20-6 遅れてきた男
激痛を叫ぼうとするタークスの口は、脇腹があった場所から感じる激痛によって閉ざされた。欠損部分からドボドボと流れ出る血液の音を聞いて、顔の血色が悪くなる。
タークスは来夏に完全敗北した。敵の戦闘能力を甘く見たため、罠を張っていたにも関わらず死に掛けている。屈辱交じりに噛み締めたいが、やっぱり痛みが邪魔して難しい。
ただ、敗戦の中にも幸運はある。
体が欠けてなお、タークスは生きている。腹の中心を蹴り破られていたら即死していただろうが、来夏は最後の最後で的を外してしまった。傷が深いだけなら、傷の内に入らない。
タークスは異世界の住人だ。地球ではまだ確立されていない再生医療を、奇跡的なアイテムで実現できている。一般的な冒険者が二十年働いた収入に匹敵する程に高価な回復アイテムであるが、タークスは勇者パーティーの参謀役だ。高いだけなら、入手は難しくない。
一人で残す勇者に悪いと思いつつ、タークスは『異世界渡りの禁術』スキルを通常稼働させるために意識を集中し始めた。
帰還後はしばらく静養が必要になるだろう。相応に準備期間も伸びる。復讐を確実なものとするためにも、次はもっと多人数で異世界に攻め込んでやろう。
タークスは未来の展望を思い描きながら、異世界に逃げ帰るためのスキルを発動させるために口を……、口を……、口を動かそうとしてうまく動かせない。
「いはかはきはは、あ……?」
呂律が回らず、タークスは思わず呆けてしまった。いくら痛撃に体が震えているとはいえ、無傷の声帯が麻痺しているのはおかしい。
毒で痺れている訳ではないとすれば、考えられる原因は来夏の電撃くらいしかない。
「許さないと、言ったです」
ゾクリ、と背筋を凍らせる声がタークスの後頭部に伝わった。遠くに着地した来夏がタークスの今後を通告したのだ。
格闘魔術の異色性に驚かされるばかりで、タークスは来夏の魔法の本質を見誤っていた。来夏の魔法の特徴は電光石火の速度だけではない。電気ショックによる、麻痺のステータス異常付与も来夏の得意技だ。
足蹴にした際に、来夏はたっぷりと電流をタークスの体に流し込んでいた。だからタークスは声一つ発音できずに、地面の上でビクビクと震えている。体が欠損する程の重傷でも余裕があったはずなのに、瞳があちこち動いて落ち着きがなくなっている。
水揚げされた魚に等しいタークスを、来夏は躊躇いなく追い討ちする。
「――稲妻、炭化、電圧撃ッ! 消えてなくなれッ」
来夏は残った最後の『魔』で発生させた電撃で、タークスの体を穿った。
傷口を伝って全身を巡る電気の流れは内臓をショートさせていく。臓器移植が必要となる程に致命的な損傷が次々と発生していくが、中でも重大だったのは心臓だ。
背骨が折れ曲がる程に大きく鼓動したタークスの心臓は、心筋がズタズタとなって、以降まったく動かなくなる。
麻痺していたために命乞いさえできずに、タークスは心配停止した。
数秒遅れで、モンスターと同じように霧と化して地球上から消えていった。
公園に到着したのは、来夏が決着を付けてから三十分以上経過してからだった。
俺は最初に皐月の実家に急行した。そこで、皐月から俺と携帯電話で連絡したと聞いた時から嫌な予感がしていたのだ。俺は来夏と連絡していないし、名前の知らない公園を合流場所に選んでもいない。
ミイラ取りがミイラになる訳にはいかないので、皐月と浅子には別の場所に逃げ込むように指示してから、俺単独で来夏と顔の知らないラベンダーを追った。
広い広場にいるのは来夏一人だ。
敵の姿がないのは幸いだが、ラベンダーの姿が見えないのは不審だ。それに来夏が、魂が抜けたかのように広場の中央に突っ立ったまま、空を見上げ続けている光景にも胸の内側が捻られてしまう。
来夏の足元には土の塊のようなものが集められていた。それに何の意味があるのかは定かではない。
「無事なのか、来夏!」
「…………秋が消えたです」
来夏に声を掛けた時、一応の返事が返ってくる。安否を確かめる答えとしては、補完すべき事柄がすべて抜け落ちてしまっている。
何せ俺は、姿の見えないラベンダーの本名が秋という事さえ知らないのだ。
来夏は呟くように公園で起きた出来事を語る。それでようやく、俺は間に合わなかった事を理解した。
魔法少女を救うと心に決めていた俺が無様にも程がある。来夏のように放心したくなるが、俺にその資格はない。
ラベンダー本人は既にこの世にいないそうだが、空蝉であっても親友を救おうとしたラベンダーに挨拶をしておくべきだろう。来夏の足元に膝を付く。
来夏の足元に堆積していた土は、ラベンダーの土人形だったものである。球状に変化して来夏を救ったため、人間を模していた頃の面影は残っていない。
両手を合わせつつ、来夏を救ってくれてありがとう、とだけ心の中で伝えておいた。
「……俺は結局、ラベンダーの顔を知らないままだったな」
勇者対策に徹して、ラベンダーは来夏任せにし過ぎてしまった。顔も知らないとは、俺は薄情だったのだろうか。
ふと、俺の顔の目前に、スマートフォンの液晶が差し出された。来夏が気を利かせて、親友とのツーショット写真を見せてくれたのだ。
「隣にいるのが、秋。もう死んでしまっているなんて信じたくない、です」
枯れた声で来夏は本音を漏らす。突然の出来事が重なって、未だに現実感が伴わないのだろう。来夏を変えようのない現実が襲い掛かるのは、これからなのだと思う。
そして俺は、液晶画面上で来夏と寄り合っている美麗な顔を見て動きを停止していた。
「ッ!? この子が、ラベンダーなのか?!」
――――俺は、ラベンダーを知っている。