京都大が沖縄の遺骨移管 今帰仁村教委に 戦前に研究目的で収集
京都帝国大学(現在の京都大学)の研究者が昭和初期に、沖縄県今帰仁(なきじん)村(そん)の墓地から収集した遺骨を、京都大が今年5月に村教育委員会に移管したことが、大学などへの取材でわかった。遺骨は少なくとも29体で、村教委は墓に戻さずに保管する方針だという。
遺骨は、16世紀以前の県北部の有力な首長やその一族らの墓とされる「百按司墓(むむじゃなばか)」に葬られていたもの。京都帝大の人類学者・金関丈夫(1897~1983)らが、1930年ごろに研究の対象として集めたとされ、京都大学総合博物館(京都市)に保管されていた。
京都大や今帰仁村歴史文化センターによると、遺骨は5月21日に箱に入った状態でセンターに届いたという。
この遺骨を巡っては、沖縄県出身者らが2018年に、京都大に対して遺骨の返還を求める訴えを京都地裁に起こした。地裁と二審の大阪高裁はいずれも、原告に返還請求権がないなどとして請求を棄却し、判決が確定した。
ただ、地裁判決(22年4月)は「関係機関を交え、解決に向けた環境整備が図られるべきだ」などと付言した。また、高裁判決(23年9月)も付言で、世界各地で遺骨の返還運動が広がり、返還された例もあると指摘。京都大や村教委らで「適切な解決の道を探ることが望まれる」などとしていた。
今帰仁村歴史文化センターの玉城靖館長によると、村教委と京都大は、高裁判決が確定した後の24年12月に協議書をかわした。協議書は、遺骨を「保存状態が良好で、重要な文化遺産」とした。移管の条件として、埋葬処理せず、学術資料として保管することが盛り込まれているという。
百按司墓は、村の文化財に指定されている。村教委は「人骨は遺跡を知る上で重要な資料だ」として、センターで保管する方針。訴訟の原告に限って骨をみてもらうという。
京都大は、朝日新聞の取材に文書で回答し、遺骨の移管を認めた。また、移管された遺骨は少なくとも29体だと明らかにした。一方で、移管は「大阪高裁の判決を受けて行われたものではない」と説明。ただ、協議の詳細な内容については「村教委との間における信頼関係、及び、今後の率直な意見の交換を不当に損ねるおそれがある」などとして、明らかにしていない。
遺骨返還訴訟の原告団長を務めた松島泰勝・龍谷大学教授(琉球先住民族論)は「遺骨が今帰仁村に戻ったことはうれしい。ただ、あくまで移管で、墓への返還には至っていない。研究対象や学術資料の人骨として扱うのではなく、遺骨として墓に戻すべきだ」と話している。