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                       會津ニ十








面会室への階段が、いつになく長い。
手摺りに凭れるようにしながら、竦む脚を無理やり引き上げる。




突然の麻子の訪問は、やっと見つけた一時の澱みの中から、
わたくしを濁流へと引き戻す。
静まりかけた胸に、絞られるような痛みが走る。
その思いもよらない大胆さ、わたくしの手の届かないおおらかさ、
沈めようとした思いが、胸で溢れて息が詰まる。


降りそそぐ蝉の声に、視界が滲むように狭まってゆく。





「お久しぶりね、陽子。」


振りきろうともがき続けて、それでも振りきれなかった面影が、
シャンデリアの下こちらを振り向いた。
あの頃よりも少しやつれて、あの頃よりも大人びて、
あの頃よりも艶やかに、あなたは微笑みかける。
強張った笑みを湛え、面影に視線を釘付けにしたまま、
ぎこちなくわたくしはソファに腰を下す。


「お返事を頂けなくて、押しかけてきてしまって・・・・・・怒っていらっしゃる?」
肩に切りそろえた髪がさらりとゆれて、わたくしを真っ直ぐに見つめる。
「 いいえ。」
どうしてあなたを怒ることなどできると思うの。
ひたすらに目を逸らし、逃げつづけようとしてきたわたくしなのに。
「ほんとうに、懐かしいわ。」
「 そうね・・・  本当に。」
どんなに微笑をかさねても、あなたはわたくしの声音を見事に聞きわける。
心の底をかき回すような視線が、瞳に突き刺さる。
そして、不意に彼女は微笑んだ。


「お式がね、秋頃になりそうなの。」


逸らしつづけてきた現実に、いきなりわたくしは打ちのめされる。
「それは ・・・・・おめでとう。」
呆れるほどにぞんざいな口調に、あなたの微笑がゆっくりと途絶える。
幼い頃無邪気に絡め合った、白い指が握られ僅かに震える。







「祝福して、下さるのね。」
微笑で頷く、
勿論、嘘ばっかり。
「男爵は、よい方なの。」
白いドレスのあなたが浮かぶ、
よい方、だから?
「わたしを、大事にしてくださるの。」
初めてつけた口紅が鮮やかだった、
大事だったわ、あなた。
「わたしを、とても愛してくださるの。」
あなたと踊る夢を見た、
とても愛していてよ、二度と会えぬほど。




「わたしも、多分あのひとが、好き。
 今はまだ ・・・・・ この世でニ番目に。」




投げかけられた言葉が、頭に染み込むのにどのくらい時間がかかったのだろう。
昔からそうだった、一番大切なことはいつもあなたが口を切る。
どうしようもなく立ち往生するわたくしの手を、軽やかに取って。
後悔と羞恥の澱みの中で、もがくことしか出来ないわたくし。
思いがいつしか、現実に重なり、
あなたの手がいつしか、わたくしの手に重なった。


「逃げてしまいたいと、其ればかり思っていたわ。」
あなたの体温が、わたくしに流れこむ。
「こんな風に、陽子の手を取りたいと、
 ずうっと思っていたの。」
汗ばんだ掌が、掌をゆるく握る。


「傾きかけたわたしの家には、あの方が必要。」
睫が細かく震え、小さく息を吸いこむ。
「だから、わたしが選んだの、こうすることを。」


そんな処まで、やはりあなたらしい。
何処かで全てを断ち切り、頭を明日へ再びあげるあなた。
眩しいほどに強くて大胆で、魅かれてやまないほどに逞しい。



「それを伝えたかったの、わたし。」



そして、今度はわたくしがあなたを見送る番。
門の向こう、小船のように左右に揺れて車がだんだんと霞んでゆく。
門柱にくず折れそうな身体を凭せかけ、いつまでも目で追いつづけた。






物憂い夕暮れに、疎らな水滴がまぎれこむ。
通り雨がぽつりぽつりと、世界を覆いはじめた。









「陽子お姉様」



どのくらい立ち尽くしていたのかしら、傘が差しかけられる。
小首を傾げ、少し困ったように心配を押し隠した薫子が瞳を向ける。
「 あの・・・・お風邪をお召しに、なってしまいます。」


水滴は既に髪を伝い、首筋から服へと流れ落ちる。
強まる雨足の中、ぬかるんだ道をわたくしに歩調を合わせながら黙々と進む。
この子の瞳には、何が見えているのだろう。
その本質を見極める眼差しに、わたくしは映っているのかしら。
わたくしの横で静かに伏せられる,
この瞳が一心に追うのは、淳子さま、唯お一人なのね。


あの方も、わたくしと同じ後悔に苛まれる日がくるのかしら。






夏の生温かい雨は、わたくしの苛立ちを燻らせる。












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