21-4 真実は未だ明かされず
下弦の月を見上げてながら、白い息を吐く。
オーリンに宣戦布告を受けてから奔走してみたものの、未だに勝利の確信は得られていない。
足掻いた分の価値はあったと思う。たった一日で、魔法少女達の戦闘力を向上できたはずだ。少なくとも、希望を幻視するという目的は果たせた。
「……それでも、足りない。きっと勝てない」
月から目線を下げていった先には、白亜の壁でできた建物が存在する。
均等に並んだ窓がまるでビジネスホテルのような装いであるが、趣がやや異なる。建造物としての規模は地方都市としては規格外だ。
「俺達には、オーリンの予測を上回れる程の力がない。常識の範囲内で戦力を強化しても、知恵のある化物には勝てはしない。数に押されただけでも簡単に負けてしまう」
太陽は既に沈んだ。
白い溜息が湯気となって、大気に混ざって消えていく。
寒い外気から逃れるように建物へと足を運ぶ。受付終了まで一時間程度余裕があるので、簡単に入館できた。
エレベーターで二階に上がって、回廊を通って奥へと進んでいく。
「現有戦力で勝てないのであれば、残る手段は他力本願しかない。駅伝の外国人枠のごとき強力な助っ人が。……その助っ人が、オーリンが予期していない人物であればなお素晴らしい」
独特の薬品臭さが濃くなるにつれて、人気が感じられなくなっていく。ただし、気配そのものがなくなっている訳ではないので、妙な気分に陥りそうだ。
嫌という程ではない。
むしろ親和性が高いからこそ、目には見えない存在に引きずれてしまいそうで、現実と乖離してしまいそうな己自身が恐ろしかった。
考え事をしながらだったので、いつの間にか目的地へと到着する。
地方都市にしては設備の良い病院の、第二病棟二階の奥に存在する集中治療室《ICU》が、俺の目的地だ。
集中治療室は一般病棟の病室とは大きく異なる。術後のように、病状が安定していない患者を収容するための専門治療室であり、容態急変に迅速に対処できるよう数種の医療機器が揃っている。
弱っている患者を扱っているだけあって、本来の面会時間は限定的だ。夜になってから押しかけても、通常、面会は叶わない。
『暗躍』スキルを所持していれば集中治療室に侵入するのは容易かった。が、看護師が最低一人は常駐しているようで、隠れて患者と接触するのは難しいだろう。
どう解決するべきか。
……こう悩むよりも早く、変化が訪れた。
集中治療室天井の電灯がチカチカと点滅を数度繰り返した後、ぼんやりと光度が下がっていく。電灯だけで生命維持装置関連は正常に動作していたが、看護師や患者は全員目を閉じて眠り始める。
静かで暗い室内で、心拍が命の波形を刻む。
心霊的な現象が起きているが、原因はもう少しファンタジー寄りだった。
廊下の向こう側から、女が歩いてきている。看護師とも患者とも思えない女で、首に長いオレンジ色のマフラーを巻きつけているのが特徴的だ。
天井の電灯は女の移動に合わせて消えていっているので、女が怪奇現象の起点であるのは間違いない。
「――人間。よくも、我を謀ってくれたなっ!」
腰の重心を戦闘位置まで落としていたが、犯人がマフラー女と分かった瞬間に体中から力が抜けていく。出現したのがマフラー女ではなくオーリンだった場合、投了するしかなかったので安心してしまったのだ。
道端にいただけの俺を喰うと宣言しているマフラー女は猛獣と変わらないが、それでも話が通じる分、マシな分類の猛獣だ。
俺の術中にはまっていたと知って憤慨している様子など、可愛げがあって愛でたくなってしまう。
「今朝発ったばかりなのに、もう帰国したのか。どこに行っていた?」
「このッ、抜け抜けと……」
一番遠い場所でイギリスのホテルを予約していた。近場ではグアムや台湾にも男性一人分のツアーが組まれている。
マフラー女はどの国に俺の友人、紙屋優太郎が滞在していると勘違いして出発してしまったのだろう。
「次の国が正解なら良いな」
「たわけが! 確かにお前は単純にネット予約しただけの偽装工作を多数用意しておったが、お前が仕掛けている術はそんな人間的なものではない! 優太郎なる人間は、海外などにいるものかっ!」
装着した覚えのないマスクを被って、俺はマフラー女と対面している。
はたして、いつのタイミングでマスクを装着したのか。
病院のエントランスには警備員がいたので、こんな怪しい格好で入れたはずがない。ならば集中治療室に入る直前で付けたとしか思えないが、それらしい記憶は存在しない。
きっと潜入を企てていたから、無意識的にマスクを装備してしまったのだろう。そうでなければオカルトが過ぎるではないか。
「なるほど、海外旅行が全部ダミーだともう気付いたのか」
「いい加減にしろ。我は既に、一般人でもこなせる拙い偽装など見抜いておる! お前は紙屋優太郎が絶対に見つかるはずがないと分かっていたから、我に勝負を挑んだ。用いている方法は、実に狂人的だ!」
「病院で興奮するなって。親友なのだから、俺が優太郎を隠すのは当然――」
「事の起こりは一ヶ月前の溺死事件であろうが!!」
『――○▽県○◇市で昨日行方不明になっていた男性は、市内の国立大学に通う◇◆さんである可能性が高いと警察は発表。◇◆さんは誤って市内を流れる天竜川に落ちて溺死したものと――』
「一ヶ月前からっ! 必要な人間が一人足りないままではないか!」
マフラー女は新聞の地方欄の切り抜きを突きつける。
一ヶ月前……いや、そろそろ二ヶ月前になるためか懐かしい。皐月とファーストコンタクトした次の日だったか。
マフラー女が証拠として提示した新聞記事には、俺と優太郎が大学食堂で駄弁っている際、テレビで報じられていた悲しい事故が載っている。
……俺の中では、そういう事になっている。
「――なんだ。そこまでもう気付いていたのか。なら、ここで勝負の答えを訊いても問題はないよな」
ラベンダー実家前で開始した、紙屋優太郎の所在を賭けた勝負。オーリンとの戦いに集中したかったので、この場で決着が付くのはタイミングが良い。
負ければ、俺は正体が化物のマフラー女に喰われてしまう。
勝てば、マフラー女は俺に服従する。
「俺は、どっちだと思う?」
勝利の賞品に対する興味は薄い。が、真性の化物に対して俺の切り札が通じるのか、勝利という結果そのものに強い関心があった。
マフラー女は両手を握り締め、長い沈黙を挟んでから重い口を開く。
「――――不満ばかり残るが、降参するしかあるまい。我は結局、二択の内どちらが正解なのか分からなかった」
「運任せで答えれば、正解するかもしれないぞ?」
「お前は神秘性で守られておる。確信がなければ正体を暴けぬよ……」
不貞腐れた、というよりも疲れているような口調でマフラー女は言葉を繋げる。苦渋に満ちた敗北宣言だった。
マフラー女に勝利できた事は、最後に控えている主様と戦う上での自信となるだろう。
「負けたか。これで我は、お前の物だったな。……お前というのも、所有者に対して失礼か」
だが、このマフラー女はどう扱うべきなのだろう。
形状記憶の高そうな暖色のスカートは短く、ストッキングに覆われた脚部は地肌が見えないため想像力を鍛えられる。
マフラーで隠された唇は、ほのかなピンク色で、小さい。
見てくれが上等なのは分かるが、俺の傍に女が増えても焼き殺される確率が増えるだけのような気がする。
「お前の事は、主様と呼ぶべきなのかの」
「敵の首魁とかぶるから変えてくれ」
「ご主人、上様、親方様……むむ。祀られた事はあっても仕えた事はない故、どうにもしっくりこん。……ふむ、しかし、これはなかなか新鮮な体験なのかもしれぬか。ふむふむ」
蛇のような瞳になってマフラー女は呼び名を悩んでいるが、長くなりそうだったので俺は当初の目的を果たす事にした。
俺が病院の集中治療室に訪れたのはマフラー女とエンカウントするためではない。
「名無しの権兵衛様よ。敵とは、この街に潜んでいる我以外の魔族の事かの?」
「主様という奴が大将の、異世界からやってきた魔族の集団だ。それはそうと、その呼び名だと毎回長ったらしいだろ?」
「ふーむ、ではもう旦那様で良いか」
集中治療室のベッドはほぼ満席状態だ。患者がいる部屋を長く占有するべきではなかったと反省しながら、一人一人顔を確認していく。
ベッドを巡って、俺は一人の女性患者を発見する。
若い、十八歳前後の女性が眠っている。憔悴していて人相が変わっているが、健康な頃は中性的で輪郭の良い顔立ちをしていたと思われる。
本来患者の名前が記載されているべきプレートには“ジェーン・ドゥ”としか書かれていない事からも、俺はこの女性患者が目的の人物だと確信する。
「遅くなって、すまない」
数日前に緊急手術を受けたばかりで、痛々しい姿だ。体のいたるところにチューブが通っており、栄養剤も首から管を通して直接胃に流し込まれている。
以前、医者から聞いている話では、意識は一度も戻っていないとの事だった。最悪このままという事も、女性患者を助けた状況から十分に考えられた。
仮に意識を取り戻したとしても、背中の裂傷は背骨に到達し神経を切り裂いていたため、下半身はもう自由に動かせない。とも聞かされていた。
「ラベンダー。君に協力を求めたい」