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                           會津ニ十







講堂をしばし席巻した戸惑いとざわめきは、最後のメヌエットに飲みこまれてゆく。
紡がれる調べは、少女たちを夢と憧憬の世界に誘い、
この夏の一時を、このうえもなく甘い一幕として、記憶の中に刻み込む。
そして、避けられぬ現実と同じくして、切なく終わりが待っている。




「あ、薫子さん、どうかなすったの。」
「・・・ええ、少し、  すこし気分が優れなくて。
 風にあたってきただけなの。」



先程より少し白い口唇をして、薫子は戻っていた。

・・・・淳子様は?



「んもう、淳子ったら、どうしたのですって?」
「あ、でも、ぶんお姉様。
 淳子様、先ほどから、随分とお加減がお悪いようでございましたわ。」
「勝手に部屋にでも帰ったに、決まってるわ。
 瞳子さん、段取りはご存知よね、最後の挨拶はわたしがやりますから、
 後は、なんとかお願いできるわね。」



そして、パーティーはわたしの回りでぐるぐると続いていった。
回転木馬を遠くから見るような心持で、わたしはにこやかに皆の中にいる。
笑顔も会話も嬌声ですらも、わたしを木馬にのせることはできない。
白い花が、わたしをあの一時に引きずりもどす。
白い靴が、わたしをあの瞬間に縛りつけて放さない。



「薫子さん、お部屋に ・・・・・帰りましょう。」



陽子お姉様のお声が、わたしの目を覚ます。
いつのまに、夏の夢は終わりを告げ、
長い仏蘭西窓から、傾く陽射しがゆるくのびていた。

「あの、わたし、すこしお外の空気にあたってきたいので・・・・」


あの方からのものではない手を拒むように、白い花は鮮やかに開いたまま。
いまだ、夢の名残が漂うような風情のままに、ひらりと身体を翻す。

差しのべかけた手を握りしめ、陽子は去ってゆく後姿をただ見送っていた。








夏だというのに指先がこんなに冷たい。


翳った匂いがじんわりと層をなすような書庫に、逃げ込んだわたくし。
あのあまりの陶酔と、絶望に、思わず背を向けるしかなかった。
あの夜に差し伸べた手は、あの子に届いたはずもなく、
サァカスのように衆目に晒されるなか、道化のようにあなたを引きずり出した。
あまりの愚かしさにいたたまれなくなった。

こめかみを軽く指で押さえ、仄暗い部屋の中で淳子の瞳に光は深く沈む。

わたくしの浅ましさを隠してもらいたくて、飛びこんで、煩悶する。
何もできぬままに、心ばかりが急き、脚は竦むばかりとなり。
もうこんな時刻になってしまった。

ぶんの怒った顔が目に浮かんで、少し笑った。
薄桃色のマァガレットを握る指は、まだ冷え切ったまま。

口の端を上げたまま、身体をのばす。
扉の向こう、夏の夕暮れが忍びこむ。







木馬にすっかり、酔ってしまったよう。
すこしでも離れて、この心を落ち着かせなければ。
そんなことを考えながら、いつしか薫子の脚は海岸に向かっていった。

人影の途絶えた浜辺は、ただ、静かに薫子をうけいれてくれる。
ひとつひとつ、踏み締めるように、白い靴で小さな跡をつけて歩く。
西の果ては傾きかけた夕日、真向かいにうすぼんやりとした月の翳が映る。
彼方へと広がる海に、見るともなしに視線を向ける。
茜に映る風が、幾重にも大地にふわりと被さり薫子をやさしく包みこむ。
黄昏はなすがままに静まりかえり、ただ蒼然とした海だけが刻々と色をかえてゆく。



あの方が手を差しのべてくだすった。
無様なほどに脈が上がり、強張った身体をあの方にあずけた、わたし。
それはいかにわたしが幼いか、思い知らせるに充分なものだった。
あの方にとって、それはパーティーの余興に過ぎないはず。
わたしにとって、それは・・・・

陽子に習ったように、脚をそっと運んでみる。
ああ、今ならこんなに軽やかに動くことができるのだわ。
そして、きっともっと愛らしく微笑むことさえできるのかもしれない。

揺らめくスカートがふうわりと広がり、小さな顔が海風になぶられる。





不意に長い影がさした。
薫子の気がつく前に、その手がさしだされる。



「じゅ・・淳子お姉さまっ。」


薄れかけた夕陽に照らされて、胸のマァガレットが赤く映える。
眩いほどに優美な淳子の、細い咽喉が小さくふるえる。


「先ほどは・・・ごめんなさいね。」


白い花が夕闇に浮き上がり、驚きに口が薄く開く。
二重の瞼が二三瞬き、つぎの瞬間それが鮮やかな微笑とかわる。
「少し、  気分が優れなくて、休んでいたの。」
情けないほどに、つまらぬ言訳を繰り返すわたくしに、
あなたはその花開くような笑顔を、向けてくれるのね。

「いいえ、わたしこそ、折角陽子お姉様に教えていただいたのに・・・」
頑是無い少女のような含羞は、
わたくしの疲れ果てた魂をゆさぶるほどに、うつくしい。
「では、もういちど、お相手をお願いできるかしら。
 ・・・・・・ わたくしで、よろしければ。」

耳もとの花を軽くととのえて、わたくしたちは微笑みながら手をかさねあう。
よせてはかえす波の音、柔らかな風が身体を包み込む。
いつしか翳る陽は月の光にかわり、さざめく波はあやなす波璃となる。






時の彼方に、二人だけ取り残されてしまったように、

お互いの瞳を限りない慈しみを込めて、わたくしとこの子はもつれあうように。
あずけられる身体は、羽根のように軽く、
交わしあう眼差しは、ただ心地よく触れあうばかり。
わたくしたちの身体は、降りそそぐ月光に溶かされたように、
重力から解き放たれた、一つの調べとなる。






それは、夏の宵闇がみせた、蜃気楼にすぎないというのに。









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