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                          吉屋かめ乃




陽子お姉様は気付かれない。
ご自分の頬を泪で濡らしていらっしゃることに。
其れか、そっと目の縁を赫く染めて、雨水に変えて流してしまうおつもり。
わたしならきっと、こんな鬱陶しい下級生の傘など振り払って
どこか遠くへ行ってしまいたいと思うにちがいない。
淳子お姉様なら・・・
淳子お姉さまは・・・きっと、泣いたりなさらない。



「ご心配を、お掛けしてしまったようね。悪かったわ。」
「とんでもないです、その、ご迷惑だったのではって、」

人目につかないようにして
蔵書室で陽子お姉さまの制服にしみ込んだ雨を拭う。

「もういいわ、有難う。」
「でもまだ・・・」
「有難う。」

蒼褪めてみえる陽子の顔に、つい手の平をあてる。


「 !!! 」
「 あ、御免なさい、その、冷たくなって・・・っ」



薫子の右の手首を掴み、
陽子は自らの身体の内に潜む何かを、
もう押さえ切れなくなってしまっているのを頭の片隅に感じながら
それを留めることが出来ない。
わかってるのよ、でも、だからこそ、
薫子の瞳にはっきりと畏れが滲み出す。
それすら、希ましい。

陽子の栗色の柔らかな髪が今は濡れて、薫子の額にかかる。
しっとりと水分を含んだ睫毛が
もう目の前で瞬く。


「陽子、 おねい さま … 」
「あなたは、淳子様のことだけ想えばいい」

外国のかおりがする、と思った。


「…淳子様にだけ、触れていればいいのよ 」
「 陽子お姉様・・・!」

力の限りに、陽子の伸びやかな腕を振り払う。
その一瞬の陽子の表情に、時をとめる。
泣いているような、微笑んでいるような、
こんなふうな張り詰めた顔をすることはなかった。
・・・いいえ、こんなに張り詰めた顔を見せることは、なかった。

怯んだ隙に、書架の際へ追い詰める。
セーラーカラーが小さくふるえるのを目の端に留める。
あなたは、あなたのお家が惨めになっても淳子様を選ぶかしら。
淳子様は・・・あなたをなくして、生きられる、かしら。


口唇がふれあう。
陽子お姉様の自嘲に歪んだ口唇が、柔らかく震えながらわたくしの魂にふれる。
受け止めねば、そう頭に掠める。
わたしなんかが、この方の救いになるのならば・・・。
苦心して力を抜いてゆくと、
陽子は体重を薫子に預け、わずかに聞き取れるかという声で何ごとか語る。

「 …取るに足らない、くだらないことだわ、そう 」



わたしは、陽子お姉様に出逢ってほんの少し光の陰を見ました。
今まで見たどの陰よりも、哀しい陰。
陽子お姉様が陰ならば、淳子お姉様は色々が混在した闇のように思えます。
わたしは…お姉様がたやお友達が想像するような清浄さは持たないのです。
陰を飲み込んでは生きてゆけないから、光で打ち消そうとしているだけ。
陰に沈んでいられる陽子お姉様は、とてもお強いのです。
淳子お姉様は、きっと、もっと。






ステンドグラスを叩く雨の拍子は変わらず速い。
どのくらいこうしているのだろう。
「陽子おねえさま・・・」

肩に顔を埋めた陽子の背をなぞると、まだ幾分湿っている。
時たま閃光が走るが、轟音は遠い。





入ってきた人影に、竦んだまま動くことが出来ない。
身体を固くし、明らかに変調を見せた薫子の表情を窺う。

「薫子? 」




内臓が散り散りに潰れてしまいそう。
急激に迫来る吐気を押し込める。
本当は、立っているのもやっとなのよ、薫子。

真直ぐに薫子へ、手をさしのべる。


「 …………来るか来ないか、選びなさい、今。」
「 …淳子お姉様…」











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