1月20日  昨日話したように
  •  
という、政策形成過程に関するPositive Analysisの問に対して、「希望的人間モデル」と「絶望的人間モデル」という、ふたつの仮説に基づいた説明がなされたとする。
そうすると、次の作業として、いずれの仮説の方が現実にあてはまりがいいかどうかを確かめなければならなくなるわけで、それは、今回決められた軽減税率が、制度として国民の厚生を高めるのかどうかに依存することになる。高めるのであれば政策形成過程は希望的人間モデルの可能性があり、そうでなければ絶望的人間モデルのおそれが高くなる。したがって、現実の世の中の政策形成過程というのはどっちのモデルに近いのかを考えるために、決められた軽減税率という制度の細部を調べる必要がでてくる――こうした政策効果の評価作業は、軽減税率に限らず、人の言うことはあてにせず自分で納得がいくまで考え抜く必要がある。
Positive Analysisでは、そこで立てられた仮説は検証できなければならない・・・というか全部はムリなので、できれば検証できる可能性があった方がいいという話とPositive Analysisという考え方はこういうことという話。
 1月18日  先週水曜日の話題です――極めて重要な記事ですので、紹介させていただきます<(_ _)>ペコッ 『ちょっと気になる社会保障』より
  •  そして今の年金受給者たちが,図表67を理解した上で,それで
    もマクロ経済スライドのフル適用に反対するというのでしたら,僕
    としても,世の中,所詮そんなもんかっと諦めはつきます.だけど,
    マクロ経済スライドの適用で浮いたお金が政治家や官僚の懐に入る
    と誤解して,退職者の団体などがマクロ経済スライドのフル適用に
    反対されているのであれば,年金改革が進まないことへの諦めがど
    うしてもつかないんですよね。だからこういう本を書いたりしてい
    るわけですけど・・・。安い労働力を雇い続けたいために適用拡大に
    断固反対する経済界とは,みなさんは違うと思うんですよ。経済界
    には力でいくしかないのでしょうけど,年金受給者のみなさんは,
    年金制度について正確な理解をして頂ければ,みなさんの孫,ひ孫
    さん達のために協力してくれると思うんです.甘いですかねぇ。
次もどうかな。日医の医療政策会議報告書に書いている文章(まだ、提出していないけど・・・)
  •   会長から「パラダイムシフト」という言葉について語る機会を頂いたので、本稿では、この言葉と政治・政策論の関わりについて、日頃から考えていることを書かせてもらおうと思う。
     科学は非連続的に進歩するというパラダイムシフトを唱えたトーマス・クーン、そしてクーンの考えに強く反論をしたカール・ポパーの双方とも、実のところ、社会科学というものを、彼らが考える「科学」には入れていなかった。
    ・・・
     ところが、パラダイムシフトという言葉が多用されるのは社会科学の世界であり 、その言葉を頻繁に目にするのは政策、政治の場でもある。なぜ、社会科学の世界や、政策、政治の場ではパラダイムシフト言う言葉が多用されるのか?そしてそうしたことは、世の中にどのような影響を与えているのか?こうした問に沿って、本稿では論を進めていこうと思う。
    ・・・
     政策の世界にいる、たとえば政治家や研究者は、自分の名前のついた業績を求めるのは当然のことであり、過去との不連続性をメッセージとして持つパラダイムシフトを掲げたくなるのも当たり前のこととなり、その傾向は、政治家や研究者の競争が激しくなればなるほど強くなる。その結果、何が起こるか?
     既にあるものの名前を変えて呼びなおす。新しい呼び名のもとでまとめられた政策パッケージは、いつも過去のものの寄せ集め。古くから指摘されていた問題はなんら解決していないにもかかわらず、政策の焦点がシフトされる。そして、国民はネコの目のように目まぐるしく変わる政策ネーミングの中で、何が起こっているのか分からぬまま。したがって、改革に必須となる世論の後押しも形作られることもないために、本当になされねばならない改革は実現できず、改革を阻む岩盤は、無傷のままで時は流れる。
     社会科学、政策の世界では、パラダイムシフト、イノベーション、ポスト○○など、格好の良い言葉でありながら過去との不連続を許してくれる言葉は多用される。そこで言われている内容の、過去の累積的な過程を無視した歴史との不連続性が、論者の不勉強に帰することであっても、見栄えの良い言葉は隠してくれる。そうしたシーンをいくどとなく私は見てきたわけであるが、その弊害は大きい。この弊害を避け重要な問題を本当に解決しようとするのであれば、そうした派手な姿勢とはまったく逆に、問題が解決するまで愚直なまでにしつこく同じことを言い続けることである。
   うん、君が使った「希望的人間モデル」、これから使わせてもらいます。
投票者の合理的無知を前提として、次に、他のアクターに利他心を仮定した希望的人間モデル、利己心を仮定した絶望的人間モデルのふたつの世界を考えるというのは、うまい方法ですね。
いつもながら、締切1分前のレポート提出、おみごとです。
・・・ちなみに、僕は、授業の中で軽減税率そのものについて説明していませんし、そのために時間も使っていません。
レポートを課して、いくつかの新聞記事を紹介したただけということかな。下記に登場するいくつかのキーワードは、僕が一年間の授業のどこかで使っていた言葉になりますね。僕の「社会保障論」は副題が「再分配政策の政治経済学」ですので。
  •  時間:2016/01/16(土) 21:59
    ------------------------------------------------------------
    題名:Re:第7回 軽減税率のPositive Analysis
    内容:
     軽減税率が成立した要因を、投票者の合理的無知という前提の下に考察する。
     まず、「希望的人間モデル」、つまり利他心に溢れた人間像を仮定する。このモデルでは、公共政策に携わる権力者は皆、国民の利益極大化戦略を取る。政治家や政府は慈悲深い専制君主であり、無知な国民の代わりに彼らの厚生を慮った政策を展開する。メディアも無知な国民のために正しい情報を拡散、世論を国民の幸福へと導く。このモデルであれば、軽減税率は国民の厚生を高める所得再分配政策だからこそ、政治家・メディアが共に推進し、世論を賛成に引っ張った結果、成立を勝ち得たと断定できる。
    しかしながら、「絶望的人間モデル」の方が現実に即しているようである。当モデルでは、権力者は投票者の合理的無知につけこみ、利己的に権力や富の獲得・維持を追求する。資本主義によって一層蝕まれつつある人間性を巧みに描写したモデルと言えよう。政治家は得票率極大化を図ったポピュリズム政策を展開し、メディアは自身の利益極大化に都合のよい情報を流すようなモデルである。
     当モデルを用いて軽減税率の成立を分析しよう。・・・
どうも、ものごとの抽象化を図るというのは、女性の方が得意なのかね。男性のレポートは、固有名詞を使わずにPositive Analysisをという意味があまり分かっていない傾向があるみたいです。次も、よくモデリングができていますね。ここまで抽象化レベルを高めることができていれば、これからの応用力が高まっているはずです。
  • ------------------------------------------------------------
    題名:Re:第7回 軽減税率のPositive Analysis
    内容:
    今回の軽減税率の成立は、政治家が得票率極大化行動をとった結果である。得票率極大化行動とは、政治家が国民の幸せなどには関心を持たず、国民が完全情報を持たない合理的無知であることに付け込んで、自身の得票率を極大化する行動である。つまり、現実の政治家は伝統的な財政学や厚生経済学に登場するような、市場の失敗を修正し国民の社会的効用を高めようとする理想的な「慈悲深い専制君主」ではない。その結果、「政治家は簡素な税を嫌い、複雑な税に対して強い選好を持つ。」これは政治家の得票率極大化行動の前提として、投票者が合理的無知であるからだ。合理的無知とは、投票者が合理的に行動しようとすると、政治・経済分野の勉強をしようとせず、確実にリターンのある知識を得ようとするため、公共政策に対して無知になる、というものである。この合理的無知を前提とすると、政策評価の難易度が高くなるにつれて、政策を正しく理解する投票者数が減少することが分かる。
     以上をもとに軽減税率の成立について考えてみる。軽減税率は経済学者の中で非難する声が多い中、新聞記事によるとなぜか国民の支持は高い政策である。この背景にはまさに投票者の合理的無知が存在する。・・・・・・これは得票率極大化行動をし、「税は恩を売るためのもの」と考える政治家にとって成立させるべき政策である。まさに「政策は力が作るのであって正しさが作るのではない」という言葉が実現された結果である。
  •  私が受講しているある新聞社の寄付講座では、授業の最後あたりにさりげなく堂々と軽減税率を導入した方がいいという意見を述べていました。
うん、まぁ、会社の方針に忠実な人はいるものですからね。
少し関係する話かも
 1月16日  昨年10月9日の再掲 昨日は年金学会役員会。。。去年入会したんだが(付録 去年提出した入会のための書類)。 10月に開催される年金学会は、例年、学会の運営を役員の先生のゼミの学生がお手伝いしているらしく、昨年は早稲田の牛丸先生のところで・・・云々という話を僕には関係ないと思って聞いていたら、いつのまにか矛先がこっちに。「はい」っと答えてきたので、学生くん達、10月によろしく。
 1月15日  来年度は、火曜日1限の専攻演習Sの順番が回ってきたので、講義要項提出。 今日の三鷹市民大学。2時間の授業を終えた頃には、次の質問、みんなが僕と同じ方向を向いてくれて、結構楽しかったです。
  •  
ちなみに
  • > 学習生の方々の状況をご報告いたします。
    > ◆抽選の結果、30人の方が当選(男21人・女9人)し、5月から開催しております。
      年齢層 36歳~87歳、30代:1人 40代:3人 50代:1人 60代:10人 70代:9人 80代:6人 という構成です。
休憩時間に、教育センターの廊下に張り出された壁新聞をながめていると、「成長戦略か歳出カットか?――それぞれのメリット、デメリット」とあったので、休憩時間の後に、ついつい、ピケティの『21世紀の資本』と秦の始皇帝に仕えた徐福の話を合わせて15分ほどしてしまった次第。
   16日(土)22時までに、レポート提出用掲示板にアップしておいてください。
  •  
 1月14日  
 1月12日  
  • マクロウォッチ 再び発動不能に陥るマクロ経済スライド『週刊東洋経済』今週号
 1月9日  
 1月8日  本日、発売だそうです。

次は、昨年11月27日に届いた連絡――ここから、なんとかがんばってくれました。
  • Subject: 日程の件 お詫びとご報告: Ⅵ巻・Ⅶ巻
    Date: Fri, 27 Nov 2015 09:49:25 +0900

    権丈先生

    大変ご迷惑をお掛けしております。

    勁草書房でのご著書、順調に進んでいるとの由、お喜び申し上げます。
    反対に、こちらの2冊が大幅に遅れておりますこと、重ねてお詫び申し上げます。

    誠に恐縮ですが、2016年1月刊行とさせていただきたく、お願い申し上げます。
    昨日、印刷所と打ち合わせを行い、次の日程で進めることと致しました。
    > ----------------------------------------
    > 来週、再来週で順次、前付・後付部分を出校し、
    > 12月17日(木)責了
    > 1月14日(木)見本出来
    > 1月22日(金)~書店店頭販売開始
    > 1月30日発行(奥付 標準記載日)
    > ----------------------------------------
    本当に申し訳ございません。
    上記をデッドラインとして厳守致したいと存じます。
    ご容赦・ご了承いただきたく、何卒よろしくお願い申し上げます。
この連絡を受けて・・・
  • Sent: Friday, November 27, 2015 10:22 AM
    Subject: RE: 日程の件 お詫びとご報告: Ⅵ巻・Ⅶ巻

    おはようございます。

    参考文献、索引はPDFにして、本にはURLを載せる。
    その他、帯と袖とかに時間がかかるのならば、それらは一切なしで、とにかく2015年刊となりませんかね。

    勁草の本は、空母たるⅥ巻、Ⅶ巻からの飛び道具と位置づけていまして、1月半ばに刊行予定です。
    そこに、参考文献として権丈(2015)の2冊が、山ほど登場しています。
    これを2016に全面書き換えは今からでは難しく、空母の方が後から出てくるというのはなんともつらいものがありまして・・・。
その後、編集者木内さんのタイガーチャージならぬ、木内さんチャージが展開されまして、奥付の日付が予定よりも一ヶ月も早くなった「2015年12月31日」という、普通ではあり得ない日付を載せた本ができました。
ちなみに、参考文献、索引の作成には僕は一切関わっておらず、編集者がちゃんとした本にしたいと思って、懸命にがんばって作ってくれたものです。それを、僕から載せなくて良いよっと言われたわけですね。木内さんは、意地になって参考文献、索引付きの本を、昨年内に間に合わせてくれたようです(笑)。どうもです。
 1月7日  今日話した再分配政策の政治経済学方法論?
  •  絶望的人間モデルと異端
    『医療年金問題の考え方―再分配政策の政治経済学Ⅲ』14-15頁
     

 1月6日  下記の「政治家は簡素な税を嫌い、複雑な税に対して強い選好を持つ」は、もう一段階、説明がいるんだろうな。
つまり、得票率極大化行動をとる政治家は自らが裁量権を持ち、人に恩を売ることができる税を好む。いや、税は恩を売るために存在すると考えようになると言う方が分かりやすいかな。ただしここでは、投票者の合理的無知という条件も必要になってくる。明日の講義では、雑談として、昨年末のそのあたりの話に触れます。僕の社会保障論の副題、再分配政策の政治経済学にとって、良い教材です。
 12月25日  昨日の講義の雑談ではなしたように、政治家に得票率極大化行動、投票者に合理的無知を仮定すると、政治家は簡素な税を嫌い、複雑な税に対して強い選好を持つことになる。政治的効率性とは、あくまでも得票率を高める効果で測られる効率性であって、資源配分の非効率を抑える効果で測られる経済的効率性とは異質なモノ。
政策は、所詮、力が作るのであって正しさが作るのではない――ということ。
次は僕の1冊目の本の1章の冒頭の文章。産声のようなものかね。
  •  『再分配政策の政治経済学Ⅰ』より

    ・・・
     
    ・・・

    ・・・


 12月19日  木曜日の3限に触れた、2限「人口労働問題と社会保障」で配布された資料をアップしておきます。
 12月18日  
  •  昨日はニコラス・バーから『みんなのための資本論』を見に行きました。

    ニコラスのお姉さんから、うちは初めてですか?と聞かれ、
    「えぇ、英国の有名な経済学者にニコラス・バーという人がいまして、これまた有名な大学の先生のホームページで貴店がニコラス・バーそっくりということで紹介されてまして」
    と申したところ、
    「この前もそう言う方がいらしたんですよ」

    と不思議そうなお顔をされていました。

    kenjoh.comおそるべし…
追い出しコンパあたりで、行くとするか。
そう言えば、以前、くらしまんが、ニコラスバーが登場するえらそうなレポートを書いていたな。
  •  今回の課題を読み進めていくうちに今まで、年金について講義を受けていた内容が整理された気がした。
     年金については、“年金破綻”や“抜本的改革が必要”など多くのメディアがネガティブな報道をしていた。それは制度の複雑さ、わかったつもりのバイアス、メディアが年金を社会問題として捉えていること、また救貧機能と混合させたり貯蓄と混同して考えているなど多くの問題が絡み合っている。このような国民を不安にさせる無駄な障害が政策への力を削ぎとってしまう状況は日本の発展には大きな邪魔となる。だが、現在多くの新聞各社がノウハウの蓄積とともに自分たちの報道の間違いに気づいたことは大きな前進であると言えるだろう。またニコラス・バーの登場により世界的に年金研究は、ほぼ答えが出たことも非常に大きい。
     権丈先生が年金総合研究所のシンポジウムでお話しされた右側左側の経済学は一見年金に全く関係ないように見えるが、この問題の根本的な意見の相違を生み出していると思う。私も最初は「あれ?これ社会保障論の授業だよね?」という気持ちで授業を受けていたが、年金についての概観が見え始めた今、右側の経済学に年金を当てはめた時の怖さがわかってきたし、ここが年金についての課題であるとも思う。
     そんな年金で今後一番必要になってくるのはマクロ経済スライドのフル適用、そして被用者の適用拡大であると思う。被用者の課題としてパートなどの週30時間以上の労働で事業主のコストが屈折して増加する点があげられる。現場の制度だと社会保障である厚生年金の制度の中に非正規を雇いたくなるインセンティブがふくまれているからだ。ただ、これは安い労働力が供給できなくなることも同時に意味するため非正規雇用に依存する企業などの反対も激しくなるだろう。これからの問題を解決するにはいかに国民に正しい情報を伝えていくか、そして国民がそれを理解しようとし考えていく必要がある。年金問題を見ていく中でいかに国民のリテラシーが大切か、そして正しいことを伝えることはどれだけ大変なのかということを多く学んだと思う。
 12月10日   マンガつながりで次も勉強を でっ。次の上映映画館は、ダイニングバーニコラスの近くだから、映画とニコラスバーで一杯のセットがおすすめかもしれん。 この映画は、ライシュの本『余震(アフターショック)』に基づいています。
昔、ゼミ合宿で4年は新刊の書評を発表するという企画があって、この本の書評を書いていたのがあったので、紹介。
4年前の2011年夏の文章ですね。
新刊書評企画は、来年のゼミ合宿から復活するとするかね。
 12月6日  追い上げる後続馬から逃げ切れるのか!、ガンバレ、Ⅵ巻Ⅶ巻!?
  •  追走馬の「はじめに」より
    はじめに――社会保障なんか信用ならん!?
     社会保障って、なんだか気になるんだよね。ちょっと知りたいと思うんだけど、なに読めばいいんだろ。政府の資料もいろいろとあるみたいだな。でも、なんか胡散臭いしなぁ。となれば、テレビで見たことのある人の本やよく売れてそうな本を読めばいいのかな。なるほど、これはおもしろいぞ、政府っていつも国民を騙そうとしているわけか。うんうん、そうかそうか・・・世の中はやっぱり陰謀で動いてんだよなぁ。それを暴いてくれるこの本って、イケてない?えっ、なに、僕たち若者って、そんなにひどいめに遭ってるの?「若者は決してそれを許さないだろう」って、そんなこと知らなかったオレって何者?そう言えば高校の時に眠気眼でながめていた現代社会の教科書に、年金は「現在でも多額の積立金不足が生じており、この部分の解消が課題となっている」ってのもあったし、「公的年金制度の抜本的な見直しが必要である」とかあった気がするな。友だちも高校の教科書に「年金一元化を含めた抜本的な改革が必要」ってあったぞって友達に話して、まわりからお前社会保障をえらい分かってるなぁって感心されていたしな。やっぱり教科書にも書いてあるんだから一番の問題は年金なんだな。・・・
 12月5日   次、関連資料? 次は、授業を受けている君たちだけが分かる?、公的年金改革をとりまくここまでの流れ
  •  
   そう言えば、昨日の来訪者に、健康帝国の話をしたね。 生活習慣病の話もしたかな
  • 勿凝学問57 医療関係者への日経新聞のすすめ――みなさんの問題意識と経済界ご意向とのギャップを知る手がかり?
     昨年の今頃ケンブリッジにいて、ゼミの学生が遊びにきたのでロンドンに出かけ、彼らと離れて一人でいるときに、ちょいとラーメン屋に立ち寄った。そこで手にした日経新聞の次の記事をみて、日経編集委員である大林尚氏は、いずれ生活習慣病の患者団体から――かつて成人病と呼ばれていたのが1997年頃から生活習慣病と呼ばれるようになったのであるが、生活習慣病は必ずしも生活習慣のみに起因して発病するものではない――訴えられやしないかと心配し驚いたので、紹介しておくことにする

     

    「負担抑制へ覚悟見えず(医の再設計)」

    『日本経済新聞』20051129日朝刊3

    医療改革の目的は患者第一を貫き、かつ超高速で進む高齢化に耐えうる制度づくりに尽きる。政府与党協議は高齢者の窓口負担について六十代後半の負担率を下げる方向を出すなど本来の目的を見失っている。国民の保険料と税金で賄っている医療給付費を長期的に無理なく負担できる水準に抑える仕組みづくりに照準を定めねばならない。

     二〇〇六年度の医療給付費は二十八兆円強の見通し。何の対策もとらなければ二五年度に五十六兆円に倍増するという。短期的には出来高払いが中心の診療報酬体系を病気の種類に応じて治療の難易度を映した定額制に徐々に変えていけば、入院日数の短縮と医療費抑制の一石二鳥を狙える。

     腕の立つ医師は極力コストをかけずに患者を治して早期退院に導く。医師は自らの報酬を確保する動機づけにもなる。病院や診療所が診療報酬の請求に使う明細書(レセプト)の電子化も治療方法の標準化に不可欠。すぐさま着手すべきだ。

     中長期対策も効果がはっきりしない面がある。厚労省は生活習慣病の予防徹底と患者減らしによって、高齢患者を中心に入院日数を短縮させることを柱に据えた。二五年度の給付費削減目標七兆円のうち、六兆円をこの対策で稼ぐという。

     肥満、糖尿や高血圧、高脂血で最も苦しむのは本人と家族。「死の四重奏」と呼ぶ医師もいる。「これらを根っこから抑えないことには患者負担をいくら上げても医療費は減らせない」(辻哲夫厚労審議官)のは確かだ。

     都道府県は五年間の患者減少率や入院日数の数値目標を含む医療費計画をつくり、達成に向けて地域単位の診療報酬を設定する。給付実績が目標とかけ離れて膨張した場合は、従来の対策を検証して新しい抑制策も取り入れる。だがこの仕組みは、最初に決める抑制策の効果に十分な裏付けがあることが前提になる。

     予防に大切なのは一人ひとりの努力。政府与党案は肝心の患者と健康保険の運営者が対策に乗り出すための動機づけに乏しい。遺伝性ではなく生活習慣に起因する病気を本気で減らすには、その患者にかぎって患者負担の月額上限を上げるなど、本人が経済的にも痛みを感じる仕組みが避けられないのではないか。もちろん低所得者への配慮は欠かせない。

     病気減らしに意味のある負担に効率化を組み合わせることが改革の眼目でなければならない。

    (編集委員 大林尚)

 12月4日  昨日、少し話したこと こういう話は、もう、7年以上前に言っている模様
 12月3日 分かる人には分ればいいだけの話をひとつ。
今日の講義での本題に入る前の雑談。今日の授業で使ったスライドを用いれば・・・

いま、次のような年金理解の人がいるとする。
  •  
この人が、審査員のひとりである賞が世の中にあったとする。
  •  
そうすると、昨日の日経新聞のようなことが起こる。ほかの委員も、普通、似たような年金観?なんだろう。
それが日本の年金の世界。まぁ、そんなもんだ。
次でもご笑覧あれ。 日経関係のおかしな話も
 12月2日 社会保険という制度を理解するための大前提となる税による貧困救済の歴史と生活保護からはじまった秋の講義。 以前にも話したように、君たちが次の2つの文章の意味を理解し、年金は切羽詰まりながらも、もどかしい状況にあることが分かるようになるまで、今年の年金の講義では進むつもりだったわけで、明日はその仕上げ。その後、医療介護に入る。 次あたりは、もう、軽く理解していると思う。春学期に出した問題、秋学期のテストでももう一回出すかもしれん。
 11月28日  先日の講義で少し話した雑談
  •  『再分配政策の政治経済学Ⅰ』より
     
ここに登場するアトキンソンは、ピケティの師匠筋の人です。
そして、アトキンソンとスティグリッツは、1980年に、Lectures on Public Economicsを出します。
昔、外書演習をやっていたときに、この本を数年間使っていたこともあります。
今調べてみると、新版が今年出ていますね。 付け加えれば、アトキンソンの考え方の流れの先に、ダイニングバー・ニコラスさんとかもいることにもなります。まぁ、源はミードだろうな(ちなみに、ミードのお嬢さんがダスグプタの奥さん。昔、みんなでミードの家に遊びに行って、わいわいと賑やかにやっていたんだと思う)。
なお、
  •   『再分配政策の政治経済学Ⅰ』より
     
この文章は、2001年に書いています。
ここに出てくるG.タロックが、君たちが最近仕入れたレントシーキングという概念の生みの親です。
そして、レントシーキングをWikipediaでみてみると、
  •  ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツは、アメリカにおいて金融関係者や大企業CEOら富裕者層の富は、民間企業が政府と結びつき公共サービスの仕組みを変え、市場のルールを変え、市場の公平な競争を上手く機能させないように講じられた結果によるもので、これを「レントシーキングによる富の収奪」と呼び、批判している。
君たちの卒論のテーマは、君たちの間ではバラバラに見えるだろうけど、僕の中ではだいたいみんなつながっていることが少しわかるかな。
なお、タロックやブキャナンが創った公共選択論public choiceでは、結構使える概念が生まれています。投票者の合理的無知も政治家の得票率極大化行動もそうです。ただし、公共選択論は、批判的に勉強しないととんでもない研究者が育つことになるとも思っています。
  •  勿凝学問27 『再分配政策の政治経済学Ⅰ』に込められたPublic Choice with Warm Hearts の思い――権力論、着想のきっかけは大河内理論だったような気もする
     このあと、後に『再分配政策の政治経済学』の1章「再分配政策形成における利益集団と未組織有権者の役割」としてまとめることになる研究の中で、シカゴ系の民主主義モデル(利益集団モデル・規制緩和モデル)やヴァージニア系のリヴァイアサン・モデルに関する文献を読み、学び、考えに考えた。その間の違和感が、留学先としてわたくしを、アメリカではなくイギリスに向かわせた。1996年にケンブリッジに到着したとき、パルサ・ダスグプタの運転する車の中で、彼に、いま最も興味のあることは何かと尋ねられた。とっさに、Public choice with warm hearts と応えると、彼は、It's impossibleと笑った。
さらに
  •  『再分配政策の政治経済学Ⅰ』より
     
おまけ
こういうことばかりやっていた頃、ある先生が、権丈さんは社会保障の研究はどうなってるんでしょうかと、藤澤先生に心配して言っていたそうです。その時藤澤先生は、権丈は指導しようとか思ったらわざと反対方向に行きますから放っておきましょうというようなことを答えたそうな。。。どうも、他の先生たちにも権丈には何も教えなくていいいからなっと頼んでいたようだし。まいったもんだ。
 11月27日  昨日、ふと思って話したけど、次の文章は生産性新聞に書いている。生産性新聞は生産性本部が出している。 成長戦略についての連載の一環だった。よく掲載拒否されなかったもんだな。
ちなみに、次は掲載拒否された文章・・・
 11月26日  今日の講義で登場した話
 11月25日  同じ世代の人たち、どうぞ
 11月23日  ほぉ 明後日締切のレポートに、教育検討会のケーススタディなども関係していたので助かりました。
 11月21日  次は、去年の今頃に紹介した文章 ちょうど一年後 ちなみに、次は僕が書いた介護離職もの。 この原稿の締め切りは、9月7日。原稿提出時の副題は「たとえば介護離職を減らすためには」
その後、えっなにっ?っということがあって、副題から介護離職という言葉を外して「社会全体で支え助け合うということ」に変更。

なお、原稿提出と雑誌掲載の間の出来事という話続きで言えば、
連想ゲーム風 義理と人情」が出たのは去年の11月17日月曜日。
高倉健さんが亡くなられたのは、大塚さんが原稿を提出した後のことだそうです。
僕は次のような感想を送っていますね。
 > 読んでいて、一瞬、ゾクっといたしました。
 11月19日  次な。 次もな。
 11月15日  うん、まぁ、いまさら言われてもなぁ。
少しは関係があるかもしれない話
  •  まったく音信不通の『医療介護の一体改革と財政』より
    去年8月19日のあるところでの講演録から

    ・・・
     

ちなみに、いまの4年生がやっている卒論テーマのひとつは、「行政管理の「見える手」は機能しているのか?」 

付録
本には入っていないけど、今年6月2日のあるところでの講演録より
  •  
   
  • 介護に転職した方の生産性のメール、大変勉強になります!
    ちなみに今日は「介護の日」です。
 11月11日  明日は、月曜代替授業なので、休講です。

次、参考までに。
  •   先日は久し振りにお会い出来、懐かしく思いました。
     製造業の会社を辞め介護事業会社を経営し早13年になりました。 製造業では、生産性について毎日、毎時、毎分、毎秒単位で問われていました。 他方、介護事業を起業した当初は、まったく逆の発想なので戸惑いました。 その例として、「オムツ交換」があります。この場合、定義にしたがえば、生産性を上げるということは 単位労働時間内のオムツ交換枚数を50枚から100枚にするということが 目標になります。 いまなお、多くの介護事業者はこの意味での生産性を上げることを現場に要求します。
     しかし、介護の場合は、オムツ交換枚数を減らす事が本来の目標です。 なぜなら、医療・介護の目標はノーマライゼション(自立支援)にあるからです。 オムツ枚数を減らし、自立で排泄行為を行えるようにするのが本来の目標です。 このような努力は、費用削減、介護給付費削減、介護労働削減となり、 近江商人のいう「売り手よし、買い手よし、世間よし」となります。 ・・・
     このような考えでやっていると現場の士気も高まります。 また、離職者も減ります。なぜなら、現場はこの考え方に納得し仕事を行うからです。 何が本質なのか理解するからです。
     権丈先生、「あんこう鍋」の季節になりましたよ。 また、ぜひお越しください。
     6年前?のメンバーは離職せずに全員います。 みな勤続10年以上になりました。
あれは、国民会議をやっていた春だったから2008年の3月ですね。
春休みに、僕は、2泊3日で彼らの仕事の見学に出かけたわけだけど、立派な事業所すぎたかね。。。(笑)
 11月9日  さっきの話な
岩波の『現代経済学事典』は、読み物としてけっこうおもしろい
  •  市場の失敗
    現代経済の現実は、都市問題でも、交通問題でも外部性が大きな問題となっており、大企業は収穫逓増であり、加えて現実は不確実性をともなう動学経済であり、市場の失敗を例外とする現代経済学は、問題といわねばならない。
     生産性
    エコノミスト、新聞などが誤って使っている場合が多いので、その内容を厳密に定義する必要がある。いま投下労働量を時間とし、それによって生産された生産物をとすると、労働生産性はであり、労働当たりの物的生産性である。したがって、生産性の比較は、工場内の同じ工程をとって比較する以外ない。たとえば、乗用車の組立工程を日米間で見ると、1人1時間当たり、もっとも効率のよい工場同士で、日本1に対して、米国0.35であり、塗装工程で、最頻価日本1、米国0.5(いずれも1981年)である。しかし、通常エコノミストや新聞が用いる生産性は付加価値生産性で、価格を、製品当たり原材料費をとするとである。したがって、価格の高い米国の自動車産業が、物的生産性は小さくても、付加価値生産性が高くなることがあり、日本は生産性が低くなる可能性がある。
これらは、次で紹介しています。 次の講演で使ったスライドもどうかな。
  •  

もちろん、講演では、日経的解釈がいかに間違えているのか、そしてそうした不勉強ゆえの間違いに基づく政策がいかにして世の中に不幸をもたらすのかを話してきた次第。まぁ、こういう話や利潤と付加価値の違いなんかはしっかりと理解しておいてもらわなければなっと思って、この仕事を引き受けたわけだけどな。次の文章は、この講演の日から8ヶ月後に書いたものだな。
 11月8日  昨日のやりとり
  • Subject: Hamachanブログより知った本
    権丈先生
    11.6のHamachanブログは、生産性について工業ヤードの検証本を紹介されていました
    ・・・
    たまたま先生のHPが生産性を扱ってらっしゃったので。
当方からの返事 学生の話では、某新聞社からの寄付口座で記者が新聞をはじめとした軽減税率の必要性を語っていたそうだけど、そういうのは、彼らの付加価値生産性を高めるための尊い経済行為であるとは言えるだろうかね。
ところで、成長戦略とかを口にすることができる人たちが、僕には昔から、秦の始皇帝に仕えていた徐福のように見えてしかたがないわけだけどな。まぁ、人類には、不老不死へのニーズが永遠にあり続けるだろうことは分かる。そして不死の薬ならぬ経済成長の妙薬がございますと言っていた彼らの最後は、徐福のように始皇帝から物品をせしめてトンズラして行方不明になるのも歴史の教訓。そして歴史の面白いところは、けっこう、歴史は教訓通りに動くことであったりもする。
話変わるが、次でもご参照あれ。
   
 11月7日  昨日のことは、こういう話だよ。
  • 本当に出るのだろうか?の『医療介護の一体改革と財政』より 
      ところで、生産性という言葉については、その概念の確立に努力していたフランスのジャン・フーラスティエは、1952年に次のように書いている。「〔生産性という言葉は〕フランスではこの数年来流行語になっている。この言葉は1945年頃までは実際に使われず、ただ専門家の間にだけ知られていたにすぎなかったが、いまでは専門家、技術者、経営者、労働組合のみならず、政治家、経済学者、社会学者にまでも使用される常用となっている。鳥の鳴かぬ日はあっても、フランス人に労働の生産性を向上させることを要求し、あるいはこの方法で得られた結果を賞賛する話の交わされない日はないほどである」。
     こうなると流行の「生産性論議」に多くの素人が参入してくるわけである。フーラスティエが指摘するように、当時の専門家団体である、「フランス統計家研究団体、つづいてフランス生産性委員会、次にはOECDの科学技術問題委員会は、このような生産性という言葉の〔付加価値生産性におよぶ〕拡大解釈を否定している。・・・生産性の価値概念は・・・しばしば重大な混乱に導くからというものである 」。
    ・・・
     いつの時代も、素人を巻き込むブームになってしまえば専門家の慎重な論は大方負ける。生産性という言葉が流行りはじめた時に、専門家たちは「生産性の定義と測定」について、付加価値で測るのは間違いであると散々唱えていたのである。しかしながら、残念なことに世の中では、生産性と言えば付加価値生産性の方こそが一般的になり、物的生産性のことを考える者は希になってしまった。
    ・・・
     生産性という言葉が、専門家の手を離れて大衆のものとなる1940年代半ばまでは、生産性は、スミスが生産的労働と呼んだ産業における物的生産性しか指していなかった。しかしながら、専門家たちの警告にもかかわらず、生産性という言葉は、大衆の間では付加価値生産性を指すようになり、その付加価値生産性によって、民間のサービスだけではなく社会サービスも語られるようになってしまったわけである。
     いわゆる「付加価値生産」というような指標を用いて生産性を論じるべきではないと、なぜ先人たちは警告していたのかというような根本的なことを、みな問い直した方がいいだろうと思う。そしてこの話題のきっかけを提供してくれた日経の記者も、医療介護の「付加価値生産性」を眺めて、すわ医療介護の生産性が落ちている!と言う前に、自分たち記者の生産性とはいったい何なのか、もし君たちがなんらかの形で新聞記者の生産性を定義した場合、その指標で測ると君たちのまわりにいる同僚のひとりひとりはどのように評価されるのかを考えてみることをすすめたい。
   参考までに
 11月5日  今日は次を使います
 10月30日  東京くらしねっと 今月の話題「今、社会保障を考えてみる――社会全体で支え助け合うということ」 昨日の話は、次ですね。
 10月29日   参考までに
   木曜日は、次の印刷を――もしくは、君がもっているパソコン、スマートフォンからみることができるように
 10月27日  昨日、「消費税が10%になる前には、本が出るようにおねがいしますよっ」と言われたわけだけど・・・
次は、5月の僕から出版社へのメールですね(笑)
  • > On 2015/05/21 22:37, Y Kenjoh wrote:
    > 2017年3月まで2冊で1万円未満で、是非とも営業と交渉お願いいたします<(_ _)>ペコッ
    > 4,600円だと、
    > 消費税8%の時は、4,968円。
    > 消費税が10%となると、5,060円。
↑上は、次のメールに対する返事でした。
  • 昨日お伝えした4800円は、本体価格のみで、税込み価格を正確に把握しておりませんでした。
    本体 4800円
    税込 5184円 となります。
    5000円を少々超過してしまいました。 申し訳ございません。
僕が出したメールの数日後に連絡あり
  • Sent: Tuesday, May 26, 2015 10:46 AM
     本日、弊社・制作課長より、御著価格変更の報告を受けましたので、お知らせ致 します。

    Ⅵ巻 Ⅶ巻
    本体4600円
    (税込4968円)

    ハード・ネゴシエーションになるかと身構えていましたら、外出している間に出版・営業部長間で決まっていました。
    (言うだけ言って、あとは不在にするというのも、案外うまい手だったのかもし れません)
ハロウィーンの頃というのは冗談で言っていたんだけど、ハロウィーンよりも随分と先になりそうですね。。。
 10月26日   「少なからず失望感を覚えた」・・・相当に遠慮されての表現でしょうね。

今月のはじめには、こういう連絡も届いていました。
  •  しかし彼の勘違いって、私が言うのもはばかれますが、こういうことですよね?
    「貯金は三角、保険は四角」
    とんでも論者の皆さんはここの所で獣道へ迷い込まれたのかと。
他にこういうのも
  • ご無沙汰しております。
    日経新聞の連載を、人間修養のためと思って読んでいますが、どうしても途中で投げ出しそうになります。まだまだ修業が足りませんね。特に今日のはぶっ飛んでいて、くらくらしました。今の年金は賦課方式なので、強制貯蓄の仕組みとして説明するのは無理?老後にお金を受け取れる権利を確保できるのであれば、本当の貯蓄である必要はないでしょうに。 ・・・
次はすでに紹介したかな。
  •  それから、日経新聞の経済教室欄左の連載で、また年金の話が始まりましたね。
    それこそ「年金の勉強に向いていそうなバー」で考え直していただきたいけど無理だなあと。
社会保障と財・サービス」の文章は、春学期のテストの次の問題への模範解答にもなっています。
  •  Ⅰ Output is centralという考え方を説明しなさい。 その際、次の用語を用い、用語に下線を引いておくこと。
    公的年金、賦課方式、積立方式
この問題は、春のテストではできていない人がいたから、秋に入ってもう一度説明し、さらに先日も、授業内のレポートでもう一度出題したわけだけど、このOut put is centralという考え方は、社会保障を考える上で極めて重要な役割を担います。この前も言ったように、秋のテストにもう一度出題してもいいくらいに重要。
そして、公的年金の話になると、先週念を押した「スプレッド」を理解しないことには、論を間違えることになります。
さらには、先日少し話した「微妙に積立金を持つ賦課方式のワナ」。日本の公的年金が微妙に積立金を持っている賦課方式であるために、運用利回りにまつわる間違い、未納で年金が云々にまつわる間違い、そして適用拡大に伴う基礎年金給付水準云々にまつわる間違いなどが生まれてくることになる。
そして、お前はすでに死んでいるグループは、これら公的年金まわりの問題に関して昔から全滅なんだよね。

ちなみに、 「社会保障と財・サービス」には、「公的年金は基本的には賦課方式でしか運営できない」とあります。それも先週話したことで、高校の教科書なんかには「年金には、積立方式と賦課方式があります」と記述されているのは不正確というか、間違いなんだよね。「公的年金」では純粋な積立方式はあり得ません。先週の講義では、高校の教科書のこうした記述を10年くらいかけて修正していかなければならないなっと話したわけだけど、僕が積極的賦課方式論という言葉を書いた本の初版は、今から10年以上前に出ているわけだから、教科書の修正は、20年がかりということになるかね。この本が出た2004年以降、リーマンショックをはじめとした大きな経済変動を経験して、各国、公的年金は賦課方式でしか運営できないということが分かってきたわけだから、これからは、間違った論の修正は、加速度がつくかもしれません。
  •  『年金改革と積極的社会保障政策――再分配政策の政治経済学Ⅱ』
     

次、今日だね。
 10月25日 パソコンがようやく修理から戻ってきましたので。

講義では、目下――ここ数週間?――、なぜ、僕のゼミでは卒論テーマに年金を選ぶのはやめておきなっと言い続けてきたのかということを理解してもらうことを目的として、年金について説明しているわけだけど、来週は、次の「Ⅲ年金改革の分野」を予習してきてください。 そして、いま、年金の講義と並行して読んでもらっている講義レポートの課題は次の2冊。
  • 大山典宏さん『生活保護vsワーキングプア 若者に広がる貧困』
  • 大山典宏さん『生活保護 VS 子どもの貧困』
社会保障給付の3%台の生活保護を「実務レベルの視点」から理解することが、税と社会保険の違いを理解する上でも、救貧と防貧を理解する上でも、社会保障給付費の9割近くを占める社会保険の役割を理解する上でも不可欠な条件だからね。
 10月15日  これが昨日話した石仏ねっと なぜ石仏なのか?は、臼杵に行ったら分かるけど、映画「なごり雪」をみても分かります。
パンフレットにある、「石仏があなたを守って下さる」は日本人の心に響くだろうな――住民側の意識のハードルをどう超えるかも、大きな課題だからねぇ。
ちなみに、大分県臼杵市の高齢化指数は
 10月14日  
  • 援護射撃(波動砲とまではいかないと思いますが(笑))を
    ぜひよろしくお願い致します。
うん。
そう言えば、この前話した、保険料払わなかったら損するよっという方向への考え方の切り替えの記事は、次の中にあります。 もう10年前の記事ですね。この記事の校正を、ゼミの新歓合宿先の鳳明館という旅館での夕食中に行っていたことを覚えています。
次もそのような話ですね。 こうしたことを分かっていたら、当然の成り行きとして、次のような展開になるわけです。『年金、民主主義、経済学』より
  •  もう1つ、当時の状況を説明しておきますと、2008年の社会保障国民会議での年金シミュレーションそのものを提案したのも私です。ただし、私が提案したシミュレーション項目のなかには、納付率が年金財政に与える影響の話は入っていなかった。ところが、ある日、今でも年金の研究者として大活躍されている経済学者方面から、納付率が90%、80%、65%の場合も計算するようにという指示が、ある省を通じて国民会議事務局に届きます。どうも、今の年金が、未納で年金が破綻することをシミュレーションで示そうと思ったみたいなんですね。そして、事務局からその連絡を受けた私が何を言ったかというと、「えっ、そんなにおいしい計算をしていいの?」。だって、少し考えれば、未納が増えても年金が破綻しないことは分かりますよね。ところが、そのあたりで年金を論じている経済学者やその人たちに近い関係府省の人たちは、年金は未納が増えると破綻すると信じ切っていたわけです。
    ・・・
    国民会議に納付率の試算を指示した経済学者もそうなのですが、結果は、皆さんご存知のとおりで、彼らのねらいはやぶ蛇となり、日経新聞やそれに関わった人たちは面目丸つぶれとなる。年金を分かっている人たちの間では、日経の年金改革案は2008年の半ばには終わった。しかし、素人さん、政治の世界では、まだ生き残っているかもしれません。少なくとも日経のなかでは生き残っているようですし。興味深いのは、あの時に間違えていた人たちは、その後も懲りずに、繰り返し間違えていくということです。・・・
この文章にある講演をしたのは2013年5月。その後いろいろあって、今では日経の中でも2008年日経改革案は終わっているのかもしれません。
   なるほどぉ
  • Subject: スウェーデン国立銀行賞決定
    ピケティブームもあったから、空気読んでネオリベじゃない人にあげたんですかね…
    と、先生の講義を聴いたことある人は思うわけで、役に立つ一生モノの講義ですね〜
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151012-00000042-jij_afp-bus_all
次の本に出演されているよ(笑)
  •  いったいいつになるのやらの『年金、民主主義、経済学』より
    ・・・人々の素朴な「昔はよかった論」を打ち消すものとして『ALWAYS地獄の三丁目 本当は怖い昭和30年代』という本が一部で人気を呼びましたが、これを読むと、昔になんて戻りたくないと心底思います。さらに、経済学に関心のある人には、アメリカ経済学会の会長も務めたプリンストン大学の経済学部教授、ディートンの『大脱出――健康、お金、格差の起源』もおすすめします。「はじめに」には、ディートンの祖父母の時代からディートンの子どもの時代へと4世代にわたり、ディートンが生涯をかけて分析を続けてきた、健康や機会をも視野に入れた生活水準の推移――貧困からの「大脱出」の過程――が見事に描写されています。時には、こうした本とも読み比べながら、しばしば見受けられる世代間対立を煽っているような論から一歩離れて、考えを深めてもらいたいと思います。
次の次の次の本では、説明がもう少し詳しくなっていて
  •  ディートンの『大脱出――健康、お金、格差の起源』もおすすめします。書名『大脱出』の原著タイトルは、The Great Escape、僕たち日本人にもおなじみの映画『大脱走』から取られたものです――日本語版では大脱出と訳されました。・・・
日本語の書名は『大脱走』と訳して良かったんじゃないかなぁ、みすず書房はっと、僕は前からずっと思っているわけです。
本の出だしは、映画『大脱走』の話なんだし。
でもまぁ、今年のみすず書房は、ピケティもあって、盆と正月が一緒にきた賑わいだろうね。
 10月13日  先週の木曜日講義の配布資料をアップしておきます。 上述の文章の「価値観中立を装う経済学」という言葉で思い出したけど、一か月ほど前、次のような連絡が届いていたね。
  • Sent: Friday, September 18, 2015 7:39 PM

    権丈先生
    ・・・
    堀先生の49頁最後のところに、
    問題はそれを不公平と捉えるかどうかである

    という記述がありますが、
    まさに、ここにすべてが凝縮されているように思います。

    価値中立的であるはずの「経済学的議論」を持ち込んだ結果、「不公平だ」という価値観を素人に植え付けて、
    既存の価値観を破壊してしまった。これは、重い罪だなあと・・・
    参考までに――堀先生「年金の誤解の検証と新たな疑問」『週刊社会保障』2014年9月14日号
たぶん、格差と不公平を最初に分離して論じたのは、僕だと思う。経済学と価値判断の問題は、年金の問題に限らず、僕が研究者生活を始めた頃からの長い間の懸案事項だったわけでね。先の『週刊東洋経済』の記事にある『経済学と治的要素』をはじめとしたミュルダールの本などは、20代の時にほとんど読んでいた。そして年金の世界を学生の頃から横目で眺めていた僕は、昔から、格差があることを不公平と直線的に解釈する経済学者達が、幼稚というか子どもに見えて仕方がなかった。だから年金の論文をはじめて書いたとき、すでに40歳を超えていたわけだけど、次のように書くことになります。
  •  権丈(2009〔初版2004〕)53頁
     
なぜ、上述の文章を特に覚えているかというと、上述の原稿がまだ本になる前の紀要(2003年4月)に書いていた文章の中のこの部分「公的年金の中には・・・別次元の話である」を引用して、この言葉に対する丁寧な感想が書かれたインタビュー依頼があったのを覚えているからで、この人、僕の言いたいことをなかなか分かってくれているなぁとおもって引き受けたインタビューは、次だったと思います。 彼女は、その後、『年金時代』を退職したんだよな。
それから、8年ほど経つと、僕は、上述のインタビューを少し反省していますね。日本のメディア人たちは、当時僕が思っていた以上に賢かったと。
 10月10日   次もどうかな。 先週の10月2日の社会保険労務士の勉強会でも話したように、「未納で年金が破綻する」と言っては、保険料を納付している人たち自身の不安を煽っていた人たち、特に未納者の保険料を厚生年金に入っている人たちが肩代わりしていて、挙げ句の果てには年金制度が破綻してしまうと煽っていた人たちは、未納が増えても年金が破綻しないという試算結果を08年5月に社会保障国民会議が出した後は、「低年金者、無年金者は放置しておいていいのか?」と論点をすり替えてきます。いきなり心優しい人に変身です――普段は心優しさとはもっとも遠いことを言っている彼らなんですけどね。
先日の講義でも話したように、お前はすでに死んでいるグループというのは、ああ言えばこう言うグループでもあり、まぁ、面倒な面々でね。
そう言えば昨日、次のようなメールも届いていましたね。
  •  未納が増えると生活保護に頼る人が増えるから、「未納が増えると年金が破綻するというのは誤解だ」との指摘は問題?誤解であるのは間違いないでしょうに。
    「老後の所得保障はあくまで年金の役割」って、そりゃそうでしょう。未納で破綻しないとの指摘が、なぜ老後は生活保護に任せればいいとの主張と解釈されてしまうのでしょうか。すごいすり替え。
    ぢゃあ、「未納が増えると年金が破綻する」と言っていれば、未納者は「それは大変だ。ちゃんと払おう」と思ってくれると言うのでしょうか。逆だろーが。
どうもありがとう(笑)。おかげで、授業で、彼らの論の論のバカバカしさを説明する時間を省略することができました。
まぁ、年金の世界にいるというのは、ほんっと忍耐力がいるよね(笑)。
ただ問として考えたくなるのは、なぜ、彼らに原稿を依頼する人たちが未だにいるのかということだろうね。
近著、『年金、民主主義、経済学』には次の文章もあります。
  •  積立方式を提唱する人は、「積立方式は、人口減少、少子高齢化がどれほど進もうがまったく影響を受けない」と信じきっているようなんですね。でも、その一言で研究者生命は終わりでしょう。いや、そうしたトンデモ論を諫めることができない出版社や雑誌の編集者の責任なのかな。トンデモ論を言う人たちを観察していると、彼らはどうも自分に都合の悪いものを見ないという人たちのようですから諦めるとしても、編集者は、良い本を作るため、良い記事を書くためにいろんなものを読むのが仕事でしょうからね。
   産経論の学生さんたちへ。今日は5分ではなく、10分考えてもらったけどな。
 10月9日  次も読んでごらん。
   
  •  
先週の講義で紹介した世代間の給付と負担の関係(『平成26年財政検証結果レポート』より)の原型のようなものとして、今日話した平成21年財政検証関連資料(1)(年金制度における世代間の給付と負担の関係等)があります。次のホームページの9月3日のところにあります。 (近著)『年金、民主主義、経済学』より
  • ちなみに、私は高校生を対象とした「社会保障の教育推進に関する検討会」で座長を務めていますが、そこでもこうした議論をしていて、高校教育には、このような不毛かつ誤解を生む話は持ち込まないことにしています。と言っても残念なことに、民主党の年金担当者の要請による2009年5月26日の政治的産物としての試算は、いまでは高校の教科書に「世代ごとの年金保険料負担額と給付額」として掲載されています。出所は厚生労働省の試算と明示されてですね。ちなみに、当時、年金局は、年金試算が政治の駆け引きに利用されたことを残念に思ったのではないでしょうか。2009年総選挙が行われる直前の2009年8月12日に「平成21年財政検証関連資料(1)(年金制度における世代間の給付と負担の関係等)」をネット上に発表していました。それは、「財政検証の内容等について正確なご理解をいただくには、併せて公的年金制度の仕組みを知ることが重要です。ここでは、財政検証等の意味を理解するために必要となる公的年金制度の仕組みについて、御紹介いたします」とする、すばらしい資料でした 。そこで、2.3倍などの年金の給付負担倍率にも触れ、「公的年金制度における世代間の給付と負担の関係のみで、公平・不公平を論ずることはできないと考えています」と説明されていました。
 10月8日  
 10月7日  > 出版はいよいよクリスマスプレゼントか、はたまたお年玉ですかねw

うん、まぁねぇ。
「はじめに」は去年の9月、「おわりに」は今年のはじめの2月頃に書き終わってるんですよね。
「はじめに」で成立を予測した法律を、成立した法律として書き変えたくらいくらいです。ほんっと、いつでるんだろうか。
まぁ、歴史の記録の位置づけですから、いつになっても良いんだけど、奥付の日付をいつにするかは、悩みどころです。
  •  Ⅵ巻、Ⅶ巻共通の「おわりに」より
     ・・・「忘れっぽいという民主主義の欠点」を補う「歴史の記録」をも意識してできあがったものは、はたしてこれは本という形に成りうるものなのか?という代物。自費出版も考えていろいろと調べてみたりもした中、勇気を出して、これまで再分配政策の政治経済学シリーズでお世話になった慶應義塾大学出版会の木内鉄也さんに、「お時間拝借できますか」と自信なさげに連絡をしたのは昨年の9月22日であった。企画書の意味も込めて本書「はじめに」を書いたのは、その頃である。その後、社会保障教育の世界でいろいろとおもしろいことがあって、年が明けて新しく加筆していったりと、出版会には大変なご協力をいただいた。おかげでこの度、再分配政策の政治経済学シリーズのⅥ巻、Ⅶ巻として同日に出版することができる運びとなった。
ぜんぜん、運びになってない。。。
 10月6日   一昨日に送ったメール。
  •  「2004年改革の時もそうだったけど、年金で本当にやらなければならないことをやろうとする時には、研究者は足をひっぱってばかりなんだよな。
    特に年金経済学者たち。いつもながら、3つのオプション試算に基づく改革を説くような年金論者はいません。
    みんな昔から言っていることを繰り返しているだけでね。・・・・・・」
その前のメールでは、次ぎも送っているね。
  • > とにかく3つのオプションに基づく改革の実現に波動砲を打ち込まないとですね。
    > エネルギーをもう少し充満させて、マクロ経済スライドのフル適用にまで持ち込んでくれれば。
 10月5日  下記↓一昨日の「一元化のワナ」のあたりは、『年金、民主主義、経済学』に入っています。その本より
  •  社会保障制度改革国民会議で、年金一元化の話を、2011年6月の「一体改革成案」の時と同じように2段階方式の2段階目に棚上げして終わらせようと思っていた僕を、山崎泰彦先生が会議の中で戒めるといいますか、叱るシーンがあるので紹介しておきます。一方には被用者のみを対象とした所得比例年金、他方は均一拠出均一給付という形で、2元的に運営してきた制度を一元化する際には、保険料の賦課ベースをどうするかという難しい話も入ってきます・・・
    昨日は、次のスライドも準備していたんですけどね。 年金以前の話で終わってしまった・・・
  •  

  • なお、ここで僕は、笑いながら返事をしていたので、記事録に(笑)と付けていたのですが、官邸での会議の議事録に(笑)は過去ありませんと言われて、消されてしまった次第。
参考までに
   
  • 本日の社労士会の研修ですが、仕事のためなくなく欠席することになりました。
    先生のお話が聞けず残念です。
    ただ、本日の資料は取り置いて貰えることになりましたので、後日レジュメを拝読いたします。
配付資料は、君ならぜぇんぶ知ってる次だよ。 話の内容は、配付資料に入る前の「年金以前の話」が9割だったような気もするけど・・・。
 10月3日  
  •  「年金の勉強に向いていそうなバー。。。」
    リンク先を眺めて(眺めてしまい)10秒ほど経って気付きました。汗);
    渋谷は個人的にはちょっとパスですが、いやはや。

    久しぶりに見た桑田佳祐サンの歌詞を眺めて。
    消費税増税議論が喧しかった頃、山下達郎サンがステージ上で
    「消費税増税なんてとんでもない、行政改革しろっ」と言っていたのを思い出し
    ました。
    ライブでこういうことを言うの?という違和感とその内容が印象的で。
    ・・・

    それから、日経新聞の経済教室欄左の連載で、また年金の話が始まりましたね。
    それこそ「年金の勉強に向いていそうなバー」で考え直していただきたいけど無
    理だなあと。
昨日の社会保険労務士のための「公的年金制度及びその周辺知識に関する研修」講演では、次の話をしてきました。
  • 予約している人から聞くところによるとハロウィーンにも間に合わない連絡が届いたらしい(笑)『年金、民主主義、経済学』より 
     そう言えば、先日、厚生労働省社会保障審議会年金部会の議事録を読んでいると、おもしろい発言を見つけました。平成26年財政検証が発表された63日から3ヶ月以上経った918日の年金部会での一橋大学教授・世代間問題研究機構長の小塩隆士委員の発言です。

     

    2つ目の質問は、特にオプション試算のうちの1,200万人ベースです。これの効果はかなり大きいのですが、適用範囲を拡大すると、恐らく、所得の低い層が入ってくると思うのです。そうすると、保険料も低いはずです。そういう人が入ると、保険料を定額でもらう状況よりもむしろ入ってくるお金が少なくなるのではないかという気がするのです。にもかかわらず、所得代替率は大きく改善するということなので、これは一体なぜなのか。その理由をお聞きしたいです。 説明によると、国民年金あるいは基礎年金の財政が非常に改善するということです。収納率の関係かとも思うのですが、

     

     小塩さんが、いまだに収納率が影響しているという勘違いを続けていることも驚きですが、平成26年財政検証の最重要ポイントとも言える短時間労働者の適用拡大と所得代替率の関係を、財政検証が発表されて3ヶ月以上経っても分かっていないのも驚嘆ものです。適用拡大を進めると所得代替率が上がることも「微妙に積立金を持っている賦課方式」であることと関係する話です。つまりその原因は、適用拡大に伴う第1号被保険者の減少により第1号被保険者1人当たりの国民年金の積立金が増加することになり、それにより基礎年金の給付水準が改善されるためです。
     小塩さんは、平成26年財政検証が発表された63日その日の夜から、この財政検証を批判する論者としてテレビや新聞に引っ張りだこでした。話している内容は、「支給開始年齢」「運用利回り」をはじめとして現行制度に対して誤解されているのではないかと思える批判を繰り替えされており、日本の公的年金が、少しかわいそうでした。

昨日使ったスライドのイントロをアップしておきます。アニメーションがあるので、スライドショーでどうぞ・・・
依頼された演題は「年金制度への不信や誤解を解くために」・・・桃太郎侍のような仕事(T_T)トホホッ この国では、医師の方が経済学者よりも年金を理解してくれているという、良い傾向がありますね。
  •  今日はこれから日直です。
    もちろん、「日直」ではなくバリバリ働きます。
    失礼いたしました。
   今日話した、年金の勉強に向いてそうなバー。。。
 10月1日  今日は、10月1日だったから、さすがに4年生は大勢いなかった。
今日は、次のふたつを読み比べて、前者の「読売新聞」の記事が、誤報かどうかをみんなに確かめてもらいました。
君は、どう思う? レポート全文は、次にあります。 年金トンデモ論については、次の「権丈委員追加提出資料」をご参照あれ――広まらないと鎮まらない。
   今日の授業で話した残念無念の文章――彼の歌はJASRACに登録されておらず、本に引用できないらしく、次の文章はボツ
  •  
    『年金、民主主義、経済学』第4講追記「年金の保険としての賢い活用法 」より 
    ・・・
    少しこのあたりの事情を話しておきますと、この国では2009年から2010年にかけて、年金の危機を煽る本が立て続けに出版されました。その内容は、問題の多いトンデモ本の類だったのですが、これらの本の煽りに週刊誌やテレビのワイドショーがのって、どうせ破綻する年金、早くもらっておいた方が断然お得!というキャンペーンが張られました。
    年金事務所には、年金を65歳よりも早く受給する繰り上げの問い合わせが殺到する始末。その時、まじめに勉強をしてきた記者たちは新聞や雑誌で、そんなキャンペーンにのってはいけませんよという記事を書いてくれていたのですけど、こうした事情を知らない人たちは、何が何だか分からないですよね。
 9月24日   彼らが間違え続ける理由を、堀先生は、次のように説明。
  •  
僕が語ればこうなる。
  •  『年金、民主主義、経済学』より
     興味深いのは、あの時に間違えていた人たちは、その後も懲りずに、繰り返し間違えていくということです。映画『ゴッドファーザー』のなかで、「敵を憎むな、判断が鈍る――Never hate your enemies, it affects your judgment」という名言がありますが、負け太り論者たちの弱点は、官僚・厚労省を憎みすぎるところから生まれているのかもしれません。と言っても、自分たちに苦杯を繰り返しなめさせる「年金制度」は心から許せないようで、彼らはいつも一発逆転をねらっているのでしょうね。喩えて言えば、彼らは債務超過に陥った金融機関のようなものですから、すみやかに撤退してもらうのが世のため人のためなのですが、世の中はなかなかそうはいかないようです。
 9月15日  
  • 堀先生「”年金の誤解”の検証と新たな疑問」『週刊社会保障』今週号
    •  
過分なお言葉にサンチョ・パンサも喜んでおります(笑)。
サンチョ・パンサが年金バランスシート論をやれやれ困ったもんだと語ったのは2004年7月。
河口湖でのゼミの合宿先の奥の部屋で書き終え、高山先生に、こういう文章を書きましたとメール。
当時、学生たちは、うちの先生大丈夫だろうかと心配していたそうです――2009年5月のテレビの時もみていて緊張したらしいですけど。
ゼミ合宿は毎年7月末から8月始めだったのですが、今年は、今日9月15日から。
就活の激変の影響です。
スイカ割りの季節に合宿ができなくなったので、かなり腹を立てています。

ところで、堀先生の文章
  •  
その通りで、さすがに来月にはでるらしい『年金、民主主義、経済学』では、年金受給年齢は幅を持った「線」として使っています。
  •  私はPensionable Ageを年金受給開始年齢という図表4-8の年齢・給付水準線のように「線」として幅を持つ年齢区間として表現し、この線であるPensionable AgeをNormalで形容されたNormal Pensionable Ageを満額の年金を受給することのできる「点」としての標準年金受給開始年齢、そして現在65歳となっている所得代替率50%を評価する年齢を基準年齢と呼んでいます。
     
     いまでも、支給開始年齢の引き上げを繰り返し主張する人もいるが、それは今の制度を理解していないからであろう。もっとも最近は、言葉を支給開始年齢から受給開始年齢に切り替えている人もいるが、言っている内容に以前と違いはない――違いがあるのならば、なぜ彼らは、言葉を支給開始年齢から受給開始年齢に変えたのかを説明する必要があるだろう。ただし、同じ意味であっても違った意味であっても、これまで説明せずに言葉を切り替えていたのは研究者としては無責任な話ではある。
     2013年8月に社会保障制度改革国民会議報告書がまとめられてから2014年にかけて、それまで支給開始年齢の引上げという言葉を使っていた人たちは、受給開始年齢の引上げという言葉に切り替えていくことになる。なぜ言葉を替えたのかの説明もないので、我々はその意図を測りかねているのであるが、彼らがしばしば使う「受給開始年齢の一律引上げ」という言葉は、日本語として意味が通じない。というのも受給開始年齢というのは、支給開始年齢とは異なり、年金受給者による自発的選択によって決められるものであり、これを一律に引き上げるとはどういう意味なのか?――こういうことに彼らは気づいているのかどうかも不明である。
次、なんだか良いですね。
  •  
僕が同じようなことを書くと次の文章になるわけで――『年金、民主主義、経済学』より
  •  これらの間違いは、別につながっているわけではなく、個々には独立なはずなのですが、彼らは、不思議と、これらをセットで間違えます。だからこれらを僕は、年金お間違いセットと呼んでいます。こうした間違いが幾重にも重なった上で、壮大なる現実離れで頑強な「年金不信」が形成されるわけですから、このうちのいくつかでも信じている人に正しい理解をしてもらうことは至難の業と言えば至難の業であります。
 9月10日  
 9月6日   当日使ったスライドの2枚
  •  
   生活保護関連データは、次。 再分配データは、次。 再分配という言葉を高所得者から低所得者への所得移転という意味にのみ使う人がいるけど、それは部分。
再分配政策としての社会保障は、その多くは中所得層間の大規模な時間的、保険的な所得移転。
そして、中の上の所得層、高所得者だからといって給付がなくならないところがミソ。
社会保障のそういう側面を、タロックなど、公共選択論者は嫌っていたところだけどね。
昔は授業でスティグラーのDirector's Lawなんかを説明していたけど、長らくやっていないな。
彼ら公共選択系、シカゴ系が望む社会保障にすると、その制度がどういう運命を辿るか、考えてみることだね。

それと下記の連絡、学生からじゃないですね。

> 権丈先生のHPは定期的に拝見しています。

久しぶりだったけど、元気そうでなにより(笑)。
赤旗君が消費税の増税を言ったら世の中変わるだろうなぁっと、けっこう多くの人が思っていたりして。
2週間前も、1ヶ月前もそういう話でもりあがっていたよな(笑)。
赤旗君ってのは、僕の中では固有名詞だけどね・・・謎
 8月31日  
  •  今日先生のHPを見て、私が最近感じている所にビビッとくる箇所があったので、
    単なる感想ですが、メールさせて頂きました。

    >マクロ経済スライドといえば、次なんかおもしろい。いまは、この制度に反対しているのは一紙かな、さすがだねぇ・・・?
    >年金を実質削減 マクロ経済スライド」初発動

    (私はマクロ経済スライドに当然賛成ですが)
    マクロ経済スライドに反対するのであれば、この政党は、その代替財源である増税(or社会保険料を含めた国民負担率の引上げ)に、なぜ反対するのでしょうか?
    増税+マクロ経済スライド停止ならば、賛同できる所もあります。いつも思うのですが、日本では、左翼や弱者への優しさを売りにしている政党は、つねに増税に反対しています。しかし、弱者への優しさを実現しようとすれば、再分配の財源が必要であり、国民負担率の引上げを主張するのが健全な主張(健全な左翼)の在り方のはずでは。
    (金持ちと企業への増税だけで対応可能と、本気で考えているのでしょうか???)
    (景気への影響による、増税時期の選択の視点ならば、別ですが)

    日本の左翼政党が、健全な左翼でなく、目先のみを優先するポピュリズム政党にすぎないのが悲しい。
    これでは、・・・
「左翼や弱者への優しさを売りにしている政党」のみならず、社会保障論に参加している多くの論者もそうでね。
いや、そうした学者がいるから、政治はその側面を利用するという方が妥当かな。
お坊さんがいないとお葬式ができないように、政治が政策を掲げるときには、いつもそういうことを言っている「学者」というものがいるもんです。
この点、次の次の本『年金、民主主義、経済学』には、次のような文章があります。
  •  年金制度、政策を考える上でのふたつの前提
    ・・・
    たとえば、基礎年金の給付水準が低くなりすぎることを問題視してそう発言する人も、給付水準を底上げするためには財源が必要であることは分かるはずである。ならば、その財源をどこからどのようにしてどのような理由で調達するのかという政策案を提示することとセットにして、年金の給付水準の問題を示してもらわなければ、年金政策論の世界が劣化するだけである 。そして、仮に、ある現象Aを問題視して、この問題Aを解決するためには、問題B、問題C、問題Dが併発してしまうとする。そしてこれらの状況を総合して判断すれば、問題Aに対する最善の策はぐっと我慢して、次善の策に委ねざるを得なくなるということも起こりうる。この時、現象Aは問題であるというだけの論、いわゆる「代替案なき批判」や財源論なき政策提言、空想的社会保障論 は、政策論を混乱させるばかりか、政治家に隙を見せることにもつながる――これまでの日本の年金論の世界のように。
     今一つの重要な前提は・・・
こうした前提をしっかりと認識された議論の好例が、『年金時代』の今月号にありましたね。 去年の年金学会なんかは、あいも変わらずこうした前提を踏まえない話がメインになっているのをみて、なんだこれは?と思って、学会に入ることにしたような気がしないでもない。。。
 8月29日  なるほど――彼らの情報源の自治退(全日本自治体退職者会)が、マクロ経済スライドを支持するようになるまで、あと数歩のところまできてるかね(笑)。 マクロ経済スライドといえば、次なんかおもしろい。いまは、この制度に反対しているのは一紙かな、さすがだねぇ・・・? 最近、あるところで書いた文章
  •  これを早めにマクロ経済スライドによって下げていくと、将来の給付水準は高めになるし、逆に、マクロ経済スライドの適用を遅らせれば遅らせるほど将来の給付水準は下がっていく。これはもう「今の年金受給者のみなさん、みなさんの孫、ひ孫さんのためにご協力ください」という話です。マクロ経済スライドによる調整で浮いたお金が、政治家や官僚の懐に入るとか、政治家や官僚のムダ使いが年金財政を苦しくしているというような話ではないんですね。
     年金というのは今そのような世界にある。・・・。保険料の上限固定、それを与件とした上での制度運営、改革案の工夫という、医療と比べて次の次のステップくらいにまで進んでいます。では、医療の場合は・・・
 8月27日   10年前の年金騒動に似てきたな。
Ⅶ巻『年金、民主主義、経済学』より
  • 年金って、そんなに難しい話ではないんですけど、世の中を良くしたいと思う気持ちが強いメディアの人たちと違って、
    研究者がスタート地点で間違えると軌道の修正は難しいのかもしれません。
いや、医療の場合は少しちがうのかな。Ⅵ巻『医療介護の一体改革と財政』より
  • 後日談
    2014年8月30日に届いたメール
    昨日(8月29日)東京で開かれた、国際医薬経済・アウトカム研究学会日本部会第10回学術集会に、純粋に勉強のために、参加しました。部会企画のシンポジウム「医療経済評価におけるQOL値測定」では、能登真一さん(新潟医療福祉大学。元作業療法士)、五十嵐中さん(東大。医薬政策学)、齊藤信也さん(岡山大学)が発表したのですが、齊藤さんは冒頭、中医協費用対効果評価専門部会の2012年8月22日の資料では「効用値」が使われていたのが、同年10月31日の資料では「QOLスコア」に変わっており、これは権丈先生の講演時(9月18日)の指摘を踏まえたものだという趣旨の発言をしました。気がついたら、上記シンポジウムのタイトル「…QOL値…」になっていますね。
    他の2人も、「QOL測定尺度」の細かい「技術論」のみを話し、それを用いた「医療経済評価」や、現実の政策への応用には全く触れませんでした。これも、権丈さん効果と思いました。
まぁ、年金は人災だったわけでね。
Ⅵ巻、Ⅶ巻共通の「あとがき」より
  •  ・・・
     1980年代の学部の学生の頃から年金研究の世界を眺めていた私は、年金論の混乱ってほとんどが政治家や研究者による人災で、自分が同じような年金研究者と思われるのも嫌だったので、これまで出した年金の本も、『年金改革と積極的社会保障政策』とか『医療年金問題の考え方』というように、年金だけの研究者でないことをなにかと示そうとしてきた経緯がある。ちなみに、慶應でゼミをはじめて17年、いまだに年金で卒論を書いた学生は1人もいない――いつも「年金は卒論に向かないから止めときな。あれは考える訓練にはならない」と言い続けてきたからである。
    ・・・
 8月26日  ちょうど今日の昼にくりちゃんにメールした国会議員の給料、国家公務員数などの日本的特徴の話が、さっきわかったけど、次の第4章にあったよ。 この本、「おわりに――1年におよぶ作業を終えて」もおもしろい
  •  通常、ライターが仕事で使うソフトは8割方ワードである。
     ただ、今回の仕事は違った。来る来る日もネットとエクセル。いつしか、取材でライフネット生命を訪れる際、資料がおおすぎてキャリーケースを投入するまでになった。気分はまるで、シンクタンクのリサーチャーだ(実態は知らないが・・・・・)。ただ、私のような裏方が「おわりに」を書く機会を頂戴して、わざわざ愚痴を言いたいのではない。言いたいことは、これだ。
    ・・・
「おわりに」を書かれているのは、取材・構成の方。型破りな本だな(笑)
ちなみに、僕のⅥ巻とⅦ巻は、「はじめに」と「おわりに」が2冊とも同じ本。まぁ、いままで見たことがないけど、同日出版だからいいだろう。
この前表紙をみて、その後の詳しいことは知らんが、ハローウィーンまでには出るんじゃないかぃ。
 8月23日  紙面からは一週間遅れるのですかね
 8月22日  次にあります。
 8月19日 参考までに
  • 7月31日の全国公民科・社会科教育研究会(於 東京都立工芸高等学校)関連資料 次は、報告スライドより
     
 8月18日  
 8月15日   参考までに ちなみに、専門調査会の第1次報告では、在宅医療という言葉が出るときには、次のようになっています。
  • 居宅をはじめ介護施設や高齢者住宅も含めた「在宅」
  • 介護施設や高齢者住宅等の整備状況やそうした場も含めた在宅医療等の充実
  • 将来的には、介護施設や高齢者住宅を含めた在宅医療等(居宅、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホーム、介護老人保健施設、その他医療を受ける者が療養生活を営むことができる場所であって、現在の病院・診療所以外の場所において提供される医療を指し、現在の療養病床以外でも対応可能な患者の受け皿となることも想定。以下同じ。)、すなわち、地域で治し、支える「地域完結型」医療の基盤となる医療・介護のネットワーク、さらには地域包括ケアシステムの構築によって対応していくことが必要である。
などなど。
在宅医療というと、自宅でのことを想像させるわけだけど、日本語がおかしいのではないかと思う。
 8月10日  
  •  おはようございます。
    社会保障教育映像教材を紹介してくれているサイトを見つけました。
    生きにくい人のためのニュースポータルのようです。

    http://plus-handicap.com/news/2015/08/05/6354/
先日の、公民科・社会科の先生たち、家庭科の先生たち、特に家庭科の先生たちお願いしてきたのは、社会保障のユーザーとしての知識だけは、しっかりと教えてもらいたいということだったわけでね。社会保障というのは、基本、困っている人のためにあるわけだから、ちゃんとした知識を身につけていないために利用できなかったというのはあってはならないこと。その上で、全体の仕組みを、社会保障の社会的な役割を、その歴史的経緯を、さらにその上で、課題と制度政策の努力目標を。
公民科・社会科の先生の中には、年に数回集まっては、年金の世代間格差こそ問題、年金の抜本改革をという話ばかりを聞かされている人たちがいるようだけど、年に2時間ほどしかない授業にとって、なんの参考になるのやら。まぁ、彼らの勉強会に係わっている、いわゆる「経済学者」たちに難があるのであって、高校の先生たちの問題ではないんだけどな。
次の次の次の本くらいにある話。
  •  この教材は、DVDとして全国の高校に配布していますし、YouTubeにもアップされていますので、「厚労省の陰謀だ!」「政府の洗脳教育だ!」と肩に力を入れずに、まずご覧ください。その教材の中に、社会保険労務士のお母さん(役)と娘(役)の会話があります。ちなみにお母さんはきれいで、娘さんはかわいいと評判です。
そう言えば、高校の先生たちには、YouTubeでは、右側に関連映像として年金破綻だのなんだのの映像が出てくるから、YouTubeは利用しないで、各校に配付されているDVDを利用して下さいと話してきたんだったな。
   昨日話した、ガンバレ主税局の文章。次の次の次の本くらいにあるよ。
  •  毎年度、国会での予算審議を通過した構造的な歳出増加要因としての社会保障給付費に投入している税財源が不足しているわけですから、まさに、社会保障を守り、国民の生活を守るために、財務省の中で税を取り扱う主税局ガンバレ!という話なわけです。
次の本では、主税局もちゃんと働けよっと文句言ってるけどね(笑)。
 8月7日  
  •  先生のホームページの8/6付のコメントに「福祉の経済学」へのリンクが貼られてたのを見て、思わずメールしました。

    あんな良書にもかかわらず、あちら側もこちら側も何故か言及しようとしない注目度の低さは、理解しかねるものでした(おまけに、刊行から8年経ってもレビューが1つだけ・・・)。
    それだけに、2013年に「Output is central」が著者の名前とともに広く知られることとなった時は、感慨深いものがありました。例えるなら、長らく2軍で見守っていた野球選手がようやくブレイクしてくれたようなものでしょうか。。。
まぁな。社会保障って参入障壁がえらく低いみたいでね。社会保障がなんのためにあり、どのような役割をはたしているのかを考えたこともなさそうな研究者たちが、社会保障の持続可能性!っと張り切っている様子を見ると、そう思うよ。
 8月6日  
  • HP更新拝見いたしました!
    足腰、体幹のトレーニングですね。
    社会保障制度論に入るためのイニシエーションコスト高すぎ 笑
この前、学生さんと次のようなやりとりあり。
  •  この度は私の所属している学生団体の夏季コンテストの実施に際して、是非とも権丈様にご協力を賜りたく、ご連絡致しました。

    弊団体は1999年より17年間、厚生労働省や日本経済新聞社様などからご後援を頂き、夏季に一週間程度の政策立案コンテストを実施している団体です。
    特に今年度は、少子高齢化と財政危機に問題意識を置き、持続可能な社会保障政策の立案に取り組む予定です。
    ・・・
僕が、授業が終わった3限の後に教室まで来て下さいと返事をすると、その時間に行くことができませんとのことだったから、「もしかして2年生ですか?」と尋ねると、2年生だとのこと。
  •  次の本あたりを読んで理解できたら、また連絡してきてください。
    http://www.amazon.co.jp/dp/4332600835

    急がなくてもいいですよ。のんびりとやればいいです。
    法学部は僕の授業をとることもできますので、来年、履修したらどうでしょうかね。
    社会保障の話はほとんどしていなくって、ものの考え方の話ばかりしています。
夏休みの課題をやっている人が、急がなくてもいいですよっと言われても困るだろうけど、学生さん達は、本当に急がなくてもいいわけです。
急がずに、じっくりと足腰、体幹のトレーニングができるのは学生の頃しかできないのだし、社会問題に対する考え方の基礎がこれからできる君たちの年齢の頃は、与えられたテーマの下で課題文をまとめて競い合うということ自体が君たちの将来の可能生を制限することになるおそれもあるわけです。大人というのは、君たちが考えている以上に怖いものなのかもしれないしね。

昔から、よく、ゼミ対抗でディベートをやりましょうと言われることがあるんだけど、僕の返事は決まって、「いや、やめとく。うちの学生負けるから」。
ああいう考え方もある、こういうのもある、と途中で悩み始めるだろうから、答えが決まっている人たちと戦うと負けるんだよね。学生の頃は、それでいいんだよ。
 8月5日  昨日、僕の講義に潜り込みたいという人がいたけど・・・それはたぶん勘違いだと思う。次は、今回の学期末テスト。社会保障論までは、まだまだ遠いよ。
(秋には、社会保障制度論のど真ん中をやります。それをやるための足腰の強化が、春の講義です)
  • Ⅰ Output is centralという考え方を説明しなさい。
    その際、次の用語を用い、用語に下線を引いておくこと。
      公的年金、賦課方式、積立方式

    Ⅱ 縁付きエジワースボックスを用いて、失業給付の役割を説明しなさい。
    その際、次の用語を用い、用語に下線を引いておくこと。
       労働市場、交渉上の地歩、βゾーン、αゾーン、アダム・スミス、リカード

    Ⅲ 厚生経済学が新厚生経済学に変わり、経済学の役割が「希少資源の効率的配分」に特化していった歴史的経緯を説明しなさい。
    その際、次の用語を用い、用語に下線を引いておくこと。
       ピグーの第2命題、ライオネル・ロビンズ、限界効用逓減の法則、基数的効用
レポートは12回(ほぼ毎週?)、授業中の小テストというか、なぞなぞを兼ねた出席は8回とってますね。
おそらく、最もコストパフォーマンスが悪い2単位だと思います。
ちょっとした感想を書いてもらっているのですが、次のように、偉そうなことを言っている(笑)彼は経済学部の学生で、テストは満点でした。
  • テストとは関係がありませんが、時間が余った人へ
    ・・・この講義の履修を続けている理由(来年度の参考とさせてもらいます) 
     日吉の経済学では、いわゆる右側の経済学しか教わりません。「経済学はつまらない」と嘆く友だちがたくさんいます。あるいは、経済学は数学や既存の理論や計量経済学ですべて説明できると信じて疑わない人もいます。そんな2年間を過ごした後で、唯一(偉そうで申しわけありませんが)まともなことを言っている授業だと感じたので履修を続けています。
次のようなのもあったね。12回のレポートは、掲示板にアップする方式にしていて、人が書いたレポートを履修者の誰もが読むことができるようにしています。
  •  ・・・
    お気づきかと思いますが、私は数回レポートをコピペしてしまいました。なので、テストを受けるかどうか迷っていましたが、こういう欄があったら謝ろうと思い一応受けることにしました。他の人のコピペのレポートを見ると自分のしたことが恥ずかしくなったのです。なので、もし平常点などで合格に達しても不合格にしていただいてもかまいません。不正行為として裁かれるとかなり厳しいですが、一応覚悟はしています。しかし、自分でまじめに書いたレポートは、きっと他の人より面白いので、よかったら見てみて下さい。「インサイドジョブ」などです。
 7月31日  本日の全国公民科・社会科教育研究会(於 東京都立工芸高等学校)関連資料 8月3日は次。主に家庭科の先生らしいので、今日の公民科の先生向けとは別バージョンの話。
次は、10月2日の社会保険労務士の勉強会。
  •  
     
最近は、桃太郎侍のような仕事が多いな。
ハロウィーンにはまにあうかもしれない、Ⅵ巻、Ⅶ巻の共通「はじめに」より
  • ・・・
      この10年、社会保障はこれ以上ないほどに政争の具とされてきた。その政争の過程では、現在の制度が国民に憎悪の対象として受け止められるように政治的に仕立て上げられていくわけで、その時代に生きた国民の意識の中には、社会保障へのいくつもの誤解、そうした誤解に基づく制度への憎しみが深く刻まれていった。
    ・・・
   そう言えば、一月ほど前にとどいていた連絡
  • PS)アマゾンでの先生の本の7巻の出版予定日は
    ・7/26(金)にアマゾンを見たときは、8/3でしたが、
    ・3日後の本日(7/29)アマゾンを見ると、3日ずれて8/6になってました。
    このサイクルだと、永久に出ないのでは・・・
昨日の話では、今ではもっと先になってるらしいですね。アマゾンの出版予定日って、そんなにいい加減なもんだったとは知らんかったよ。。。( ̄。 ̄ )ボソ...
   昨晩の話。次は、10年前に書いてるね。まぁ、その通りになったということだな。エンドユーザーと生産者との間に強い情報ギャップがある世界では、あんまり競争をさせないことだ。そうした世界はグレシャムの法則が成り立ってしまうところだからね。研究の世界しかり、医療の世界しかり・・・。前者については時既に遅しの感はあるけど。
  •  勿凝学問26 文科省のインフレ政策?
     文科省の○○インフレ政策のもと、研究者の世界、特に経済学研究者の世界で何が起こっていると推測できるか。思うところを論ぜよ。
次は、4年ほど前
  • 勿凝学問353 先進国なんだから、価格競争で勝とうなんて思ってちゃいかんだろう――独占的競争市場で付加価値を稼ぐ努力をせねばな 
     そう言えば、10 数年前、僕がイギリスにいたとき、Matsui というメーカーの電化製品があったもんだ(今もあるかもしれないけど)。あれって、日本のメーカーではないんだよね(笑)。Dixon という電気屋さんのオリジナルブランドらしくって、イギリス人は、これって日本製だよなぁと勘違いしながら、日本人は、んっ?と思いながら、Dixon ブランドの電化製品と同じ製品がMatsui ブランドだと結構高値で売れていたみたいだ。僕らの先人が築いてくれた日本ブランドからの余剰を、Dixon がちょいとずるいことをして盗んでいたことになる(笑)。
     まぁ、笑い事ではなく、他国と比べて僕らが比較的高い生活水準を享受できているのは、先人がここまで築き上げてくれた日本ブランドというインフラのおかげでもあるんだから、このソフトなインフラ 、僕らは大事に育て、次世代にバトンタッチしていかないとな。
 7月28日  昨日の↓公的年金の財政天秤の話。シーソーはだめだよ。年金は、ぎっこんばったんしないんでね。
 7月27日  うん、これは、ちゃんと天秤になってますね。 何年か前に、たしか足立区の高校の授業参観の後に四谷の喫茶店で、「天秤の図にしておいてくれ。分銅、上に持つところがある分銅と、両端が上に出た受け皿の絵をね」と頼んで、作ってもらったのは次の図。 そして、僕は、授業などて、次の図を「公的年金の財政天秤」と呼んでます。下手なポンチ絵ですが・・・
上の図の「マクロ経済スライドによる給付総額調整」は、個々人の年金給付水準(所得代替率)でみれば次のように描くことができます。
ちなみに、この前まで「支給開始年齢の引き上げ」と言っていた人たちが言い換えた「受給開始年齢の引き上げ」という意味が、僕にはよく分からないわけで。。。
 7月26日 > 遅ればせながら、『クレイジー・ライク・アメリカ』をようやく読みました。買ってはあったのですが、・・・

たしかに、その本の話題は2年近く前ですね。秋に神戸で開かれた臨床内科医学会の時に教えてもらった本でした。
  • 2013/10/15 21:57
    Subject: RE: クレイジー ライク アメリカ
    早いですね。

    From: 権丈 善一
    2013/10/15 9:27 PM
    >Subject: Re: クレイジー ライク アメリカ
    >三宮からホテルに戻る途中に予約したので、昨日届いて、もう、読みました!
    >貴重な情報、ありがとうございました

    2013/10/15 18:45:
    >>Subject: クレイジー ライク アメリカ
    >>権丈善一先生
    >>
    >>先日、お話した勝谷誠彦氏が、尼崎市民医療フォーラムで話していた本です。
    >>●クレイジー ライク アメリカ
    >>http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3089
その本をご紹介頂いた先生からの連絡は、これが最後になりました。
年齢は僕らとはそんなにかわらなかったと思います。
   
  •  お忙しいところ失礼します。

    あの李啓充先生が日本に戻っているらしいという噂を聞いていましたが、本当でした。

    還暦「レジデント」研修記
    【第4回】(最終回)医師不足の現場で働いて
    https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03134_07


    過重労働は私(たち)には見慣れた景色ですが、李先生は“「医療費抑制」大合唱”のこの国で今後も働き続けるようです。
    いろんなことに慣れ過ぎることなく、またいろいろと発言していただきたいなあと思いました。

    遅ればせながら、『クレイジー・ライク・アメリカ』をようやく読みました。
    買ってはあったのですが、ずっと放置していまして。
    週刊東洋経済の「クスリ最前線」の号に・・・・・・
ちなみに、今年の三田祭テーマは、オバマケアです。
 7月24日  これなど、どうかな。
 7月22日  そう言えば、この前話した「中島みゆき 権丈」検索で、ヒットするのは次です。 その時の記事 確かあの時は、この記事が、サンデー毎日でもとりあげられていたわけで。4年前のちょうど今頃ですね。
  •   <サンデー時評>「首相のウソ」が国を乱している
    サンデー毎日 岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
    〈ウソ〉
     と、
    〈嘘〉
     と、目にした時、文字としてどちらがインパクトが強いかと問われると、むずかしい。使用頻度は半々ぐらいと思われるが、たまに〈うそ〉も交じる。とにかく猛暑のさなか、最近はやたらこれらの文字が目に飛び込んできて、不快指数が増す。
     いま発売中の週刊誌、目次を新聞広告で眺めただけでも、
    〈「恐怖の放射能」の嘘を暴く〉『週刊ポスト』
    〈東電と経産省のウソ「電力不足」は作られた〉『AERA』
    〈菅の「脱原発」なんて大嘘!〉『サンデー毎日』
     といった調子だ。テレビをつけると、
    〈電力不足はウソ!?
      「埋蔵電力」を政府が調査へ〉
     という特集を放映中だった。
     週刊誌、テレビを批判しているのではない。原発がらみの情報が最初からうさん臭く、それを3・11の大震災発生から四カ月も続けていると、すべてがウソに見えてくる。ウソがウソを呼ぶ病理現象で、報道はそれを映し出し、〈ウソ・嘘〉の氾濫と相なるのだ。
     書籍にも及んでいる。小出裕章京大原子炉実験所助教の『原発のウソ』(扶桑社)や武田邦彦中部大教授の『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(産経新聞出版)などがベストセラーだという。ウソものが売れるらしい。
     深刻である。原発問題だけではない。たとえば、七月十二日付の『朝日新聞』朝刊をめくる。〈耕論〉というオピニオンページ、社会保障と税について論客が論じている。権丈善一慶應大商学部教授の主張は、〈「永遠のウソ」つき続けたまま〉 の見出しだ。権丈さんは、
    〈政府・民主党の一体改革案を読むと、中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」という曲を思い出す。「ウソと分かっているウソ」をつき続けるよう恋人や友人に願う切ない歌だ。……〉
     と語り出している。改革案は現行制度の延長線上にあり、マニフェストは大ウソ、今後も「いつかは実現させる」という「永遠のウソ」をつき続けるのだろう、という論旨だ。
    〈ウソ〉を連発するほどか、とも思うが、わかりやすい。・・・
 7月21日   うんっ、雑誌『企業年金』は、方針転換か?
1月号には、同じ「視点」欄に「人口減少から受ける影響に中立的な仕組みに移行することだ。つまり、現役世代が老齢世代を支える賦課方式から、老後のために自ら(または世代ごとに)貯蓄する積立方式への移行である」とあったし、4月号には、「シミュレーションを行った結果、将来世代では所得代替率は現在想定されている50%よりも低い20〜30%程度が最適との結果になっている」というのもあったんだけどな。まぁ、僕らは、「この雑誌、人選のセンスが光りすぎだろぉ。おもしろすぎる(笑)!」っと遊んでたわけで・・・。今月号は、書いてあることがまともすぎて遊べない( ̄。 ̄ )ボソ...
 7月20日  先週、少し話した生活保護。次、参考までに。秋に詳しく話します。
 7月18日  たしか、包君に次の書評の話もしてたな。 君と同じ、中国から日本に来た人の本の書評です。
   ダイハードの話
 7月17日  Output is centralという考え方は、次の19頁にあります。 次の図もご参照あれ。
  •  
積立方式は少子高齢化の影響をまったく受けないと言うのがたくさんいたけど、しくじり先生の世界だな。
昨日は次のあたりも
  •  
次もどうぞ。
 7月13日  今週の『週刊東洋経済』は、クスリとギリシャ
ギリシャ特集の中の
  • 「改革案が狙い撃ち ギリシャの年金はいくらなのか」
     下表のように、確かに平均賃金の1/2の該当者では所得代替率は92.5%になっている。だが、平均賃金では・・・、平均賃金の1.5倍では・・・賃金水準に反比例して・・・
ギリシャの年金を語る際には、記事にあるように制度については知っておかないとな。まぁ、どの国の年金を語る場合にもそうなんだが。
参考までに――ただし、下記の図には、早期退職年金は含まれておらず、早期退職年金給付費の対GDP比は、ギリシャがOECD中トップ。いずれにしても、「ギリシャの所得代替率は9割を超え」という、メディアで流れている情報はあんまり鵜呑みにしないことだな(←この言葉、いつも鵜に申し訳ないと思うわけだが)。
  •  
 7月12日  もう、次を読んでも分かると思います。
 7月11日  木曜日の授業でベースマネーの話をし、昨日も触れているので、参考までに。
  • 大機小機「金融緩和の根拠に疑義」『日経新聞』7月11日
     「これまでも、日銀はベースマネーを1992年の39兆円から2014年には234兆円と6倍にしたが、物価は上がらず国内総生産も同じ488兆円だ」。
木曜日にも紹介した、僕のゼミを卒業して、他の大学の大学院に進学した学生から数年前に届いた連絡より
  • 試験も無事(?)終わり、留学に向けて準備を進めております。今月の19日に出発してしまうため、今回メールいたしました。 
    先月まで新古典派理論や、マクロのミクロ的基礎付けをやらされ、体が拒否反応を示しておりました。テストでは日銀の失敗をまとめさせられたり、インフレターゲットがなぜ有効かを論述させられるものもありました。テストなので割り切って答えを書いたら、高得点がもらえ、かなり複雑な気分です。そんな中で、先日吉川洋先生の『デフレーション』を読んで安心しました。 
    慶応で好きな本をゆっくりと読んでいたころが懐かしいです。まわりの経済学部の出身の学生たちって本当に学説史には無知で、マーシャルとピグーの政策に対する認識の違いもわかっていないうえに、ポカーンとしておりました。
    僕は大学では異端の学生になってしまいました。笑  
その調子だ(笑)。大学で学んだことはしばらくはバレないように器用に生きておくように。。。

付録
課題図書『バブルの物語』関連で、三田では先々週、健マネでは先日紹介した、ミンスキーの金融不安定仮説。
  •  
 7月10日  2週間ほど前に、講義で、僕の身長が伸びていたから日本の経済は成長していたのさ、っと言ったような話。 昨日話した、以前やっていたエコノメ右腕カップというのは、こうした見せかけの相関を最大限に利用して、あたかも計量経済学の普通の論文のように、まじめぶって論文を書いて遊ぶ大会。世の中には、そうした議論は、いっぱいあるもんだ。いや、そんなんばかりかな。 なぜあの時にこの文章を書いたのか――2012年9月26日に総裁選が行われている。
   次などもどうぞ
 7月7日  
  •  題名:
    Re: シュンペーター
    内容:
    この章では、怪しいコンサルに金を突っ込み、怪しいコンサルの勉強会に足を運んだものとしては聞きなれた言葉が何度も登場する。
    生産革命者を企業家とよび、フォローワーシップは容易である、リーダーシップは稀少かつ困難である。これからはイノベーションの時代でありあなた方はイノベーターとし先導して行きましょうと。その稀少かつ困難を乗り越えることが差別化につながり、売り上げにつながるのですと。
健マネは、大人がいっぱいいるから、おもしろいな(笑)。学生の頃から社長さんという人が、第1期の頃からいたし。
先週話した、第1期の学生が書いた最後のレポートの最後の言葉に、次がありました。
  •  「入学した直後に骨太の課題に取り組んでよかったと思う。食べることに困っても、怪しい医療コンサルだけにはなるまいと心に固く誓っていた。」
彼女は、僕がどこかで講演をしたときに、医療関係の怪しくない仕事をしていると言って、参加されていました。

もう、10年以上前に知り合ったY先生から、とにかく授業をやってくれと頼まれて・・・科目は後から彼が決めてました(笑)・・・かれこれ10年かね。

今年は、目下、頭の中がウニになっている学生くんが他にもいる模様
  •   題名:
    Re: シュンペーター
    内容:
    授業が進むにつれ、考え方が変わってきている自分がいる。元々は、大学院で得た知見を武器に卒業後は「私的な帝国」を建設しようという夢があったのだが、それが揺らいできている。もっと社会全体のことを考えるべきではないのかと。営利企業である自分の会社内の日々の議論も疑問に思えてきた。皆、○○という「私的な帝国」を拡張しようとしている議論だから。

    自分にもいつか、私利私欲を追い求める「拡張衝動がやがて衰退」し、社会全体のことを考えて活動する日が来るのだろうか??
    今はまだそんなこと言ったら偽善となってしまう。「私的な帝国」を建設したいという夢と欲を抑えられないです。。
悩み中の彼は他にも
  •  Title: Re:6月4日締切 インサイドジョブ

    1992年に私は理工学部を卒業し、「世の中を楽しくする新しい技術とサービスを開発したい」という想いで第一希望だった某電気メーカーの研究所に意気揚々と入社した。一方、理工学部時代ずっと親しかった同級生は、ゴールドマンサックスに入った。当時の彼の言葉を今でもよく覚えている。「これからは金融の時代だよ。特に、ゴールドマンサックスが世界のリーダーだ。メーカーに入るなんて・・・」と言われ、悲しい気持ち、いや、怒りに近い気持ちになった記憶とともに良く覚えている。社会人になった後も、彼と会うとお金儲けの話ばかり。デリバティブやスワップがいかに面白いか、世の中は数学で説明と予測ができる、という話を良くされたことを覚えている。そのうち話が、いや価値観が合わなくなり、その後ほとんど連絡をとらなくなった。

    そして、リーマンショックが起きた。
    その頃、偶然彼に会う機会があった。最近どう?元気?と聞くと、とてもやつれた表情で「自分のやってきた仕事はなんだったんだろう」と呟いた。・・・
 7月6日  たしかに、次なんか懐かしいよな。 2010年12月3日は天気が良くて、夕焼けになりかけの時間に、メールが届いたのを覚えているな。
みんな、昔のことは、もうすっかり忘れているだろうけど、次のような文章なんかも、次著にはある。
  •  谷垣さんが、民主党政権の正統性をはじめて問うた日は、2010年2月1日の衆議院本会議、民主党政権下でのはじめての党首討論においてである。
     今、インターネットの動画投稿サイトにおいては、鳩山総理が野党時代になされた発言と総理大臣になってからなされた答弁をつなぎ合わせ、その矛盾をあからさまにした鳩山由紀夫VS鳩山由紀夫という動画が大きな反響を呼んでいると聞いております。総理には、その場しのぎの言葉がいかに多いか、改めて思い知らされます。
     総理は、年頭所感で「ハネムーンの期間は過ぎました。」と述べられましたが、果たして、国民にとってこの四カ月余りの新婚旅行はいかがなものだったのでしょうか。仲人がいつの間にか影のように寄り添い、旅行計画は好き放題に変えられ、楽しみにしていた場所には行けず、約束されたお土産も買えませんでした。過去の疑惑が噴出しても、わかっていて結婚したはずだと開き直られる始末。新郎に将来設計が全くなく、今後生活が成り立つ見通しもありません。信じてくれと繰り返されても、むなしく響くばかりであります。今や、鳩山政権の政権たる正統性は、政策面でも政権担当者の資質の面でも崩壊いたしました。
次のような解説もあり
  •  第Ⅲ部「混迷の中で」には、民主党政権下(2009年8月30日から2012年12月16日)で書いたり話したりしたことを収めている。第17講「運用3号とは何だったのか?」は書き下ろしであるが、他は今となれば過ぎてしまった話ゆえ、歴史から学ぶ気がない人は読まなくてもよし。
   年金水準と所得代替率の関係
  •  
なぜ、こうなるのか?
参考までに
  •  
 7月2日  
  •  
今日も話したように、資料が「男子、女子」なんだよ。「男性、女性」に変更してもらいたいところ。。。
少しした適用拡大の話はつぎ。2007年の文章 公明ちゃんはつぎ もう随分と前に書いた次だね 後にこの文章は、勿凝学問1に位置づけられることになります。
 7月1日 付録
 6月30日 昨日の夜にも話したように、政治的中立であっても、事実に忠実であれば、政治家や政党には中立ではいられなくなることがあるもんだよ。いや、往々にしてそうかな。
「政治的中立」と「政治家や政党への中立」が両立するためにはいくつもの前提条件が必要になるのだが、まぁ、あり得ないな。

次は、政治的中立が求められる職業の人たちに出した課題。
  •  2012年の法改正で、年金受給資格期間が25年から10年に短縮されるとともに、低所得の年金生活者に福祉的給付金が支給されることになりました(施行は2017年4月)。この政策を、高齢期所得保障全般の観点から評価してみましょう。
 月曜日にこの課題を提出して、彼らはグループで検討を重ねて、金曜日に発表。
ネットで調べると、昨日の『年金時代』からの引用のように「”防貧機能と救貧機能が強化された年金制度”というような美辞麗句」が豊富にあるためか、彼らは、そういう方向性で発表。
そこで、金曜日に、僕が示した、社会保障制度改革国民会議での議事録。
  •  社会保障制度改革国民会議の2回目の議論(2012年12月7日)
     ○宮武委員 様々な意見のある中でおまとめになった御苦労は重々わかりますけれども、どうにも理解できない点が2つ法律としてございまして、まず、受給資格期間の短縮なのですが、日本の受給資格期間は、納付期間と免除期間を入れて25 年で長いとおっしゃって、例えばアメリカは10 年だ、ドイツは5年だ、フランス、イギリスは特に受給期間はないとおっしゃるわけですが、それらの国々は皆保険体制の国ではないわけでありまして、失業してあるいは倒産をして所得がなくなったり乏しくなったりすれば、制度から脱退ができるわけです。仕事に復帰できて所得が戻ればまた入るという形の出入りが可能な制度です。日本の場合は皆年金制度でございますので、失業しようが倒産しようが強制加入で入っていなければいけない。ですから、そのために免除制度が設けてあって、全額から4分の3免除まで4段階の免除制度がある。それを活用すれば、25 年という免除期間を含む通算であれば、そんなに難しい障壁ではないわけです。それを無視されて、あるいは軽視されているのではないか。10 年になさるということは、確かに無年金者は減るけれども、低年金者は、大げさに言えば大量発生するかもわかりません。今まで25 年が1つの目途であった。今、10 年でいいということになれば、保険料を徴収する現場も大変困ると思います。しかももっと悪知恵を働かせれば、60歳までずっと払っていなくて、60 歳の時点で任意加入をして10 年加入できますので、後出しじゃんけんのような形で加入し、年金権を得ることができる。しかもさらに理解できないのは、そういう低年金者を大量発生させるような法律をつくって、福祉的な措置として障害者は別ですが、低所得者と言われる人たちに対して、いわば福祉的な給付を行われる。これは政策矛盾ではないかと思うのです。下世話な言葉で言うと、マッチポンプみたいなものです。低年金者をつくっておいて、そこのところに手当をしていく。ここがどうにも理解できないので、神野委員にお聞きしたいのは、どういう経緯であったのか、年金部会をなぜこういうのが通ったのか教えていただけますか。
    ○神野委員 御意見頂戴いたしました。年金部会の中でも、10 年に短くしてしまうということが、いわばインセンティブを阻害して、つまり、悪い方向に動いてしまうのではないかという意見も出されましたので、私どもの意見では、そういうことがないように周知徹底をさせていくことをつけ加えて、論点整理の中に書いてございます。
    ○清家会長 宮武委員、どうぞ。
    ○宮武委員 いろいろ言いたいことがありますけれども、通算で25 年加入ということさえ長い間PR してもなかなか周知徹底せずに、むしろ滞納している人ほど、この25 年というルールを知らなかったり、もっとひどいのは免除制度があることを知らない人が半数近くいるとか、そういう問題がずっとあったわけで、通算10 年で良いと言えば、低年金者が増えて、事態はもっと悪化していくだろうと思います。
    そして、保険の納付期間に応じて福祉的な給付をなさったのは、辛うじてそこで社会保険に対する一定の歯止めをかけられたのでしょうけれども、基本的なところで間違っているのは、年金というのは防貧制度であるのに、救貧制度的な性格のものを入れようとされた。そこが私どもが理解し難い2つの法律になった原因ではないかなと考えております。
さらには、
  •   「年金実務2000号記念座談会 年金制度の過去、現在と未来」『年金実務』第2000号(2012年7月9日) 山崎泰彦氏 江口隆裕氏 坂本純一氏 & 権丈
    受給資格要件の10年への短縮について 
    権丈 それだけではなく、受給資格を得るための被保険者期間を25年から10年に短縮して低所得者に加算するというのは、制度の破壊でしょう。
    かつて私は、年金部会で、ここは一旦、年金制度の過去の広報にミスがあったこと認め、一度は被保険者期間を10年に短縮し、その後毎年1年ずつ伸ばして25年に戻す、もしくは30年、40年まで伸ばしていくことを提案したことはあります。しかし、10年を永続させることはよくない。皆年金でもない国の年金の受給要件は日本のものとはまったく別物ですから、両者を比較して日本の25年は長いというのは、英語の慣用句にあるapple to orange、それって比べて意味あるの?という話です 。
    現在の制度では被保険者期間25年のところで、被保険者期間の屈折点がある。年金を受給できる25年間は保険料を払おうという人がいて、その前でガタンと落ちたりしていますが、今回の措置で10年に短縮すると、そこに屈折点が生まれる恐れがあります。この場合、年金額が満額の4分の1にしかならず、年金としての意味をなさなくなるはずなのですが、低年金者には加算するということになれば、納付インセンティブはなくなってしまう。これも冗談のような話ですね。年金に詳しい記者が書いていましたが、「民主党は年金に指一本触れるな」 という感じでしょうか。
    ・・・
    権丈 さっきも話しましたが、現民主党政権下の「社会保障改革に関する有識者検討会」の報告書に、年金保険の救貧機能の強化と読める文章があるですが・・・。
    山崎 それは、普通だったら誤植ですね。
    権丈 そうです。社会保険としての年金に救貧機能はない。そんな機能をもたせたら、保険料を正直に納付することがバカらしくなってしまう。
   
  • 数理の目 制度設計上の論点 給付『年金時代』
     「運用三号問題」のような事件が起きると国民が卑しくなる。それまでせっかく凛とした生活を送り、国民年金第一号被保険者に変わったことを届け、国民年金保険料を支払ってきたのに、国家がその凛とした生活態度に注意を払わず、そうでなかった者に同じ給付を認めるようなことをすれば、やがて国民は凛とした生活を送らなくなるであろう。
    ・・・
     「防貧機能と救貧機能が強化された年金制度」というような美辞麗句に惑わされてはならず、具体的な施策や制度の内容を一つひとつ検証していく必要がある。そして正直者が馬鹿を見、制度の根源的な精神を踏みにじるような内容であれば、却下しなければならない。それが大部分ではないかと予感する。国民の凛とした自助努力を壊してはならない。
ほんっと、いつ出るか分からないⅦ巻には、次の文章があるはずです・・・。
  •  第17講 運用3号とはなんだったのか?

     2011年に、運用3号という制度が、あまりにもその不公平さが政治マターになり、最後は廃止されるということが起こりました。そのことの顛末を紹介しておきたいと思います。
     民主党政権下の長妻昭厚労大臣の下で決定された運用3号を問題視して大々的に扱った最初の報道は、『朝日新聞』の社説でした。
    2011年2月2日
    主婦の年金 この不公平は許されない
     サラリーマンの妻を主な対象にした年金の「3号被保険者」の扱いで、正直者が損をする状況が生まれている。行政がつくったこの不公平を放置することはできない。・・・ ・・・

     私はこの社説を読んだとき、さすがにそんなバカなことはやっていないだろうと思って、自分のホームページに、次のような書き込みをしていました。
     2011年2月2日
    「主婦の年金――この不公平はゆるされない」asahi.com
    ふ~ん、これ、本当なのかね? もしそうならば、保険方式と税方式の違いも分かってなさそうな「ミスター年金」のご判断と言えばご判断らしいと言えるかな。

    すると、世界のどこかにいるらしい僕の知らない人から次のメールが飛び込んできました。
     Subject: 2/2HP拝読後の感想(超絶的に超法規的な3号記録の特殊取扱は、ただいま実施中の筈です)
    権丈 善一 先生 侍史
    拝啓、時下ますますご健勝にお過ごしのこととお慶び申し上げます。先生の著作やHPは常々拝読・拝見致しております。本日は、恐縮ながら、蛮勇をふるってメールを差し上げたく存じます。
    先生が、HPに2月2日付で掲載されている「国民年金第3号被保険者記録」の実務『運用』取扱に関しましては、色々な意味で問題を含んでいると、外野から見ていても思います。・・・・・・
次のような文章もあるかな?
  •  <めんどうなこと>として挙げている、「10年から25年にもどす、あるいは25年以上」と、「年金生活者支援給付金の先送りの先送り(5,600億円の相対価値)」に触れておこう。これは、2013年5月9日の社会保障制度改革国民会議で、私が「例えば今回消費税を上げました、上げた税収は医療・介護・子育て、そして年金のところに配分されていくのですが、医療・介護のところで不要なところに回っているかというと、なかなかそうとは言えない。年金は取り返したいところがあるのですけれども」と発言した際に、「取り返したいところ」としてイメージしていた消費税の使途である。「25年から10年へ」と「生活者支援給付金」、いずれもいったん決まった法律を施行前に変えることのめんどうな問題を抱えている話ではある。
     ・・・
     後者の年金生活者支援給付金については、そこに(5,600億円の相対価値)と書いているように、ここで大切なことは予算として使われる額の相対価値である。日本の所得捕捉の現状の下で捕捉された所得を基準にして資産をテストすることもなく、低い年金額に上乗せされる給付金の政策効果というのは果たしてどの程度あると考えられるのか。さらに、防貧機能としての社会保険に救貧機能を接ぎ木するような制度は、いかなる側面にどのような影響を与えるのか。同じ5,600億円を使うのであれば、先に挙げた生活保護における年金控除や、さらには子育て支援策において、必要とされながら今も財源を確保できていない3,000億円に使う方が優先順位は高いと思う。
 6月28日  先日、梶が谷先生がみんなに紹介されていたのは次ですね
いや、努力しなくてもいいよ(笑)。それにしても、社会保障がひとつだけ浮いている気がしないでもないが。。。主に家庭科の先生たちだそうです。

先日も仰ってましたが、他に頼まれた仕事は次。
  • 全国公民科・社会科教育研究会全国大会(7月31日)
選挙権が18歳以上になって、高校の先生達はどうなんでしょうね。
  • http://senkyo.mainichi.jp/news/20150618ddm003010091000c.html
    「いったいどこまで踏み込んでいいのか。できるだけ政治に触れるなと言われ続けてきたのに、急に『やれ』と言われているようで戸惑っている。自分が中立だと思うことでも、世間の求める中立さとは隔たりがあるかもしれず、心配だ」。東京都立高校で公民を教える男性教諭は打ち明ける。
まぁ、政治に中立であっても事実に忠実であれば、世間から誤解を受けることにもなりかねないかもな。
 6月24日  
 6月22日   いや、知らなかったよ。会ったのは4月1日だな。その後、すっかり忘れてた。
欲を言えば、僕の発言の箇所は、次のように、「将来」という言葉を入れておいた方がよかったかな(笑)
  •  「高齢期の所得保障政策という意味で、将来、大量の生活保護受給者が発生しないようにしなくてはいけない」
 6月19日  健マネは、来週がシュンペーターの締切かな。三田は昨日で、次は昨日話したこと。8年前に書いてますね。 シュンペーターの次の文章のカルーソーは、エンリコ・カルーソー・・・オペラ史上最も有名なテノール歌手の一人。
  • 同一人種の個人のうち、おそらく半数は平均程度の歌を歌う能力をもち、4分の1は平均以上の能力を備えており、この4分の1の中では歌う能力が高くなるにしたがって、人数は次第に減っていき、ついにはカルーソーの場合に達するのである。
 6月17日  先日の「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」で、僕が読んで紹介した箇所 そして第1次報告書の中の文章 会議で話したように、「データによる制御機構」は、永井先生の言葉。
  •  社会保障制度改革国民会議(平成25年6月10日(月)12:30~14:30)
    ○永井委員  医療提供体制の問題というのは、アクセス、コスト、クオリティをどうバランスをとるかいう問題です。普通は、全部を求めずに2つしか成り立たないはずだということですが、我が国の場合、どちらかというとアクセスとクオリティを優先してコストを抑えてきたところがあると思います。しかし、最近はコストが上がってきたので、どう整理するかという問題になっています。
     アメリカは医療を市場原理で制御しています。ヨーロッパの場合には日本よりも社会主義的な体制をとっていると思います。日本はその中間にありますから、非常に制御が難しい。自助、公助、共助、その組み合わせでという点はよいのですけれども、誰がどう制御するかというシステムがないところが問題です。この会議での議論も短期的にどうするかという話は出ていますけれども、長期的に自律的な制御システムをどう作るかということはどなたからも御意見を伺っていないように思います。
     私のプレゼンのときにもお話ししましたが、日本は市場原理でもなく、国の力がそれほど強いわけではないですから、データに基づく制御ということが必要になると思います。
昨日も話したが、民主主義という伝言ゲームの中では、話はいつも矮小化されていくもんだ。
 6月16日  
  • |マクロウォッチ|財政健全化計画に年金がなじまない理由『週刊東洋経済』今週号
 6月15日  
  • 医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会 第1次報告
 6月14日  この日ですね、記憶に残っているのは。僕は4月19日5時からのクローズドの会議の中と思っていたけど、5月9日の子育ての問題を議論した日でした。
  •  ○権丈委員 私は、前の国民会議のときも言っているのですけれども、少子化対策に効く、効かない関係なしに子育ての社会化は進めないと、高齢者の社会化された制度が不安定になる。大体世の中の先進国を見ていくと、高齢者の生活が社会化されるのが先行します。それに伴って、今度子育ての社会化をしていくわけですけれども、それをやらなかったら、若い世代が高齢者の世代の社会化された制度を批判していく形になっていきますので、非常にバランスが悪くなってくるのです。
     日本の場合は、高齢者に回っているお金というのは、確かに100%の社会保障の給付という割合で見ると、圧倒的に子育てなどよりも多いですけれども、GDP比で見ると、高齢者のもらっているお金というのは、そう突出して高いわけではない。世界で一番の高齢化水準にあるということを考えると、これは少し足りないかもしれないというぐらいに、そして高齢者の貧困問題も同時に問題視されている社会なのです。だから、早急に子育ての社会化を進めていかないと制度そのものが不安定になり、結構みんなが不幸になっていくというのがありましたので、榊原委員の報告されたところで、高齢者のところが100%の社会保障給付費の中だったらば非常に高齢者のウエートが高くて、子育てのところが低い。私もずっとそれは言い続けているのですけれども、そこから先の策として、従って、負担を国の財源調達力を高めて子育てのところのお金を増やしていった形で財源の比率、子育てのところを高めていかなければいけないとずっと言い続けていたわけなのです。
     例えば今回消費税を上げました、上げた中で医療・介護・子育て、こういう年金のところに配分されていくのですが、医療・介護のところで不要なところに回っているかというと、なかなかそうとは言えない。年金は取り返したいところがあるのですけれども、そういうところで、次なる財源調達力の強化、そういうところに焦点を当てて私は議論していたわけです。
    ・・・
    ○大日向委員 ありがとうございます。私は先ほど権丈委員が言われたことを大変重く心にとめました。私は、常に子どもの視点あるいは子どもを育てている親世代を中心に考え発言して参りましたが、他方で高齢者の問題が深刻だということも、私自身、要介護の夫を持っておりますので、痛切に感ずるところです。限られたパイを子どもか高齢者かで奪い合うような議論ではなく、財源調達をもっと考えるべきだと、そこは本当に権丈委員が言われるとおりだと思います。
     子どもの問題を考えるときに7,000億円では足りないと、私は先ほど申しました。あと少なくとも3,000億円欲しい。でも、それをどこから調達したらいいのかということをしっかりと議論する必要があると思います。・・・
 6月12日  社会保障制度改革国民会議で、年金が議論されたのは、2013年5月17日ですね。
先日も話したように、その日、僕は次のように話して、資料を提出しています。
  •  ○権丈委員 私は資料を提出する予定もなかったのですけれども、年金局が作られた資料の19ページの「海外の年金議論の動向」というところで、先ほど説明はなかったのですが、「2.2 生産物が中心」とニコラス・バーのことが書かれています。年金を設計するただ2つだけの方法があるという形で生産物を蓄える、請求権を設定する。要するに、これは賦課方式であろうが積立方式であろうがそんなに変わらないのだよということを言っているのです。
     これは1970年代くらいからニコラス・バーとか周りの研究者たちがみんな詰めていた話であって、ようやく年金局の資料にこれが出てきて私はうれしくなって、私がそれらしきことをいっぱい書いている資料を提出させていただいたのです。だから、こことセットにして私の資料を読んでいただければと思います。よろしくお願いいたします。
     せっかくですので幾つかコメントさせていただきますと、社会保障というのは宮島洋先生がいい表現をされておりまして、かつての年金部会の座長です。「社会保障の良し悪しは税制の良し悪し」だと。本当に税制がしっかりしてくれれば社会保障はものすごくきめ細やかな制度設計ができるのですけれども、そこに依存していて、宮島先生はなかなか日本では難しいよねという話になるわけですが、外国で色々やっているということを考えていくときに、そこが皆保険・皆年金をやっているかというところで大体やっている制度にまた違いが出てきて、日本だったら皆年金というところが条件として入ってくる。
     もう一つは、政府の誤謬に対して社会がどこまで許容できるのだろうかという非常に重要なところもあったりするわけで、そういうところでなかなか税制をしっかりとやっていただけないと我々の社会保障の制度はなかなか作れないのだよねというのがあります。
先日も話題になっていたように、年金局が、5月17日で用いる「年金関連4法による改革の内容と残された課題」の説明をしたいと言ってきても、僕は、年金には興味はないからっと言ってムシしてたんだけどね。なにかの時に、医療介護のことで霞が関を訪れた際に、たぶん局長から、僕が会ってくれないといって若い衆が悲しがってるという頼まれ方をされて・・・だったと思う。そして日比谷公園で待ち合わせして資料をみて、「これはよくできたもんだなぁ」ということになって、会議当日に、年金局資料に関係する資料を提出することになった次第。

僕の配付資料を読んだ神野先生が、当日、次のような発言をしてくれていますね。
  • ○神野委員・・・ 第3番目の問題が、世代間の信頼関係といいますか、世代間の連帯というようなものに亀裂が入り始めたということではないかと思っています。権丈委員の提出いただいた資料を私が読み間違えていなければという話になりますが、そもそも年金というのは家族関係を社会化したものであり、特に親子関係を社会化したものだと認識したほうがいいわけで、世代間の連帯といいますか、世代間の信頼関係ということがそもそもないと成立しない制度なのではないか。これは社会保障制度一般がそうだと言えばそうかもしれませんが、特に年金は世代間がお互いに信頼し合って、フランスで言えばソリダリティと言っているような状況が作り出せるかどうかということではないかと思いますので、私たちが年金改革をする上で、ともすると現在の年金的な年金財政の状況から世代間の戦争とか世代間の闘争とかというようなことが言われ、年金制度そのものが根底から動揺しようとしているので、こうしたときには権丈委員が御指摘になっているような、そもそも年金財政を支えているような社会的なクリマ、そうしたものが重要で、私たちが年金制度を考える上では、そういう世代間の信頼関係を取り戻すような制度を考えていく、新しく再創造していくということが重要ではないかと思います。以上ですが、発表と資料を見ながら触発された感想めいた意見を申し上げました。
そして後日、神野先生の次の文章が生まれる――プロですね。 この文章は、2年前に、僕のHPで紹介させていただくことを神野先生に許可をもらっています。

まぁ、世の中には、世代間の対立を煽ろうとするグループと、世代間の信頼関係、連帯を築こうとするグループがいるわけでね。
君たちは、どっち側で生きていきたい?っというような話なわけだ。自分で決めな。
ちなみに、前者は人間が少なからず持つ公への敵意に火をつけようとするグループと、後者は公への信頼を築こうとするグループと符合します。
さらに言えば、最近授業で説明をしている、右側の経済学と左側の経済学との関係も不思議と一致するんだけどね。
両者を分ける根源は、いったいどのあたりにあるんだろうかね。
僕はそのあたりを考えているうちに、いつのまにか、ものの考え方、思想の源、いや人間の種類の分岐点として、右側、左側の経済学という考え方にたどり着いたんだろうけどな。ただ、これが根源的な原因ではない。これ以前に、なにかがあるな。
   
 6月11日  昨日のレジメに書かれていた「聞き飽きた」『週刊年金実務』というのは、次ですね。
 6月5日   雑誌『健康保険』は、毎月、慶應健保の理事には塾監局から送られてきます。
次、もう、いつでるのか皆目見当もつかない『年金、民主主義、経済学』より。まぁ、おかげで、新しい話を書き加えることができているんだけどな。
  •  次の資料は、私の講演(2014年7月2日の年綜研主催「財政検証について」)の後に、社会保障審議会年金部会で配付された資料(同年10月1日)であるが、参考として紹介しておく。
     
    出所:第25回社会保障審議会年金部会配付資料(2014年10月1日)
     OECD資料におけるNormal Pensionable Ageを年金局資料では支給開始年齢と訳されている。Normal Pensionable Ageは、減額なく満額の年金を受給できる年齢のことであり、制度上の年金標準年齢、基準年齢と訳すべきである。

    追記 
    2015年5月に出た、OECD(2013), Pensions at a Glanceの翻訳「図表でみる世界の年金 OECDインディケーター(2013年版)」では、Normal pensionable ageを「年金受給開始年齢」と訳し、上の図で厚労省が「平均実効引退年齢」と訳しているEffectiveを「実際」と訳し、「法定支給開始年齢」と訳しているOfficialを「制度上」と訳出している。こうした訳語は、制度運用上の実態をよく反映したものであると評価できる。
 6月4日  ママリーが初登頂した、ツムット山稜(1879年9月3日)、翌年にはフルッケン山稜を初登頂。
  •  
1895 年 6月、ヒマラヤ登頂をめざして帰らぬ人となる。
   
   
  •  社会保障制度改革国民会議報告書 7頁
      このようなことに留意しつつ、他方、世代間の不公平論が広まる土壌がある
    ことにも目配りが必要である。負担の先送りの解消はもとより、教育現場等を
    含め、社会保障の意義や若い人々にとってのメリットを正しく理解してもらえ
    るよう努力することや、若い人々の納得感が得られる全世代型の社会保障への
    転換を目に見える形で推進することが重要である。なお、個々の制度の問題で
    はなく、こうした世代間の不公平論が広まる土壌として、若年層の雇用環境が
    極めて厳しい現状にあることにも留意が必要である。
 5月30日  昨晩の話題 たしかに2年後の2006年7月11日だね。
次も昨日の話題?
 5月29日  まぁ、うん兆円の規模の話は、わからんもんだよ。
次は、僕が「係数感覚に欠ける善良な市民」の話をするときに紹介するマンガと文章。谷岡一郎さんの『データはウソをつく』より
この係数感覚の欠如が、政治に多々利用されることになる――政治家当人も分かっていないのかもしれないけどな。
  •  
   本日の日本輸血・細胞治療学会総会での話のポイントは次。
  •  
参考資料
  •  社会保障制度改革国民会議報告書 32頁
     都道府県ごとの「地域医療ビジョン」等の策定、これらを踏まえた医療機能の分化、医療・介護提供者間のネットワーク化等の医療・介護の一体改革、さらには国民健康保険の保険者の都道府県への移行は、いずれも国民皆保険制度発足以来の大事業になる。
および
 5月28日 あとがきは必読。
参考までに
   
 5月27日  なるほど
 5月26日  昨日話した、社会保険料事業主負担の転嫁と帰着の話を、次の脚注2に加筆――この脚注2の部分は、『年金、民主主義、経済学』に既に入ってる。
  • 勿凝学問394 負担給付倍率試算に関する厚労省のスタンス――社会保障教育検討会における過去への決別 
     加筆部分は少し長いので部分的に紹介すれば
     ・・・この点、大竹氏は近著『経済学のセンスを磨く』で「教育検討会作成ケーススタディ」に記されている文章を紹介して、それらの文章が「労働者には全く転嫁されないということを示すものではない」(113頁)と論じている。しかしながら、「教育検討会作成ケーススタディ」では、どこにも「労働者に全く転嫁されない」ということは書かれていないし、厚労省はそうしたことを主張してもいないのである。あのケーススタディを作成する際の事務局が共有していた理解は、全く転嫁されないというのは間違いであり、完全に転嫁されるとも限らないというもの。それゆえに、確定的に論じているとも受け止められる内閣府ペーパーに対して「内閣府ペーパーのように確定的なことは言えないのではないか」と論じているだけである。
     もっとも、大竹氏も、完全に転嫁されたことを前提とする内閣府の試算を支持しているわけではない。それは、「確定的なことは言えない」からであろう。厚労省は、公的年金の負担給付倍率などを計算する必要はなく、むしろそうした試算結果は公的年金の理解に支障を来すと考えているので、「確定的なことは言えない」でいいのである。ゆえに、大竹氏の本にある「厚生労働省の考え方」(111-113頁)という見出しの立て方は間違いである。
     なお、大竹氏は、「人々が病気に効果があると信じているが、医学的には病気を悪化させるような影響しかないことが分かっている薬品があった場合、その薬品を認可すべきか、といえば、そうではないはずだ」(117頁)と論じて、社会保険料の転嫁の問題を、医薬品の認可のアナロジーに沿って説いている。しかし両者は根本的に異なり、医薬品の効果については治験データに基づいて効果有り無し、「医学的には病気を悪化させるような影響しかないこと」を、政策応用に耐えうる程度には確認できるが、社会保険料の場合は、最終的に誰がどの程度負担しているのかを政策に載せうる程の実証研究には至っていない。帰着の分析は、常に完全に転嫁されることが実証されない限り、政策インプリケーションを導くことが難しい研究領域なのである。
     ここで最後に私見を論じておけば、社会保険料の負担については、政治的な説明がつくのであれば、必ずしも労使折半である必要はないと考えている。事実に基づく政策という理念が大切であることを前提としても、実証分析が曖昧で、確定的でない限り、政策に責任を持つ人たちの立場からは、政治的な説明力、政策の政治的な正当性がより重要となるのではないだろうか。このあたりは、権丈(2015)『医療介護の一体改革と財政』における「第20講 研究と政策の間にある長い距離」なども参照してもらいたい。
次もどうかな。
   はい、間違えてたね。このレポートは、400字でした。下記、800400字としています。
   なるほど
  •  Subject: 何も知らない経済学者

    権丈先生

    お忙しいところ失礼します。

    昨日届いた日医ニュースの「プリズム」欄。
    タイトルは「何も知らない経済学者」でした...
    http://www.med.or.jp/nichinews/n270520e.html

    因みにそのピケティは、身近で読破したと言う方は皆無。
    興味はあるけど、と言う方は数名いらしたので、第1部、4部、2部、3部の順で読
    むといいんじゃないかなあとお勧めしていました。自分で読んだ順序です。
    年末年始になかなか読み応えのある本でした。平易な訳文ですが、どうしても気
    になるところが数か所あり、英語本もゲット。数か所なんですけど、いずれも厚
    い本で置き場所には苦労します。フランス語は勿論パスです...
うちのゼミでは14章までいってますね。先日も、「君たちは、ピケティの本を買った人の中で、読んだ頁数は上位1%には入ってるだろうな」と話したところです。
僕からのアドバイス?は、全部読み終わるまで、解説本、論評文は一切てにしてはならないこと、一章ずつ読み終えたら800400字で内容をまとめてゼミの掲示板にアップすること、その際感想は不要、書いてある事実だけを掲示板にアップすること。
これだけかな。
解説本、論評文は禁止されているので、かなりの学生が『ゴリオ爺さん』なんかを読んでいて、その話題で盛り上がっているようです(笑)。

800400字のレポートというのは、ゼミの掲示板に直近にアップされたのを紹介すれば
  • Re:第14章 累進所得税再考
    内容:
    長い間、税金の具体的使途は政治的紛争の確信だった。狙いは誰がどれだけのお金をどんな原理の下に支払うべきかという合意に達することだ。税金に関しては定義云々よりもどこまで比例的か累進的かが大切だ。現代の税制国家では納税総額ははぼ個人所得に比例する。累進課税は社会国家の重要な要素だ。近年、税金は多くの国でトップ層において逆心的であり相続財産やグローバル化を考慮に入れると累進課税は非常に重要である。累進課税は民主主義と両大戦の産物である。多くの国はWW1前に累進所得税を採用していたが、大戦のショックで先進国も累進的税制を目指した。他国に追い抜かれることを危惧した北英は1980年代以降格差拡大容認へと態度を変えた。重役は給与増加のインセンティブが増えたため、役員や株主と交渉して給与を上げた。最適な最高税率は80%以上とされている。米国の金を持つ政治家は私的利益と社会利益を混同しておりアメリカが最高税率の引き上げを採用する見込みはない。
訳はたしかに、時々気になるところがあります。僕も彼の本の文章を引用する際には、邦訳を参考にしながら、部分的に英文から直接自分で訳しています。
たとえば、
  •  『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』より
     2014年から2015年にかけて世界的なブームを巻き起こしているピケティは、「賦課方式の公的年金は、将来のどんなところでも、理想的な社会国家の一部であり続けるだろう 」と言っている。理由はふたつあり、ひとつは賦課方式を積立方式に切り替える際の二重の負担の問題。今一つは、不確実性の問題を挙げ、これを、賦課方式を正当化する主要な根拠としている。今の賦課方式を積立方式にして「全額をサイコロの目次第に賭けるのは全くもって不合理だろう。賦課方式を正当化する主要な(primary justification)根拠は、それが年金給付を信頼できる予測可能な方法で支払う最善の方法(the best way)だということである」と(Piketty, T., p.489.日本語は翻訳『21世紀の資本』を参考としている)。
     ピケティは、続けて、「先進国の既存年金制度は、一部を変更しなければならないかもしれない」と論じ、その理由として高齢化による影響、複雑な制度などを挙げている。前者については日本では04年改革――マクロ経済スライド、繰り上げ受給に加えて繰り下げ受給の導入等――で部分的に対応しており、後者については、日本の公的年金は被用者年金が公務員と民間労働者との間で一元化されていたりするためフランスよりも簡素化されている印象があり、ピケティの論は、さほど参考とはならない。
次々著には次のような文章もあります。
  •  日本のみならず、積立方式を意図して発足した公的年金が賦課方式、ピケティの『21世紀の資本』の中では、金融の世界で使われる「ペイゴー方式」と格好良く訳されているpay as you go に移ろうとする際には、守る者と責める者のせめぎあいのドラマが展開されます――しかし、高齢者の貧困の発生を防ぐために「実質価値を保障する終身年金」を意識すると 、不確実性を抱える社会経済の中で積立方式のままでい続けることはできなくなります。そのことは同時に、世代間の格差を発生させることでもあります。公的年金の財政方式として賦課方式が一般化していく過程では、保守が動くことがあればリベラルが動くこともありました。そして双方からの賦課方式への要求は、当時の積立方式的な財政規律派からみれば、給付の引上げを求める政治家への安易な妥協にも見えたと思います。しかしながら各国の公的年金の賦課方式への傾斜は、結果的に「公的年金」という制度を通じて高齢者の貧困を減少させることに寄与してきたました。
付録
先週の人事院入間研修所での国家公務員初任行政研修での課題のひとつ
  • 先進各国が公的年金という「国民仕送りクラブ」を持っていることを、国民にどのように説明すればいいでしょうか? また、韓国での高い高齢者貧困率を下げるためにはどのような方法があるでしょうか?
     参考資料
ちなみに、高山さんをはじめとして、年金バランスシートで公的年金を評価する人たちは、積立方式から賦課方式に移っていった歴史過程を「過去の不始末」、「政治家や官僚が年金積立金を無計画に使ってしまったからに他ならない」とみなし、そうした言葉を繰り返し使うことにより、人が少なからず持っている憎しみや敵意という負の側面に火をつけることに成功してきたようです。
歴史的事実とは異なる彼らの思い込み歴史観が彼らの年金バランスシート論を作ったのか、年金バランスシート論が先にあってそれに整合性を持たせる形で彼ら独特の歴史観が形成されたのか、そのあたりは不明です。
  •  『年金、民主主義、経済学』より
     こうした話の源は、高山先生の公的年金のバランスシート論だったわけでして、高山先生は小塩さんや鈴木さんのような高山年金論の後継者を世に排出したとも言えるのですけど・・・
     高山バランスシートと、小塩・鈴木バランスシートには違いもあります。前者は将来の国庫負担を将来の資産に勘定し、後者は将来の国庫負担を資産には入れていません。したがって、・・・
 昨日の話、「その政策をできるとかできないかと判断するときには、為政者はどう考えるかを、間接的に問うしかありません」と関連するものとして――次の文章では、「政策のフィージビリティを考える材料が提供された」としか書かれておらず、誰も判断はしていない。判断は、シミュレーション結果を読んだ一人一人に委ねられている。
  •  『社会保障制度改革国民会議報告書』39頁
     
年金シミュレーションが発表されたのは、2008年5月19日。その日、知人の記者から、「租税方式の終わりの始まりですね」との連絡がくる。
  5月23日  この本、つまり岩波の現代経済学シリーズ『価格理論Ⅱ』は、ミクロ経済学の中の厚生経済学の部分です。三田祭の準備として、この本の次に僕が考えた本は、熊谷尚夫『厚生経済学』。さすがにこのあたりから、ゼミの同期のかなりは脱落。今考えると、かわいそうだったね(笑)。その次に考えた、熊谷先生の『経済政策原理』なんかまでついてきていた同級生は、さすがに一人もいなかった。そして三田祭も数週間後に迫った頃に、これはヤバイと思って、年金や医療の文献を読み始めたということだ。そうすると、おそろしくおもしろくなくって・・・。でっ、えらく遠回りをさせたことに(少しばかり)責任を感じた僕は、三田祭の報告書をほとんどひとりで、二日間くらいで書き上げた。その報告書は、そっくりそのまま某大学の卒業論文に丸写しされて使われたようで、その大学の先生が、今年は良い卒論があったと藤澤先生に自慢をしたことで、そのことが判明。まぁ、毎年、三田祭周りでは、いろいろとおもしろいことが起こるもんだ。今年も励むように。でもテーマ選びに僕が係わっているということ自体が、実は教育としては手抜きで、根性なしの方法なんだけどな。本当は、学生が何をやっていてもじっと我慢する、見ても見ない振りをして、自分でやけどをするまでじっと待つ、というの理想なんだろうが、なかなかそれは難しくってね。。。
 5月22日  昨日話した、「為政者の保身」という言葉は、公には次ではじめて登場します。
  •  2008年5月19日 社会保障国民会議 所得確保・保障 (雇用・年金)分科会(第4回)議事要旨 
     移行の難しさとか難しくなさとかいうものは実行可能性の問題になるんですけれども、実行可能性というものを一体どのように考えればいいのかということを考えたりするのも私の学問の一つであって、私の文章に「政策論は価値判断と実行可能性という制約条件下で織りなされるアートである」というような文章があるのですが、私はこの実行可能性をどういうふうに考えていけばいいのかと問うたりするわけです。政策というのは強い権力さえ持っていれば何でもできるんですね。政策の実行を抑止する力というのはどこから生れてくるのかというふうに、私の思考回路は向かうわけです。
     そのときにキーワードとなるのは「為政者の保身」、「為政者の保身」が非常に重要なキーワードになると。歴史的な事例をいろいろと考えてみますと、為政者が自分を守るために、これはできるかできないかを判断していく。そしてその時に結構な善政がなされる。我々がその政策をできるとかできないかと判断するときには、為政者はどう考えるかを、間接的に問うしかありません。そこで現代民主主義の下での政治家の保身ということが重要な概念になってくると思うわけです。
     今日は政治家は補佐官しかいらっしゃいませんので、補佐官に聞くしかないんですけど(笑)。基礎年金の租税方式への移行の実行可能性を問うポイントとして5つぐらいの問いを考えていて、これに「イエス」と答えるか「ノー」と答えるか。これが実行可能性を問う分岐点になるかと思っております。だから、心の中で、補佐官にはわたくしの問いに対して「イエス」、「ノー」を答えてほしいんですね。
昨日話した、ジョセフ・チェンバレンの言葉が出てくる次もどうかな――昨日届いたメールによると「発売日が海の日を超えましたね、お盆に間に合うか、果たして!?」の「『年金、民主主義、経済学』より
  •   各国の社会保障制度の創設期を見ると分かるのですが、大方はビスマルクのような視点で社会保障政策が導入されています。社会主義と帝国主義を融合した社会帝国主義者として知られるイギリスの政治家、ジョセフ・チェンバレンの「「(裕福な者は)財産がその安全を保障される代償として身代金を支払うべき」(1885年演説)という、いわば富裕層への脅しの言葉も、ビスマルクとは立場こそ違え同じ視点から出たものだと思われます。
     僕は、こうした広く社会政策の形成過程で重要な役割をはたす要因を、「為政者の保身」と表現していて、為政者達が我が身、および自分たちが支配者である体制を守る、いわゆる保身のために大衆に妥協を示す際に社会保障政策は生まれるようです。
     そして為政者に我が身の危険を敏感に感じ取るセンスが欠けている場合には、為政者そのものが、革命や選挙で大衆から取り替えられることになります。と同時に、社会保障政策のような、所得の分配面で大きな変革を伴う政策は、為政者に身と地位の危険を感じさせるくらいの動きが起こらないと、なかなか先には進まないようです。
     なお、「為政者の保身」という言葉を公の会議、第4回社会保障国民会議(2008年5月19日)」の場で使った様子は、権丈(2009)152-154頁を参照してください。
ちなみに、いまのところ、順調に、シラバス通りに講義は進んでいる模様。春は、個別の制度の話はぜんぜん出てこないけど、一応、これは社会保障の授業です、はい。。
  • 第1回 イントロ 映画鑑賞「SiCKO」
    第2回 再分配政策の政治経済学とは
    第3回 再分配政策としての社会保障とは
    第4回 公共政策と民主主義
    第5回 民主主義の情報問題
    第6回 実証経済学と規範経済学
    第7回 政策技術学としての経済学と社会保障
    第8回 映画鑑賞「インサイドジョブ」
    第9回 社会保障と係わる経済学の系譜
    ・・・
    ・・・
    ・・・
 5月21日  じんよんは、大きな勘違い。

> 3年生の時に三田祭で年金などをやったのは1983年11月――ちょうどその頃から、経済学者たちが年金の世界に参入。
> その様子も三田祭で扱っていて、年金経済学者ってなんだかなぁと思っていたわけでね。

藤澤先生は、僕ら学生が、三田祭で何をやっていたのか・・・知らなかったかもしれない(笑)。
3年生の頃から、「お前がぜんぶやっとけ」と言われていて、僕が夏合宿で読むことに決めた本は、どうしたことか、これ。初版は1971年に出ていた本。
合宿先では、4年にとってもちんぷんかんぷんで、3年生はみんなぶーぶー言ってたもんだ。院生もいなかったから、僕がひとりで説明。
でっ、先生は、枕が変わると眠れんからと言って、合宿に参加したことは一度もなし。。。時代だな。
先生は、授業中にはいつもたばこを吸っていて、「この禁煙という文字は、お前らの方を向いて書かれているからな」と。

でっ、さすがに三田祭が近づいてきて、これはまずいと思ってコピーして集めて読んだのが、次の参考文献にある、高山さんの論文等々。ちょうど1981年、1982年、1983年に出ているな。 そして、今日の授業などでも話していた、規範経済学の歴史――実は、3年の三田祭合宿で読んだこの本からスタートして、僕がその後いろいろと読んでは考えていったストーリーということになるんだろうな。1998年頃だったか、ある先生が、藤澤先生に、権丈さんはいつになったら社会保障をやるのでしょうかと心配されていた頃に考えていたことを、今は社会保障の授業の中で話していることになるのかね。この前まで話していた民主主義の情報問題、政策形成における権力の作用や、権力の制約条件とは?という話などはまさにそれ。当時藤澤先生は、あいつはあれでいいと言っていたらしいが、先生は僕が何をやっているのかはあんまり知らなかったとも思う(笑)。。

それと、数人の先生から聞くところによると、藤澤先生は、権丈を教育しようとすると反発するから、何にも教えなくていいと言っていたらしい。
偉大だな(笑)、僕にはできない(笑)。
似たような話は大人になってもあり、ある人が、権丈さんに会議での振り付けをしようとすると逆のことを言うから、何もしてはいけないっと部下に指示。

知らんよ。。。
 5月19日  なるほど、年金学会に入ると『年金学会雑誌』が送られてくるわけか。
  •  招待報告 小塩隆士氏「2,014年財政検証を検証する」
別に、2004年改正の前のとうの昔から、積立か賦課かという話は、公的年金の世界では終わっていたんだけどな。
次々著『年金、民主主義、経済学』より
  •  彼らの積立方式移行論を信じていた人たちは、Output is centralという考え方や、積立方式にしても彼らが問題視する世代間格差を解消できないということに通ずる同等命題――二重の負担問題を多世代に普遍化した命題――を知らないままに、「積立方式は少子高齢化の影響を受けない」、「諸悪の根源は賦課方式」と言って積立方式を唱えていた論者たちの論を評価しなおした方が良いと思います。あなたが学校の先生なのであれば、それくらいはできると思います。
最近は、年金経済学者が天動説から地動説へとライフサイクルを辿っていくのに時間がかかりすぎるわけだが、それはまぁ、仕方がない。 付録「年金経済学者のライフサイクル」・・・僕がはじめて書いた年金の論文を収めた2004年の『年金改革と積極的社会保障政策――再分配政策の政治経済学Ⅱ』より 。
  •  なお、わたくしは1960年代生まれの経済学者である。世間相場にもとづけば、団塊の世代を支える立場にあるこの世代と経済学という専門の2つが重なると、おおよそ年金の民営化論者、積立方式論者と期待されることになる。だがわたくしは、そうではない。その理由の1つに、この年齢で、すでに年金論議を20年ほどながめてきた経験があるからと思える。新規参入してきた年金経済学者は、まず民営化、積立方式支持者として登場し、景気変動をはじめとした経済の歴史をみずから実体験していくうちに、勇気をもって前言を翻すか、もしくは口をつぐんで年金の研究から去っていく。こうした年金経済学者のライフサイクルを20年ほど観察していれば、年金に関して<持久力のある見解>とはいかなるものなのか、自然と学習できる。
上の文章を含む年金に関するはじめての論文を書いたのは40歳過ぎで、それまで20年以上、年金研究の世界というのを眺めてはいたわけです。
3年生の時に三田祭で年金などをやったのは1983年11月――ちょうどその頃から、経済学者たちが年金の世界に参入。その様子も三田祭で扱っていて、年金経済学者ってなんだかなぁと思っていたわけでね。
   本日の授業内、小レポート
  •  
10分間くらい、みんな真剣にレポートを書いてくれてどうもな。レポート拝読、大変勉強になりました。。。
でっ、レポートを書いてもらった後に説明したように、この吾妻橋というおじさん?は、間違えてるんだよ。
そしてその間違い、というかこのレポートのワナを指摘したレポートは一枚もなかった(笑)。
こうした間違いが正々堂々と公にされるというのが、年金の世界というものです。
次もどうぞ。
  •  第2回社会保障制度改革国民会議議事録 2014年10月10日
    先週の日経の高山憲之先生の記事などでも、こういうふうに「最長寿国の日本だけが受給開始年齢を65歳以上に引き上げなくても、年金財政は持続可能と10年以上にわたって言い続けているけれども、本当にそれでよいのか」というような文章が、新聞などには本当に正々堂々と出ているのですけれども、「それでよい」のです。
   なるほど。この記事ですか さすがに来月には出るだろう『年金、民主主義、経済学』には、こういう話がいっぱい書いてあるかな。
 5月14日  昨日話した、基礎年金の財源調達のあり方を理想型として、高齢者医療と介護をそれに近づけるという考え方は、2009年の「高齢者医療に関する検討会」の頃に書いてますね。 4月27日の財政審資料に、前期高齢者、介護の両方を総報酬割とする方向性が書いてあって、上述の勿凝学問268を思い出したものです。

でっだ。2006年に書いた次に、被用者年金一元化の話や基礎年金というネーミングの問題なんかを書いていますね。。 ここに書いてあるように、慶應は、厚生年金で、健保組合。なのになぜ、僕が私学共済の年金問題検討委員会に参加していたのかは・・・
  •  ところで、被用者年金(厚生・共済)一元化推進の中心人物で、「追加費用」を「国等の負担」「地方公共団体の負担」と読み替えて、その存在を強く批判する加藤紘一氏は、冊子『被用者年金一元化をどう考えるか』で、「本当に年金を公平に論じられるのは<慶應大学か早稲田大学の教授>しかいない」と書かれている。その理由は、「慶應や早稲田など40校ほどは(共済ではなく)厚生年金だと聞きました。本当らしいです。両大学の先生たちに是非、がんばって欲しい」ということにあるらしい。どうして慶應、早稲田を含めて40校ほどあるのに、期待されるのが慶應と早稲田だけなのか、大いに疑問をいだきたくなるところではあるが、上記『朝日新聞』紙上でコメントをしている<慶應大学の教授>は、期待されているからには、(何を勘違いしたのか)やはりここは期待に応えなければならないだろうと思ったようで、新聞社からのインタビューに答えたそうである。それに彼は、2002年度に私立大学連盟(私大連)に設立されていた「年金問題検討委員会」のメンバーでもあったらしい。私学共済でない慶應は、私大連がかかえる年金問題とは無縁のはずなのだが、私大連の会長が慶應大学の塾長であるらしく、かわいそうに一年間、私学共済の年金問題を検討する会議に顔をださせられていたという。だから、私学共済にも、ちょっと詳しいという話もあったりする。
それと、
  •   「基礎年金」もネーミングのミスであると論じた「勿凝学問36 どの世界にもいるはずの気概のある異端たちへ―― 自民・民主勉強会での説明の正確さを期するためのメモ」(2005年7月23日)」の<自民党から問い合わされていた基礎年金と生活保護の関係>も参照されたい。
     なお、ネーミングのミスゆえに,世論がおかしくなった例を50音順にいくつかあげておく―一医師優遇税制,基礎年金,国民負担率,修正積立方式,診療報酬,生活習慣病,追加費用。現代人に漢文の素養を求めるのは酷かもしれないが,ネーミングから素人がいだくイメージと実像との乖離が,あまりないように注意深くあってもらいたいものである。世の議論をながめていると,その多くが,メディアや研究者にいる「無自覚な素人」の誤解を解くことに費やされているようにみえてしかたがない。滑稽きわまりない世の中である。ただし,国民負担率は,ネーミングのミスというよりは,ネーミングした者たちの意図どおりに普及して利用され,世の議論を彼らの都合のよい方向に導くことに成功しているようでもある。
 5月9日  
  • 前略   初夏の気候となった九州地方です。権丈先生、お元気ですか?

          今回は、・・地域医療学校・・の開設意義を書かれた山口さんの記事をシェアして頂きまして、ありがとうございます。
          これは早速行う必要があります。
          在宅医療センター〇〇の△△医師に相談しつつ口説きます。
          因みにこの△△医師は、見どころ満載の医師です。
          △△医師なら一緒に取り組んで貰えると思いますので、早速取り掛かります。
          ありがとうございました。
          では、失礼します。
ご参考までに
  • 社会保障制度改革国民会議報告書」24頁
     ともすれば「いつでも、好きなところで」と極めて広く解釈されることもあったフリーアクセスを、今や疲弊おびただしい医療現場を守るためにも「必要な時に必要な医療にアクセスできる」という意味に理解していく必要がある。そして、この意味でのフリーアクセスを守るためには、緩やかなゲートキーパー機能を備えた「かかりつけ医」の普及は必須であり、そのためには、まず医療を利用するすべての国民の協力と、「望ましい医療」に対する国民の意識の変化が必要となる。
     「社会保障制度改革国民会議報告書」26頁
     しかしながら、国民の医療・介護ニーズと提供体制のミスマッチが続いたまま医療費や介護費の増大を招けば、国民負担増大の抑制の観点から、必要な医療・介護まで保険給付の対象から外すなどの対応が一律的に行われたり、緊急性の高い救急医療を緊急性の低い医療が押しのけたりといった事態を招きかねない
    「社会保障制度改革国民会議報告書」35-36頁
     もちろん、上記のような受診行動が普及するには、医師が今よりも相当に身近な存在となる地域包括ケアシステムへの取組も必要であり、医療の提供を受ける患者の側に、大病院にすぐに行かなくとも、気軽に相談できるという安心感を与える医療体制の方が望ましいことを理解してもらわなければならず、患者の意識改革も重要となる。
こうした文章を書く時に、ながめていた資料の一つ。
  •  
    ↓(続き)
    現在、地元の母親たちと地域医療について話し合う「ママのおしゃべり救急箱」で、今回の絵本を紙芝居に仕立て直して読み聞かせている。
 5月7日 > 山口さんのエッセーをシェアします。鉄道身障者福祉協会というところが出しているリハビリテーションという機関誌に掲載されました。
> ・・・医療の輸出だ、なんだ、と浮かれるのではなく、現場で起きている地に足のついた建設的な動きは応援したいですね。 > 久々に先ほど更新されました。
> 労働市場改革を被用者保険適用拡大から全面展開するという・・・。
 4月28日  「BBQ、パエリア」で検索したら、いっぱいでてくるぞ。お釈迦様は、BBQのプロを目指して次回は、準備を。
次に、むかしのBBQの様子あり でっ、民主主義の情報問題については、次なども参照あれ。2009年の政権交代後、初めて書いた文章。みんなが政権交代で盛り上がっている時にな。 ところで、
この、「年金のセーフティネット」という表現の普及度合いから見ると、僕は諦め気味だけど、まぁ、ちゃんとしたことは言っておかないとな、年金論議がこれ以上おかしくならないように。
5月には出るかもしれない『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』中の雑談コラムより
  • 生活保護法と国民年金法を比べてみましょう。

    生活保護法
    【この法律の目的】
    第一条この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべて国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
    国民年金法
    【国民年金制度の目的】
    第一条 国民年金制度は、日本国憲法第25条第2項に規定する理念に基づき・・・

    このように、生活保護法は憲法25条に基づき、国民年金法は憲法25条第2項に基づいています。

    そして、日本国憲法は、
    第25条【生存権、国の社会的使命】
    ① すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
    ② 国は、すべての生活部面につて、社会福祉、社会保障および公衆衛生上の向上及び増進に努めなければならない。
参考までに
 4月27日  忘れてた。
次が、先週の講義の本題「民主主義の情報問題」で使った資料――講義冒頭の年金の話はただの雑談 僕の社会保障論の授業に特徴があるとすれば、4月から5月のはじめくらいまでは、「民主主義と情報問題」の話を延々とやったるところだろうかね。民主主義というものは、情報問題を考慮すると、小中高校で学んだ民主主義とは、ぜんぜん違うものに見えてくるものでね――市場もそうなんだけどな。
次、参考までに。 それと、ちゃんと伝わっているか?
BBQスペースは、公園の東端。 BBQの場合は、次のように最寄り駅を武蔵小金井駅と書いてあるガイドは、ウソ BBQの場合は、吉祥寺、三鷹、武蔵境から向台五丁目行きのバスに乗り、スポーツセンター入口が正解!
武蔵小金井駅からバスに乗って小金井公園西口で降りたら、えらい歩かされるぞ。
    で思い出したので、次も紹介しておきます。
  •  Ⅶ巻より
     2011年2月にリリースされた、サザン・・・ではなく、桑田佳祐オリジナルアルバムMUSICMAN中の「現代人諸君(イマジン オール ザ ピープル)!!)の歌詞などは、年金にとってはとてもイタイ――他の箇所は可。
     
      言うことがブレまくりの党首
      政府与党は所得(カネ)を搾取
      頼みの年金制度(ねんきん)も崩壊(クラッシュ)
      They are really lying♪

    なお、2011年のはじめにこうした歌が出たことは、第4講中「年金の保険としての賢い活用法」にある次の文と関係していると思われます。

      この国では2009年から2010年にかけて、年金の危機を煽る本が立て続けに出版されました。
      その内容は、問題の多いトンデモ本の類だったのですが、これらの本の煽りに週刊誌やテレビのワイドショーがのって、
      どうせ破綻する年金、早くもらっておいた方が断然お得!というキャンペーンが張られました。
   2週間前の授業の雑談時に、僕の両親は数年前に他界してるんだけど、仕送り方式の公的年金に毎月保険料を払ってんだよねっと話したことを、次の文章に赤文字で書き加えてみました。公的年金というのは、まぁ、こんなもんです。
  •  勿凝学問392 年金の保険としての賢い活用法 
     付け加えれば、親が年金を得ていたために、親の生活費をさほど心配しなくてもすんでいました(笑)。親が無年金だったら子どもはちょっと辛いかもしれません。ということは、別の角度からみれば、私の親の扶養を私以外の多くの人たちが協力してくれていたことにもなります。それが公的年金というものなのだろうと思います。おっとそれから、私の両親は数年前に他界しましたけど、今もせっせと、年金制度に保険料を払って今の高齢者の扶養に協力しています。まっ、そんなもんでしょう、公的年金は助け合いだし、保険ですし、それに、万が一長生きしたら(笑)協力した分に応じた見返りもあるようですし。
     年金は保険であるということを理解すれば、おのずと賢い活用とはどういうことかが分かるようになります。年金を貯蓄や株のような利回りを競い合う金融商品と同じに考えて、おかしなキャンペーンにのせられてしまった人は、もし長生きしたときに大変な後悔をしてしまうでしょう。だからこそ、ちゃんとした記者たちは、年金破綻論に端を発した繰り上げ受給キャンペーンを諫める記事を書いてくれていたわけです。
世の中に長い間存続している制度というのは、いろんな顔を持っているようで、だからこそタフな制度として存在し続けることができたわけなんだろうし、どうしても、僕は人をみて法を説く感じになってしまうと言うのは、次を参照あれ。 次などもどうかね
  •  いったいいつ出るんだろうかの『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』より
     でも、国が破綻したら、当然年金も破綻しますよね――と言っても、僕が以前書いた次のような話は記憶しておいて良いと思います。

        社会保険方式の年金制度は保険料の拠出履歴が残るため、その生命力には想像を絶するものがあります。
        ビスマルク時代に始まった年金は、二つの大戦で大敗した後に東西ドイツに分割され、その後統一された現在でも、
        なお存続しています〔権丈(2009)113頁〕 。

     また、ビスマルクに始まる公的年金保険をイギリスに導入するのはロイド・ジョージです。ロイド・ジョージが亡くなった時のチャーチルによるイギリス国会での追悼演説も記憶の隅においていてください。

       あなたが成し遂げた仕事の多くは存続し、
       そのいくつかは、大きく育ち、
       われわれに続く未来の人々は、
       あなたの成した仕事というものが、
       頑強で、堂々としていて、
       そして壊しがたいものであることに気づくであろう
            29 March 1945 in the House of Common

     社会保険方式の公的年金というのはなかなかタフな存在で、壊そうと思ってもなかなかそうはいかないもののようです。
 4月26日   「ご自身で、実質的な目減りについての対策を講じなくてはなりません」として、繰下げ受給の紹介――うん、達人してるな・・・って知らない人だけど(笑)。年金手帳をながめて、繰下げ受給を知って、よしっ!と元気になる写真もグッド。

文中にある特例水準の解消については、2週間前の授業の雑談で使った、次のスライド参照。 次とセットで理解を、っと講義では話す。
  •  
繰下げ繰上げについては、次でもご参照あれ 余力があれば次の理解も――Ⅶ巻のどこかにある図
  •  
 4月22日   まぁ、僕が去年の財政検証をひとつの表にまとめるとすれば、次のようになる。
  •  近著?と呼ぶには大変おこがましい『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学』より
     所得代替率の将来見通し(平成26年財政検証)
     
     平成26年財政検証のメイン試算は、なにもしなければこうなるという絵柄を示しており、今回行われた3つのオプションは、これを進めるといずれもが給付水準の底上げにプラスに働くことが確認された。
     たとえば、被保険者期間を40年から45年に延ばすと、給付は45/40倍、約1割増える。そして65歳から70歳まで繰り下げを行うと今の繰り下げ割増率を適用すれば65歳給付水準の1.4倍になる。その結果、被保険者期間45年、70歳での繰り下げ受給であれば、被保険者期間40年繰り下げなしの年金額よりも45/40×1.4=1.54倍の給付水準になる。
     さらにオプションⅢでは、20歳から70歳まで50年間保険料を拠出した場合の、「拠出期間増」と「繰り下げ増額」が合わさった試算も行われている。それによれば、最も悲観的な試算結果であるケースHでは、なにもせず被保険者期間40年のままだと37%に落ちるのであるが、50年間被保険者期間だと所得代替率は、拠出期間増と繰り下げ増額のために71.7%(1.94倍)になる。同様にケースCの場合、なにもしなければ51.0%なのが86.2%(1.69倍)、ケースEでは50.6%が85.4%(1.69倍)、ケースGは42.0%が72.6%(1.73倍)となる。その上、オプションⅠ(マクロ経済スライドのフル適用)、オプションⅡ(厚生年金の適用拡大)を重ね合わせれば、将来の給付水準の一層の底上げを実現することができる。年金改革をはじめ社会経済制度改革に注がれる政治エネルギーは、オプション試算が含意する方向に向けられるべきことが明確に示されたのである。
まぁ、性格だろうな。年金批判屋さんというのは、昔から、根が暗くってね。
  • 次著?より 
     私は、2004年改正の直前に年金の世界に入ったわけでして、本日のフロアのご出席者から見れば、まったくの新参者であります。そしてですね、この世界に入った頃に思ったのは「年金の世界は、なんとも根暗な世界だな」というものでした(笑)。人前で妙に官僚との対立ポーズをとりたがる年金経済学者たちの独壇場で、とくに研究者と呼ばれるくらいの人ならば、普通、日本で展開されていた官僚バッシングはヨーロッパでの移民排斥と同じようなもので、ポピュリズム政治の現れだと理解するくらいの人物でいて欲しいのに、日本の年金経済学者を見ると、テレビに出ては、大衆レベルの司会者の話に合わせて一緒にバッシングをやっている。一方、どう考えても年金批判をやっている人たちの方が間違えている場合も、霞ヶ関は反論もせずにいる。そういう官の態度も暗いですね。
     そうした根暗な世界は、私にはあまり向きません。・・・
そして年金批判屋さんたちの発言は、彼らの過去の発言との経路依存性がおそろしく強いわけだ。
  •  次著のどこかより
     民主党に最低保障年金と一元化を勧めてきた人たちは、こうした一元化を実現する際の難題には気づいていなかったと思います――少なくとも民主党の政治家、山崎先生の言う「民主党の責任ある方」には伝えていなかった。さすがに気づかされ、触れざるを得なくなった今、僕らは、彼らの「それでもできる」という弁明を聞かされていくことになります。これはちょうど、かつてOutput is centralの考え方を知らずに「積立方式は少子高齢化の影響を受けない」と言っていた人たちが、今では「それでも積立方式の方が政治的には優れている」と言いかえたり、二重の負担、そしてこの問題を多世代に普遍化した同等命題があるから積立方式への移行は難しいし意味がないと指摘された人たちが「それでも云々・・・」という論を延々と続けているのと同じです。そしていつのまにか世の中の年金論が、過去に間違えていた人たちの自己弁護の論でいっぱいになり、肝心要の議論が閉め出される――具体的には、平成26年財政検証のオプション試算で示された改革論議がまったく行われなくなる。そういうことが、年金まわりの民主主義過程では、どうも起こっています。
昨年の財政検証以降の年金論の流れをみていた僕は、なんだこの流れは?と少々驚いて、年金学会にでも入るとするかねっと思ったりしたわけかな。
 4月20日   僕も先々週4月10日の社会保障制度改革推進会議で、年金にかわって推進会議にお礼を言ってきたもんだ。
この日は、推進会議の当面の検討課題(案) を議論した日。
  •  ○権丈委員 今、当面の検討課題ということをおっしゃっていただいて、多くのことに関わる話を私も清家先生と目が合ったので発言させていただきますけれども、去年6月に財政検証が行われまして、その後、あまり言ってくれないといいますか、誰も言ってくれないので今日発言させていただきたいのですけれども、繰り上げ受給と繰り下げ受給というものがあって、繰り下げ受給というのは相当給付水準を上げてくれるのです。だから私はいろいろな記者とかいろいろな友達には1.54という言葉を覚えてくれと言っているのだけれども、40年を45年にすると1割増で1.1、65歳から70歳に繰り下げ受給をすると1.4倍になるのです。1.1×1.4は1.54で、これをとにかく実現できるような社会をやってみたい。
     被保険者期間45年への延長と繰り下げ受給を加味した1.54をかけると、実はこの前の財政検証で37%というHのケースでも50を超えるのです。だからとにかくみんなが働いて繰り下げ受給ができるような社会をつくるということ。これを是非ともやってもらいたい。これは結構みんなが喜んでいく社会で、企業はちょっと怒るかもしれないけれども、御協力いただければ結構いける。そして、この前の財政検証のオプション3のところで、最後のところでは70歳まで保険料を納付するというのも計算しているのがありました。70歳まで納付していただくと37%と計算されていたものが、実は71.7%まで給付水準が上がるんです。だからこの前の財政検証というのは、何もしなかったらこうなるけれども、労働市場とかいろいろなところが変わってくれると、こんなにいい結果になるんだよということを示してくれた財政検証であって、その方向に、先ほどの課題1あるいは4を前向きに社会全体で取り組んでいただければ、年金は非常に助かる。そういう社会をみんなでつくっていきましょうということを、ここで御議論いただけるというのが非常にありがたいと思っております。私が年金にかわってお礼を言う必要はないと思うのですけれども、よろしくお願いします。
こういう社会を作ろうよというのは、次の図の「社会経済制度改革」に相当する話として推進会議とかで議論することに意味があるのであって、年金部会で年金マターとして議論してはいかんのだよなぁ。年金は、いじめられっっこだから。
  •  『Ⅱ巻』(2004)のあとがきより
     
おまけ――4月10日に送った連絡
>  繰り下げ受給の推奨というのは、年金局の外、厚生労働省だったら労とかががやらないと、年金がいじめられます(笑)
 4月19日  そう言えば、次が先日話した、公明ちゃん。。。
連絡がきてコメントがほしいというから、やだよ、それにだいたい僕は、どこの政党であれ政党が出す新聞に出るわけないじゃないかぃとこたえたら・・・、では、考えますっといわれて、後日この記事が送られてきて、うまいこと考えたなぁと感心して・・・まぁ、たしかに、僕が政党の新聞にコメントを出してはいない。。。
   昨日はお疲れさん。紹介した社会保障制度改革国民会議の該当箇所は次です。太字の箇所を意識しておいて下さい。
  •  社会保障制度改革国民会議報告書 ~確かな社会保障を将来世代に伝えるための道筋~
     このようなことに留意しつつ、他方、世代間の不公平論が広まる土壌があることにも目配りが必要である。負担の先送りの解消はもとより、教育現場等を含め、社会保障の意義や若い人々にとってのメリットを正しく理解してもらえるよう努力することや、若い人々の納得感が得られる全世代型の社会保障への転換を目に見える形で推進することが重要である。なお、個々の制度の問題ではなく、こうした世代間の不公平論が広まる土壌として、若年層の雇用環境が極めて厳しい現状にあることにも留意が必要である
     また、高齢世代にも、社会保障が世代間の連帯・助け合いの制度であることを理解してもらい、社会保障を持続可能なものとしていく努力を求める必要がある。
それと次は、玉木さんの本の図 この図に基づいて僕が作った図(昨日はこの図をイメージしながら少子高齢化の話をしてました)――先日の授業の「雑談の時間」に紹介した図でもある
この図の説明は、次の文章がいいかもしれないですね。
 4月18日  3日ほど前に、送ったメール。考えてみると、昨日ここで紹介した「長生きリスクについてのただし書き」の文章と同じ内容だな。想定している対象たちもかわりばえしないから、そうなるのかもな。
  •  Ⅱ巻の年金の所にある次(2003年に書いた原稿)は、当時、彼らの研究を読んで、学問ってのが分かってないなと思っての文章だよ。

    経済理論というのは,フロンティアでは常に現存する理論の限界を認識しながら,限界の突破を求めて進化をつづけているものであり,そうであるから,彼ら経済理論のパイオニアたちは,自分たちの理論を現実に当てはめることには,少なくとも,理論のユーザーたちよりも慎重である。経済理論のユーザーたちは,そうした経済理論のフロンティアでの苦悩にまで目を配りながら,教科書レベルにまで普及してきたツールやアプリケーションの使い方の練習には,もう少し注意深くある方がよいように思える。学問上の画期的な進歩は,それ以前の理論を否定することから生まれるという性格は避けようがない宿命なのであるが,不確実性を組み込まないモデルにもとづいて積立方式の絶対優位を信奉し,その後,不確実性を組み込んだモデルを用いて賦課方式にも利点があることに気づいて報告するというのは,少々おさなすぎる。
   昨日の授業のつづき
なんで、公的医療保障制度があるのか、僕もよくわからんのだよと話しましたけど、公的年金についてもそうです。
医療については、フュックス「ビスマルクからウッドコックへ 国民医療保険普及要因の再検討」『保健医療の経済学』とか、フュックス「国民医療保険再訪」『保健医療政策の将来』でもご参照あれ。
年金については、次でもどうぞ――近著というのはおこがましい『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』より。
  •  ただし、長生きリスクという言葉が独り歩きするあまりに、公的年金が長生きリスクにのみに対応したものであるかのような誤解を受けることがあることにも注意しなければなりません。長生きリスクを言うと、ならば平均寿命までは自助努力で行うべきだと言う人が出てきたりするわけですが、高齢期に入って、その時代の現役世代と比べて見劣りしない生活水準を平均寿命まで享受するのにいくらくらい必要なのかは、その人が現役の頃に予測するのはかなり困難なわけです。このあたりは、第1講における「公的年金が実質価値を保障しようとしていることの説明の難しさ」で触れた、床屋さんに月一回行く支出を賄ってくれる床屋保険は、保険期間が長くなればなるほど制度設計の難易度が高くなっていくという話や、「リスクと不確実性」で次のようなことを話していることを思いだして下さい。  

    大学の講義では公的年金の話をする際に不確実性を強調しますけど、そうは言っても、年金受給開始年齢に近い人に繰り下げ受給を薦める時には、長生きリスクという言葉を使います。若い人にとっての公的年金の役割と年金受給世代にとっての公的年金の役割は、似ているようで完全に同じではなく、それぞれにとっての公的年金の必要性は不確実性からリスクへと、年をとるにつれてグラデーションを持って変わっていくものだと思います。 

    そしてこうした、せっかく長生きリスクということを説明しているのに、そこに「ただし書き」を入れざるを得ないことを思うと、世の中に生まれ・存在し続けてきた制度に対して、人知というものはなかなか力不足であることを実感します。なぜ、目の前にそうした制度があるのか?その制度はどういう働きをしているのか?この問に対して、ドンピシャとあてはまる説明の仕方はなかなかみつからないものです。いまここで、若い人には不確実性、年金受給に近い人には長生きリスクという話をすると言いましたが、実は、40歳代、50歳代の人には、僕は親への仕送りをさほど必要としないようにしてくれている公的年金の話をします。どうも、目の前に存在する制度というのは、多面的性格を持っているようで、「それは、こういう理由で存在するっ」と、一言で言い切れないんですよね。

    長生きリスクというのも、年金受給を目の前にした人たちに繰り下げ受給を薦める際には、けっこういい線いくのですけど、そうした説明の仕方にも誤解を生む隙があるために他で補完する必要がでてきます。そしてそれでもなお不十分でっと、そうしたことの繰り返しです。そういう意味で、経済学的に見れば云々と、所詮は誰かが過去に作り、絶えず見直し、変化の途上にある経済理論、特に規範経済学(normative economics)のタームを用いて分かったつもりになっている性格の人がうらやましくもありますけど、まぁ、みなさんにはあまりマネをしてほしくはないところです。

   そう言えば、昨晩は、学生に次のように言っていると話をしたら、妙に感心されてしまった・・・
  • ゼミでピケティを読んでいるんだけど、すべてを読み終えて、自分で書評を書き終えるまで、解説書の類は一切手にしないように。
    と言っても、ゴリオ爺さん、オリバー・ツイストやレ・ミゼラブルをはじめ、その本の中にでてくる文献は大いに可。『資本論』も含めて。
今の時代、情報を遮断する方が難しくってですね。
付け加えれば、彼らが輪読して議論している間中、僕は寝てる。。。いっさいの口出し、評価はなし。
 4月16日  昨日話したこぶし園の小山さんの話は 僕が彼に送った次のメールは、昨年の12月3日ですね。今年の2月28日に長岡で講演をと頼まれて、
  • Sent: Wednesday, December 03, 2014 3:19 PM
    Subject: RE: お願い事でございます

    こんにちは
    2月28日、残念!
    楽しそうですが、当日、福岡に先約が入ってました(T_T)トホホッ
    今度、推進会議が終わったら、みんな誘って飲みに行きましょう!
楽しみにしてるって、返事をいただいていたんだよね。
   付録
下記の、Ⅶ巻からの引用箇所の後は、次の文章に続きます。
  • ・・・と返事をすることにもなるのである。
     2005年に堀勝洋先生が書かれた『年金の誤解――無責任な年金批判を斬る』という本がある。この本は是非とも多くの人に読んでもらいたい本なのであるが、実のところ堀先生は、そうした本を書くのではなく、本当は、本書第4講における「今後の高齢期所得保障政策」のような制度論、政策論を展開したかったと思う。それが年金をもっと良いものにしたいと考えている研究者の心情でもあろう。しかしながら、年金の誤解を解いておかないと、本当に必要な論、つまり将来世代の年金をしっかりと守るための制度論、政策論の読者を相当数失ったままになるのも現状である。今は、平成26年財政検証の3つのオプションが示唆する改革を、将来世代の年金給付水準の底上げのためにどうしてもやらなければならない大切な時期なのである。これまでトンデモ論を信じてきた人たちに協力してくれとまでは言わないが、せめて邪魔をしてもらいたくないために、第5講から第12講、および第35講から第38講を書き下ろしておくことにする。なお、いつもとは違う読者層を意識しているため、これらの文章は、読みやすい文体で書いておく。
 4月15日  社会保障教育は、高校教育に対して先手を打たれてしまっていて、みんな完全に出遅れていたわけだけど、様々な活動を通じて奮闘している方じゃないかぃ。ご苦労さん。 この年次大会、僕も出席してフロアーに座っていようと言っていたんだけど、いつのまにかうやむやになったな。
この、経済学者と公民科の先生たちのネットワークについては、次、ご参考までに。 それにしてもどうして彼らは、集まったら年金の話ばかりをしているんだろ。
しかも、週末に集まってきてくれた高校の先生が聞いている話が、積立方式への移行の話。まぁ、いいけどね。
次は、さすがに来月には出るだろう『年金、民主主義、経済学』より
  •   私は、あるところで「これまで私は、研究者そのものが、問題の解決者というよりは問題の原因である事例を数多く目の当たりにしてきた。むしろ、あなたがいなかった方が世のため人のためであったはずと言いたくなる研究者、特に経済学者や政治学者がいかに多いことか 」と書いているが、多くは年金の世界を眺めていた感想であった。
     彼らの話に心酔している、それゆえに本当に議論しなければならない年金の話に「聞く耳を持たない」人たちは、真に意味のある建設的な年金制度論、政策論になると入り口の段階で拒絶する。そうした年金まわりの世界にあっては、どうしても、建設的な年金制度論、政策論を聞いてもらうための地ならしの必要性が生まれてくる。「年金方面の仕事の大半は、怪しい新興宗教に入信した子どもを取り戻す親のような仕事だよ」と私がしばしば言うのはそうした事情による。そしてそうした事情があるために、2008年に社会保障国民会議の話が来て、分科会としては雇用年金分科会に入って欲しいと頼まれた時には、「いや、やるのならば医療・介護。年金はバカにバカと言うしか仕事がない 」と言って抵抗したり、2012年の社会保障制度改革国民会議の際には、「期待されている仕事が年金ならば断る。医療介護をやるのならば引き受ける」と返事をすることにもなるのである。
 4月14日  君たち学生は、学生納付特例制度、しっかりと理解をしておくように。最近卒業した君らもかな。 参考文献に、倉田先生の本。
川久保君は、僕のⅣ巻のあとがきに登場されています。
メールの後、電話がかかってきて――あれから8年も経つわけだな。
 4月10日  
 4月9日 さて、今日から新年度。ゼミで話した雑誌 先日送ったメール
> 編集後記もみておいてください。
   
 4月8日  
 4月7日  
 4月6日  どうも、次のあたりが、僕の考え方の特徴と言えば特徴なのかもしれないですね。僕はいつも、世の中の改革エネルギーや政治エネルギーは有限だと考えていて、このエネルギーが拡散したら失敗すると思っているみたいです。文章の端々に出ますね。
  •  昨年7月2日の財政検証に関するシンポジウムで話したことで、『年金、民主主義、経済学』の中にも入っている言葉。
     この10年間、年金の抜本改革論議というバカバカしい大騒ぎのなかで、一番喜んでいたのは適用拡大に反対している人たちです。そのおかげで、自分たちに矛先が向けられずにすんだのですから。年金には複数の問題があります。しかし大切なことは、優先順位を決め、順位の高い問題の解決を求めるエネルギーを拡散させない、拡散させられないことだと思います。彼らの陽動作戦にのせられてはいけません。
先日も言ったように、研究者には、みんなそれぞれの事情があり動機があるわけで、そりゃぁ、議論は拡散するもんだよ。
「したがって、〇〇は重要である」と結論づけなければならない人もいれば、「したがって、△△が必要である」と結論づけなければならない人もいるわけでね。
 4月5日  
  •  (教えて!年金問題:3)給付の目減り、食い止められないの? asahi.com
     厚労省は改革案を修正。デフレ時に減額できなかった「抑制分」は翌年度以降に繰り越し、インフレ時にまとめて抑制する内容に改めた。この方法だとデフレが続けば繰り越し分が蓄積され、将来世代へのつけ回しとなる心配が残る。「年金財政の悪化を防ぐことをちゃんとやらないと次世代に責任が持てない」(河野太郎衆院議員)など自民党内からも批判がでた。
先を越されたか・・・僕は、河野太郎さんとまったく同じ意見なんだよね。。。年金で意見が合ったのは初めてこのとかもしれないけど。
先日のインタビューの時に言ったように、これだけ全てのメディアがマクロ経済スライドのフル適用に理解を示して協力体制でいるのに・・・それが腹立たしいな。まぁ、いずれ与党と年金局への批判をはじめるよ、宣言しておく(笑)。インフレが起こるのならば、フル適用に法律を変えても何の影響もないだろうに。リフレ政策に自信がないってことか?
  •  
 4月3日  先日話した三神さんのマンガは次の文章の中で紹介させてもらっています。
次もご参照あれ
  •  いやはや、出版はいつになるかの『年金、民主主義、経済学』より
      さて、ミーンズテストというのは役所の人から、家族・親族との関係を含めどんな人生を送ってきたかの生育歴を全て聞き取ってケース記録として保存され、いわば身ぐるみすべて剥がされて調査されるようなものですから、テストを受ける人たちの自尊心が相当に傷つけられるでしょうし、税による貧困救済を受けている人には世間から否定的な評価、汚名の刻印が押されることにもなってしまいます。それは決して良いことではないと思いますが、それが歴史の教訓なのです。そうした汚名の刻印を、かつて奴隷や犯罪者の身体に刻印された徴(しるし)を意味するギリシャ語の「スティグマ」と呼ぶわけですが、税による救済にはそうした不名誉や屈辱を引き起こすスティグマが付随することになります。さらに、税による扶助では、財源の性質上、保障水準も自立した生活をしながら税を負担している人たちよりも生活水準が良くなってはいけないという「劣等処遇原則」が先立って、せいぜいミニマムの保障しか行うことができませんでした。そうしますと、普通に生活をしていた中間層の人たちが、いったん貧困に陥ってしまった場合に救済されると言っても、最低限の生活しか保障されないのかと、貧困に陥ることへの不安や恐怖を緩和することができませんでした。そしてそうした国民の生活不安や貧困への恐怖は、ビスマルクではないですが、為政者たちの地位を脅かすことにつながります。この状態の中で、生活保護とは根本的に異なる性質を持つ政策技術として社会保険が誕生することになります。・・・病気やけがをしたら医療サービスを使い、介護が必要になれば介護サービスを受ける。年金の受給開始年齢になれば年金を受け取ることができる世界には、スティグマはありません。これは、保険料を拠出しているからこそ発生する権利です。
    ・・・
     仮に基礎年金が、生活保護が謳う最低生活の保障も担うのであれば、生活保護と同様に、本当に最低生活が保障されていないのかどうかを審査しなければなりません。しかし先ほども言いましたように、年金所得はフローであって、フローでは生活水準を測ることができません。また、持ち家の人とそうでない人の間では、同額の年金を得ていても生活水準には相当の違いがあるはずなのですが、日本はヨーロッパの幾つかの国々と異なり、持ち家政策を採ってきたという歴史を持っているために、福祉の一環として公的な責任で住宅確保策をとってきた欧州の国々とは異なります。日本のような国では、年金というフローのみで生活水準を推測するのが極めて困難な話になります。この点、生活保護では、大きな家であればそれを処分してそこで得たお金を生活費に回すことが求められ、もし預貯金があるのならば、月額の最低生活費の半分程度の保有は認められますが、それ以上は生活費に回すことが求められます。そうした資金が尽きた後に、生活保護の給付が行われるわけです。自家用車の所有も原則認められません。
     さらに生活保護では、家計人員が2人であれば1人に必要な生活費の2倍よりも低くなるはずだと計算されますし、住んでいる地域が違えば物価も違うわけですから、それも考慮されて生活保護が保障する最低生活費は地方の方が東京などの都心よりも低く設定されているわけです。これらの措置は厳しく煩わしくもあると言えばそうとも言えますが、最低生活の保障を行う制度が、目的を達成するために論理的、客観的に求められる措置であるとも言えます。
   次もご参照あれ
  • 2012年4月7日 朝日新聞 
     鳩山由紀夫「年金がこのままではボロボロになり、年を取ってももらえなくなるという語りかけは、非常に政権交代に貢献してくれた」
Ⅵ巻、Ⅶ巻の共通「はじめに」より
  •  この10年、社会保障はこれ以上ないほどに政争の具とされてきた。その政争の過程では、今の制度が国民に憎悪の対象として受け止められるように政治的に仕立て上げられていくわけで、その時代に生きた国民の意識の中には、社会保障へのいくつもの誤解、そうした誤解に基づく制度への憎しみが深く刻まれていった。そうした中、いまデフォルトとして進められている改革――すなわち、特に指定しないでも進められる予定された改革――を成功させるために大切なことは、社会保障というものに対する国民の正確な理解と国民からの協力である。
   昨日話した(昼と夜の二度かな――途中、小金井公園で学生と花見をしていたわけだけど)、「1.1×1.4=.1.54」という数字を覚えておいてくれというのは、次にあります それと、「年金お間違いセット」も。
不思議なことに、積立方式は高齢化の影響は受けないと言ったり、世代間不公平を言ったり、年金破綻を言ったり、スプレッドのことを知らなかったり、第3号制度を間違えて理解したり、政府が100年安心と言ったと言ったり、未納で年金が破綻すると言ったり、今時、支給開始年齢を引き上げをと言ったり・・・これらは個々には独立なはずなんだけど、どうも彼らは、「年金お間違いセット」をもれなくご購入されるみたいなんだよな。

それと、「どうして、年金ではおかしなことを言う人が後を絶たないのでしょうか?」
僕の解答は、「お客がいるからだろうね。お客がいれば市場が生まれる。アメリカで、若い人に、将来の年金とUFO、どっちの存在を信じますか?って質問したら、UFOと答えた人の方が多かったという話もあるしね。年金トンデモ論の市場はなくならないよ」

次でもご参照あれ
  •  ほんとうに出るのだろうか?の次の年金の本より
     ・・・いや、そうしたトンデモ論を諫めることができない出版社や雑誌の編集者の責任なのかな。トンデモ論を言う人たちを観察していると、彼らはどうも自分に都合の悪いものを見ないという人たちのようですから諦めるとしても、編集者は、良い本を作るため、良い記事を書くためにいろんなものを読むのが仕事でしょうからね。
     積立方式にすれば少子高齢化の影響をまったく影響を受けないのに、どうして自分たちの論は相手にされないのか?それは厚労省が自らの省益を守るためであると思いながら生きていくのは、相当にストレスフルなものだろうなと、心中察するものがありますけど、積立方式は少子高齢化の影響を受けないという話が神話にすぎないとした研究は古くから世界中にあるわけです。そんなことも知らない。
     それに、いま我々が考えていることは、家族も企業も生活保障のリスク・ヘッジ機能が一層弱体化していく中、将来世代に大量の貧困者が発生しないようにするためにはどうすれば良いか、将来の年金給付水準の底上げの方法は大方限られているのですが、それを実現するための流れをいかにして築いていくかということなのですが、彼らの論はそうした問題意識と接するところがかけらもない。だから、厚労省をはじめとした政府も我々も、みんな彼らの論を相手にしないだけの話です。彼らが報われないのは彼らに難があるからなのですが、それは認めたくないようで、とにかく厚労省をののしり、そして彼らの論を相手にしない研究者や記者達に対する罵詈雑言を一般書に書いては、読者である一般人に、ひたすら悪印象を植え付けるレッテル貼りをし続ける。でもですね、彼らが世界的な研究成果と違うことを主張したいのならば、既存研究にしっかりと目を通して、反論しなければなりません。そんな面倒なことをしていると、マスコミにも取り上げてもらえず、無名のまま人生を終えることになるかもしれませんが、それが、研究者というものです。
次もどうかな
  •  年金トンデモ論というのは、彼らが書く文章を読む限り、第21講で紹介した、いわゆる「B層」を相手としたマーケティング手法を採っているとも言える。そうした商法に高校をはじめとした教育に携わる人たちが惹かれていることに、事態の深刻さが感じられなくもない。
昨日は、次あたりも話したかね。彼らと財務省は、本当は、利害が衝突する。先日、財務省との意見交換会で話してきたことは、彼らと縁を切るのであれば、財務省と一緒に仕事ができるんだけどねっ、今は残念な状況だねっということ。
  •  ・・・なんとしても公的年金を積立方式にしたいようです。その際に生じる2重の負担は、当面は、全世代からの増税と国債発行で賄い、その国債の償還を長期間かけて行いたいようで、その償還財源としても、今後の増税を考えているみたいです。
     でもですね、本当は、年金を積立方式にすれば、公的年金はその目的を達成することが難しくなり、公的年金の目的を達成するために、各国賦課方式で運営されている公的年金には、はじめから彼らが言う債務超過など存在しません。
     したがって彼らには債務超過に見えるらしい額を埋め合わせる必要もありません。そして仮に、彼らが言う「公的年金の債務超過」を埋め合わせるための増税が今後可能なのであれば、その増税財源で財政再建を行ったり、医療、介護、保育、教育などの現物給付の充実に使えばいいわけです。
     年金のまわりでは、いやはやなんともという話が、まじめな顔をして議論されていたりします。こうした話の源は、高山先生の公的年金のバランスシート論だったわけでして、その論を批判するために僕が2004年に書いた「やれやれのバランスシート論」をご参照下さい〔(権丈(2006)所収〕。
   今月の私の履歴書の最後の言葉は、次だったな。
  • 国民の皆さんには非は厳しく叱正する一方、志を持った公務員が日夜、公の仕事に努力している事実を理解していただくよう切に願っている。
この言葉をどう受け止めるか――向こう側の人とこっち側の人では、たぶん一八〇度違うんだろうが、まっ、君たちは、どっちの世界で生きていきたいかだな。

そう言えば、今日、Ⅶ巻年金の本の裏表紙案を送って見たんだが、編集者から、「少々プロ向きすぎるように思います。」といわれて却下(涙)。
  •  この世界に入った頃に思ったのは「年金の世界は、なんとも根暗な世界だな」というものでした(笑)。妙に官僚との対立ポーズをとりたがる年金経済学者とむっつりタイプの年金の行政担当者が、なんだか憎み合っていて、対話もしていない。とくに研究者と呼ばれるくらいの人ならば、普通、日本で展開されていた官僚バッシングはヨーロッパでの移民排斥と同じようなもので、ポピュリズム政治の現れだと理解するくらいの人物でいて欲しいのに、日本の年金経済学者を見ると、テレビに出ては、大衆レベルの司会者の話に合わせて一緒に官僚バッシングをやっている。

    「年金、民主主義、経済学Ⅰ(年綜研開設記念シンポジウム講演録(2012年12月10日))」より
思い出したけど、先日話したのは、Ⅰ巻の裏表紙にあります。
  •  わたくしの知識の質と量がこれから変化するのに対応して、本書に記した考察のかなりの部分は今後脱ぎ捨てられ、今は小さな芽に過ぎない着想がこれから大きく育っていくことも、自然の流れにしたがって起こり得ることになる。おそらくそれは、研究というものの実態であり、多くの先学が歩いた道でもあろう。
     これからのわたくしが成し得ることは、カエサルが洞察した「人間は、自分がみたいという現実しかみない」という人間性の落とし穴に陥らないように意識しつづけ、ご都合主義の知識へと偏らないように努めることだと思う。そして、考え方とか価値判断は、学問、すなわち経験と思索を繰り返すなかでどうしても移り動くのならば、せめて、動いて行く先が、現実の政治経済現象を真に解き明かすことができる方角をとり、実行性のあるセンスと力をそなえた政策解へと導く場所に落ち着きたいものである。

    〔あとがきより〕
上述の紹介分は、Ⅰ巻(2001年)に書いていた「あとがき」から拾って、第二版(2005年)で裏表紙につけたもの。
第二版序文より
  •  
ちなみに、Ⅰ巻の袖は
  •  
 3月31日  分隊長たちは、明日、小金井公園まで来る電車の中で、次を読んでおくように。 みんなの仕事がおもしろそうに見えて仕方がない。。。
僕は、明日も年金でインタビュー。。。トホホっだよ。
   3月9日3月10日に紹介した記事――執筆記者から許可をいただきました
   ふろく
さすがに、いつかは出るだろう本、Ⅶ巻には、次の文章もあります。
  •  公的年金は何のためにあるのかを考えるとすれば、それはスティグリッツの物差しで評価することの方が普通なのではないかと思えます。そして、公的年金の善し悪しを高齢者の貧困を抑える効果で評価する場合、内部収益率や負担給付倍率で表される世代間格差の論は、実のところ、何の役にもたたないわけです。ですから、そういう指標は、世の中に存在しなくても何の不都合もありません。だからそうした指標を僕たちは計算したりしない。ただそれだけのことです。コトリコフは、彼を真似る多くの日本人の研究者を生んだわけですが、コトリコフがアメリカの公的年金政策と係わることができなかったことと同様に、日本でのコトリコフの模倣者たちも、その存在は百害あって一利なしの研究者生活を余儀なくされています。コトリコフの罪はかなり大きいと思っています。
    ・・・
     積立方式であれ賦課方式であれ、少子高齢化の影響を受けない年金制度を設計するのは無理です。そうであるのに、経済学者の間では、年金だけではなく、医療、介護保険制度も、賦課方式から積立方式に転換する研究領域があり、いまだにそうした論文を書いている人たちがいるというのはなんとも評価のしようがない話ではあります。
     今後の少子高齢化の中で、日本全体で働く人、支える人が減っていきます。それは年金、社会保障だけではなく、日本全体のあらゆるシステムに係わってくる問題です。この問題は前の世代がお金を積み立てておけば解決するというものではなく 、できる限り支える人を増やす、今の社会システムの下では支えられる側に回る人たちを、できる限り支える側に回ってもらえるように社会システムを変えていくことが大切です。社会の改革エネルギーをそういう方向に向けてもらえればと願っています。
 3月26日  ブレアの頃、イギリスでは、セーフティネットからトランポリンへという表現がされていたわけで、そういう使い方は正しい。
それがどうして、この国ではいつの間にか、公的年金などにも適用されるようになったのや、だね。
公的年金などの、自立した生活を全うしてもらうための「自助の強制」としての社会保険は、イメージとしては、セーフティネットに頼らなくても良いように、綱渡りや空中ブランコの練習を、当人がいやがっていても、義務としてしっかりとやってもらうという感じかね。
民主党政権下でまとめられている次なんかは、僕の講義では、まちがいなくDだ。
どうして、民主党政権下で表に出てきた学者というのは、議論が詰められていないカタカナ言葉をぺたぺたと貼り付ける程度のことしかできないのか。 昨日も話したように、「公的年金」の「公的」を外して「年金」とだけ使うのは誤解を生むからダメ。
「公的年金」は、大量の高齢貧困層を発生させないことを目的とする社会装置。
そして公的年金が、不確実な社会で目的を達成しようとすると、どうしても賦課方式になってしまうんだよ。
会社や家族のリスク・ヘッジ機能がますます弱体化していく中、どのようにして公的年金を強化していけば良いのか。
昨日も話したように、こうした問に、公的年金の内部収益率の話などはぜんぜん関係なし。
コトリコフなどは、公的年金とは何か違うものの話をしているだけのことでね。
ピケティで感心するところは、他は良くても年金でこける論者が多い中、彼はそのあたりをちゃんとおさえているとこ。
そして、昨日話した、2009年の『週刊東洋経済』(2009年10月31日号)の記事
  •  世代間不公平論者は、公的年金を市場経済の領城である民間保険の考え方で眺め、そこに間題点を発見する。しかし、彼らから見れば問題である世代聞格差などは、政治システムの領城である社会保障の考え方で見ると、まったく問題でないどころか、それなくして老後の所得保障という公的年金の目的を達しえないものなのだ。この事実に気づかないかぎり、世代間不公平論者はこの世から消えることはないだろう。
先日送ったメールもどうかな。
  •  先週話した経済教育ネットワークという公民科の先生と経済学者の集まりの議事録よ

    2013/7/13
     大阪部会 議事概要
    (3)
    ひきつづいて、経済教育に関係する最近の動きとして、厚生労働省の「社会保障の教育推進に関する検討会」での議論やそこで使われている資料(ホームページで紹介されています)などが紹介された。中学、高校では、「社会保障制度の仕組みを教え、その役割と課題について理解し、中学生や高校生なりにこれからの制度の在り方を考える」ことを教えるべきであるが、厚生労働省では、制度を守るために生徒の理解を歪めるような教材作りを誘導しているように見受けられる。東京部会では、とくに、厚労省の検討会では、負担と受益の世代間格差の問題があたかも存在しないか、あるいは格差が存在しても問題ではないかのようにデータの読み替えや論理のすり替えを行っていることが問題視された。教室で実際に社会保障を取り上げるとき、その種の意図的に作られた教材や出前授業などに惑わされない注意が必要である、という提案があった。

    2014/7/1
     東京部会 議事概要
    (2) 各地部会報告が野間理事(同志社大学)から報告された。大阪部会での山本先生(奈良学園)の実践報告を巡る討論の様子や、税教育の実践の問題点などの討論の様子が報告された。関連して、税や年金など関連官庁が推進している各種の教育に関する教育の問題点が討論された。この種の教育は、関連官庁の省益のための教育になっている傾向が強く、経済教育の本質を見誤るものになる恐れがあることが指摘された。
    (4) 情報提供では、新井(小石川中等教育)から二件があった。一つは、今年の入試問題の特色と問題点。『全国大学入試問題正解』の分析から、社会福祉分野では、世代間格差がとりあげられはじめていることが紹介された。

     最近では
    2015/1/31
     札幌部会 議事概要
    今年度は経済学の知見、主に小黒一正氏の言説を生かして、「世代間格差から社会保障を考える」という授業を開発している。

    やれやれだね。
    まず、公的年金を考える上では、賦課方式でも積立方式でも、残念ながら、少子高齢化の影響を受けてしまうというポイントをおさえておいて下さい。次のスライドの13枚目、Output is centralという考え方は、まともな年金論者の世界では、昔から常識。
    https://www.imf.org/external/np/seminars/eng/2013/oapfad/pdf/barr.pdf

    次などが分かりやすく説明されています(濱ちゃんブログで有名な濱口さんの『年金時代』2012年5月号での文章)。
    http://homepage3.nifty.com/hamachan/nenkinjidai1205.html

    「積立方式は少子高齢化の影響を受けない」ということを言ったり書いたりしている者は、研究者としてアウト。
    アウトな彼らは、声が大きいし、官僚バッシングを率先してやることができる人たちだから、世の中にはファンが多くってね。
    ただし、そうしたファンの中に教育に携わる高校の先生がいるということに、ちょっとガッカリなわけです。

    世代間格差については、お手すきの時にでも教育検討会で作っている次の頁をご参照下さい。
    http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000053851.html

    先日も言ったように、財務省資料21頁にある世代間不公平の記述は正しく、それは、教育検討会作成資料18頁と同じ認識。
    しかし、アウトな彼らは、公的年金が賦課方式だから世代間不公平が生じていると信じている模様。
    (このあたりは、社会保険の中に計算上の格差があるからと言って、それが不公平であるとは限らないという意味を理解する必要があるけど、長くなるから省略。上述の教育検討会作成資料をご参照あれ)
    本当は、主税局が政治家を説得できなかったために生まれた問題視すべき世代間不公平が、年金局による制度設計の問題として議論されているというおかしなことが起こっているわけで、バカバカしい話です。

    バカバカしい話は、まだまだ山ほどあるけど、今日はこのあたりで。
経済教育ネットワークに係わる経済学者は、「政府が教育に係わるのはいかがなものか」と、高校の先生たちに話していて、無垢な高校の先生の中には、先生のおっしゃることはごもっともと思っている人もいるようだけど、そりゃ、政府は係わるなと言いたくもなるだろうな(笑)。君たち、スタート地点から間違えてるよって言っているわけだから。とにかく、このネットワークと係わる経済学者たちは、高校教育の中、教科書の中に、社会保障の世代間格差という文言を入れたいみたいで、彼らの活動は、かなり成功しているみたいだな。
 3月21日  先日、杉本が話していた2012年8月10日のホームページは、ここだな。 あいつ、昔のホームページをこっそり覗いていたりして、へんな奴だな。。。( ̄。 ̄ )ボソ...
 3月18日  今朝、日経で「市町村2割超、病床過剰 経産省、40年まで試算」という記事がでているようだけど、これは、いま進められている政策とはまったく関係がない話。蚊帳の外の経産省が仕掛けてきただけのことで、無視しておいて良し。
 次の類の話だ。  今朝の日経の記事のように、各紙の経産担当はかき立てるかもしれないが、読者は、現実の政策にはまったく関係のない記事として読んでおいてください。財務省も罪作りで、予算をつけるから彼らは動けるわけでね。元を絶たなきゃな。
   昨日の追いコンで話したように、君たちが日吉にいた2012年11月30日に、僕は、第1回社会保障制度改革国民会議をさぼって――官邸に民主党の議員がいたから――日吉にゼミ説にでかけている(国民会議を引き受けたのは、12月16日の総選挙で彼らがいなくなることが分かっていたため)。
そして、君たちは、入ゼミそうそうに、会議の様子を動画でリアルタイムでみるような生活に突入。一度は、僕はゼミを3時過ぎに出て、4時からは、官邸での動画を見てもらうということもあり。
そしてたとえば次のようなシーンを、君たちはリアルタイムで見ていたわけど、そうした教育が、君たちのこれからにどんな影響を与えるのか。それは分からん(笑)
次著より
  • 第13回社会保障制度改革国民会議(2013年6月3日)議事録より
     西沢委員 これは私が申し上げることなのか分からないですけれども、同等命題というものです。2月に私の会社と積立方式を提唱する先生方とを交えて小さなシンポジウムをやりまして、かなりディスカッションをいたしました。かつて積立方式を提唱されている経済学者の先生も、やはり同等命題というのは合っているだろうとおっしゃいますし、積立方式を今でも提唱されている先生も同等命題というのは認識されている。とことんじっくり話したのですけれども、なぜ積立方式を提唱する先生がこだわるのかということは3つぐらいポイントがあると思うのですが、・・・
     権丈委員 (社会保障制度改革国民会議で)年金の議論を2回にわたってやっているわけですけれども、年金は医療と違うということを昔から言っておりまして、何が違うかというと、医療では価値判断、第三者的立場から見た価値判断の問題であるとか、自分が今どこのポジションにいるのかという議論がどうしても入ってきますので、幾ら議論をしても収束しない。年金というのは明白な間違いというのがあるのです。この明白な間違いというところから始まってくると、結構つらい研究者生活を送ることになります。
     先ほど西沢委員は、我々は積立方式、賦課方式は違いがないと認めているとこの前みんなで議論したということですが、そこに参加していたメンバーの一人は、「積立方式は前後の世代とは無関係な財政方式、人口減少、少子高齢化がどれほど進もうが全く影響を受けない」というのを本の中で書かれていたりするのです。恐らくそこに集まられた方々、私、名前を知っていますけれども、みんなそういうことを書いた経験があると思います。


     なお、西沢和彦氏がいう2月のシンポジウムとは、「一橋大学経済研究所・日本総研共催記者勉強会 2013年2月19日開催 社会保障における世代間問題を考える」。出席者は、小黒一正氏、小塩隆士氏、鈴木亘氏、西沢和彦氏等。
 3月17日 > 突然のメールで失礼いたします。
> 先週木曜日の夕方、国会議事堂前駅から内閣府庁舎の間の道で突然声を掛けさせていただいた者です。

そうなんだよ、「権丈先生」って言われた時、んっ、往訪先の人がここまで迎えに来てくれたのかなっと一瞬思って、なにがなんだか分からなかったよ(笑)。
  • その際にも少しお話させていただきましたが、大学3、4年生時に
    先生の授業を履修しており(2009年度、2010年度だと思います)、
    懐かしさのあまりお声を掛けてしまいました。
    お急ぎであることを考えもせず、不躾に大変失礼いたしました。

    そう言えば当時先生のホームページに登場させていただいたよな・・・と思いつつ、
    勿凝学問を読み返していたところ、勿凝学問264でした。
    改めて読み返してみると、当時の自分はこんな文章を書いていたんだなと恥ずかしいやら何とやらです。
なるほど。『週刊東洋経済』の「年金激震」がでた2009年頃なわけだ。でっ、下記の文章に登場している君は、いま霞が関で働いているってことだな(ちなみに、彼の名誉のために言っておくと、僕の講義には3年生で単位をとっても、4年で顔を出しているのが毎年何人かいる・・・。先日も、2年間、全然違う話をしてただろうって会話に)。
  •  勿凝学問264 公的年金には世代間格差はあるけど、それがどうした?――「負け太り」という言葉も覚えてもらおうか
     さて、先々週は三田祭のために講義は休講――そこで、学生にレポートを課していた。すると、ある学生さんが、他の学部の講義を受けたら、次のようなことを担当の先生が言っていたと、レポートに書いていた。先日の講義で、「あの文章を僕の文章につかっていいかな?」と言ったら、「使えるようでしたら使っていただいて構いません」との返事をもらったんで・・・・・・どうもな(笑)。

    「世代会計の研究をすると年金は将来世代が不利になる制度。これだけの高齢化を制度導入の段階で予見できていれば良かったが、予測が甘かったためか賦課方式を導入してしまった。厚生労働省の人口推計は構造上問題があるとしか言えないくらい当たらない。そして、賦課方式では年金がもたないことは目に見えていて、積立方式への移行をしなければならないというのが経済学者の意見である。しかし、積立方式への移行は二重の負担の問題を抱えているので難しい。二重の負担の問題をうまく解消する仕組みを考えて(現在の高齢者への給付は国債の発行によって賄い、将来世代に二重の負担の負担を分散させる)積立方式に移行しなければならない…。」
    余談ですが、授業後、友人から「日本の年金制度って危ないね」と話しかけられたので、「これ読んで、来年は社会保障論を一緒に受けよう」と言って、東洋経済の年金特集号を渡しました。

     要するに、慶應にはいくつもの学部があり、それぞれの学部が、財政学とか社会保障関係の講義を持っていたりもする。そして学生は、似た内容の講義を、学部をまたいで履修している場合が希にある――まぁ、学生さんは堪ったものではないね。この先生、僕とまったく違うことを言っている(笑)。
うんまぁ、霞が関で働くつもりのひとは、僕の講義に出ておいた方がいいかもしれないな(笑)
もうすぐ出る本に次のような文章もあるけど、君たちのまわりには、こうした者たち(経済学者?)がいたりするわけだからね。
  •  残念ながら、年金の話というのは、「聞く耳を持たない」という人たちが一定数いたりする。財政検証――それは、現行制度を前提とした話だ!と。しかもそのような人たちが、高校をはじめとした教育に携わる人たちにもいるようなのである(注1)。
     そうした人たちは、ひょっとすると次のような学習院大学教授の鈴木亘氏の話を信じているのかもしれない。

    • (2012年)(注2)
      「原子カムラ」ならぬ「年金ムラ」(厚生労働省とその年金政策にお墨付きを与える学者、有識者、マスコミ、既得権を死守したい官僚OBなどがつくる「業界」)による長年の国民教育の成果なのでしょうか、年金の「積立方式移行」に関しては、曲解や誤解が世間にはびこっているのが現状です。
     
     自分の先生がこうした文章を書いていることを知った学生の気持ちはどうだろうかとは思うのだが、こうした日本全体の官僚バッシングの流れに沿う文章が、今の日本の国民に受け入られやすいのはよくわかる。しかしながら、第1講、第2講でも話しているように、積立方式を言う彼らが政策レベルで相手にされないのは、彼らの論が、公的年金の目的と接する点がなく、まったく話にならないからである。
     ・・・
     ・・・


    (注1)なお、年金トンデモ論というのは、彼らが書く文章を読む限り、第21講で紹介した、いわゆる「B層」を相手としたマーケティング手法を採っているとも言える。そうした商法に高校をはじめとした教育に携わる人たちが惹かれていることに、事態の深刻さが感じられなくもない。
    (注2)鈴木亘(2012)『年金問題は解決できる!――積立方式による抜本改革』6頁
    なお、鈴木(2012)は2012年8月に出版されている。この出版の4ヶ月前の同年4月に第8講で紹介する太田啓之氏による鈴木氏批判の文章「年金破綻論のまやかし」『AERA』(2012年4月9日号 発売2日)、「年金大誤報にダマされるな」『週刊文春』(2012年4月26日号 発売19日)が出されている。それらのタイミングを考えると、自分を否定する者たちが、「原子力ムラ」と並ぶ「年金ムラ」に属しているかのように印象づけ、読者に自らの正当性を印象づけたくなる気持ちも分からないではない。
  • 当時、先生はよくマーシャル教授の「cool heads but warm hearts」という言葉を仰っており、
    非常に感銘を受けたことを覚えています。

    今も、この言葉を頭に置きながら、また、そうあることの難しさを感じながら仕事をしていますし、
    政策形成に携わっていくものとしてこれから先もずっと心に留めておきたいと思っています。
headとheratが複数になっていて、接続詞がandではなく正しくbutになっていることが嬉しいねぇ。教育の成果だな(笑)。
今年も、入間の研修所に行きます。
脱力系の僕は、限りなく暇にすごすためにすぐにお断りの返事を出すんだけど、以前、「もういいだろう」ってお断りの連絡をしたら、「分かりました。では、ほかの先生にお願いするしかありません、たとえば〇〇先生とか〇〇先生とか・・・」と連絡がきて、「分かった分かった・・・」ということもあり。
今年は、素直に、「無念 紅葉狩りの季節でも花見の季節でもないから、お断りの理由が浮かばない。。。」と返事を出しました。数年前に、秋の講師依頼の連絡が来た時、「その日は紅葉狩り」と言って断ったことがあったもんでね。。。でっ、5月の入間研修所は山桜がきれいな時期らしいです(笑)。
 3月15日  先日話していた「吉田学校」的な話は、次にあるね。 2010年11月の北大シンポのことは、次に とにかく、僕らが普通に抱く人間モデルでは予想できないことが、日々起こっていた時代だったわけでね ――おっ、谷垣さんの代表質問へのリンク、復活してるね。次著『医療介護の一体改革と財政』には、次の文章の中にある谷垣さんの代表質問なども入ってます。 このあたりでは、21世紀臨調のバカさかげんを書いているけど、とにかく、あの頃に民主党を応援して大活躍していた学者が、今でもすました顔して生きていけるということ自体が、民主主義の病なわけでね。先日も言ったけど、世の中は学者をなめすぎ、一人前扱いしなさすぎで、人としてちゃんと責任を取らさないとな。でないと、研究者のモラルハザードをこれからも招く。
次の次の本『年金、民主主義、経済学』には、次のような文章もある。
  •   ちなみに、民主党に最低保障年金と一元化を勧めてきた人たちは、こうした一元化を実現する際の難題には気づいていなかったと思います――少なくとも民主党の政治家、山崎先生の言う「民主党の責任ある方」には伝えていなかった。さすがに気づかされ、触れざるを得なくなった今、僕らは、彼らの「それでもできる」という弁明を聞かされていくことになると思います。これはちょうど、かつてOutput is centralの考え方を知らずに、「積立方式は少子高齢化の影響を受けない」と言っていた人たちが、今では「それでも積立方式の方が政治的には優れている」と言いかえたり、二重の負担、そしてこの問題を多世代に普遍化した同等命題があるから積立方式への移行は難しいし意味がないと指摘された人たちが「それでも云々・・・」という論を延々と続けているのと同じです。そしていつのまにか世の中の年金論が、過去に間違えていた人たちの自己弁護の論でいっぱいになり、肝心要の議論が閉め出される――具体的には、平成26年財政検証のオプション試算で示された改革論議がまったく行われなくなる。そういうことが、年金まわりの民主主義過程では起こります。
まぁ、去年の財政検証後の展開が、あまりにもバカバカしいことになっているから、年金学会に入ることにしたんだけどな。

おまけ――『年金、民主主義、経済学』より
  •  こうした背景の下、年金制度論の中で論じられてきたひとつの練習問題に年金一元化というものがありました――ここで練習問題と言うのは、これについて答案を書かせると、どれだけ年金制度のことを知っているかが分かるからです 。社会保障制度改革国民会議で、年金一元化の話を2段階方式の2段階目に棚上げして終わらせようと思っていた僕を、山崎泰彦先生が会議の中で戒めるといいますか、叱るシーンがあるので紹介しておきます。
    • 2013年6月13日 第15回社会保障制度改革国民会議
      ○山崎委員 少し前の年金に関する議論(5月17日 第12回社会保障制度改革国民会議)で国民会議での議論の受けとめ方ですが、すぐにか将来かは別にして、いずれにしても所得比例年金に一元化するという方向で集約されたような報道がありましたが、少なくとも私は賛成したつもりはございません。
       ・・・
       異なる賦課ベースでなぜ一元化できるのか。これは民主党の責任ある方に直接申し上げたことがあります。例外なき一元化とおっしゃっているけれども、賦課ベースに大きな違いを残したまま、なぜ一つになるのですかということを申し上げたことがあります。
       ・・・
       権丈委員が遠い将来においてはという随分マイルドな言い方をされて、今もそんなことをおっしゃっているのですが、これはあり得ないという意味でおっしゃっているのではないかと思いますが、もし私の理解が誤解であるとすると・・・
      ○権丈委員 いや、同じ考えです。

       ここで僕は、笑いながら返事をしていたので、記事録に(笑)と付けていたのですが、官邸での会議の議事録に(笑)は過去ありませんと言われて、消されてしまった次第。
参考までに――次の文章の原稿は、上で山崎先生が触れている2013年5月17日の国民会議で「2段階方式でいいんじゃないか」と発言した朝、出かける前に、東洋経済に送信していたもの。
 3月10日 次もどうかな 参考までに
  •  次著『医療介護の一体改革と財政――再分配政策の政治経済学Ⅵ』より
    (昨年8月19日に行った講演録から)
     国のガバナンス問題
     ただし、その話に入る前に、1点の留保事項があります。私はこれまで医療政策の話をするときに「経済社会環境と政策の動向」という演題で話をしてきました。しかし最近は、そこへ「政治」という言葉を入れて、「政治経済社会環境と政策の動向」としています。
     なぜかと言うと、私は「国のガバナンス問題」と表現しているのですが、それは配付資料「不磨の大典“総定員法”の弊」にあるような事態が、2~3年前に書いたときよりも深刻になっているように見えるからです。
    ・・・
     2012年に消費税率の引上げが国会を通過し、社会保障・税一体改革に一端の区切りがつくと、永田町と霞が関で大きなパワーシフトが起こりました。消費税を10%まで上げることが決まった瞬間に、「次は俺たちの番だ」と考える人たちが、医療では混合診療、年金では積立金の民間運用、財政では減税論議を主導していきます。これは、理屈でどうなるという話ではありません。
     2001年中央省庁再編で、通商産業省が新組織に移行する際に「経済」という文字を勝ち取って、業務の囲いが外されました。今や国のガバナンスが構造的にそうなっており、・・・そして何よりも、実際の効果は抜きにして彼らが使う言葉は「成長戦略」などと言うように国民に聞こえが良い。国民にとっては岩盤規制らしい混合診療の禁止についても、「理論的にはとうの昔に決着がついているから、もう大丈夫」では済まされないものがあります。
     ・・・
     とはいえ、仕事量に見合ったマンパワーを配分する行政改革を行わないかぎり、この国は「国のガバナンス問題」を永遠に抱えていかなければなりません。今回の「選択療養」から「患者申出療養」へといった動きも、これらの制度のどこが問題なのかという理屈の世界ではなく、構造的な国のガバナンス問題があることを念頭に置かないと、今何が起こっているのかを理解できず、これから何が起こるのかの予測も誤るでしょう 。2014年8月現在、官邸では、首相秘書官に一時期いた厚労省出身者が今は1人もいない状況に戻っています。社会保障を取り巻く政治環境として、認識しておいてもよいかもしれません。
 3月9日  
  • 岡田広行氏『被災弱者』 
    こうした″制度からこぼれ落ちている人々″については本書の各章で紹介するが、・・・
この視点を知る上では、次を
  •  『被災弱者』
     私は経済分野の出版社に身を置きながら、貧困や社会・経済格差の問題に関心を持ち、この一〇年来、同分野の報道にかかわってきた。その中で、強く記憶に残っている取材の一つが、大阪府社会福祉協議会による「社会貢献事業」である(同事業については『週刊東洋経済』二〇〇八年八月二日号、九一ページ以下に詳述した)。
そして、この4年間、時間を作っては現地にでかけては取材に取材を重ね・・・この過程を僕は知っている
  •   『被災弱者』
     集中復興期間終了が一年後に迫る今こそ、震災便乗型の事業を打ち切るなど復興予算の中身を根本から見直すとともに、被災者本位の政策に転換しなければ、被災者の生活再建は進まない。それどころか、仮設住宅の入居期限切れとともに、生活困窮者の続出は避けられないだろう。
 3月6日  ここでガンダムにつながるかぁ 年金より、ぜったいにおもしろそうだ
   ほぅ これもどうかな
   参考までに 会ったのはいつ頃だったろうかと思っていたら、Amazonが、「2009年7月8日にこの商品を注文しました」と教えてくれたよ。
 3月4日  1月14日の勉強会で、次のスライドを示して、年金で、「問題がある」と論じるだけの論者の話を紹介するだけの記事はありえないと話していたわけだけど、やっぱり新聞、雑誌、いろんなところで中学生レベルの論が横行しているな――中学生には申し訳ないが。
  •  
     いずれは出るだろうⅦ巻より
     年金政策を考えてもらう上で、私がまず議論の前提として紹介することは、宮島洋先生の「問題点を指摘することは中学生でもできる。しかし、制度設計となると非常に難しい 」という言葉である。04年以降、いかにして将来の年金給付水準を底上げするかということが年金の課題となっていることは、先に述べた。ここで、「将来の年金の給付水準が下がりすぎることが問題である」という論そのものは、宮島先生流に言えば中学生にでもできる論でしかない。そして残念なことに、年金政策論の世界では、中学生にでもできる、「問題がある」、「課題である」、「解決を期待したい」、「工夫が必要である」等々を言うに留まる論が他を席巻してきたわけである。
     しかしながら、年金というのは、所詮は所得をある人ある時点から、他の誰か他の時点に移転しているだけのことであり、実行可能性を抜きにすれば政策案を考えることは難しい話ではない。患者の視点から医療の問題を指摘して、医師や官僚をはじめとした専門家たちにも解決策を考えてもらうという無理もない方法が許される世界と、年金はまったく異質なのである。
     たとえば、年金の給付水準が低くなりすぎることを問題視してそう発言する中学生レベルの人も、給付水準を底上げするためには財源が必要である位のことは分かるはずである。ならば、その財源をどこからどのようにしてどのような理由で調達するのかという政策案を提示することとセットにして、年金の給付水準の問題を示してもらわなければ、年金政策論の世界が劣化するだけである。そして、仮に、ある現象Aを問題視して、この問題Aを解決するためには、問題B、問題C、問題Dが併発してしまうとする。そしてこれらの状況を総合して判断すれば、問題Aに対する最善の解決策はぐっと我慢して、次善の策に委ねざるを得なくなるということも起こりうる。この時、現象Aは問題であるというだけの論、いわゆる「代替案なき批判」や財源論なき政策提言、空想的社会保障論 は、政策論を混乱させるばかりか、政治家に隙を見せることにもつながる――これまでの日本の年金論の世界のように。
     そうした年金政策を考える上での基礎を理解した人を対象として、以下、今後の高齢期所得保障政策について説明したい。
 3月3日  
  •  「不磨の大典”総定員法”の弊」『週刊東洋経済』2010年10月16日号
     国は総定員法の縛りを受け、地方は財政の縛りを受けて、ともに人件費が「物件費」に計上される非正規雇用を増やし続けてきた。
   
 3月2日   付録
  • いずれは出るだろう 『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』より
     社会保障に関する有識者検討会については、元財務副大臣の峰崎直樹氏の転載フリーのメルマガ「チャンランケ通信」第54号(2014年3月10日)に次の文章がある。 
    「シリーズ消費税論議の顚末(その9)」
    前号で、社会保障改革に関する有識者検討委員会が内閣官房の下に設置され、宮本座長、駒村副座長、井伊雅子委員、土居丈朗委員、大沢真理臨時構成員の5名でスタートすることになったところまでであったが、その確定は順調には決まらなかったことを指摘しておいた。座長の宮本太郎北大教授と副座長の駒村康平慶応義塾大学教授までは決まっていたようだ。ようだ、というのはこの委員会は古川元久内閣官房副長官の下で企画されていたもので、最初に主要なメンバーが集まった際には、すでに座長と副座長は内定していたのだ。10月21日の午後、古川副長官室に古川副長官、宮本太郎教授、駒村康平教授と中村秀一事務局長、佐々木官房副長官補、香取厚生労働審議官、それに小生が集まり委員の人選を協議したのだ。

    一度決まった人選が変えられたりして、すっきりしないスタートへ
     そこで、あまり人数は多くしないで5名ぐらいにして、若手の研究者を中心にしよう、と言うことで人選に入ったのだが、女性枠と言うことで井伊雅子一橋大学教授は比較的すんなり決まったのだが、民主党政権に対して厳しい批判を展開しておられた慶応義塾大学の権丈教授も、一度はメンバーに選定で合意されたはずなのだが、一応選定し終えて自分が席を離れた直後に色々とあったようで(このあたりの詳細にはタッチしていないので不明)、電話で変えて欲しいとの連絡が入ってきた… 
      このあたりを私サイドから説明すれば、有識者会議のメンバーに私が入ることを民主党の官房長官、官房副長官あたりが(嫌々ながらも)承諾した時、すぐに峰崎氏から依頼の電話があった。しかし私は「引き受けるつもりはない」と返事をしていた。ところが、・・・
今でも覚えているが、ゼミの時間に電話がかかってきて、さすがに出ないわけにはいくまいと思い、廊下にでて話していたな。
    社会保障制度改革国民会議の報告書では、年金の箇所の「セーフティネット」という言葉を消そうと試みたのですけど、民主党政権下ですでに定着し、年金関連四法などにも組み込まれているということで、押し切られる。
そこで、年金の中でセーフティネットの言葉が出てきた際には、隣に(防貧機能)と付けてもらうことで妥協。 しかし、やはりダメですね。次に引用される段階では、防貧機能は消されていく。
  •  社会保障制度改革国民会議報告書 目次
     
     第18回 社会保障制度改革国民会議 議事録 2013年7月29日
     ○権丈委員 5点、手短にいきます。5ページの「② 皆保険・皆年金のセーフティネット機能の弱体化」。社会保障のセーフティネット機能だったら理解できるのですけれども、ここに書いてあることは、保険の防貧機能の強化の話しか書いておりませんので、ここのセーフティネット機能というのは、防貧機能の強化ということも御検討いただければと思います。
     6ページ、一番上の段落で、「無職者や低所得者であっても、医療保険や年金制度に加入するという皆保険・皆年金の考え方をとっていることが特色となっている」。これはものすごく大きな特色で、当時、国民年金ができたときの年金局長の小山進次郎さんが、「国民の強い要望が政治の断固たる決意を促し、我々役人の小ざかしい思慮や分別を乗り越えて生まれた制度」だと『国民年金法の解説』に書かれています。これは大変なことをやっているという、非常に難しいことを懸命に、この国は他の国よりも高い目標を掲げてやっているのだというニュアンスが出てくるような文章にしていただければ、そこから税の話とか色々出てきますので、そうしていただければと思います。
     8ページ、社会保障の世代間の損得論とか、こういうところの話の続きの中で、色んな社会保険のメリットがありました。この他にもというよりもメインとしては、保険としてのリスクヘッジ機能があるという言葉を一言。まず、損得論の話以前に、保険としてのリスクヘッジ機能であって、そのメリットはかつて計算されていたような負担給付倍率みたいなものでは計算できませんので、そういうところも加えていただければと思います。
     9ページ、21世紀型モデルをつくろうという話で、21世紀型モデル、なぜそういうようにこの国は動けなかったのかということも、やはり歴史的経緯を入れていただきたい。冒頭に1990年の1.57ショックという形で、さて、これから少子化対策とかを考えていこうといった瞬間にバブルが崩壊します。そのバブルが崩壊して、GDPに占める社会保険料と租税を足し合わせた国民負担率が上がるどころか低下していきます。その間、それから十何年間何が起こってくるかといいますと、国税収入が落ちていく部分を社会保険料がカバーしていく形で、社会保険料は1990年代半ばに国税収入を追い越します。したがって、あの時点で社会保険という制度を持っていた制度、そしてぎりぎり間に合った介護というところは給付をある程度維持することはできたのですが、当時、問題視されていた子育ての問題とか、そういうところに財源が回らなかったのです。だから、社会保障を21世紀型に変えていこうというのは、まさに子ども子育て政策の財源の問題に真剣に取り組んでいくことなのだというような歴史的な経緯を少し加えていただければと思います。
     そういう意味では、その際、9ページの(2)のところで、世代間の財源の取り合いになると考えるのではなく、現役世代を支援することで現役世代が高齢世代を支える力を強めるものと考えるべき、こういう表現だけでは少し足りないですという話です。
     最後、11ページ、一番上の「(5)低所得者・不安定雇用の労働者に対するセーフティネットの構築」のところ、始めに書いてあるのは、社会保険が適用除外としての年金から外れるところとか健康保険から外れるところというのがあるがゆえに、社会保険そのものが貧困者を生み出しているという側面。後ろのほうで重要なことは、社会保険の問題を解決していくためには、非正規労働者の雇用の安定や処遇の改善を図るという、メインとしての一次分配を解決していかなければいけないというのがあるわけですが、そういう意味で、私は、低所得者不安定雇用の労働者を生み出さない制度の確立を考えていこうというような表現のほうも少し御検討いただければと思っております。
 2月26日  なるほど、たしかに、検索で「結婚 無年金」と入れると、自動的に、「親」とか「両親」という文字が出てきますね。
僕は、次のように書いたことはあるけど、結婚を考えている人の親が無年金だったという悩みについての文章は書いてなかったですね。
    参考までに
   ふ~んっ
  • 「霞が関官僚が読む本」というJ-CASTの連載で、先生の「総定員法の弊」が紹介されています。
上は2010年の文章だから熟成5年。
次は熟成4年かね。
  •  3ページにわたって、2011年の朝日新聞インタビューの発言が引用され。

    さすがである。
    財政、経済、そして社会保障に通じた専門家
    実に的を射ていた。

    固定リンク:http://www.amazon.co.jp/dp/4023313769

    とのことです。
僕としては、あの朝、中島みゆき研究所のHPで紹介されたのが嬉しかったかな。 あの頃は、こういうのもあった。
  •  <サンデー時評>「首相のウソ」が国を乱している
    サンデー毎日 岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)

    〈ウソ〉
     と、
    〈嘘〉

     と、目にした時、文字としてどちらがインパクトが強いかと問われると、むずかしい。使用頻度は半々ぐらいと思われるが、たまに〈うそ〉も交じる。とにかく猛暑のさなか、最近はやたらこれらの文字が目に飛び込んできて、不快指数が増す。
     いま発売中の週刊誌、目次を新聞広告で眺めただけでも、
    〈「恐怖の放射能」の嘘を暴く〉『週刊ポスト』
    〈東電と経産省のウソ「電力不足」は作られた〉『AERA』
    〈菅の「脱原発」なんて大嘘!〉『サンデー毎日』
     といった調子だ。テレビをつけると、
    〈電力不足はウソ!? 「埋蔵電力」を政府が調査へ〉
     という特集を放映中だった。
     週刊誌、テレビを批判しているのではない。原発がらみの情報が最初からうさん臭く、それを3・11の大震災発生から四カ月も続けていると、すべてがウソに見えてくる。ウソがウソを呼ぶ病理現象で、報道はそれを映し出し、〈ウソ・嘘〉の氾濫と相なるのだ。
     書籍にも及んでいる。小出裕章京大原子炉実験所助教の『原発のウソ』(扶桑社)や武田邦彦中部大教授の『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(産経新聞出版)などがベストセラーだという。ウソものが売れるらしい。
     深刻である。原発問題だけではない。
     たとえば、七月十二日付の『朝日新聞』朝刊をめくる。〈耕論〉というオピニオンページ、社会保障と税について論客が論じている。
    権丈善一慶應大商学部教授の主張は、〈「永遠のウソ」つき続けたまま〉の見出しだ。
    権丈さんは、〈政府・民主党の一体改革案を読むと、中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」という曲を思い出す。「ウソと分かっているウソ」をつき続けるよう恋人や友人に願う切ない歌だ。……〉
     と語り出している。改革案は現行制度の延長線上にあり、マニフェストは大ウソ、今後も「いつかは実現させる」という「永遠のウソ」をつき続けるのだろう、という論旨だ。
    〈ウソ〉を連発するほどか、とも思うが、わかりやすい。
    ・・・
でっ、次の記事のどこが、民主党の議員にほめられるのやら。。。 ちなみに、この「耕論」を書いた記者が、今日の夕刊では、「ヤマト」を。
絶対にヤマトの方が楽しいだろうな。
 2月25日 昨日、最近は年金が多いですねぇとおっしゃってましたけど、まぁ、そうなんですよ、いろいろとありましてね(笑)。 

ところで、昨日のはじめの案には、次の図の右を意識したものになっていて、僕が言ったのは、左も意識しておくれってことかね。
  •  
次もご参照あれ。 次も
  •  「社会保障制度改革の行方」(講演 2013年5月29日)『年金数理人』2014年3月、No.34
    『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』所収
     
 2月21日  2008年12月だから、09年財政検証の前に書いているな。
 2月18日  おまけ
  • 次の次の次くらいの本より 
     公的年金の制度設計で最も重要なポイントは、年金給付水準のスライドのあり方を政策手段として、長期的な賃金、物価、人口という不確実要因に対応させながら、年金財政をバランスさせる仕組みを考えることです。これを公的年金のインデクゼーション(indexation)と言い、年金研究のプロとは、そういうことを考える人をいいます。ところが日本の年金論議は、学者も政治家もそろって三角形のポンチ絵(マンガ)を描いては、年金はああだこうだと議論することだったんですね。言うまでもなく、年金で重要なことはああいう絵遊びではありません(ちなみに、年金絵遊びでは、過去の加入期間分の給付をどのように扱うかという、制度改正に伴う移行措置を視野に入れることはできません。現行の厚生年金保険法を見ても、本則よりも相当長い附則を付さざるを得なかったくらいに過去の制度改正に伴う移行措置の取り扱いには慎重なのですが、ポンチ絵年金論という素人論議ではそうした側面を見ることができません。自分の年金論がそのような欠陥をもっていることに気づかない素人が、日本の年金論をリードしていたことも年金論議が大混乱に陥った原因の一つでもありました)。
     公的年金のインデクゼーションという観点から見れば、04年改正時に導入された日本のマクロ経済スライドは、他国がうらやむ制度となっています。なぜ、うらやましがるのか?
とにかく、研究者が素人と同じレベルだったわけでね。まぁ、だから世間にウケたんだろうけどな。
でもそうした研究者のレベル問題あたりが、年金まわりがあそこまでおかしくなった本当の原因だったのかも知れないとも思える。
先日、昔はやった年金トンデモ本を読んでいたら、自分で自分のことを「年金問題の最高権威」と書いてあって、ビックリ。
   
  •  「将来世代の給付改善へ――年金減額がついに始動」『週刊東洋経済』今週号、22-23頁
      60歳より上の年金受給世代では「自分たちは逃げ切れるが、若い世代は年金が減ってかわいそう」といった話をする人が多い。だが、これは完全な勘違い。マクロ経済スライドは、すでに年金を受給している、「既裁定者」も対象になってくる。
     しかも、新たに年金を受給する「新規裁定者」の年金額改定(スライド)には名目手取り賃金上昇率が使われるが、既裁定者には、通常の経済状況なら名目手取り賃金上昇率よりも低くなる、物価上昇率がスライド率に適用される。既裁定者のほうが新規裁定者よりも年金の目減りが速いのだ。
    ・・・
     税制の分野では、子や孫の子育てや教育、住宅取得などに向けた資金提供に対し、贈与税の非課税措置が拡大している。これは経済政策の一環として、世代間の私的な所得移転を促したもの。子や孫への高齢者の思いは強く、「近年の税制改革での大ヒット作」(財務省関係者)というほど、利用率が高い。
     これと同様なことを公的年金制度で行うのがマクロ経済スライドである。給付削減には抵抗感が大きい現在の高齢世代だが、マクロ経済スライドの持つ意味を理解すれば、決して受け入れられないものではないはずだ。
     おまけ
参考資料――既裁定年金にもマクロ経済スライドが適用されるというのは、次のような話。
 2月17日  
  •  次の次の次の本より
     昔と違って、最近は、社会保障に関する自虐的な報道はかなり少なくなってきたと思いませんか?こうした変化が起こった理由について、僕は、記者達が勉強して社会保障への理解を進め、トンデモ論者の知識と見識を超えたからだと思っています。最後まで間違えた記事を書いていたのは、日経新聞の大林尚論説委員でした。ところが彼は2014年3月に論説委員ではなくなり、日経新聞も今では、たとえ現在展開されている政策の方向性に批判的な記事であってもかなり建設的な社会保障論を展開するようになってきました。そしてなによりも、記事から憎しみが消えたように思えます。
     年金数理人会主催講演会「社会保障制度改革の行方」(2013年5月29日)
    次の次の本『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』所収
     興味深いのは、あの時に間違えていた人たちは、その後も懲りずに、繰り返し間違えていくということです。映画『ゴッドファーザー』のなかで、「敵を憎むな、判断が鈍る――Never hate your enemies, it affects your judgment」という名言がありますが、負け太り論者たちの弱点は、官僚・厚労省を憎みすぎるところから生まれているのかもしれません。と言っても、自分たちに苦杯を繰り返しなめさせる「年金制度」は心から許せないようで、彼らはいつも一発逆転をねらっているのでしょうね。喩えて言えば、彼らは債務超過に陥った金融機関のようなものですから、すみやかに撤退してもらうのが世のため人のためなのですが、世の中はなかなかそうはいかないようです。
 2月16日  
  •  第5回年金綜合研究所シンポジウム「平成26年財政検証について」(2014年7月2日)での私の発言
    『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』に所収
     一言いいですか。香取さんは言えないだろうから言っておきますけれども、財政検証というのは、いつも世の中、積立金の利回りのことで随分盛り上がるわけですが、この国の年金は、基本的に賦課方式ですからね。今回の報告にもありましたように、積立金がなくなると「完全な賦課方式」に移行して、年金そのものは存続します。そして、将来100年ぐらいまでに見込まれている年金財政の総収入のうち、積立金からの収入が占めるのは1割程度で、言うまでもなく保険料がメインです。
     保険料は人的資本からの収入です。今日は会場に宮武先生がいらっしゃいますので言っておきますが、2008年の社会保障国民会議のとき、宮武先生が国民皆奨学金を提案されていました。年金の積立金を日本中の学生に使っても3~4兆円ぐらいにしかなりません 。親が保険料を払っていたら、それを子どもの奨学金に使い、その子供がもしも将来返済しなかったら本人の年金から徴収すればいいじゃないかという、若者にとっても年金制度にとっても、一考の価値のあるすばらしい提案をされていました。ところが、その次の回の会議では、ある委員から「私は、積立金は年金以外には使ってほしくありません」という発言があったりもして、私は驚きましたが。
     とにかく、保険料収入の源となる人的資本をいかに大きくするか。年金というのは保険料収入がメインなので、人的資本の充実こそが最重要な課題となるのです。そうであるのに、財政検証の話になると、最近まで、09年財政検証時の4.1%の利回りは高すぎると言っていた人たち、つまり、公的年金財政では名目利回りから賃金伸び率を引いたスプレッド(実質的利回り)こそが重要 であることさえ分かってなかった不勉強な者たちが中心となって運用利回りの話ばかりで盛り上がるわけです。利回りのことでそんなに盛り上がらなくても、3つのオプション試算が描く将来の投影像が、今を生きる我々に求める年金改革の在り方は十分に見えるだろうに、16~17回かな。財政検証の前提を決めるための会議の議事録を読むと16回で終わる予定だったところが、追加で17回目をやることになっていたようですけど、実にばかげた話です。終わり。
     次は、付録
     「年金騒動の政治経済学――政争の具としての年金論争トピックと真の改善を待つ年金問題との乖離」〔2007年10月14日 於 龍谷大学 深草キャンパス〕【特集 社会保障改革の政治経済学 社会政策学会第115回大会共通論題】『社会政策学会誌 社会政策』45頁
     
   
  •  太田啓之氏「年金破綻論のまやかし」『AERA』2012年4月9日号(2日発売)
     鈴木氏は、厚労省の前提条件のうち、運用利回りだけを取り出して非難する。だが、専門家の間では、「年金財政にとっては個別の経済指標よりも、運用利回りと賃金上昇率の差の方が重要」とされている。
    おおざっばに言えば、年金財政には「現役世代の賃金が増えて保険料収入が増えるほど、支出である年金額も増え、賃金が伸び悩めば年金も増えない」という自動安定の仕組みがある。個別の指標が想定よりも低かったからといって、単純に財政が悪化するわけではない。一方、年金を支えるのは保険料だけではなく、積立金の運用利回りも重要な収入源だ。賃金が上がるペースよりも積立金が運用で増えるペースの方が想定より早いほど、積立金にゆとりができ、年金の財政は改善する。年金財政を左右する「キモ」となるこの「運用利回りと賃金上昇率の差」でみると、過去10年の実績値は平均2 ・6ポイント。厚労省の前提条件では1 ・6ポイントだ。一方、鈴木氏の前提条件では0 ・6ポイントしかない。鈴木氏の前提条件は現実と比べても厳しすぎ、「積立金が枯渇する」という結果が出るのも当然だろう。
     『週刊東洋経済』2014年11月22日68頁
     まずは次の図をみてほしい。
    図表 GPIFの運用目標設定の仕組み

    GPIFの運用収益で第一に求められるのは、実は名日賃金上昇率に勝つ(上回る)ことである。実際、厚生労働省がGPIFに与える運用目標は「賃金上昇率を何%上回るか」であり、国の「実質的な運用利回り(スプレット)」が該当する。
    厚労省が設定した、このスプレッドの目標値は15〜19年度で1 ・7%。もし同時期の名目賃金上昇率が3%なら合計4 ・7%の名目リターンがGPIFに求められることになる。
    なぜ突然、賃金上昇率なる数値が運用の世界に入ってくるのか。それは公的年金が賦課方式であるからだ。現役世代が賃金比例の保険料(厚生年金の場合)を払い、その保険料がそのときの高齢世代の年金給付に使われる賦課方式では、将来の給付領は賃金上昇率に左右される。つまり賃金上昇が大きければ給付は増え、賃金上昇が小さければ給付はさほど増えない。
    こうした給付構造において、積立金運用はいかに貢献すべきか。給付が増える(=賃金上昇大)なら運用収益は多いほうがいいし、給付が増えない(=賃金上昇小)なら運用収益はその分少なくてもいいということになる。そのことがつまり、GPIFの運用目標値が、賃金上昇率とスプレッドという形で設定される理由なのだ。
なっ? 記者たちは、みんな分かっているだろう。記者が理解して学者が間違えているというのは、年金に関してはいつもの構図だけどな。 先日も話したように、たぶん、メディア人には世のため人のためにという意識があることも一因なんだと思うんだけど、これだけ間違い続けては世の中に迷惑をかけている研究者というのはなんのために発言しているのかよく分からないものがある。間違いを正すために必要な知識を学ぶのを拒み、自分がみたいものを自分が見たい角度からしか見ていない様子をながめると、自分のためか?
   メモ
  •  2014年6月27日 第22回社会保障審議会年金部会議事録
     ○小塩委員 ・・・きょう出していただいた資料が私の疑問に答えていただいているか考えてみたのですが、例えばケースEで見ますと、左にスプレッドを1.2%にしたものがございますね。そのときの所得代替率は、50.3%です。これは5年間に限っておりますので、もう少し効果は大きくなるかもしれませんが、所得代替率が50.3%に低下するということになりますね。
     そこで、スプレッドが1.2%になるケースがほかにあるかと思って、1つ前の4ページを見ると、ケースBというのが上から2つ目にあって、そのスプレッドが1.2%となっています。ですから、スプレッドを同じ1.2%にしたときに、所得代替率がどう違うかという比較が、非常に荒っぽい形ですができるわけです。このケースBの所得代替率は、きょうも資料として出していただいておりますが、前回示していただいた資料でも50.9%となっています。
     そこで、5ページに戻っていただきますと、ケースEのスプレッドを1.2%にしたときの所得代替率は50.3%です。しかも、実際の所得代替率はこれを下回るであろうということになりますと、やはりほかの想定が物を言うのではという気がしてならないのです。 ・・・
    ○山崎数理課長 今、御質問がございまして、スプレッド1.2%という同じスプレッドでも、ケースEの今回のバリエーションケースと財政検証のケースBがたまたまスプレッド1.2%で同じだけれども、最終の所得代替率は50.9%と50.3%で違いがあるということで、スプレッドだけで全てが決まるわけではないのではないかと、まさにおっしゃるとおりでございます。
     要因といたしまして、一つは、実質賃金上昇率が高いと、今回御説明申し上げましたように既裁定は物価スライドでございますので、同じ代替率であっても、既裁定の方が賃金スライドの場合と比べて物価スライドのみでありますと賃金との差が開いていきますので、より実質賃金上昇率が高いほうが年金財政的には楽になるという要素はもちろんございます。
     もう一点、名目という意味で申しますと、これはマクロ経済スライドが名目額下限になっているということがございますので、名目値が低いと、そのマクロ経済スライドが十分に働かないということで、それは給付水準調整が先送りになることによって将来の所得代替率が下がるという要素がございますので、最終的な所得代替率が幾つになるかはもちろん運用のスプレッドだけでは決まらないということはそのとおりでございます。
     ただ、運用がどのぐらい年金財政に寄与しているのかというのを見るメルクマールとしては、スプレッドという見方が有効だということでございまして、基本的に将来の年金の給付も、あるいは保険料収入のほうも賃金に連動して大きくなっていくので、それに対して運用がどれだけ寄与するかというのを見る上では、スプレッドという概念が有効だと申し上げているところでございます。
おそらくこの議論を根拠に、次が言われ続けるのであろう。
  • 小塩氏 『週刊社会保障』2014年8月11-18日
     
     小塩氏『運用益過度な期待禁物」『日本経済新聞』2014年9月7日
     
かつて、スプレッドという概念を知らずに09年財政検証時の名目運用利回り4.1%が高い、粉飾決算だと批判してきた彼ら――小塩隆士氏、鈴木亘氏、西沢和彦氏、それに国民会議報告書が出た翌朝に日経社説で「これからの百年間、年4.1%の「高利」で積立金運用をつづけるのを前提にした失策は、どう挽回するのか」と書いていた大林尚論説委員等――は、これからも、スプレッドだけに頼るのは禁物で、自分たちがこれまで言ってきた名目金利も大切だと論じ続けるしかないのだろうけど、どういう話を根拠にして言っているのかということは、上述の昨年6月27日の議事録をみて理解しておくことだね。新規裁定年金と既裁定年金のスライドの仕方が違い、名目下限が設けられているのだから、これまでも、誰も、スプレッドだけで決まるとは言っていないわけでね。山崎年金数理課長の発言では、「ただ・・・」以降が重要。
そして、次の次の次の本より
  •   しかしながら、年金積立金の運用で大切なことはスプレッドであることを知らないままに、09年財政検証時の名目運用利回りを批判していた人たちは、研究者、記者として問題ありです。
     ここで僕たちが立てるべき問は、どうして彼ら年金経済学者や日経新聞の当時の論説委員である大林尚氏は、既に多くの記者たちが理解していることを見向きもせずに、間違えた年金論を正々堂々と論じていたのかという問だと思います。それは僕たちにも本当にわからないところです。ただ、少なくともいえることは、彼らは、はじめから、なぜだか年金を憎んでいる。厚生労働省を憎んでいる、そしてひいては政府を憎んでいるということですね。僕は以前、講演で次のように話しているので、紹介しておきます。・・・
そして彼らはそろって、いわゆる「支給開始年齢問題」についても間違いを重ねていくことになるのだが、次の記事は、解説もインタビューも、何度読んでも理解できない。どこの国の話なんだ?
経団連副会長のみが、日本の制度における年金年齢(pension age)の正確な理解まで後一歩のところまで来ているというのは分かるけどね。
 2月15日  1月9日に本年度最後の講義の参考資料として、アローや高橋昌一郎先生の本を紹介していたときに届いたメールなんだけどね
  •  いつも先生のホームページからコピペ参考にさせていただいております。

    私は昨年残念にも急逝された宇沢弘文先生の「社会的共通資本」をベースに、ケネス・アローの「不可能性定理」や
    高橋昌一郎先生の書籍を通じて学生に”保険制度の可能性の限界と必ずある不確実性”をそれっぽく双方向型で講義しておりますが、
    医学生とはいえ所詮は同じ教育カリキュラムで育ってきた若者たちは必ずビックリマークの反応を示します。
    その後は口をそろえたように「もっと早く知りたかった」とレポートしてきます。
    内容の問題が残るとはいえ義務教育化されたような高校までに社会保障の有り様は教えてしかるべきでしょう。
    つまり、世代や所得の違いを永い時間軸で捉え、ある意味連帯としての中立命題とする「制度的社会勘定」の思想か、
    それぞれをピンポイントで捉え適者生存と考える「制度的個人勘定」とするかをです。
    今の若者も存外に理解してくれますね。

    益々のご活躍を祈念いたします
どうもありがとう。
今調べてみると、2003年2月24日に開催されたある研究会で、ある経済学者が老人医療制度について報告していて、その中で、「経済学者としては、給付反対給付均等の原則通りでないと、イライラするものがありまして・・・」と発言し、最後は、ご想像通りの政策提言。
その時の、バカかこいつはという感情が、後に、「医療経済学の潮流」(医療経済政策学1巻および再分配政策の政治経済学Ⅲに所収)にある、「強制的な公的医療保険制度の3つの再分配」という考え方を生むことになります。

  • ・・・
ガルブレイスが、どこかで、経済学教科書の出版社にアメリカの共和党は感謝しなければと書いていたけどね
ただ、日本では普通の大学院ともなれば、教科書に書いてあることを疑うくらいのことを考えさせていたのだけど、どうも幾つかのところは、昔から経済学の教科書を覚え、それを普及させる人間を育てていたみたいですね。年金トンデモ論者と、上述の老人医療の報告者は仲間のようです。
日本は社会保障教育はやっていなかった、しかし、反社会保障教育は、普通の経済学の教科書がやっていた。そういうことなんでしょうね。
 2月13日  昨日話した、次の次の次の本の出だしはこんな感じだ。
  • ・・・
     社会保障全体の話を書こうと思ったのですが、B6版200頁程度という、自分に課した分量を書き上げてみると、「社会保障全般:年金=3:7」くらいになってしまいました。実はこの国で社会保障の重要な分野を言うとすれば、子育て支援、医療介護、年金という順番くらいが妥当な感じです。そのくらいの重要さしかもっていない年金、しかも年金では肝心要の具体的な制度・政策論に触れず終いで年金に本書の7割をさいてしまった自分をアホらしく思います。年金以外の社会保障の話を知らないわけではありませんので、次回、次々回でがんばってみます。それに僕は昔から、年金、あまり好きではないんですよね。だって、年金って、考えるコツさえおさえてしまえば、社会保障の他の領域とくらべて実に簡単な話なんです。だから、年金の研究者といわれると、昔からなんだかバカにされているような気がするわけでして。
    ではどうして年金の話が多くなってしまったのか?
    本書の中にある次の文章でお察し下さいませ。

    この国は、ほんっと年金の世代間不公平論というものに長い間翻弄され続けました。だからここでは少し詳しく触れさせてもらいます。と言っても、世代間不公平論に関する話が、社会保障問題を考える上で重要な話だというわけではないところがつらいところなのですが、この不公平論があたかも最重要な話として流布していて、その呪縛からのがれることはとても重要なのです。こんなもの知らない方が、社会保障政策に関して建設的な議論ができます。むしろあのトンデモ論を信奉する論者がかかわってきたら不毛な議論にしかなりません。しかしながらこのバカバカしい論はガン細胞のようなもので、みなさんの意識の中から退治しておかないと、年金から子育て支援策へ、年金から医療や介護へ、そして年金から社会保障全般や財政、さらには官僚、政府というものへの認識のあり方へと、どんどんと転移してしまう強い繁殖力をもっていて、最後は、エイリアンのように人の体に寄生してしまい良い政治家と悪い政治家の見極めを180度ひっくり返してしまうくらいの支配力を持っているんです。したがって、しばらくおつきあい下さい。

     ということで、では、はじめますか。
なんだかねぇ、向こう側の人たちはみんな、「積立方式は、人口減少、少子高齢化がどれほど進もうがまったく影響を受けない!」っと信じ切っているところからスタートしているわけでね。それで論文が書ける、本が書けるってのは、幸せっと言えば幸せなんだろうし、論文生産性、出版生産性は極めて高くなるから、そりゃぁ、大いに負け太れるよな。
ちなみに、年金部会を年金保険部会に名称変更する必要があるなっと思ったのは、去年、年金部会の議事録を読んでいるときだよ。
昨年の後半から、年金学会に入るとするかねっと言い、みんなそろって年金部会の傍聴に行くかぃと誘い始めたのも、同じ。

先日は、次のメールが届いていたよ。
> 年金学会、きっと大いに活性化することと思います。 こちらも楽しみにしています。
> また、年金部会への傍聴も是非ご一緒させてください。

ほかにも、先日、2004年1月の次の対談を読み返した人から――この対談は、まだⅡ巻は出ていなかった頃のもの
   新春対談「平成16年 年金制度改正の年を迎えて――高山憲之一橋大学教授」『年金時代』2004年1月号
> 今から読み返しても、すばらしいです。学会では、こうした議論をもっとしなくてはいけないように思います。
> その意味では、今後の年金学会が楽しみです(笑)。
って来てたけど、本当にやらなければならない政策論という視点からみれば、彼らの論を潰す作業ってのは、不毛なんですよね(T_T)トホホッ
大きな声では言えないけど、上述の新春対談から7ヶ月後にやれやれの年金バランスシート論を書いた時、藤澤先生に言えなかったんだよな。怒られそうでね。。。
2ヶ月後に先生が亡くなられたから、結局、言わず終いだったけどな。。。

でも、誰かがやらないと、賦課方式が諸悪の根源と信じる諸悪の根源が繁殖していくんだろうし、どうも高校の先生の間にもエイリアンに寄生されている人が少なからずいるみたいだからね。このままだと、教育を通じて、世の中が、どんどんすさんでいってしまうのかもな。
高校の教科書に、「年金には莫大な積立不足がある」とか、「日本の高齢化は深刻だから、積立方式にすることも検討されている」ということが書いてあるんだから、作用・反作用における反作用の仕事をやらなければならないのは仕方ないのかもしれん。社会保障政策論としてはまったくもって非生産的な仕事なんだが、ここで僕がたくさん論じれば、研究者としてはアウトプットがどんどん増えて、いわゆる生産性が上がることになるのかね。生産性という言葉のバカバカしさの表れだろうけど、 まぁ、公害を伴う生産活動と公害対策の両方がGDPにカウントされるバカバカしさと同じだろうな。
 2月12日   昨年7月2日開催の財政検証シンポジウムで、僕は次のように話している
  •  昨(2013)年8月の国民会議の報告書を受けて12月に成立したプログラム法には、(一)マクロ経済スライドのフル適用、そして(二)厚生年金の適用拡大、(三)年金受給の在り方に関する多角的な検討を進めていくべきだ、進めていかなければいけないと法律に書かれています。したがって、これらは法律に基づいて進んでいくと思います。法治国家ですから。
    ・・・
    2009年時の年金部会は、財政検証が発表されたその日に終わっていました。
    しかし、今回は、ここから仕事が始まります。いや、プログラム法に沿った形で法案まで詰めてもらわなければなりません。医療介護では、各審議会の議論を経て、この(2014年)6月に総合確保推進法の成立につながったように。
     第5回年金綜合研究所シンポジウム「平成26年財政検証について」(2014年7月2日)での私の発言
    『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』に所収
昨年の財政検証後の年金部会の議論を、どう考えればいいのか・・・「”議論の整理”を読んで」の筆者はじめ、少なからぬ人が抱いていると思う。
なぜ?という問には、僕はすぐに歴史的経緯に関心が向かうわけで。
  •   2009年9月16日 政権交代
    現委員での第1回年金部会  2011年8月26日開催 
      2012年9月4日 新しい年金局長等が閣議了承
      2012年12月26日 政権交代
    年金部会委員の任期は2年(2011年8月-2013年8月)。
    委員は全員継続されて、新規委員として2013年8月25日付けて、出口治明氏と原佳奈子氏の2名が就任。
    (2013年10月7日 第15回年金部会議事録
新規は大いに理解できるけど、他の面でのなぜ?が、どうも解けない。
 2月11日  昨日、紹介した箇所は次
  •  太田啓之氏「公的年金とメディア」 
     ③ 「正しい報道、知識伝達を推し進めれば、そのうちに間違った報道や主張が沈静化する」という考えは甘いのではないか? 誤った報道や主張に眉を潜めるだけではなく、個別に指摘し、追及する姿勢が必要と考える。そのための具体的枠組み。「年金トンデモ論」を監視し、批判する有志の専門家集団を組織してはどうか? 雑誌やテレビ報道に対する大きな抑止力になると考える(マスコミは批判されるのが大嫌い。ただし「マスコミ」という普通名詞で批判されても痛くもかゆくもない。「名指し」がとても大事)
年金に長年係わっていると、こういう心境に到達するもんだよ(笑)。
去年の7月2日の財政検証シンポジウムの後(2014年7月11日)に書いているけど、
僕らの弱点はバカには限度があると思っているところみたいなんだよな。
去年の財政検証の後の様子を眺めていて、どうも限度ってのはないみたいだと思ったよ。
   おまけ
  •  『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』より
     1961年に、日本では国民全員を対象とした医療保険制度と年金制度が実施されるまで、厚生省の中では、保険局が、医療も年金も扱っていた。そして国民皆年金を機に保険局から年金が独立する(国民年金法の成立は1959年であり、同年、国民年金業務に限定された年金局設置。1962年に社会保険庁が設置され、保険局から厚生年金保険の業務が年金局に移る)。年金局が管轄したのは、厚生年金保険法と国民年金法であり、問題はここから生まれる。
    ・・・途中、解説が入って、下の文章につながる。
 2月9日  次のところな。
  •  きっと、いつかはでるはずの『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』より
     年金関連のネーミングを、年金保険に変えなかったのは、私は立法と行政の怠慢だとみており、その罪は大きい。
     年金は、これを貧困に陥ることを事前に防ぐ「防貧機能をはたす保険」と正しく理解してもらわないと、建設的な議論はできない。ところが、なかには生活保護と混同して年金に救貧機能を付加したがる者も年金論議に参入している。他方、年金は保険なのだから、株などの金融商品と利回りや負担給付倍率などを計算して比較されるようなものでもない。ところが、そうした計算をしても自分でおかしな事をやっていると気づかない者たちまでが、年金研究者だと言って一人前の顔をしてきたわけである。厚労省も医療保険部会と呼ぶなら年金保険部会と名付けておけば良かったのに――これを年金部会と呼ぶから、年金部会のなかでも年金を保険だと理解していない委員の様々な種類のおかしな発言が登場することになる。
     図表 1 年金が保険であることを忘れたゆえの政治的ロス

     1961年に、一方の医療を皆保険と呼び、他方の年金を皆年金と呼んで、あたかも年金が保険でないような印象を与え、その慣習が現在に続いているのは実にまずかった。ちなみに、国民年金創設時に、これを保険と呼ぶのを躊躇させた福祉年金の受給者は、2014年現在103歳以上の人たちしかおらず、来年は104歳・・・、勘違いから生まれる政治的ロスがあまりにも大きすぎたことを思えば、速やかに、年金局は年金保険局、年金部会は年金保険部会に名前を変える方が望ましいはずである。 
   おまけ――宮武先生の話には、次の話も含まれています。
  •  たぶんいずれ出ると思う「解説 平成26年財政検証」『年金、民主主義、経済学――再分配政策の政治経済学Ⅶ』より
      このプログラム法の(一)から(三)を受けて、14年財政検証でオプション試算Ⅰ~Ⅲが行われたことになる。こうした一連の流れを要約すると、2009年財政検証で、このままでは給付水準が下がりすぎることが可視化され、その対策として打つべき手段を可視化したのが2014年財政検証だったわけである。
     2014年財政検証のメイン試算は、年金サイドからなにもしなければこうなるという絵柄を示しており、今回行われた3つのオプションでは、これを進めるといずれもが給付水準の底上げにプラスに働くことが確認された。
     たとえば、被保険者期間を40年から45年に延ばすと、給付は45/40倍、約1割増える。そして65歳から70歳まで繰り下げを行うと今の繰り下げ割増率を適用すれば65歳給付水準の1.4倍になる。その結果、被保険者期間45年、70歳での繰り下げ受給であれば、被保険者期間40年繰り下げなしの年金額よりも45/40×1.4=1.54倍の給付水準になる。
     そしてオプションⅢでは、20歳から70歳まで50年間保険料を納付した場合も試算されている。それによれば、最も悲観的な試算結果であるケースHでは、なにもせず被保険者期間40年のままだと37%に落ちるのであるが、50年間被保険者期間だと所得代替率は71.7%(1.94倍)になる。同様にケースCの場合、なにもしなければ50.1%なのが86.2%(1.72倍)、ケースDでは50.6%が85.4%(1.69倍)、ケースEは42.0%が72.6%(1.73倍)となる。その上、オプションⅠ(マクロ経済スライドのフル適用)、オプションⅡ(厚生年金の適用拡大)を重ね合わせれば、将来の給付水準の一層の底上げを実現することができる。年金改革に注がれる政治エネルギーは、オプション試算が含意する方向に向けられるべきことが明確に示されたのである。
 2月6日  昨日の続き ぐっどです。図示すれば、次のような話。
年金はこれからが「正念場」という言葉は、次で使ってる。
  •  2014年8月19日、日医役員・理事勉強会での講演
    「医療介護一体改革の政治経済学――The die is cast, it’s your turn next(賽は投げられた、次はあなたたちの番だ)」
    次著『医療介護の一体改革と財政――再分配政策の政治経済学Ⅵ』所収
      ここで年金に関して少し説明しておきますと、実はこれから正念場となる事態が起こります。少子化が進み、長寿化が進み、いろいろなものが年金財政にとって不利な方向に進んでいくわけですが、GDPに占める年金の給付割合は下がります。
    ・・・
     年金はこれだけきついことをやっている。GDPに占める公的教育費の割合はOECD諸国のなかで最下位だ・・・そうした財政状況のなかで、医療と介護だけは増やすことになっている。そのなかで国庫負担は先ほどの後期高齢者医療制度のところが増えると見込まれています。ここを守るためにもかなりのエネルギーが必要ですから、
これまで年金批判を仕事としていた者たちは、マクロ経済スライドが順調に効いて年金の持続可能性が高まり、将来世代にとって望ましい事態が起こること自体に不快さをいだく心性をもっているわけで、まずは政治家の前に、彼らが邪魔に入ることになる。彼らは、マクロ経済スライドのフル適用への改正にも、同様の態度を示す。
たとえば、
  •  西沢和彦『週刊ダイヤモンド』2014年12月27日―2015年1月3日新年合併号
     
   正念場だな。
  •  社会保障制度改革国民会議 第12回 平成25年 5月17日 議事録
     ○宮武委員 マクロ経済スライドを分解して0.3%だけかけろという案を言お
    うとしたら、友人からそういうことを言うものではないと、それはすぐに政
    治に利用され、妥協の口実を与えるだけだと言って友情ある説得を受けまし
    た。・・・
友人ってのは、僕だ。
   付け加え
はじめて書いた年金の論文のなかで、年金目的相続税の話を5頁くらい書いてるね。
その一部をⅡ巻より。脚注に見るように、ここでもフリードマンとは考えが合わないみたいです(笑)。
 2月5日  昨日話したミードの教え子たち。2001年に出したⅠ巻より
Atkinson & StiglitzのLecture on Public Economicsは、1980年。
次のような趣味のあらわれですね。Ⅰ巻より
Social Policy と Sozial Politikの違いは大きいです。日本での社会政策という言葉は、大方後者。
 2月3日  年金学会幹事会で、無事に?入会を認められたそうな。
ちゃんと書類を出したしな。。。
 2月1日  最初に授業見学に出かけて、2年以上経つわけだな。 次もどうかな。
まっ、次なんかはご愛敬なんだろうかね。まぁ、こういう世界では、省益ってのは便利な言葉と言えばそうなんだろうな。いつか、「省益」の中身と「経済教育の本質」というものを教えてもらいたいけど、社会保障に関しては彼らの考える本質ってのがだいたい分かった気がするけどね。たぶん、ああいうことだろな。
  •  経済教育ネットワーク
     (2) 各地部会報告が野間理事(同志社大学)から報告された。大阪部会での山本先生(奈良学園)の実践報告を巡る討論の様子や、税教育の実践の問題点などの討論の様子が報告された。関連して、税や年金など関連官庁が推進している各種の教育に関する教育の問題点が討論された。この種の教育は、関連官庁の省益のための教育になっている傾向が強く、経済教育の本質を見誤るものになる恐れがあることが指摘された。
     (4) 情報提供では、新井(小石川中等教育)から二件があった。一つは、今年の入試問題の特色と問題点。『全国大学入試問題正解』の分析から、社会福祉分野では、世代間格差がとりあげられはじめていることが紹介された。
 1月27日  おつかれさん。さっき話した記事は次です。
  •  (クルーグマンコラム@NYタイムズ)なぜ政府を憎むのか 事実を重視した政策論争を
     実際のところ、事実が本当に重みをもつような大きな政策論争はいま、あまり思い浮かばない。重視されているのは、揺るぎない独断ばかりだからだ。そして本当に問うべきは、「なぜそうなのか」ということである。
    ・・・
    そう、私の印象では、こうした事例で示される揺るぎない立場は、政府のあらゆる役割を否定する考え方と深くかかわっている。
    ・・・
    公益を図ろうとする政府を、なぜこれほど憎むのだろうか。
    ・・・
今日の面接で、通信過程の卒業と相成るわけだけど、生涯学習、ぐわんばっておいておくれ。
君の卒論「第五次寺医療違法改正からみる日本の医療政策形成」は、12月にもゼミで回覧したけど、これからも卒論のモデルとして学生に紹介しておきます。第五次医療法改正あたりは、まれにみる、「事実が本当に重みをもつような政策論争」だったわけでね。
   付け加えれば、
  • 「石橋湛山の経済学 湛山は本当にリフレ派だったのか」『週刊東洋経済』本日発売
を書いている姜 克實先生は、以前(昨年8月9日)ここで紹介した次の本の著者です。
   ところで、今日の日経の次、おもしろかったので紹介
 1月26日   特に、60-61頁とかはこの特集の個性がでていておもしろい。
62-63頁の「経済学は分配をどう考えてきたのか」などは、本年度最後の講義1月8日「規範経済学の歴史のおさらい」に出席していた人は必読。
でっ、すぎもと。出席表に「最後の講義感動しました」と書いてあるのをみたよ・・・どもな。
でも、おまえ4年なんだから、出席表はださんでいい。。。マークシートの読み込みで毎回エラーがでるだろが、アホ。
    次、かなり大きな改革を扱ってます。でも惜しい。最後の「25年度には、現在37兆円の医療費が54兆円に達する見通」はなくっても良かったと思うんだけど(T_T)・・・
  • 社説 国保改革 都道府県は推進力たれ 朝日新聞
     『社会保障制度改革国民会議報告書』32頁
     都道府県ごとの「地域医療ビジョン」等の策定、これらを踏まえた医療機能の分化、医療・介護提供者間のネットワーク化等の医療・介護の一体改革、さらには国民健康保険の保険者の都道府県への移行は、いずれも国民皆保険制度発足以来の大事業になる。市町村ごとに中学校校区単位の地域包括ケアシステムを構築することも介護保険創設時に匹敵する難作業となろう
 1月25日  分かる人には分かる話だけど、次の知識補給を補充
  • スティグリッツがそんなこと言うはずがない――史上最大の余計なお世話
題材は、次。。。
  • 勿凝学問108 スティグリッツがそんなこと言うわけがない――史上最大の余計なお世話?
  • 年金実務2000号記念座談会 年金制度の過去、現在と未来」『年金実務』第2000号 
     1994年に世界銀行が、年金の民営積立方式を推奨する報告書を出して、その誘いに乗って日本も大いに盛り上がりました。当時の世銀による民営積立方式の推奨は、フリードマン、シカゴ大学と強い繋がりがあった世銀、IMF、それにウオール街の意向を受けたアメリカ政府の間でのワシントン・コンセンサスの一環だったんですよね。世銀はその後、上級副総裁にスティグリッツを迎え、年金地動説の視点から94年報告書が徹底的に批判されて、2005年に新しい報告書を出します。内容は、94年からの大転換です。でも、思考が歴史から遮断された人たちは、そうした経緯も知らないままでいる。
なんだかねぇ、ただの風車が醜悪な巨人に見えるドン・キホーテが、次から次にでてくるのが年金界で、ほんっと面倒だね。
元祖は、やっぱり、公的年金バランスシート論だろうな。 そして最近、彼らは素人相手にしっかりと布教活動をしていたことがいろいろと分かってきたよ。
 1月20日  昨晩の、将来のことを、名目値で論じちゃダメですよっという話。
たとえば、次の上段、下段、ふたつの文章は、同じデータを使ってます。
  •  近年のわが国の医療費は年3~4%の伸びを続けており、2013年度(予算ベース)で41.8兆円に達している。・・・2025年度には医療給付費が54.0兆円に達すると見込まれている。
     こうした医療を巡る変化は、介護保険にも影響を与えており、介護保険の費用は、制度創設10年あまりで2.6倍に膨らみ、2013年度(予算ベース)に9.4兆円に達する・・・2025年度には、介護給付費は19.8兆円に達すると見込まれており、制度横断的な改革が焦眉の急となっている。
     ここで年金財政と比較をすれば、年金給付費の対GDP比は2012(平成24)年度で11.2%、2025(平成37)年度で9.9%とその比率が低下することが期待されているのに、医療給付費は2012(平成24)年度から2025(平成37)年度までの間に7.3%(自己負担を含む総医療費では8.5%)から8.8%(同10.1%)へと1.5%ポイントの増加が試算されており、同時期、介護給付費は1.8%(自己負担を含む総介護費では1.9%)から3.2%(同3.5%)へと1.5%ポイントの増加が見込まれ、・・・
上の、下段の文章は、一昨年の社会保障制度改革国民会議報告書で、僕が書いたものです。
あの国民会議では、将来のことは名目値で論じないという方針を事務局にも徹底してもらいました。
年金も同様で、将来の給付水準を名目値で論じても意味はありません。いや、現実とは乖離した印象を読者は抱くので、有害です。
新聞というスペースで、読者に分かりやすいように分かりやすいようにとやっていくうちに、悪気はないのにウソの話になってしまう。そういう典型的な話でしょうかね。次の記事がとてもいいです。 この国で、僕がこうしたことを言う役回りになったのは、次の仕事あたりがきっかけです。
 1月19日  先日話した、君のレポートにお世話になるよっといったのは、次の話だよ。
  •  次の次の次あたりの本より
    「トンデモ論者たちが有害である理由」
     僕の社会保障の講義では、年の瀬も押し詰まった12月に入って、ようやく年金に入ります。そして、今年は、社会保障の教育推進に関する検討会が準備している「参考資料 社会保障の正確な理解についての1つのケーススタディ~社会保障制度の“世代間格差”に関する論点」にある資料を課題図書としてレポートを書いてもらいました。そのレポートの中に次のようなのがありました。

    ・・・今回新たに思ったのは、「なんだかんだ批判や反論があるという状態は必要なんじゃないか」ということです。年金について、日本全体のことを俯瞰してその時代に合わせて制度を変えていく、それは正しいことです。ただ、その変更の仕方というか、目的を周囲が勘違いしてしまうのはもちろん良くないと思います。その勘違いがメディアや一部の経済学者によって「大きな声」となってしまったことも、もちろん良くないとは思います。ですが、ある意味そのような力を持った人々が年金の勘違いを「大きな声」としたからこそ、現在のように徐々に年金の正しい知識が国民に広く知られる、また知らさなければならないという危機感を生むきっかけとなったのではないかと思うからです。・・・ 

     このレポートを書いた学生は僕のゼミの学生でしたから、「はい、やりなおし」。
     だって、多くの学生が、「過去の不毛な議論による社会的な損失は大きい」とか「年金をめぐる様々な議論のある種の不毛性」と書いているのに、君ひとりだけが、破綻論に意味があったはないだろ・・・と学生に伝えて。
     そして、数日後。

      書き直したので投稿します。
     まずは前回の感想で、年金破綻論に意味があったかのようなことを書いてしまいましたことを謹んでお詫び申し上げます。過去の年金破綻論がかなり世の中に蔓延してしまったこの長い時間を全く意味のない邪魔なものと言ってしまうにはあまりにも長い期間だったため、何かしらの意味を見出したくなってしまっていました…。しかし、文献をもう一度読み直してやはり年金破綻論が盛り上がってしまった時間は非常に勿体ない時間だったのだと実感しました。
     そして、年金破綻論といえば「100年安心」のフレーズですが、朝日新聞の社説にも書かれていましたように、年金について詳しく知れば知るほど、年金制度は非常に考えられていて、公明党が選挙で「100年安心」と言って胸を張りたくなる気持ちはすごく分かるなと思いました。ただそのキャッチフレーズだけが一人歩きして批判の対象となってしまった、政争の具として利用されてしまったことを見て、言葉の選び方には気をつけなくてはいけないなと感じるとともに、自分も言葉面だけで物事を判断せず、しっかりと本質を見抜けるようにならなくてはと思いました。
     また、私は今まで(今もかもしれませんが)世間知らずで、選挙で年金が争点となっていたことも年金破綻論が世間をにぎわせていたことも全く知りませんでした。でももし、私が権丈先生からこういった年金の講義を受けず、中途半端に政治や世間の議論に興味を持っていたら、きっと年金破綻論者の格好の餌食となっていたのではないか思います。そう考えると非常に怖いものがあります。
     自分の働いている店の店長はもっぱら年金に不信感を抱いていて、たまにその店長と年金について話すことがあるのですが、私には店長を納得させるだけのことはできませんでした。一度抱いてしまった不信感を消し去るのは非常に難しいのだと感じるとともに、世間からの厳しい風当たりの中で年金に対する不信感を拭っていっている方々の地道な努力に胸が打たれる気持ちになりました。現在、平成27年にマクロ経済スライドが発動することが濃厚になっているそうですが、その時はもう年金に対する邪魔な議論は盛り上がることなく、みなが年金の安心を高めるための選択を見守ることができたらいいなと感じました。

     まぁ、許す(笑)。
     この10年間、繰り返し論じてきたように、政治・政策空間には時間という制約条件があります。政治家には1日24時間しかないし、国会には会期という制約条件がある。その中で、優先順位の高い課題を解決していかなければならないわけです。そうであるのに、国政選挙をみても、2004年衆院選、2007年参院選、2009年衆院選は明らかに年金選挙となり、この国で解決が待たれる重要な案件を議論することさえできない状態が続いてきたわけです。ここは僕がそうしたことを書いた直近の話を紹介しておきます。
    ・・・・・・続く
 1月16日  昨日の話を補足しておきますと、租税方式への移行を考えると、未納未加入問題、無年金問題があったために、彼らに新に消費税を課すだけになる租税方式への移行は難しい――政治的実行可能性はない――ということになります。こうした側面をみることを移行問題として指摘しはじめるのは僕なのですが、年金絵遊びグループには見えていなかった問題です。絵遊びグループは、未納未加入問題、無年金問題があるから、租税方式に!と言っていたわけです。アホだね。 次も同じ時期に書いているものです。 こうした移行問題を書いているのは2007年で、翌年の2008年の国民会議での年金シミュレーションで、この問題を可視化していくことになります。
次は、2013年社会保障制度改革国民会議報告書より
  •  
この文章にある「政策のフィージビリティ」を考える際に、僕がしばしば使うのは「為政者の保身」という考え方。
次は、2008年5月19日、年金シミュレーションが国民会議の雇用年金分科会で発表された日の僕の発言――そうなんだよ、政府の会議での議事録に(笑)というのは、過去、次の箇所にあるんだよ。。。
  •  雇用年金分科会 第4回会合 平成20年5月19日(月)15時05分~18時17分
      政策というのは強い権力さえ持っていれば何でもできるんですね。政策の実行を抑止する力というのはどこから生れてくるのかというふうに、私の思考回路は向かうわけです。そのときにキーワードとなるのは「為政者の保身」、「為政者の保身」が非常に重要なキーワードになると。歴史的な事例をいろいろと考えてみますと、為政者が自分を守るために、これはできるかできないかを判断していく。そしてその時に結構な善政がなされる。我々がその政策をできるとかできないかと判断するときには、為政者はどう考えるかを、間接的に問うしかありません。そこで現代民主主義の下での政治家の保身ということが重要な概念になってくると思うわけです。
     今日は政治家は補佐官しかいらっしゃいませんので、補佐官に聞くしかないんですけど(笑)。基礎年金の租税方式への移行の実行可能性を問うポイントとして5つぐらいの問いを考えていて、これに「イエス」と答えるか「ノー」と答えるか。これが実行可能性を問う分岐点になるかと思っております。だから、心の中で、補佐官にはわたくしの問いに対して「イエス」、「ノー」を答えてほしいんですね。
     まず、新制度移行後の無年金・低年金者にも新たな年金消費税を課すことができるのか。歴史的に為政者の保身というのは重要なキーワードだと思っているんですが、新しい制度に移行した場合、日経案の中では拠出履歴を反映させるということになっているから、無年金者には年金を給付しないんですね。その人たちに年金消費税を課すことができるのか。これがまず第1の問です。次が、保険料支払い免除対象者への新たな年金消費税は課すことができるのか。これは吉川委員が指摘されていたところです。今は免除制度があるので、保険料支払を免除されている人がいるんですが、その人たちに新しい消費税を課すことになるわけですね。もう1つは、高齢者に二重の負担を課すことができるのか。もう1つは、企業から現役・高齢期の生活者へのコストシフトが本質的な改革を実行することができるのか。最後に、6万6,000円もらうことができると思って保険料を完納した人に、月々5,000円しか給付しないでおいて、その人たちの支持を得続けることができると判断するのか。
     この5つの問いに対して、すべてを「イエス」というふうにクリアできないと、租税方式には移行できないなぁと。私のようないち研究者には、ある政策を実行できるかできないかというのはわからない。私たちは間接的に為政者はどう判断するかという想像力を働かせながら、実行可能性があるかどうかを考えていくわけですけれども、そういう意味でこの5つの問いは政治家、為政者たちが逃れることができない問いだなと思っております。
ちなみに、制度改革国民会議の議事録から消された幻の(笑)の箇所――あの時は、笑いながらボソッと答えたわけだからねぇ(笑)。
  •  第15階 社会保障制度改革国民会議議事録 平成25年6月13日(木)16:00~18:00
     〇山崎委員 あえて言いますと、民主党案ですと、サラリーマンの妻というのは所得がないのではなくて、夫の収入の半分は妻に帰属することになりますから、無収入の妻というのは全員いなくなって途端に所得のある方になります。したがって、最低保障年金が出るにしても全額は出ないということでございまして、結局どういう形になるかすぐ絵を描いてみれば分かるのでございます。
     つまり、給与収入と経費を除いたいわゆる課税ベースで捉えた所得という違いを残したままでもって同じ基盤で年金制度を所得比例年金として構築するということは、この国では難易度の非常に高い難題だと思っております。
     権丈委員が(2段階目の)遠い将来においてはという随分マイルドな言い方をされて、今もそんなことをおっしゃっているのですが、これはあり得ないという意味でおっしゃっているのではないかと思いますが、もし私の理解が誤解であるとすると、この中で私だけが異論を唱えたということになるのかも分かりません。
    ○権丈委員 いや、同じ考えです(笑)
 1月15日  昨日話した、日本の年金がうらやましがられている理由の箇所
次の次の次の本(予定)あたりから
  • 日本の年金を世界がうらやましがっている理由
     公的年金の制度設計で最も重要なポイントは、年金給付水準のスライドのあり方を政策手段として、長期的な賃金、物価、人口という不確実要因に対応させながら、年金財政をバランスさせる仕組みを考えることです。これを公的年金のインデクゼーション(indexation)と言い、年金研究のプロとは、そういうことを考える人をいいます。ところが日本の年金論議は、学者も政治家もそろって三角形のポンチ絵(マンガ)を描いては、年金はああだこうだと議論することだったんですね。言うまでもなく、年金で重要なことはああいう絵遊びではありません(ちなみに、年金絵遊びでは、過去の加入期間分の給付をどのように扱うかという、制度改正に伴う移行措置を視野に入れることはできません。現行の厚生年金保険法を見ても、本則よりも相当長い附則を付けざるを得なかったくらいに過去の制度改正に伴う移行措置の取り扱いには慎重なのですが、年金絵遊びしかできない素人はそうした側面に気づいていませんでした。その程度の人たちが、日本の年金論をリードしていたことも年金論議が大混乱に陥った原因の一つでもありました)。
     公的年金のインデクゼーションという観点から見れば、04年改正時に導入された日本のマクロ経済スライドは、他国がうらやむ制度となっています。なぜ、うらやましがるのか?それは、他国がマネしたくても、未だマネができていない幾つかの特徴がマクロ経済スライドの中に組み込まれているからです。
     まず何よりも、・・・
 1月9日  最近、ピケティのおかげで、みんなが見たり聞いたりする機会があるアトキンソンというのは、次のアトキンソンさん。 13年前、まだ30代で書いた文章だな。
同じ本に、昨日の話と関係する次も書いている。
   昨日の参考文献等
  • アローの不可能性定理はwikipediaでもみて、そこから参考文献を探しておいてください。
    • そこに書いてある参考文献のハードルが高そうに見えたら、高橋昌一郎『理性の限界』などで軽くウォーミングアップをするのも良し
    • なお、投票者の選好を与件として扱う社会選択論などと、選好はキャンペーンで操作可能であるとするモデルなどは、本質的に異なるアプローチです。
  • 縁付エジワースボックスの参考文献
    • 辻村江太郎『経済政策論』(筑摩書房) 
        僕らが学生時代に使った本
    • 辻村江太郎『はじめての経済学』(岩波書店)
        書名「はじめての経済学」と本の中身が、大きくかい離している本です。
 1月9日  昨日話した、100年安心バカは、次のことだ。
――次々著のどこかから
  •  「100年安心」バカ
     年金について、「100年安心」という言葉を聞いたことがない人はいないと思います。でもですね、「日本の年金は100年安心です!」と、政府が年金を肯定したり擁護したりしている言葉を聞いたことがある人もいないと思います。この違いは分かりますか?
     100年安心という言葉は、年金を批判する言葉としてしか使われていないんですね。それもそのはず、政府は一度も100年安心という言葉を使っていないからです。
    ・・・
     もっとも、「政府がかつて100年安心と豪語した年金が既に・・・」とか「100年安心は本当なのか?」という、彼ら年金批判者たちの合い言葉と言いますか、年金批判論の枕として、日経新聞や一部の年金論者をはじめ、いろいろ使われてきたというのはあります。そうした、言葉の出所を調べようともしない人たち、つまりは記者、研究者としては難のある人たちの年金破綻論は、かつては素人にはとても受けがよかったわけです。けれども、さすがに最近は、100年安心という言葉を使う論者は、まったく信頼に値しないということを多くの人が分かってくれるようになってきたようです。よりよい年金制度を設計していく上で、100年安心という言葉は必要ないですから。
     100年安心という言葉が、これからも希に登場するかもしれませんが、その文章が学者や研究者のものでしたら、彼らは2流どころか、3流、4流と考えていいです。その言葉で彼らは何を言いたいのやら。専門家が使う言葉では、絶対にありません。ですから僕は、学生に、100年安心という言葉を使う者をみたら、「でたぁ、100年安心バカ!」と笑っておくように言っています。最近では、たとえば次のような文章をみたら、「でたぁ・・・・」と。

       西沢和彦『週刊ダイヤモンド』2014年12月27日―2015年1月3日新年合併号
       「04年改正で100年安心をうたってから、たかだか10年での法改正は、それがウソであったと自ら認めることになる」
ダイヤモンドも酷だね。彼に原稿を頼んでも、こういうことしか書くことできないことを早く分かってあげないとかわいそうだな。
次もご参照あれ。 年金というか、社会保障ってのは、人災だったわけでね。
 1月7日  本日発売 参考までに
   次もな > じんよん 付録
  • そうですね、年金は教養、年金学者は反面教師にして、修論は、もっと実のある研究テーマにしたいと思います。
だな(笑)
以前、次の連絡も来てたが、うん、まぁ、将来の韓国は、少し良くなるかもな。。。
  • 仮に、わたくし自身が、世代間格差論および公的年金そのものについて、教育する立場になれば、
    次の三点、すなわち「私的扶養の社会化」、「年金は保険である」、「給付は負担である」を、まずキーワードにするだろうと思います。
おまけ――次著のどこかから
  •  世代間不公平論の話でおもしろいことがあります。僕は2008年8月に韓国のソウルで開催された年金シンポジウムに参加しました。そこには、主催国である韓国、イギリス、ドイツ、スウェーデンの年金研究者が集まりました。シンポジウムが終わった後、懇親会があったり、翌日には、みんなでソウルの観光をしたりして遊びました。そうした中での会話です。僕が、日本では年金の世代間格差とか言うのが流行っていましてねというと、ドイツだかスウェーデンだかの研究者が、それは何?と。
     一通りの説明を終えると、ドイツ人とスウェーデン人とイギリス人は、不思議な顔をしている。そこに韓国の研究者が、「韓国では、日本に留学して帰ってきたのが、世代間不公平論を流行らせていて、困ったもんです」と、僕の話に合わせてくれました。
     日本では、何十年間も大騒ぎしている年金の世代間不公平論というのは、世界全体では、だいたいそんな感じです。そうした手応えを僕は分かっていたから、みんなに、日本は困ったもんだと話をしたわけです。では、どうして、こういう不思議なことが日本では起こったのでしょうか。
 1月6日  じんよん、明後日は、次
   なるほど
  • 昨年登壇をお願いしたのは、今年7月の全国公民科社会科研究会の全国大会であります。
そうか、夏のセミナーだから、経済教育ネットワークのだと思って楽しみにしていたんだけどな。
まぁ、そこには3月にでかけるからいいか。
 2015年
1月5日
 やぁ、おめでとう。
なるほど。 社説より
> 世代間の不公平論が広がる背景に、高齢者と若年者の対立をあおり、
> 給付削減を進めようという財政当局の陰謀があるのではと勘繰ってしまいます。

財務がちょっとかわいそうかな。
かつては、そうだったけど、今は財務の一部を除いて彼らと縁を切ってるよ。その一部も出身者をキープしているくらいじゃないかね。
それよりは、経産省や内閣府だろうな。あと、高校の社会科の先生たちかね(笑)
次おもしろいよ。
  •  「経済教育ネットワークセミナー」2013年夏
    講演 日本大学中川雅之先生
    「〔現在の賦課方式年金の〕代案として、積立方式にするかリバースモーゲージを広げることが大事です・・・・積立方式は現在の賦課に比べはるかに公平です」。
    講演後の質疑応答
    Q「賦課方式より積み立て方式がすぐれていることは良く分かったが、積み立て方式はインフレに弱いのでないか?」
    A「そのとおり。でもインフレは制御可能なリスクである。しかし、高齢化は制御不可能なリスクになっている。インフレより高齢化の方が怖いと私は考えている。」
なお、今年は僕が行くことになっている。
 12月31日  最近、なんだかねぇというのが続いていた年金実務の「ズーム・アップ」
久しぶりに良いのがあったので すでに2124号なんですね。
2000号は、2012年7月9日号でした。このスピードだと、すぐに3000号だよ。 ところで、今年は、年金実務は、10月頃に実に良い仕事をしていました。
僕が、年金論議に参加したいのならば、せめて次を理解し終えるのがミニマムの条件と言っている記事を、年金実務は掲載。
分隊長は、ノートとって勉強しておくように。 では、今年最後に、社会保障教育関係の話で
次は、おもしろいよ。経済学者と高校の公民科の先生の経済教育ネットワーク
  • 2013年7月13日 大阪部会 議事概要
     (3)ひきつづいて、経済教育に関係する最近の動きとして、厚生労働省の「社会保障の教育推進に関する検討会」での議論やそこで使われている資料(ホームページで紹介されています)などが紹介された。中学、高校では、「社会保障制度の仕組みを教え、その役割と課題について理解し、中学生や高校生なりにこれからの制度の在り方を考える」ことを教えるべきであるが、厚生労働省では、制度を守るために生徒の理解を歪めるような教材作りを誘導しているように見受けられる。東京部会では、とくに、厚労省の検討会では、負担と受益の世代間格差の問題があたかも存在しないか、あるいは格差が存在しても問題ではないかのようにデータの読み替えや論理のすり替えを行っていることが問題視された。教室で実際に社会保障を取り上げるとき、その種の意図的に作られた教材や出前授業などに惑わされない注意が必要である、という提案があった。
この話は、次とも関係。
  • 第6回 社会保障の教育推進に関する検討会(2014年6月23日) 
     ○権丈座長 私が得ている情報ですと、その社会科の先生たちが集まって勉強会をするための組織の上のほうに大学の経済学の先生がいて、その経済学の先生たちは、厚生労働省的な教育を受け入れないというような方針を持たれているというような話も聞いています。
    ○梶ヶ谷委員(神奈川県立海老名高等学校教諭) 任意の研究団体ですね。
    ○権丈座長  任意のほうです。
    ○梶ヶ谷委員 私たちは教育センターとか、教育委員会が主催をする研修会で、それなりに信頼できる社会保障の研修会やセミナーを受講したいという希望が本来的にはあります。ただ、よくわからないのですけれども、学会だとか、あるいはいろいろな経済教育の研究グループがありますけれども、多くは割と社会保障についてはネガティブなのかなという気はしています。
    ○権丈座長 前途はそう簡単な話ではないということを厚生労働省も認識していただきたいと思います。従来の年金破綻論やこの検討会で間違いを指摘した世代間不平等論を主導してきたのは一部の経済学者なのですが、彼らが、いわゆる正しいアプローチの社会保障の教育とかをブロックしているというのはどうもあるみたいなので、ここら辺が結構厳しいところになってきます。
それでは、今年最後に、今書いている文章をすこし紹介して。
  •  なんで、こうなるの?と思うんだけど、「それは権丈さんが、普通の人も読める本をこれまで書いてこなかったからですよ。おまけにテレビの依頼は全部断るし、インタビューを頼むと大量に課題を出すし」と言われたら、確かにその通りかも知れず、実際、世の中ってのはそんなものさと言ってきたのは僕でもありますし。
    ・・・
    ・・・
    ・・・
よいお年を!
   昨日は、こんな話もしていたな。 うん、この時に、君のお父さんは、僕の授業を受けていたんだよ。
  • Re:第3回レポート 医療介護分野の改革
    内容:
    個人的に、父がこの問題について強く問題意識を持っているため(父は健マネで権丈先生の授業を取っていたそうです)、喫緊の問題であることについては理解しているつもりだったが、医療と介護も、大きな変革の時期にあることが分かった。
 12月26日  昨日、時間がなくて、すっとばしたスライド
   飲んでたよ
でっ、次が今日紹介したシドニーウェッブのラブレター
フェビアン協会とは
来年1月9日の飲み会までに、ハンニバルは軽く終わっていないとな・・・。
 12月25日  うん、まぁ、なぁ、僕が言ってもダメなわけだけどなぁ。。。
こうしたことを昔から考えていた僕が、自分のやっていることを政治経済学と位置づけたのは、2001年に出した『再分配政策の政治経済学――日本の社会保障と医療』。その後、この書名がシリーズ化して、もうすぐ、再分配政策の政治経済学Ⅵ巻、Ⅶ巻が出るはず。。。

おっと・・・というわけで、君たちが昨日も今日も講義にやってくることによる経済的損失を誰か計算して、文科省に文句言っておいておくれ。
昔は、今頃は、スキー場で、ユーミンだ広瀬香美だ♪の世界だったもんだヨ。
   法学部の学生が、けっこういるので参考までに
 12月22日  わるいわるい、パソコンを修理に出していてね
先週の講義での図は次にあります。「屈折点をなくす」で検索して下さい そして、社会保障改革のフォローアップ体制は下記。実働隊は医療・介護情報の活用による・・・専門調査会(誰だ、こんな覚えられない長い名前をつけたのは( ̄。 ̄ )ボソ...
また、次の文章は この文章に関することが、2009年8月15日にm3.comという医療関係者用の会員向けネット情報で紹介されているね。
  •  8/12号 「みんなよくガンバッタよ」、慶応大・権丈氏 m3.com

    2009年08月12日

     「みんなよくガンバッタよ、日医が自民の負担増路線を支持する時代になったんだもんな。この国ではじめて社会保障の機能強化のために代金の支払いを国民に求める総選挙が行われる。2、3年前には考えられなかった出来事が、今、目の前で展開されている

     7月末に各党のマニフェストが出揃って以降、当サイトも含め、様々な場でマニフェスト検証が行われています。そんな中、慶応義塾大学商学部教授の権丈善一氏のこんなユニークな評価を見つけました。8月8日付の権丈氏のブログです。

     ここで言う「みんな」とは、「志を同じくする、政治家から名もなき一市民まですべて」です。

     では何を「ガンバッタ」か。日本医師会が8月5日の記者会見で、自民党がマニフェストで、社会保障制度の財源確保のため、消費税を含む税制抜本改革に言及したことを評価しています(医療維新「診療報酬プラス改定の明記、高齢者医療の公費負担増を評価」を参照)。

     権丈氏の持論は、「公共事業をはじめ、歳出のムダの削減により生じる財源と、医療を含む社会保障に必要な財源はケタが違うため、社会保障の機能強化を図るためには、税と社会保険料の負担増が必要」というもの。「“埋蔵金”論議の巣窟の日医と、負担増から逃げに逃げを打ってきた自民党がそれぞれ今は180度違う立場に立っている」(権丈氏)。この立場の転換が実現したから、「ガンバッタ」ことになるわけです。その過程では、「ポピュリズムという、とてつもなく大きな相手を、一歩一歩押しのけていく」動きがありました。

     この「ポピュリズム」。ウィキペディアには、「政治学概念の1つであり、政治過程において有権者の政治的選好が直接的に反映されるべきだとする志向を指す。エリート主義(elitism)に対する対概念である」とあります。

     しかし、権丈氏は、次のように独自の定義をしています。「正しい政治行為とは、合理的無知な投票者に正しいことを説得することによって権力の地位をねらうことであるにもかかわらず、ポピュリズムというのは合理的無知な投票者に正しいことを説得する努力を放棄して(あるいは無知や誤解の度合いを増幅させて)、無知なままの投票者に票田を求めて権力を追求する政治行為である」(勿凝学問233)。

     例えば年金問題。その制度に精通している一般の人はそう多くはありません。「年金は破綻しているというが、破綻していない。医療・介護の問題の方が深刻」(権丈氏)。にもかかわらず、「破綻した年金を立て直す」と「誤解を増幅」させて票田を求めることを、権丈氏は問題視しています。


    権丈「政策技術学としての経済学を求めて」『at プラス』01 2009年8月号59頁
    (このページHPに権丈が挿入)

     7月26日付の当コーナーで、その前日の25日に開催されたNPO法人制度「医療制度研究会」で権丈氏が講演したことをご紹介しました。この講演で、この定義について質問したのが、虎の門病院泌尿器科部長の小松秀樹氏。「“合理的無知”とはいい得て妙だが、果たして説得が可能なのか。日本人は、お上頼みで、とかく上から助けてもらうことを考える。したがって、私は説得できるとは思えないのだが……」。

     これに対して、権丈氏は次のように答えています。「い話だが、結構動いているのではないか。消費税が社会保障目的税化されていて、それを実現することが法律にまでなっている。政治家やメディアなどの一部に“異端”が現われ、有権者の中にも、合理的無知でない人が出てきた。何度もしつこく言っていれば、何か少しは変わる。かなりの部分は諦めているが、希望をゼロにする必要もないというギリギリのラインではないか」「雑誌などでも、ここ数年、(医療で)いい特集をやるようになった。今回はメディアがいろいろなことを勉強するいい機会ではないか。メディアが偏向報道していくと、こんな状態になってしまうことを学んでいく中で、少しずつ民主主義が成熟する方向に変わるのではないか」。

そして、翌日に8月30日総選挙を迎えた8月29日に、次の文章が医療制度研究会というところに配信されている模様。 そして、総選挙の夜
 12月16日 『仕事に効く教養としての世界史』は、ゼミで3月末に、新3年生と4年生に出したレポート課題だったな。
講義でもやりたかったが、さすがに社会保障論では、学生はなぜ?と思うだろうからなぁと遠慮
著者の出口さんからグリーティングメール
  •  今年は2月に出版した世界史の本<http://www.amazon.co.jp/dp/4396614837>が、瞬間ではありますが、アマゾンのベストセラーランキングでトップ10に入るという珍事がありました。また気恥ずかしいのですが、12月20日(土)18:00よりBS朝日「ザ・インタビュー」に、12月21日(日)18:00よりBS日テレ「久米書店」に出演しますのでご笑覧いただければ幸いです。
講義の履修者である君たちも、一年近く僕の話を聞き、先日は「決して無教養学派にだけはなってはいけない」という言葉が入った講演録を読んでいるから、社会保障政策という人間相手の仕事では、こういう領域も、否、こういう領域「こそ」重要ということが分かると思うので、冬休みにでも読んでおくことをおすすめします。
 12月13日  昨日の続きな
  • >また、いくら官僚が黒子だとしても、社会的な損失につながるような事柄には、もっと表舞台に出ることはできないのかと、ふと思いました。
木曜日は、ポリティカルイシューになった案件については動けなくなると説明したわけだが、他にも理由はある。
   マーケティングのゼミの履修者くんたち、はやらせる方法を考えといてくれ。 年金に関しては、他分野を巻き込んだ総力戦で、遊んでみるかね(笑)。
  •  こうした問題を解決し、年金制度をより良くしていくためには3つの方向性しか無い。年金制度を決定するのは政治家であり、その政治家を選ぶのは国民である。そしてその国民に影響を与えるのはメディアであり、メディアに影響を与えるのは政治家であると私は考える。この言わばジャンケンの様なシステムのもと国家は動いているため、年金制度を変えるためには国民が知識をつけるか、メディアに正しい知識をつけさせて報道を矯正するか、政治家に正しい知識をつけさせることの3つしかないように思える。これらの方向性のうち、特に国民へのアプローチが大切であると私は思う。そして人々にうまく正しい知識を広めるための手段としてマーケティングの学問が有用なのではないかと思う。
  了ちゃんよ、11年前の次をみてみろ
  •  インタビュー「メディアクラシーの日本的特徴と年金不信」(『年金時代』2003年11月号)
     「世代問格差は依然大きく若者たちの制度への不信・不満は残るだろう云々」と、中高年層に

    属するはずの記者や識者が、若者の心の動きを予想してあげる形式をとりながら彼らの感情に

    影響を与える文章が記されています

君が昨日読んだ文章の出だし、そのものだろう。
11年前に、僕は彼の文章の癖を意識しながら、上述のインタビューに答えているわけだが、10年以上経っても、何も変わらずだ。
なお、メディアクラシーの問題を話した上述のインタビューには、続編がある。
   先日、じんよんに、院での話に関する補足説明を書いた文章、追記2を加えたので、読んでおくように。
 12月12日  ほほぅ
  • ・・・ 
     私は毎回この講義で出される課題についての知識が乏しく、1つ1つの文献を読みながら考察を考えています。その中で今回の課題は私にとってはとても優しいものがありました。それは厚生労働省がひらいている「いっしょに検証!公的年金~財政検証結果から読み解く年金の将来~」というサイトです。これは現代の若者が抱いている疑問やそもそも公的年金制度を正確に理解していない人々が仕組みを理解するために作られたものでした。漫画形式で進められているため、なれ親しいためか頭に入りやすく、これまでマスメディアが誇張して作り上げたイメージを無くし、目先の数字だけにとらわれることがなくなりました。私みたいにろくに年金のことを調べず、マスメディアの発信している情報だけで「持論」を持っているかのごとく語る方はたくさん存在します。彼らにちゃんとした理解をさせることも目的とし、まず足がかりとしてこの漫画形式のサイトを教えていくのも大切だと考えます。
こういうレポートもあり
  • ・・・
     しかし、こういった過去の不毛な議論による社会的な損失は大きいといえます。本来議論すべき論点からずれたため、改革が遅れたり、政局が不安定になりました。浜田陽太郎氏がシンポジウムの最後に述べたように、国民やメディアが誰かにお任せして文句を言うのではなく、引き受けて、自分のこととして自ら考えることが大事だと改めて思いました。
     また、いくら官僚が黒子だとしても、社会的な損失につながるような事柄には、もっと表舞台に出ることはできないのかと、ふと思いました。
でもまぁ、昨日も話をしたように、政争の具となったものについては、官僚は動きがとれなくなるものだ。正しいことを言っても、いずれかに荷担していると世の中は受け止めるわけだからね。そして、民主党政権になると、我が党はまったく新しい年金を作るのだからと、厚労省の年金広報予算もなくされてしまい、表に出ようにも出ることができなくされてしまったわけだ。僕がレコンキスタ運動という意味が、少しは分かるだろう。。。

でだ。INさんは、昨日も飲み会の時に言ったように、君のレポート・・・もう一度課題を読み直しすように。上述のように、「過去の不毛な議論」というほうが歴史的事実に近く、次のような「不毛性」というのが妥当だと思うよ――僕がよくいう、「年金はバカにバカというのがメインの仕事で非生産的な仕事だ」というのは、そういうこと。
  •  今回の課題図書を読んで、年金をめぐる様々な議論のある種の不毛性(そんなことを学生の自分が言うのはかなりおこがましいと思うが)を感じ、シンプルにはいかないもどかしさを抱くとともに、社会の見方、自分の中のパラダイムみたいなものの構築の仕方が少しわかり、参考になった。
>  掲示板のほう出し忘れておりました…遅くなって済みません。
ゆるすわけがない、公開の刑と処する(笑)
  •   少子高齢化が進み保険料負担者が減っていけばその年金が破たんするのではないか、ならば保険料を支払うより貯蓄に回した方がよいと考える人は少なからずいる。このように、年金に関する国民の誤解は完全なる無知から発しているのではなく、ごく一部の知識しか持たないためにおこっている。そしてそれこそが議論を余計ややこしくしているように思う。
     少なくとも、人々の年金への関心は決して低いものではない。かなりの額の保険料を毎月負担し、老後の生活を年金に頼る度合いも相当高い。だが、一見複雑に見える制度設計に加え、我々は年金をはじめ社会保障全般について自ら調べなければ知る機会はほとんどなく、さらに世の中には誤った情報が悪意があるにせよないにせよ氾濫している。こうして関心はあるが、制度についてのしっかりとした理解はないという現状が生じている。制度の仕組みを全く知らない状態であれば、正しい知識を持つ機会に巡り合いさえすればその誤解は解けやすいが、一度ある認識を持ってしまった人を説得するのは容易ではないことは、専門家とされている人でさえ根本的な部分から間違いを犯していることからも分かる。
     結局、日本は負担が比較的低いまま質の良い福祉を受給できたという歴史があることから、負担への抵抗が他国に比べて非常に大きい。その結果が巨額の財政赤字であり、今後は大幅な福祉の充実のための増税ではなく財政再建をメインとし、ニーズに合った福祉に形をかえていくことになる。しかし、第2次安倍改造内閣が増税を延期し衆議院解散をしたように人々の増税への反発は政策にも大きな影響を与えることは明らかである。だが年金で言えば、マクロ経済スライドの発動が遅くなればその分将来の給付額が減少することになるようにその時その時にやるべきことを先送りして損するのは結局国民なのである。
     単に国全体のため、助けあいのため、という観点だけでなく自分自身の利益のためにも国民は制度を正しく理解するべきである。また最近話題となっている政治とカネ問題など、人々は金銭の支出という分かりやすい形で現れたムダには敏感であるが、失われた機会など目に見えない損失には鈍感だ。年金が政争の具となり得ない日が来るのはまだまだ先であろうが、政府は大きな視野を持ってより優先順位の高い課題から着実に取り組んでいく必要がある。
次、わるいわるい、おいてけぼりにしていたとは知らず
  •  今回の資料群を読んで感じた第一印象は「朝日の浜田さん、分かりやすく書いてくれるなあ」ということです。年金というのは親への仕送りであって、その額は働く息子娘達の人数だったり、その当時のお金の価値であったり(現在は適用されないことになっているが)によって左右されるという表現。マクロ経済スライドの図表を見てもチンプンカンプンだった僕もようやく理解できました。年金を生活習慣病にたとえ、所得代替率を低く抑えるためにも、持続的・漸進的な回復を行っていかなくてはならないということ。今まで権丈先生がスキップしながら僕を置いてけぼりにしていったところを上手くフォローしてくれた気がしました。
     今回の資料群では年金に関して色々な議論が出てきました。年金をネガティブに捉える右側の経済学者たちの狂信的な考え。政争の道具として、おもちゃのように扱われてきた年金問題。左右の経済学に関しては権丈先生の授業でいつも聞いている通りです。特定の権力にとって都合のよい考え方の経済学派が常に持ち上げられ、現状は完全に右側でロック。そして政争の道具としての年金問題。有権者たちにとって一番身近で問題で、だけど理解するには難しい。こんな性質をもった年金問題は、有権者の合理的無知が発生する現行政治制度では政争の道具としてうってつけでしょう。今回のレポートでは年金について書くことになっていたと思いますが、経済学という学問と政策・政治システムについて考えさせるような資料チョイスだなあと思いました。
     僕らが権丈先生の授業を通して学ぶべきことは2つあると思っています。一つの経済学派を鵜呑みにするのではなく、どのような経済学派が出現・存在して、どの考えがどのような権力主体のお気に入りなのかという図を頭に描くこと。そして無知であることが合理的であるような現行政治システムに疑問を抱くこと。今回はそんな考えが権丈先生から伝わってきたような気がしました。
次、「そもそも経済学の流派の歴史的変遷を今回のお話で初めて学習しました(笑)」・・・そりゃ、学部のカリキュラムに難ありだよな( ̄。 ̄ )ボソ...
でっ、「良い年の大人の行動ではないなと感じました」。だよな。。。
  •  今回のレポートは年金問題を経済学にからめたお話が多かったように感じました。特に印象に残ったのは設立記念シンポジウム講演会のお話でした。そもそも経済学の流派の歴史的変遷を今回のお話で初めて学習しました(笑)。そして経済学の流派の影響を年金政策が受けているというのが確かに当然の事ながら今回一番の驚きでした。経済学の右派、左派によってセイの法則、合成の誤謬の世界、という正しいとする理論がそもそも逆をいくが故に政策解も異なってくる、というのがなるほどな、と思いました。もちろん、先生のおっしゃられているように経済学だけではなくどの学問にもいえる事ではあると思いますが。 また、左派が未来の不確実性のために未来への影響をあまり考えすぎない性質があり、年金政策を考えるときには顧みられないというのを同時に知りました。
     さらに、年金数理人セミナーでのお話につながりますが、経済学者も霞ヶ関も行政官も暗い、という話が面白かったです。確かに対抗する政策を掲げている人たちのあげあしをとったり、憎み合ったりと良い年の大人の行動ではないなと感じました。どの政策にも穴というのが存在するならばそれらを互いに考慮した上で建設的な話し合いができれば良いのですが…。
     特に小泉元総理の一元化発言のところとその後にでてきた各新聞社の年金改革案の話からそう思いました。先生の授業でも時々新聞社のお話がでてきて、彼らがよく見当違いな事を新聞に書いたり載せたりするとお聞きします。いつか今後の授業で、年金や社会保障について書く新聞社の担当がいかにして年金や社会保障を学習しているのか、知見を広めているのか、そしてどんな偏見を持っているのかを教えていただきたいです。
     最後に,朝ノーベル賞のニュースを見ていたところであるのに、ノーベル経済学賞はスウェーデン国立銀行が出資し、スウェーデンの経済界の思惑のために利用された、プロパガンダのために利用された、と聞いて、ノーベル賞はそのような経済の便益や損害とか変わりのないクリーンな表彰だと思っていただけに非常にがっかりしてしまいました。
次、「全力で年金制度を倒そうとしてくる」・・・良い表現(笑)。負け太り論者をはじめとした彼らの人生というは、いったいなんなのかねという世界だな。
  •  民主党にとって、年金は手放すことのできない政争の具である。具体的な案を示さなくとも、年金を批判していれば選挙で勝利できる。年金研究者に至っては、政府への憎しみを込めて、全力で年金制度を倒そうとしてくる。かのゴッドファーザーの映画の中に「敵を憎むな勘が鈍る」という名言が示すように、年金を勝つための道具や、報復のための手段として利用などしているから、年金の本質を知ろうとせず、現在の日本の年金についてトンデモナイ認識が蔓延ってしまっているのである。
次は、昨日の飲み会で話したように、前回の学生のレポートをみたときに、歴史的記録としてまとめておいたもの。 次のあたりの意味も分かるようになってきたかね。 法学部の学生も多いから、いつか講義で、政治学者シリーズの話でもしようかね。。。
   そう言えば、「勿凝学問とは? 」というページは、2007年に、パート労働の厚生年金適用ワーキンググループで一緒だった杉山千佳さんから、あれ、なんて読むんですか?と尋ねられたから作ったもの。このあたりの話が分かるのは、世の中に何人かしかいないだろうけどな。ちょうど、この頃。 今週木曜日の講義では、このあたりの話をするつもりなので、予習をしておいてくれ。
 12月9日  次にある。 この言葉「学問に凝る勿れ」がはじめて出てくるのは次 この座談会は、猪木武徳先生が出席されて話をリードされる予定で企画されたわけだけど、当日、猪木先生のご家族が急に具合が悪く成られて、出席できなくなる。さて困ったっと、みんなが悩んでいるときに、僕は、さてさてみんなどうするんだろうと悩む彼らを傍観していたら、みんながそろって僕の方を向いて・・・お願いしますと。。。人生にはリスク――予期せぬ望ましくないことが起こること――はつきものとはこういうことかと実感。まぁ、この座談会でたくさん話さざるをえなくなり、その中にたまたま「学問に凝る勿れ」の話があったから、座談会から一ヶ月ほど後に、『福澤諭吉著作集』を出版した慶應出版公認で、『再分配政策の政治経済学Ⅱ』において「勿凝学問」が生まれることになるわけだけどな。
勿凝学問をはじめて収めた『再分配政策の政治経済学Ⅱ』の中で勿凝学問1に位置づけられたのは次。この文章そのものは2001年、30代で書いているわけだが、その後、その通りに生きてるのかもしれぬ。。。
 12月8日  へぇー、2月なのかぃ、始めて知ったよ(笑) 編集者の木内さんは恥ずかしい言葉をいっぱい並べてるねぇ(T_T)トホホッ
Ⅶ巻は、『年金、民主主義、経済学』と言ったんだけど、それでは誰も買ってくれませんと、『年金改革から民主主義を考える』に変えられてしまったよ・・・どうせこれまでのように、みんなで回し読みするだけだと思うんだけどねぇ。。。( ̄。 ̄ )ボソ...
 12月7日  先日の講義で紹介したのは、次のグラフ。
なぜ、こういう現象が起こったのか――つまり、病院経営の株式会社化の議論は、いったん盛り上がりその後収束してしまったのはなぜなのか?は、政策論議の歴史を辿れば分かること。と言っても、先日、次のような連絡がきたけど、まったくその通りでね。
  • 民主主義というのは全部試してみないと気が済まないだけじゃなく、民主主義は忘れっぽいので・・・。
決着が着いている議論も、ゾンビのように復活する、忘れっぽいからね。
そして民主主義というのは記憶力に難があるために、何度も何度も同じ失敗を繰り返すんだろな。

追記
吉田さん、君の卒論の一部を講義で紹介させてもらいました。どもな。
   昨日の医学部の話は次。 そして次のハジュン・チャンの『世界経済を破綻させる23の嘘』も読んでみる。
昨日紹介した「生産性」に関する正しい定義が書かれている現代経済学事典を紹介した文章 そして、次のような認識に基づいて、医療をしばきあげると医療関係者にも患者にも犠牲者がでる。
 12月5日  年金の日に神野先生が紹介していたスウェーデンの中学生向け教科書。社会保障教育に関心のある人にはおすすめです。 次は、「社会保障の教育推進に関する検討会」に配付して、委員および傍聴席にいた人たちに紹介した際の資料。
最終章の社会保障の前に、さまざまな準備がなされています。
 12月3日  
 12月1日  次は、2012年10月27日刊で、一週間前に雑誌は出るから10月20日発売だな。
9月26日の自民党総裁選のすぐ後に、次の言葉を書きたくて書いた模様。 そう言えば昨日11月30日は、今の4年生が2年生の時に、僕が日吉のゼミ説明会に出かけた日だったよ。第1回目の社会保障制度改革国民会議をさぼって。

あの会議を引き受ける時に僕が言っていた一つは、彼らが官邸にいる第1回目は欠席。今ひとつは、やるのならば医療介護、それならば引き受ける。
2008年国民会議の時も、やるべきことは医療介護改革と増税の道筋を示すことで、年金ではないと言っていたんだが、あの頃はまだまだ年金にも多くの時間を割かなければならない時代だったわけでね。

ところで、昨日の柳家さん八師匠の年金落語、真底感心。
今回は繰り上げ繰り下げ受給、最低保障年金創設の抜本改革に触れられていて、年金学者や政治家よりもはるかに年金の制度を理解されている・・・つまりは勉強されているということかね。
お目にかかるのは5年ぶりだったから昔のことは忘れられているかもと思って、さん八師匠の落語を収めた『社会保障の政策転換 再分配政策の政治経済学Ⅴ』を贈らせてもらったこと、新宿末廣亭でご挨拶させて頂いたことを話そうとしたら、ぜんぶ覚えられていて驚くやら嬉しいやら。それにしても昨日から何度も言っているけど、あの雰囲気の中で師匠にかかる重圧の中、見事に仕事をされていたプロの技術というものに、僕は感銘を受けたね。

それと、シンポジウムの中で、原佳奈子さんや山崎俊輔さんが、年金論議にはこれまで誤解があったことを前提、あるいは端々に触れながら、これからの前向きな話をされているのをみて、これからはもう若い彼らの時代で、僕はもう、シルバーシートにいるのがいいなと実感(笑)。
   先日の話は次の日
  •  2014年6月10日 第14回社会保障制度改革国民会議
     ○権丈委員 私は医療改革について議論している国民会議で、大島先生とか永
    井先生がずっと沈黙されて参加されないというのは非常に残念でなりません。
    やはり医療提供体制の改革、医療改革というのは医療関係者である大島先生
    とか永井先生に参加していただいて初めて意味のある会議だと思いますし、
そして、
 11月30日  包くん、一月ほど前にも紹介していた文章です。
 11月29日  次だ。 暴力シーンもそうだろうし、出演者をみれば、再放送できない理由がいくつもありそうな番組かもな。
研究室にDVDがあるから、見たい人はどうぞ。
   この写真
  •  Ⅲ巻17頁
     
ロイド・ジョージが抱えているレッド・ボックスは、次を参照あれ。
 11月28日  11月30日は、年金の日という話。 11月22日に次のように書いているね。 そして11月30日は フォーラムにご登場される柳家さん八師匠については 久しぶりにさん八師匠の落語を!っと思って、申し込んでいたら、(T_T)トホホッ ついにシルバーシート行きのようで
  • 当日は、お席をご用意させていだきますので、一般受付ではなく、来賓受付にお越しいただきますようお願いします。
    また、来賓の方々のご紹介を予定しております。
    社会保障制度改革推進会議委員の権丈先生のご紹介もさせていただきたいと考えております。
先日話したが、今年、生まれて初めて、電車で高校生の女に子に席を譲られてしまってね。これはなかなか驚くゾ。
いや、次で降りるから大丈夫っ、ありがとうっと・・・
   
  • 先生の仕事のページにもある通り、定員40名だったようで手狭になってしまいましたが、
    多くの先輩方、現役生にご参加いただき嬉しく思いました。
幹事としてはかなり焦っただろうな。
僕に合わせる顔がないのがけっこういたから、あの暗さは実に良かったと思う(笑)
あの日届いていたビデオレターをゼミの掲示板にアップしておきます。
11月24日  先日、2期のひろみの乾杯の挨拶の中で、「ホームページも昔と同じで、いつみても懐かしいものがあります」と話していて、昔のwhat'snewをmainに変更してしまった自分をちょいと反省し、16年前、いや17年前の姿に戻す。 
 それと、先週エディンバラに行っていた4年のくりちゃんが、ニューラナークには行ったらしいが、スターリングを訪れていないことにショックも受けて。
ニューラナークはもちろんマストだが、それ以上にスターリングは・・・
 今の学生は、次のページも知らないんだよな――22日には、聖地スターリングを訪れたHonarable Memberが、けっこうそろっていたもんだ。  暇にしてるし、また、遊びの組織作りをして暇つぶししてみるかね。

追記
使いづらくなったとの批判もあるだろうけど、ここは、このHPに対する最高権力者として、世間の迷惑を顧みずに実行することにした。。。
   昨日までは、昔のことにあります。