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                        吉屋かめ乃 







取り合った手は夢の世界のものと、夕闇の眠りのなかに置き去りにして
けれど微笑みをたやすことはしたくなかった。

葉山での最後の夜をすごすため、
部屋へ、現実の目前まで帰りゆく。
罪ほろぼし? 夢の余韻?
わたくしは薫子を、無理のないよう神経を微細にわたらせ
微笑でゆっくりと部屋へ誘う。
わたくし自身、も。



お姉様が微笑まれると、
まるで先刻の、海上の月明かりがそのままに振りまかれるよう。
言葉なく笑みを浮かべて、わたくしをやさしく導いてくださる淳子お姉様。

講堂での、海岸での、夢のような光景が
いまもくりかえし、過ぎってはきえ、過ぎってはきえ・・・。




「 お揃いで 遅うございましたのね。 」
「陽子おねえさま! 」


微笑みはそのまま深く刻まれ、苦みともつかぬ色を含む。
陽子という存在がわたくしを押し留めてくれる。
感謝すらする、貴女に・・・。



「あら、ソックスが砂だらけよ、 淳子様もお裾が。」
「薫子 お風呂あがってらっしゃい。」
「 あ 、はい、あの・・・」
「いいのよ、先におあがりなさい。」


手早く身支度をすませ、頭だけぺこんとお辞儀をして
薫子が部屋を出て行く。
淳子は砂つぶてにまみれた黒燕尾を、
それでも夢の残り香をさぐるように緩慢に脱ぎ落とす。
砂が床を打つわずかな音が、薄い胸に響く。




淳子様と薫子は、今度のことでまるで距離を縮めてしまった。


陽子は、浴衣を羽織ろうとする淳子に背を向けて窓辺へと歩み寄りながら
渇いた下唇を、無意識の動作でつねって弄ぶ。
不意にぴり、と痛みが走り、舌にひたすようにして湿らせる。


わたくしは、このふたりをどうしたいの。
薫子に惹かれる思いと、わたくしたちに、ふたりを重ねている・・・だけ?
いいえ、わたくしは講堂で決めた筈だわ。
今は感情のゆく処へ、そのまま赴くと。
わたくしは・・・・・・



「 陽子さん、口唇の荒れているときは、矢鱈と舐めてはだめよ。」

淳子から、二人分のグラスに少量の水を注いで渡される。



「え 、えぇ 有難う御座います。
 ・・・淳子様は、おかげんは」
「ええ、もう。」
「 ・・・・・・淳子様、わたくし、・・・申し上げたいことが御座いますの。」
「 なにかしら 」


帯をととのえながら、淳子は寝台に腰掛けて
東京へ送らせる荷物を紙にかきつける。


「まぁ、」


窓辺を見遣ると、外にむけた陽子の背を月明かりが縁取っている。
陽子さんは、月の子ね。わたくしと一緒。
朗らかな名前とは正反対の。



「仰らなくとも充分、伝わっていてよ。」

「わたくしは、薫子を案じるだけですわ」
「 ・・・そんなに貴女は、物分りのいい つまらない人ではないでしょう。」


淳子の笑いまじりの否定が、逆に頭を冴え渡らせる。



「 お荷物は凡て寮に?」
「 いいえ、実家の方と分けて。」

そこに、お先に失礼致しました、と薫子が上気した頬をみせて戻る。



「ご実家へ戻られる。」
「えぇ。」
「夏はどう過ごされるのですか?」


ふたりの打ち解けたようすに少しく驚きながら、
薫子は会話に耳をかたむける。


「 いつも通り。使用人しかいない家で、普段どおりの休暇でしてよ。」



ご家族は・・・?


顔に書いてあるわ、薫子。
思わず頬が緩む。


「父は仕事で滅多に日本に帰らないわ。
  母は幼い頃に家を出たものだから、だから悠々としたものよ。」




お母様が・・・!
淳子お姉様のお母様、きっとどこか凛として
お姉様のような素敵な方かしら、なんて無責任な想像をしていた。
父と母に、兄。
愛情だけはたくさん戴いてきたわたしには、
お姉様を理解して差し上げられない…。



おかしなものね、今日のわたくしはお喋り。
こんなにも、存在しない出口を求めて、迷路の中にまどっているというのに
だのに、心がひととき、休息を許しているよう。
薫子の不安に揺れる表情が、わたくしをもっと微笑ませる。



「 まぁ、わたくしもこの夏は独りですの。
  寮に残ろうかとも考えているのですけれど・・・。」


陽子お姉様も!
わたしは、わたしの手の届かない処でかわされる理解が
しりたくて、でも、安易に踏み込んではならない気がして・・・



薫子を見遣る。
頼りなく被せたなにげなさの下に、
わたくしたちの寂しさを案じる、素直な優しさが滲んでいる。
陽子は・・・・・・わたくしたちを、どうしたいの・・・?!




「 そう・・・・・・それは、では・・・ 」
陽子の笑いが、月明かりに揺れた気がした。

「あの、宜しかったら伺っていいでしょうか、淳子様。」


・・・貴女は、何をしたい?
薫子を見られないまま、敷かれた道をたどるしか術はなく
淳子が口を開く。


「・・・・・・ええ、いらしたらどうかしら、何も出来ませんけれど。」



陽子お姉様が・・、淳子お姉様のお邸に・・・?!
やはり、淳子お姉様は
お気持ちの理解できる陽子お姉様のことを、好いて、らっしゃる・・の?




「薫子さん、貴女も御一緒にお邪魔させて戴きましょうよ。」


薫子はお父上、お母上のいらっしゃる実家に戻る。
それくらいは解ったうえだ。


「あの・・・・わたくしは、根津の家に帰るよう言われていて・・・」
「そう。それは、残念だわ。」



・・・・・・陽子お姉様は、淳子お姉様が・・・?!
わからない、だって、陽子お姉様はあの方を・・・!








寝台に入ってからも、薫子は眠れずにいる。
かすかに身体を動かす音に、陽子もまた、目を閉じたまま神経は張り詰めていた。

「・・・・・・かおるこ。」
「・・・」
「 起きなさい、眠れないのなら 」
「淳子お姉様・・・」



時計は午前三時を打とうという処だ。


「すこし、身体を休ませるために飲みなさい。」

お姉様のお好みの葡萄酒。
トロリと揺れる。


「お姉様、わたくし・・・」
「・・・・・・薫子。」
「 はい 」
「・・・夏の間に、どこかへ出かけましょう 」



どこか、誰もいない遠く
遠い、解き放たれた地へ。
心、だけでも。

お願い、この手だけは、あなたの意思で、とって。




「・・はい!」



わたくしは微笑むことを初めて知る。
薫子、あなたによってわたくしは、真実の広さを与えられ、

希望を失う――――





夏は盛りを迎える。








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