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吉屋かめ乃
あなたは 誰をご覧になっているの
「 ……薫子は、 薫子 ですわ。 」
陽子がなにか言葉を発するたび、月明かりが揺らぐ。
薫子はまるで、ベル・メヱルの眠り目のお人形のような顔をして
わたくしたちの想いなど知る由もなく、
等しい拍子で寝息を吐きつづける。まつげが長い。
つややかな下唇のちょうど真下までかけられた毛布が
呼吸にあわせて柔らかく上下する。
わたくしたちが求めてやまない、何か。
何か・・・わたくしたちは本能でその正体を知り、目聡く見つけてしまう。
薫子は、薫子。
「 そうよ。・・・誰かを映すような隙は、一分もないわ 」
「 十一時からです、そう。
学長先生のご挨拶のあとに一年生の唱歌と生徒会とよ。」
「午後の式次第も記したほうがよろしいでしょうか」
「そうね、続けて書いてくださっていいわ 」
チャペルに隣接した講堂。
夏の一時期以外は一般にも開放され、地域の社交や音楽会のほか
大きなダンス大会なども催されているらしい。
ただの講堂としては装飾過多であると云えるかも知れない。
白い暖炉はもう何年も前から火が入っていないが、
建設当時には随分モダンなものであったことだろう。
先の大戦においても、どう扱われていたか想像に難くない。
フェアウェルパーティーの愉しみは、なんと云っても午後のダンスにある。
一年生のお歌へのお返し、というのは
あとから都合よくつけられた言い訳かもしれないけれど。
「薫子さん、背が高いわねぇ。幾らあるの?」
「 えーと…160…8、かな。」
「まぁ! 男子でも充分の寸法よ」
「もっと小さくなりたかったんですけれど・・・」
「どうして? 薫子さん、素敵だもの。
きっと来年は下級生が大変でしょうね。 」
「来年・・・」
「ええ。一年生が入ってくるでしょう? 」
唱歌の発表の位置をきめるのに、改めて学年中で背比べ。
あかねや千佳が一列目に並ぶのをよそに、
最後列、三列目の下手に並ぶ。
でも、恥ずかしいからこの辺りでちょうどいい。
新しい一年生・・・そうか、当然のことだ。
皆が云うように、誰かがわたしなんかに憧れたりするのだろうか。
わたしが、淳子様に抱いたような想いを、同じようにかかえたり・・・?
何故か現実味がないのは、わたしが望んでいないからなの。
わからない。
嗚呼、最後に楽譜をおさらいしなくちゃ。
チャペルから椅子が運び込まれるのを横目に見ながら、
淳子は講堂の隅で書類に視線をおとす。
「 淳子様 」
「・・・あら、お加減はどう? 」
「今朝は大分。ご迷惑をお掛け致しました。」
「いいのよ。」
向こうに見える薫子の姿を追いながら、並んで腰掛ける。
楽譜をしっかりと両手で持ち、しなやかな手足を持て余すようにして
段上に上ったり降りたりしている。
「 詩・・・・・・ハイネ、ですか。」
「 ドイツ語も堪能でらっしゃるの?」
「いえ、簡単な単語がわかる程度ですけれど…
ハイネは原書のうつしを読んだことがあったものですから」
「そう。」
「 叙情詩など、読まれるのですね。」
読まなければ、好き嫌いには結ばれないわ。
「 ・・・意外に思われて? 」
「ええ・・・すこし。」
あなたはわたくしを、どう捉えているのかしら、陽子さん。
少なくとも薫子よりはわたくしを理解しようとしているのでしょう。
薫子は、考えで捉えようなどという無様な真似はしない。
身体的に、あるがままを見据えてとらえてしまう子。
それはわたくし以上でも以下でもない、わたくし自身。
「さぁ、一年生のお歌がはじまるわ。」
「淳子様、もしかしたら、その・・・ 」
あなたの繊細な棗の蔓は、あなた自身にもからみつくでしょうに。
陽子に笑みを向け、淳子は席へ向かった。
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