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會津ニ十
「これより、本年度の葉山フェアウェルパ-ティーを開催致します。」
生徒会のぶんお姉様の声が、聞えてきた。
舞台袖に集まった一年生たちも、興奮と緊張でざわつきが収まる。
千佳子の少女らしい思いつきで、皆で天鶩絨のリボンを揃えた。
髪が肩にかかるかどうか位のわたしでも、すこしは可愛らしくみえるのかしら。
置いてあった手鏡をとり、何度も巻きなおす。
元来不器用なのか、それとも慣れない所為なのか、
太い紺のリボンは、鉢巻のようになってしまう。
「薫子さん、かして。」
後ろからあかねが、そっと声をかける。
あの一件以来、いささか遠くなっていた距離は葉山でもかわらなかった。
「 え、あっ、・・・・・
お 願いして、いい ?」
戸惑いながらも、返事を返す。
女の子らしく、いつもかわいらしい髪を整えているだけあって、
あかねの指は手際よく、櫛を走らせる。
「もうすこしね、上の方に巻いたほうがかわいらしく見えてよ。」
なるほど少し位置をずらしただけなのに、随分と印象が変わったように思えた。
「ありがとう。 あかねさんお上手だわ。」
手鏡を覗きこんで、あかねと自分の顔が重なる。
「 ・・・・あのね、薫子さん」
「え・・?」
「ごめんなさい、一学期のこと。」
いきなり云われて、なんと返してよいかわからず口が半開きになる。
「 わたくしたち、千佳子さんもだけれど・・・・
本当は葉山に来てから、ずうっと謝りたかったの。」
楽譜に夢中の千佳子に目を走らせながら、あかねは続けた。
「ううん、淳子様は素晴らしいお姉様だし、薫子さんが憧れるお気持ちは
よくわかるわ。
薫子さんのお話も伺わないで、あんなふうなことを云ってしまって・・・・・」
「 そんな、わたしこそ。」
「わたしや千佳子さんも、憧れるお姉様ができてやっとわかったの。
どんなにか、辛かっただろうって。」
「 ・・・・あかねさん。」
「だから、亦、お友達になってくださる?」
「ええ・・・・ええ、もちろん。」
微笑んで両手を握りあう二人をみて、楽譜の向うから千佳子が手を振った。
「学長先生のお話が終わるわ、皆さん、こちらへいらして。」
タクトをぐるぐると振って、指揮の真飛さんが皆をまとめようとする。
あかねに手をひかれて、そそくさと列に戻る。
「淳子お姉様のためにも、頑張りましょうね、薫子さん。」
一年生たちが、縦列を作りおずおずと舞台に出る。
精一杯気取った顔、少し蒼ざめた顔、
其々の顔を貼りつけた少女達が、慎ましげに位置につく。
この場所からでも、最後列のあの子は直ぐに目に飛び込んでくる。
セーラー服を纏い口を引き結ぶ、少し緊張した面持ちのあの子。
伸びやかな肢体から続く、すんなりとした首筋に紺のリボンが流れている。
小さな顔に柔らかな前髪がかかり、聡明そうな瞳が興奮で潤んで見える。
縁取る天鶩絨が、どこか異国の少女めいた風情を漂わせる。
どんなに高名な画家であっても、到底描き尽くせないほどに、
清らかで、うつくしい孤高のEtre。
仕方なく読みすぎた、ハイネの所為かしら。
仮面を被りながら、世間と折り合いをつけようともがくわたくしの
僅かばかりの皮肉が、伝わるはずもない。
ハイネが声高に街頭に立つ、あなた方が眉を顰める輩だと知ったならば、
皆さん、どんな顔をなさるのかしら。
そっと笑う淳子を、陽子は目の端に止めた。
あの方の不遜なまでの美貌の裏には、一体何が潜んでいるのだろう。
冷たく深い理性の大河のざわめきが、時折洩れてくる。
そんなあの方が、求めてやまないのは、薫子只一人。
壇上に少し蒼い顔をして立っている、あの子に目をうつす。
昔から、人を見定めることだけは得意だった、
なのにいまだに、その輪郭すら掴むことができない。
なにものをも寄せつけない清浄さとともに、すべてを受けいれて消化してしまう、
そんな豊かなたくましさを併せもつ。
わたくしは、どちらに惹かれているのかしら。
もしかしたら、そのどちらをも忌み嫌っているのかもしれない。
麻子とわたくしの間に、他に進む道があったのか、
それをわたくしは、教えて欲しいのかもしれない。
「わたくしたち、一年生の合唱を披露させていただきます
葉山にいらっしゃるのが最後となる、三年生のお姉様方のために
一生懸命練習しましたので、聞いてくださいませ。」
緊張したゆう子の声は、三列目からでもわかるほどに震えている。
お席に座っていらっしゃるはずの淳子お姉様を、探したがる瞳をおさえつける。
嗚呼、お姉様が微笑まれるお顔などみてしまったら、
きっとわたしは恥ずかしくて、喉がしまってしまう。
首筋を伝う天鶩絨のリボンが、急にこそばゆくなってくる。
楽譜を持つ手が汗ばむのは、夏の空気のせいばかりではない。
「曲は 『月見草』 です。」
頬を紅潮させたゆう子さんが、位置に戻り、タクトが上がる。
不安げな声が混ざり溶けあって、講堂を満たしはじめる。
わたしの声は、お姉様に届くかしら。
夕霧こめし草山に
ほのかに咲きぬ 黄なる花
都の友と 去年の友
手折り暮しし 思いでの
花よ 花よ
その名も ゆかし 月見草
少女達の混ざり合う声の中、わたくしの耳には薫子の声だけが響く。
あなたの紡ぐ声だけが、わたくしの心に入りこむ。
あなたの声だけが、わたくしの心に縦横に巻きついてくる。
月影白く 風ゆらぎ
ほのかに咲きぬ 黄なる花
都にいます 思いでの
友に贈らん 匂いこめ
花よ 花よ
その名も いとし 月見草
あどけなく微笑むあなた、驚きに目をみはるあなた、
そして、精一杯歌ういまのあなた。
その姿形のひとつひとつを、わたくしは永遠に胸に焼き付ける。
風清く 袂かろし
友よ 友よ 来れ 丘に
静けくも 月見草 花咲きぬ
漆喰の高い天井に、少女達の歌声が昇り、消えていった。
お辞儀をして上がる顔が一斉に息をつき、こらえ切れない微笑をこぼす。
わたくしの心が窒息してしまう前に、わたくしは思いの丈を伝えられるのかしら。
わたくしというものが、どんなに愚かしく臆病で小さな一己の自我であったか、
あなたは教えてくれた。
あなたの足元に、わたくしはこれから跪くのよ。
―――――――― 薫子、
あなたの爪先に口付けるため、わたくしは席を立つ。
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