢者対勤労世代の対立を煽るとなると、高齢者が一枚岩になってしまうおそれが出てくる。高齢者が一枚岩となられると、いろいろな改革が難しくなる。彼らを分割し、高齢中・低所得層の支持を得てこそ、われわれ勤労世代が望む政策が実行力を伴うことになるのである。そうであるのに、世代間格差論者たちは、こうしたわたくしの展望の足を引っ張ってばかりいるように思える。 分割して統治せよ――こうした考えも、わたくしのいう、世代間格差論議はやめておこうという言葉の背後に含まれているのであるが、彼らには、そのあたりがどうにも理解できないようである。わたくしからみれば、世代間格差論議は労多く益少なき戦略であるように思えてしかたがない。それに夢中になる人たちが絶えないようすをながめていると、世の中には不思議なひとたちがいるものだと、ついつい考え込んでしまう。 | ただし、クローバック制に関しては、積極的支持というよりは、消極的支持の文章を書いていますね。
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12月28日 |
昨日の講義で触れた資料?
昨日も話をしたように、上記座談会には、最近、『経済学に何ができるか』を出された猪木武徳先生が出席されて、話題をリードされる予定でした。 ところが、座談会の当日になって、先生のご家族が病気になられ、猪木先生は東京に来られる状況でなくなり、急遽、4人での座談会に変更。 編集の人たちを含めて、では、誰が猪木先生の役割を・・・と議論されているとき、僕は、自分にはまったく関係のない話と思って、その話題の外にいたんだけど、話し合っている人たちみんなが、一斉に僕の方を見て頷き合っているのをみて・・・エッ!という展開になったわけです。
講義の中で紹介したかったのは、次の一筆書評――僕は、この、バカは放っておけという福澤先生の教えに、大いに従っている(笑)。
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12月25日 |
- 経済を見る眼「あるべき医療と2つの国民会議」『週刊東洋経済』昨日発売(中吊り広告)
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参考までに――この5年後くらいにはじめて会うことになるかな。
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12月23日 |
そうだな。次は誰の言葉でしょう?
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私は、率直に言ってこうした人たちの経済学は『天動説』のようなものだと思っています。・・・この話に大まじめに取り組んでいるのは、大学にいる経済学者と言われる人たちだけです。幸いなことに、現実の経済の政策立案者や、その他政治家、財界人、あるいは新聞記者の誰も関心を持っていないので、世の中は、何とか回っているのだと思います。もし、ほんとうに政策に影響力を持つような人たちがこれらの理論を使ったらたいへん危ないことになるだろうと思います。 | 誰の言葉かは、後日、教えてあげようかね。 |
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次の感想を読んで思い出したんだが、:伊東光晴氏・評 『ノーベル経済学賞の40年 上・下』=トーマス・カリアー著は、随分とおもしろいから、冬休みにでも眺めておきな。この本は、好きなところのどこから読んでもいいから、楽な本だ。
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先日先生のHPにアップされていた「勿凝学問」を読んだ影響なのか、本書を読んでいる最中に何度も、数年前に見た「太田総理」のあるシーンが頭の中に浮かんできた。といっても詳細を覚えているわけではない。ただ、ある議員と太田総理との議論のワンシーンが印象に残っているだけである。「これはノーベル賞も取った世界的に認められている経済学の理論なんです!」と絶叫して太田総理を無理やり説得(恫喝?)しようとしていた議員に対して太田総理が「そもそも『経済学』なんてものが胡散臭いんだよ!」と応酬しているシーンだった。いま思い返してもあまりお行儀のよい番組ではなかったと思うが、そのことが逆に、お行儀よく勉強してきたエリートの「うぶ」さを炙り出していたように思う。 本書では新古典派の理論が依って立つ仮定の非現実性を詳細に検討・批判し、また一方で、新古典派総合やアメリカ・ケインジアンがもたらしたいくつもの誤解を明らかにしている。(そしてそれらに依拠する「ケインズ政策」なるものがもたらした帰結についても…)。例えば、乗数理論についての誤解を紐解く章ではサミュエルソンの教科書の記述が引用されている。伊東氏の詳細な記述があるからこそ間違い(=特殊すぎる仮定)に気づくことはできるが、もし「ノーベル賞を取った偉い先生の教科書なのだから、一生懸命勉強して覚えなさい」と言われていたら、疑問を感じることもなかっただろう。まして大学の単位がかかっていたら尚更である。 冒頭の話に戻る。太田総理のように印象論で相手の論拠を否定するのは褒められたことではない。とはいえ、そういった健全な「印象」を素通りしてしまうほどに頭でっかちになってしまうのはもっとひどい。「この紋どころが目に入らぬか!」みたいな感覚で「経済学的にはこちらが正しい!」とか「ノーベル賞を取ったんです!」と言われても、それがあまりに現実離れしていたら正直言ってピエロにしか見えない。そして困ったことに、このピエロはすこぶる大衆受けが良いようだ。 | |
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うん、僕の授業を受けた学生にとっては、右側の経済学、左側の経済学って言葉は、普通の言葉なんだよな。 ちょいと、はやらせてみるかね。
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本書を読んでまず思うのは、ケインズは過去の経済学者などではなく、確かに現代に生きる経済学者である、ということである。特に序章で述べられているようなことは、『社会保障の政策転換』を彷彿とさせるようなところがある。
「経済学とは道徳科学(モラル・サイエンス)である」本書はこの言葉は何を意味するのかを示したうえで難解なケインズの経済理論をわかりやすく解説したものである。数学が苦手で、というより数式ですべてを説明しようとするその姿勢が苦手で、経済にあまり触れないでよさそうな法学部を選んだというのに、何の縁か、経済学をしっかり扱うゼミに入ってしまった。それまでは経済学は冷たい、と思っていた。それは日吉時代ひたすらIS/LM分析などの数字遊びを淡々とやらされていたからだろうか、「右側」の経済学をひたすら教えられていたからだろうか。いくら学んでも、世の中のことが見えてくるような気がしなかった。しかし先生のゼミに入ってから、「左側」の経済学を「右側」の経済学と比較しながら学んでいくうちに、自分がいかに世の中のことを分かっていなかったか、経済学がいかに面白い学問かを思い知らされることになる。この社会保障論を8カ月受け、また本書を読了し、やっと私も今なら先述の言葉の意味が分かるような気がする。『世俗の思想家たち』から学んできたことがやっと一本の線でつながったように思う。ケインズの愛弟子であったカーンやハロッドをはじめ、多くの経済学者がその本質を理解できなかったほど難解なケインズの理論。いくら著者が分かりやすく解説しているとはいえ、一度読んだだけでは理解できそうにない。しかし、それが理解できなくとも、経済学がモラル・サイエンスである所以を具体的に知ることが出来たところが本書からの一番の収穫ではないかと考える。 |
春学期の授業で「後期の授業で『現代に生きるケインズ』を取り扱うから読んでおくといい」と先生がおっしゃっていたので、夏休みに借りて読んでみた。しかし、正直言ってほとんど分からなかったというのが感想であった。しかし、今回読んで前回よりスラスラと読むことができた。少しずつではあるが、「『ケインズ』は経済学者だ」という程度の知識しかなかった春学期から比べたら、権丈先生が授業でおっしゃっていることが理解できてきた気がする。 4月から、マンデヴィル、アダムスミス・・・・・・と経済学を築いてきた経済学者の理論を学んできたが、感じたことがいくつかある。 1つは、左側の経済学は物事の本質を突いているといくことである。逆に言えば、私が今まで高校・大学で習ってきた右側の経済学は、現実世界を無視していて無理がある理論であることも分かった。 そして、もう1つは左側の経済学はマーシャルが言った様に、「冷静な頭脳と温かい心」がある理論であるということである。だからこそ、そこから大きな政府であったり、再分配のような政策が出てくることも理解できた。だから、なぜ社会保障の授業であるにも関わらず、春学期から経済学の理論を学ぶ必要があるのかということもわかってきた。社会保障にしろ、どんな政策にも原点があり、政策単体で良いか悪いかを考えることはできない。 ・・・ | こういうのもおもしろいですね。
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社会保障の授業にもかかわらずこんなに経済学史や人一人の生涯に注目していくのは傍目から見たらやっぱりおかしいかもしれないが、年金の問題を考えるにしろ医療の問題を考えるにしろ、そういう思想に至るためのその人の根っこの価値観の部分、どのような人と知り合い、どのような本を読み、どのような影響を受け、どのような立場の人間だったかを知ることが、その人の思想を知るためには必要なのだと強く感じる。 |
現在主流となっている経済学を生み出した者達と、ケインズとでは、全く別の学問を扱っていたのではないか。そう感じてしまうほどに、両者が考える経済学の間には、越え難い壁が存在する。
政治・経済の問題を解決するには、効率、社会的厚生、個人的自由といった質の違う複数の要素を、総合的に見て判断する必要がある。ケインズにとっての経済学は、モラルサイエンスであり、倫理観に基づいて判断した結果、望ましいといえる社会を実現するために用いる、政治、経済問題解決の手段にすぎなかった。 一方、主流となった経済学は、あるべき社会の実現のために政治・経済問題を解決するという本来の目的からは逸脱し、理論の精緻化が目的となったために生まれた。倫理観に基づいたあるべき社会のビジョンを持たず、非現実的な仮定のもとに生み出された理論は、全く現実に即しておらず、政治・経済問題を解決するという本来の目的のための手段としては、全く役に立たないものになってしまった。
本書では、『一般理論』においてケインズが新古典派の理論に対して妥協を示したことや、ヒックス等の経済学者を明確に否定しなかったことが、反ケインズ革命や誤ったケインズ理解が広まる要因になったと分析する。ケインズは、若き経済学者達への配慮からか、明確に否定することを避けた。後世の学者を思いやったケインズを責める気には私はなれない。あくまで、ケインズを誤解した経済学者達の、経済学観の方に問題があったように感じる。ケインズが、経済学をモラルサイエンスと定義し、複雑な政治・経済問題の解決手段と捉えていたという、根っこになる部分を彼らが理解していれば、こうした誤りは生まれなかったのではないだろうか。
良くも悪くも世の中に大きな影響を及ぼしてしまうのが、経済学であり、倫理観に基づいた、あるべきビジョンを持たない者が経済学を扱うことは非常に危険である。効率化だけを追求し、その結果生まれる社会に対して疑問を抱かないような経済学や経済学者が主流となっている今、経済学をモラルサイエンスと定義したケインズの経済学観を、今一度見直すべきであろう。 |
本書の内容は、ある程度権丈先生の授業でも触れられていた点もあって、その復習とより深い理解が得られた。今までの課題図書と同じく、私たちの盲信していた常識を覆してくれる本である。 |
今まで習ってきて、当たり前のように覚えてきたことは当たり前ではないと考えなければならないのだなと改めて感じた。正直に言えば、今まで授業で扱ってきたような学問というのは、わかったふりをしただけ、当てはめて覚えただけであり、意味を理解しているものではなかったのだなと思う。世の中は常に変化していて、人為的なものであり、自然科学的なものはありえないのだ。前期の「インサイド・ジョブ」を観た時にも感じたが、世の中の人間というのは、非常に自己中心的であり、金儲けのことをよく考えている。仕組みもよく考えだし、そういう仕組みを考えられる人間が世の中を作り出しているのだというのを再認識した。経済学者は長い歴史の中で、数えきれないほどいるが、授業で出てくるのはせいぜい数人、真面目とは言えない私が覚えているのは、マルクス、ケインズといった人物だけである。それも当然のことなのだなと納得もした。人為的な世界で、ノーベル賞を取った学者が唱えているのは、その時々に合わせた既存の考えの改良なだけであり、その根本への追及というものをしていないのだ。根本も見ておらず、その先も見据えていないものが後世へと残るはずがないのは確かなのである。ケインズの経済学は道徳科学という主張がなぜ現代にまで響いているのか、主張は何を示しているのかを考えなければならない。当たり前のように習い、覚えたIS-LM曲線に対して批判を述べているというのは、ふむふむ、なるほど、たしかに理論的にはそうなのかもしれないが、現実的にはそうはいかないだろうなと今は思うことが出来るようになった。ケインズが今でもこのように出てくるというのは、経済学を道徳科学と見ており、非常に人間的な人間であったからなのだろう。その時々を見つめることはもちろん重要であるが、物事の本質を見つめることがなによりも重要なのだとそう思わされた。 | まぁ、次のような感想は、山ほどだったな。
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第一に、私は本書が新古典派の理論を批判する論理の緻密さに驚嘆した。特にヒックスの大罪IS-LM分析を斬る際には、因果関係の逆転を見事に捉えている。数学の「=」と「⇔」を勘違いしてしまうことは私も多いので、これからは説明変数と被説明変数の区別を十分につけながら勉強を進めたいところである。 |
恐らくこの社会保障論の授業を取っていなければ、経済学の流派もろくにわからぬまま卒業していったに違いないだろう。そしてこの『現代に生きるケインズ』を読むと(授業でも何度も指摘されていたが)、例えば当たり前のように習ってきた「IS-LM理論」に批判的な意見があることが明らかになる。 |
本書で最も驚いたことは(授業でも取り上げられてはいたが)IS-LM曲線に対する批判である。私は今までたいして勉強しては来なかったが、それでも商学部の端くれとしてIS-LM曲線はある程度覚えがあるし、実際に慶應の授業内でも数えるのが面倒になるほど何度も教えられてきた。そのIS-LM曲線があっさりと批判された、それも同じ大学内の講義で取り上げられた本にである。 |
この度、『現代に生きるケインズ』を読み、驚いた2点がある。1点目は、ヒックス自体がIS‐LM分析の理論の不完全性について認めていた点。IS‐LM分析の理論といえば、経済学部や商学部の経済理論の講義で多く取り上げられている。テストにも必ず出題される理論である。確かに、理論としては一見分かりやすいがその実態、実際の経済に利用できるかの検証は学んでいない。 |
IS-LM分析に否定的であるということにまず驚かされた。これまで学んできた経済学の基盤をなしてきたと言っても過言ではないこの手法を否定されたことで、今まで学んできたことの全てに意味はなかったのか、と感じてしまう場面もあった。事実、今現在履修している科目の中にもIS-LM分析を用いているものがあり、私も何の疑いもなく話を聞いていた。 |
印象深かったのは今までついついケインズの考えであると思っていた、IS-LM分析が実は違う点であった。 |
まず商学部の授業で、これまで何度も出てきた「IS-ML分析」が否定されていたこと。授業で習ったことが否定されていることに驚いたが、「学問的にはこうなると考えられている。」だとか「統計学上こうなるだろう。」なんていうのは可能性「%」の話であって、現実世界では必ずしもそうなるとは限らないなんてことは経済学でももちろん当てはまるはずなのに、授業で習ってしまうと、それを信じて疑わなかった自分が少々情けなくなった。 |
先週、行われた選挙で、日銀の金融緩和政策が問題として取り上げられていた。『社会保障論』の授業を受講する前は、日吉でならったIS-LM分析にもとづき、私はきっと金融緩和政策を推し進めるべきだと考えていたのではないかと思う。しかし、本書でも述べられているようにマネタリストの主張である「通貨は供給すれば使われる」という仮定は現実にはすでに崩れ去っており、ケインジアンが主張するように経済内部の経済活動にもとづく通貨需要量を重視しなければならない。 |
先生の授業でいうところの貨幣数量説やセイの法則にまつわる、左と右の体系図はとても印象深いものである。経済学の授業を取ってきた私にとって、IS-LM分析といったなかば常識となっていたことが、見事に覆される内容の本書というのは、むしろ爽快さまで感じる。 |
私が一番衝撃的であったのは第4章の「ヒックスにおけるケインズ理解」におけるIS-LM分析がケインズの理論に対してヒックスの解釈の間違いがあったという点である。私の中でIS-LM分析の根幹を担っているのがケインズ理論であると解釈していただけに、この事実には驚嘆させられた。そして誤った解釈から生まれたヒックスのIS-LM分析が未だ十分な検討がされずに伝えられているという点にも驚かされる。 | 春の映画「シッコ」「インサイドジョブ」にはじまり、8ヶ月。 まぁ、君たちはだいぶん変わって、それまで大いに話が合っていた友達を、随分と失ってきているだろうな。 まっ、毎年、そういうもんだ(笑)。 |
12月20日 |
冬休みにぼぅ~っとする時間があったら、Ⅱ巻の第1章「年金改革論議の政治経済学」を眺めておいてください。 左側の経済学に基づいた年金論が書かれています。 それと、今日の段階保険料方式モデルは、次にあります。
次もどうかな。
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今日だな。
夜の9時からの飲み会――大学の先生でよかったよかった(笑)。 でっ、3年生のレポート『現代に生きるケインズ』は、明日の13時・・・これは、厳守! |
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昨日の話に関連して。 80年代に、年金の世代間格差や積立方式論を展開――ゆえに著名な年金論者になられ、その時期に武蔵大学から一橋に移られた高山先生の後年の論は参考になります。
先週の年綜研設立シンポで配布したインタビューもご参照あれ。
完敗の事例はいくつもあるけど、次なんかどうだろ。
年の瀬なので?、次あたりも読み返してみて、今年を振り返ってみましょうかね。
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12月19日 |
いいぞ、どんグリ子、っではなく、ズームアップ「改革の契機」
先日、侍なら7人さんと会ったり、トリコさんと会ったりと、長らく応援している人と直接会う機会があるこの仕事、結構おもしろくはある。 |
12月18日 |
拝読して、二木先生のニューズレターに、昔、「先行研究の検討を怠らない」戒めの言葉として、「無知な者ほどたくさんの発見をする」との言葉が紹介されていたのを思い出しました。
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター』2005年11号(転載) |
津山直一(東大医学部教授)「無知な者ほどたくさんの発見をする」。二木コメント-これは、若手研究者が、先行研究の検討をキチンと行わずに、わずかな経験に基づいて新しいことを発見したと錯覚しがちなのを戒めた言葉です。今から30年以上前(1974年)に私が東大病院リハビリテーション部研修医だった頃に、当時リハビリテーション部長・整形外科学教授だった先生が、いつも皮肉混じりにおっしゃっていました。私も、大学院生の論文指導時に、この名言を借用しています。 | 年金の積立方式論などは、その類いです。「積立方式は、高齢化の影響を受けない」などという者たちの話は、(二木先生の論に沿えば)ちゃんとした訓練を受けた研究者の論として聞いてあげる必要もなし。とうの昔に、そういう話は神話に過ぎないと議論は収束していて、僕が次に言っていることは、その方面の先行研究をみれば、いくらでも書いてあること――そして、12月10日の年綜研設立シンポで話したように、僕が10年前にはじめて年金の論文を書いたⅡ巻第1章の中に、すでに書いてもいる。
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12月16日 |
次にありますね。
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勿凝学問193 医療介護費用シミュレーション結果は最低ラインの見積書にすぎない |
それから、この医療内部の配分を変えていくときに、一つの問題は、先ほども座長がおっしゃいましたように、医療介護の世界には物すごく多くの利害関係者がいますので、この改革はとても難しい。しかし、ここで示したBシナリオに向けた改革、「あるべき医療介護」にむけた改革は断固やっていくということを示してもらいたい。 | ところが、意志と能力に欠ける前政権は、怠っていた。完全な政治空白、政治的ロス。 次もご参照あれ。
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明日のサーバー停止時間。
- 12月16日(日)は電源設備の法定点検のため,三田キャンパスは停電,立ち入り禁止になります。この関係で以下の時間帯にnews.fbc.keio.ac.jpが停止します。
8:00~20:00(点検終了次第復旧の予定)
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12月15日 |
昨日も言ったように、僕は、日本の年金の受給開始年齢については、「60歳以降本人が選択」だと思っている。ただし、長生きしたら損するよ――それは当たり前。 そして、この前も言ったように、「余命半年の50歳の末期ガン患者がいたとする。その人は、年金保険料を払うべきかどうか?」というとき、僕は払うべきだと思う。だから、僕は、年金をめぐる損だ得だという議論と、どこか距離があるところにいるのだと思う。さらに言えば、僕が仮に繰り下げ受給を選択して、受給後1年も経たないうちに死んでしまったとする。別に良いんじゃないかぃ。それでも既に、十分に、年金制度の恩恵を受けていると思うよ。自分には終身の年金があると思いながら、それまで生きていられたわけだからな。 支給開始年齢について先日話したことは、次に、ありますね。
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昨日に付け加えれば、夢うつつ系医療団体に呼ばれるときの当方の役割は
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12月14日 |
ととと、どもな。若い衆1ダースほど参加だよ(笑)。
終わったら飲みに行くから、どこか確保しておいてくれ > がり 他に、院生4人くらいかな。。。って、翌日講義だが、まっ、いっか。 でっ、秋田のつるちゃんよ、当時の相方とととの出張レポートだ。
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おっと、来年の講演の依頼が。。。
了解(笑)。 |
12月13日 |
君たちは、必読。
次も必読。学者というのは、こういうふうに、誠実でなくてはね。
ちなみに、僕が民医連や保険医協会とかの左翼系、夢うつつ系医療団体に呼ばれるときには、上の二木先生の論文を配布しています。 二木先生の一言、「私は、これらの主張を読んで、ある種の「懐かしさ」を感じました」はものすごく気に入っていて、とても説得力があり、一方で、僕のように、昔から同じことを言っている者は、人間社会の中では説得力が劣るんだよね。。。まぁ、これは仕方がない、世の中、そんなもんだ。
なお、先週のなんとか国民会議の2回目で、次のような発言をしているのがいましたね。
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最初の自己紹介
よろしくお願いします。権丈です。 社会保障の制度設計の問題というのは、どうしても財政再建問題と関わっていきます。前回の国民会議のときには、医療・介護のあるべき姿というのをシミュレーションして、社会保障のあるべき姿を実現するためには、2025年で消費税が5%分必要――その内3%が自然増、2%は、まずは効率化を行ってそこに機能強化分を上乗せしていくというアイデアを、みんなで出していたわけなのですけれども、その後、リーマンショック、政権交代、大震災が起こり、プライマリーバランスが相当疲弊しました。リーマンショック前の2007年度はGDP比でプライマリーバランスは1%ぐらいの赤字だったのですが、2011年度はそれが6.4%まで落ちています。〔消費税1%はおよそGDP0.5%に相当しますから、消費税13%相当のプライマリーバランスの赤字ですし、その上、GDPの2倍に及ぶ債務があり、金利の上昇に極めて脆弱な財政体質になっている〕。 これらの問題と並行して社会保障の問題を議論していければと思っております。社会保障の本体と、財政健全化に要する財政規模全体の両方の兼ね合いを考えていきながら議論できる場を提供していただければと思っています。 |
〔 〕内は、話すつもりだったんだけど、なんとなく時間が押しているような気がして端折る。 まぁ、僕が、いつも言ったり書いたりしている、財政赤字の規模感の話です。 |
途中の発言 私がはじめに、社会保障だけでなく財政全体を考えていきましょうと言ったのは、税は財政健全化にこれから先すごく期待されているということを前提に置かざるを得ないからです。財政健全化は税でやるしかなく、逆に、社会保険料は財政健全化には使えないのです。社会保険料による財政調整を含めて、社会保障の主な財源は社会保険料に求めざるをえません。純粋理論として社会保険はこうあるべきだ、税はこうあるべきだというような、相当規模の債務ストックを抱えている状況を白紙にして議論することがなかなかできないない状況、もう日本の財政状況というのが、そこまで来ているということを視野に入れていきながら、議論できればと思っております。 | そう言えば、昨日の朝日の朝刊に、次のような記事がありました。
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《橘木(たちばなき)俊詔・同志社大教授(労働経済学)》 税を財源にしている生活保護は、納税者が「どのような人が受給しているか」に注目しがちだ。働く気がない人などが受けていると、制度に不信感を生む。必要な人が堂々と支援を受けられるようにするには、受益と負担がはっきりしている年金、雇用、介護、医療といった保険制度を充実させ、結果的に生活保護を受けなくても済むようにすべきだ。社会保障全体で制度を考えなければならない。 | 仰ることは、その通り・・・なんだけど、『消費税15%による年金改革』とのつながりも、少しばかり知りたくなるかな(笑)。 |
12月12日 |
「あらたにす」今年2月廃止に触れた記事は、次です――「恐ろしいことに、ネットはバカに発言力を与えてしまった」という言葉もあるので、最近オルテガを読んだ君たちも是非。
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昨日使ったスライドの一枚 僕が、年金の論文をはじめて書いた時の、最初の文章です。
- 昨日の講演時の解説
「当時、日本では、World
Bankが出した年金の報告書を根拠に、経済学者たちが、公的年金の民営化だとか積立方式化ということを大騒ぎしていたのですが、その頃すでに私は、World
Bankが、先ほど話したシカゴ学派やIMFと手を結んで、経済界、特にウォール街の手先として動いていたり、フリードマンたちが、チリのピノチェト政権やアルゼンチンのビデラ政権のもとで何をやっていたのかを、おおよそ知っていたんですね。」
なるべく間違えないように生きて行くためには、余計なことを、たくさん、知ってなくてはならないんだよ。 まぁ、負け太りという生き方もあるにはあるけどな――年金でトンデモ論を言うと、負け太り率は100%みたいだし、科研費ももらえるし、政権交代の立役者にもなれるしで、魅力的な生き方であるのかもしれない。
昨日の来賓の挨拶にもあったように、新聞のテレビ欄に年金の文字があると、視聴率は数ポイント上がるらしいしな。 |
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昨日は、12月10日、ノーベルの命日、ノーベル賞受賞式の日にちなんで、ノーベル賞に触れました。 そして、教えてくださってありがとうございます。見逃しておりました。
お手すきの時にでも
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12月11日 |
うん、なるほど、たしかに前向きに評価だ(笑)。
昨日の話題だけど、時間割引率は、人それぞれでね。 でも、「年をとると、たぶん、若いときに払おうと思えば払うことができたのに未納でいたことを後悔するだろうね」とは言えるかな。 次でも、ご参照あれ。
昨日触れた、勿凝学問の紹介文は、次にあります。
右側の経済学者というのは、みんな、学問に凝り過ぎだ。頭に遊び心がないとな。 左側の経済学者は、それこそ、知りすぎだと言いたくなるくらいに、余計なことをたくさん知っているよ(笑)。 学問には凝りすぎてはいけないんだよ。 お手すきの時にでも
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12月10日 |
早いもので、今日ですね。
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12月9日 |
先日の講義で紹介した、オルテガの話が出てくる日医ニュース
今年の4月23日にも、この「日医ニュース」に触れていますね。
次もご参照あれ。
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2011年7月24日のHP |
そう言えば、昨日の2次会で話していた「合理的無知」というのは、次の文章がいいです。
この文章を書かれた医師について、昨晩、偶然、メールが届いてますね。
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先ほど、○○先生にお会いしました。 先生が助教授の頃からお呼びした、世の中でもっとも早くに先生に着目した方だと、ご自身でおっしゃっていました。 | そう、その通り。 僕がはじめて、医師会と名のつくところに呼ばれて話をした県はそこですね。 「医療経済学の潮流」を書いているときで、出かけていって、延々と経済学の話をしてきた気がする――とんだ迷惑だったと思う(笑)。 僕のⅠ巻を本屋の書棚でみつけて、それを手に入れて読んだ人ですから、相当の読書家であることは間違いない――僕のⅠ巻はそういう読書家しか読まないから。 「合理的無知」についても――「合理的無知の出所について、先生の「再分配政策の政治経済学」だと言ってあります」とのご連絡を頂いてます。 彼らをイメージしながら、僕は、次を書いているわけです。
でっ、僕が昨日、「投票者の合理的無知」からスタートして話をした「絶望的人間モデル」については、次で書いています――飲み屋で何を話ているのやら(苦笑)・・・だって、「政治家って、世の中のことを考えてくれてるんじゃないんですか?」っと質問されてしまったもので。。。
次もどうぞ。
そう言えば、来週の月曜日発売の『週刊東洋経済』の「経済を見る眼」の冒頭は、「政治が壊れている」ではじまります。残念ながら、絶望的人間モデルの予測通りではないんだろうけど、ついに「政治が壊れている」と書いても、読者があんまり違和感を抱かないところまでまできてしまったみたいなんですよね。 | その「経済を見る眼」は、次です。
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12月7日 |
総選挙を前に『大衆の反逆』を読んだことを意識したレポートがあったので・・・。
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最近よく考えるのは、大衆から抜け出す難しさ、である。自分が大衆であること自覚するのも、他人が大衆であることを発見するのも意外に簡単
だったりする。しかし、オルテガが求める、正しさを作る人間になるのは相当な考えが必要なのだ。気づいたところでどうしようもなく、日々の忙しさに飲まれて合理的無知にならざるを得ない。
オルテガは「少数者とは、特別の資質をそなえた個人もしくは個人の集団であり、大衆とは、特別の資質をもっていない人々の総体である。」という。これは先生の言う、「こちら側」と「あちら側」である。この一年、自分がいかに世の中の事を知らずに偉そうな事を言っていた典型的な大衆であるかを思い知らされた。しかし、それでも「こちら岸」(私たちにとっては「向こう岸」なのだが…)に行く事がいかに難しいか、を最近ひしひしと感じるのである。 人生初の総選挙の直前にこの本を読み、レポートを書くのは世の中で私たちだけ、という先生のお言葉にドキドキしながらこれを書いているわけだが、連日メディアで報道される総選挙のニュース、その景色はオルテガが生きた世界となんら変わりはない。この本を読んでしまうと総選挙をどこか遠くから、冷めた目でしか見る事ができなくなってしまっている。大衆に迎合した候補者に、選ぶのは自分たち、と言いたい放題の有権者。思考停止し、何も考えようとしないこの国の政治に関わる全てを悲観的に見ざるを得ない。 オルテガはこうも言う。「大衆とは、自分に対して特別の要求をもたない人々、生きるということが現在の自分の繰り返し以外のなにものでもなく、自己完成への努力を自ら進んではしようとしない人々のことである。」これを見てぞっとする。就職活動を控えた今、自分が人生において何を成し遂げたくて、どのようになりたいのか、という自己完結のあり方をよく考える。しかし、この本を読んでまずはどの職業を選ぶかより、自分がどのように考え、どのようにしたら考える事をやめないでいられるか、を考える事が先決のようであるようだ。優れた資質をもつとともに自らに多くの要求を課し、すすんで困難と義務を負い、常に前進しようとする人々、つまり、オルテガの言う「真の貴族」に一歩でも近づくために、考える事をやめてはいけないと強く思う。 |
春にシラバスに書いてあったこの本をとりあえず取り寄せて数ページパラパラっと読んだ時、先生はなぜこの哲学みたいな本を読ませようとしているのだろう、と全くわけが分からず、更に経済学なのにこんなことをやるのかといぶかしさを覚えたのが懐かしい。民主主義が善であり、それをすべてにおいて根拠として持ち出すだけで、人々の支持を得られる。そのような思想の蔓延った社会で生きてきた身としては、大衆がという言葉さえよく頭にしっくりこなかったのだ。 しかしこの本がシラバスに載っており、そして偶然にもこの時期に読むことになったのはなんとも上手い流れに乗せられているようだと今では感じる。特に哲学書のようなものの考えや概念、論理は個人としては大変興味があるのであるが、それが現在起こっていることに直結してしまったのは奇跡であるのか、それとも先生が上手く仕組んでしまったのだろうか。 それはさておき、この大衆の決定する社会というものは普遍でも、最も優れた機能でもない。しかしそれを大衆は全く知りようがない。帝国主義での独裁者は彼の利益を最大にするためにそのための行動をとった。しかし大衆は彼らの利益を最大にしようとはするがそれが出来ない。そして一部の者は全体を俯瞰し憐れんでいる。たいていこのような問題は無知なものがその自身が無知であること自体を学ぶべきだ、という究極の結論に至りうる。しかし民主主義を善として、全ての根本として教えられてきたこと、というそのこと自体を『慢心しきったお坊ちゃん』が知っても、世界が変わるかと言ったら全く変わらないだろう。 人類が自分たちのために得た権利のせいで、その社会が犠牲になっているというのは何とも皮肉な話である。しかし彼ら自身がそのことを知らない、批判するだろうということは更にその主張を強固にするというオルテガの考えは、何とも言えないジョークのようなジョークではない真実のものなのだ。 | |
12月6日 |
うん、先週の「なかよしテレビ」の中で、キムさんが言っていたけど、日本の年金に関しては、こういう評価もあるだろうね。
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大学准教授 キム・キョンジュさんの発言 於 なかよしテレビ(2012年11月27日) |
日本の年金制度は、世界的には高く評価されていて、韓国なんかも1982年から年金制度を取り入れていて、全く日本と同じで、保険型なんですね。 日本が世界で注目を浴びているのは、高齢化の一歩先をいっているので、まもなく、韓国も中国もそうなっていくんですけど、日本はどう対応するんだろうかと。 保険型の年金の場合、最大の要は何かというと、それは預かっている政府に対する信頼なんですね。政府がちゃんとしてくれている、霞が関がちゃんとしてくれているんであれば、税金をもっと増やしてもいい。 事実、日本人は、今、社会保障に対して負担率が低いんですよね。 | とにかく、政争の具にされてしまったという不幸な生い立ちがあるから、みんな信じないだろうけどな。 |
12月5日 |
オルテガは、明日の13時締切なので、時間厳守でよろしく。 『大衆の反逆』の締切が明日というのは9月には決まっていたから、君たちの人生最初の総選挙の10日前に、『大衆の反逆』のレポートを書くことになるのはただの偶然だけど、そういう経験をするのは、たぶん、世の中で君たちしかいないと思う。20年後、30年後に期待だな(笑)。早々に提出してくれたレポートを、ひとつアップしておこうかね。
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「国家」というものは決して「当たり前にそこにあるもの」ではない、とオルテガは口を酸っぱくして説明する(「文明」と言った方が適切かもしれない)。ふつうの人は国家という存在を、いくら寄りかかっても倒れることのない壁のようなものだと思っている。しかし、どんなに巨大で精緻なシステムだって、それが人工物である以上、自律した永久機関ではありえない。いつだって誰かが、壁の反対側を支えている。そういう「支える側」にまわる気概のある人たちがオルテガの言う「貴族」だろう。つまり、知的な努力を払うことを厭わず、それでいて「よし、やってやるか!」という熱意を持っている人々。そういった「貴族」が枯渇した時、国家は回らなくなる。そして恐らく、いざその終末の時が来ても、「大衆」は自分たちの無責任で野放図な諸要求が、かけがえのない制度に過剰な負荷をかけ、破滅へと導いてしまったことには思い至らないだろう。大衆は今まで「当たり前」だと思っていた各種の権利が突如消えてしまったことに驚き、たじろぎ、怒りをぶつけるだけだろう(その次に来るのは、たぶん、大衆のやり場のない憎悪のエネルギーを上手い事まとめあげて権力闘争に勤しむポピュリスト達の黄金期だろう)。 ガルブレイスや適菜氏の著作を読んでいても同様のことを感じたが、「貴族」と「大衆」との境界線の一つは記憶力だと思う。貴族はあらゆる物事に起源があることを忘れない。何も「当たり前ではない」ということを知っている。対して大衆は、自分の過失のみならず、他の人々・制度に負っている恩恵をも忘れてしまう。オルテガの言葉を借りるなら「忘恩」の民、ということになるだろう。 これに関連してもう一つ思い出してしまうのが、現代の日本における官僚の受難である。どんなに巨大な官僚機構だって攻撃され続ければ壊れる(=貴族がいなくなる)。そんな当たり前のことに目をつむって、得票のための「消耗品」として官僚たたきを継続する。これが破滅へのチキンレースだとなかなか気づけないあたり、日本の「大衆」化は深刻だ。 | |
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「社会保障の教育推進に関する検討会」の議事録チェック中。 細野委員の「えなりさんは、最近、年金の未納者は損だというふうな話をテレビ番組でされているらしいのです。それは、調べてみると、3年ぐらい前ですか、「太田総理」という番組があって、そこでちょっと共演させていただいて・・・」という発言をみて、次の文章を思い出す。
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12月4日 |
大分の知らない人から連絡がきてましたけど、そうかなぁ、先週の『年金実務』は、「編集周辺」に負けず劣らず「スームアップ」にプロの視点から書かれた「民主党案再論」もよかったと思いますけどねぇ。まぁ、「編集周辺」もいつもながらぶっ飛んでいてすばらしい作品でした――ちなみに、適菜収氏によると、B層は期間限定商品に弱いらしい。。。16日の選挙では気をつけましょう!仮面の男さん(笑)
- 今週の『年金実務』の最後の頁(ズームアップ=民主党案再論+編集周辺=レアグッズ・初回限定商品)
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いつもお世話になります。
大分の知らない人@昼休み中です。
先生のHP、国民会議の件もあり、ここのところ毎日のようにチェックさせていただいています。
で、上記の件ですが、今回は「年金時代」の編集周辺に軍配をあげさせていただきたいと思います。
「わかる奴だけわかれば良い」という、読者無視の内容にセンスの良さを感じます(笑)。
でもセンスの良さで言えば、日本中が動向を注視している(言い過ぎか?)中で、まるで関係ない 話題を提供している先生の方が一枚上手でしょう。
これから周辺が騒がしくなることとは思いますが、・・・ | ところで、『年金時代』今月号の編集雑記、この緊迫した政局の中で書かれた、次も気に入ってました。
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 (名前は見えなくしています) | 僕のかすかな記憶では、僕は、メダカさんに原稿を頼まれたことがある。その時、僕は断っていたはずなんだが、断るという意思がメダカさんには届いていなかったようで、ある日、原稿の催促が舞い込んでくる。 こりゃぁ、原稿がなかったらかわいそうだろうと思って、速攻で書いて、30分後くらいに送った原稿が次だったような。
あの時も、メダカのことを考えていて、僕のお断りメールが目に入らなかったのかもしれません。。。
このあたりのことは、2年前の2010年12月に書いていますね。 |
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おもしろい人が年金の雑誌に携わっているのか、それとも年金の雑誌を作っているとおもしろいことを考えるようになるのか・・・
- 『年金時代』12月号の編集雑記
 ・・・ | このセンスの良さ(笑)。。。 |
12月2日 |
「ズームアップ」を紹介したいのか、それとも「編集周辺」を紹介したいのか、ご想像にお任せいたします。
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朝日新聞、惜しい! 次は、2000年の「社会保障構造のあり方について考える有識者会議」というのも仲間にいれてあげておいてくださいませ。
「議論が急がれるのは医療・介護の改革だ。」という文章もあり、いいセンいっている記事だと思います。
国民会議のような会議は何回繰り返せばいいのか、もういいよ、という感想が、 社会保障に長く係わり、この制度をよく知っている人たちの間には、あったりもします。 |
12月1日 |
今日、紹介したのは、次です。
次も一緒にどうぞ。
新報道2001と言えば、あの番組の年金報道の様子が、次の議事録にでてきますね。
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2012年2月22日 第3回社会保障の教育推進に関する検討会議事録 |
権丈 ・・・・・・ テレビでは、「新・報道2001」とかに日本総研の高橋進さんとかが、毎週のように出ていますけれども、彼は、年金は破綻しているんだから、破綻していることを前提に議論をしなければいけないと言って「新・報道2001」をボロボロにしていますね。私も違う意味であの番組をボロボロにしてしまいましたけれども、高橋進さんは毎回年金の議論になったら番組をボロボロにしてしまう。「年金の破綻というのはどういうことですか?」とある国会議員が聞いた瞬間は黙っていましたけれども、しばらくするとまた、年金は破綻しているんだから、抜本改革をして世代間格差をなくさなければいけないというようなことをテレビで言う。 | |
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そうそう。 さわやかカレンダーが届きました。お礼に、原稿書きます、はい。 |
11月30日 |
- >岡田氏との関係で欠席されていたとうかがい、ふむふむと思いました。
違うって。 今日の昼は、日吉でゼミの説明会があって、そっちに行かなければならなかったからだっ。 なんだ、その根暗の解釈は――報道界ではそういうウワサかね。 まぁ、この話が来たとき、「彼らが官邸から去ってからの出席だな。1回休めばいいだろう」と言っていたが、「岡田氏との関係」というような根暗な理由ではないし、そういう関係にあるのは、別に、彼だけでもなく、彼ら全員だろうしね。 となれば、どういう力学が働いて、彼らが僕を外せなくなったのかという問を立てる方が自然なかたちかもな。 普通に考えれば、彼らは、僕を入れることを死力を尽くして拒むはず。 逆に、年金をはじめ、社会保障、財政全般を政争の具としてきた彼らにお墨付きを与えてきた者たちは、死力の限りを尽くして入れておきたいだろう――自分たちは逃げ切り、自分たちを応援した学者たちに、この数年の大混乱の最終責任をとらせるためにも。 ところが、僕に関しては、かわいそうに彼らは思い通りにはいかなかったんだろうね。 要するに、政府が任命権を持っていながら、彼らには僕を外す力がすでになくなっていたというように考えるのが無理がない。 先日、副総理であるらしい岡田氏に、ある記者がぶら下がりで「権丈先生を起用した狙いについて教えてください」と質問をしていたようだけど、たぶん、問の立て方が間違っているな。
でっ、選挙戦の最中に、彼らは、どうしてももう一回、国民会議を開催したいらしい。 なぜだと思う? B層的解答とは異なる理由を、考えきれないとダメだな。
そして、次回あたりは、出かけてみるのもおもしろいかなと思案中――いろいろな意味で。
今日は、日吉の後、綱島の藤澤先生のお墓参り、その後、先生の奥さんのところに顔を出してと、実に有意義な欠席であった次第。 |
11月29日 |
どうも。
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-----Original Message----- Sent:
Sunday, November 25, 2012 11:38 AM To: Y Kenjoh Subject: Re:
年金数理部会セミナー2005
権丈先生、「再分配政策の政治経済学 3 医療年金問題の考え方」の第4章、読ませていただきました。
やはり論文は講演録と比べるとなかなか歯ごたえがありましたが、たのしく読むことができました。
年金数理部会セミナー2005の報告書で参照されている『パワーポイント38図』に該当するのが『図4-6』だと思いますが、これはちょっと理解するのにてこずりました。
これだけの検討を2004年の年金制度改革の前に済ませていると、いったん決着がついた話がいつまででも蒸し返される今の議論はいい加減うんざりしても当然のような気がします。
先生はニュースによると社会保障制度改革国民会議の委員の候補にノミネートされているようですが、これは受けるのでしょうか? もうすぐ民主党政権ではなくなるようですから、断る理由もないですね。
次々に年金制度を理解しない若手の学者が登場して、誤解をまき散らし、その人たちが誤りを自覚して去っていってもまた新たな人が登場する、というのはうんざりすることだと思いますが、学校の先生の道を選択した、という時点で、同じことを何度でも繰り返し説明し続ける、というのは先生の使命だと思って頑張っていただきたい、と思っていたものですから、この論文で、『<現状と望ましい状況の間にギャップがあり、このギャップを埋める政策に実行可能性を与えたいというのであれば、その政策を支持する力を時間をかけてでも育てるしか方法がない>と思っているわたくしならば・・・』という文章を見つけて感動し、うれしくなりました。
12月10日のシンポジウムでどのようなお話しがお聞きできるか、楽しみにしています。
今後ともよろしくお願いいたします。
----- Original Message -----
Sent: Tuesday, November 20, 2012 11:06 AM Subject: Re:
年金数理部会セミナー2005
権丈先生、早速お返事ありがとうございます。
まずは 『公的年金には世代間格差はあるけど、それがどうした?――「負け太り」という言葉も覚えてもらおうか』 の方を見せていただきました。
年金数理部会セミナー2005の報告書で参照されている『パワーポイント23図』に該当すると思われる図はありましたが、『パワーポイント38図』に該当すると思われるものはこの中にはなさそうです。 引き続き「再分配政策の政治経済学 3 医療年金問題の考え方 」の方を確認してみます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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Original Message ----- Sent: Monday, November 19, 2012 5:21
PM Subject: RE: 年金数理部会セミナー2005
Ⅲ巻の4章に、論文を掲載しています。 http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/4766411994/
でっ、計算結果を図にしたのは、次にもあるようですね。 公的年金には世代間格差はあるけど、それがどうした?――「負け太り」という言葉も覚えてもらおうか
-----Original
Message----- Sent: Monday, November 19, 2012 9:20
AM Subject:
年金数理部会セミナー2005
権丈先生、いつもホームページで勉強させていただいています。
11月16日の記事に引用されていた、2005年3月22日の年金数理部会セミナー2005の報告書、興味深く読ませていただきました。
その当時からとてもわかりやすい面白いモデル計算をしておられたんですね。非常に興味深いモデル計算だと思いました。
私はアクチュアリーなので商売柄、計算するのは抵抗ありませんが、経済学の学者さんで自分で何か計算して議論する、というのは(計量経済学なんかの分野以外では)あまり聞きませんので、さすがに権丈先生は計算もできる経済学者なんだ、と一層感銘を受けました。
ところで、この報告書のホームページに載せていただいたいる部分には計算結果を説明していると思われる、パワーポイントの部分が載っていません。
そこで、もし差し支えなければその部分を見せていただきたいのですが、いかがでしょうか。
よろしくお願いいたします。 | |
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11月28日 |
原稿依頼のお断りの連絡というのは、こんなものだ。 ある労働団体に送った2週間前のメール
- 権丈は、政権交代後、ご隠居生活に入ってしまったので、まったくやる気がありませんとお伝えください。
あんな政党、否、人間達を組織一丸となって応援したなんて、政治センスなさ過ぎともね(笑)。
今も応援してんだろうけどね。 まぁ、当時、B層チックに振る舞っていた政治センスに反省点がある人たちは、僕に、原稿依頼なんか、しないことですね。 ところで、綱領も持たない選挙互助会が選挙互助会という言葉を使って批判していたけど、あれは、ジョークか。。。 |
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グッドタイミング
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11月27日 |
- 原稿ご執筆のお願いです。
もちろん、蒲田高校での授業参観のご感想についてです。
「もちろん」ってのが、いいな。他の用件だったら軽く断られることがよく分かってるみたいで(笑)。 さわやかカレンダーをくれんなら、少しは考えてみよっかね。
> さて、私は3回とも参加しましたが、ちょっと、感激して目がしらが熱くなりました。 だよな。まぁ、みんなそうだったよ。 1回目の帰り道、出席していた他の記者さん達も、 「子どもたちのあの純真さ、社会保障への素直な理解はなんなんでしょうね。 大人になると、なんで、あんなにゆがむのですかねぇ」 ・・・全員、しばらくの沈黙の後、ある記者がぽつりと 「やっぱり、メディアかぁ・・・」 |
11月25日 |
昨日届いた雑誌より
ニスカネンについては、次のようなことを書いてますね。
僕の考え方の基礎にある「投票者の合理的無知」や「政治家の得票率極大化行動」などは、公共選択の世界で生まれたもの。BuchananやTullock、そしてOlsonやNiskanenの本を絨毯爆撃的に読み、Muellerの原著を辞書のように眺めていた数年間があったから、民主主義の幻想論者、政治家のナイーブな応援者たちと一線を画する位置を保ち続けることができたのは確かで、僕は公共選択論に感謝している――彼ら公共選択論者の名前の英文は、まだMS-DOS版の「一太郎」を使っていた院生の頃にATOKに登録していたから、今でもすぐに変換されてしまう次第。 どんな新聞も役に立つように、どんな学問も役に立つわけで、要は、研究者本人の問題だろうな。酒に弱いなら酒は飲まないこと、仕事上飲まなきゃならないのなら、むしろ酒を知り、酔っ払わないように鍛えることだ。
- 勿凝学問1 思想と酩酊体質(2001年執筆)
- 勿凝学問27 『再分配政策の政治経済学Ⅰ』に込められたPublic
Choice with Warm Hearts の思い――権力論、着想のきっかけは大河内理論だったような気もする
1996年にケンブリッジに到着したとき、パルサ・ダスグプタの運転する車の中で、彼に、いま最も興味のあることは何かと尋ねられた。とっさに、Public
choice with warm hearts と応えると、彼は、It's
impossibleと笑った。基本的にはわたくしは、この路線で考えつづけていたような気がする〔この逸話を承けた『年金改革と積極的社会保障政策――再分配政策の政治経済学Ⅱ』への書評に、中村まづる先生の『公共選択の研究』(第44号 2005)がある〕。 投票者の合理的無知、政治家の得票率極大化行動を思考の大前提に置くシカゴ系、ヴァージニア系の経済学を用いながら、彼らのイデオロギーとは逆の政策インプリケーションを導き出す方法の模索。と同時に、厚生経済学は旧であれ、新であれ、新新であれ、そこには現実離れした政府に対する性善説の仮定が置かれており、厚生経済学から導き出される政策提言に政府がコミットする動機がまったく保証されていないではないかと思えてならなかったわたくしは、次のようなことを強く意識するようにもなる。 ・・・ | 公共選択学会の先生達に呼ばれての「政権交代の意義を考える」学会セッションでの報告
ニスカネンと言えば、彼の本『レーガノミックス』を香西泰先生が翻訳されています。香西先生は、コトリコフの『世代の経済学』も訳されています。僕も経験があるけど、翻訳というのはなかなかタイムコンシューミングな仕事――これらの本にはそうした翻訳の労をとる価値が十分にあると考えられてのことだろうと思えば、翻訳者は、おそらく、ニスカネンやコトリコフの考えを、是非とも日本に普及させたいと考えられたのだろうと推測されるわけだけど、どうなんだろうかね。 |
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そう言えば、21日の意見交換会乾杯の挨拶、そして昨日の最後に言ったポピュリズムと闘う静かなる革命戦士という言葉は、次に出てきます。
この文章は、2009年8月8日に書いていますね。それから、ちょうど3年後の今年8月8日に「近いうちに」発言が出ることになる。 ちなみに、8月10日に一体改革関連法案が可決成立したのは、野党の協力、特に谷垣さんの協力があってのこと。 その谷垣さんを、よくも、裏切ることができるもんだよ、というのが、私が彼に下している評価だということは、22日の夜、医療関係者の会で話したこと。彼は、谷垣さんを騙し、見捨てた――その日、一体改革をやり遂げた彼は立派だという声が一部にあったもので。 2010年6月に書いた次でもどうぞ。
次もかな――このくらいのことは、軽くできる模様。
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11月24日 |
昨日は、祭日のところ、(僕も含めてみなさんも)働かされて、お疲れ様でした。 最後にいろいろと言っていたことは、次のあたりでしょうか。
それと、昨日の配付資料は、次です。
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入ゼミ担当さん、心配いらんよ。 30日は、ゼミの説明のために日吉だから欠席と、昨日、伝えている。 |
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昨日も話したように、次のような人たちは民主主義が苦手な人たちだから。
今朝、食堂で話したことは次あたりかな。
昨日話した右側の経済学は、まじめに勉強をすればするほど、人間が備え持っているはずの福祉マインドが殺されていくというかわいそうなことが起こるんですよね。 |
11月22日 |
替え歌の神様がご降臨されたようで(笑)
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先生が、「葬式の時のお坊さん」として、民主党年金改革案を成仏させるための念仏を上げるということかと思い、私も民主党(政権)に対するレクイエムを作ってみました。 |
「desire」改め「出ちゃいや」~民主党2012冬 |
ガラ ガラ ガラ ガラ 民主党~
やり切れない程 退屈な時があるわ
「総理」と居ても 「残る」ぐらいなら
「逃げ出し」たいの 今は ガラスの「民主党」
そう みんな「ペテン師」ね 「嘘」が羽のかわりに飛んでぇる 何にこだわればいいの 「先」の見えない 時代の 「政治屋」達ねっ
まっさかさまに堕ちて
「ただの人」 「煙」のように 「消」えて「マニフェスト」 「今は」「○○」、「○○」、「○○」、「○○」ほど 「注目されない」なんてね♪♪
淋しいぃ♪
空(から) 空 空 空 マニフェスト~ | | 参考までに・・・
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11月21日 |
昨日の話は、次あたりをご参照あれ。
ご参考までに。
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本日は、お休みのところお疲れ様でした。 次でもどうぞ。
おまけです。
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11月18日 |
昨晩の話は、次です。
- 自治体病院全国大会2007「地域医療再生フォーラム」講演録
2007年11月7日開催
講演Ⅰ
「医療制度改革の方向」 国際基督教大学教養学部 教授 八代 尚宏 氏 講演Ⅱ
「医療崩壊をめぐる政治経済学-いま何が起こっているのか?」 慶應義塾大学商学部 教授 権丈 善一
氏 討 論 座 長: 熊坂義裕 岩手県・宮古市長 パネリスト: 八代尚宏 氏、権丈善一
氏 | |
11月17日 |
先日の講義で話した、日本の捕捉率に相当する韓国の「露出率」という言葉は、次にあります。
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11月16日 |
昨日のえんぺらの報告の参考になる記事。みんな読んでおくように。 この記事、出だしがいい。夏のロンドン・オリンピックの開会式をみながら、僕も中村さんと同じことを考えたもんだ。
みっく、じゃく、椎野は、今週の「歴史ヒストリア」を、on
Demandか何かでみておきな。 アメニティーフォーラムの時に出かけた、安土城の話だ。
でっ、
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健保連の今年の全国大会(21日)のシンポジウムは、 日経の大林尚さん、政策研究大学院の大田弘子さんがゲストとのことでした。 分かりやすい組み合わせでした・・・。 | なるほど。 昔々の話になるが、藤澤先生は、若い頃、まだ慶應の先生になる前だな、健保連の研究室の研究員だった。 当時は、後に慶應の財政学の先生になった大熊一郎先生とか、いろんな人が健保連の研究室にいて、日本の社会保障の発展に、”一番”と言って良いくらいに貢献していたわけだ。大熊先生や藤澤先生の後輩達にも、すばらしい福祉マインドを備えた、何人もの研究者を輩出したりもしていてね――古きよき時代というか、時間ってのは、残酷なもんだ。 まぁ、藤澤先生と健保連の繋ながりもあって、僕は、院生の頃、健保連の図書館や、当時健保連にいたお兄さんやお姉さん達にずいぶんとお世話になっていた。そのあたりのことを、どこかに書いていたな・・・これだ、これだ。
僕が厚労省の年金局の人たちや年金部会の先生達と初めて会ったのが、このセミナーの日。 彼らからみれば、権丈というおもしろいことを2年前くらいから言っているのがいるから、ちょいと呼んで話を聞いてみようかという感じの企画だったんだと思うよ。。。そして、この日に、多くの記者やアクチュアリーの人たちとも初めて会ったことになる。 |
11月15日 |
昨日アップしたレポートの「とくにそのバブルを起こすきっかけを作った張本人達がそれを経済政策、金融政策その他の手段を駆使すればバブルの後に起こる影響をゼロにないし最小限にとどめる事ができると信じきっているからどうしようもない」に関連して、今日、使ったスライドをアップしておくよ。
今日は本題の貨幣数量説の説明から外れてしまって、君らの隔週レポートの課題『生活保護vsワーキングプア』につられて1時間以上も生活保護の話をしたわけだけど、そこで作っていた図表は、下記から得ることができます。
おまけ 先週の土曜日に、日吉でゼミの説明会があったらしい。 そこに出席したゼミの3年生が言うには、高校の時に、新報道2001をみて、この人の言うことの方が正しいと思って、僕のゼミ説に来た2年生がいたらしい。いやはやなんとも・・・下記、参考までに。
先日は、次の講演を聴いた学生が、僕を卒論指導者に指名して、訪ねてきてましたね。
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11月14日 |
今日は、お疲れ様でした。話した資料は、次です。
私としては、次の図は押さえておいてもらいたいところ。
ところで、平成21年財政検証関連資料なる資料が生まれた経緯については、次をご参照ください。
そして、次もセットにして覚えておいてもらいましょうか。
とにかく、彼らは、年金を政争の具とするという、やってはいけないことをしてしまったわけです。 先日も話したように、なぜ、やってはいけないことなのか? それは、取り返しがつかない事態に陥るから――容易に取り返しがつくことは、やってはならないことの範疇に入りません。 年金不信を煽るというのは、政治的に効き過ぎます。 私がもうひとつ、やってはならないことと言い続けてきたことは、バブルです。 理由は年金を政争の具とすることと同様、取り返しがつかない事態に陥るから。 来週の、講義での隔週レポートは、ガルブレイスの『バブルの物語』。がんばってな。 すでにもう、若干名が提出しているので・・・ひとつばかり
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前期に見た映画「インサイドジョブ」にも大きく関わる話であるが、バブルとその崩壊には陰謀ともとれる程大きな黒い関係性が渦巻いている。バブルの崩壊と共に多くの人にはかなりの経済的なダメージを伴うが、そのダメージを差し置いても個人で儲けようとする人達が暗躍するせいかバブルはしばしば起きて崩壊していく。とくにそのバブルを起こすきっかけを作った張本人達がそれを経済政策、金融政策その他の手段を駆使すればバブルの後に起こる影響をゼロにないし最小限にとどめる事ができると信じきっているからどうしようもない。 もちろん自分はバブルの黄金時代には生まれついていなかったので、その華々しい光景も人々が阿鼻叫喚する光景もしりはしないのだけれど、話にはよく聞く。その時代の事を人から聞くのはとてもおもしろい。タクシーチケットが無制限に使えたとか、ドラマなどの制作費用が無制限だったとか、例を出したらキリがないが。このような時代を経験してしまってはもとの価値観に戻る事は難しいという事は客観的に考えればすぐにわかる。巨万の富を手に入れた有名人が数年後には一文無しになって犯罪に手を染めるということはとくある。本書にも書いてあることにすごく納得がいくことに、ひとは金融危機に対しての記憶を忘れてしまうことである。それはもちろん上に書いた事の通り一度変わってしまった価値観はもとには戻りづらいということが原因の一つであると自分は思う。しかしひとがその金融危機を忘れてしまうからバブルはまた起こるというのは少し違う気もする。結局誰だって贅沢な暮らしができるならばしたいわけだし、何かをきっかけに環境がその方向へ進んで行くのならば、赤信号皆で渡れば怖くないの精神で目先の巧い話にのっかってしまう。 今日本は大変な不景気にあるが、自分達の知らないところで何かをきっかけにして景気が好転させる為に、バブル的に作り上げられた空虚なものをトリガーにする奴らが出てくるのかもしれない。日本にもその原因になるべくものはいくらかあると思う(リボ払いの複利金利システムとかがもしかしたらその原因の一端を担うのかもしれない)。そうならない様にどう対処していくかを考え続けることが大切である。 | |
11月13日 |
だな。
「政策は、所詮、力が作るのであって正しさが作るのではない」という話ではあるんだけど、 最近は、「力」のところを「政局」に置き換えて、 「政策は、所詮、”政局”が作るのであって正しさが作るのではない」という言葉を使っているよ。
ちなみに、この「政策は・・・」の文章は、どのような形ででてくるかというと、僕が初めて出した本の第1章の冒頭の1行目――産声のようなもの
31頁(PDF11頁)にある次の表は、数年に一度、気が向いたときに講義で使う表だけど、その昔、Beckerの利益集団モデルには未組織の投票者がひとりも登場しないのをみて驚いたけど、今は、その驚きもなくなったな。民意、世論は資金を使えばいくらでも操作できる――それを阻止するのは敵方の資金力――とするBecker達の民主主義モデルは、残念ながら、なかなかのもんだ。
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11月12日 |
これが、先日話をした『読みながら考える保険論』の一番最後の頁にあるコラム???です(笑)。
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1840年のトゥックの下院での証言がおもしろかったというから、先日の2つのスライドに続いて先週の講義で使っていたスライドも紹介しておこうかね。
トゥックは、アメリカ独立宣言が出された1774年の生まれ。 それと、IS-LMを引き継ぐアメリカ・ケインジアンを、ケインズサーカスのひとりジョーン・ロビンソンはBastard
Keynesianと呼んでいたりもする。 |
11月9日 |
昨日のポイントは、「過去と人は変えられないけど、未来と自分は変えられる」という教えの現れでしょうね。 |
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> 日経も縦割りでつい出てしまったのでしょうか? かもしれん。 |
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ソーマス、お疲れさん。「日本の金融政策論議におけるクルーグマンの罪」、みたよ。
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クルーグマンの原文においては「money
supply(マネー・サプライ)」と表記されているが,本稿においては,一貫して「マネーストック」という呼称を用いる。これは,マネー・サプライという呼称が,いかにも中央銀行がその量を恣意的にコントロールできるとの錯覚を与えてしまうことを避けるためである。 ・・・ ・・・ ・・・ そしてこうしたクルーグマン(2012)の金融政策に関する考え方が,金融政策の標準的な教科書である『International
Economics THEORY & POLICY』(Krugman.P, Obstfeld.M,
Melitz.M(2012))の注釈に反映されていることを見逃すことはできない。
「……For many purposes, however, it
is reasonable to ignore the variability of the L(R,Y)
schedule and simply assume that central bank directly sets
the money supply. In the rest of the book we shall, for the
most part, make that simplifying assumption.
」 ----- 邦訳では「…しかし,さまざまな目的に対しては,L(R,Y)曲線の変動を無視して,単に中央銀行がマネー・サプライの量を直接決定すると仮定するほうが合理的であろう。本書の後半の大部分で,この単純な仮定を立てることとする。…」 | つまりここでは,さまざまな目的に関しては,実質貨幣需要L(R,Y)曲線の変動を無視して,単に中央銀行がマネーストックの量を直接決定すると仮定するほうが合理的である,との記述がなされているのである
。教科書における説明の便宜のための仮定ではあるが,ここに彼の金融政策に関する考え方が滲み出ていると考えることもできよう。 | よしよし。クルーグマンはクルーグマンであって、アメリカ・ケインジアンらしく、ヒックスに似たところに落ち着いているが、これは、『一般理論』の頃のケインズではない。 |
11月4日 |
そう言えば、先週の講義では、マッカーシズムとサミュエルソンの新古典派総合の話をしたけど、そこで紹介した映画は次。
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とのことゆえ――といっても、なんか、登録しなければならないみたいだけどな。。。
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今週は「私はどこへ行けばいいの? 罪を犯した知的障害者たち」を11月5日(月)15時までの期間限定無料でご提供します。ぜひお試しください。
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眺めていて、うんっ?、今読んでいるのは、たしか新聞だったよなぁと確認した次第。。。
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オピニオン 「B級ネタで勝負するしかない」『朝日新聞』朝刊より |
「・・・恐ろしいことに、ネットはバカに発進力を与えてしまった・・・」 | |
11月3日 |
先日言ったように、来週は休講でよろしく。 でも、隔週レポートの締切はありなので、お忘れなく。 すでに出してきている人もいて、早めの提出はなんにも悪くないから、マネして早めに出してもバチはあたらないぞ。 来週の課題は、9月13日の書き込み先もクリックして、余力があれば、読んでおいてくれ。
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Sent: Saturday, November 03, 2012 9:20 AM Re:第3回レポート『生活保護vsワーキングプア』
真摯な文章から伝わってきたのは、現場感覚に基づいた専門家の葛藤だった。心から「すごい著者だな」と思う。過度に単純化された報道や偏見、そして世間の苛酷な部分にあれだけ正面から向き合っていて、普通ならやり場のない怒りに我を忘れてしまいそうなものなのに、文章は決して冷静さを失わない。むしろ数字データやグラフを用いて客観的に議論を進め、最終的に「積極的な生活保護利用の推進」というアイディアに財政的根拠を与えるまでになっている。これこそまさに「cool
heads but warm
hearts」だろうな、と感心した。「若者を救いたい」「子どもを救いたい」という情熱をぐっと胸の奥にしまいこんで、まず論理的に説得力のある根拠を提示しようとする姿勢こそ、我々が他の何よりも優先して学ぶべきことだろう。道徳的に正しい意見を声高に叫び続けても世間は動かない。この著作が成功していると思うのは、生活保護の効果の計算に将来見込まれる支払額を計上することで、積極的な生活保護の必要性を財政的に明らかにし、社会的弱者の救済に自分の税金が使われることを苦々しく思う人々の批判を無力化している点である。この論理を「将来的に必要な給付額なんて予想できるはずもないのだから、そんな議論はナンセンスだ」と潰したがるライオネル・ロビンズみたいな人物が現れないことを切に願う。 そして読んでいて胸が苦しくなったのが、あとがきに登場する少年のエピソードだ。クリエイターを目指すのは確かに無謀だったかもしれない。そのために諸々の判断を急ぎ過ぎた感もあるだろう。しかし、それを「自己責任」のひとことで切り捨てる人は何も感じないのだろうか。幼い相手に、反論不可能な言葉を投げつけて虐めることに快感でも覚えているのだろうか。すべての人が正確に自分の境遇を理解しているわけでもないし、論理的に話す能力に恵まれているわけでもない。現代の民主主義は口が上手くてお金がある人にとって極端に有利に働く制度だ。ならば、主張が苦手な社会的弱者の代弁者である大山さんのような人がいないと、世の中は決してフェアにならないだろう。 | 先日、転石亭のランチ時にばったり会ったピクシーの2年前のレポートもアップしておくかね。
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11月2日 |
昨日の講義での雑談――歴史からのカンニング? 時は、日本の江戸時代
 そう言えば、昨日、某証券会社の方から、次のメールが届いてましたね。
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Sent: Thursday, November
01, 2012 10:12 AM Subject: 年金と金融政策について 慶應義塾大学商学部教授 権丈 善一
様
突然のメールで失礼いたします。 某、金融機関に勤務の無名のマーケット参加者です。 先生のホームページ、日々興味深く拝見しております。 思うところありまして、ぶしつけとは存じながらメールさせていただきました。
ここ数年の金融政策に関する巷の議論を見ておりまして、 金融政策も、年金問題に負けず劣らずの「ひっかけ問題」と思えてなりません。 すなわち、 ・物価とはお金の価値と表裏一体。 ・お金を刷っているのは日本銀行。 ・物価を調節するには日本銀行がお金を刷る量を調整すればよい。 ・ということはデフレは日銀のせい。 こんなにシンプルで分かりやすい話はありません。 しかも「物価=中央銀行」というようなロジックが 公民とか政治経済とかの教科書に書いてあったりする。 これで引っ掛かるなというのも普通の人には無理なことです。
年金についての、 ・未納が増えれば年金は破綻。 ・少子高齢化で賦課方式の年金は維持不可能。 ・日本の年金は危機的状況 と、同じような話しだと思います。
お金、通貨とは何かという考え方、 中央銀行がどのようにして貨幣供給、金利をコントロールしているかという制度を正しく理解していれば、 今の日銀にこれ以上出来ることがほとんど無いということは自明です。
しかし、マスメディアで報じられるのは良くて両論併記で、 「デフレは金融緩和が足りないから」と、 「これ以上の金融緩和は無効か、あるいは弊害がある」、 を併記する程度。
実際には、「もっと緩和しろ!」と主張する人が喝采され、 「今どれだけ金融緩和をしても日本の景気は良くならない。」と主張する人は 「御用学者」的な扱いをされてしまう傾向にあります。
「今の年金は厚生労働省の利権の温床だ!」というような、 意味のわからないことを言う人は、同様に、 「今のデフレは日銀の陰謀だ!」というのでしょう。
引っ掛け問題に一度引っ掛かるとその思考から抜け出すことは非常に難しい。 多くの政治家やマスコミは日銀を叩くことで得こそすれ、損はほとんど無い。 引っ掛かっている人たちの流れに乗るか、 むしろ積極的にそういう流れを作ろうとする。 それを助長する自称経済学者や自称エコノミストも大勢いる。 世間には、「日銀のせいで不況が長引き、自殺者がどんどん増えている!日銀は間接的な人殺し!」 なんていう話を本気で信じている人までいるらしい。
マスメディア、政治のあり方も含めて、 金融政策が不毛な議論の場になっていることが残念でなりません。 日銀に対しては何の負い目も義理もありませんが、 事実をありのままに見てただ気の毒に思います。
また、この国の行く末を案じて、 なかば絶望的な気持ちになります。
先生にうったえたところでご迷惑なだけかとは思ったのですが、 しのび難くメールしてしまいました。 ・・・・・・ | |
10月31日 |
次の2つは、同じ動機で書かれたものかもな。
大機小機の文中にある「偽薬効果」は、2週間前の講義でも触れたけど、当方の隣の研究室の深尾光洋先生の近著『財政破綻』127頁に書かれています。 いま、講義でマクロ社会保障論というテーマの下にやっていることは、2、3週間前に講義で紹介した次のセイとリカードの文中にある、セイの法則と貨幣ヴェール説という一対の教義を、200年の経済史の中で、誰がどのように修正していったかという話だな。
マクロ経済学というのは、教科書が世の中に存在することの方が不思議な世界でな――(テストに出しやすいから・・・)テストによく出るIS-LMモデルそのものが、これを作ったヒックスが晩年にその非を認めるモデルで、人々を誤った政策解に導くモデルだったりもする笑える世界。。。 「日本の金融政策論議におけるクルーグマンの罪」という卒論を書いているソーマスは、次でもみておきな。
暇なら、これもみとけや。
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10月30日 |
学生の、下記のレポートを読んで、「不確実性」と年金のことを論じた、次の記事も、人任せ教材に入れることにしようかね。
- 「年金問題はなぜもめる?」「あなたの常識をひっくり返す 不確実性の経済学入門」
『週刊東洋経済』2008年9月6日号
思い出させたレポート
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「医療政策は選挙で変える」を読んで
以下僕がこの本を読んで面白かったこと、分かったことや思ったことを書きます。
まず、本書によると「社会保障の基本的役割」とは、市場の分配原則である貢献原則に基づいた所得配分のあり方を家計の必要に応じた必要原則の方向に修正するという事である。これを読んだとき素直に頭に社会保障の基本的役割とはこういう事か~って入ってきました(笑)実際今まで社会保障とか所得再分配という単語を聞いてもピンと来なかったが具体的ないイメージが掴めた。
また、現在多くの経済学者や研究機関等が統計などで集めたデータにより様々なデーターを数値化して現状と将来の予測とを比べ、このままじゃやばいなどと言っているが、本書で重要なこととして述べていることは、果たしてその数値が比較可能なものなのかという事である。つまり、現在の10という数字と将来での10(単位は省略する)は必ずしも同じ価値、意味ではないという事である。よって、将来の予測を立てることは、大抵あてることは難しく、将来の状況をしっかりと考慮しなくてはならないことに関しても頷けた。
次に、メディアなどが何か事が起きると、すぐに我々に影響を与えるが(本書では医療崩壊であった)、それは不確実性というものを我々がしっかりと理解していないからである。ここで重要なことは、不確実性(わからないこと)はわからないものとして受け止める必要があるという事である。医療も年金も根本的には不確実性が原因であるとも知った。
以上が僕が知ったことであるが、これらを踏まえて社会保障を考える上では、やはり根底から構造を変えていかなければならないと僕自身思う。しかし、これには相当の時間を要する。もしかしたら、今アクションを起こしても効果が出始めるのは次の世代からかもしれない。それには、教育が肝であり、教育を受けるもの(最終的には国を引っ張っていく者たち)が共通認識(社会保障の基本的役割)を持って政策を打ち立てていく必要があると思う。老人が生きているうちには成長した姿を見れないリンゴの木を植えるのは、自分のためではなく数十年後の自分の子孫のためであるのと同じように、今我々が出来ることは間違った方向に進んでいる舵を正しい方向に向けることだと思う。 | |
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10月29日 |
昨日、学生のレポートの中に細野さんが登場していたので、次を、人任せ教材に・・・
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2週間前の日吉の産業経済論で話したけど、次の社説を読んで、なぜ、「高齢者や低所得者向けの公的保険はあるが、日本を上回る規模の公費を投じても、国民の3割しかカバーしていない」のか、つまり、国民の3割しかカバーしていない米国の公的医療費が、皆保険下の日本のGDPに占める公的医療費よりも、なぜ大きくなるのかを考えてごらん。
- 社説:米医療改革―対岸の火事ではない『朝日新聞』10月28日
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先日、福島で少し話したのは、次です。
次の配付資料の13頁(PDF4頁)に出てくる話です。
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10月28日 |
先日、放送法の両論併記規定の話になったけど、先週の木曜日締切のⅤ巻に関するレポートで、次のようようなおもしろい感想があったね。
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もっとも興味深く読んだのは両論併記の是非についての部分だった(第19話)。ここではそもそも誤解に端を発しただけの税方式というアイディアが、メディアの「両論併記」癖によって(不幸にして)命脈を保ち、多くの不要な議論が生じている状況が印象深く描き出されている。宮島氏の「現状に問題があるから、予測される多くの困難にもかかわらず、税方式化を望む声が大きくなっている」という認識を、「そもそも最初に誤解があって、問題がないところに問題があるように見えている」と一刀両断する細野氏の返答は胸がすくような明快さだ。 よく考察しないままに両論併記でお茶を濁すというテクニックは小中高の学校教育で身につけたものだろうと、私は勝手に考えている。作文や小論文にしろ、クラスでの多数決にしろ、反対派や少数意見への配慮のポーズを示すと分別のある人物だと評価してもらえるからだ。たしかに多様な価値観・さまざまな意見に耳を傾ける中立性というのは教育の成果のひとつだとは思うが、そういう態度が適切なのは価値判断の水準での議論であって、論理的に間違っている意見まで擁護する必要はない。しかし、「べき論」を避ける土壌の副作用のせいか、私たちは自力で論理的に明確な一つの答えに辿り着こうという姿勢を相当程度失ってしまったように思う。つまりこれはメディア批判の形態をとってはいるが、実は私たちへの「自分の頭で考えなさい」というメッセージでもあるのだろう。私はそう感じた。 ところで先日、とある記者さんとお話する機会があった。その記者さんはもともと医療問題を専門に扱っていたが、現在は昔からの趣味だった科学を専門に記事を書いている。彼女も無暗な両論併記という問題意識は持っていたようだ。一方で、記者は所詮専門家ではないという意識も痛切に持っている。彼女は現在の専門であるサイエンス系の記事を書くために、日夜研究者を訪ねたり文献にあたったりと尋常でないエネルギーを注いでいるらしい。自分の頭で考えるということはとても楽しいことではあるだろうが、やはり大変には違いない。 | 両論併記や放送法に触れている文章は次ですね。
- 勿凝学問207 基礎年金の財政方式、詰んでいるのに両論併記になっている理由
- 勿凝学問370 民主党のマニフェストは、見通しが甘かったのか、それとも… ――09年マニフェストお詫び会見の2011年7月21日
そう言えば、先日の大阪透析医会の後の飲み会で話していた、放送法の両論併記規定というのは、次です。
第3条の2 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。 1.公安及び善良な風俗を害しないこと。 2.政治的に公平であること。 3.報道は事実をまげないですること。 4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。 | この第3条の2の4が、記者さん達を思考停止状態に陥らせている可能性大と僕はみています。 論点を明らかにするのはいいけど、勝敗が明らかな場合は多々あるわけだから、そういう時はいずれかに軍配をあげなきゃ。。 年金の時や、かつてのマニフェストのように、両論併記が罪な場合がある。中立を装って両論併記で終わるのは、放送番組を作るのは楽だろうけど、無責任を通り越して有害。ロジックや証拠に中立でいようとすると、誰かを支持して誰かを批判することになり、立場的には中立でいられなくなったりするもの。メディアが言う中立的報道ってのは、なんか大きく勘違いしているな。今のメディアが意識している中立的報道の下では、無茶苦茶なことを言ったりやったりしたもん勝ちになり、悪貨が良貨を駆逐する動きを加速することになる。 それと、喧嘩両成敗という思考方法も、記者さん達の仕事を楽にさせているだろうね。 喧嘩をしている時に、喧嘩の原因が加害者と被害者という場合が結構あるもんだ。その時に、第三者の立場から両成敗!なんてのはおかしい。 放送とは違うけど、新聞では、昨日の「合意点を探る責任がある!」とか、以前ここにも書いた朝日新聞の社説「退陣3条件-自民党よ大人になって」なんて、喧嘩両成敗的発想に近いものがあるだろうな――まぁ、朝日の場合は過去の我が身の振る舞いに目をつむりたいたいという潜在意識の作用があるかもしれないけどね(笑)。
| まぁ、意見対立を装えば、メディアってのは、どんなにバカげた論でも一人前扱いしてくれるわけでね――やめられないよな(笑)。 喧嘩両成敗に持ち込むというのは、騙しのプロフェッショナルたちの常套手段。今も、テレビの司会者、コメンテイターや、記者さん達は、日夜、軽くやられているよ。この前の内閣改造や党内人事は、そういうスキルが際だった者を、メディアの前面に配したという意味で、十分に機能しているわけだ――参考までに。 |
10月26日 |
棚の整理をしていたら出てきたので・・・ 政治団体が出している新聞社からのインタビューには答えないのですが、他のところで話して、いったん公になった内容を紹介することは、私がとやかくいう話ではない・・・と、インタビュー依頼の電話で応えていたら、なんと公明ちゃんが・・・。あの時は、正直、大ウケ(笑)。
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10月25日 |
昨日の件、「経済学」よりも「経済思想」の方がベターだろうね。
- 「経済思想の系譜における年金研究の位置――福澤の”学問に凝る勿れ”の歴史を超えた意味合い」
僕が、公の場で「学問に凝る勿れ」にはじめて触れるのは、次の座談会の中である模様。
そして、Ⅱ巻の中で勿凝学問の第1作目に位置づけられたのは、30代の時に書いている次の文章だな。
ちなみに、慶應に頼まれてやった仕事は、次にまとめています――お手すきの時にでも。
ところで、時々、慶應の人は福澤諭吉にみんな詳しいんですか?と聞かれることがあるけど、それは大きな間違い。 僕にとっての彼は、歴史上の、おもしろい数多くの人物の中のひとりということ。 次の文章の9頁あたりをご参照あれ。
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10月24日 |
うっ、演題、決まってるのか?
誰か、演題を「経済学の系譜における年金研究の位置――福澤の”学問に凝る勿れ”の歴史を超えた意味合い」に変えておいてくれないかぃ。 まぁ、副題はあってもなくてもいいけどね。 研究所の設立記念シンポジウムだということで、8月に引き受けた当初から、話の内容はこういう感じかなと思っていたんだよな。 ところで、12月に僕に年金を語らせるというこの話、8月8日の「近いうちに」という言葉を信じての人選だったりして。。。 |
10月23日 |
一ヶ月以上前の『年金実務』だけど・・・9月3日号
同じ号の、これもどうかな。
この号、うっかりと、「編集周辺」しか見ていなかった。。。 |
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- 経済を見る眼「税収の推移と見せかけの相関」『週刊東洋経済』本日発売
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10月22日 |
医業健保の話を歯科医師に話したのは、2010年6月のこと――時間というのは、簡単にムダに過ぎる。
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平成22年 6月15日(火) リスファクス 第5618号 慶大・権丈教授
日医と日歯で巨大な健保組合を
菅直人首相や谷垣禎一自民党総裁に「成長のための社会保障の充実安定」を助言している慶應義塾大学の権丈善一教授は12日、首都圏歯科医師連盟フォーラムで講演し、持論の積極的社会保障政策を説いた。 税以外の財源である保険料財源から、より多くの医療費を調達する秘策として権丈氏は、日本医師会や日本歯科医師会主導による全国一本の「医師・歯科医師健保」を設立し健保連に加入してはどうか、というアイディアを披露。「医師会と歯科医師会が共同すれば、パナソニックとか新日鉄よりは大きい保険者ができる。健保連に入り、内部から『支払側』として保険料引き上げのキャンペーンを展開すればよい」と述べた。日医にも既に働きかけ、「これはぜひ、日歯のほうも協力していただきたい」と呼び掛けた。 これに対して、歯科医師連盟側からは「すごい提案だ」と称賛が相次ぐ一方、日医への働き掛けが先に進行しているという点について「こういう構想を権丈先生から伺う前に、日歯から聞かれなかったのが残念だ」(大曽根東京都歯科医師連盟会長)との声も上がった。 | 医師国保の話ではなく、「建設国保の話」は、次の文章の3頁以降の「付録」を参照あれ。
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10月21日 |
一昨日の方々へ
昨日の方々へ
昨日は21世紀臨調の話もでてきたので
さて、ご当地の新聞は、騙しのプロたちの思い通りの論でしたので、参考までに。 まぁ、普通は、彼らのスキルに軽くあしらわれるでしょうね。 |
10月20日 |
とのことらしい
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本日の産経論での配付資料は、次にあります。
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10月19日 |
昨日の講義で触れたママリーものとマルサスもの
ノーベル賞もの3つ
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そう言えば今日だな。
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実は来週の10/16(火)、番組では三党合意により成立した 「社会保障制度改革推進法」に記載されております 「社会保障制度改革国民会議」について議論したいと考えております。
つきましては、「社会保障国民会議」の委員でいらした権丈様に、 そのご経験を踏まえた上で、これから作られる国民会議の在り方や 議論の進め方などについて、ご意見を伺いたいと考えております。 | 返事は、 > ダメもとでのご連絡だと思います(笑)
スタート部分で、私は世間と意見が違い、私の知っている日本語では、8月はじめの時点での「近いうちに」というのは、8月中か、せいぜい9月のはじめくらいまでしか意味しないわけで、「近いうちには、年内」と言わされている段階で、またもや彼ら騙しのプロのペースに乗せられたようなもの。野党みずからが「近いうちというのは、年内」などと言えば、そりゃぁ、テレビはこういう企画を立ち上げて、野党に責任を求めてくることになるだろう。特例公債法もしかり。 与党にとっては、おもしろいくらいに作戦通りと言えば作戦通りだろうが、はたからみれば、ただのバカバカしいだけの話だ。 「職業的詐欺集団」に対して世間はウブすぎで、いいようにあしらわれている――というのが、当方の認識。 「職業的詐欺集団」という言葉については、次を参照あれ。
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10月16日 |
先週の講義で触れたスウィフトの文章――最初と最後、それぞれの1頁と、訳者解説の中で先週紹介した箇所をアップしておきます。
スウィフトがやっていることは、費用便益分析です。HTAとか年金や医療、介護の世代間格差の計算とか、私からみると費用便益分析の一種にみえるこれらの計算を眺めるとき、スウィフトや、スミスが『国富論』一冊をかけてやった費用便益分析という政治算術が、私の頭の中には比較対象として現れることになり、ちゃんとした費用便益分析、損得論を展開するために、彼らだったらどう考えるだろうかと考えてしまうわけです。 |
10月15日 |
ウケた。。。
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10月13日 |
ノーベル平和賞とは?
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誰かが、レポートで「教育が大切」なんて書いていたから、昨日、ついつい雑談で話した検討会は、次にあります。議事録などを眺めてみれば「社会保障教育現場での戸惑い」の様子や、社会保障報道の様子が分かります。
これが、スウェーデンの中学校教科書――教育に関心のある人は、ダマされたと思って読んでごらん。
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10月12日 |
昨日が、Ⅳ巻の感想800字締切。年金に興味を持った人もいたようなので・・・ 次の、資料、のみならず参考文献まで、全部目を通せば、年金周りのことは、だいたい分かります。
次は、人任せでないし、教材でもないんだが・・・読み通す根性がある、あまり合理的でない人に
今年の講義をはじめて半年、そしてⅣ巻を読んで、次のような感想が出てくるのは、おもしろいもんだな。
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医療問題、年金問題の現状を本書で具体的に見ると、どちらの問題においても、根底には同じ世の中のメカニズムというのが働いているように思えた。必ずしも正しいものが順調にすんなりと受け入れられるように、世の中は出来ていないのだ。
政治家は、選挙によって選ばれる。選挙で当選することを目的として動く政治家は、正しいけれども票が減るような政策よりは、誤っていても票が減らないような政策を選択する。それが政治家の価値観というものである。医療問題においては、医療の不確実性を理解していない人々が、メディアによる医療関係者批判に同調し、年金問題においては、多くの人が間違った論に同調していた。その有権者の機嫌をとろうとするのだから、政策が誤った方向に進んでいくのも、ある意味必然であるといえる。
多くの人が誤った論に同調してしまう一方で、落語家の柳家さん八師匠や、彦根東高校の高校生のように、正しい事を理解している人もいる。これは、誰でも時間をかけて考えれば分かる正しさが、世の中で一般的な正しいこととはされていないということの証拠である。しかし、それなら全員が勉強をすれば解決するのかといえば、それほど簡単な話ではない。専門的な領域には、複雑で理解に時間のかかるものも当然ある。自分の一票にそれほどの重みを感じていない多くの人々は、合理的に考えたうえで、勉強して正しさを知ることよりも、無知であることを選んでいる。その結果、メディアの報じる正しくない論に安易に同調してしまうのだ。
世の中はこのように動くのだから、逆に正しい論が多くを占めれば、政治家は正しい政策を選択せざるを得なくなる。世の中のこうした動き方を知った有権者の一人として、まずは誤った政策を進めようとする政党には票を投じないこと。そして、少しでも多くの人に正しい事を伝える影響力を持つ立場に進めるよう、思考訓練期間と思考深度がきちんと比例するように、生涯を通して学習をしていくことが求められると感じた。 | ところで、君や僕が、さん八師匠や彦根東の高校生を知ったのはメディアを通じてなんだよねぇ。そのあたりが、世の中、おもしろいところでもあるわけだ。 |
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10月11日 |
マンデヴィルからスミスに行く前に寄り道をしたゾンバルト・・・あの本の結論は、やっぱり教えておきたかった。。。
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ゾンバルト(1912)『恋愛と贅沢と資本主義』の最後の最後の一文 |
こうして、すでに眺めてきたように、非合法的恋愛の合法的子供である奢侈は、資本主義を産み落とした。 | 合法的恋愛では、ダメなんだろうなぁ、うん。 |
10月10日 |
明日の講義――先週のマンデヴィルに続けば、やっぱり、スミスだろうから、今の『日経』の「やさしい(はずの)経済学」は、読んできておいてください。本題までは、まだまだ距離があるけどな。ただ、マンデヴィルからスミスに行く前に、ゾンバルトにちょいと脱線するおそれ大ではある。
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昨日のマンデヴィルと同じ時代を生きたスウィフトが登場する文章はこれです。 来週は、スウィフトの話でもしようかね・・・と言ったのは冗談。。。のはず。 下記は、ダブリンにあるスウィフトの遺産で作られた精神病院(the
oldest Mental Hospital in Europe)
スウィフトが自ら記した彼の墓碑銘
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神学博士で、この大聖堂の大主教、ジョナサン・スウィフトここに眠る。
激しい怒りももはやその心を引き裂くことはできまい 旅人よ、行って、できることならば、真似るがよい 最も情熱的で、献身的な自由の勝利者を | |
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それと、政策の実行可能性というのは権力集中度の関数だ、と昨日、院の講義(2次会?)で言ったが、ナポレオンの絶頂期のように権力が絶対的に集中していれば、実は、なんだってできるわけで、不可能なんてないんだよ・・・というようなことをどこかで書いていたと思うから、探しておく。 Ⅰ巻1章で、権力の分析をしているのは、そういう問題意識が、昔から根底にあったからでもある。 |
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昨日学部の講義で、ちょいと雑談した「絶望的人間モデルと気概のある異端」の話は、次のⅢ巻序章にあります。
- Ⅲ巻序章 『医療年金問題の考え方――再分配政策の政治経済学Ⅲ』2006年
まぁ、授業は、マンデヴィルの『蜂の寓話』の話だけで終わってしまったけど。。。 「おわりに」に書いていた自画像の話は、あの頃、諸般の事情ゆえに何度も訪れていたオランダのレンブラント・ミュージアムやゴッホ・ミュージアムで、ぼーっと考えていたことなんだろう・・・と思う。 |
10月5日 |
今年の永田町流行語大賞は「近いうちに」だけど、去年は? と質問したら、もう忘れているのがいたな・・・ 「一定のめど」。 世は末を通り越してる。。。 |
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10月4日 |
- 「費用対効果で懐疑派台頭」『医薬経済』10月1日号
とのこと。話題は、「医療技術評価(HTA)の政策利用:諸外国の状況とわが国における課題」
の時のこと。 こんなことを言っていたらしい。
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下記にある、三号問題については次の32-35頁を参照
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次の2頁に、「追記」を挿入。
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10月3日 |
今週の「編集周辺」のぶっ飛び度はちょいと低いかな。。。
まぁ、そういうバカを学者と呼べるかどうかという問題もあるわけでして。 ただ、最近はもう、学者ってのはなんでもありになってきましたけどね。特に年金は。 昔の人たちが作ってきた学者への信頼を、今を生きている我々の世代は食いつぶした感がなきにしもあらず。。。
三号については、はるか昔に話したことを思い出したので紹介しておきます。
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08/07/02 第10回社会保障審議会年金部会議事録
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○権丈委員 年金問題の中で3号ほど政治家が全然やる気がない課題はないようでして、彼らは医療従事者200万人は完全に相手にしていないんですけれども、この1,000万人はすごく怖がっているみたいで、そこをどうやっていけばいいのかという話にはなるんだろうと思うんです。 ただ、この3号が問題だから租税方式にしようとか、パート労働のところが問題だから租税方式にしようという、租税方式を言う人たちの問題の指摘というのはものすごく妥当で、そこから先、租税方式にどのように移っていくという細やかな思考は全部すっ飛ばした形で、「ここに問題があるから、これを全面解決してくれるよ」という形での租税方式を言う、この論理の途中のところはどうでもいいんですけれども、入り口のところの問題の指摘はものすごく説得力があるんです。 ですから、この3号の問題を放置しながら今の制度を続けていくというのは、このまま今の制度に対する不満を延々と抱え続けていきながら、それを直すためには租税方式があるんだという、私は無意味なと思うんですけれども、そういう議論を永遠に続けていかなければいけないことと同じなんだということを、せめて年金局の方々は御理解いただければと思います。 そして、この資料3の中で1つ視点が足りないなと思っていたのが、3号の人たちが実際に就労時間を調整しているかどうかということは、そんなに数が多くないとか、いろいろあるんですけれども、3号を雇用した方が得になるという雇用システムを企業側が選択し、1号で自分は2号になりたいという人たちの生活を邪魔している、労働市場で悪影響を与えている。企業側が就業形態を決めているわけです。彼女たちがいるから、そこで需要を満たすことができるから、そういう就業形態を一般化させていくという、稲垣先生がさっきおっしゃったことと重なるところなんですが、そういう目に見えない形で影響を与えているという側面は私は許しがたい。1号がせめて厚生年金がある就業形態を求めたいというところを雇用形態として抑えつけられてくるようなところで、労働供給をある程度準備しているというようなことで働いているというのは許しがたい。労働市場における負の外部性の1点です。 もう一つは、民主主義プロセスの中で若干私は憤りを感じるところがあって、パート労働の厚生年金適用を支持しますかと問うと、支持しませんと答える人たちが大量に3号の中にいたりして、企業側や思慮の足りないメディアなどがアンケート調査を持ってきて、本人たちが希望していませんという状況で出してくるわけです。労働市場における攪乱要因、そして民主主義的な意思決定における攪乱要因という形で3号というのが機能しているところがある。 つまり、労働市場における攪乱要因、そして民主主義プロセスにおける攪乱要因として、1号、あるいは非正規の人たちの生活というものを足引っ張っているところがある。そして、それを解決するために租税方式にした方がいいという議論を、社会保険の事業主負担を減らしたい企業側が利用したりして、3号制度を強く問題視する労働経済学者などの支持を得て、抜本的な改革が必要だというような雰囲気ができてしまったりすることは、私たちは知っておいた方がいいと思います。 | |
10月2日 |
じぇろとじゃくは見ておくように
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9月30日 |
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9月27日 |
ワークシートの所在
この記事も、参考までに。 |
9月25日 |
次の言葉があるのは、下記の文章
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ふ~ん
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ブックファースト新宿店 |
========================================== フェアタイトル 社会保障について考える ~『厚生労働白書』から~
フェア内容 例年とは異なるユニークなつくりで、「社会保障の教科書」としても充実していると 話題の平成24年度版『厚生労働白書』。第1部「参考文献」掲載の書籍に加え、厚生労働省の 白書執筆担当者が選んだ参考図書約50点を集める。社会保障を考えるきっかけに、 あるいはより深く知るための道標にしていただけるフェア。
期間 2012年9月22日~10月16日
========================================== | 社会保障も、なんだか派手になったもんだ。 5年近く前に書いた下記の文章の冒頭でもご参照あれ――懐かしい話をしておくと、うちの嫁の修論は「社会保障の成熟化と経済政策
: スウェーデン社会福祉立法の統合過程」なんだよな。。。
日医にはじめて頼まれて書いた、上の文章。いきなり、日医を挑発して遊んでいるな(笑)。 そしてこの文章が世に出た2月には、僕はすでに、社会保障国民会議に巻き込まれていて、その後、本当に、『再分配政策の政治経済学Ⅴ』を書くはめになる。 それから、一年半後の2009年8月総選挙の直前には、次
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9月24日 |
予習で、昔書いたものを読んでいたら、う~ん、初出2003年の論文に、アメリカン・ケインジアンのことを書いてることを、自分で発見!?。。。嬉しいやら悲しいやら・・・かな。自分の考えがしっかりとまとまるまで、何年かかる事やら。。。間に合わない可能性の方が高いけどな――寿命にね。 |
9月21日 |
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9月20日 |
えっ、いつもそうでしたっけ.。o
- 15:30~18:30の3時間を想定しておりますがいかがでしょうか(HP上は、2時間半でアメリカンケインジアンの失敗を扱うとありましたが。)。・・・3時間くらいあった方がいいのではないかと考えております。
はい。<(_ _)>ペコッ そのくらいあれば、楽になりますね。 2時間半は、そっちだったか。。。
- 全体討議は、10:00~12:30でお願いいたします。
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9月19日 |
昨日のシンポジウムで使ったパワーポイントです。 スライド20、21は、昨日の配付資料を事務局に提出後に加えたもので、昨日の配付資料に入っていません。
次は、最後のスライドに関係する文章
昨日は、次も配付。
> 昨日はお疲れ様でした。 >
HTAシンポジウムにAKBジャンケン大会と、昨日は重要な催しが盛りだくさんでしたね。
そっ、そうだったのかっ。。。 |
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本日
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9月18日 |
なるほどっ。
偶然にも(笑)、この前メールで送った、11月の入間での課長補佐研修での演題は
持ち時間2時間半ではテーマが大きすぎるので、今年は、「アメリカン・ケインジアンの失敗」あたりに焦点をしぼって話すつもり・・かな。 ところで、去年の秋には、連合あたりで次の記事が流行ったらしい。。。
医療界では・・・次の文の中身は、上記『生産性新聞』の記事をバージョンアップしたようなもの
4年ほど前に、次を書いているな。後日、僕が、ミクロ社会保障論と呼ぶ世界の話。
ミクロ社会保障論、マクロ社会保障論・・・僕が講義用に作った言葉だから、さすがにこの言葉は、世の中で次にしかない模様。
ちなみに、「過少消費論」や「合成の誤謬」という言葉は、日医や日本病院会の役員たちは、いまや普通に知っている言葉であるはず・・・はず・・・そうでなきゃ、怒る(笑)。 次は、今年5月の日本病院会での講演「民主主義、資本主義、社会保障」で使った1枚目のスライド
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先日、ミレーの種をまく人が話題になって、そうだっと思い出して、ついに観たよ。
金ちゃんってのは、桜吹雪の金さんにかけた話だったわけだ(笑)。 でっ、最後の表彰式の会場は、次のシンポジウムの場所だな。
去年、臼杵まで来た人は、みんな観てみましょう。 僕は、金環日食のに、よし、今日なら行けると思って、一日一回放映の所沢の映画館に向かっていたら、事故で西武線がストップ・・・諦めて帰ってきてパソコンを動かしていたら、HDがクラッシュ。コーヒーを飲もうと思ったら、なぜだかお気に入りのカップを落として割る・・・。その数時間後に、携帯が動かなくなり・・・その数日後に携帯は了る。ぜんぶ日食のせいにしていて、なにかと縁遠かった映画を今日観ることができて満足。。。 |
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う~ん、梅ちゃん先生とドロクターの違いはどこから生まれるのやら、だな。。。 |
9月17日 |
下記の参考となるのは、この記事でしょうか。 次もかな。。。2005年には、日経の1面に登場していた模様
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9月15日 |
昨日アップした学問凝勿41の10頁に、「民主主義の運営コスト」という言葉が出てきますね。 このメールは、2005年の郵政選挙直後に、当時いたケンブリッジから、日本を発つ直前にインタビューを受けた記者に送ったメールです。
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学問凝勿41 肥満訴訟よりは勝ち目があると思う年金未納推奨訴訟――および9.11総選挙その後と厚生・共済年金一元化 |
<2005年9月13日送信> ・・・ 余談は続きます・・・ それから、わたくしが、新政権に求めたいことは、他にもありますし、こちらの方が重要とも考えています。 先日も書きましたように、わたくしが今、年金に対して最も大切と考えていることは、次の選挙で、年金を政争の具とした政党が得票率を落とす政治環境をつくることです。 そのために、各省庁のマンパワーをフル活用して、各政党がマニフェストに描いた年金案に肉付けしてあげ、具体的年金案を作りあげる。次に、両院合同会議でそれら年金案の技術的・政治的実行可能性を、公開のもとで広く議論し、どの政党が、毛針で無知な有権者を釣るに似た卑怯な選挙戦略、すなわち実現可能性のない年金案で有権者を騙そうとしたのかを明らかにする。そこで明らかにされた情報を、ひろく有権者に届くように限りなく努め、これからもこの一連の作業を繰り返し行うという姿勢を、野党に知らしめる。そうすれば、次の選挙から、年金を政争の具とすることに、各政党は慎重になるはずですし、与党が勝手に野党の年金案を肉付けして、その実現可能性の低さを公開のもとに議論すれば、野党も、両院合同会議の外にいられなくなる効果も見込める。 面倒ですが、これは民主主義を運営するためのコストです。このコストを負担しておかないと、次の総選挙で、野党が、また同じように年金で仕掛けてくる可能性はゼロでなく、そこでなされる不毛な政争のなかで、年金への誤解や過剰な不信感が国民に植え付けられることのほうが、はるかに大きなコストを求めることになると思えます。年金が政争の具とされると、災難なのは国民。このことは分かっておいてください。 | これが、後に、社会保障国民会議の「公的年金シミュレーション」になります。 もっとも・・・「年金政局の歴史と一体改革」『週刊東洋経済』2012年3月17日号
他にも、次に、「民主主義の運営コスト」は出てきます。
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9月14日 |
「負け太り」という言葉は、2007年の次で使っていますね。
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「焼け太り」に類する言葉として、わたくしは「負け太り」という言葉をしばしば使っている。論者が間違えたことを言っているために専門家の間での論争では簡単に勝負がつくのであるが、論点の専門性ゆえに世間はそのことがわからず、間違えた論者は注目を浴び、功成り名を遂げて、世俗的には成功者となる。自然科学の世界ではいざ知らず、社会科学の世界では、「負け太り」の例は枚挙にいとまがない。 |
権丈(2006)『医療年金問題の考え方』p.182. | この文章は、2006年の下記の年金の原稿に書き込んでいたんだが、文字数の調整のためになくなく削除。下記論文を、Ⅲ巻5章に収める際に、復活させている模様。
他に「退役軍人」という言葉も使っていますね。若い研究者が、年金で一旗揚げようと勇んでいたら、2004年年金改革が!!! グリーンベレーにいたランボーもびっくりなことが起こるのは、予測できる話。
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2005年10月 学問凝勿41 肥満訴訟よりは勝ち目があると思う年金未納推奨訴訟――および9.11総選挙その後と厚生・共済年金一元化 |
さらに厄介な問題は、いつの時代でも面倒な問題として取り扱われる、戦争が終わった後の「退役軍人」の処遇です。・・・これまで年金を専門としてきた中堅、古参の研究者は、今も、そしてこれからも存在する。彼らの言動は、年金論議の攪乱要因として、今後しばらくは存続するとは思います。 また、2004年の年金騒動とここ数年の研究費バブルとが重なったなか、多くの研究機関が、年金をテーマとした研究プロジェクトを立ち上げてもいます。彼らは、決算の都合もあるために、シンポジウムを開いたり報告書をまとめなければならない。この種の動きもちょっとした年金論議の攪乱要因となるかもしれませんね。
こうした背景の下、選挙となると絶対に政権をとることがないと思っている野党までもが、ウィッシュリスト――実行可能性に裏付けされていない政策リスト――を並べ立てて、勝負を挑んでくるわけですからタチが悪い。 | まぁ、昨日も話題になったように、世の中、研究者の責任は問われないわけでね。 以前書いた、「学者は葬式の時のお坊さんのようなもの」という話でもみておいてくれ。 上の「退役軍人」の文章に、「研究費バブル」のことを書いているけど、当時、かなり情報がはいってきたたんだよな、こういうことの。 |
9月13日 |
ばれてる。。。
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『生活保護vsワーキングプア』の著者です。授業で本をご紹介していただき、ありがとうございます。『生活保護 200万人時代の処方箋』は、ひとつの解答編として描きました。・・・ | ありがとうございます。 ということで、読了。 学生の課題が、一冊増えました。 |
9月12日 |
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9月8日 |
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いや、だからね、インタビューとか原稿依頼を片っ端から断っていたら、その中で、知人が、「年金ならば権丈さんのところに行きなさい」と勧めていた話まで断っていたわけだ。それで、謝るはめに(涙)。。。
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出たがり屋さんの真逆の性格ゆえ、みなさんにご迷惑をおかけしております。 できれば、隠れて生きてきたぃ( ̄。 ̄
)ボソ... | その時、どのようにインタビューを断っていたかというと
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> メール拝受いたしました。 >
いやいや、ご隠居の身ですので遠慮させていただきますね。 ・・・ | まぁ、いつもこんなもんだな(笑)。とにかく、年金は、もういいだろぉ。
そう言えば、この記事はおもしろいぞ。あの検討会の場に出席してあの時の様子を見ていながら、この記事を書くことができる日経の記者ってのはたいしたもんだ。それに、この記事、僕は何回読み返しても意味が分からないところがあるんだが、まぁ、いいだろう。意味が分からないのは最後の段落ではないぞ。日経は、ああいう最後の段落の話だけは、どんなことがあろうが、書き続けていかなければならないことは十分に分かってる(笑)。 それにしても、制度の仕組みに対する間違いを、間違えているよと教えてあげたら、「制度の肯定だけに終始」となるロジックは、すばらしいと言えばすばらしいな。このロジックに従えば、ある制度への批判が、その制度の仕組みに対する誤解に基づいていようとも、その批判は正しい批判ということになる。かつて、「日経は未納が増えると年金が破綻するという誤解に基づいて社説を書いたり抜本改革を唱えていた」と責められていたけど、それのどこがどこが悪い?僕らには僕らの使命があるのであって、狙いどおりに国民の年金不信が高まったんだから目的は達成、と思っているのかもな。
そうそう、出たがり屋さんという言葉は、次で使っていますね。
- 新春特集 インタビュー「大切なことは考え抜いた制度を作ること」『年金時代』2012年1月号(No.604号)
天動説を言う人たちは、出たがりさんなんですね。おそらく、出たがり屋という要因とトンデモ論を言える才能、それと僕が学生に小さなウソの陰謀論と話している、何でも厚労省のせいにする厚労省陰謀論を信じる資質は密接な関係があるのではないかという仮説を立てているのですけど、どう思う? | このインタビューには、次のようなことも話しているな。
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そして三つ目は、年金批判論者は絶えず経済界にサポートされ、結果、年金批判論は永続するということ。 ・・・ 小さな枠組みの話で言えば、経済界にとって社会保険の年金制度は外形標準課税みたいなもので邪魔で仕方がない。だから彼らは、社会保険料から逃れる改革を勝算は抜きにして永遠に言い続けます。しかし、大きな枠組みで言えば、福祉国家や混合経済を解体しようと考える議論の矢面に年金制度が立たされているということと関係します。 | |
9月7日 |
んっ?勘違いしてるな。 たしかにいろいろと断っているけど、下記の社会保障教育の雑誌企画は、断っていないよ。 まずもって、僕のところに依頼が来てない・・・でっ、連絡が来たのは、企画打上の話だけ。 僕は好きだねぇ、こういう適材適所を見極めるセンスをもつ編集者さん達は(笑)。 打上のお誘いへの僕からの返事。
- なんの連絡かと思ったら(笑)
いつもの○○○寿司なら、つきあうよ。 |
9月6日 |
12月のシンポジウムではじめて会うことになるのですが、次を読むと話が合いそうな気がします。。。
『年金時代』今月号のどこかに登場されている方に、先日出したメール。
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出たがり屋さんの真逆の性格ゆえ、みなさんにご迷惑をおかけしております。 できれば、隠れて生きてきたぃ( ̄。 ̄ )ボソ... | |
9月5日 |
臼杵に行ったのは、ちょうど3年前の今日だな。
- 2011年10月27日
基調講演「いかにして社会保障を守るか」『介護サミット
in うすき』+PDF21頁以降「会場スナップショット」
政権交代をした与党にかかわっていたら私の人間の品性が落ちるだけと判断して、総選挙の翌日には政府の仕事に辞表を出しました。そして、この辺りの話を理解でき、当時私が何を考えていたのかを分かる人はそう日本中に多くはいないのですが、あの時、臼杵に厚労省から出向していた友達が、僕の心中を察して臼杵に遊びに来ませんかと誘ってくれたので、総選挙8月30日の翌週9月5日6日の2日間、私は臼杵で過ごしているんですね。あの日は天気がよく、ポルト蔵の外の芝に椅子を出して、9月の月明かりの下で飲んだ酒が美味しかったこと(笑)。 | 手帳をみると、その後13日まで福岡にいるな。Pと古賀で待ちあわせして久山温泉に行ってるのは22日。あの年、いきなり長男になってしまって、頻繁に福岡に帰っているみたいだ。。。その後少し落ち着いて次を書いている模様。
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ちなみに、私がこの国で唯一なしとげた仕事は・・・
下記3頁の「計数感覚に欠ける善良な市民」参照
他
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174-衆-厚生労働委員会-3号 平成22年02月19日
○菅原委員 この議論をやっていると、多分一時間も二時間もかかると思います。何でこんな議論をするかというと、やはり五兆五千億というのは大きいんですよ、来年本格実施した場合。
大臣、五兆五千億を一万円札で束ねたらば、どのぐらいの高さになるか知っていますか。
○長妻国務大臣 わかりません。
○菅原委員 では、教えましょう。
一万円札を束ねると、一メーターで大体一億だそうです。五兆五千億ということは、五万五千メーターですよ。富士山の高さが三千七百七十六メーター、その十四・五倍の高さの一万円札。これを、あなた方が今財源を示さないということであれば、赤字国債を発行してそれで賄うという論理も打ち立てられるわけですよね。つまり、借金して五兆五千億、それを子供に出す。
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9月4日 |
これは、年金に関する情報の伝達問題
「記者の耳」に記されていることは、傍聴席の記者さんも参加して発言をするという、私も見たことのない不思議な検討会の様子です――司会は僕ですが。。。 細野委員も言っていたように、8月14日毎日新聞の1面の記事「年金の将来 信じない」は、まぁ、数年前だったらありだったかもしれないけどね。なぜ、こういう記事が出てきたのか?という疑問に対する私の仮説は、お盆休みで書く記事がなかった上に、年金を知っている人はお盆休みだったんだろうというものでしたけど、いろいろと入ってくる情報を総合すると、真相は、年金の素人さんが書いてしまい、それが縦割り組織の中でスルーしてしまったというもののようですね。まぁ、年金周りでは、こういうことは、各紙、おもしろいほどによくあることです。 参考までに
そうですね、次もご参考までに
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「絶対最強の公務員」なんているはずがない |
端的に言えば、報道機関による不適当な報道でこうした誤解や思い込みが広がっていくのですが、我々が普段接する批判というのは、こうした誤解や誤報に基づくものがほとんどでして、結局報道機関のミスのつけは公務員に回ってくることになります。公務員というのは、そうした誤解や誤報に基づく批判を正面から受けなければならない一方で、その誤解や誤報を指摘すれば「言い訳がましい」とさらに批判を強められてしまう立場ですので、基本的には平身低頭して不快・不満な思いをさせてしまったことをお詫び申し上げるしかありません。これで通常の精神状態を保つというのは、少なくとも私にとっては至難の業です。 | |
9月3日 |
どもな。なるほど、こんな検索システムがあるわけかぃ。
>
何のお役に立つのかちょっとわかりませんが。。。
最近、僕らの周りで話題の「年金に関する情報の生成、伝達問題」を考える上で、「情報戦は資金力が制する」という昔からの僕の仮説を確かめたくなってね。 なるほどね。
文科省って、まぁ、無邪気なところがあるんだよな。
ところで、私は、昔から、下記の太字のようなことを考えている人間。
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学問凝勿25 混合診療論議を題材とした政治経済学っぽい遊び
PartⅡ |
研究者を育てる大学院のような専門家教育というのは、業績を上げなければならないという世俗的義務・世俗的欲求の中にあっても、データ改竄の欲求に生涯負けてはならないという最も初歩的なことをはじめ、人のアイデアはちゃんと出典を明示せよとか、分析の解釈は禁欲的であるべきことを忘れるなとか、自分がやってきたことに意味がないことが分かったら意味ありげに発表しない、間違いであったことが分かったら潔く認めることのできる胆力を鍛えると同時に、ひとつふたつテーマがつぶれても笑っていられる余裕をもつようになどなど、教育の半分はお作法という名の職業倫理を教えているようなもの。 | 「世代間の利害調整に関する研究」の報告書の中に、我々が批判した年金バランスシートの論文が、一文字も修正されることなく掲載されているのを見て以降は、院生に、「若いときは、あんまり研究費をもらうな。君らの頃は、結果がどうなるか分からないくらいのことを考えた方がいいわけで、結果が芳しくなかった時、研究費をもらっていたら身動きがとれなくなるぞ。社会科学における研究費というのは、弊害の方が目につく」と、時々言うようになる。 メディアの世界でも、一ヶ月後に年金で記事を書きなさいと指示を出された若い記者なんかは、同じようなものかもな。勉強して分かったんですけど、年金ってみんなが思っている程のものではありませんでしたよ、などという記事は書けないでしょうからね。 |
9月1日 |
昨日話題になった研究プロジェクトは、次ですね。
- 世代間の利害調整に関する研究(文部科学省)
研究成果の概要 |
1.日本における公的年金の現状をバランスシート・アプローチによって解明し、過去拠出にかかわる超過債務600兆円超をいつ、誰が、どのような形で、どこまで圧縮するのかについて具体案を示し、それと2004年の年金改正法との違いを明らかにした。 2.・・・ 3.・・・ | この研究は、2005年くらいに幅10センチに近い、赤い表紙の報告書にまとめられていたと思うのですが、ネットでは見つけられず。 なお、上記の研究プロジェクトが、次に引き継がれる。
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「社会保障を考える」――これまで何度も、編集者たちから書いてくれと頼まれてきた書名だな(笑)。
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8月29日 |
最近は、年金に関する情報の生成、伝達問題を考えていると、メディア論、
民主主義論に加えて、組織論にまでなるという話になっていたんですが、初出が2003年の年金の論文――年金について私がはじめて書いた論文――の中で、すでに「年金と民主主義」の話を書いていたようです。
- 年金改革と民主主義「年金改革論議の政治経済学」『年金改革と積極的社会補諸政策――再分配政策の政治経済学Ⅱ』
もっとも、年金を政争の具として利用し続けるために、アクチュアリーをひたすら遠ざけた政治家を抱える国には、関係のない話ではある。 ところで、ある新聞社の縦割りの問題がトンデモ年金記事の掲載につながったということが話題になった先週の金曜日に、送ったメール。
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下記の「オフサイドトラップ」という言葉は、2008年11月3日に書いた次に最初に出てきますね。
そして、2009年8月30日、総選挙が行われた夜
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8月24日 |
ドトールで話した、「学者は、葬式の時のお坊さんのようなものだから」ということは、次に書いていますね。
- 学問凝勿347 僕と政治学者の違い、再考――北大シンポ再考をきっかけとして
とにかく、研究者は政治家がつけいるスキを無防備に作りすぎである。北大シンポの時にも話したように、政治家ってものは、学者のお墨付きがないとなかなか動けないもの。お坊さんがいないと葬式ができないようなものなんだから、財源の裏付けのないことを言っている政治家には学者がオフサイドトラップをかけて協力しないでいれば、政界はかなり改善する。 | 年金も、最大の問題は、少子化やデフレではなく、学者――年金を政争の具にする政治家にお墨付きを与えてきた学者の存在にあることは、当たり前。彼らの責任を問わないということは、学者を一人前の人間扱いをしないということだから、それこそ失礼な話。ほとんど年金で政権交代が起こり、それが今のこの国の状況に至っているわけだから、あの党の年金戦略を支えた人たちは大した業績とは言える。
昨年書いた次で、「自分の論は自分で責任をとるしかないと腹を決め」というのは、年金に関わる学者たちが、あまりにも無責任であった様子を――当時は運用三号問題をはじめとした民主党の年金の取り扱いを――ながめながら出てきた言葉。
当時、私がどういう感想を抱いていたかは、次でもご参照あれ。ただし、当時はまだ我慢して、批判は政治家にとどめている。
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8月22日 |
8年ぶりに、年金バランスシートのことを書くことになる。
参考までに
年金のバランスシートについては、高橋洋一さんの『バランスシートでみれば、世界の仕組みがよく分かる』(2010年、光文社)にある「年金のバランスシート」(149-157頁)が参考になります。そこには、バランスシートでみれば、「年金は決して破綻しない」(149頁)こと、「日本の年金は意外に健全」(153頁)であることが記されています。 |
8月20日 |
俊ちゃんの「国はバラバラという感じ」には大ウケしました(笑)。いろいろと芸達者な方々からの、百恵さんの「いい日旅立ち」、サザンの「C調言葉に御用心」など、楽しませてもらってます・・・が、この世相の奥深い原因たる、あの曲が未だ届かず。 それは、日本レコード大賞を受賞したあの国民的名曲?――ピンク・レディーの「BSO♪」
それにしても、地域医療の話だと思ってみてたんだけど、かつての国民的ご近所ドラマ「ありがとう」にしか見えないのは僕だけか・・・ |
8月17日 |
ライバル出現?
- さて、中森明菜といえば松田聖子、と私の世代くらいまでの者はどうしても対にしたくなります。・・・
「夏の扉」あらため「政乱の扉(?)」(読み人知らず)
税を上げた私に 違う党みたいと あなたは少しキレたよう 横を向いていく あれは全部ウソだったと わかってほしかった あなたはいつも票読みの ヴェールの向こうぉねぇ♪ 不信
不信
ふし~ん 夏の国会荒れて この国どこへ連れて行くの? ○○○ ○○○ ○○~○ 夏の政界荒れて 新たな詐欺師手招きをするぅ♪ | |
8月15日 |
>先生ご無沙汰です。 >仕事のウエッブの更新頻度から見て、夏休みをエンジョイされているようで何よりです(^^
では、ひとつ、更新しておこうか。
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先日、帰省したら、 両親仲良く、娘の感想文を当てごっこをして盛り上がっていました(笑) 見事、的中でした。 | こういう平和、末永く続きますように.。o○ |
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掲載許可、ありがとうございました > 健マネの学生さんと飛び入り参加の方々 雲仙に送りました。
えぃっ!と思い切って参加して良かっただろう > 健マネの学生さんたち だいたい、僕が思いつく遊びがおもしろくないはずがない・・・この一点だけは、子供の頃から誰よりも鍛えていた自信があるよ(笑)。 |
8月10日 |
- 私の世代の夏の代表曲で、以下のようなものを捻り出しました。
朝日新聞のあの記事を読んで、鳩山元首相に対して本当に腹が立ちました。 容赦なくご採点いただければ幸いです。
「ルーピー(浪漫)飛行~鳩山バージョン~」
「選挙に勝つことだけ」が 何よりも大切だよ 「政策」の裏側にある「財源」に 眼を「背けて」 夢をみてよ どんな時でも 全てはそこから 始まるはずさ 「年金」と出逢ってから いくつもの「選挙」を「勝ち続けた」 はちきれるほど
My 「議席」 「年金」一つだけで「政権与党」へ In The
Sky 飛びまわれ この「マニフェスト」 | 史実をみごとに捉えているので、この学期は「歴史」科目A。。。 Desir未提出ゆえ、「音楽」は未受験ということで♪
- 先生から「desire」の宿題をいただいたと勝手に理解しながらも、提出できておらず、申し訳ありません。
「まっさかさまに落ちて?? 炎のように燃えて 『マニフェスト』」の部分しか思いつかず・・・ ・・・実際に選挙が終わった後でなければ、「作詞の神様」が降りてこないのかもしれません(笑)
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付け加えれば、次は、「2番じゃないとダメ」と言って引き受けた仕事でもある。先方の案は、私が1番だったもので。
- シンポジウム「医療技術評価(HTA)の政策利用:諸外国の状況とわが国における課題」
- 権丈「研究と政策の間にある長い距離――QALY概念の経済学説史における位置」
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最初に福田先生が30分、その後、池田さんが彼らが直面している問題を5分から10分間話をして、私が彼らの問題意識を引き継いで話をする。 これがベスト・・・といいますか、この順番とチームワークでしたら、引き受けます。 | |
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そう言えば、二階堂のコマーシャルが出てくる文章に、2004年に書いている次があったな。
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8月9日 |
どうせ、一度限りの人生なら、おもしろい世界の方が絶対良いに決まっているという読書法だろうな。ただし、この世界では、人生の短さを、日々ひしひしと感じることになる。また、「同じような考えの研究者は他に?」と問われる度に、「みんな死んでる」と答えるしかなくなる世界でもある。 なお、時々、現世から声がかかって仕事をさせられることになるわけだが、次などはそのひとつ。
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8月6日 |
- 経済を見る眼「年金債務超過話の震源」『週刊東洋経済』本日発売
参考までに
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人口は増えているようだから調べてみると、この町の平成17-22年の人口増加率は7.4%、全国1786市町村の中の34位タイの伸び率。福岡県下では、粕屋町に続いて2位の伸び率。
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8月5日 |
コロニー雲仙への僕からのお土産は、知っている人しか知らない、これ。 このお店は僕がこの町にいた頃からある店で、あの頃は、一応商店街の中にあったわけだが、今は、周りにお店が一軒もないし、隣を走っていた勝田線の線路もなくなってる。。。とはいえ、本当かどうか知らないが、あのお店は知っている人には人気の模様。
でっ、君らがみた町のシンボル?の縦坑は、次だ――まぁ、昔は、俺ら、がきんちょのただの探検の場所だったんだけどな。
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8月4日 |
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時間:2012/08/04(土) 18:05
神の使徒 ------------------------------------------------------------ 題名: Re:2012年度 右腕カップ 内容: プレイヤーの皆さん、あなたたちの闘いっぷり、しかと見届けました。 テーマが見つからない、そもそも論文なんてどう書けばいいかわからない、5000字以内に収まらない、 数々の壁があなたたちに立ちはだかったことでしょう。 そして、その壁を乗り越えることができるのは数少ない者達なのかもしれません。 しかし、あなたたちはその壁を必死に登りました。その過程であなたたちは立派な「右腕」を手にいれたことでしょう。これからも壁は続きます。ひたすら乗り越えるのです。そうすることでしか私たちは前には進めないのです。
眞栄(じんよん)、2012年度「右腕」の称号は貴方のものです。
その称号にふさわしい活躍を期待しています。 貴美子、惜しくも左腕でした。2位というジンクスからはなかなか抜け出せません。 私のように・・・。ですから貴女にはこの壁を壊してほしいものです。
それでは、私は来年の右腕カップ開催まで天界に戻ります。 さようなら。また会う日まで。あなたたちに神の御加護があらんことを・・・。 | ぺらぺらしゃべるのは、 の仕事だ、ボケッ。
まぁ、お疲れさん(笑) |
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一応、おバカがこんな形で受け継がれていることも紹介しておこうかね
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実況中継 ------------------------------------------------------------ 題名: Re:2012年度 右腕カップ 内容: 勝者は崔眞栄だ!!!!
決勝戦は崔眞栄と狩野貴美子の戦いになる!!!! 栄光を勝ち取れ!!!!
あと一戦しかないと思うと、実況赤坂の胸には、熱く燃え上がる気持ちと、ちょっぴりさみしい気持ちが混在しているんだ…… そんな赤坂を満足させてくれるような、決勝にふさわしい試合を期待しているゾ!!!! | おまけ――僕にアホと言われた気弱な神の使徒
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神の使徒 ------------------------------------------------------------ 題名: Re:2012年度 右腕カップ 内容: >アホ、審査発表は2日目の夜だ。
おお、不届きな私をどうかお許しください。
忠実なる神のしもべのさまよえる御魂をいまここに呼びもどしたまえ!! | |
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神の使徒 ------------------------------------------------------------ 題名: Re:2012年度 右腕カップ 内容: 本来は23時にアップするものですが、 もしかしたら本日の日中に出発する3年生もいるかと思われるので…
決勝戦、
崔眞栄VS狩野貴美子
を開始します。両者は本日中にペーパーをアップしてください。
尚、優勝者の発表は合宿の一日目夜に行う予定です。ですので、審査員のみなさんは、ペーパーを読んだらどちらが2012年度右腕にふさわしいか、考えてをまとめておいてください。 審査員は5名いますので、先に3票入った方が、「2012年度右腕」の称号獲得です。
ああ、ここまで登りつめた強きものたちよ、あなた方に神の御加護があらんことを… | アホ、審査発表は2日目の夜だ。 |
7月31日 |
こいつら、アホだな(笑)・・・ゼミ掲示板より
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時間:2012/07/31(火)
10:50 18きっぷ組はそろそろ首都圏を脱出したころでしょうか。
私は今日の長崎行き最終の飛行機に乗ります(スカイメイト万歳!) 明日、一日かけて長崎を回ってこようと思います。 今日と明日は(人生初)野宿の予定。。。 |
時間:2012/07/31(火) 13:57 >
今日と明日は(人生初)野宿の予定。。。
駅の近くに泊まると何かと便利だよ笑 |
時間:2012/07/31(火) 14:57 >
駅の近くに泊まると何かと便利だよ笑
命を左右するほどの助言だったりして。。。 多謝!!m(_
_)m | でっ、 > 今度9月より2か月ほどインドの北西部の都市ジャーランダーというところで、 > マイクロファイナンスのインターンシップに行くことが正式に決定いたしました。
了解。インターンシップでも、いろんなものがあるもんだな。。。 まぁ、その前に、センさんが君の右腕になれる奴かどうか、ちょいと審査でもしておくことだな。
それと、Tさん@僕の出身町の町会議員さん、参加オッケーです。 コロニー雲仙から > 権丈先生とお知り合いの方であれば、是非、2日からお越しくださいとお伝え下さい。 > (ただ、マイクロバスには乗れませんので、マイクロバスの後ろをついていただくように > なりますことをご了承下さいませ)
マイクロバスは、僕らでいっぱいいっぱいのようです(笑)。 |
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昨日話しました来週の合宿は、次のような日程です。
昨日お約束しましたように、お嬢さんをはじめとした学生くんたちが無事研修を終えることができますように、しっかりと働いて参ります(笑)。 こればっかりは、長崎まで行かないとならないものでして。春からみんなバイトをやって旅費を貯め、しかも、現地集合にしているので、青春18切符でくるもよし、自転車で来るもよし。。。 今回は、免許証忘れるなよ > 椎野
ということで、今年は、イエスタデーに行けなくなった > 卒業生 11年連続だった記録がとぎれてしまったよ。 機会があったら出かけて、スティグリッツおじさんによろしく伝えておいてくれ。この前、紀伊にあったら、あいつは、春にイエスタデーに行ったと言っていたが、紀伊と一緒に行く必要はかけらもないので、あしからず。。。
でっ、8月3日の夜は――みっくから
- <夕食について>
・五大グルメから七大グルメに変更。 ・団体プランの特典を利用し、カラオケ(120分無料)を予約。 ・同じく特典で、花火セット(5名につき1セット)がもらえるので日本庭園で花火ができます。
120分無料は、やっぱみんなで、永遠のウソとセカンド・ライかね♪ そういえば、ずいぶんと前に次の連絡が来てたんだけど・・・・・まだだね(笑)。 > 先生から宿題をいただいたと勝手に理解して、次は、中森明菜「desire」に取り組みます。(笑) |
7月29日 |
昨日の日本病院会常任理事会で配布した資料は次です。みなさんの地元で大いにご利用ください。
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7月27日 |
農耕民族国家日本の保守の位置と、狩猟民族国家の保守の位置は自ずと違うものという話は、政権交代直後に政治家さんたちの勉強会で話をしていることですね。
話は違うけど、次もどうぞ。
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7月24日 |
次は、高校生向けの教材ですけど、医療関係者主催の地域での勉強会でも使うことができると思います。
ここにあります。
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7月22日 |
参考までに
まぁ、社会保障教育のHPは、人に教えてもらって知ったんですけどね。。。
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年金実務の座談会を拝読しました。 分量も、内容もたっぷりで、非常に読み応えがありました。 リハビリはもう終了ですね(笑)
また、厚労省のホームページについに社会保障教育のコーナーができたのもすばらしいと思います。 http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/kyouiku/index.html
ワークシートもイラスト入りのものがアップされていて、興味深く拝見しました。 しばらく検討会が開かれていませんが、再会を楽しみに待っています。 実際の授業現場をみることができたら、おもしろそうですね。
そういえば、年金シニアプラン総合研究機構の理事長に堀勝洋先生が就任されまして、・・・・・・。 | 教育検討会のHPが公開されていることを始め、いろいろと貴重な情報をありがとうございました。「・・・・・・」のところは、分かる人には分かる話ですね。 でっ、たぶん、ずっとリハビリ中だよ、後遺症が重くって。それと、眠っていた検討会、再開するという噂もあります・・・ |
7月20日 |
人任せ教材です
市役所の人が言うことは聞かなくてもいい、聞かない方がよかったということになるのは、まずいですよね。 私たちが言う、「正直者が馬鹿をみるルールの変更」を、違った角度からみた論ですね。 上の長沼さんの文章は、次の「人任せ教材」に加えさせて頂きました。
個人的には、今から30年前の1983年に次のような、志木市議会に対して反体制的な(笑)元気のある本を書いていた長沼さんが、20数年後に志木市長になるまでの過程に興味がありますね。それに、『議会は自転車に乗って』の復刻も願いたい。こういう元気になる本は、若い人たちに読んでもらいたいものです。
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長沼明さん(1983)「エピローグ・あとがき」『議会は自転車に乗って』 |
20代の若者が50代の大人と肩組み合う光景というのは、どう考えても尋常ではない。若者が堕落するか、取り込まれるかしなければ、あり得ない光景ではないか。 復帰後も、これまでの基本的姿勢を変える気はさらさらない。従来の政治スタイルが勝つか、「ふだん着の政治」の主張が受け入れられるか――地道な戦いの始まりなのだ。 | 昨日も昼ご飯の時に話したように、今は良い味を出しているおじさんたちは、君らの頃には、とんでもなく元気だったもんだよ。尾辻さんの『ボッケモン世界を行く』も復刻してもらいたいものです。 |
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これが、以前話した調査――下記の「問」をみて、違和感がない君は今期の成績Dだろな(笑)。
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武川正吾「2000年代の社会意識の変化」武川正吾・白波瀬佐和子『福祉社会の意識と調査』 | この本、8章の白波瀬さんの「若者の社会保障への期待」は、社会保障教育に携わる人たちには一読の価値あり。 付録
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7月18日 |
教材のひとつとして
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7月17日 |
下記、倉田聡先生が引用されている私の論文をアップしておきます。
- 「社会保障と経済政策――平等イデオロギー形成の事実解明的分析」『日本の社会保障と医療――再分配政策の政治経済学Ⅰ』(2005年〔初版2001年〕)
- この論文の初出は1992年でちょうど20年前に書いたもの――ということは基本的に20代に考えていたこと。そしてこの論文は、次の文で終わっている。
強固な労働者組織とは違った形で、平等であることを正義と主張し、資本に桔抗することができるだけの政治勢力が生まれてこないかぎり、日本が高福祉国家のような大規模な社会保障政策を展開することは、夢のまた夢とみなさざるを得ないのである。 | 三つ子の魂百までではないが、この論文を書いた後の20年を振り返ってみると、あまり自覚はしていなかったけどどうも私がやっていたことは、医療界が福祉国家展開の柱となることを期待し、医療と労働の連携を図って経済界に拮抗する力を作ること、およびその際に要する「経済政策としての社会保障」の経済理論を継承発展させていくことであった模様(年金や財政は巻き込まれたという状況に近い)。
- 医療界、労働界の現状を眺めると、それも、夢のまた夢で終わる可能性が大ではあるが――まぁ、今、連合の中で「合成の誤謬」という言葉が流行っているらしいことは良い傾向(笑)。
ちなみに、今日書いていた原稿のタイトルは「社会保障としての国民皆保険制度――皆保険という不安定な政治均衡」。主題は編集者より指定されたもので、副題は書いた内容を鑑みて私が付けたもの。
- なお、再分配政策の政治経済学シリーズのⅠ巻に、「Ⅰ」を付けたのは第2版を出した2005年。
- 付録――Ⅰ巻に収めて、このホームページで紹介している他の2つ
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来週、皆保険に関する原稿の締切があるために、久しぶりに倉田聡先生の『社会保険の構造分析』を読み返す。 う~ん、読んでいて、そうだそうだと思える文章の脚注に、自分の文章から示唆を得たというのがあったりするのは、前々から妙なものなのだが、そういうのを今日はひとつ紹介。
法学者であり、一度も会ったことのない倉田先生の本に、私は何度も登場するわけだけど、私が言いたいこと伝えたいことを、本当によく理解されているわけでね。 彼の本を読んでいると、私とこういう議論ができる人は、他にはなかなかいないだろうと思える。 倉田先生については、次を参照。
- 権丈(2007)「おわりに」『医療政策は選挙で変える―――再分配政策の政治経済学Ⅳ』
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7月15日 |
前々から紹介しようと思っていた、もうひとつ。
以前から言っているように、「助け船」なのか、それとも「ごね得」なのかは、次の選挙の結果が出るまで分からない話。過去の言動を鑑みれば、彼らが次のような行動に出るところまではほぼ100%予測できていたわけで、その上で、将来を読まないとな。
上の記事の中の、「最低保障年金の議論は「棚上げ」されたが、そのことでまた、年金が政争の具とならないか。それが心配だ」・・・・・僕流に表現すれば、「ごね得」の結末になる事態を心配しているわけだな。
次は、6月の半ばに知人に出したメール。
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Sent: Saturday, June 16, 2012 12:17
PM Subject:
世の中の評価
そういえば、先日テレビをみていたら、街頭インタビューに答える人が、「年金は、せっかく期待していたのに、野党のせいで、できないらしいじゃないですか。残念ですねぇ」と答えていて、司会者も、国民に優しい民主党の政策を、自民党が邪魔しているという雰囲気で話をしてたな。2009年総選挙の後遺症は、まだまだ続きそうだよ。
このことを、知人に伝えると
先生そうすると、中間派の切り崩しのために、 「このまま修正協議に乗らずに、最低保障年金創設で突っ張ると、いずれ張子の虎がばれて、来年の総選挙で大敗します。 むしろ、自民党の路線に乗って、自民党のせいで最低保障年金を作ることができなくなった。 次の選挙で勝たせてくれれば、ちゃんとやりますと、言った方が選挙に有利ですよ」 といって、説得した方が今回の一体改革は成立してしまう(そして、粉飾マニフェストは引き続き命脈を続ける) という倒錯した世界が成り立ちうるわけですね。。。
確信犯的嘘と、恥も外聞もなく、国を考えない破廉恥行為をモノともしない心があれば、幾らでも大衆は騙せるという社会実験はまだま続いてしまいそうですね。
この国の事を本当に憂います。 | | まぁ、仕方がない。
追記 社会保障制度改革推進法案における改革国民会議に関して、重要な1行をメモしておきます。
これは、民主党からの要望で付け加えられた一行。 |
7月14日 |
そうかぃ、大阪で会ったかい。
- > 少し調べた程度なのですが、浜田さんは厚労省担当や社会保障担当をされていたのでしょうか?
ちょうど、このページで紹介しようと思っていた記事が先月から頭の中にあったんで、いい機会だな。
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(社説余滴)政局の波間に溺れそうだ 浜田陽太郎
(2012年06月28日)
「社会保障と税の一体改革」をきっかけに、新聞やテレビは連日、民主党の分裂騒ぎ、与野党の駆け引きで大いに盛り上がっている。 物事を決めるのは、権力を握った者たちだ。その攻防について読者に関心をもってもらう意義は大いにある。 とはいえ、控えめにいっても、「誰が、どう権力を握ったか」と同じくらいには「何が決まるか」は大切だ。 だが世間の関心は、そうバランスよく配分されない。 とくに一体改革の目玉、子育て支援施策の「知られてなさ」はちょっと問題だ。 日本社会の危機の根本には少子化がある。そこに手を打つため、民主、自民、公明の3党が合意したのは、保育分野で「戦後最大」とも評される重要な改革だ。 ところが、政局報道のなかでは「民主党の看板政策である総合こども園の創設は、撤回させられた」のひと言でかたづけられてしまう。そこだけが切り取られ、権力闘争の材料として流通する。 いつものことだが、社会保障が政治の表舞台にあがると、政策の中身は「緊迫した政局」に埋没してしまう。 逆にいえば、政争の具になってはじめて、社会保障は政治の表舞台にあがる。悲しいかな、年金も高齢者医療もそうだった。 なぜだろう。社会保障報道に携わって13年、埋没しっぱなしの私はこう考える。 一番の理由は、政治家たちの権力闘争がおもしろすぎるからだ。魅力的な(?)悪役もいて、他人のケンカ、格闘技として楽しめてしまう。 それに比べて社会保障は地味で複雑でわかりにくい。 それは、世の中にある複雑で多様な利害や価値観をのみ込んでいるからだ。「子育て支援」も例外ではない。 保育所と幼稚園、それぞれに歴史と政治基盤がある。 「女性の社会進出のために保育所不足を解消せよ」という主張は、「子どもは親が家庭で育てるべきだ」という考え方の人には納得しにくい。 主権者たる国民が、複雑さの奥にある本質に分け入って「政策が、自分の生活にどう影響するか」を考える。報道とは、そのお手伝いをするものと思っている。 ナイーブすぎる? 有権者が政策の中身を理解して投票するなんて絵空事? でも、そこを信じなければ、私はこの仕事に意味を見いだせない。だから政局の波間で溺れないよう、水をかき続ける。 | でっ、次の記事。写真撮影者の名前をみてみな・・・太田さんと、他に誰がインタビューに来ていたか分かるだろう(笑)。場所は、うちの嫁の研究室。三田までは遠くって。。。
大阪で学んでいる彼が登場する文章は、次かな。留学先で、僕が授業で何を話しているのかを把握していた模様。文章の内容は、政権交代後、最初の講義で、僕が話をしたこと―――当時、何を言いたかったのかは、今ならみんな分かるだろう。
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7月13日 |
昨晩話題にのぼったスウェーデンの中学生教科書のほんの2ページ分
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小ピットが出る映画
講義の中で紹介した文章
企業家の動機とは?
縁付エジワースボックスの開発経済学への応用に興味のある人へ
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> HPで紹介させて頂いてよろしいでしょうか? > 「誤解を解く骨が折れる仕事」に、とても有益なブログかと存じまして・・・。 ということで、紹介許可を頂く。
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7月12日 |
五月雨式にメールを出すのもなんですので、思いついたらここにアップしておきます。 お手すきの時に眺めてもらえれば、「あぁ、昨日のあの時の話のことか」と、思いだされるはず・・・なんですが。
また、思いついたら、上のリストにくっつけておきます。 |
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相変わらず、ぶっ飛んでますねぇ。
付録
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追記
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7月10日 |
夏合宿下見隊より
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雲仙の下見から帰ってきました。
今回は吉岡理事からコロニー雲仙のおおまかな説明を受けた後、
・花(単独型短期入所) ・ふたば(宿泊型自立訓練) ・グループホーム、ケアホーム群さいごう(共同生活援助、共同生活介護) ・わくわく(生活介護) ・味彩花(就労継続支援事業A型B型) ・コロニーエンタープライズ(就労継続支援事業A型B型) ・いこいのひろばおおぞら(生活介護) ・更生保護施設 雲仙・虹 ・トレーニングセンターあいりん(地域社会内訓練) ・長崎能力開発センター(職業訓練施設)
を見学させていただきました。 これだけの数の施設を見て回ることができたのも、町のなかに大きな施設が点在するのではなく、 町そのものが生活の場になっており事業所それぞれが非常に近い距離にあったからだと思います。
正直、あっけにとられてしまいました。 これがこの雲仙では当たり前の光景であるということは信じられませんでした。
私のおもしろくないパワーポイントの発表を聞いて頭で理解するよりも 実際に見て感じることの方が何十倍も良いと感じます(-_-;) | 吉岡さん、うちの若い衆がお世話になりました。ありがとうございました。 でっ、 > 私のおもしろくないパワーポイントの発表を聞いて頭で理解するよりも > 実際に見て感じることの方が何十倍も良いと感じます(-_-;)
何十倍?・・・何千倍、何万倍だろ。。。 |
7月7日 |
先日の卒論報告で、学生が引用した文章があったので、全文を私に送るように頼む。 でっ、ごくろうさん。
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おはようございます、13期の末永です。 間さんの文章をpdf化しましたのでお送りします。 (クレリィエール編集者の高橋さんにスキャンしたものを戴いて、私はpdfにまとめただけなのですが;) この文章は、2005年のアメニティフォーラムでの氏の講演抄録に加筆したものだそうです。 ここに表わされているような理念を持った自立支援法が、なぜバッシングを受けていくのか。 まだまだ知っておくべきことがありそうです。 | お目にかかったことはないですが、ありがとうございました。 > 高橋さん 自立支援法が、施行後、政治のなかでどのような扱いになるのか、それをどのように評価すればいいのかを含めて、いろいろと考えることだ。> じゃく 間さんの講演録は、夏合宿準備に全員必読の中のほんのひとつ。 そして、来週のゼミは、国際金融のテスト―――4年もだぞ。 テストの成績は、今後の待遇に決定的に影響するから、そのつもりで―――たとえば、飲み会での席とか。。。励みな。 |
7月6日 |
アメニティー・フォーラムとは次
参考までに
昨日、今年参加した篠田さんが話していたように、少しでも興味があるのならば、まず参加してみることです。 |
7月5日 |
いつか、お目にかかれる日を楽しみにしています(笑)。
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「作詞家」という肩書をいただきましたので、第2弾を作ってみました。 中森明菜の名曲「セカンド・ラブ」で、解散近しといわれる中での民主党議員の今の気持ちを忖度してみました。 優・良・可・不可、ご採点いただければ幸いです。
セカンド・「ライ(嘘)」~2009年マニフェスト・バージョン~
「嘘」も2度目なら 少しは上手に 「成果」のメッセージ 伝えたい 「昔」の「公約」 「実現できずに」 うつむくだけなんて 「謝り」たくない 「与党」にいたいの その一言が言えない 「棚」上げて 「先送って」 「具体案」 「選挙後」へ運んで欲しい 「解散へ」のスピードは高まって とまどうばかりの私 | オッ、オモシロスギル(笑) 採点の季節ですので、それでは・・・さらなるご発展を期待して、「良」ということでいきましょか。。。 以前、採点の季節ということで、こういう会に僕を呼んだ勇気という出席点を評価して、ギリギリCかなっと言って帰ってきたのは、4年前の民医連の政策提言「医療・介護再生プラン」だったな。
ああいうのは、コンサル需要?
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7月4日 |
ウケた(笑)。
この雑誌の編集室ネタでは、勿凝学問342があるね。どうも、ネが明るい模様(笑)。『年金実務』にはかなわんかもしれんけどな。。。『社会保険旬報』も、少しがんばってもらいたいところ・・・まぁ、カレンダーのセンスの良さでは、旬報がダントツ一番だと、僕の趣味では思うけどね。 |
7月2日 |
かつての発言に関して、彼らは今、こういう感じ。
とにかく、彼らがやってきたことは、人間、そこまでできるものなのかと感心するくらいに、たいしたもんだよ。
今の履修者が、講義を受け始める前に、次は書いてるな。みておいてごらん。
先日、鹿児島に行って、郷中教育を復活させて、薩摩は、今一度日本からの独立を目指したらどうかねと話していた関係で、次の記事が送られてきました。
西郷や大久保が生まれ育った町の小学校で、こういう伝統的な教育をしていることはすばらしいこと。 だけど、「うそを言うな」を全校で唱和させていたんじゃ、今の時代では、もうあの町から政治家は出てこないんじゃないかなぁ、と心配です。
政権交代後、はじめてインタビューを受けたのは、ちょうど一年前の7月4日みたいだな・・・「永遠の嘘をついてくれ」
そう言えば、次の作詞家が、先日、まじめな雑誌にまじめな文章を書かれていまして、しっかりと勉強させていただきました(笑)。
それから、来週あたりに、政権交代後、はじめて座談会に登場した記事『年金実務2000号記念座談会』が出ます。その中の一文・・・
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司会者の江口先生 皮肉な言い方ですが、日本の年金制度が実績を上げてきて国民生活に定着したからこそ、年金について昔だったらと思うようなことも大きくクローズアップされ、政治問題化するようになったのではないかというのが、率直な印象です。公平の問題というのが、昔以上にセンシティブに議論されざるを得なくなってきているのではないか。権丈先生は、どう考えられますか?
権丈 あっ、僕はいいです。2年半前の政権交代後、はじめてこういう場に参加したので、しばらくリハビリということで…。 | 分かる人には分かる話 鹿児島のホテルで、朝食に出かけると、「あれっ!?」と二人とも驚いて、一緒に食事。 先日のインタビューを受けたときに話があったから、今度、日程を調整しますとのこと。 僕としても、先日の、新聞記者へのインタビューのようすを知りたいね。 その後、露天風呂に出かけると、すれ違ってお互い2秒後に振り返り、「あれっ!?」と。 先方が、「今度、一緒に仕事をすることになったようで」と挨拶をされて、僕は、「すみません、7月20日は欠席になります。あっ、そうだ、先生の大学に酒井先生っていらっしゃいますか?」、「う~ん、何人かいますねぇ」という、桜島を眺めるお風呂での会話。 僕は、えっ!?というところで、人に会ってしまうという特技を持っていて、普段は、先方は驚いても僕の方はあまり驚かないんだけど、昨日の連続技は、ちょいとびっくりもの。 |
7月1日 |
昨日の演題は「民主主義、資本主義と皆保険」――その中で使った「横の皆保険・縦の皆保険」の図は、日医の医療政策会議の報告書の中の「無政府状態下の日本の財政・社会保障――2015年を目標とした一体改革成案「一里塚」の意味(2011年7月15日講演)」にあります。
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6月30日 |
去年から、ゼミで10数年やってきたことを、普通の講義でも、遠慮することなくドンドンとやるという方針にして、本年度は、レポート提出用の掲示板に次のような課題をだす――映画『SiCKO』と同様、「資本主義的民主主義」の教材として適しているので。。。
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Name: 権丈 Date: 2012/05/30(水) 22:52 Title:
映画『インサイドジョブ』の感想
好きなときでいいから、アップしておいてください。 7月19日(木)13時を、締切りとしておきます。 | うちのゼミの学生は、まだ一人しか提出していないけど、そうでない学生からぼちぼちと出てきたレポート・・・ちょうど昨日アップされたふたつを紹介しておきます。
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恥ずかしながらリーマン・ショックが起こった理由、そしてその影響について詳しく知らなかった私にとって、とても衝撃的な内容の映画だった。 就職人気度のとても高い超大手の外資系金融の社員や、また超名門のハーバード大学の教授達が、こんなにも悪どい金儲けをしていたなんて、想像もつかなかった。冷静に考えれば、いつか必ず破綻することが誰にでも分かるような仕組みで、人を騙し、金を吸い上げ、大儲けした後に自分たちは安全地帯へ逃げる。その影響が世界レベルにまで達しているのだから、下手な宗教やねずみ講より質が悪い。映画の編集のせいもあるかもしれないが、自分たちの犯した罪に、悪びれる様子もなく、開き直る始末で、子どもがたくさんいるのに、と母親が泣いているシーンを観た時は怒りさえ感じた。 銀行屋の仕事は、金を貸して利子を得て、そしてまた貸して利子を得て、簡単に言えばそういう仕事だ。莫大な金の集まる外資系金融で働いていると、金銭感覚が麻痺してしまうのだろか。今後働かなくても遊んで暮らせるような額を稼いでも、まだ儲けようとする。金の亡者とでもいうか。私のような庶民には想像がつかない。 その一方で、世界に影響を与えられるレベルにまで発展してきたのは、金の亡者達の努力によるものだとも思う。成長の功績について詳しくは分からないし、産業の発展に金融は絶対に必要だったであろう。もしも彼らが健全なそして節度ある金儲けをしていたなら、経済の歴史や、今日の経済状況はどうなっていたのか、気になるところだ。 この映画を観て、高校、大学と上辺だけをかじってきた経済学の勉強、そしてニュースや日経新聞で見たこれも上辺だけの知識だけで、今後生活するのが怖くなった。中途半端に偏った知識を持ってしまった分、下手な情報弱者よりも操作されやすいのかもしれない。何が正しくて、何が正しくないのか、それらをきちんと見極める頭を持てるよう勉強を続けたいと思った。 |
この映画を見終わって、『なんて自分は無能なんだろう』と思いました。 数学者達は、戦争の後は金融へ移ったというエピソードを見て、つくずく世界は、頭のいい人に支配されているのだなと思いました。??民主主義という名の資本主義で、資本主義は強欲の権化。この世の中は、一部の金融業界が支配している。?世界に打撃を与えた世界金融危機の原因がうやむやになっている。?人間は強欲の塊だが、頭のいい人たちになにもするすべのない人たちがほとんどで、放置になっている。?知らない真実や解釈を知ることは、今まで無知であることも問題なんだと気づかされました。 この映画は、リーマンショックを発端とした世界金融危機が何故、発生したのかを時系列に丁寧に解説してあり、分かりやすかったです。 ? 金の為に、莫大な利益を求める為に、今までの規制を取っ払い、倫理観をなくし、金儲けの為なら、詐欺に近い(明らかに詐欺)を合法化した法律をつくる。?更に、複雑に、巧妙化にして、経済システムに意図的に関心を持たせず、世界金融危機が起きても、当の本人は知らぬ、存ぜずで、反省せず、捕まらず、?そして、世界は誰が支配しているのかの現実を知ることとなりました。ゼミはマーケを扱っているのですが、この映画を見て、マーケやる前に経済について知らないと世の中の事が全然わからないって思う気持ちが強まりました。 | *「マーケ」というのは、彼らの世界では、マーケティングのこと(笑)。 |
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昨日、アローの不可能性定理から派生した雑談、アローとサミュエルソンの甥であるサマーズの言葉が、今日の日経の私の履歴書に載ってるから、みておくように。サマーズは、映画「ソーシャル・ネットワーク」にも登場・・・というか、サマーズそっくりのハーバード大学の学長が登場。まぁ、サマーズは、インサイドジョブにも出るけどね。。。 |
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みんな、同じ悩みを抱えているようで(笑)
- 書き忘れましたが、「インサイドジョブ」ぜひ見てみたいと思います。
でも、3歳児と1歳児を抱えていると、いったいどうやったらそういうものが見られるものかと…。
以前は、こういう深刻な悩みの連絡も。。。。
- インサイドジョブは見よう見ようと思っているのですが、家では仮面ライダーシリーズのDVDばかり見ているので、なかなか時間がとれず…。
僕が出した返事
- 追伸
インサイドジョブは、iTunesでレンタルできるから、iPhoneでもみれますねぇ、仕事中も?
この前、とある飲み会で、ある政治家が「金融政策が大切なのに、日銀も財務省もまったくその気がない。バーナンキのようにちゃんとやらないと!」と言うと、ある記者さんが「インサイドジョブをみたらいいですよ」と。まぁ、それらしき映画かな。 |
6月29日 |
昨日、ゼミで話したのは、次。
労働価値説に、視聴率が従わないことを示す事例? 相当に練習に時間を費やしているはずだし、(彼ら自身のストックも含めて)投下労働時間は、普通のドラマよりもかなり多いとは思うんだけどね。家政婦のミタさんよりも、投下労働時間は長いと思うんだが・・・ |
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講義後
- さっき話した今年の合宿先 コロニー雲仙
君も来るかぃ(笑)?
- 本題で話したベンサムとミルと功利主義の歴史的背景
- これが、一筆書評
- 勿凝学問の言葉の由来
- 福澤先生の講演「学問に凝る勿れ」を僕が取り上げた座談会
- こういうのは次にまとめてあります。
- 下記、講義要項にもあるように、秋には『文明論之概論』も読んでもらいます――社会保障を論じるに、こういうのは重要なんだよ。。。
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6月28日 |
なるほどっ(笑)
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ところで、私は大学時代、法学部の選択科目で「近代経済学」を取ったのですが、私の年に経済学部から出講されていたのは吉川洋先生でした。
ということは私はトービンの孫弟子ということになるのでしょうか(笑)。
吉川先生のケインズへの愛とアンチケインズのエコノミストたちへの憤りに満ちた授業はなかなか面白かったですが、大方の法学部生には?という感じだったかもしれませんねえ。
といっても、経済学徒でないのでトービンの業績をよく知るわけではありませんが、吉川先生の著書(『ケインズ』(ちくま新書)pp.191-192)で紹介されているエピソードは大変印象深いです。
1977年私はイェール大学の大学院生だった。イェール大学はアメリカ・ケインジアンの総帥ともいえるトービンの影響下に、当時米国でケインズ経済学が生き残っているほとんど唯一の大学だった。(中略)そうしたある日シカゴからルーカスがイェールにセミナーにやって来た。セミナーの途中で一人の助教授がルーカスに「非自発的失業」について質問した。ルーカスは「イェールでは未だに非自発的失業などとわけのわからぬ言葉を使う人が、教授の中にすら居るのか。シカゴではそんな馬鹿な言葉を使う者は学部の学生の中にも居ない」と答えたものだ。やがて話は1930年代の大不況へと移っていった。大不況時のアメリカの失業率は最悪時で25%に達した。しかしルーカスによれば「非自発的」失業は全く存在しなかった。多くの人がただ職探しという「投資」を行っていたのである。最後にトービンが少し興奮した口調でルーカスに言った。「なるほどあなたは非常に鋭い理論家だが、一つだけ私にかなわないことがある。若いあなたは大不況を見ていない。しかし私は大不況をこの目で見たことがある。大不況の悲惨さはあなた方の理論では説明できない。」 | どうしたってトービンのほうに「個人の性格というか品性」のレベルで人間的共感を覚えてしまいますね。
それでは、失礼いたします。 | 是非とも、映画「インサイドジョブ」をご覧ください。世代会計のコトリコフの先生であったフェルドシュタインが登場します。 次、ご参考までに。
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6月27日 |
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・・・フリードマンなんて、当時はシカゴ大学でも蛇蝎のごとく嫌われていたそうじゃないですか。つくづく政策論というのは個人の性格というか品性が分岐点になるんだなあと思います。 | うん、「政策論というのは個人の性格というか品性が分岐点になる」というのは、そうなのかもしれません。 僕が30代で書いたⅠ巻の序章には、次のような生意気な(笑)文章がありますね。
この序章、予測についても、おもしろいことを書いているようです。
今、永田町界隈で起こっていることは、赤線を引いた視点から見れば、ああいう手法で政権を獲得した政党では、いずれ必ず起こると予測されていたことが、読み通りに起こっているだけのことで、新鮮みのないくだらない話です。造反組57人を批判する者たちの言葉そのものが、2009年総選挙時の自分に突き刺さるわけでね。
さてさて、フリードマンについては次でもどうぞ。
教育ってのは、大変なもののようで、下記の「ウェッブ夫妻」ってのは、藤澤先生のひ孫弟子くらいの作にあたることになりますね。 |
6月25日 |
おもしろい頁発見。。。1期浦川君のゼミの学生のブログ
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ようやく、ライオネル・ロビンズまできたな。
ロビンズが殺した、それまで経済学の中に秘められていた情熱は、次のようなもの。
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ピグー(1920)『厚生経済学』 |
「経済学は人間生活の改良の道具である。われわれを取り巻く悲惨と汚辱、数百万のヨーロッパ人の家庭において消えなんとする希望の焔(ほむら)、一部富裕家族の有害な贅沢、多数の貧困家族を蔽う恐るべき不安――これらのものは無視するにはあまりにも明白な毒害である。われわれの学問が求める知識によってこれを制御することは可能である。暗黒から光明へ!」 | ピグーの先生のマーシャルが、1890年に『経済学原理』を書いた時、それを手にしたシドニー・ウェッブから、婚約者ビアトリスに送られたラブレター。。。
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「わたくしはまっすぐクラブへゆき、マーシャルの600頁の大冊をすっかり読破しました――そのため立ち上がると、よろめいてしまいました。それは偉大な本ですが、新しいところはなにもありません――途を示していても、進もうとはしていないのです。とはいっても、偉大な本ですし、おそらくスミスに取って代わるものでしょう。しかし、経済学に新機軸を拓くものではないようです。経済学は、やはり造り直さなければなりません。他人任せにはできません。貴女がわたしを助けるか、わたくしが貴女を助けるかして、この仕事に取りかかるほかありません」 | そして、ウェッブ夫妻は、1909年にSocialism
and National Minimumをまとめ、ナショナル・ミニマムという言葉、概念を作り出す。なお、1897年のThe Industrial
Democracyでは、まだ着想段階であり、the common ruleやthe enforcement of a
minimumの表現にとどまる。 |
6月21日 |
どうぞ。
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では、どうぞ。
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6月20日 |
健マネでは年金をやりませんので、興味のある人に紹介しておきます。
三田では、先週ようやくピグーまで来たところだから、年金はまだまだ数ヶ月先。。。紅葉の頃か、下手するとクリスマス? よほど暇だったら、次でも眺めておきな。
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6月18日 |
先週の生活保護関連――いや、記者さんたちが、ニッキィさんの先生になったり、この前は、探偵になって愉しんでいることの紹介かな。。。
僕は以前、探偵さんが相葉利子隊長だったときに、相談にのったことがある。。。?
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9月14日 |
先週、ゼミで生活保護についてディベートを行って、その後、今週までに大山さんの『ワーキングプアvs生活保護』のレポートをと言っていたら、次のような感想があったぞ。
- ピクシーさんのレポートを引用する。
「この補足性の原理が15~20%の捕捉率の原因であり、元ケースワーカーであった本書の作者が、66%が違法という数字に違和感を覚えた原因である。」
レポートをアップする掲示板を、毎年更新もしないで、過去のを置きっぱなしにしていたら、こういうことがあるわけだな・・・良いことだ(笑)。 ちなみに、君たちが読んだ2年前のピクシーのレポートを材料にして、僕は次を書いている。
ピクちゃんは、湯浅誠さんの大ファンで、彼が2年生の2009年の夏、湯浅さんの文章が載っているからと、『atプラス』という雑誌を買って読んでいたら、目に留まった文章があったらしく、「んっ?っこの人、慶應の先生じゃん」ということになって(この無名さが我ながら気に入っている)、なぜだか、2年生の秋から、僕の三田での講義に顔を出していた・・・という、妙な経歴をもっている(笑)。『atプラス』に載っていた文章は、これだな。2008年のリーマンショックをきっかけとした特集だったから、リーマンショックがなかったら、彼も違った人生を歩んでいただろうな。
まぁ、僕の文章だけをさらすのも癪だから、ピクちゃんの卒論もアップしておこうかね。。。
うちのゼミでは初めての共同執筆の卒論・・・おかげで優作は卒業できたというウワサはぜんぜんない、いやあるかもしれないが、そんなことはないと思っていなかったりもする。。。
ところで、『ワーキングプアvs生活保護』のレポートの中には、次のようなのもあった。
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ここまでただのマスコミ批判みたいになってしまったが。私が言いたいことは生活保護をはじめとした社会保障の問題は、マスコミが作り上げたように簡単なものは一つもないということだ。簡単なものというのは、誰が善で誰が悪であるかはっきり分かるものや、問題の原因が明らかになっているものを指す。それでは複雑である社会保障の問題に一般人はどう対応していけばよいか。それは自らが能動的に問題に取り組むことだ。 当たり前のようだが、マスコミの報道に疑問を持ち自分で資料や本を調べることは、多分ほとんどの人は行っていないだろう。そういう私もここのゼミに入るまでは、本や資料をもとめて調べるということはほとんどしていなかった。だが今日の生活保護の問題では、本書を読み、受給者やケースワーカーたちの声を聞き、実情を知ることによって少しは問題の本質が分かるようになった。きっかけはどんなことでも、多くの人々が問題意識をもち勉強するようになれば、マスコミの報道に惑わされることや、うわべだけを語るものに騙されずに済むようになる。それが社会保障の問題を解決していく上での第一歩ではないか。 | 4月に入ゼミして2ヶ月少し・・・うん、まぁ、よしよし。ぼちぼちやっといてくれ。 先週も言ったが、君らの年齢では、問題の深さがどの程度のものなのかを分かることが大切なわけでな。急ぐ必要はまったくない。何年間も、何十年間も考え続けることだ。
でっ、3年生用のゼミのテキストは、国際金融なんだけどね(笑)。そして、合宿先は、コロニー雲仙・・・今日のゼミから、合宿用に、4年生が毎週、障害者福祉の話を30分することになっている。そしてその後、みんなで国際金融。入ゼミ後に毎週書いてるレポートは、経済学説史について。端から見ると訳が分からないだろうけど、僕の中ではきれいに調和がとれたカリキュラム...
ところで、先週から今週にかけては「社会保障・税の一体改革」がひとつの山場を迎えてくるだろうから、これについて、少しは学生に説明しておかなければならないかなと思って、先週の木曜日に15分くらい説明。その時のことを、先日、知人に連絡。
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先週、さすがに講義で、一体改革の話をしなければならないかなと思って、15分くらい説明したんだけど、これまで、アダムスミスだリカードだという話ばかりで、一言もそれらしき話をしていなかったから、政治の動きに妙に詳しい僕に学生たちは少々目を白黒。 歴史ものによくある、「戦が終わった後、彼は引退し、地元の子供たちの教育に専心していた」という感じかね。。。 | |
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先日話した、2007年参院選の前に、テレビで流れていた居酒屋のシーンは、次にありますね。
ウソみたいな話ですが、後に総理となる当時の民主党の幹事長と若い議員が、次の選挙の争点について居酒屋で「うん、年金で行けるよ、年金で行こう」と話しているシーンが、テレビで流れていたわけです。 |
6月13日 |
今週の「編集周辺」もぶっ飛んでます・・・
このあたりの話は、次でも参照あれ。
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んっ?、こういう頁があるんですね。
これも、社会保障の問題の所在がよくまとめられた記事です。
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6月12日 |
昨日話した、「批判があるのは承知の上で、敢えて提唱しておきたい」と書かれているけど、きわめて当たり前のことと話したのは次。僕流に言えば、合成の誤謬をテーマにした論ですね。
ぐちゃぐちゃした落書きにみえるのは、この資料の12頁の図を、昨日は描いたつもりだったわけです。我ながら絵が下手すぎる。。。 社会保障は市場経済のサブシステムであって、メインシステムでもなく、スーパーマンでもないんだから、富を創造し、幼少期、高齢期の人たちを支えるべき勤労期の人たちが、まじめに働いても生活ができない社会では、みんなで生活水準の低下を甘受するしかなく、その生活水準の全体的低下を社会保障が支えることはできないんですよ。まじめに働いている勤労期の人たちの生活リスクには保険の技術を用いた社会保険で対応できるけど、まじめに働いている勤労期の人たちが生きていけない社会で、その人たちを恒常的に支える役割までを社会保障に求めると、社会保障はぐれます。一次分配と再分配の役割の見定めを誤ったがゆえに生まれた歴史的教訓は、次でしょうかね。
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下記についての補足 政権の簒奪と職業的詐欺集団という言葉については、次でも。
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6月11日 |
では、本日の予習を。 まず、昨年の3月に書いた次を読んでください。
その後の展開。 今の内閣は前内閣と同じく虎派。しかし、狼寄りで行き詰まった前々任者、虎寄りで行き詰まった前任者の経験を踏まえて、「党内融和」(=民主党政権の維持)をキーワードの下に、狼派の要人を強い人事権を持つポジションに置く。そこで早速、人事権を持った狼派は、虎派の内閣が、将来、前門の虎たちと手を携えて早期の解散を打つことがないように布石を打つ。その布石のひとつとして、いずれは前門の虎たちとの交渉の障害となり得る人物を、党の要職に就けた。 その頃の人事の動きを見ていた僕が書いた文章は次。
- 「政争の具にされてきた年金の現状」『週刊東洋経済』2011年10月22日号
彼らが存分に弄んできた年金はこういう状況にある。政府が成案で示した改革の第1段階「現行制度の改善」を行うために社会保障審議会の年金部会が始まった。絵空事を唱道してきた人達の面子を守るための制度の改悪などは御免被りたい。 | そのキーパーソンは、狼派に期待された通りの役割を演じ、一体改革「成案」から「大綱」への改変をリードし、今に至る。
去年の9月に打たれた人事における布石は、後門の狼として今や二匹目が育ち、期待通りに虎派の政府と前門の虎たちとの連携の障害としての役割を果たしている。そして今でもキーワードは、党内融和(=民主党政権の維持=早期解散の回避)。 要は、人事なわけで、今の状況は、去年9月の人事でおおかた読める話。いや、もっと言えば、とうの昔に予測できていたことだな。
「国民への嘘で政権を簒奪した」(谷垣氏の言葉)「職業的詐欺集団」(敵菜氏の言葉)が、狼寄りでもダメ、虎寄りでも行き詰まり、では党内融和という最後の選択肢では?ということを国民的規模で無邪気に楽しんでいる過程だろうな。 先週から再び話題になっている「最低保障年金」については、いずれ出る次でもどうぞ。
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年金に詳しい記者が書いていましたけど、「民主党は年金に指一本触れるな」という感じでしょうかね。 民主党政権の下で2010年に「社会保障改革に関する有識者検討会」というのが作られて、そこで有識者さんたちがまとめた報告書には、「年金改革の論点」として、「防貧・救貧機能の強化をすすめなければならない」と書いてある。実は、この言葉の意味が、私たちには理解できないわけです。社会保険としての年金は、事前に保険料を払わずに貧困に陥ってしまった人を救済する救貧機能は備えておらず、防貧機能に特化した制度です。 民主党の年金戦略を応援してきた研究者たちは、年金に救貧機能があると考えているようなんですね。彼らは、年金研究者として生きていく道を最低保障年金に求めたグループですが、スウェーデンのように、旧来の年金給付水準の最低水準がかなり高めで、それをただ単に「最低保障年金」と呼び直せばよかった状況と、日本のように年金の給付水準が相当低い人がかなりいるために、無年金、低年金者にずいぶんと上乗せ給付をしなければ最低保障年金を実現することができない状況の差違に考えが及ばないグループです。日本で最低保障年金をやろうとすれば、制度移行の問題が起り、最低保障年金を即座にやるとすれば、どうしても、租税財源が相当額必要となる上に、保険料を払っていない人に給付を行うことを容認せざるを得なくなり、正直者がバカを見る側面に目をつむらなければならなくなります。スウェーデンの年金改革について、Old
Wine in New
Bottlesという論文を書いている研究者が外国にいましたけど、スウェーデンの年金改革は、新しい皮衣に古い酒を入れただけだという側面に、研究者のポジション取りで最低保障年金にかけ、民主党の年金戦略を応援してきた者たちは考えが及ばなかったのでしょう。 この研究者グループは、運用三号の制度設計の時にも係わるわけですが、事前に保険料を払わなかった人たちを、事後的に救うことができると考えているのか、運用三号にも矛盾を感じなくなっていた。運用三号問題では、担当課長が更迭されただけでしたが、一番責任が重いのは、あの制度設計に係わった学者だと思いますよ。社会保険の理解を、根本から曲解しているから、次から次にやってはいけないことをやり続ける。 次に責任があるのは局長あたりでしょうけど、年金局は、政権交代直後の厚労大臣が先輩たちの首を容赦なく切っていったから、恐怖政治の下にあるという仮説を立てれば、今、あのあたりで起こっていることは説明できそうですね。昨年末に、民主党が新年金制度を復活させるときに、官僚を前にして、みなさんは本当に民主党の言う年金案が実現できないと思いますかと尋ねても官僚は何も言わなかったというのが、民主党が新年金制度を復活させたことを正当化する理屈のようですけど、ああいう性格のあの元大臣がやることに異論を唱えるわけがない。今の年金局長の下で行われていることには、いくつもおかしいことやだらしないことがあって、どうして目の前の選挙対策や政治的駆け引きに年金を使おうとする政治から制度を守ろうとしないのかということがありますが、恐怖政治の下では、ある面仕方がないのかもしれない。いわゆる、国民が望んだ政治主導というものなのでしょうけどね。ただ、運用三号の件はその事後処理のあり方を含めて政治をチェックするべき制度設計者に対する信頼を大きく損ねましたし、年金の低所得者加算や、パート労働の厚生年金適用を月額7万8千円にするという政治を諭すことができない現状は、テクノクラートへの信頼を揺るがすでしょう。 | 次でもどうぞ。
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6月7日 |
今日の雑談関連――ノーベル賞3部作?
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なるほど
陳謝している言葉の中に、再びごまかしの言葉が使われているな。 |
6月6日 |
相変わらず、ぶっ飛んでる。。。
過去を陳謝した面々が、今の自分を将来再び陳謝することにならない保証はどこにもないわけでね。
youtubeなんかで「岡田 権丈 年金」で検索したら、まだ、あるかもしれないな。みつけたら、見ておきな。 あの日曜日は5月31日だったから、ちょうど3年前のこと。 昨日に続き、7月に出る『年金実務』2000号記念座談会の中の言葉。
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民主党にとって、年金というのは手放せない政争の具なわけです。この前4月7日の『朝日新聞』朝刊で、鳩山さんが「年金がこのままではボロボロになって、年を取ってももらえなくなるという語りかけは、非常に政権交代に貢献してくれた」と明け透けに答えたことが載っていましたけど、2004年4月に民主党がたったの11ページしかない年金法案を出して、年金一元化と7万円の最低保障年金という、普天間で言えば「最低でも県外」レベルのスローガンを掲げたまま8年近く、彼らは具体案を示さずに逃げ切ってきた。 ・・・ 民主党は、その後8年間も具体的な案を示そうとしなかった。具体的な改革案を示さずとも、いやむしろ改革案を示さないまま現行制度を批判した方が票になるので、今なお、次の選挙でも利用しようとしているわけです。最近は、「成案」で葬り去られていた新年金制度を「大綱」で復活させたため、それが結果的に、野党との取引材料として利用されようともしている。無から有を生むことができる年金カードを政治で利用することはやめられませんよね。民主党を職業的詐欺集団と呼んでいる研究者もいましたけど、実際のところ、そんな感じなんじゃないですか。彼らは、まさか大の大人がそこまでウソはつかないだろうという、普通の人たちの良心を逆手にとって人を騙してきたわけです。江口先生も、まさか、最低保障年金にいくらかかるかの検証もなく最低保障年金を唱えていたとは考えられなかったと言われていましたけど、彼らは、実に流暢にウソをつくわけで、そのくらいのことは簡単にやるんです。政治家が、年金で政局を作ると決め込んで、「年金がこのままではボロボロになって、年を取ってももらえなくなる」と確信犯的に言い続けられたら、誰も敵いませんよ。ああいう野党が登場すれば、政権交代は時間の問題でした。 民主党が勝利した04年と07年参院選、09年総選挙は、明らかに年金選挙でしたから、民主党にとって、過去も今も、年金は手放せない政争の具。それに、年金を叩いて名をあげた政治家たちが、野田政権になって、そろって党や政府の要職に復活したわけですから、これからも政治的には実にやっかいですよ。とにかく、前回の総選挙で、あのマニフェストに命が吹き込まれたわけですから、彼らが政治家でいる限り、この国はその後遺症に苦しむしかないでしょう。 | |
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うん、今週も、なかなかいいじゃないかぃ。教材として紹介させてもらいます。
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ちょいと、次の暫定版を作成。「人任せ」という手抜きのための頁だから、職業上、あんまり充実させるわけにはいかんのだが。。。
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6月5日 |
- > がり、来週もディベートをやっておきな。
> > テーマは、生活保護。 >
サブゼミもディベートの準備に使っておくように。 > やっぱ、タイムリーってのは、重要だからな。
りょ、了解しました!!
ということで、今週の木曜日は、そうなったが、ちょうど先日、次の連絡が来ていたな。
- さて、良い機会と思って生活保護を勉強しています。
勿凝学問だと122とか190を再読。「スティグマ」という言葉の奥深さ、重さをかみしめています。 ・・・ 税による所得保障って本当に難しいですね。あらためて、社会保険の大切さを確認した次第です。
昨日、次も出たので、みておくように。生活保護、税と社会保険、そして世代間格差、これらは全部つながった話だ。
次は、上下、セット版。
次は、7月には出る『年金実務』2000号記念座談会の中の言葉。
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S氏 私は、いま行われている議論のなかで一つ気になるのは、所得再分配機能ということです。年金制度の中で、何か趣味的に、社会保険の中で再分配するのはおかしいという。所得再分配というのはあくまで税の機能だと言われる人が多いのですが、これは、何の根拠があるのか。・・・
権丈氏 「再分配は税で行うべきで、社会保険で行うべきではない」という珍説の論者には2種類あります。ひとつは、社会保障の役割を極力小さくしておくことが望ましいと考える、いわゆる経済界が大好きな経済学者たち。今ひとつは、先ほども話した、最低保障年金という制度に、年金論における自分のポジションを求めたグループですね。これらふたつの起点から、自分の主張を繰り返していくと、共に、社会保険が再分配をやっている事実が、自分にとって実に不都合に見えてくる。そこで、所得再分配は税でやるべきで、社会保険では行うべきでないという論を言うように、自然となっていくんですね。 でも、社会保険は彼らが生まれる前から社会保険であって、被保険者一人一人に給付反対給付均等の原則を厳守しなければ倒産してしまう私保険ではない。その辺については、教育検討会の資料には、「生活問題の救済に際して、税による一方的な扶助では、劣等処遇原則が先立って、・・・ | |
6月4日 |
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6月1日 |
次もみておいてください。
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5月29日 |
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5月28日 |
- 経済を見る眼「少子高齢化と社会保障」『週刊東洋経済』本日発売
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5月25日 |
次をご参照ください。
次もご参考までに。
- 吉田啓志氏@毎日新聞「記者の目:年金制度改革」
mainichi.com
- 太田啓之氏@朝日新聞「破綻論に惑わされるな 年金活用次なる一手」『文藝春秋NEXT』4月臨時増刊号
- 「大切なことは考え抜いた制度を作ること」『年金時代』2012年1月号(No.604号)
学者の一人として寂しいことですけど、年金経済学者が記者たちの見識に完敗している。 |
- 「テオリア」『年金実務』4月9日号
社会保障がテーマであるはずの先生が、実はマスメディアへの露出がテーマであったり、審議会の委員になることがテーマであったりする。心得違いも甚だしい。・・・我が国の民主政治が衆愚政治に陥らないために、学者の質をあげなければならない。 | 追記 長沼市長の『議会は自転車に乗って』の復刻希望。学生に勧めても、手に入らないようで。。。 |
5月21日 |
> 先生の発言が引用されてますよ。。。 ほ、ほぅっ、なるほど(笑)。
内容も、よく勉強されていて、なかなかぐわんばってるじゃないですかぁ。 でっ、今度、某県の保険医協会で話をするから、その際、財源調達は「無駄をなくし、富裕層と大企業の優遇税制をあらためること」はもちろん大切だけど、それだけでは、どうにもならない話でもしましょうかね。 「国民の所得を増やす経済改革を通じての財源確保」・・・フムフム。 G8で、成長も重視と言っているのは、マーケットに向けて「国債の大量発行はしばらく続くけど、大目にみて下さいね」とお願いしているくらいの意味しかないんだよね。 成長で財源確保というのは、いわゆる上げ潮派ってもんで、成長すれば税収が増えるという、言ってることはウソではないけど、では成長の手段は?となると、土曜日の日本病院会で話した「見せかけの相関」を思う存分に用いて素人さんを煙に巻くグループですね。 土曜日の日本病院会で、覚えて帰ってほしい3つのキーワードとしてあげたのは、
- 投票者の合理的無知(ここから派生するB層という言葉の意味)
- 見せかけの相関
- 合成の誤謬
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5月20日 |
昨日の日本病院会での講演は、毎月の定期理事会で会い、その間に書いた文章を会議で配付して説明をしてきた人たちが相手でしたから、何段階か高い話、資本主義、民主主義、経済学の話ができました。あの話は、一見さん相手の講演会では絶対にできません(笑)。目下、一番近い話は、次になるでしょうか。近いと言っても、昨日の話はかなり距離がありましたけど。。。
昨日の配付資料は、次です。著者たちから、許可を頂いています。
付録 最近、「医療界ってどんなところですか?」との質問があったので、昔はこうだったけど、未だに人気があるようだから、今もそうかなと紹介した文章は次。
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5月18日 |
虎ノ門フォーラムで、いきなりマイクを振られて紹介したふたつの資料
それと、4月28日発売の『週刊東洋経済』に「少子高齢化と社会保障」を書いています。 次もご参照あれ。
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たしかに、医者に「ビョーキですね」と言われたら、病気っぽく聞こえますね(笑)。
- お忙しいところ失礼いたします。
「病気は重い」、確かに「ビョーキ」ですね。
5月10日の朝日新聞のオピニオン欄に慶応の経済学部の竹森先生が「政治のアウトサイダー」と書かれていました。 次々と出てくる「アウトサイダー」という訳ですが、その呼び名ではちょっとき れいすぎて不満でして、やっぱり私としては「与太郎」の方がいいなあと思った次第です。
なんの話かと思ったら、「病気は重い」はこれで、「与太郎」は次ですね。
昨日、ふたつの取材を受けたけど、「いったいどうすればいいんでしょうか?」の質問に、僕は「世論調査の電話がかかってきて、内閣を支持しますか?と質問されたら、とにかくみんなでハイと答えたらどうかな」と答える・・・。 |
5月16日 |
どもな(笑)
解説・・・? 10年以上続くゼミ合宿の常宿イエスタデイのおじさんは、本当に、スティグリッツによく似てて・・・(最近のHPにはブログもあるな。誰が書いてるんだろかね) でっ、今年は、8月2日~4日で、雲仙コロニーに行くから、スティグリッツおじさんに会うことないなぁ。。。まじに、イエスタデイでの院合宿(温泉+テニス+BBQ)でも企画するかね。去年から河口湖でのカラオケ(3年生が勉強している間の4年以上のみ)も加わったんだけどな。
参考までに、昨日の勿凝学問184の他のノーベル賞関係の文章でも
ちなみに、クルーグマンはなぜアメリカにいながらクルーグマンになったのか?は、「イエール大学」がキーワードかもな。
追記 院のメーリス情報
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経済学の教育方法、特に、マクロ経済学の教育法について書いているのは次ですね。
ちなみに、上記文章に登場するスティグリッツは、大学院はアメリカを離れイギリスのケンブリッジ大学。
お手すきの方は、次もどうぞ。
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5月15日 |
うん、オチがいい(笑)。
昨晩は、すでにこの記事を読んでいた数人もいた急遽集まりの会だったから、途中で、呼べばよかったかね。 |
5月13日 |
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5月11日 |
スピーナムランドの話やミーンズテストの話、防貧機能、救貧機能の話などを次のいくつかに書いてます。
過少消費論と社会保障の話は次を参照あれ。
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5月10日 |
今日の雑談で話した「奴雁(どがん)」とは
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『福澤諭吉全集』第19巻 |
語に云く、学者は国の奴雁なりと。奴雁とは群雁野に在て餌を啄むとき、
其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺ひ、不意の難に番をする者あり、
之を奴雁と云ふ。学者も亦斯の如し。天下の人、夢中になりて、時勢と共に変遷する其中に、独り前後を顧み、今世の有様に注意して、以て後日の得失を論ずるものなり。故に学者の議論は現在其時に当ては功用少なく、多くは後日の利害に関るものなり。甘き今日に居て辛き後日の利害を云ふ時は、其議論必ず世人の耳に逆はざるを得ず。これがため、或は虚誕妄説の譏を招く
ことあれども、其妄説なるものは唯、今世の耳に触れて妄説なるのみ。其耳と
其説と孰が正しきや、今日を以て裁判す可きに非ず。 | 半学半教の慶應は、君らも学者。 次はおまけ
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ということだから、ソーマスは、7代目だった(笑)。
- 復活ですか!
これはめでたいですね!!
自分と一緒に風呂に入ると入部とは、確かに絶大な権力です。。。 当時は露天風呂でのトーク中に物事が決まることがたびたびありましたからね…(笑) 「なお、たいていかなり遅い時間(だいたい22時~24時)から開催されるので、基本的に終電はないということは覚悟していただきたい。」というのも、懐かしいですね。 戸越から麻布十番まで歩いて帰るのは本当に遠かったです。。。
ちなみに、ホームページの記録では、初代部長は自分のチューターでもあったもりかべさん@7期だったみたいですね(笑)
明日は、6時半から三田で院の講義。もし時間があったら顔出しな。その後、たぶん100%?、つるの屋にいるし。。。 > P |
5月9日 |
明日の講義余談の題材 次を印刷して持参のこと。
年金について、少し詳しく知りたいと思う人は、次を――三田の講義では年金は秋に話をします。健マネではやりません。
次を読んでくるのは、健マネの学生だけでいいです――三田の3年生の学生は、言葉の意味は分かるだろうけど、いろいろな意味で少し早すぎると思います。
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なるほどっ。そんなのあったか、懐かしい頁だな(笑)。
- 名前:
龍平
------------------------------------------------------------ 題名: Re:雑談 内容: 6代目風呂部部長!風呂部のHPも、色々更新してみてはいかがでしょうか? http://news.fbc.keio.ac.jp/~semiyk/furo/ ------------------------------------------------------------
戸越界隈から引っ越してからは、なかなか開催されてないな。 風呂部規則をみると、初代部長のパシオーネは、随分と権力をもっていたみたいだな。 6代目、活動の復活をよろしく。 |
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5月1日の書き込みに若干加筆して、次をまとめる。
参考資料「誰が何を間違えたのか」の下に、次も加えてます。
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5月8日 |
昨日は、文献もネットも一切見ないで、課題についてみんなで考え抜いて下さいと言って帰ってきましたけど・・・私の方でこらえ性が足りないようです(笑)。 昨日、雑談の中で、ふと話したことは、次に書いています。
次でも、経済学で消費者需要がアプリオリに存在すること、民主主義の議論の中で投票者の選好が固定的に存在することを仮定することは、学問上の便宜的仮定でしかないという話を書いています。ただし、これら、「思考の定点」という条件を外すと、現在の経済学と民主主義論の論理は総崩れします。
このあたりの話は、NHK「映像の世紀」の第4集なども参考になるかもしれません。
他にも、雑談の中で次のような話をしていたので、ご参考までに。 ママリーが初登頂した山稜は?
J.S.ミルの父親ジェームズ・ミルとベンサムの関係は?
政治的関心層という言葉の意味、そして日本のそのレベルは?
まぁ、今回の課題は、経済学の中でも答えがないようなものばかりですから、経済学部出身以外の人たちも、自信をもってメンバーと議論をしておいてください。 |
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↓ と書いたら、おぉ、ソーマスも今日みてきたのか。風呂部部長13代目を任命するので、勤しむように。 ・・・・・・んっ、初代は8期のPくらいだから、6代目か。 |
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風呂部OBの平た顔族の者はみておくように。 |
5月7日 |
みなさんも考えて下さい。課題2は、今年の三田祭のテーマに近い。 本年度の始めは三田祭で「公務員改革」をやろうと考えていたのですが、 今年は生々しく、そして腹立たしくなるだろうから変更しました。 (今日は2時間半講義をし、金曜日に課題について4時間報告をしてもらうことになっています) |
5月5日 |
上記20頁(PDF11頁)以降にある「最後に――胴上げ型、騎馬戦型、肩車型?」は、次のような話です。
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5月4日 |
> この先生の論文、ほかの人に読ませたり、使わせてもらってもよいですか?
いいですよ。この論文の初出は、前世紀――Ⅰ巻1章を書いて2ヶ月後ですね。 当時、何を考えていたのか自分でも訳が分からない。。。 誰も知らないところで、すでに増税の必要性を言ってるみたいですね。
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権丈(2005〔初版2001〕)「日本における少子高齢社会危機論への疑問――社会保障研究の問題設定と価値判断について」『再分配政策の政治経済学Ⅰ――日本の社会保障と医療』 |
市場は生産要素に所得を分配することしかできないのであるから、少子・高齢化社会における分配問題を緩和するために日本の統治者が分配のく必要原則>にもウェイトをおこうとすれば、再分配を大きくせざるを得ず、そのためには租税・社会保障負担を高めざるを得ない。(180頁) | |
5月1日 |
さて、5月に入ったから、4年生は卒論の報告をはじめておくれ。 今年の4年は13期だから、これを言うのは13回目かな――「卒論で年金はやめておきな。あれは君らを賢くしてくれない(笑)」 次を読んでごらん。
どうして、こういうことが起こるのか? ヒントは、私が2003年に書いた次あたりにあるかもしれません。
この論文の参考文献に挙げていたもので、公開されているのがありますので紹介しておきます。
年金の経済分析は、高山先生が書かれている「合成の誤謬」や、高山先生、Orszag and
Stiglitzが揃って言っている「同等定理」の世界に落ち着いています。2003年に書いた私の論文の中でも、これらふたつの話をしています。 そして「年金経済学者のライフサイクル」の話を書いた時には、私は、かつて積立方式論者だった高山先生が、八田・小口先生が積立方式を唱えた『年金改革論』を批判した次の書評も読んでおり、かつて『年金民営化への構想』を書いていた小塩先生が、次第に論を変えてきている姿も観察していました。
年金というのは、そういうものです。 先週の4月24日に社会保障審議会の年金部会で、年金の世代間格差や財政方式について議論をしたようです(資料)。そこで小塩委員からは、「積立方式に移行しても世代間の格差の是正にはあまり効果はない」という、同等定理を踏まえた発言がありました(4つ、5つのチャネルから得た情報)。高山先生が八田・小口先生の『年金改革論』について目配りが足りないと指摘された「世界で展開されている年金論争」の動向を知っている人からみれば、私的扶養を社会化する過程で観察される年金制度内部の世代間格差を消すためには第一世代の負担を引き上げるか給付を下げるしか方法がないことは、分かりきっていることです。さらには仮に積立方式の年金が実現できたとしても、それは、少子高齢化の影響から自由ではいられない。 年金というのは、数年周期で、天動説を唱える若い論者が現れるのだけど、次第にその論者の論が変化していく世界――こういう対象は、君らが思考力を鍛えるための卒論のテーマにするには、実に不向きなわけです。
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新春特集 インタビュー「大切なことは考え抜いた制度を作ること」『年金時代』2012年1月号(No.604号)
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どうも年金論には、天動説と地動説の二種類があるようなんですね。頭を使わずに、ただ眺めただけでは、年金は、未納が増えると破綻し、莫大な超過債務があって、積立方式にすれば高齢化に耐えられ、財政が破綻しているから支給開始年齢引上げが言われている、みたいに見える。でも、少し考えれば、これは全部大ウソだと分かる。僕の言う、年金論の天動説と地動説の違いです。 | そう言えば、話が変わりますが、ご親切に、「厚労省資料(世代間格差に対する反論)の簡易検証」というのを送って下さった方、ありがとうございました。 25-27頁の参考資料は、「計算技術的な問題点②」の「割引率」に関する5頁の次の記載に関する参考資料ですね。
25頁に書いてあるように「人口構成が同じと仮定」しても、割引率の置き方次第で給付/負担の倍率が1を切ることを示しているところでしょう。割引率の選択という技術的論点を抽出するために「人口構成が同じ」という条件の下で考察する際に、人口構成を変えてはダメですよね。ご連絡下さった方も指摘されているように、「簡易検証」の読者の多くも、んっ?批判になっていないと思われたでしょうね。 人口構成が年金に与える影響については、経済学者は、従来、サミュエルソン・アーロン・パラドックスに基づく「人口増加率nの低下が積立方式と賦課方式の優劣に与える示唆」は本当なのか?という形で議論をしてきたわけですけど、そのあたりの詳細に関心のある人は、先のOrszag
and Stiglitz論文や、Nicholas BarrやPeter
Diamondなどをご参照下さい。Barrなんかが1970年代から議論してきたことを無視してしまったら、少しかわいそうですね。
まぁ、今年1月の次のインタビュー ・・・・・・ 以前よりも意味が分かるようになったかもしれません。
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新春特集 インタビュー「大切なことは考え抜いた制度を作ること」『年金時代』2012年1月号(No.604号)
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あれから八年、いくつか見えてきました。一つは、新聞・経済誌のメディア人は勉強するということ、メディア人のほうが年金研究者や年金批判で名を上げた政治家よりも地頭が良いということが明らかになりました。 ・・・ 研究者の一人として残念なことはある。かつて天動説に立って年金論議に火を付けていた学者も、よく勉強していた。国際的な年金研究の動向も把握されていて、だからこそ、天動説に基づく自分のトンデモ年金論を自己修正されることが多々あったし、少なくとも彼らの参考文献は、僕らにも役に立った。でも、最近のお騒がせ学者の参考文献は、お仲間内のものばかり。だから、天動説を言い続けることができるんでしょう。学者の一人としては寂しいことだけど、年金経済学者が記者たちの見識に完敗している。 | 次もどうかな。
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4月28日 |
健マネの5月2日締切のレポート課題をアップしておきます。コピーしたりとか面倒でしょうからね。。。
三田の履修者も見ておいて下さい。私が、世に出した最初の本の「本論」最初の一文は、「政策は、所詮、力が作るあのであって、正しさが作るのではない」です。三つ子の魂百まで?――生涯、投票者が正確な情報を得るには相当のコストがかかるという視点から世の中を眺めていくのだと思う。 この論文の初出は、2000年。その時既に、知的巨人が創り出す思想と再分配政策形成の関係を考えていたようです(図4 再分配政策形成過程の枠組み――再分配政策と経済政策思想 69頁)。
そう言えば、先日の読売の記事のインタビューで答えたことは、次に書いています。序論だけ、アップしておきます。
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健マネのシラバス関連
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健マネ、三田、本日の「合理的無知」を基礎に置く考え方とは
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4月26日 |
本日の講義雑談ネタ
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新春特集 インタビュー「大切なことは考え抜いた制度を作ること」『年金時代』2012年1月号(No.604号)
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どうも年金論には、天動説と地動説の二種類があるようなんですね。頭を使わずに、ただ眺めただけでは、年金は、未納が増えると破綻し、莫大な超過債務があって、積立方式にすれば高齢化に耐えられ、財政が破綻しているから支給開始年齢引上げが言われている、みたいに見える。でも、少し考えれば、これは全部大ウソだと分かる。僕の言う、年金論の天動説と地動説の違いです。 「話せば分かる」と言っている相手を前にして、天動説を認めぬか!「問答無用!」と絶叫すれば、選挙くらいはできる。でも、法律を作るということは、ロケットを宇宙まで飛ばすような緻密な作業ですから、法案作成過程で天動説のウソが表面化してくる。中吊り広告レベルでの年金騒動は、もう一〇年以上も続いていて、今よりも派手な時期もありましたけど、大切なことは、考え抜いたタフな制度を作っていくことです。 | |
4月25日 |
明日の講義に持ってきて下さい。
メーカーの技術系が汗水流して良い製品を考え抜いてみても、広報担当が、全国行脚して、うちのは欠陥商品だから買わない方がいいですよと言って回っているようなもの。まぁ、そういう話です。 なるほど、なかなか、イイセンいってるよ、赤旗新聞(笑)。
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4月23日 |
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「少子高齢化への対策 就業者増やし支え手確保 女性・高齢者に働きやすい環境を」『読売新聞』2012年4月23日朝刊 |
視点を変えて、社会全体で就業者1人が何人の非就業者を支えるかをみると、1人程度でこの数十年間安定しており、将来もあまり変わらない。実態としては、若い世代の将来の負担が何倍にもなるわけではない。(権丈)
女性や高齢者が働きやすい環境を整え、支え手に回る人を増やすことで、少子高齢社会の荒波もなんとか乗り切れることがわかる。少子高齢化に耐えうる仕組みに転換するには、雇用の見直しこそが最重要課題。(権丈) | 要するに、胴上げ・騎馬戦・肩車という話は、やめておきなということ。 参考までに、昨日、提出した原稿の一部。
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もし仮に、この言葉を社会保障にそのまま当てはめる人がいるとすれば、今の社会保障は既に破綻していると想像するのは、むしろ当たり前のことである。しかしながら、胴上げ・騎馬戦・肩車という話は、社会保障を取り巻く実情と大きく乖離しているのである。 | 久しぶりに、濱ちゃんブログより
次もどうかな。
追記 最近の濱ちゃんブログには、次もありましたね。
先週の講義で話をした「投票者の合理的無知」を説明した次の文章をどうぞ。
- 「合理的無知」『日医ニュース』第1186号(平成23年2月5日)
この文章で重要なのは、次。
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大衆とは、専門知識の無い人達のことだと思いがちです。 しかし、スペインの哲学者オルテガは,専門家こそ最もやっかいな大衆だと言っています。なぜなら、自分たちは狭い専門知識しかないのに、専門以外の広大な領域についても、知者のように傲慢(ごうまん)に振る舞うからだと。 | この文章を書いた人は、敢えて言いますが普通の町医者です。彼は、高校生の時にオルテガの『大衆の叛逆』を読んだそうです。そういう人だから、私が2001年に出した『再分配政策の政治経済学Ⅰ』を、本屋の書棚から見つけ出して、それを読んで、そこに書いてある「合理的無知」という言葉を強く記憶にとどめられたのだと思います。 ということもあるか、なしか、講義では、オルテガの『大衆の叛逆』は、レポートの課題になってます。
ちなみに、次の講演の中にも、実は、自分では何でもわかっていると勘違いしている”いわゆる専門家”を批判する意を込めた箇所があります。
次もどうかな。
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4月22日 |
講義参考資料の関連情報
なるほど。 |
4月20日 |
講義参考資料――昨日の『週刊文春』今週号にあり
一年も、教室に座っていると、上記対談の「様々な」意味が分かるようになります。 次、参考までに――政権交代直前の対論。
次は、昨日知人に送ったメール。
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今朝、『週刊文春』を駅で手に入れて僕が一番最初にみた記事は芸能欄の「笑っていいとも!」の話。 3月8日の「笑っていいとも」を僕はリアルタイムでみていて、テレフォンショッキングで矢田亜希子が大竹しのぶに「はじめまして、矢田と申します」と・・・。僕の人生であってはならないシーン、ベスト3に入るな、あれは・・・云々。 | |
4月19日 |
講義参考資料
- 太田啓之氏「NHK、日経新聞、週刊現代、週刊文春!? 年金大誤報にダマされるな」『週刊文春』
まったくだな。 でっ、『週刊文春』で『週刊文春』を批判しているところがいい(笑)。 とにかく、この国は、政策を批判するコストが低すぎた。
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4月18日 |
大分の知らない人より
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・・・と、ここまでは普通のファンレターですが、今回どうしてもメールしたかったのは、本日のHPに掲載されていた「年金実務」の最終頁に掲載されている「編集周辺」に、突っ込まずにはいられなかったからです。
何故に霊媒師に会いにいく?何故に出雲大社?何故にナウシカ? それより何より、こんな固い業界紙で何故こんな編集後記が許されているのか? 私の記憶では、過去に掲載されていた「編集後記」も相当にぶっ飛んだ内容であったかと思います。
この編集後記を読むためだけに「年金実務」を購読したい衝動に駆られますが、年間5万4千円の購読料ではどうにもなりません。
そこでお願いです。今後とも年金実務の「最後のページ」を、積極的にHPに掲載してください。 年金の理解を深めつつ、さらに人生の奥深い部分を学べれば・・・と思います。(笑) | いえいえ、是非とも、ご職場の方で定期購読をお願いいたします。。。 再来週でしょうか、『年金実務』の2000号記念座談会で編集者の人たちに会いますので、私も、いつもぶっ飛んだ「編集周辺」を、実は一番楽しみにしてますと伝えてきます(笑)。 |
4月17日 |
以前、私が「研究者の知名度極大化行動」と呼んだ原理で説明できる現象が昂じると、社会は国民生活を守るために、当然、次のような運動を開始するだろうし、そうあるべきだと思う。
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「テオリア」『年金実務』4月9日号 |
社会保障がテーマであるはずの先生が、実はマスメディアへの露出がテーマであったり、審議会の委員になることがテーマであったりする。心得違いも甚だしい。・・・我が国の民主政治が衆愚政治に陥らないために、学者の質をあげなければならない。 | 「研究者の知名度極大化行動」は、7年も前の2005年7月に書いた次の3頁にあり。
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4月16日 |
講義参考資料
- 太田啓之氏「破綻論に惑わされるな 「年金活用」次なる一手」『文藝春秋 NEXT』2012年4月臨時増刊号
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4月12日 |
明日より
講義要項にもあるように、まずは「資本主義的民主主義―――権力と市場と民主主義」の話。 社会保障にたどり着くまで、春いっぱいは、主に経済学説史上の長い道のりを歩んでもらう。悪いな。 次もセットで履修のこと。
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4月9日 |
まぁ、一事が万事、そういうもの。
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編集室からの記者の耳『週刊社会保障』2012年4月2日号 |
3月22日の参院厚労委で辻厚労副大臣は、平成19年の被用者年金一元化法案は衆院解散で審議未了廃案となったと説明。結果はそうだが、審議入りできなかったのは民主党の反対があったから。新年金制度の方向性に沿った改革としても、まだ、新年金制度は骨格段階。当面の改革として取り組むのなら19年法案にも協力できたはず?(釘) |
「あの時、協力しておけば」 岡田氏、野党時代を後悔 朝日新聞4月7日 |
・・・来年に法案提出を目指す最低保障年金制度創設も自公両党の批判を踏まえ、「法案が成立する可能性はほぼゼロ」と明言。厚生・共済年金の一元化法案は「自公も同じようなことを言っていた。あの時やっておくべきだった」と述べ、自公政権下で協力しなかった昔の姿勢を反省した。 |
| 次などもどうぞ。
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編集室からの記者の耳『週刊社会保障』2012年3月26日号 |
3月19日、社保審・適用拡大特別部会。部会の検討途中に、政府・与党で適用拡大の基準が決まったことついて、遠藤部会長が「残念なことである」とのべると、委員からも「部会での議論は徒労に終わった」、「この場で決められなかったのは大変遺憾」の声。同部会は報告書をまとめることもなく、同日幕・・・。(高) | |
4月8日 |
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4月7日 |
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年金争点化、遠のく改革 <民主党政権 失敗の本質> 朝日新聞 |
民主党の代表や幹事長として政権交代を目指してきた鳩山由紀夫に聞くと、明け透けな返答で驚いた。
「年金がこのままではボロボロになって、年を取ってももらえなくなるという語りかけは、非常に政権交代に貢献してくれた」 | |
4月5日 |
所在は次。
次もご参照あれ。
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4月4日 |
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4月2日 |
以前、ゼミの女子学生が、「先生には、私たちが本屋さんで買うことができる雑誌にしか出てほしくないです」と言っていたけど、そりゃそうだよな。僕は、君らが親に話せるかどうかを意識しているけどね。でっ、次なら大丈夫かな――この前確認したけど、『AERA』は生協にも置いてあった。。。
- 「年金破綻論のまやかし――”公的年金は枯渇””積立方式に変えれば安心”など徹底検証」『AERA』本日発売
このインタビューのために日頃手にしない雑誌をいくつかみたけど、記者さん達は遊んでいますねぇ(笑)。 子どもの頃テレビで流れていた、ブッチャーが出てくるプロレスの場外乱闘をみているようでおもしろかったよ(笑)。 ちなみに、僕は昔々、次のような文章を書いているけど、これって、始めの方に書いているように学会での出来事なんだよな。
そう言えば1月頃に、内閣府の方から社会保障の世代間格差に関するペーパーがでたけど、あれは、「社会保障の教育推進に関する検討会」というところで、3月23日に検討しています。あそこには「社会保障に係る正確な理解について」という議題があるんで。いずれ議事録等がでるでしょうからしばしお待ちを。 たとえば、あのペーパーでは、次の試算をやっているらしいけど、次をみておかしいと思わない方がおかしいだろうな。
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例えば、介護保険では制度設計が2000年なので現在の高齢者は、現役世代に保険料を負担することがなかった。年金、医療でも、これまで段階的に保険料率を引き上げてきたので、前世代は後世代よりも負担が軽くなっている可能生が高い。本節では、本研究で開発したモデルを用いて、生年別に生涯にわたる保険料の支払額と受取額を集計することにより、世代間格差の有無を検証してみる | 介護保険が創設されたから、彼らが問題視する世代間格差が発生したらしい・・・。 それに年金は、急激な保険料の引上げと莫大な積立金が蓄積されることを避けるために段階保険料方式を採用してきたのに対し、医療は時代と共に医療が高度化して医療費が増加してきたことによるものであって、同じ段階的に保険料が上がってきたとしても、その意味は全然違うわな。 僕が、3月23日の検討会議で最初に話したことは、次のようなこと。
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いま、自動車保険に入っている人がいるとする。 そこに、証券会社のお兄さんがやってきて、「私にそのお金を預けてくれたら、年利4.1%で運用しますよ」という。 「えっ、そうなの!」と、その話しにのって、自動車保険を解約し、そのお金で金融商品を買ったら、どうなる? 社会保険の拠出と給付の割引現在価値としての期待値を機械的に計算するということは、 そういう世界の話をしているわけで、 内閣府ペーパーと同じ方法で計算すれば、民間保険は全部払い損だという結果になるよ。 民間保険では、保険会社が事業を運営するために必要とするコストである付加保険料を徴収しているから、 相当な払い損になるだろうな。 | |
3月31日 |
僕が「代考士」という言葉を使ったのは、もう、随分と前の2006年みたいですね。
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勿凝学問43 首相の失言は優しく忘れてあげましょうよ、それが大人というものでしょう――厚生・共済年金一元化と追加費用 |
本当に困ったことに、世の中、大切なことは複雑なんです。重要なことは簡単には理解できない。だから、みなさんに代わって考えるわれわれ――みなさんに代わって事を議する人たちを代議士と呼ぶように、みなさんに代わって考える人たちを代考士と呼べないものかと学生に提案したこともあるのですけど、流行りそうにありませんね、この代考士――に、考える暇が与えられているはずなんですけど、最近は、この代考士さんたちもなにかと忙しいようで、なかなか立ち止まって考えようとしない。だから世の中の論が、乱されるままに乱れてしまっているのではないか。ゆえに世論はおおかたいつも間違ってしまうことになる。なんともそういう感想なぞを、近頃はいだいております。 | 次もありますね――人生、一度だけ出たことがあるテレビで、今の神奈川県知事に、「一言で言え」と言われたことに対する僕の解答
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勿凝学問235 銭湯権を危険にさらして――新報道2001スタッフへの礼状 |
研究者は論証プロセスが命。そして、複数の価値を含む目的関数におけるバランスを視野に入れた政策解というものは、一言で表現できるはずもなし(笑)。残念ながら、大切なことは複雑なんですよ。「論文を読んで下さい」の解答は前日に考えており、前の日の夜には、該当する年金の論文をホームページにアップしていました。 | ちなみに、僕の年金の論文は、ちまたで3部作と呼ばれているらしい、3つの論文がありますけど、 これって、全部、学会や研究会から頼まれて書いたもの。 自分で書きたくて書いたものはひとつもなし。根が脱力系だし、年金の研究者と思われるのは大いに不本意だしで。 社会保障国民会議の時も、僕は「医療介護分科会」に入りたいと要求しても誰も聞いてくれず、「雇用年金分科会」に入れられてしまい・・・・・・「医療介護分科会」にはオブザーバーとしてしか参加できず。 世の中、思うようにいかないものです。
なお、この春、ゼミの12期が卒業したけど、これまで1人として卒論を年金で書いたものはおらず。 先日は、ゼミの卒業生で研究をしている者が集まって大人飲みをしたけど、1人も年金をやっていない。 それも当たり前で、僕は十数年前のゼミの1期の学生の頃から、 「年金は止めとけ。あれは君らを賢くすることは絶対にない」と言っていたらしい。 普通は、研究をして考えていけば今まで見えなかったものが見えたりするようなものだけど、 年金は、不勉強でないと発見もなく面白くもない世界ですからね。 |
3月30日 |
『現代の社会福祉100の論点 2』月刊福祉増刊号
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3月28日 |
- > 標題はまんま権丈先生のパクリです。あらかじめお詫び申し上げます。
いえいえ、随分と勉強になりました。
- 「あるべき姿」として提示されたのがたとえば「そらをじゆうにとびたいな」だったとすれば・・・
なるほど、うまい表現をする人がいるんですね。 そういうタケコプター論者の厄介さは、確信犯的にやられると素人は永遠に騙され続けるというところにあります。
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3月22日 |
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